25話にしてついにちさたき
ちょいちょい小話入れようかな
――アンノウンが現れて、間もない頃。
喫茶リコリコの二階。
千束とたきなは、向かい合って座っていた。
「……というわけで」
たきなが真剣な顔で切り出す。
「千束。一緒に暮らしましょう」
「…………」
千束は瞬きをした。
そして。
「…………え?」
「ですから、同棲です」
「…………えええええっ!?」
次の瞬間、千束が勢いよく立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待って!? たきな!? 今なんて!?」
「同棲しましょう、と」
「ど、どどど、同棲!?」
「はい」
「たきなと!? 私が!? 一緒に!?」
「……ほかに誰がいるんですか」
「やったあああああっ!!」
千束が両手を突き上げた。
「同棲! たきなと同棲! 毎日一緒! 朝起きたらたきながいて、帰ってきてもたきながいて、ご飯も一緒に食べて――」
「千束。まだ住むことが決まっただけです」
「お風呂上がりのたきなも見られる!?」
「何を言ってるんですか!?」
「いてっ!」
たきなの拳が、千束の頭に軽く落ちた。
「まったく……」
たきなは小さくため息をつく。
「最近、アンノウンの出現が増えています。どこで襲撃されるか分かりませんし、単独行動は危険です」
「うんうん!」
「ですから、私たちが同じ家で暮らせば、互いに異変に気づきやすくなります。緊急時にも対応しやすいでしょう」
「うんうんうん!」
「……本当に話を聞いていますか?」
「聞いてるよ! たきなと一緒に暮らすんでしょ!」
「そうですが……」
「最高じゃん!」
千束は満面の笑みだった。
たきなは少しだけ頬を緩めた。
「……まあ、千束が嫌でなければ、それでいいです」
「嫌なわけないじゃん!」
千束はたきなの両手を握った。
「よろしくね、たきな!」
「……はい。よろしくお願いします」
こうして。
二人の同棲生活が始まることになった。
*
――そして、引っ越し当日。
「……よし」
たきなは新居のリビングを見回した。
必要な家具は揃っている。
荷物も片づいた。
これから二人で暮らしていくための準備は、ひとまず整った。
一方。
「うへへ……」
千束はソファに座り、にやけていた。
「……千束」
「んー?」
「顔が気持ち悪いです」
「ひどっ!?」
「ずっと笑っていますよ」
「だってさぁ、これから毎日たきなと一緒だよ? 嬉しいに決まってるじゃん!」
「……そうですか」
たきなは視線を逸らした。
ほんの少しだけ、耳が赤い。
それに気づいた千束が、さらに顔を輝かせた。
「おっ? たきなも嬉しい?」
「話を進めます」
「照れた!」
「照れていません」
「照れてる照れてる!」
「千束」
「はい、すみません」
千束は即座に口を閉じた。
たきなは咳払いをして、テーブルの上に一枚の紙を置く。
「では、家事の分担について決めましょう」
「おっ、家事!」
「掃除、洗濯、片づけ、料理、買い物。この五つを、どちらが担当するか決めたいと思います」
「はーい!」
千束が元気よく手を挙げた。
「じゃんけん!」
「却下です」
「早っ!?」
たきなは真顔だった。
「以前、千束と生活していた時のことを覚えていますか?」
「……えーっと?」
「じゃんけんで家事の担当を決めた結果、私がすべて負けました」
「そうだっけ?」
「そうです」
たきなは、わずかに目を細めた。
「掃除も。洗濯も。料理も。片づけも。買い物も」
「……あー」
「私が負けるたびに、千束はとても楽しそうでしたね」
「えへへ」
「褒めていません」
「えへへへ」
「……今回は、さすがに半々にしましょう」
たきなが紙に五つの家事を書き出す。
「七日間で考えます。一日五つの家事ですから、合計三十五回。私と千束で、できるだけ公平に分担しましょう」
「えー……」
千束が頬を膨らませた。
「じゃんけん、面白いのになぁ」
「私は面白くありませんでした」
「でも、勝負だよ? 勝負って楽しいじゃん!」
「家事は勝負ではありません」
「じゃあ、ほかの勝負にしようよ!」
「……ほかの?」
「そうそう! 何かゲームをやって、勝った方が担当を決める!」
たきなは考え込んだ。
じゃんけんは駄目。
千束の動体視力を利用したゲームも、勝負にならない可能性が高い。
そもそも、毎日の家事を決めるために、複雑な競技をするのも面倒だ。
簡単で、二人でできて、公平なゲーム。
「…………」
しばらく考えた末。
たきなは、静かに口を開いた。
「……愛してるゲーム、というものがあります」
「…………」
千束が固まった。
「…………え?」
「交互に相手の目を見て、『愛してる』と言います」
「…………」
「言われた方が照れたり、恥ずかしがったりしたら負けです」
「…………」
数秒後。
「ぶっ……!」
千束が吹き出した。
「あはははははっ! なにそれ! たきな、なにそれ!?」
「ゲームです」
「知ってるよ! そうじゃなくて!」
千束はテーブルを叩きながら笑った。
「愛してるって! あははっ! それ、家事の分担を決めるゲームなの!?」
「はい」
「たきなが!? 私に!? 愛してるって言うの!?」
「……そういうルールです」
「やばっ! あはははっ!」
たきなは、少しだけ不満そうに千束を見た。
「……そんなにおかしいですか?」
「だってぇ……!」
千束は笑いを堪えながら、たきなを指差した。
「たきなが真面目な顔で『愛してるゲームをしましょう』って言うんだもん!」
「公平なゲームだと思いますが」
「そこ!?」
たきなは淡々と説明を続けた。
「じゃんけんのように運だけで決まりません。千束の動体視力も関係ありません」
「うん……うん?」
「相手の言葉に動揺するかどうか。それだけです」
たきなは真面目だった。
「ある意味、いいゲームだと思います」
「…………」
千束の笑顔が、ゆっくりと引きつった。
「……たきな」
「はい」
「それ、本気で言ってる?」
「もちろんです」
「…………」
千束は、たきなの顔をじっと見た。
いつもの真剣な目。
冗談を言っている様子は、まったくない。
「…………」
「……千束?」
「……分かった」
千束は、なぜか少しだけ顔を赤くしながら頷いた。
「やろうじゃん……その勝負」
「では、決まりですね」
たきなは紙に書き込んだ。
――家事分担方法:愛してるゲーム。
この時の二人は、まだ知らなかった。
このゲームが、自分たちにとってどれほど危険なものになるのかを。
*
――第一戦。
先攻、たきな。
二人はテーブルを挟んで向かい合った。
「ルールを確認します」
たきなが説明する。
「私が『愛してる』と言います。千束が照れたら、千束の負けです」
「う、うん」
「その後、千束が私に言います。私が照れたら、私の負けです」
「……うん」
「それを繰り返します」
「……分かった」
「では、始めましょう」
たきなが姿勢を正した。
そして、千束を真っ直ぐに見つめる。
「…………」
「…………」
千束の笑顔が、少しずつ引きつっていく。
たきなは、普段と変わらない落ち着いた声で。
「……愛してます、千束」
「――っ!?」
千束の顔が、一瞬で真っ赤になった。
「まっ……!」
声が裏返る。
「ちょ、た、たきな!?」
「……千束の負けです」
「はやっ!?」
たきなは静かに頷いた。
「一回で決まりましたね」
「いやいやいや! 待って!? 今のは反則でしょ!?」
「何がですか?」
「だって! たきなが! 私の目を見て! 愛してますって!」
「ゲームですから」
「ゲームでもさぁ!」
千束は両手で顔を覆った。
耳まで真っ赤だった。
たきなは、ほんの少しだけ得意げに胸を張る。
「……これなら、家事の分担も公平にできそうですね」
「……くっ!」
千束が顔を上げる。
「次! 次は私だから!」
「どうぞ」
たきなは余裕の表情だった。
千束は深呼吸する。
たきなは平気だった。
きっと、平気なはずだ。
あのたきなが、たった一言で照れるわけがない。
千束はそう信じていた。
「…………」
そして、たきなの目を見つめる。
「……たきな」
「はい」
「……愛してる」
「――っ!」
たきなの肩が跳ねた。
顔が、みるみる赤くなっていく。
「…………っ」
「…………」
「……千束の、勝ちです」
「はっや!?」
今度は千束が叫んだ。
「たきなも一発じゃん!!」
「……うるさいです」
「いやいやいや! 今、完全に照れたよね!?」
「照れていません」
「耳真っ赤だよ!?」
「千束!」
「はい、すみません!」
たきなは顔を背けた。
千束も顔を背けた。
二人とも、しばらく黙り込む。
そして――。
「…………」
「…………」
「……これ」
千束がぽつりと呟いた。
「……思ったより、ヤバくない?」
「……同感です」
たきなも小さく答えた。
だが、もう後には引けない。
家事を公平に分担するために、自分たちで選んだゲームなのだから。
*
――その後。
愛してるゲームは、恐ろしいほど順調に進んだ。
いや。
正確には、恐ろしいほど順調に二人が負け続けた。
たきなが「愛してる」と言えば、千束が真っ赤になる。
千束が「愛してる」と言えば、たきなが顔を逸らす。
先攻を変えても。
目を逸らさないように頑張っても。
声の調子を変えても。
結果は同じだった。
「……愛してます、千束」
「~~~~っ!! 負け!! はい負け!!」
「まだ言い終わっていません」
「言い終わる前に負けたの!!」
ある時は。
「……たきな、愛してる」
「…………っ」
「たきな?」
「……負けです」
「早い早い早い!」
またある時は。
「愛してます」
「うわあああっ! 負け!」
「……千束、もう少し耐えてください」
「無理だってば!」
さらに。
「……愛してる」
「…………」
「…………」
「……負けです」
「たきなも耐えられてないじゃん!」
「千束もでしょう!」
「私はいいの!」
「よくありません!」
そんなやり取りを繰り返しながら。
二人は、掃除の担当を決めた。
洗濯の担当を決めた。
片づけの担当を決めた。
料理の担当を決めた。
買い物の担当を決めた。
それを七日間。
合計三十五回。
そのたびに、二人は交互に負けた。
不思議なことに、偏りは一切なかった。
千束が負けた次は、たきなが負ける。
たきなが負けた次は、千束が負ける。
まるで、最初から決まっていたかのように。
そして、ついに――。
残るは最後の一回。
七日目の、買い物の担当だけとなった。
*
――七日目。
夕方。
リビングのテーブルには、家事分担表が置かれていた。
掃除。
洗濯。
片づけ。
料理。
買い物。
それぞれの欄には、千束とたきなの名前が交互に書かれている。
「……きれいに半分だね」
千束が感心したように呟いた。
「そうですね」
たきなも頷く。
「三十五回やって、ここまで公平になるとは思いませんでした」
「うん……」
千束は、分担表を見つめた。
そして、最後の欄へ視線を移す。
七日目。
買い物。
まだ、どちらの名前も書かれていない。
「……これで最後かぁ」
「はい」
たきなは姿勢を正した。
「最後も、きちんと決めましょう」
「……そうだね」
二人はテーブルを挟んで向かい合う。
もう、ゲームのルールは説明しなくても分かっていた。
交互に「愛してる」と言う。
相手が照れたら負け。
ただ、それだけ。
なのに。
たった一言が、こんなにも難しい。
「……じゃあ」
千束が口を開く。
「最後は、私からでいい?」
「……構いません」
「……うん」
千束は、たきなを見つめた。
たきなも、千束を見つめ返す。
いつもと同じ顔。
いつもと同じ目。
けれど、今はなぜか、いつもよりずっと近く感じられた。
「…………」
「…………」
二人とも、言葉を出せない。
千束は、何度も息を吸っては吐いた。
たきなも、膝の上で手を握りしめている。
そして――。
「……たきな」
「……はい」
「……愛してる」
千束が、ゆっくりと言った。
その瞬間。
「…………っ」
たきなの顔が赤くなった。
けれど。
同時に。
「……千束」
「……ん?」
たきなも、顔を赤くしたまま口を開いた。
「……愛してます」
「――っ!」
今度は、千束の顔が一気に赤くなった。
どちらが先だったのか。
どちらが先に照れたのか。
もう、どうでもいい。
「…………」
「…………」
長い沈黙。
そして。
「…………負け、かな」
千束が小さく呟いた。
「……私も、負けだと思います」
たきなも、視線を逸らす。
「……2人ともだし」
「……そうですね」
二人は顔を見合わせた。
そして、同時に吹き出した。
「……あははっ!」
「……ふふっ」
笑っているのに、顔は真っ赤なままだった。
たきなが、そっと分担表へ手を伸ばす。
「……最後の買い物は」
「うん」
「二人で行きませんか?」
千束が目を丸くした。
「……え?」
「どちらが担当するか、決められませんでしたから」
たきなは少しだけ微笑んだ。
「二人で行けば、公平です」
「…………」
千束は、しばらくたきなを見つめていた。
それから、ぱっと笑った。
「……うん!」
立ち上がり、たきなの手を取る。
「二人で行こう!」
「……はい」
「スーパー寄って、夕飯の材料買って、それからデザートも買おう!」
「買いすぎないでくださいね」
「えー! 最後くらいいいじゃん!」
「……一つだけです」
「やった!」
千束は嬉しそうに笑った。
たきなも、つられて笑う。
こうして。
最後の買い物は、二人で行くことになった。
*
――その夜。
家事を終えた二人は、寝室にいた。
部屋の明かりは消えている。
ベッドには、二人が並んで横になっていた。
背中合わせ。
互いに、相手の顔は見えない。
「…………」
「…………」
静かだった。
外から聞こえる車の音。
時計の針が進む音。
それ以外には、何も聞こえない。
……いや。
正確には。
二人とも、まったく眠れていなかった。
(…………愛してる)
千束は、心の中で今日のことを思い出していた。
たきなの声。
真剣な目。
あの、いつもと変わらない落ち着いた声で告げられた言葉。
――愛してます、千束。
「…………っ」
千束は、布団の中で顔を覆った。
(いやいやいや! ゲームだから! ゲームだからね!?)
そう自分に言い聞かせる。
だが。
思い出すたびに、胸が落ち着かなくなる。
普段、たきなは自分を大切にしてくれる。
心配してくれる。
危険な時には、必ず助けようとしてくれる。
それは分かっている。
分かっているけれど。
(……あんな声で言われたら、無理だって……)
千束は、枕に顔を埋めた。
その一方で。
(…………千束)
たきなもまた、目を閉じたまま眠れずにいた。
今日の最後の勝負。
千束の声が、頭の中で何度も繰り返される。
――愛してる。
「…………」
たきなは、そっと布団を引き上げた。
(……ゲームです)
そう。
ゲームだった。
家事を公平に分担するために、二人で決めたゲーム。
そこに、深い意味はない。
……ないはずだ。
(……でも)
千束の声は、いつもより少しだけ優しかった。
目も、真剣だった。
あれは、ゲームだから言っただけなのだろうか。
それとも――。
「…………っ」
たきなは、考えるのをやめた。
これ以上考えていたら、本当に眠れなくなる。
……いや。
もう、とっくに眠れなくなっている。
「…………千束」
たきなが、小さく呟いた。
「……なに?」
即座に返事が返ってきた。
「…………」
「…………」
二人は、同時に固まった。
「……起きてたの?」
千束が尋ねる。
「……千束こそ」
「……私は、ちょっと」
「……私もです」
再び沈黙。
そして。
「…………あのさ」
「……はい」
「……今日のゲーム」
「……はい」
「……ちょっと、恥ずかしかったね」
「…………ちょっとどころではないですけどね。」
「……うん、そりゃそうだね」
千束は、布団の中で小さく笑った。
「……でも、楽しかった」
たきなは、しばらく黙っていた。
それから、静かに答える。
「……私もです」
「……そっか」
「……はい」
また、沈黙。
けれど今度は、先ほどよりも少しだけ柔らかかった。
背中越しに、互いの体温が伝わってくる。
同じベッド。
同じ部屋。
すぐそばに、大切な相棒がいる。
それだけで、二人の胸はいっぱいだった。
「……おやすみ、たきな」
「……おやすみなさい、千束」
二人は、同じタイミングで目を閉じた。
――けれど。
その夜、二人が眠りについたのは、ずっとずっと後のことだった。
なぜなら。
目を閉じるたびに、あの言葉が蘇ってくるから。
――愛してる。
その一言が、いつまでも。
二人の胸の中で、温かく響き続けていた。
楽しく描けた