リコリスリコイル 不可能犯罪   作:鼻眼鏡26号

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その名はアギト

 

 

 ――ドン。

 

 UNKNOWNの足音が、静まり返った道路に響く。

 

 ミズキは、車の前に立っていた。

 

 右目は血で塞がれかけ、視界はひどくぼやけている。

 

 頭が痛い。

 

 足元も覚束ない。

 

 それでも、背後にある車から離れようとはしなかった。

 

 その中には、千束とたきながいる。

 

 自分が逃げれば、二人が危ない。

 

 だから――。

 

「……来なさいよ」

 

 ミズキは、震える足で踏ん張った。

 

 槍を持ったUNKNOWNが、一歩踏み出す。

 

 もう一体が、反対側から距離を詰めてくる。

 

 逃げ道はなかった。

 

 その時。

 

 ――キィィィィィン……。

 

 高い音が、再び響いた。

 

「……?」

 

 ミズキが顔を上げる。

 

 UNKNOWNたちも、動きを止めた。

 

 音は、少しずつ近づいてくる。

 

 キィィィィィン……。

 

 連続する電子音。

 

 その奥から、誰かの足音が聞こえ始めた。

 

 コツ。

 

 コツ。

 

 コツ。

 

 土煙の向こう。

 

 一人の青年が、ゆっくりと歩いてくる。

 

「……誰……?」

 

 ミズキは目を細めた。

 

 血で滲む視界の中、青年の姿が少しずつはっきりしていく。

 

 見覚えのある顔。

 

 つい先日、喫茶リコリコにやってきた青年。

 

 千束たちと話していた、あの青年。

 

「……ユイト……?」

 

 なぜ、彼がここにいるのか。

 

 どうして、この状況で平然と歩いてこられるのか。

 

 ミズキには理解できなかった。

 

 ただ、一つだけ分かった。

 

 ユイトの腰にあるベルトが――。

 

 黄金の光を放っていた。

 

 眩い光が、彼の周囲を照らしている。

 

 高音を伴う電子音が、夜の空気を震わせた。

 

 キィィィィィン……。

 

 ユイトは歩みを止めない。

 

 ミズキを見つめていた。

 

 その瞳には、迷いがなかった。

 

 UNKNOWNの一体が、ゆっくりとユイトへ顔を向ける。

 

「――グルァ……ゼェ……!」

 

 異形の言葉が響く。

 

 もう一体も、ユイトを見据えた。

 

「――アギト……!」

 

 その言葉だけは、ミズキの耳にも届いた。

 

「……アギト?」

 

 聞き返す。

 

 今、確かにそう聞こえた。

 

 アギト。

 

 それは何なのか。

 

 ユイトのことなのか。

 

 それとも、目の前の何かを指しているのか。

 

 考えようとした。

 

 けれど――。

 

「……っ」

 

 頭に鋭い痛みが走る。

 

 血のせいで、右目はほとんど見えない。

 

 衝突の衝撃で、意識も朦朧としていた。

 

 目の前に突然現れたユイト。

 

 光るベルト。

 

 耳に残る電子音。

 

 人間ではない怪物。

 

 情報が多すぎた。

 

 頭が、何一つ整理できない。

 

「……あんた……なんで……」

 

 ようやく絞り出した声も、途中で途切れた。

 

 ユイトは答えなかった。

 

 代わりに、腰のベルトへ一瞬だけ視線を落とす。

 

 そして――。

 

 顔を上げた。

 

 UNKNOWNたちを、まっすぐに見据える。

 

 その瞬間。

 

 槍を持ったUNKNOWNが、ユイトへ向かって突進した。

 

 ――ドッ!!

 

 アスファルトが砕ける。

 

 異形の巨体が、一気に距離を詰めた。

 

「――っ!」

 

 ミズキが声を上げる。

 

 だが。

 

 ユイトは、動じなかった。

 

 槍が振り下ろされる。

 

 その刃が頭上へ迫った瞬間――。

 

 ユイトの身体が、静かに横へ流れた。

 

 紙一重。

 

 槍は空を切り、道路を深く抉る。

 

 ――ガァンッ!!

 

 破片が飛び散った。

 

 UNKNOWNが槍を引き戻そうとする。

 

 しかし、その動作が終わるよりも早く。

 

 ユイトは一歩、踏み込んでいた。

 

「――ッ!」

 

 拳が、UNKNOWNの腹部へ突き刺さる。

 

 ――ドゴォッ!!

 

 巨体がくの字に折れた。

 

 さらにユイトは、相手の体勢が崩れた瞬間を逃さない。

 

 身体を捻り、蹴りを放つ。

 

 ――バギィッ!!

 

 UNKNOWNの身体が横へ吹き飛び、道路脇へ叩きつけられた。

 

 土煙が舞い上がる。

 

「……え……?」

 

 ミズキは、目の前の光景を理解できなかった。

 

 あの怪物を。

 

 千束たちを圧倒した、あの化け物を。

 

 ユイトは、たった二撃で吹き飛ばしたのだ。

 

 だが、もう一体が動く。

 

 背後から迫り、腕を振り下ろす。

 

 ユイトは振り返らない。

 

 足音だけで攻撃を察したかのように、身体を半歩ずらした。

 

 巨大な腕が、すぐ脇を通過する。

 

 その懐へ。

 

 ユイトが踏み込んだ。

 

 ――ドッ!!

 

 拳が、UNKNOWNの胸部を打ち抜く。

 

 続けて、低い位置から蹴り上げる。

 

 ――ドゴォッ!!

 

 UNKNOWNの巨体が浮き上がり、数メートル先まで吹き飛んだ。

 

 二体のUNKNOWN。

 

 どちらも、ミズキへ近づけなくなっていた。

 

 ユイトは、その間に立つ。

 

 まるで、ミズキを守る壁のように。

 

「…………」

 

 静寂が戻った。

 

 ユイトはUNKNOWNから目を離さないまま、背後へ声をかけた。

 

「……大丈夫ですか?」

 

「……え?」

 

 ミズキは、ぼんやりとユイトを見つめた。

 

「……あ、うん……」

 

 返事をしようとした。

 

 けれど、その瞬間。

 

 張り詰めていたものが、ふっと切れた。

 

「……あ……」

 

 足から力が抜ける。

 

 視界が暗くなる。

 

 身体が前へ傾いた。

 

「……っ!」

 

 倒れる寸前。

 

 ユイトが振り返り、すぐに駆け寄った。

 

「危ない!」

 

 ミズキの身体を、両腕で受け止める。

 

 ぐったりとした身体が、ユイトの腕の中に収まった。

 

「……ミズキさん?」

 

 返事はない。

 

 いや、意識はある。

 

 ただ、もう立っていることさえできなかった。

 

 恐怖から解放された安堵。

 

 突然現れたユイトへの驚き。

 

 目の前で起きた、信じられない戦闘。

 

 そして、頭の負傷。

 

 そのすべてが一度に押し寄せ、ミズキの身体から力を奪っていた。

 

「……ああ、もう……」

 

 ミズキは、かすかに笑った。

 

 右目から流れた血が、頬を伝う。

 

 ユイトは眉を寄せた。

 

「頭を怪我しているんですね。無理しないでください」

 

「……分かってるわよ……」

 

 ミズキは小さく息を吐く。

 

 そして、ユイトの顔を見上げた。

 

 いつも喫茶リコリコで見る、あの青年。

 

 けれど、今はまるで別人のように頼もしく見えた。

 

「……じゃあ」

 

 ミズキは、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

「……あとは任せても大丈夫なのね?」

 

 ユイトは一瞬だけ目を見開いた。

 

 そして、静かに頷く。

 

「任せてください」

 

 迷いのない声だった。

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 ミズキの表情から、わずかに力が抜けた。

 

「……そっか」

 

 安心したように笑う。

 

 そして――。

 

 ふっと、意識が遠のいた。

 

「ミズキさん!」

 

 ユイトは彼女の身体を支え直す。

 

 完全に意識を失ったわけではない。

 

 呼吸はある。

 

 だが、今はもう動かすべきではなかった。

 

 ユイトは周囲を確認する。

 

 倒れている二体のUNKNOWN。

 

 破損した車。

 

 車内には、意識を失った千束とたきな。

 

 そして、自分の腕の中にいるミズキ。

 

 守らなければならない人たちがいる。

 

 ここで立ち止まるわけにはいかなかった。

 

「……少し待っててください」

 

 ユイトはミズキをゆっくりと抱え直した。

 

 できるだけ頭に負担をかけないよう、慎重に身体を下ろしていく。

 

 道路脇の比較的安全な場所。

 

 そこへ、そっと寝かせた。

 

 ミズキの頭が地面にぶつからないよう、最後まで手を添える。

 

「……すぐに終わらせます」

 

 ユイトは立ち上がった。

 

 その背後で、UNKNOWNが動き始める。

 

 ――ギ……ギギ……。

 

 道路に手をつき、ゆっくりと身体を起こしていく。

 

 異形の言葉が、低く響いた。

 

「――グルァ……アギト……!」

 

 もう一体も、ユイトへ視線を向ける。

 

「――アギト……!」

 

 その声に、ユイトの表情がわずかに変わった。

 

 アギト。

 

 自分のことを、そう呼んでいる。

 

 意味は分からない。

 

 だが、その声に込められた敵意だけは、はっきりと伝わってきた。

 

 ユイトは、自分の腰へ目を落とす。

 

 黄金の光を放つベルト。

 

 その中央にある紋章。

 

 これが何なのか。

 

 どうして自分の腰にあるのか。

 

 まだ、何も分からない。

 

 それでも――。

 

 今は、目の前の敵を止めなければならない。

 

 ユイトは、ベルトの左右両腰へ手を伸ばした。

 

 そして。

 

 左右、それぞれのボタンを押し込む。

 

 カチッ。

 

 小さな作動音。

 

 次の瞬間。

 

 ――キィィィィィン……!

 

 耳の奥まで響く高音が、再び鳴り始めた。

 

 ベルトが黄金の光を強く放つ。

 

 ユイトの身体を、眩い光が包み込んでいく。

 

 UNKNOWNたちが、警戒するように身構えた。

 

 ミズキは、薄れゆく意識の中で、その光を見ていた。

 

「……あ……」

 

 声にならない声が漏れる。

 

 黄金の光。

 

 聞いたことのない電子音。

 

 そして、ユイトの姿。

 

 そのすべてが、光の向こうへと溶け込んでいく。

 

 ユイトは、静かに呟いた。

 

「……変身」

 

 瞬間。

 

 黄金の光が、夜を塗り替えた。

 

 銀色の装甲が、光の中から形作られていく。

 

 胸部。

 

 肩。

 

 腕。

 

 脚。

 

 全身を覆う、異形にして美しい装甲。

 

 頭部に赤い複眼が灯り、クラッシャーが展開する。

 

 そして――。

 

 光が収束した。

 

 そこに立っていたのは、一人の青年ではない。

 

 黄金の光を纏う、戦士。

 

 仮面ライダーアギト。

 

 アギトは一歩、前へ出た。

 

 その動きに、焦りはない。

 

 怒りに任せた荒々しさもない。

 

 ただ、静かに。

 

 二体のUNKNOWNを見据えていた。

 

 UNKNOWNたちは、異形の言葉を発しながら武器を構える。

 

「――アギト……!」

 

 アギトは答えない。

 

 ただ、腰を落とし、静かに構えた。

 

 その背後では、ミズキが薄れゆく意識の中で、かすかに呟いていた。

 

「……アギト……」

 

 その名を、確かめるように。

 

 黄金の戦士…アギトと、二体のUNKNOWN。

 

 決着の時が、近づいていた。

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