――翌日。
朝の光が、ユイトの部屋に差し込んでいた。
「……よし」
身支度を終えたユイトは、鏡の前で襟元を整えた。
今日は喫茶リコリコへ行くつもりだった。
昨日の一件について、クルミからも説明を求められている。
ミズキにも、改めて話をしなければならない。
そして何より――。
「……ミズキさん、大丈夫かな」
昨日、頭を打っていたミズキの顔が浮かぶ。
千束とたきなも病院へ搬送された。
無事だとは聞いているが、やはり心配だった。
「……早く顔を見に行こう」
ユイトは鞄を手に取り、玄関へ向かった。
靴を履く。
ドアノブに手をかける。
そして――。
ガチャリ。
玄関の扉を開けた、その瞬間だった。
「――っ!?」
目の前に、見知らぬ少女が立っていた。
薄い色の制服。
整った姿勢。
そして、手に持っているものは――。
スタンガン。
「……え?」
理解するよりも早く、少女が踏み込んだ。
「確保します」
「なっ――」
バチッ!!
スタンガンの電極が、ユイトの身体に押し当てられた。
「ぐっ……!」
強烈な衝撃が全身を駆け抜ける。
ユイトは反射的に少女の腕を掴もうとした。
しかし、身体に力が入らない。
「な、に……」
膝が崩れる。
視界が揺れた。
昨日の戦闘で消耗した身体には、突然の電撃に抗う余裕などなかった。
「……待っ……」
言葉が途切れる。
ユイトの身体が、玄関先へ崩れ落ちた。
少女はすぐにスタンガンを離し、ユイトの状態を確認する。
「対象の意識消失を確認」
耳元の通信機へ、淡々と報告した。
「確保しました。これより移送します」
『了解。速やかに本部へ連れてこい』
「了解」
少女は通信を切る。
そして、倒れたユイトを見下ろした。
「……まさか、本当に見つかるとは」
その声には、わずかな驚きが混じっていた。
少女の制服は、DAに所属するサードリコリスのものだった。
彼女たちは、ある情報をもとにユイトの身元と居場所を調べていた。
そして今朝。
自宅から出てくるところを確保するため、玄関前で待ち伏せしていたのだ。
「対象を移送します」
サードリコリスが仲間へ合図を送る。
数人の隊員が現れ、意識を失ったユイトを慎重に拘束した。
手首には拘束具。
身体には、身動きを封じるための固定ベルト。
抵抗する様子はない。
ユイトは意識を失ったまま、車両へと運ばれていった。
その車両の行き先は――。
DA本部。
黄金の戦士を尋問するための場所だった。
◆
同じ頃。
喫茶リコリコは、いつも通り営業を始めていた。
「いらっしゃいませー!」
千束の明るい声が店内に響く。
昨日の事故で病院へ搬送された千束だったが、精密検査の結果、大きな異常は見つからなかった。
医師からは十分に休むよう言われたものの、本人は一晩ゆっくり眠ったことで、すっかり元気を取り戻していた。
「いやー、やっぱりお店って落ち着くね!」
「千束、元気なのは分かったが喧しすぎるぞ。」
カウンターのそばで、たきなの姿がないことを気にしながらも、千束はいつもの調子だった。
「えー? だって、今日もお仕事だよ?」
「昨日まで病院にいた人のセリフとは思えんな」
「もう退院したもん!」
「それと、無理をしていいかどうかは別だろ?」
「はーい」
千束は返事をしながら、カウンターへ戻った。
たきなは、まだ入院中だった。
事故の際に負傷した左腕は骨折しており、しばらく治療と経過観察が必要だという。
本人は早く復帰したがっていたが、医師からは安静を指示されていた。
「……たきな、大丈夫かなぁ」
千束がぽつりと呟く。
「心配なら、あとで連絡してやればいいだろ」
カウンターでコーヒーを用意していたミカが答える。
「うん。あとで電話してみる」
「まぁ、今は自分の体調を気にしろ。昨日はお前も頭を打ってるんだからな」
「分かってるって、店長!」
千束は笑顔で答えた。
その横では、クルミがホールの仕事をしている。
「……ご注文は……ブレンドコーヒー……一つ」
相変わらず、客への接客はぎこちない。
「はいはい、クルミ。焦らなくていいよー」
「分かってるよ!」
クルミは注文を確認すると、カウンターへ向かった。
厨房ではミズキが和菓子の準備をしている。
おはぎを皿に盛り付け、団子のタレを整え、次の注文に備えていた。
外から見れば、いつもと何も変わらない喫茶リコリコ。
昨日、あれほどの事件に巻き込まれたとは思えないほど、穏やかな時間が流れていた。
ただ一人を除いては。
「……遅い」
ミズキが、小さく呟いた。
「ん? 何が?」
千束が振り返る。
「別に」
「もしかして、ユイトさん?」
「……っ」
ミズキの手が止まった。
「な、何でそこでユイトが出てくるのよ」
「だって、さっきから時計ばっかり見てるじゃん」
「見てないわよ!」
「見てたよー?」
「仕事しなさい!」
「はーい」
千束は楽しそうに笑いながら、ホールへ戻った。
ミズキは小さく息を吐き、壁の時計を見上げた。
午前中。
ユイトはまだ来ていない。
まあ、昨日の今日だ。
いろいろと用事もあるだろう。
そう考えて、ミズキは再び仕事に戻った。
◆
昼。
常連客が何人か来店し、店内はいつもより少しだけ賑やかになった。
千束は注文を取り、料理を運び、合間に常連客と談笑する。
ミカはコーヒーを淹れ、クルミはぎこちないながらもホールを回す。
ミズキも厨房で手を動かし続けていた。
しかし――。
「……来ないわね」
ぽつり。
ミズキが呟く。
「……誰が?」
千束が横から顔を出した。
「……千束」
「はい?」
「分かってて聞いてるでしょ」
「えへへ」
「えへへ、じゃない!」
ミズキは手にしていた布巾を握りしめた。
「昨日、あんなことがあったんだから……一言くらい、連絡してくれてもいいじゃない」
言いながら、自分でも少し驚いた。
ユイトは店の従業員ではない。
毎日来る約束をしたわけでもない。
それなのに、どうしてこんなに気になるのだろう。
「……別に、心配してるわけじゃないけど」
「ふーん?」
「千束、その顔やめなさい!」
「まだ何も言ってないよー?」
「顔で言ってるの!」
千束はけらけらと笑った。
その様子を、カウンターのミカが呆れたように見ていた。
「お前ら、仕事しろ」
「はーい」
千束は元気よく返事をする。
ミズキも、しぶしぶ厨房へ戻った。
だが――。
壁の時計が午後三時を回っても。
午後四時を回っても。
ユイトは現れなかった。
「……もう!」
ミズキはついに、手にしていた布巾を台へ置いた。
「何なのよ、あいつ!」
「おっ、ついに怒った?」
千束がすかさず反応する。
「怒ってない!」
「でも、すっごい不機嫌だよ?」
「不機嫌じゃないわよ!」
そして、顔を背ける。
「……昨日のこと、ちゃんと話すって言ってたじゃない」
声が、少しだけ小さくなった。
千束はからかうのをやめた。
「……そっか」
「……」
「まあ、何か事情があるのかもしれないよ」
「……分かってるわよ」
ミズキは短く答えた。
それでも、胸の奥に小さな苛立ちが残っていた。
せめて、無事だと分かればいい。
そう思っている自分に気づき、ミズキはますます複雑な気分になった。
◆
夕方。
客足が落ち着き、店内には静かな時間が戻っていた。
ミカがカウンターでコーヒー豆を補充している。
クルミは二階の片付けを終え、千束はカウンター席に腰掛けていた。
「……結局、来なかったね」
千束が呟く。
「……そうね」
ミズキは、厨房から短く答えた。
「電話とかもないの?」
「ないわよ」
「そっか……」
千束も、さすがに心配そうな顔になった。
「昨日のこともあるし、何かあったのかな」
「……」
ミズキは何も答えなかった。
その時だった。
――リン、リン、リン。
店の電話が鳴った。
「おっ、電話だ」
千束がカウンターから立ち上がりかける。
「俺が出る」
ミカが手を上げ、受話器を取った。
「はい、喫茶リコリコです。」
いつもの落ち着いた声。
しかし、次の瞬間。
「……楠木か?」
ミカの表情が変わった。
店内の空気が、わずかに張り詰める。
千束が顔を上げる。
ミズキも厨房からカウンターへ視線を向けた。
「……何かあったのか?」
ミカは受話器を耳に当てたまま、黙って話を聞いていた。
「……はい。……はい」
短い返答が続く。
やがて、ミカの眉間に深い皺が刻まれた。
「……黄金の戦士を?」
その言葉に、千束の表情が凍りついた。
「……え?」
ミズキも、手を止める。
黄金の戦士。
それは昨日、二人を救い、UNKNOWNを倒した存在。
そして――。
正体は、ユイトだった。
「……どういうことだ?」
ミカの声が低くなる。
受話器の向こうから、事務的な声が聞こえてくる。
『本日、黄金の戦士の変身体である男を確保した。現在、DA本部へ移送済みである』
「……確保?」
『対象は、UNKNOWNとの戦闘において確認された黄金の戦士と一致する。本人の正体および能力について、尋問を行う』
ミカは黙って聞いていた。
『ついては、現場に居合わせた錦木千束、ならびに中原ミズキを本部へ招集する』
「……千束とミズキを?」
『そうだ。対象との接触状況、および戦闘時の情報について聴取する。速やかに出頭してもらいたい』
ミカは受話器を握る手に力を込めた。
「……分かった。本人たちに伝える」
『以上だ。詳細は本部で説明する』
通話が切れた。
ミカはしばらく、受話器を戻さなかった。
千束が、ゆっくりと口を開く。
「……店長」
「……ああ」
「今のって……」
「DA本部からだ」
ミカは受話器を置いた。
「黄金の戦士を確保したらしい」
「……!」
千束が立ち上がる。
「確保って……誰を?」
「正体までは、まだ確認中らしい。ただ、昨日の戦士と同一の可能性が高いそうだ」
ミズキの顔から血の気が引いた。
「……そんな」
脳裏に浮かぶのは、昨日の光景。
自分たちを助けてくれた青年。
黄金の装甲に身を包み、二体のUNKNOWNを倒したユイト。
「……ユイトが……?」
ミズキの声が震えた。
千束は唇を噛む。
「……まさか」
昨日、助けてくれたばかりなのに。
今日、リコリコへ来るはずだったのに。
そのユイトが――。
DA本部に捕らえられ、尋問されようとしている。
「……店長!」
千束がミカを見る。
「私、行ってくる!」
「待て、千束」
「でも!」
「話は最後まで聞け」
ミカの声は厳しかった。
「今回の招集は、千束だけじゃない。ミズキもだ」
「……私も?」
ミズキが顔を上げる。
「ああ。昨日、現場に居合わせたお前たちから、話を聞きたいそうだ」
ミカは二人を見据えた。
「相手が本当にユイトなら、なおさらだ。何があったのか、こちらも正確に把握する必要がある」
千束は拳を握りしめた。
「……分かった」
いつもの明るい笑顔は、もうなかった。
「行こう、ミズキ」
「……ええ」
ミズキは頷いた。
しかし、その表情には不安が色濃く残っていた。
昨日、自分を助けてくれた青年。
料理の話をすると、嬉しそうに笑う青年。
そんなユイトが、今はDA本部に拘束されている。
「……何でよ」
ミズキが小さく呟いた。
「何で、こんなことに……」
答える者はいなかった。
ただ、店の電話だけが、静かに元の場所へ戻されていた。
◆
その頃。
DA本部の地下。
無機質な照明に照らされた一室で、ユイトはゆっくりと意識を取り戻しつつあった。
「……う……」
頭が重い。
身体がだるい。
目を開けると、見知らぬ天井があった。
「……ここは……」
起き上がろうとする。
しかし――。
ガチャリ。
両手に、金属の拘束具がつけられていた。
「……っ!?」
ユイトは息を呑んだ。
見回す。
窓のない部屋。
重い扉。
壁際には監視カメラ。
そして、扉の向こう側から聞こえる足音。
「……何なんだよ、これ……」
ユイトは拘束具を見つめた。
自分は、ただ喫茶リコリコへ向かおうとしていただけだった。
それなのに――。
「……俺、捕まったのか?」
呟いた声が、無機質な部屋に虚しく響いた。
やがて、扉の外で足音が止まる。
カチャリ。
鍵が開く音。
ユイトは顔を上げた。
扉の向こうから、複数の人影が入ってくる。
その中の一人が、冷たい声で告げた。
「対象の意識回復を確認。これより尋問を開始する」
ユイトは息を呑んだ。
――DA本部。
ここから先、何が待っているのか。
彼はまだ、何も知らなかった。