ちさたきは好きだけど
それとは別にミズキさん結構好きです。
――数日後。
昼下がり。
喫茶リコリコは、今日も平和だった。
一階のお座敷席には、いつもの常連客が数人。
二階のテーブル席は空いている。
カウンターではミカが、ゆっくりとコーヒー豆を挽いていた。
ゴリ……ゴリ……。
穏やかな音が店内に響く。
「……暇だねぇ」
カウンター席に座った千束が、頬杖をついている。
「暇ですね」
たきなもその隣で静かに答える。
「でも、お客さんも少ないし、ちょっとくらい休んでもいいよね?」
「仕事中です」
「たきなは真面目だなぁ」
「千束が適当なんです」
千束がミカを見る。
「店長ー」
「なんだ?」
「たきなが厳しい」
「たきなの言う通りだ」
「えー」
「……まあ」
ミカは少しだけ千束を見る。
「客も少ないし、今くらいならいいだろ」
「やった!」
千束が嬉しそうに笑う。
「店長、大好き!」
「はいはい」
ミカは苦笑しながら、再びコーヒー豆を挽き始めた。
「……おっさん、千束に甘すぎじゃない?」
厨房からミズキが顔を出す。
「そうか?」
「そうよ」
「そうかなぁ」
「そうだって」
ミカは特に反論しなかった。
「まあ、仕事に支障がなければいいだろ」
「……まったく」
ミズキは呆れたように笑う。
その横では、クルミがホールの仕事をしていた。
「……ご注文は……何に、しますか」
常連客の注文を聞いている。
「ブレンドコーヒー一つ」
「ブレンド……コーヒー、一つ」
クルミはメモを取る。
「……以上で、よろしい……ですか」
「ああ」
「かしこまり……ました」
棒読み。
カタコト。
しかし、注文自体はちゃんと取れている。
「クルミ」
千束が声をかける。
「なに?」
「接客、ちょっと上手くなった?」
「当然だろ」
「でも、まだロボットみたい」
「うるさい!」
クルミは注文を持ってカウンターへ向かう。
「ミカ、ブレンド一つ」
「はいよ」
ミカがコーヒーを用意する。
クルミはカップを受け取る。
「……」
そして、慎重に歩き出した。
一歩。
二歩。
三歩。
やたらと遅い。
千束がその様子を見ながら笑う。
「クルミ、もっと早くて大丈夫だよ」
「うるさい。こぼしたら怒られるだろ」
「怒らないよ」
ミカがカウンターから声をかける。
「こぼさないように運ぶことが一番大事だ」
「ほら!」
クルミが千束を見る。
「ミカもそう言ってる!」
「はいはい」
千束が笑う。
クルミは慎重にコーヒーを運び、ようやく客の前へ。
「……お待たせ……しました」
「ありがとう」
「……ご、ごゆっくり……どうぞ」
クルミは頭を下げる。
そして戻ってきた。
「疲れた……」
「コーヒー一杯運んだだけだよ?」
「ホールって大変なんだぞ」
「そうなんだ」
「絶対分かってないだろ」
「うん」
「おい!」
店内に笑い声が響く。
その時だった。
厨房から、ふわりと甘い香りが漂ってきた。
小豆。
抹茶。
焼きたての生地。
そして、団子に絡めた甘いタレ。
そこへ、挽きたてのコーヒーの香りが重なる。
「……いい匂い」
千束が鼻をひくつかせる。
「今日はおはぎとどら焼きバーガー、それから団子よ」
ミズキが厨房から顔を出す。
「おおー!」
「味見する?」
「する!」
「ダメ」
「なんで!?」
「商品だから」
「一口だけ!」
「仕事しなさい」
「はーい……」
千束が渋々カウンターへ戻る。
◆
その甘い香りは、店の外まで漂っていた。
同じ頃。
ユイトが、その近くを歩いていた。
「……腹減ったな」
仕事帰り。
何か食べようかと思っていたところだった。
そこへ――
ふわり。
甘い香りが鼻をくすぐった。
「……ん?」
ユイトが足を止める。
「……なんだ、この匂い」
もう一度、息を吸う。
小豆。
抹茶。
焼いた生地。
そしてコーヒー。
「……美味そうだな」
腹が鳴る。
「……」
ユイトは少し恥ずかしそうに腹を押さえた。
「……入ってみるか」
匂いのする方向へ歩いていく。
やがて。
一軒の店が見えてきた。
「……喫茶リコリコ?」
木造の温かみのある店。
中を覗くと、一階にはお座敷席。
その向かいにはカウンター。
奥には二階へ続く階段。
その周辺にも客席がある。
「……ちょっと変わった喫茶店だな」
だが、嫌な感じはしない。
むしろ――
どこか居心地がよさそうだった。
ユイトは扉を開ける。
カラン――。
「いらっしゃいませー!」
千束が明るく声をかけた。
カウンター席から立ち上がる。
「お好きな席どうぞー!」
「あ、はい」
ユイトは店内を見回した。
その時。
「……」
厨房からミズキが出てきた。
「クルミ1番できたから持ってきな――」
そこで。
ユイトの視線が止まった。
「……」
この店の制服である緑の和服風の制服で、慣れた手つきで料理を運んでいる。
千束やたきなに小言を言いながらも、どこか面倒見のいい姉のような雰囲気。
その姿を見た瞬間。
ユイトの胸が――
ドクン。
「……え?」
自分でも驚くほど、心臓が大きく鳴った。
ミズキがユイトを見る。
「……?」
だが。
ミズキはそれ以上何も思わなかった。
「いらっしゃいませ」
それだけ。
普通の客。
それ以上でも、それ以下でもない。
「……」
ユイトは、なぜかミズキから目を離せなかった。
「……あの人」
小さく呟く。
「ん?」
千束が振り向く。
「どうしたの?」
「……いや」
ユイトは慌てて視線を逸らす。
「何でもないです」
「そう?」
千束は首を傾げる。
その横を、ミズキが通り過ぎていく。
「ミズキ」
千束が声をかける。
「何?」
「今のお客さん、どう?」
「どうって?」
「イケメンじゃない?」
「……そう?」
ミズキはユイトを見る。
「まあ、普通じゃない?」
「えー」
千束が笑う。
「ミズキって、イケメン好きじゃなかったっけ?」
「そりゃ好きだけど」
ミズキは肩をすくめる。
「今は仕事中よ」
「ふーん」
千束はそれ以上気にしなかった。
だが。
ユイトは違った。
胸の鼓動が、まだ収まらない。
ミズキが厨房へ戻る。
その後ろ姿を、ユイトは無意識に目で追っていた。
「……綺麗な人だな」
ぽつり。
自分でも驚くほど自然に、その言葉が出た。
――一目惚れ。
それが恋なのか。
ユイトにはまだ分からない。
ただ。
あの人を、もっと見ていたい。
そんな気持ちだけが胸に残っていた。
「お客さん?」
千束が声をかける。
「はい?」
「席、どこにする?」
「あ……」
ユイトは慌てて店内を見る。
「じゃあ、あそこに」
一階のお座敷席を指差す。
「はーい!」
千束が案内する。
ユイトは座布団の上に腰を下ろした。
そしてメニューを開く。
ブレンドコーヒー。
煎茶。
団子三兄弟。
どら焼きバーガー。
おはぎセット。
ホットチョコパフェ。
そして――
「……錦木千束スペシャルエレガントパフェ?」
思わず声に出してしまう。
「それ私のおすすめ!」
千束が嬉しそうに答える。
「……なるほど」
ユイトは少し笑った。
だが、値段を見て自身の財布事情的に断念せざる得なかった。
「じゃあ……ブレンドコーヒーと、どら焼きバーガーを」
「はい!」
千束が注文を受ける。
そしてカウンターへ。
「てんちょ〜ブレンドコーヒー一つ」
「ああ」
「どら焼きバーガーはミズキ」
「分かったわ」
ミズキが厨房へ戻る。
その姿を、またユイトが目で追う。
「……」
胸が、また鳴った。
ドクン。
ドクン。
その様子を見ていた千束が首を傾げる。
「……?」
だが、千束にはまだ分からない。
ユイトが何を見ているのか。
そして――
ミズキ本人は。
「おっさん、コーヒー豆そろそろ補充したほうがいいんじゃない?」
「そうだな」
そんな会話をしながら、いつも通り仕事をしていた。
まるで――
ユイトの視線など、まったく気づいていない。
喫茶リコリコの午後は。
今日も穏やかに過ぎていく。
そして。
ユイトにとっては――
思いがけない恋が、静かに始まっていた。
ミズキさんは自分からがっつくけど受ける好意にはめちゃ鈍感でいてほしい(願望)