リコリスリコイル 不可能犯罪   作:鼻眼鏡26号

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再来店

 

――翌日。

 

 ユイトは、喫茶リコリコの前に立っていた。

 

「……」

 

 店の看板を見上げる。

 

 昨日、初めて入った店。

 

 コーヒーも、どら焼きバーガーも美味しかった。

 

 店の雰囲気も悪くなかった。

 

 けれど――。

 

「……また来ちゃったな」

 

 ユイトが小さく呟く。

 

 理由は、分かっている。

 

 昨日、厨房にいた女性。

 

 ミズキ。

 

 思い出すだけで、胸が少しだけ高鳴る。

 

「……会いたい」

 

 口に出してから、ユイトは少し恥ずかしくなった。

 

「俺、何やってんだ……」

 

 それでも。

 

 足は店の前から動かなかった。

 

 やがて意を決して、扉を開ける。

 

 カラン――。

 

「いらっしゃいませー!」

 

 千束の明るい声。

 

 そして――。

 

「……あ」

 

 ユイトの視線が、厨房へ向く。

 

 いた。

 

 ミズキが今日もそこで働いている。

 

 それを確認した瞬間。

 

 ドクン。

 

「……」

 

 まただ。

 

 胸が大きく鳴った。

 

 ミズキはユイトに気づく。

 

「あら、昨日のお客さん」

 

「あ……はい」

 

「いらっしゃい」

 

 それだけだった。

 

 特別な反応はない。

 

 昨日と同じ。

 

 普通の客としての対応。

 

 だが、ユイトにとってはそれだけで十分だった。

 

「……はい」

 

 少し嬉しそうに答える。

 

 その様子を、千束が見ていた。

 

「……」

 

 千束の目が細くなる。

 

 ユイトを見る。

 

 ミズキを見る。

 

 またユイトを見る。

 

 そして――。

 

 ニヤッ。

 

「……なるほど」

 

「千束?」

 

 たきなが声をかける。

 

「どうしたんですか?」

 

「いやぁ」

 

 千束は腕を組んだ。

 

「分かっちゃった」

 

「何がです?」

 

「恋だよ」

 

「……はい?」

 

 たきなが固まる。

 

「恋」

 

「いや、何を根拠に……」

 

「見れば分かるよ」

 

「分かりません」

 

「分かるって」

 

 千束は自信満々に頷いた。

 

「だって、入ってきた瞬間にミズキを探す目をしてたもん」

 

「……」

 

「普通のお客さんなら、店内を見回して席を探すでしょ?」

 

「はい」

 

「でもあの人、最初にミズキを探した」

 

「……」

 

「しかも、見つけた瞬間――」

 

 千束は自分の胸に手を当てる。

 

「ドクン!」

 

「……千束」

 

「いや絶対鳴ったって!」

 

「本人に聞こえてないでしょう」

 

「私には聞こえた!」

 

「聞こえてません」

 

「恋愛の鼓動は聞こえるの!」

 

「そんな特殊能力ありませんよ」

 

「あるの!」

 

 千束は胸を張った。

 

「私、こういうのだけは超得意だから」

 

「こういうの“だけ”なんですか?」

 

「たきな、そこは聞かないで」

 

 たきなが呆れた顔をする。

 

 その横で、千束は再びユイトを見る。

 

「……ふふ」

 

「何ですか?」

 

「いやぁ、これは面白くなりそうだなぁって」

 

「まったく」

 

 ◆

 

「今日は何にする?」

 

 千束がユイトの前にメニューを置く。

 

「えっと……」

 

 ユイトはメニューを開く。

 

 昨日と同じものにしようか。

 

 そう思ったところで――。

 

「……おはぎセット、お願いします」

 

「おっ、渋いね!」

 

「昨日、他のお客さんが食べてるの見て、美味しそうだったので」

 

「了解!」

 

 千束が注文を取る。

 

 その瞬間。

 

 千束の目がキラッと光った。

 

「……昨日のこと覚えてるんだ」

 

「え?」

 

「いや、なんでもない!」

 

 千束は笑顔で誤魔化す。

 

 しかし、心の中では――。

 

(はい、確定)

 

 完全に確信していた。

 

(これはミズキ目当てだ)

 

「おはぎセット入りました〜」

 

「ああ」

 

「飲み物は?」

 

「ブレンドコーヒーで」

 

「分かった」

 

 ミカがコーヒーを淹れ始める。

 

 その間に、ミズキがおはぎを用意する。

 

「……」

 

 ユイトは、無意識に厨房へ目を向ける。

 

 ミズキが手際よくおはぎを盛り付けている。

 

「……」

 

 綺麗だな。

 

 そんなことを考えていた。

 

 そして。

 

 その視線を――。

 

 千束は見逃さなかった。

 

「……」

 

 ユイト。

 

 ミズキ。

 

 ユイト。

 

 ミズキ。

 

 ユイト。

 

 ミズキ。

 

 千束の視線が忙しく往復する。

 

「……ぬふふ」

 

 たきなが隣を通る。

 

「何を笑ってるんですか?」

 

「いやぁ、恋だなぁって」

 

「……?」

 

 たきなもユイトを見る。

 

 ユイトはミズキを見ている。

 

 たきなはミズキを見る。

 

 ミズキはおはぎを盛り付けている。

 

「……普通に仕事してますね」

 

「そうなんだよ」

 

「では、何が恋なんですか?」

 

「たきなはまだまだだねぇ」

 

「何がですか」

 

 千束は得意げに笑った。

 

「視線だよ、視線」

 

「視線?」

 

「好きな人を見る目って、ちょっと違うんだよ」

 

「……」

 

「ほら」

 

 千束が顎でユイトを示す。

 

「今もミズキ見てる」

 

「……本当ですね」

 

「でしょ?」

 

 千束がニヤリと笑う。

 

「これはもう――」

 

「千束」

 

 たきなが止める。

 

「本人に聞こえます」

 

「あ」

 

 千束が口を押さえる。

 

「……危ない危ない」

 

「千束は時々、本当に余計なことをしますね」

 

「だって面白いんだもん」

 

 そして千束は、ユイトのところへ向かう。

 

「ねえ」

 

「はい?」

 

「ミズキのこと、気になる?」

 

「――っ」

 

 ユイトの肩が跳ねる。

 

「な、何を……」

 

「やっぱり!」

 

 千束が勢いよく指を差す。

 

「ほら! 今の反応!」

 

「ちょっと、千束!」

 

 たきなが慌てて止める。

 

「お客さん困ってます」

 

「だって分かりやすいんだもん!」

 

 ユイトは顔を赤くして俯く。

 

「……すみません」

 

「謝らなくていいよ!」

 

 千束はケラケラ笑う。

 

「むしろ応援する!」

 

「応援……?」

 

「うん!」

 

 千束は親指を立てた。

 

「恋する男の子、私は好きだよ!」

 

「ちょっと千束!」

 

「なに?」

 

「声が大きいです」

 

「はーい!」

 

 千束は何事もなかったように返事をする。

 

「……でも、ミズキにはまだ言わないほうがいいかも」

 

「……?」

 

「たぶん今、ミズキに言っても」

 

 千束はミズキを見る。

 

 ミズキは何も知らずにおはぎを盛り付けている。

 

「『へえ、そう』で終わるから」

 

「……その可能性は高いですね」

 

 たきなが冷静に頷く。

 

 ◆

 

 そこへ、ミズキが料理を持ってくる。

 

「お待たせ。おはぎセット」

 

「ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

 ミズキはそれだけ言って、厨房へ戻ろうとする。

 

 だが――。

 

「あの」

 

「ん?」

 

 ユイトが呼び止めた。

 

「……昨日の、どら焼きバーガー。美味しかったです」

 

「ああ、そう?」

 

「はい。また食べたいと思って」

 

「そりゃよかった」

 

 ミズキは軽く笑った。

 

「じゃあ、また食べに来て」

 

「……はい」

 

 その一言だけで。

 

 ユイトの胸は、また大きく鳴った。

 

 ドクン。

 

「……!」

 

 千束が目を見開く。

 

「今!」

 

 たきなが振り向く。

 

「何ですか?」

 

「今の!」

 

「何がです?」

 

「完全に恋する男の顔だった!」

 

「……」

 

 たきながユイトを見る。

 

 ユイトは明らかに照れている。

 

「……まあ」

 

 たきなが少し考える。

 

「確かに……分かりやすいですね」

 

「でしょ!?」

 

 千束が嬉しそうに笑う。

 

 しかし。

 

 当のミズキ本人は。

 

「おっさん、コーヒー豆そろそろ補充したほうがいいんじゃない?」

 

「そうだな」

 

 そんな会話をしながら、いつも通り仕事をしていた。

 

 ユイトの恋心など――。

 

 まったく気づいていない。

 

「……」

 

 千束はそんなミズキを見て、ユイトを見る。

 

 そして。

 

「……これは長期戦だね」

 

「まったく余計なことしないでくださいよ?」

 

 たきなが呆れた声を出す。

 

「いいじゃんいいじゃん」

 

 千束は楽しそうに笑った。

 

「面白そうだし」

 

 ◆

 

 しばらくして。

 

 ユイトはおはぎを食べながら、店内を眺めていた。

 

 千束とたきなが何やら話している。

 

 クルミはカウンターでミカと話している。

 

 ミズキは厨房で皿を洗っている。

 

 ――平和だ。

 

 不思議なくらい。

 

 昨日初めて来ただけなのに。

 

 どこか落ち着く。

 

「……いい店だな」

 

 ユイトが小さく呟く。

 

 その瞬間だった。

 

 ――ドクン。

 

「……!」

 

 ユイトの手が止まった。

 

 胸の奥。

 

 心臓のさらに奥から。

 

 何かが警告している。

 

「……この感じ」

 

 昨日と同じ。

 

 あの化け物だ。

 

 どこか近くに。

 

 ユイトはゆっくりと顔を上げる。

 

 さっきまで穏やかだった表情が消える。

 

「……」

 

 千束がそれに気づいた。

 

 先ほどまでのニヤニヤした表情も消える。

 

「……どうしたの?」

 

 ユイトは答えない。

 

 視線だけが、窓の外へ向いている。

 

「お客さん?」

 

 たきなも異変に気づく。

 

 ミカがカウンター越しにユイトを見る。

 

「……何かあったか?」

 

「……すみません」

 

 ユイトは立ち上がった。

 

「ちょっと、外に出ます」

 

「え?」

 

 ユイトは懐から財布を取り出した。

 

「あ……」

 

 千束が目を丸くする。

 

「お会計、まだだったね」

 

「はい」

 

 ユイトはカウンターへ向かう。

 

「おはぎセット、いくらですか?」

 

「六百円です。」

 

 千束が答える。

 

 ユイトは財布から六百円を取り出し、カウンターへ置いた。

 

「ありがとうございます」

 

 ミカが受け取る。

 

「ごちそうさまでした」

 

「はいよ」

 

 ユイトは一礼する。

 

 そして、改めて店の外を見る。

 

「……」

 

 胸の奥で、再び鼓動が鳴った。

 

 ドクン。

 

 ――近い。

 

「じゃあ、ありがとうございました」

 

 ユイトはすでに扉へ向かっていた。

 

 カラン――。

 

 扉が閉まる。

 

「……」

 

 店内に沈黙が落ちる。

 

「……何だったんでしょう?」

 

 たきなが呟く。

 

「さあ」

 

 千束も窓の外を見る。

 

 そして、少しだけ笑う。

 

「でも……ちゃんとお金払ってから出ていったね」

 

「そこですか?」

 

「大事だよ?」

 

 千束は真面目な顔で頷いた。

 

「喫茶店の基本だからね」

 

「……そうですね」

 

 たきなも窓の外を見る。

 

 ミカは静かにユイトが出ていった扉を見つめていた。

 

「……何か、嫌な予感がするな」

 

 ◆

 

 店の外。

 

 ユイトは一人、路地へ入っていた。

 

「……間違いない」

 

 胸の奥で、鼓動が鳴る。

 

 ドクン。

 

 ドクン。

 

 その先に――。

 

 何かがいる。

 

「あいつがいる……」

 

 ユイトは拳を握った。

 

 そして。

 

 喫茶リコリコの日常は、一瞬にして非日常へと変わろうとしていた。

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