ダンジョン物件の不動産鑑定士 〜欠陥アビスも、建築基準法と重要事項説明でスマートに解決します〜 作:ルクエリシオン
「もう限界なんです! 夜になると地下から『出せ……ここから出せ……』って気味の悪い声が響いてきて、妻も精神的に参っちゃって……!」
設楽不動産鑑定事務所の応接ソファで、青ざめた顔の若い男が頭を抱えていた。隣に座る新妻も、不安そうに夫の袖をぎゅっと掴んでいる。
相談に来たのは、先月念願のマイホームとして世田谷区の中古一戸建てを購入したばかりの高橋夫妻だ。
「売主の不動産屋に文句を言ったんです! でも『契約書には【現況有姿(そのままの状態)で引き渡す】と書いてある。引き渡し後の不具合はすべて買主の自己責任だ』って突っぱねられて……」
「現況有姿……悪徳業者が都合よく使う免責の盾ですね!」
話を聞いていた一ノ瀬葵(いちのせ あおい)が、ノートを握りしめて怒りに拳を震わせた。
「一生に一度のマイホーム購入なんですよ!? 過去に事件があったのか、それとも怪異が発生しているのか知りませんが、不気味な声がするなんて重大な欠陥じゃないですか!」
「まあ落ち着け、一ノ瀬。感情論では裁判も解約交渉も勝てん」
設楽 錬(したら れん)は温かいお茶を一口すすり、デスクに広げられた建物の図面と売買契約書に冷徹な視線を落とした。
「『現況有姿』の特約があれば何でも許されるわけじゃない。……一ノ瀬、現地調査(インスペクション)の準備をしろ。高橋さん、その『声がする地下室』を拝見させてもらいます」
築十五年、二階建ての小綺麗な中古一戸建て。設楽と葵は、依頼人の高橋夫妻に案内されて問題の地下物置へと足を運んでいた。
ひんやりとした薄暗い地下室。コンクリートの壁に囲まれた六畳ほどの空間だ。
「ここです……。夜の丑三つ時になると、この奥の壁から不気味なうめき声と、爪で壁を引っかくような音が聞こえてくるんです……」
高橋が恐怖に震えながら、地下室の突き当たりの壁を指差す。壁には新しい綺麗なクロス(壁紙)が貼られていた。
「よし、一ノ瀬。デジタル距離測定器(レーザーメジャー)を出せ。外壁の寸法と、この地下室の内寸を計測する」
「はいっ!」
葵がテキパキとレーザー光線を壁に照射し、測定値をメモしていく。設楽は胸ポケットから特製の魔力測定眼鏡を取り出し、コンクリート壁の奥へと視線を透過させた。
「一ノ瀬。地上の一階リビングの奥行きと、この地下室の奥行きの数値を引いてみろ」
「えっ……と、リビングの奥行きが八・五メートルで、この地下室の奥行きが六・二メートル……差引き二・三メートルです。……あれ?」
メモを見つめていた葵が、ハッと目を見開いた。
「おかしいです! コンクリートの外壁厚と基礎の幅を差し引いても、あと一・八メートル分、どこかに『存在しない空間』が余ります!」
「正解だ」
設楽はステンレス製の打診棒をカチャリと伸ばすと、綺麗な壁紙の特定の場所を『コン、コン』と叩いた。
周りは固いコンクリートの重い音がするが、中央の縦二メートル、横一メートルほどの範囲だけ『ポコン、ポコン』と軽質な木枠の空洞音が室内に響く。
「この壁紙の裏には、コンクリートではなく合板が嵌め込まれている。……つまり、この壁の奥には意図的に隠された『もう一つの部屋』がある」
「ええっ!? 隠し部屋!?」
高橋夫妻と葵が驚愕の声を上げた。
設楽が合板の隙間にバールを差し込み、壁紙ごとベニヤ板を力強く引き剥がす。
バリバリという破壊音とともに現れたのは、頑丈な鉄製の扉と、その中央に刻まれた禍々しい魔術陣だった。扉の隙間からは、ドロリとした濃密な黒い魔力瘴気が溢れ出し、不気味なうめき声が漏れ聞こえてくる。
『……出せ……我をここから……出せぇ……』
「ひっ、ひいいいっ!?」
高橋夫妻が悲鳴を上げて抱き合う。設楽は眉一つ動かさず、魔力測定眼鏡の数値をメモした。
「なるほど。前の持ち主は違法な魔導研究をしていたマッドサイエンティストだな。地下に隠し実験室を作り、放置された召喚魔具が野良ダンジョン化して小型の霊体モンスターを生み出し続けている。……完全に物理的・心理的な重度瑕疵(欠陥)だ」
「な、何勝手なことやってんだ売主の許可なく壁を壊すな!!」
その時、地下室の階段をドカドカと激しい足音を立てて降りてくる男がいた。この物件を仲介・売却した不動産ブローカーの鬼頭(きとう)だ。高橋が連絡したため、慌てて駆けつけてきたらしい。
鬼頭は剥がされた壁と露出した鉄扉を見て顔を極限まで引きつらせたが、すぐに開き直ったように口角を吊り上げた。
「ハッ! 隠し部屋があろうが怪異がいようが関係ねえよ! 契約書を見ただろ!【本物件は現況有姿にて引き渡すものとし、売主は引渡し後における一切の契約不適合責任を負わない】という特約に判を押してある! 文句があるなら裁判でも何でもしやがれ! ビタ一文払わねえぞ!」
鬼頭は契約書の写しをバサバサと振りかざし、高橋夫妻を威嚇した。高橋は「そ、そんな……」と絶望に打ちひしがれそうになる。
だが、設楽は冷たく失笑した。
「鬼頭さん。法律をかじるなら、もう少し勉強してから威張り散らしてください」
「なんだと……!?」
設楽は手帳を開き、冷徹な瞳で鬼頭を射抜いた。
「確かに、民法上の契約不適合責任は特約によって免責(責任を負わない)とすることが可能です。……ただし、【民法第572条】にはこう定められている」
設楽は淡々と条文を暗誦した。
「——『売主は、知っていたにもかかわらず買主に告げなかった不適合については、その責任を免れることができない』」
「な……っ!?」
「鬼頭さん、あなたこの隠し部屋の存在を知っていましたね?」
設楽が指差したのは、剥がされたベニヤ板の断面だった。
「この壁紙、施工されたのはほんの二ヶ月前だ。隠し扉の前にベニヤ板を打ち付け、上から新品のクロスを貼って意図的に隠蔽工作を施している。売買前にあなたがやった証拠の領収書、リフォーム業者を調べれば一発で出てきますよ」
「う、うぐっ……! そ、それは……!」
鬼頭の額から冷や汗が噴き出した。
「さらに【宅地建物取引業法第47条第1号】違反。宅建業者は、取引の判断に重大な影響を及ぼす不利益事実を、故意に隠蔽してはならない。確信犯で隠しダンジョン部屋を隠して売りつけたあなたの行為は、悪質な不実告知および事実の隠蔽だ」
「ひっ……!」
「今すぐ全額負担で専門の除霊業者を手配し、この地下室の魔導扉を完全に撤去・封印して正規のリフォーム工事を行いなさい。……断るなら、この現地調査報告書と隠蔽の証拠を添えて、国土交通省と都の宅建指導課に行政処分を申請します。宅建免許の停止、あるいは取消しになるでしょうね」
「ま、待ってくれ! 処分だけは勘弁してくれ!!」
鬼頭はその場に膝をつき、必死に頭を下げた。
「払う! 除霊費用もリフォーム代も全部うちで負担する! だから通報だけは……!」
「……交渉成立だな」
設楽は打診棒を短く収めると、呆然としている高橋夫妻に向き直り、柔らかく微笑んだ。
「高橋さん。これで怪異の心配も、費用負担の心配もなくなりました。安心してください」
「設楽さん……! ありがとうございます! 本当に、本当にありがとうございました……!」
高橋夫妻は設楽の手を握りしめ、ボロボロと嬉し涙を流した。
隣で一部始終を見ていた葵は、目を輝かせて胸を躍らせていた。
(すごい……! 相手が盾にしていた『現況有姿の特約』の裏をかいて、民法第572条と宅建業法で完全に退けちゃった……! 法律と構造を理解している設楽さんだからこそできる、最高の逆転劇だわ!)
「一ノ瀬、帰るぞ。次の案件の書類作成が山積みだ」
「はいっ、設楽先生! どこまでもお供します!」
地下室を出る設楽の背中は、夕陽を浴びてどこまでも頼もしく見えるのだった。