ドンドン!
「う~さい……」
「リーベ! 今日はヴァールらが来るんだ! さっさと起きろ!」
「は~い」
リーベは眠い目を擦って起き上がると傍らにいたトイプードルのぬいぐるみダンクにおはようを告げる。こうしてリーベの一日が始まった。
今日は定休日だ。しかし、店の仕事はちゃんとある。定休日とは言い換えれば、次の営業日を迎えるための準備期間にすぎないのだ。しかし今日は来客がある。それまでに終わらせなければならないということで、一家は慌ただしく仕事に取りかかる。
エルガーは上階の掃除を、シェーンは食材の状態確認や設備の点検など厨房回りを担当している。そしてリーベはホールの掃除を任され、半日が経とうとしている現在は窓を拭いていた。
「う~ん!」
背伸びをするも、高い所に手が届かない。
(仕方ない、椅子を使おう)
そう思って視線を下ろすと、窓ガラスに大きな顔が張り付いていた。
「……き、きゃああああっ!」
ビックリして尻餅をつくと、窓の向こうから重低音の笑い声が響いてくる。
「だはは! 驚いてやんの!」
それを聞きつけて両親がホールにやって来る。
リーベが立ち上がると同時にカウベルが鳴り、入り口に例の顔が現れる。
「よっこいしょっと」
身を屈めながらに入ってきたのは身長が210センチもある巨漢だ。
ヒグマのように隆々とした体付きをしていて、それにライオンのように大きく彫りの深い頭が載っている。厳めしい出で立ちであるがしかし、陽気な笑みを浮かべているから恐ろしいという印象はなかった。
彼は大きな手を掲げると分厚い唇を割り開く。
「うっす」
「ようヴァール。元気そうでなによりだ」
「ああ。師匠の方こそ。シェーンもリーベも元気そうだな!」
「もお~っ! おじさんったら、びっくりさせないでよ!」
「はは! あんな脅かし甲斐のある格好でいるお前が悪いんだよ!」
彼は悪怯れる事なくそう言い切った。するとその背後から呆れた声が響く。
「いけませんよヴァール。それでリーベさんがケガをしたらどう責任を取るつもりですか?」
ヴァールの陰から線の細い青年が現われる。
月光を編んだような金髪は儚く、朝霧のように白い顔面には澄んだ瞳が煌めく。
「すみませんね。ヴァールは相変わらずで」
「いいえ。お久しぶりです。フェアさん」
彼は穏やかに目を細める。
「ご無沙汰しております」
「お二人ともご無事の用で安心しました」
シェーンの言葉に夫が続く。
「本当にな。それで? 例の弟子は何処にいる?」
その言葉にリーベは、今日彼らが初めての弟子を連れてくることを思い出し注目する。
ヴァールとフェアが両脇に退くと、そこには小柄な――リーベと同じくらい小さな男の子がいた。
東洋人を想起させる黄色い肌に真っ黒でさらさらの短髪。それにあどけない丸い輪郭の顔。首には赤いスカーフを巻いていて、まるで黒猫のようだ。彼はくりくりと愛らしい瞳でエルガーを見つめていたが、シェーンに「初めまして」と声を掛けられ、目線を移す。
するとその美貌に見蕩れてしまい、瞳が恍惚と潤む。
「ふふ、お名前は?」
「っ……!」
彼女に微笑み掛けられると照れくさくなり、前髪とスカーフを掴んだ。
その仕草にエルガーは呆れとも驚愕ともつかない感情に囚われ、間の抜けた声を漏らす。
「……弟子って、コイツがか?」
「ああ……フロイデっつうんだが、人見知りが激しいんだ。まったく、ガキっぽくて仕方ねえ」
「ガキじゃない……!」
フロイデが控えめに反論する。その言葉に説得力は微塵もない。
だから彼の師匠であるヴァールは肩を竦め、やれやれと笑った。
「……そうか。俺はエルガー。それに嫁のシェーンと、娘のリーベだ。よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
改めて挨拶をすると、フロイデは伏し目がちに「……よろしく」と返す。
そうして一段落ついたところでヴァールが切り出す。
「それよか、ギルドで聞いたんだが――」
「それはひとまず、お茶を飲みながらにしましょう」
シェーンが言うと、ヴァールは「うっす」と目礼し、フェアは「お構いなく」と社交辞令を口にした。
フロイデは小柄でありながら食欲旺盛で、体格で圧倒的に勝るヴァールと同じだけお菓子を食べた。
「けぷっ」と彼が満足げにげっぷをする中、リーベはヴァールにねだる。
「ねえ、また冒険の話を聞かせてよ」
リーベは冒険の話を聞くのが好きだった。それは単純に楽しいからであったが、今回に限っては違った。エルガーの引退以来、彼女の冒険者業への関心は深まっていたのだ。
彼女がいても立ってもいられない気持ちで話を待つ中、机の下でエルガーがヴァールの脚を蹴った。
「……それよかリーベ。暇ならコイツにテルドルを案内をしてやってくんないか?」
そう言って弟子の頭に手を置く。するとフロイデは動揺して、あたふたと視線を彷徨わせる。
「……え? なんで?」
「なんでも何も、これからしばらくテルドルにいるんだ。それなのに不案内じゃいられねえだろ?」
「それは……」
フロイデは救いを求めるようにフェアを見やるも、彼も事情を察して同調した。
「街を知り、地域の人と交流を図るのも大事な事ですよ?」
そう言われては返す言葉もなく、彼は俯いた。
一方でリーベは嫌がっているのに連れ回すのはどうかと思ったが、フェアに一言「お願い出来ますか?」と言われると、つい了承してしまった。
「それじゃ、行きましょうか」
「……うん」
彼はぎこちない動作で立ち上がると、何かにおびえるように帯を締めた。
「馬車には気を付けて、お昼には帰ってくるのよ?」
「うん。行ってきます!」
服屋や床屋など。必要と思われる施設はあらかた紹介し終えた。
(あとは……)
彼女らの向かう先にはテルドルにしては珍しい赤い屋根をもつ建物があった。その入り口の斜め上には看板が吊られており、剣と斧が交差したシンボルが描かれている。
「見ての通り、ここは武器屋です。武器屋ですが、キッチンナイフも売って――」
「入っていい……?」
フロイデは期待を満面に浮かべていた。
「ふふ! はい。もちろんです」
すると彼はネズミを見つけたネコの如く店内に飛び込んでいった。
リーベが後を追って入店すると、お馴染みのご婦人が出迎えてくれる。
「おや、リーベちゃん。こんにちは」
「こんにちは、スーザンさん」
スーザンはここの店主で、西にある工房で夫のダルが作った武器を販売しているのだ。そんな婦人はフロイデを見つめながら、溜め息交じりに問い掛けてくる。
「そこの坊やはお友達かい?」
「はい。フロイデさんと言って、ヴァールおじさんの一番弟子なんです」
「へえ、とても冒険者には見えないねえ」
「チビじゃない……!」
(誰もそうは言っていないけど……まあ言ったようなものか)
「ははは! こりゃ失礼! 詫びの品はないが、ゆっくり見て言ってよ。うちは冷やかし大歓迎だからねえ!」
スーザンは裏表のない人で、故に言葉を選ぶこともしないのだ。
それはそうと、リーベはフロイデに付いて武器屋を見学させてもらう事にした。
天井にクモの巣が張られている店内には、多種多様な武器が置かれている。
「いろいろありますね」
「うん……!」
一緒になって観察していると、スーザンが冗談半分に言う。
「なんだい? リーベちゃんも冒険者になるんかい?」
「まさか! だってわたし、女の子ですよ?」
「女の冒険者だって探せばいるじゃないか。それになにより、あのエルガーさんの娘なんだ。アンタにも才能があるはずだよ」
「……わたしにはムリですよ、はは……」
「そうかい? やってみなきゃ分からないよ?」
「それはそうですけど……」
「……あ、背中にクモが」
フロイデが彼女の肩に付いたクモを捕る。
「え、うそ!」
「うそじゃないよ。ほら」
そうして見せつけられたのは脚の長いクモだった。
「きゃああああ! あああ、あっちにやってください~!」
必死に顔を背けていると、スーザンは溜め息をついた。
「はあ……こら、ホントにダメかもねぇ」
「はあ……」
武器屋を見物していただけなのに、随分疲れてしまったリーベは深いため息をついた。
「……ごめんね?」
「いえ。フロイデさんは悪くありません……むしろ、助かりました」
答えつつ、空を見る。青く澄み渡った空にはちぎれ雲が漂っていて、今日という日が穏やかなものであることを物語っていた。
「そろそろ、帰ろ……?」
キラキラした瞳には昼食を期待する気持ちが表れていた。
「ふふ! そうですね――と、その前に少しだけ、付き合ってくれますか?」
「つ、付き合う……!」
彼は夕焼けのように真っ赤になった。
「そういう意味じゃありません! ……もう、寄り道ですよ」
「……って、どこに?」
「それは着いてからのお楽しみです!」
そうして2人は街の北端にやって来た。
ここら一帯は草地がこんもりと盛り上がっていて、ちょっとした丘になっている。丘の北側に隔壁が聳えているほかは何もなく、その景勝っぷりから誰が決めたか、展望台と呼ばれていた。
「わあ……!」
フロイデが景色に心奪われる様にリーベは得意になりつつ、自らもまた展望した。
眼下にはテルドルの灰色の街並が見えた。その向こうには澄んだ日差しに照らし出された麗らかな高原が広がっている。そのさらに向こうにはグラ・ジオール山が厳然と佇んでいて、まるで自分こそが世界の中心であると主張しているかのようだ。
「きれい、だね……」
「はい……この景色はテルドルの宝なんです」
それからしばらく、2人は景色を眺めていたが、いい加減、帰らないと両親が心配するだろうということで、リーベが切り出す。
「そろそろ帰りましょうか」
「……うん」
そうしてリーベは丘を下り始めたが、フロイデが付いてこないことに気付く。不思議に思って振り向く。
「フロイデさ――」
「リーベちゃんっ!」
振り向いた瞬間、彼が飛びついてきた。直後、彼の背後――直前まで彼女がいたところに大きな陰が過る。
「……え――ごふうっ!」
背中に衝撃を受けたのも束の間。フロイデは立ち上がり、背中の長剣を引き抜く。
「ぼくが引き付けてるから、ヴァールたちを呼んできて……!」
「いてて……え?」
(一体何が起きてるの?)
身を起こすと、すぐそこに体高1メートル半ほどの大きなカラスがいた。
「ま、魔物っ⁉」
「早く……!」
フロイデが叫ぶとカラスは彼へとくちばしを伸ばす。リーベは恐ろしくなって目を背け、そのまま丘を駆け下り始める。
(ごめんなさい、ごめんなさい……!)
心の内で謝りつつ、彼女は応援を求めて脚を速めた。