ハーマイオニー・グレンジャーと緋色の予見者   作:スウィフト

10 / 14
十話∶パリから遥々

 

 

 

 

 

 

 

 イースター休暇のバーク家の屋敷は、いつもより少しだけ明るかった。

 

 庭の生け垣の根元に、黄色い水仙が並んで咲いている。窓から差しこむ四月の光が、食堂の銀の燭台を柔らかく照らしていた。

 

 それでも、朝食のテーブルの静けさは変わらない。

 

「マルフォイの息子が、罰則を受けたそうだな」

 

 ロビンソンが、新聞をめくりながら言った。

 

「はい。夜中に寮を抜け出して、二十点の減点と、森での罰則だったそうです」

 

「ルシウスが気にしている。一人息子が、寮の中で面目を失ったとな」

 

 新聞の縁から、ぎょろりとした目がこちらへ動いた。

 

「マルフォイ家とうちの付き合いは、お前が生まれる前からだ。息子の顔を立ててやれ」

 

「贈り物を用意します」

 

 サミュエルは、紅茶のカップを置いた。

 

「スリザリンの純血の寮生の人数分。ドラコの名前で配れるように、菓子を。ホグワーツの周りでは手に入らない店のものがいいでしょう。ドラコが『父上の伝手で取り寄せた』と言えるように」

 

「当てはあるのか」

 

「パリに、一軒」

 

「ならいい。費用は帳簿につけておけ」

 

「はい」

 

「夏に、ルシウスと会食がある。お前の成績表も、向こうの息子のと並べて見せることになる」

 

「首席は取ります」

 

「当然だ」

 

 会話は、それで終わった。

 

 その日の午後、サミュエルは自室で手紙を書いた。

 

 宛先は、ボーバトン魔法アカデミー。フラー・デラクール様。

 

 用件だけを、簡潔に書いた。二月にもらったマカロンの店で、同じものを三十二箱。代金はバーク商会のパリの取引先から支払う。手数料は、こちらの言い値で。

 

 ふくろうを放して四日後、返事が届いた。

 

 白い上等な紙に、流れるような字。

 

〈あなたからの初めての手紙が、お買い物の頼みだなんて。

 三十二箱、ちゃんと手配したわ。手数料はいらない。

 その代わり、今度会ったときに、氷の薔薇をもう一輪。――F〉

 

 サミュエルは手紙を折りたたみ、少し考えてから、短い返事を書いた。

 

〈ありがとう。薔薇は、次の合宿で。今度は二輪にしておく。〉

 

 ふくろうを放してから、それを引き出しにしまった。

 

 届いた菓子の箱は、ピッピーが一つずつ包み直した。三十二箱。銀色のリボンに、緑の封蝋。添えるカードには、サミュエルがドラコの筆跡を真似て書いた。

 

〈スリザリンの誇りある寮生へ。父上の伝手で、パリから。――D・M〉

 

「ぼ、坊ちゃま。お包み、これでよろしゅうございますか……?」

 

「リボンの結び目を、全部同じ向きにそろえろ」

 

「は、はいっ!」

 

 サミュエルは、窓の外のふくろう小屋に目をやった。

 

 これで、ドラコは休暇明けの談話室で、パリの菓子を配って回ることができる。寮生たちは、マルフォイ家の伝手に感心する。ルシウスは満足し、父は満足する。

 

 作業として、何の問題もなかった。

 

*

 

 四月十一日は、サミュエルの十二歳の誕生日だった。

 

 屋敷では、誰もそれを口にしなかった。朝食の席でも、父は新聞を読んでいただけだった。

 

 ただ、その朝、目を覚ますと、枕元の小机に小さな皿が置いてあった。

 

 皿の上には、親指ほどの大きさのカップケーキが一つ。砂糖衣は、半分だけ。その上に、銀色の粒が一つだけ載っている。去年の誕生日に言いつけたとおりだった。

 

 誰が置いたのかは、聞くまでもなかった。

 

 朝食の給仕に来たピッピーは、いつも以上にびくびくしていた。目が合うと、大きな耳がぱたんと伏せられる。

 

「ピッピー」

 

「は、はいっ! ピッピーは何も、何もいたしておりません!」

 

「……来年も、これでいい」

 

 ピッピーは、ぽかんと口を開けた。それから、テニスボールのような目にみるみる涙をためて、深々と頭を下げた。

 

「か、かしこまりました……!」

 

 皿は、もう空になっていた。

 

 昼過ぎ、サミュエルは庭の隅へ行った。生け垣の陰に、一本だけ桃の木がある。屋敷の誰も気にかけない、細い若木だ。

 

 薄紅色の花をつけた枝を一本、小刀で切り取った。

 

 それを持って、一人で屋敷を出た。

 

 ロンドンの裏通りに、古びた赤レンガのデパートがある。ショーウィンドウには、流行遅れの服を着たマネキンが一体、ぽつんと立っているだけだ。「改装中につき閉店」の札。

 

「面会に来ました」

 

 ガラスに向かって小声で言うと、マネキンがわずかに指を曲げた。サミュエルはガラスを通り抜けて、中に入った。

 

 聖マンゴ魔法疾患傷害病院。

 

 受付のロビーは、いつも通り混み合っていた。耳から煙を出している魔法使い。手が鶏の足になってしまった魔女。ライムグリーンのローブを着た癒者たちが、忙しそうに行き来している。

 

 サミュエルは受付には寄らずに、階段を上った。この四年で、受付の魔女に行き先を聞かれることもなくなった。踊り場ですれ違った年配の癒者が、黙って小さく会釈をしていった。

 

 五階の奥。長期療養の患者が入る、静かな廊下。消毒液の匂いが、下の階よりも濃くなる。壁に掛かった歴代の癒者の肖像画たちは、ここではみんな声をひそめて話していた。

 

 突き当たりの個室の扉を、ノックせずに開けた。

 

 白いベッドの上に、母が眠っていた。

 

 黒い髪が、枕の上に広がっている。四年前より少し伸びた。肌は透き通るように白く、閉じたまぶたの下で、睫毛がかすかに影を落としている。

 

 誰が見ても、ただ眠っているだけにしか見えなかった。

 

 サミュエルは、窓辺の花瓶の古い花を抜き、桃の枝を挿した。それから、ベッドの脇の椅子に腰を下ろした。

 

「母さん」

 

 返事はない。

 

「今日、十二歳になったよ」

 

 窓の外で、鳩が一羽、羽ばたいた。

 

「ホグワーツに入った。寮は、グリフィンドール。父上は寮なんてどうでもいいって言ってたけど、ドラコはまだ根に持ってるみたいだ」

 

 サミュエルは、膝の上で手を組んだ。

 

「みんな、僕のことが好きだって言うんだ。同じ寮の子も、ほかの寮の子も、先生も。バレンタインには、チョコレートが四十二個届いた」

 

 少しだけ、笑った。

 

「変だよね。誰も、僕の何が好きなのか、分かってないのに。僕だって分かってない」

 

 母の胸が、ゆっくりと上下している。

 

「でも、困ったことは一度もないんだ。みんなが欲しがってる顔をすれば、みんな喜ぶ。父上の屋敷で、ずっとそうしてきたから。……上手いんだよ、僕。たぶん、母さんが思ってるより、ずっと」

 

 しばらく、黙っていた。

 

「ピッピーは、相変わらずだよ。紅茶をこぼすたびに、耳がびくってなる。父上も、相変わらず」

 

 窓辺の桃の花が、かすかに揺れた。

 

「……そういえば、一人、うっとうしい子がいるんだ」

 

 言うつもりのなかった言葉が、口からこぼれた。

 

「同じ寮の子。とにかく口うるさくてさ。僕が何か言うと、必ず言い返してくる。人の呪文の発音にまで口を出すし、宿題は、頼まれてもいないのに羊皮紙一本分も多く書くし。手を挙げるときなんて、椅子から半分立ち上がってるんだよ」

 

 思い出して、少しだけ笑った。

 

「髪もすごいんだ。毎朝、爆発したみたいに広がってて。本ばっかり読んでるから、たぶん梳かす暇がないんだと思う」

 

 母の寝顔は、少しも変わらなかった。

 

「……でも、頭はいいよ。教科書なんて、全部覚えてる。たぶん、学年で一番」

 

 窓の外で、鳩がくぐもった声で鳴いた。

 

「それに、間違ってると思ったら、相手が誰でも、間違ってるって言う。僕にもね。僕が何を言っても、ちっとも感心してくれないんだ。そんな子、あの子くらいだよ」

 

 膝の上で、指を組み直した。

 

「……話してると、なんだか、楽なんだ」

 

 そこまで言って、口をつぐんだ。

 

 文句を言うつもりだったのに、いつの間にか、褒めていた。

 

 名前は、言わなかった。

 

 サミュエルは、母の手にそっと触れた。冷たくはなかった。でも、握り返してはこなかった。

 

「……また来るね」

 

 扉を開けて廊下に出ると、ライムグリーンのローブの若い癒者が、カルテを手に立っていた。

 

「あら。面会時間は、もう過ぎてますよ」

 

「すみません」

 

「休みのたびにいらしてるのね。……話しかけても、たぶん聞こえてはいないと思いますよ。あまり、期待なさらないほうが」

 

 癒者は、それだけ言うと、隣の病室へ入っていった。

 

 廊下には、消毒液の匂いだけが残った。

 

 サミュエルはしばらくその場に立っていた。それから、何事もなかったように階段を降りていった。

 

*

 

 休暇が明けると、ホグワーツには春が来ていた。

 

 校庭の雪はすっかり溶け、湖の水面が四月の陽射しにきらきらと光っている。中庭の木々に、薄緑の若葉がのぞき始めていた。

 

 スリザリンのテーブルでは、ドラコが得意げに銀色のリボンの箱を配っていた。

 

「父上の伝手でね。パリの店から、わざわざ取り寄せたんだ」

 

 スリザリン生たちが、感心したようにどよめいている。ドラコが一瞬だけ、グリフィンドールのテーブルに視線を投げてきた。サミュエルは、気づかないふりをした。

 

 その日の午後、地下牢へ続く廊下で、ドラコに呼び止められた。

 

「……菓子のこと、父上から聞いた。バーク家の伝手だって」

 

「何のこと?」

 

「とぼけるなよ」

 

 ドラコは、ばつが悪そうに顎を上げた。

 

「言っとくけど、借りだなんて思ってないからな」

 

「思わなくていいよ。僕は何もしてない。パリの菓子を取り寄せたのは、マルフォイ家だろ?」

 

 ドラコは何か言いかけて、口を閉じた。それから、ふん、と鼻を鳴らした。

 

「……あのマカロン、うまかった」

 

「それはよかった」

 

 ドラコはくるりと背を向けて、地下牢の暗がりへ歩いていった。耳の先が、少しだけ赤かった。

 

 図書室は、試験前の生徒で混み始めていた。

 

 その奥の窓際の席に、ハリーとロンとハーマイオニーが陣取っている。ここ最近、三人はやけに図書室に入り浸っていた。ハーマイオニーの前には、色分けされた復習の予定表と、分厚い本が何冊も積み上がっている。

 

「試験まで、まだ十週間もあるんだよ」

 

 通りかかったとき、ロンがうんざりした声で言っているのが聞こえた。

 

「十週間しか、よ!」

 

 ハーマイオニーが、色分けした予定表をばしんと叩いた。

 

 しばらくして、サミュエルがもう一度書架の間を通りかかったとき、ハーマイオニーが顔を上げた。

 

 ハリーとロンは、ちょうど席を外していた。

 

「ねえ、ヴェスゲレート」

 

 半分独り言のような声だった。

 

「ニコラス・フラメルって、知ってる?」

 

 サミュエルは、足を止めた。

 

「知ってるよ」

 

 理由は聞かなかった。彼女の手元の本が何なのかも、のぞきこまなかった。

 

「ニコラス・フラメル。錬金術師。現存する唯一の賢者の石を作った人として知られてる。賢者の石は、どんな金属も純金に変えて、飲めば不老不死になる『命の水』を生み出す。フラメルは最近、六百六十五歳の誕生日を迎えた。奥さんはペレネレ、六百五十八歳。デヴォンで静かに暮らしてる。それから、ダンブルドアとは錬金術の共同研究をしていたことがある」

 

 ハーマイオニーは、ぽかんと口を開けていた。

 

「……全部、合ってる」

 

「そう?」

 

「私、それを見つけるのに何週間もかかったのよ。図書室中の本をひっくり返して」

 

「読んだことがあっただけさ。家に、錬金術の本が山ほどあったから」

 

 ハーマイオニーは、しばらくサミュエルの顔を見つめていた。

 

 いつもの、言い返す前の目ではなかった。何か、本当に感心したものを見たときの目だった。

 

「……すごいわね、あなた」

 

 サミュエルは、少しだけ言葉に詰まった。

 

 すごい、と言われることには慣れている。家庭教師にも、先生にも、上級生にも、何十回と言われてきた。どれも、相手が欲しい答えを差し出した結果だった。

 

 今のは、何も計算していなかった。

 

「……どういたしまして」

 

「まだ何もお礼なんて言ってないわよ」

 

「じゃあ、先に言っとく」

 

 ハーマイオニーが、ふっと吹き出した。

 

 ハリーとロンが本を抱えて戻ってくる足音がした。サミュエルは軽く手を上げて、書架の間を歩き出した。

 

「何話してたんだ?」

 

 背後で、ロンの声がした。

 

「何でもないわ。……ちょっと、答え合わせをしただけ」

 

 ハーマイオニーの声は、どこか弾んでいた。

 

 背中に向けられた視線が、図書室の出口に着くまで消えなかったことに、彼は気づかなかった。

 

 ドラコに菓子を贈ったのと同じくらい、完璧な答えだった。

 

 違うのは、今度は何の見返りも、頭に浮かばなかったことだけだ。

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。