ハーマイオニー・グレンジャーと緋色の予見者   作:スウィフト

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十六話∶差別

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハロウィンの大広間は、今年も千匹のコウモリでいっぱいだった。

 

 天井近くを黒い影がばさばさと飛び交い、テーブルの上では、人の背丈ほどもある巨大なかぼちゃがくり抜かれて、中で蝋燭が揺れている。ハグリッドが畑で育てたという特大のかぼちゃは、三人がかりでも抱えきれないほどだった。

 

「ハリーたちは?」

 

 サミュエルが聞くと、ネビルがパンプキンパイを頬張りながら答えた。

 

「ほとんど首無しニックの、絶命日パーティーだって。五百回目の命日なんだって」

 

「……命日を、祝うの?」

 

「ゴーストのパーティーなんだって。ハーマイオニーが、すごく楽しみにしてた。歴史的に貴重な体験だからって」

 

 サミュエルは、空いた三つの席を見た。

 

 ハーマイオニーが楽しみにしていた、というところだけが、妙に耳に残った。

 

 今年のハロウィンの料理は、去年よりさらに豪華だった。丸ごと焼いた七面鳥に、かぼちゃのスープ、糖蜜をかけたローストパースニップ。デザートには、かぼちゃのタルトと、コウモリの形をしたジンジャーブレッド。

 

「サミュエル、これ、ゴキブリ・ゴソゴソ豆板に似てない?」

 

 ディーンが、黒いジンジャーブレッドを掲げてみせた。

 

「似てない。似てると思ったら、食べなくていい」

 

「じゃあ、もらう!」

 

 ジニーが、横からさっとかすめ取った。

 

 ジニーは今年入学したばかりで、ふだんはロン以上によく喋る。けれど、今夜は妙に顔色が悪かった。ジンジャーブレッドも、一口かじっただけで皿に戻してしまう。

 

「ジニー、具合悪いの?」

 

「……ちょっと、寒いだけ」

 

 ジニーは、ローブの襟を引き寄せた。

 

*

 

 宴会が終わり、生徒たちが寮へ戻る途中だった。

 

 二階の廊下の先で、人の流れが止まっていた。

 

 前のほうから、ざわめきが波のように伝わってくる。サミュエルは人垣の後ろから、首を伸ばした。

 

 廊下の床が、水浸しになっていた。

 

 その向こうの壁に、松明の灯りに照らされて、赤い文字が光っていた。

 

〈秘密の部屋は開かれたり

 継承者の敵よ、気をつけよ〉

 

 その下の松明の腕木に、何かがぶら下がっていた。

 

 猫だった。管理人のフィルチの飼い猫、ミセス・ノリス。尻尾を腕木に引っかけたまま、板のように硬直している。見開いた目は、宙の一点を見つめたまま動かない。

 

 そして、その真下に、ハリーとロンとハーマイオニーが立っていた。

 

 誰かが、息を呑んだ。誰も、何も言わなかった。

 

 その沈黙を破ったのは、人垣の前のほうから聞こえた声だった。

 

「継承者の敵よ、気をつけよ!」

 

 ドラコだった。青白い頬を紅潮させて、ミセス・ノリスを見上げている。

 

「次はお前たちの番だぞ、『穢れた血』め!」

 

 その言葉が、廊下の石壁に反響した。

 

 サミュエルは、自分の指先が冷たくなっていくのを感じた。

 

 穢れた血。

 

 何度も聞いた言葉だった。父の食卓で。自分自身の口からも、去年、列車の通路で一度だけ。いつもそれは、ただの悪口だった。相手を見下すための、品のない言葉にすぎなかった。

 

 今は、違った。

 

 壁の赤い文字が、松明の灯りの中で、濡れたように光っている。その下で、生き物が一匹、石のように固まっている。

 

 これは、悪口ではない。

 

 誰かが本当に、その言葉の意味のとおりに、何かをしようとしている。

 

 サミュエルの目は、ミセス・ノリスの真下に立つ、栗色の髪の女の子に吸い寄せられていた。

 

「何事だ? 何事だ?」

 

 フィルチが、人垣をかき分けてやって来た。ミセス・ノリスを見た瞬間、彼は顔を両手で覆って、悲鳴を上げた。

 

「わたしの猫だ! わたしの猫が! お前だな! お前が殺したんだ!」

 

 フィルチが、ハリーに飛びかかろうとする。

 

「アーガス!」

 

 ダンブルドアの声が、廊下に響いた。後ろから、先生たちが次々と駆けつけてくる。

 

「ミスター・ポッター、ミスター・ウィーズリー、ミス・グレンジャー。一緒に来なさい」

 

 三人が、先生たちに連れられていく。ハーマイオニーは青ざめた顔で、両腕で自分の体を抱えるようにして歩いていた。

 

 人垣の間を通り過ぎるとき、彼女が一瞬だけ、こちらを見た気がした。

 

 サミュエルは、何も言えなかった。

 

 人垣が少しずつほどけていく中、サミュエルは最後まで廊下に残っていた。

 

 水浸しの床。赤い文字。それから、窓枠の隅に、黒い点のようなものが一列に並んでいるのに気づいた。

 

 蜘蛛だった。何十匹もの小さな蜘蛛が、我先にと窓の隙間から外へ逃げ出していく。まるで、何かから逃げるように。

 

 サミュエルは、その光景をしばらく見つめていた。

 

「おい、サミュエル。行こうぜ」

 

 シェーマスが、袖を引いた。

 

「なあ、本当にポッターがやったのかな。あそこにいたんだし」

 

「猫一匹を石にするのに、わざわざ壁に字を書くほど、ハリーは暇じゃないよ」

 

「……それもそうか」

 

 シェーマスは納得したように頷いた。サミュエルはもう一度だけ、窓の隙間を振り返った。最後の一匹が、夜の闇の中へ消えていくところだった。

 

*

 

 ハリーたちが談話室に戻ってきたのは、真夜中近くだった。

 

「ミセス・ノリスは、死んでないって」

 

 ロンが、暖炉の前の椅子にどさりと座りこんで言った。

 

「石になっただけだって、ダンブルドアが。スプラウト先生がマンドレイクを育ててて、それが成長したら、薬を作って元に戻せるんだって」

 

「それで、ハリーたちは何もお咎めなし?」

 

「証拠がないからって。フィルチは最後まで、ハリーがやったって喚いてたけど」

 

 ロンは声を落とした。

 

「……ハリーがさ、壁の中から声が聞こえたって言うんだ。『殺してやる』って。僕とハーマイオニーには、何にも聞こえなかったのに」

 

 ハリーは少し離れた椅子で、黙って膝を抱えていた。ハーマイオニーは、もう女子寮へ上がったあとだった。

 

*

 

 それから数日、学校はその話で持ちきりだった。

 

「秘密の部屋って、何なの?」

 

「スリザリンが作った、隠し部屋だって。中に怪物がいるんだって」

 

「マグル生まれだけを狙う怪物だって、パーシーが言ってた」

 

 噂が、尾ひれをつけて廊下を駆け巡っていく。

 

 魔法史の授業で、ハーマイオニーが手を挙げた。ビンズ先生の授業で誰かが手を挙げるのは、前代未聞のことだった。

 

「先生、『秘密の部屋』について、何か教えていただけませんか」

 

 幽霊の先生は、眠たげな目を瞬かせた。

 

「……私が扱うのは事実です、ミス・グレンジャー。神話や伝説ではない」

 

「でも、先生。伝説というのは、必ず事実に基づいているのではありませんか?」

 

 教室じゅうの生徒が、居眠りから目を覚ました。

 

 ビンズ先生は、しばらく黙っていた。それから、しぶしぶ話し始めた。

 

 ホグワーツを創った四人の魔法使いのこと。サラザール・スリザリンが、マグル生まれの生徒を入学させることに反対して、ほかの三人と争ったこと。城を去る前に、誰にも知られない部屋を作ったこと。

 

「伝説によれば、スリザリンの真の継承者だけが、その部屋を開けることができる。そして、中に封じられた恐怖を解き放ち、学校から――」

 

 ビンズ先生は、一瞬だけ言葉を切った。

 

「――魔法を学ぶにふさわしくない者を、追放する、と」

 

 教室が、しんと静まり返った。

 

 誰も、口に出しては言わなかった。けれど、何人もの目が、ちらりとハーマイオニーのほうを向いた。

 

 ハーマイオニーは、背筋を伸ばして羽根ペンを走らせていた。羽根ペンの先が、羊皮紙の上でかすかに震えていた。

 

 サミュエルは、手を挙げた。

 

「先生、補足してもよろしいですか」

 

 ビンズ先生が、眠たげな目をこちらに向けた。

 

「……ミスター・ヴェスゲレート」

 

「伝説には、続きがあります。ホグワーツの古い年報に、五十年前、一度だけ部屋が開かれたという記録があるんです。そのときは生徒が一人亡くなって、部屋は再び閉ざされた、と」

 

 教室の空気が、凍りついた。

 

 あやふやな伝説よりも、事実のほうが、まだ向き合える。曖昧な恐怖ほど、人を縛るものはない。そう思って口にしたのだった。

 

「……よく調べましたね」

 

 ビンズ先生は、珍しく、ほんの少しだけ感心したように言った。

 

「その通りです。記録には、確かに」

 

 誰かが、息を呑む音がした。

 

 それから、サミュエルは、自分の羊皮紙に一行も書けなかった。

 

 授業のあと、廊下でドラコが近づいてきた。

 

「聞いたか、ヴェスゲレート。秘密の部屋だってさ。いい気味だ。継承者が誰だか知らないが、父上は前から言ってたんだ。この学校には、ふさわしくない連中が多すぎるって」

 

 ドラコは、楽しそうに声を弾ませていた。

 

「声が大きいよ、ドラコ」

 

 サミュエルは、いつもの穏やかな口調で言った。

 

「先生たちに聞かれたら、君が継承者だと思われる。ミセス・ノリスの前で、一番楽しそうにしてたのは君だったからね」

 

 ドラコの顔から、さっと血の気が引いた。

 

「ぼ、僕じゃない。僕は、何も――」

 

「知ってるよ。だから、気をつけたほうがいい」

 

 ドラコは、ぎこちなく頷いて、クラッブとゴイルを連れて足早に去っていった。

 

 その夜、サミュエルはトランクの工房で、持っている本を片っ端から開いた。

 

 『ホグワーツの歴史』。スリザリンの伝記。中世の魔法生物の図鑑。古文書館で書き写してきた、古い怪物の記録。

 

 秘密の部屋について、確かなことを書いた本は一冊もなかった。ただ、蜘蛛が逃げ出す、という記述が、ある古い図鑑の片隅に一行だけあった。どの生き物の項目だったのかは、ページが破れていて読めなかった。

 

 サミュエルは、その一行を羊皮紙に書き写して、引き出しにしまった。

 

*

 

 その日の夕方、談話室の本棚の陰で、ハーマイオニーは膝を抱えて泣いていた。

 

 声を殺していた。肩だけが、小刻みに震えている。

 

 階段を降りてきたジニーが、足を止めた。

 

「……ハーマイオニー?」

 

「な、何でもない」

 

「何でもなくない」

 

 ジニーは、何も聞かずに隣に座った。ローブのポケットから、くしゃくしゃのハンカチを取り出して、無言で差し出す。

 

 しばらくして、ハーマイオニーがしゃくりあげながら言った。

 

「みんなが、私を見るの。ミセス・ノリスのことも、壁の字も、ビンズ先生の授業も。マグル生まれだから、次は私だって」

 

「うん」

 

「それに、あの人まで」

 

「あの人?」

 

「サミュエルよ。九月の廊下で、マルフォイと一緒になって、私を笑ったの。マグルにはお似合いだって」

 

 ハンカチを握る手に、力がこもった。

 

「どうして。どうしてあの人は、マグルだってだけで、私をそんなふうに差別するの」

 

 言ってから、ハーマイオニーは自分の言葉に、ひどく傷ついたような顔をした。

 

 ジニーは、きょとんとして、それから眉をひそめた。

 

「……ハーマイオニー、本気で言ってる?」

 

「え?」

 

「サミュエルが何をしてるか、知らないの?」

 

 ハーマイオニーは、涙に濡れた目で、ジニーを見た。

 

「去年、スリザリンにいたマグル生まれの子や、混血の子たち。入学した頃は、毎日いじめられてたんでしょう? それが、去年の二月ごろから、ぴたりと止まったって、ロンが手紙に書いてた。サミュエルがマルフォイに、それとなく話してくれたからだって」

 

「……それは」

 

「それだけじゃない。困ってる混血の子やマグル生まれの子がいると、いつの間にか、あの人がそばにいるの。ロンも言ってた。気がつくと、いつも誰かを助けてるって」

 

 ジニーは、あっさりと言った。

 

「それに、あの人を見てれば分かるでしょう。差別するほど、馬鹿じゃないよ」

 

 ハーマイオニーは、しばらく黙っていた。

 

「……分かってる」

 

 小さな声だった。

 

「頭では、分かってるの。でも、あんなふうに言われたら」

 

「うん。傷つくよね」

 

 ジニーは、しばらく暖炉の火を見ていた。それから、ふと、にやりと笑った。

 

「ねえ。ロックハート先生に褒められて、嬉しそうにしてたんでしょう? そのとき、サミュエルはどんな顔してた?」

 

「え? ……不機嫌そうには、見えたけど」

 

 ジニーの目が、きらりと光った。

 

「それ、嫉妬じゃない?」

 

「は?」

 

「ロックハート先生に。ハーマイオニーが、他の人に笑うのが面白くなかったんだよ」

 

「な、何を言ってるの。そんなわけないでしょう! あの人は、マグルを――」

 

「差別するほど馬鹿じゃないって、さっき言ったばかりだよ」

 

「それとこれとは……!」

 

 ハーマイオニーの頬が、涙のあとのまま、みるみる真っ赤になった。ジニーは満足そうに、ふふん、と笑った。

 

 

 ハーマイオニーは、涙を拭って、ふとジニーの横顔を見た。

 

「ジニー、あなたも顔色が悪いわよ。ちゃんと眠れてる?」

 

「……平気」

 

 ジニーは、ローブの胸元を片手で押さえて、目をそらした。

 

「ハーマイオニーが泣いてると、ロンが役立たずになるから。早く泣きやんでね」

 

 ハーマイオニーは、泣きながら、少しだけ笑った。

 

*

 

 その夜の談話室は、いつもより人が多かった。誰も、早く寝室に引き上げようとしない。

 

「サミュエル、本当に、怪物なんているの?」

 

 一年生の女の子が、泣き出しそうな顔で聞いてきた。周りの一年生たちも、すがるようにこちらを見ている。コリンが、カメラを胸に抱きしめていた。

 

「伝説だよ。ビンズ先生も、そう言ってた」

 

 サミュエルは、いつもの調子で肩をすくめた。

 

「それに、もし本当に何かいたとしても、ダンブルドアがいる。あの人が校長でいるかぎり、ホグワーツで本当にまずいことは起きない」

 

「本当に?」

 

「本当さ。それより、明日の変身術、マッチ棒を針に変える課題だろう? ネビル先輩が、こつを教えてくれるって」

 

「ぼ、僕?」

 

 ネビルが目を白黒させ、一年生たちがくすくす笑った。張り詰めていた空気が、少しだけほどける。

 

 サミュエルは笑顔のまま、一年生たちに囲まれて座っていた。

 

 けれど、その目は、ずっと別のところを追っていた。

 

 暖炉から少し離れた窓際の席。ハリーとロンと額を寄せ合って、ハーマイオニーが何か話しこんでいる。ときどき、窓の外の暗がりに目をやる。そのたびに、彼女の手が、膝の上の本をぎゅっと握りしめるのが見えた。

 

 去年までなら、こんなふうに誰かを目で追ったりはしなかった。必要なときに、必要なだけ、さりげなく手を回せばよかった。

 

 今は、目を離すことができなかった。

 

 部屋の隅の肘掛け椅子では、ジニーが一人、膝の上に何かを広げていた。黒い表紙の、小さな帳面のようなものだった。サミュエルが目を向けると、ジニーはびくりとして、それをさっとローブの中にしまった。

 

 夜が更けて、一年生たちが寝室へ引き上げていった。ハーマイオニーも本を抱えて、女子寮の階段へ向かう。

 

 サミュエルは、気がつくと立ち上がっていた。

 

 階段の一段目に足をかけた彼女の背中が、遠く見えた。

 

 声をかけようとして、口が動かなかった。九月の廊下。朝食の席での、あの冷たい声。「事実を言っただけだよ」。いまさら、どの口で話しかければいい。

 

 サミュエルは、椅子に腰を下ろし直した。ハーマイオニーが階段を上りきるまで、その背中から目を離さなかった。

 

*

 

 その夜、トランクの工房で、サミュエルは銀色の紙を一枚取り出した。

 

 書く言葉は、決まっていた。

 

〈夜に、一人で図書室へは行かないこと。必ず、誰かと一緒に。〉

 

 それだけを書いて、折った。羽根のように軽い鶴に息を吹きかけると、鶴は寮の窓から、女子寮の塔のほうへ飛んでいった。

 

 届いたとして、彼女は読むだろうか。差出人のないこの鶴を、まだ信じてくれるだろうか。

 

 ランプの芯が、じじ、と小さな音を立てた。

 

 ――次はお前たちの番だぞ。

 

 ドラコの声が、耳の奥で何度も繰り返された。

 

 壁の赤い文字。石になった猫。震えていた羽根ペンの先。

 

 サミュエルは、自分の手のひらを見下ろした。

 

 握りしめていた拳の中で、爪が、手のひらに深く食いこんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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