ハーマイオニー・グレンジャーと緋色の予見者   作:スウィフト

20 / 20
二十話∶マグルのチョコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 二月十四日の朝、大広間は、ピンク色に塗りつぶされていた。

 

 壁という壁に、けばけばしいピンクの花が飾られている。天井からは、ハート形の紙吹雪がひらひらと降り続けていた。去年の、屋敷しもべ妖精たちの控えめな薔薇の花びらとは、比べものにならない。

 

「何だ、これ……」

 

 ロンが、大広間の入口で立ちすくんだ。

 

 上座のテーブルで、けばけばしいピンクのローブを着たロックハートが、両手を挙げて立ち上がった。

 

「バレンタインおめでとう! 今日までに、四十六人の皆さんが私にカードをくださいました。ありがとう! そこで、ささやかなお返しとして、このようなサプライズを用意しました――しかも、これで終わりではありませんよ!」

 

 ロックハートがぽんと手を叩くと、玄関ホールに続く扉から、気難しそうな顔をした小人が十二人、ぞろぞろと入ってきた。全員が金色の翼をつけ、ハープを抱えている。

 

「私の愛すべき、配達キューピッドたちです! 今日一日、学校中を巡回して、皆さんのバレンタイン・カードを配達します!」

 

 スネイプが、毒でも飲まされたような顔をしていた。

 

*

 

 同じ朝、女子寮の部屋で、ハーマイオニーは鏡の前に立っていた。

 

 ベッドの上に、金色の紙に赤いリボンの小箱が一つ置いてある。医務室のベッドから、両親に頼んでロンドンの店から送ってもらった、ベルギーのチョコレートだった。

 

 去年は、渡せなかった。

 

 朝食の席でも、廊下でも、図書室でも。理由をいくつも並べて、結局一度も手が動かなかった。夕方になって、鞄の底でかさりと鳴った包みのことを、今でも覚えている。

 

 今年は、違う。

 

 医務室のマダム・ポンフリーが言っていた。「あの子、毎日来たのよ。四日目には、扉の前で追い返しても、また来たの」

 

 それに、枕元に置かれていた、銀色の鶴。〈早く、よくなりますように。〉

 

 誰からなのかは、まだ分からない。でも、少しだけ、勇気が出た。

 

「……今日こそ」

 

 ハーマイオニーは、鏡の中の自分に小さく言って、箱を鞄にしまった。

 

*

 

 その日、授業は何度も中断された。

 

 教室の扉が乱暴に開いて、小人が「歌のメッセージ!」と叫びながら飛びこんでくる。宛名の生徒が真っ赤になって机の下に潜りこみ、小人がハープをかき鳴らしながら、調子外れの声で詩を読み上げる。

 

 昼休みの廊下で、ハリーが小人に足首をつかまれて、床に引き倒された。

 

「あなたの目は、緑色、まるで漬けたてのヒキガエル――」

 

 周りの生徒たちが、腹を抱えて笑い転げた。ハリーは床の上で、耳まで真っ赤になっている。少し離れたところで、ジニーが両手で顔を覆っていた。

 

 サミュエルのもとにも、小人は七回やってきた。

 

 七回とも、サミュエルは小人がハープを構える前に、にっこり笑ってカードを受け取った。

 

「歌は、送り主に直接聞かせてもらうことにするよ。そのほうが、きっと嬉しいから」

 

 小人は、不満そうに鼻を鳴らしながら去っていった。カードを送った女の子たちが、廊下の角できゃあっと声を上げていた。

 

 机の上には、今年も小さな山ができていた。リボンをかけた箱。ハート形の包み。パドマのルーン文字のチョコレート。パンジーの「母上に言われたので」。白い上等な紙に銀色のリボンの、パリの菓子店の小箱。黒パンが一斤と、「元気か」とだけ書いた羊皮紙。

 

 パリの小箱のカードには、今年も流れるような字で一行だけ。

 

〈薔薇は二輪とも、まだ待っているわ。――F〉

 

 サミュエルは一つずつ札をつけて、鞄にしまっていった。いつもの光景だった。

 

*

 

 午後の授業が終わった、廊下でのことだった。

 

「……ヴェスゲレート」

 

 呼ばれて振り返ると、ハーマイオニーが立っていた。

 

 両手を背中に回している。頬が、少しだけ赤かった。

 

 サミュエルの周りには、まだ何人かの生徒が残っていた。シェーマスとディーン。少し先には、ラベンダーとパーバティ。廊下の向こうから、ドラコとパンジーが歩いてくるのが見えた。

 

「何?」

 

「これ」

 

 ハーマイオニーは、背中に回していた手を、前に差し出した。

 

 小さな箱だった。金色の紙に、赤いリボン。端に、見慣れない横文字の店名が印刷してある。

 

「去年、渡しそびれたから。……今年は、ちゃんと渡そうと思って」

 

 声が、ほんの少しだけ震えていた。

 

「両親に頼んで、ロンドンのお店で買ってもらったの。ベルギーのチョコレートで、とってもおいしいのよ。私、子供の頃から、これが一番好きで――」

 

 彼女は、早口で言った。言い終わってから、自分がしゃべりすぎたことに気づいたように、唇を噛んだ。

 

 サミュエルは、差し出された箱を見下ろした。

 

 胸の奥で、何かがせり上がってきた。

 

 今日、四十を超える贈り物を受け取った。どれにも、同じ顔で礼を言えた。何を感じることもなく、一つずつ札をつけていけた。

 

 これは、違った。

 

 喉の奥が、熱くなった。手のひらに、汗がにじんでいく。何を言えばいいのか、分からなかった。嬉しい、と、ただそれだけを言えばいいはずなのに。

 

 列車の通路で、扇の話を最後まで聞いてくれた顔。閉館前の図書室で、隣の椅子に座っていた横顔。去年の帰りの特急で、一秒か二秒だけ合った目。それが全部、目の前の小さな金色の箱の中に詰まっているような気がした。

 

 視界の端で、シェーマスがにやにやしている。ラベンダーとパーバティが、ひそひそと何か言っている。廊下の向こうで、ドラコが足を止めて、こちらを見ていた。

 

 みんなが、見ていた。

 

 サミュエル・ヴェスゲレートが、穢れた血からのチョコレートを、どんな顔で受け取るのかを。

 

 その瞬間、口が、勝手に動いていた。

 

 

 

「……マグルのチョコか?」

 

 

 

 軽い声だった。

 

 少しだけ鼻で笑うような、いつもの、からかうときの声。

 

 言い終わった瞬間、自分の耳を疑った。

 

 ハーマイオニーの顔から、色が抜けていった。

 

 差し出した手が、宙で止まっていた。赤くなっていた頬が、みるみる白くなっていく。唇が、何か言おうとして、震えた。

 

 彼女は、何も言わなかった。

 

 箱を持った手を、ゆっくりと下ろした。それから、くるりと背を向けて、廊下を足早に歩いていった。走ってはいなかった。けれど、一度も振り返らなかった。

 

 廊下の向こうで、ドラコが鼻で笑ったのが聞こえた。

 

 シェーマスが、気まずそうに目をそらした。ラベンダーとパーバティは、ぽかんと口を開けていた。

 

 サミュエルは、その場に立っていた。

 

 自分が何を言ったのか、正確に分かっていた。

 

 一言一句。声の調子まで。それが、彼女にとってどういう意味だったのかも。

 

 去年の列車の通路で、初めて彼女に「穢れた血」という言葉をぶつけたときと、同じ声だった。

 

*

 

 気がつくと、走っていた。

 

 廊下を曲がり、階段を駆け下りる。どこへ行ったのか分からない。図書室か。女子トイレか。それとも、塔の上か。

 

 右目は、何も教えてくれなかった。数秒先の未来に、彼女の姿は映らない。

 

 何を言えばいいのかも、分からなかった。

 

 十一月の談話室で、一度、謝った。悪かったね、と。全部、と。

 

 その口で、また、同じことを言った。

 

 謝ればいい。それだけのことだ。ごめん、今のは本心じゃない、と。

 

 ――なら、本心は何だ。

 

 その問いに答えられないまま、サミュエルは三階の廊下の角を曲がった。

 

 そして、足を止めた。

 

 廊下の窓辺に、ハーマイオニーがいた。

 

 一人ではなかった。

 

「おお、ミス・グレンジャー! こんなところで、そんな悲しそうな顔をして、どうしたんです?」

 

 けばけばしいピンクのローブ。波打つ金髪。白い歯。

 

 ロックハートが、小人キューピッドを一人引き連れて、ハーマイオニーの前に立っていた。小人は、ハープの弦が切れたらしく、不機嫌そうに弦を結び直している。

 

「バレンタインの日に、涙は似合いませんよ。私の三冊目の著書にも書きましたがね――『どんな夜にも、必ず朝は来る』。ワガドゥグの吸血鬼の洞窟で、私自身がそれを学んだのです」

 

 ロックハートは、片目をつぶってみせた。

 

「さあ、笑って。君のような賢い生徒が泣いていたら、ホグワーツの損失です」

 

 ハーマイオニーは、窓の外を見たまま、何も答えなかった。

 

 それから、ほんの少しだけ。

 

 本当に、ほんのわずかだけ、口の端がゆるんだ。

 

「……ありがとうございます、先生」

 

 小さな声だった。けれど、さっきまでの真っ白な顔に、ほんの少しだけ色が戻っていた。

 

 ロックハートが、満足そうに頷いて、小人を連れて去っていく。ハーマイオニーはまだ窓辺に立ったまま、手の中の金色の箱を見下ろしていた。

 

 サミュエルは、廊下の角に立ったまま、それを見ていた。

 

 分かっていた。ロックハートの言葉には、何の中身もない。どの本の、どのページから引っぱってきたのかも分からない、空っぽの慰めだ。明日には、本人も覚えていないだろう。

 

 それでも、彼女は、少しだけ笑った。

 

 あの空っぽの言葉で、少しだけ。

 

 自分は、その笑顔を奪ったほうだった。

 

 胸の奥に、これまで感じたことのない痛みが走った。鋭くて、熱くて、どこが痛いのか、自分でも分からない痛みだった。

 

 声をかけようとした。足を一歩、踏み出そうとした。

 

 足は、動かなかった。

 

 何を言えばいいのか、まだ分からなかった。分からないまま声をかけたら、また、口が勝手に動いてしまう気がした。

 

 サミュエルは、廊下の角から一歩下がった。

 

 それから、背を向けて、来た道を戻っていった。

 

 階段の踊り場で、ドラコとすれ違った。

 

「やるじゃないか、ヴェスゲレート」

 

 ドラコは、愉快そうに口の端を上げていた。

 

「マグルのチョコ、だってさ。パンジーが笑い転げてたぞ。去年からおかしいと思ってたけど、ようやく目が覚めたってわけか」

 

 サミュエルは、足を止めなかった。

 

 返事もしなかった。ドラコの横を、何も聞こえなかったように通り過ぎた。

 

「……おい?」

 

 背中で、ドラコの戸惑った声がした。振り返らなかった。

 

*

 

 夕食のあと、談話室の隅で、ロンがサミュエルの腕をつかんだ。

 

「おい。あれは、ないだろ」

 

 ロンの耳が、真っ赤になっていた。怒っているときの色だった。

 

「ハーマイオニー、夕食にも来なかったんだぞ。あいつ、あのチョコ、ずっと前から用意してたんだ。医務室から、わざわざ家に手紙書いて――」

 

「……分かってる」

 

 ロンが、言葉に詰まった。言い返されると思っていたのだろう。

 

「分かってるなら、なんで」

 

「分からない」

 

 サミュエルは、ロンの手をそっと外した。

 

「分からないんだ、ロン。自分でも」

 

 ロンは、ぽかんと口を開けていた。隣で、ハリーが静かに言った。

 

「……謝りなよ、サミュエル」

 

「うん」

 

 サミュエルは、それだけ答えて、男子寮の階段を上っていった。

 

*

 

 その夜、トランクの工房で、サミュエルは今日もらった贈り物の山の前に座っていた。

 

 四十を超える箱。一つずつ、贈り主の名前と中身を書いた札がついている。いつもなら、ここで礼状を書き始めるところだった。

 

 羽根ペンを取った。

 

 一枚目のカードの前で、手が止まった。

 

 頭の中で、同じ光景が、何度も何度も繰り返されていた。差し出された金色の箱。震えていた声。色の抜けていく頬。それから、窓辺で、ほんの少しだけゆるんだ口元。

 

 あの箱の中身を、自分は一粒も知らない。

 

 サミュエルは、羽根ペンを置いた。

 

 その夜、礼状は、一枚も書けなかった。

 

 次の朝、ハーマイオニーは、グリフィンドールのテーブルの一番端に座っていた。サミュエルの席から、一番遠い場所だった。

 

 目は、一度も合わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

女体化ロンのおっぱいを揉みしだくまで死ねない(作者:ハッピーエンド大好きクラブ)(原作:ハリー・ポッター)

▼「俺は死ねない!ロンのクソデカおっぱいをこの手で揉みしだくまでは絶対に死ぬわけには行かないんだ!どうせ死ぬならロンのおっぱいに埋もれて死にたい!」▼クソみたいな野望のために奔走する転生者の活躍を見届けて下さい。


総合評価:2541/評価:8.5/連載:6話/更新日時:2026年10月21日(水) 23:29 小説情報

スリザリンの凡人、なぜか闇の帝王候補扱いされる(作者:ノア)(原作:ハリー・ポッター)

ノア・セルウィンは、スリザリンに入る予定の純血少年である。▼野心はない。▼度胸もない。▼特別な才能も、今のところ特にない。▼あるのは、面倒事を避けるための少しばかりの言葉選びと、最初に小さく嫌だと言わないと後でもっと面倒になる、という妙に現実的な処世術だけだった。▼だが、魔法界は面倒だった。▼血筋。▼家名。▼寮の派閥。▼有名人。▼闇魔術。▼そして、見捨てるに…


総合評価:2481/評価:8.31/連載:5話/更新日時:2026年06月13日(土) 07:10 小説情報

俺のハリポタなんか変(作者:パシフィカ)(原作:ハリー・ポッター)

トムは思わず手元の手紙を二度見した。▼---▼ホグワーツ魔法魔術学校 ▼校長 セブルス・スネイプ ▼マーリン勲章、勲二等、魔法省魔法薬研究顧問、国際魔法薬学連盟会長▼親愛なるブライト殿▼このたび、貴殿のホグワーツ魔法魔術学校への入学がめでたく許可されましたことを、心よりお喜び申し上げます。 ▼教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。▼敬具 ▼…


総合評価:2424/評価:8.52/連載:30話/更新日時:2026年10月24日(土) 04:19 小説情報

闇の魔術大好き少女が認められるまで(作者:闇の魔術連盟名誉会員)(原作:ハリー・ポッター)

例のあの人(ヴォルデモート)の影響なのか、不当に貶められている闇の魔術。▼名前を聞くだけで忌み嫌われるその魔術も、本来は魔法族がもっと便利に、もっと幸せに暮らすために使われるべきもの。▼今はまだ、魔法省の目を避け、地下でこっそり研究を続ける日々。▼けれど、いつか闇の魔術が正当に評価され、誰もがその便利さを認める日を夢見て……▼少女は今日も、無遠慮に魂を弄繰り…


総合評価:2689/評価:8.19/連載:31話/更新日時:2026年09月26日(土) 18:28 小説情報

TSマルフォイの純血主義を矯正したら高飛車ツンデレ幼馴染(傲慢持ち)になった件(作者:マルフォイは貧乳だろボケがふざけんな)(原作:ハリー・ポッター)

チートオリ主がTSドラ子の純血主義を矯正しようとしたらデコ出しツンデレ美少女になったし、どうせ後々外堀埋められる。▼※プロット自力、手直し&所々人力。基本ベースはAI執筆です。


総合評価:15708/評価:9.07/連載:10話/更新日時:2026年10月23日(金) 12:20 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>