十二月の大広間には、十二本のもみの木が立っていた。
ハグリッドが禁じられた森から一本ずつ引きずってきたもので、枝には本物のつららが下がり、何百という蝋燭が灯っている。天井からは、温かくて乾いた魔法の雪が、ひらひらと舞い降りていた。
「休暇は、家に帰るの?」
「うん。ロンは残るんだって。ハリーも」
あちこちで、帰省の話が飛び交っている。
「サミュエルも残ればいいのに。チェスの相手がいないとつまらないよ」
ロンが、残念そうに言った。
「そうしたいところだけど、合宿があるんだ」
「合宿? 休暇に勉強かよ。正気か?」
「父上の命令でね。断ったら、僕の休暇は来年から永久になくなる」
ロンが、うへえ、と顔をしかめた。
廊下には大きなトランクが並び、ふくろう小屋は家への手紙を運ぶふくろうでごった返していた。
帰りの列車の前の晩、談話室の隅で、ハーマイオニーがハリーとロンに話しているのが聞こえた。
「休暇中、いちばんつらいのは、魔法の練習ができないことよ。未成年は学校の外で魔法を使っちゃいけないでしょう? せっかく覚えた呪文、二週間で忘れちゃったらどうしよう」
「忘れるわけないだろ、君が」
ロンが呆れたように言った。
サミュエルは暖炉の前で、シェーマスとチェスを指していた。ナイトを一つ進めながら、顔も上げなかった。
「チェックメイト」
「うわ、またかよ!」
*
バーク家の屋敷に戻った最初の夜、サミュエルはトランクの工房にこもった。
作業台の上に、細い線香を何本か並べる。未成年の魔法の気配を打ち消す、バーク商会の売り物。一本火をつければ、煙が消えるまでのあいだ、魔法省はその部屋で使われた魔法に気づかない。
それを十本、油紙で包む。
隣には、本を二冊。『中級変身術の理論』と、『呪文学――発音と手首の歴史』。どちらも、彼が去年読み終えたものだ。
彼女は、休暇のあいだ杖を振れない。あの頭が二週間も遊ぶのは、単純にもったいない。――それに、ハロウィンの帳尻は、まだ合っていない。
杖を振ると、本は親指の先ほどの大きさに縮んだ。
銀色の紙を一枚取り出し、羽根ペンで短く書きつける。
〈休暇中の練習に。
煙が消えるまでは、誰にも気づかれない。〉
縮めた本と線香の包みを紙の真ん中に置いて、丁寧に折りこんでいく。いつもより少しだけ、ふっくらとした鶴ができあがった。
自室の窓を開けると、冬の夜気が刺すように冷たかった。
鶴は少し重たそうに羽ばたいて、雪の降る暗がりへ消えていった。
*
「魔法省から通知が来ている」
翌朝、食堂でロビンソンが言った。新聞の向こうから、封筒が一通、テーブルの上を滑ってくる。
「三校合同の強化合宿だそうだ。ホグワーツ、ボーバトン、ダームストラング。魔法省の後援で、毎年この時期にやっている」
「一年生は、普通は呼ばれないと聞きました」
「古代ルーンの件だ。お前が去年、古い写本から再現した呪文があっただろう。あれが国際魔法協力部の誰かの目に留まったらしい」
「……ああ」
何百年も前に途絶えた呪文を、写本の欠けたルーン文字から組み直した。家庭教師に見せたら、顔色を変えて父に報告した。それだけのことだった。
「グリフィンドールだそうだな」
「はい」
「マルフォイの息子とは」
「スリザリンのテーブルに、時々顔を出しています。向こうも喜んでいるようです」
「ならいい」
父の視線が、初めて新聞の縁からこちらへ動いた。
「寮などどうでもいい。合宿には、各国の役人や名家の子弟が来る。顔を売ってこい」
「はい、父上」
新聞が、一枚めくられた。
クリスマスの朝、サミュエルの部屋に届いた贈り物は三つだった。
ドラコからは、銀の蛇をかたどったカフスボタン。ハリーとロンの連名で、蛙チョコレートの詰め合わせ。箱の底に、ロンの字で「アグリッパが出たら返せ」と書いた紙が入っていた。それから、ウィーズリー夫人の手編みだという、深緑のセーター。胸に大きく「S」と編みこんである。
父からの包みは、なかった。
サミュエルはセーターを広げて、しばらく眺めていた。それから、そっとトランクの奥にしまった。
*
合宿の会場までは、魔法省の用意した移動キーで飛んだ。古びたブーツに指を触れた瞬間、へその裏を鉤で引っかけられたような感覚がして、気がつくと雪の積もった山道に立っていた。
会場は、ピレネー山脈の中腹にある古い城だった。
今年の当番はボーバトンで、城の中は暖炉の火とラベンダーの香りでいっぱいだった。廊下には、氷の彫刻がいくつも並んでいる。
ボーバトンの生徒たちは、淡い青の絹の制服を着ていた。暖かい城の中でさえ、少し寒そうだ。ダームストラングの生徒たちは血のように赤いローブの上に、分厚い毛皮のマントを羽織っていた。
夕食には、魚介たっぷりのブイヤベースと、焼きたてのバゲットが並んだ。ダームストラングのテーブルには、パプリカのきいた煮込みと、チーズを挟んだ渦巻き形のパイも出ている。
「あなた、ホグワーツの子? ずいぶん小さいのね」
サミュエルの向かいに、銀色がかったブロンドの女の子が座った。
ボーバトンの制服。透き通るような白い肌。彼女が髪をかき上げただけで、周りのテーブルの男子生徒が、何人もぽかんと口を開けて振り向いた。
「十一歳。今年の最年少らしい」
「ふうん。私はフラー。フラー・デラクール。十四歳よ」
フラーは、値踏みするようにサミュエルを眺めた。
「古代ルーンの天才くん、って聞いたけれど。本当かしら」
「天才かどうかは知らないけど、ルーンは好きだよ」
サミュエルはスープを一口飲んで、続けた。
「それより、今日の午後の実技。君の魅惑呪文、杖の返しを半拍だけ遅らせてたよね。あれ、わざと?」
フラーの手が、スプーンの上で止まった。
「……気づいたの?」
「あの遅らせ方だと、呪文の効き目が二倍は長持ちする。教科書には載ってないやり方だ。自分で見つけたの?」
「……ええ。去年、一人で」
「すごいな。周りはみんな、君の顔ばっかり見てたけど」
フラーは、しばらく黙ってサミュエルを見ていた。
彼女の周りでは、相変わらず男子生徒たちがそわそわとこちらをうかがっている。けれど目の前の少年だけは、ブイヤベースのムール貝を器用に殻から外すことに夢中だった。
「……あなた、変わってるわね」
「よく言われる」
フラーは小さく笑った。最初の値踏みするような笑い方とは、少しだけ違っていた。
*
三日目の午後、大広間を使った実技の時間に、サミュエルの番が回ってきた。
「ミスター・ヴェスゲレート。報告書にあった呪文を、皆さんの前で見せていただけますか」
ボーバトンの年配の教授に促されて、彼は石の床にチョークで円を描いた。円の縁に、角ばったルーン文字を一つずつ書きこんでいく。北の国の古い写本に残っていた、千年前の呪文だ。
見物の生徒たちが、ひそひそと話している。
「あんな子供に、何ができるっていうの」
「ルーンなんて、学者の遊びだろ」
最後の文字を書き終えて、サミュエルは円の真ん中に氷の欠片を一つ置いた。廊下の彫刻から、さっき拝借してきたものだ。
腰の箱から細長いものを抜いて、軽く一振りする。
ルーン文字が、順番に青白く光り始めた。氷の欠片の表面に細い亀裂が走り、そこから透き通った芽がのびる。芽は見る間に枝分かれし、氷の花弁を一枚、また一枚と開いていった。
最後には、円の中に、氷でできた一輪の薔薇が咲いていた。
大広間が、しんと静まり返った。
「……氷花の呪文。文献でしか知らなかった」
教授が、眼鏡を外して呟いた。
それから、拍手が起きた。最初はまばらに、やがて大広間じゅうに広がっていく。
その拍手の中で、一人だけ、腕を組んだまま動かない上級生がいた。
ダームストラングの、赤いローブの六年生だった。毛皮のマントの襟に顎を埋めて、鼻で笑っている。
「綺麗なもんだ。だが、氷の花を咲かせて、それが何になる」
拍手が、少しだけ小さくなった。
「敵に投げつけるわけでも、身を守るわけでもない。決闘じゃ何の役にも立たない。千年前の呪文なんて、博物館に飾っておけばいい」
周りの何人かが、気まずそうに顔を見合わせた。
サミュエルは、チョークを置いて、立ち上がった。
「おっしゃるとおり、決闘では使えません」
あっさり認められて、上級生のほうが面食らった顔をした。
「でも、この呪文は、戦うために作られたんじゃないんです。千年前、北の国の王が、一人の女王に贈るために作らせた魔法でした」
サミュエルは、円の真ん中の氷の薔薇を見下ろした。
「王は、南の海辺の国から、妃を迎えました。妃の故郷では、花が一年じゅう咲いていた。けれど、北の冬は長くて、半年のあいだ、窓の外は雪ばかりです。妃は毎日、花のない庭を眺めて、少しずつ、笑わなくなっていったそうです」
大広間は、静まり返っていた。
「王は国じゅうの魔法使いを集めましたが、冬に花を咲かせられる者はいなかった。ただ一人、年老いた学者が、雪と氷から花を作る呪文を書き上げました。氷は、北の冬そのものです。冬にしか咲かない代わりに、冬の中では、決して枯れません」
円の中の氷の薔薇が、天窓の光を受けて、淡く光っていた。
「花の形は、妃が故郷でいちばん好きだった薔薇にしたそうです。最初の一輪が咲いた朝、妃は、半年ぶりに声を出して笑ったと、写本には書いてあります。最後の頁に、王の字で、一行だけ。〈冬は、もう敵ではない〉」
上級生の鼻笑いは、とうに消えていた。
「役には立たないのかもしれません。でも、千年前の人たちは、その役に立たない花のために、ルーンを一文字ずつ刻んだんです。そういう呪文が一つくらい残っていても、いいかなと思って。……今日は、ただ、それをお見せしたかっただけです」
毛皮の襟の中から、顎がゆっくりと上がった。
「……北の冬は、長いからな」
低い声だった。ダームストラングの冬は、きっと、ホグワーツのそれより、ずっと長い。
ボーバトンの教授が、眼鏡を拭きながら頷いた。
「その写本の序文なら、わたくしも読みました。〈冬は、もう敵ではない〉。美しい一行です。役に立つかどうかだけで、呪文を測ってはいけませんね」
上級生は、ばつが悪そうに咳払いをして、小さく拍手をした。ほかの生徒たちが、ほっとしたように、もう一度手を叩いた。
見物の輪のいちばん前で、フラーが腕を組んだまま、じっと氷の薔薇を見つめていた。
*
朝の食堂で、ダームストラングの生徒が一人、隅の席で黙々と黒パンをかじっていた。
浅黒い肌に、太い眉。猫背で、がっしりとした体つき。ほかの生徒たちは遠巻きに彼を見て、ひそひそと何か言っている。
「ビクトール・クラムだ。ダームストラングのシーカーだよ。十五歳で、もうプロのスカウトが来てるって」
ホグワーツの上級生が、興奮した顔でささやいた。
サミュエルは、自分の皿を持ってクラムの隣に座った。
クラムは、ちらりと横目でこちらを見ただけだった。
サミュエルも、何も言わずにパンをちぎった。
しばらく、二人で黙って朝食を食べた。
「……お前、ホグワーツ」
「ああ」
「チビ」
「よく言われる」
「……飛ぶ、好きか」
「見るほうが好きだな。昨日、練習を見たよ。急降下のあと、地面すれすれで箒を起こすの、あれは見ていて気持ちがいい」
クラムは何も言わなかった。けれど、ほんの少しだけ、口の端が上がったように見えた。
それから合宿の最終日まで、朝食の席では、クラムの隣が空いていた。
廊下の陰で、魔法省の役人たちが話しているのを、一度だけ耳にした。
「若いうちに顔をつないでおけば、二十年後に効いてくる。この合宿の本当の目的はそれさ」
「バークの息子も呼んだのか。まあ、あの家の取引先は、どこの国にもいるからな」
サミュエルは足音を立てずに、その前を通り過ぎた。
最終日の朝、城の玄関ホールで、フラーに呼び止められた。
「ねえ。ひとつ聞いてもいい?」
「どうぞ」
「あなた、私の顔を見て、何も思わないの?」
サミュエルは少し考えた。
「きれいだと思うよ」
「……それだけ?」
「でも、それは君が自分で選んだものじゃないだろう? 杖の返しを半拍遅らせるのは、君が自分で見つけたことだ。僕は、そっちのほうに興味がある」
フラーは、ぽかんと口を開けた。それから、ふいと顔をそむけた。
「……生意気な子」
「よく言われる」
迎えの馬車の扉が閉まるまで、彼女は玄関ホールから動かなかった。
*
ハーマイオニーは、自分の部屋の床に座りこんでいた。
両親は、階下の居間でクリスマスの映画を観ている。窓の外では、住宅街の家々の電飾が、赤や緑にちかちかと瞬いていた。
目の前で、細い線香が一本、白い煙を立てている。
休暇に入って最初の夜、窓から飛びこんできた銀色の鶴。開くと、小さな本が二冊と、線香の包み。そして、あの少し右上がりの字。
――ハロウィンの夜と、同じ字だった。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
机の上の消しゴムが、ふわりと浮き上がる。
息を詰めて待った。魔法省からの警告のふくろうは、来ない。三日経っても、一度も来なかった。
縮んでいた本は、自分で元の大きさに戻す呪文を探して、二日がかりで戻した。余白に、誰かの細かい書きこみがびっしりと残っている。
「……誰なの、あなた」
消しゴムが、ぽとりと絨毯の上に落ちた。
「ハーマイオニー、ココア飲む?」
階下から、母の声がした。
「い、今行く!」
彼女は慌てて線香を窓辺の植木鉢に突き立て、窓を少しだけ開けた。冷たい夜気と一緒に、煙が外へ流れていく。
分からない。分からないけれど、この字の持ち主は、彼女が何を一番つらいと思っているのかを知っていた。
*
新学期の初日、サミュエルは廊下でハーマイオニーとすれ違った。
「やあ、グレンジャー。休暇はどうだった?」
サミュエルは、涼しい顔で続けた。
「二週間も杖を握らずにいて、勘は鈍らなかった? 呪文、いくつ忘れた?」
ハーマイオニーの眉が、ぴくりと跳ねた。
「おあいにくさま。とても有意義な休暇だったわ」
「へえ。それはよかった」
「あなたこそ、どこかの合宿に行ってたんでしょう? さぞかし、お友だちがたくさんできたんでしょうね」
彼女はそれだけ言うと、本を抱え直して、すたすたと歩いていった。
その本の余白に誰の書きこみがあるのか、彼女はまだ知らない。
*
ボーバトンの寮の一室で、フラーは窓辺に腰かけていた。
山の上の夜空に、細い月がかかっている。
「ねえ、ガブリエルに手紙を書く前に、ひとつ頼まれてくれる?」
同室の友人が、ベッドの上で顔を上げた。
「何を?」
「ホグワーツの、あの黒髪の子。――少し、調べてもらえる?」