Re.紫華の付与師は今日もお留守番   作:さくさくの森

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諸事情があり再投稿です。
前日譚的な0話なので、読み飛ばしても問題ないです。


第0話 ダンジョンで躍動する紫華

 これは国家最高位の付与師として活躍した、一人の才媛(さいえん)の記録である。世界各地に蔓延る危険なダンジョンを探索し、敵を討ち、貴重な遺物を持ち帰る……そんな動乱に満ちた日常の一幕をここに綴る。

 

 *

 

 底の見えない縦穴の上に、巨大な建造物に繋がる石橋…それも若干崩れかけた橋が掛かっていた。縦穴からは生温い上昇気流が吹きあがるという、異空間として広がるダンジョン内では、割と見慣れたお約束の光景である。

 

「クー子。この橋、渡れるか?」

 

 前を行く隊長のエルドが振り返る。暗がりでも読み取れる整った輪郭と、こちらに向けられた琥珀の瞳はいつもどおり穏やかだ。私は杖の先を縦穴へ向け、鼻先で深く息を吸う。肩に触れる青色の髪が気流に揺れ、紫がかった深青の瞳に、魔力の流れが浮かぶ。

 

(……逆流してるな)

 

 底から天井へ向かって魔力が吸い上がっていた。

 橋は、その逆流に浮かされて辛うじて形を保っている。

 

「このまま踏み出すと、吸われて上に飛ばされるか、橋が崩落する。どこに行くのかは分からないね」

 

「却下だな」

 

「ですよね」

 

 私とエルドのやりとりを聞いていた隣のラナ――栗色の髪を軽く後ろに束ねる仲間の剣士が軽く足を鳴らす。

 

「じゃあどうする? 回り道は?」

 

「右も左も同じ縦穴だから無理だね。設計者の性格が悪い」

 

 設計者はダンジョンそのものだけどね、と皮肉に口を歪ませながら、私は橋の根元に片膝をつき、橋に手を当てた。黒青の軽装コートの裾が地面に触れ、腰の小瓶がかすかに鳴る。

 

 逆流に頼った不安定な支えなら、付与で補強してやればいい。

 

「橋の下側に『土』を付与する。支えを固定して、逆流を断つ。

これで、まともな橋になるはず」

 

「三人だよ、耐えられる?」

 

「三人くらいなら問題ないよ」

 

 ラナの心配に対してわざと軽く返しておいて、自分の魔力操作をもう一度だけ確認する。この程度で外したら紫位(ししい)返上だ。そういう失敗は、ここに来るまでに済ませてきた。

 

「橋に『土』を付与。支えを補強せよ!」

 

 そう言って、私は杖の先から強い光を走らせた。

 橋の輪郭が沈むように安定し、縦穴を吹き上げていた風が脇へ逸れる。

 

「これで大丈夫。揺れは止まったから、普通に渡れるよ」

 

 足元はまるで地上と変わらないほど安定していた。付与の反応も穏やかで、乱れはない。そのまま三人で橋を渡りきることに成功した。

 

「見事な付与魔法だ。」

 

「当然でしょ」と私は肩越しに返す。

「紫華(しけ)の看板は、伊達じゃないんだから」

 

 ラナが笑いながら頷いた。

「いやホント、クー子様様だね! クー子なしだと隊長の【風綾の外套】頼りで、下手したら死んでたかも?」

 

「いやその場合は普通撤退するでしょ……」

 

 隊長ことエルドが、追い詰められた状況でもないのにそんな博打じみた行動を取ることはまずあり得ない。……どうやら我らが隊長も私の発言を肯定してくれたようである。

 

「見るからに罠の橋でも安心安全になるから助かるなあ!」

「まあ、信じてもらえるなら、それで十分だけどね」

 

 ヨイショしてくれるラナの言葉に内心ほっこりしつつも返事は軽くで済ます。私の仕事は、仲間に無茶をさせるための安全を用意することだ。そのために、頑張ってきたのだ。

 

 先行するラナの剣先が光を返し、次の通路の闇が開けた。

 

 *

 

 橋を抜けた先は、随分と静かだった。

 

 巨大な建造物の中の石壁は滑らかで、苔ひとつ生えていない。魔力灯も罠紋もなく、ただ薄闇だけが続いているのに、足音がやけに遠くへ吸い込まれていく。床石の継ぎ目を流れる魔力が、時々、逆向きに跳ねるのが見えた。

 

(やっぱりここ……全体が歪んでいる)

 

 普通のダンジョンは下へ行くほど瘴気が重くなる。だがここは違う。層ごとに流れの向きがねじれていて、そのねじれをごまかすためだけに余計なギミックが噛んでいる感じだ。暫く進み、エルドが周囲を見渡す。

 

「前方に魔力の渦。罠か扉。左は瘴気が濃い。

右は空洞、行き止まりの可能性が高い。進むなら渦だ」

 

「渦かぁ…えっ渦!? …先に小石でも投げない?」

 

 原始的だが慎重な選択肢を提示してくれるラナだが、幸いここには魔法的な知見が深い付与師がいる。オーリスかリディアがいれば任せたかもだけど、今は私だけだしね。

 

「先に調べるわ」

 

 私は軽く肩を回し、杖の先を前へ向けた。

 

 渦の中心で魔力が円を描いている。

 流れは固定され、閉じた輪のように同じ軌道を回り続けていた。外から叩けば弾かれ、中からは出られない――典型的な自己循環型の封鎖陣。

 

「タイプは封鎖。外部干渉を拒んでるだけ。理を壊さなくても抜けられる」

 

「つまり?」

 

「流れを少しずらすだけでいい。止めるより、正しく流させた方が早い」

 

 壊すより整える方が、美しい。私の好みでもある。

 

 渦の手前に歩み寄り、指先を宙に滑らせる。魔力の軌跡が淡い線となって現れ、円の内側を撫でていく。回転の一部に微かな乱れを見つけ、そこへ風の付与を差し込む。封鎖の理が風の理に一時的に上書きされ、輪がほどける方向へ押し出される。

 

 ――音もなく、渦がほどけた。

 

 空間の圧が抜け、奥の通路が静かに開く。

 扉の代わりをしていた膜が霧のように消え、冷たい空気が流れ込んできた。

 

「相変わらず流石の付与だな」

 

「鍵穴がないなら、鍵を作ればいいだけの話」

 

 素直に称賛してくれるエルドに、少し胸を張って言う。

 こういう時くらい、格好つけさせてほしい。

 

「便利な職業ね、付与師って」とラナが笑った。

 

 その笑い声と同時に、彼女の瞳がすっと細くなる。

 ほんの一瞬、楽さを見せてから、次の危険に切り替わるのが速い。

 

「……今の、感じた?」

 

 通路の奥、闇の底で何かが蠢いた。

 肌の下を這うような圧。

 魔力の流れが一拍ずれ、空気が震える。

 

 ラナは一歩前へ出て、音もなく剣を抜いた。

 刃が魔力を受けて淡く光り、彼女の足元の影が伸びる。

 

「前方、強い魔力反応。距離は三十。恐らく階層主だな」

 

「ここまで静かだった分、歓迎が手厚そうね」

 

 私は呼吸を整え、杖を握り直す。

 階層主が何をしてくるかはわからないが、流れが乱れれば必ず見える。

 見えれば、直せる。

 

「俺が指示を出す。ラナ、正面から受けろ。回避より先に反応を見ろ。クー子、後方で補強を入れろ。魔力の流れが変わったら即報告」

 

「了解」とラナ。

「任せて」と私。

 

 エルドが矢をつがえ、静かに息を吸う。

 隊長としての声と動きに、一片の迷いもない。

 その背中を見ていると、こちらも自然と背筋が伸びる。

 

(大丈夫。私がいる。この二人がいる。

 例え理不尽な相手であっても、帳尻は合わせてみせる)

 

 次の瞬間、闇の奥で石が砕ける音がして、黒い靄(もや)が噴き上がった。

 

 ――階層主が目を覚ます。

 

▽ ▽ ▽

 

 黒い靄(もや)が噴き上がり、通路の天井に触れた瞬間、空気の流れがひっくり返った。

 

 押し寄せていた圧が、今度は奥へと吸い込まれていく。瘴気と魔力と、何か得体の知れないものが混ざり、目に見えない渦を作っていた。

 

(嫌な混ぜ方するなあ…)

 

 靄(もや)の中心で、骨のようなものが組み上がる。獣とも人ともつかない輪郭が立ち上がり、石と骨と黒い膜が一体になったなにかが、こちらを見下ろした。下腹部には触手までもが蠢《うごめ》いている。目はない。代わりに、胸のあたりで小さな光がひとつ脈打っていた。その光には複数の細い線が絡み、周囲を舐めるように広がっている。

 

「あれが核か」

 

「歪みの原因が階層主と直接結びついてる…って感じかな?」

 

 階層主から伸びた黒い腕が二本、床に突き立った。

 腕が触れた石が崩れ、ひと呼吸の間に瘴気へと変わる。

 

「クー子」

 

「ちゃんと見てるよ」

 

 エルドの呼び声に応じつつも、観察を続ける。

 相手の性質……核から伸びる複数の細い線。

 まとめて頭の中に引き込んで、余計な情報をそぎ落とす。

 

(核から瘴気を吸い上げて、この層の『理』を削ってる。

 面倒だけど、まだ分かりやすい)

 

「ラナ、あの胸の光に届けば勝ち。触手と床は瘴気まみれ。素足で踏まないでね」

 

「了解。踏んだ時は助けてね?」

 

「もちろん」

 

 言い切る前に、階層主が吠えた。音のない咆哮。空気だけが爆ぜる。

 

 黒い靄《もや》が一斉に飛び、壁に触れた場所から棘のような突起が伸びる。

 通路が一瞬でトゲトゲの巣になった。

 

「封鎖と刺殺の複合ね」

 

「どう見ても歓迎って空気じゃないな」

 

 ラナが一歩踏み出そうとして、棘の間を見てぴたりと止まる。

 

「うわ、これ絶対刺さるやつ!」

 

「なら動く前に整える!」

 

 私は杖を床に軽く打ちつける。

 

「『風』を付与。流れを一方向へ統一」

 

 棘にまとわりついていた靄《もや》が、押し流されるように一方へ偏った。

 即死の針山から、「当たり前に危険だが動線は読める障害物」程度にランクダウンする。

 

「ラナ、右三歩前。刺さらない筋が一本ある」

 

「信じる!」

 

 ラナが駆ける。棘の隙間を縫うように進み、階層主との距離を一気に詰める。

 

 階層主が腕を振る。瘴気の刃が扇状に走る。

 

(あれは真正面から受けちゃダメ)

 

 私は背嚢から自(・)発(・)的(・)に(・)飛(・)び(・)出(・)し(・)た(・)自前の矢を一本手に取る。

 

「『斬』を付与」

 

 矢に短く触れ、付与を仕込み、そのままエルドへ向けて放る。

 

「エルド、これ! 」

 

 彼は振り向きもせずに矢を片手で掴み、その動きのまま弓に番えた。

 

「助かる」

 

 放たれた矢が、瘴気の刃に激突。

 斬撃属性を帯びた矢は刃に負けず、押し込み、刃の軌道を逸らして壁へと散る。

 

「……間に合って良かった」

 

「手助けは無用かもしれんがな」

 

 軽口を挟みつつ、脳の片隅はずっと階層主の核を追っている。

 

 脈動の周期。瘴気の濃度。足元へ回る流れ。

 

(核、防御膜が三層。瘴気、石、骨。真正面から殴ると弾かれる。じゃあ――)

 

 階層主が体を傾け、ラナへ向けて棘を伸ばす。

 その瞬間、核の防御がわずかに薄くなった。

 

「今の角度、覚えた」

 

 どんな理不尽であっても、それを分解して正解に並べ替える瞬間は、楽しい。

 

 階層主の足元から、新たな靄(もや)が這い出した。

 地面がぷくりと膨らみ、ラナの踏み込みの先で、石が沼のように柔らかく沈む。

 

(あ、そこは抜ける)

 

 もう既に踏み込んでいては着地点は変わらない。けれど、まだ間に合う。

 

「先に固める」

 

 私は杖を床へ向ける。

 

「『土』を付与。沈降抑制」

 

 沈みかけた床が一気に締まり、靄(もや)を押し出すように硬化する。

 黒い泥は弾かれ、割れた殻のように四方へ飛び散った。

 

 ラナがそこを蹴り、階層主の懐へ飛び込む。

 

「完璧」と、思わず口の中で零す。

 

 視界の端で、エルドが微かに笑った気がした。

 

 階層主が核を守るように腕を交差させ、骨と黒膜が重なり、即席の防壁になる。

 

「正面、硬いぞ!」と忠告を飛ばすエルド。

 

 ラナが一瞬だけ舌打ちしかけて、剣の柄を握る手に力を込めた。

 この距離、この密度。もしも彼女の剣を本気で解放すれば、その防壁ごと、階層主どころかこ(・)の(・)階(・)層(・)ご(・)と(・)ま(・)と(・)め(・)て(・)断ち斬れるだろう。

 

 ただそれが出来てしまうからこそ、ここではやりたくない。

 

(あれを本気で振(ふる)ったら、確実にこの層ごと崩れる)

 

 このダンジョンは元から理が歪んでいる。

 支えがギリギリで成立している場所で、全力の一撃をぶち込めば、この場どころか上層まで巻き込んで崩壊させかねない。

 

 ここで切り札を切るには、あまりにも過剰だ。

 

「だから、ずらす」

 

 私は核の脈動に合わせて杖先を払った。

 散った微細な光粒が、壁際にふわりと集まる。

 

「『光』を付与――誘導せよ」

 

 粒子はぼんやりと形を保ち、敵の感知を引き寄せる標となった。

 

「防御、左に寄せた。ラナ、空いた方」

 

「了解!」

 

 ほんの一瞬だけ核の横に偽物の光を揺らすと、それに釣られて階層主の防御がそちらへずれる。

 

 それに合わせてラナの剣が軌道を変え、防壁の隙間を抉る。

 骨が砕け、黒膜が裂けたことで核が露出すると同時に、階層主が悲鳴のような振動を撒き散らし、瘴気が膨れ上がった。

 

「反撃が来る!」

 エルドの警告に合わせたかのように、天井から針の雨のように黒い欠片が降り注いだ。

 

「杖に『風』を付与。散逸!」

 

 咄嗟に上方に向けて風を走らせ、落下軌道を乱す。

 すべては防ぎ切れないが、致命の線だけ逸らせばいい。

 ラナとエルドの頭上から、危ないものだけを撫で取る。

 

「クー子助かる!」

 

「礼はあとでまとめて三杯でいいよ!!」

 

 ラナの礼への返答は軽く、意識は核へ集中させる。

 

(次で終わらせる)

 

「エルド、核、射程内?」

 

「問題ない」

 

「じゃあ、派手にやっちゃって」

 

 私は新たな矢を取り出し、付与を仕込む。

 

「『壊』を付与。核を砕け」

 

 階層主の核を完全に破壊するための付与。

 その矢を今度は手で渡し、受け取ったエルドは弦を引き絞る。

 

「今」

 

 合図と同時に、矢が放たれた。

 無駄のない軌道で、露出した核へ吸い込まれていく。

 

 矢が触れた瞬間——壊の術式が連動した。

 

 光が弾け、核が内側から崩れる。

 

 階層主の体を形作っていた靄と骨と石が、一度ふくらんでから、音もなく崩れ落ちる。瘴気の渦も分解され、薄い霧になって天井へ散った。

 

 静寂が戻る。

 

 私は杖を支えに、ひとつ息を吐いた。

 

「……よし」

 

 ラナが剣を振り、残った靄を払いながら向き直る。

 

「終わり?  ねえ、今の結構ギリギリじゃなかった?」

 

「大丈夫。全部見えてた」と私は答える。

 

「ほんとに?」と半眼で覗き込まれるので、少しだけ顎を引く。

 

「ちょっとだけ楽しかったのは本当だけど?」

 

「そこが怖いのよね、クー子」

 

 楽しもうと手を抜いたことは一度も無い。それが私の信条でもあるのだから。

 ラナも分かっているからこそ、こうして信頼してくれるのだ。

 

 一方、エルドが矢を戻しながら、近づいてくる。

「危なげはなかったな。紫華(しけ)の名に恥じない仕事ぶりだった」

 

「ちゃんと褒めてくれるの、隊長だけだよ」

 

 思わず口に出てしまい、少し遅れて頬が熱くなる。

 

「え、ちょっと今の無し。忘れて」

 

 エルドが「記録しておこう」と呟く。

 

「やめて?」

 

 あまり冗談を言わないエルドの珍しい対応に、ラナが横でけらけら笑っていた。

 

 

***

 

 

 戦闘の余韻が引いていく中で、周囲の魔力の流れを確認する。

 さっきまで狂っていた層の理が、ゆっくりと「普通」に寄っている。

 

(やっぱりあいつが、ここを歪めていた原因か)

 

「階層主撃破。封鎖ギミックも死んだね」

 

「この先の階層も、少しは素直になっていると助かるが」

 

「そんな優しいダンジョンなら、そもそも私たちが呼ばれてないんじゃない?」

 

「それもそうか」

 

 私は小さく笑って、前を見た。

 

 厄介な仕掛けはまだ続くだろう。

 けれど、この程度なら手が届く。

 私が整えて、二人が叩く。その形が機能する内はなんの心配もない。

 

(大丈夫。私はまだちゃんと必要とされてる)

 

 そう思い込みたい気持ちを、少しだけ胸の内で笑い飛ばす。

 

「さ、進もうか。せっかく来たんだし、もう少し暴れて帰ろう」

 

「『光焼く翼』らしくな」

 

「次は私にも優しいギミックだといいな」

 

 三人で歩き出す。

 歪んだダンジョンの奥へ、灯りの代わりに私たちの足音が伸びていった。

 

▽ ▽ ▽

 

 階層主を倒したあと、ダンジョンは少し素直になった。さっきまで縦穴から逆流していた魔力は落ち着き、棘じみた瘴気の圧も引いていく。歪みは残っているが、「この階層ごと崩れますよ」というほどの危険はもうない。

 

「残りの区画を確認する」

 

 危険が無くなると、エルドは口調が若干和らぐ。

 戦闘や作戦行動中の方が、この人はずっと鋭いからね。

 

「どうせなら、お宝もしっかり回収しないと」

「本命はそっちだしね」

 

 今回の依頼は異常階層の調査と遺物の確保。

 階層主を倒して終わり、ではない。

 ダンジョンを探索して価値あるものを持ち帰るのが、探索者の仕事だ。

 

 *

 

 階層主がいた場所から伸びる側道を、三人で順に潰していく。

 

 一本目の通路では、残留瘴気を吸い上げて爆ぜる罠石が連鎖していた。

 私は袖をまくり、魔力の流れを指先でなぞる。

 

「ここから先の石、全部吸い込み型。

 起動したら面倒だから――風で外側に流し替える」

 

 理が組み替わると、罠石は吸い込みを失い、ただの石に戻った。

 

「相変わらず容赦ないね、罠に」

 

「暴発させる方が可哀想だと思うけど」

 

 二本目の通路では、空間をねじる幻影が残っていた。

 踏み込むたびに距離がずれ、同じ場所に戻される典型的な迷路型。

 

「ねじれてる軸、ここ一本だけだから」

 

 私は杖先で触れ、光で一本の線を通す。

 

「この線を外さなければ出口。外したら堂々巡り。正解ルート確定」

 

 エルドが迷いなく頷き、「頼りにしてる」とあっさり告げて進む。

 

「ね、便利でしょ、付与師って」ラナが肩を揺らしてみせる。

 

「いや…それ私の台詞だからね?」

 

 三本目の小部屋で、ようやく今回の目標物に行き当たった。

 

 階層主の核と同じ材質の、黒水晶めいた結晶塊。

 ただしこちらは暴走の気配がなく、周囲の魔力を安定させる形で固定されている。

 

「階層主と対になってたのかな」

 

「持ち帰り対象だね」

 

「触って平気?」

 

「素手はやめておこう。運び用に包む」

 

 包みに使う厚手の布が、私の背嚢からまたしても自発的に飛び出す。便利で結構。だからこそ、この背嚢は私の相棒なのだ。私は布に『土』を付与し、重さではなく「動かず、漏れにくい」方向に偏らせた固定の理に整える。

 

 結晶には触れず、布でそっと包み込む。

 

「これで運ぶ分には問題ない。中で暴れても、そう簡単に外へ抜けないはず。いや…まず抜けない。中身を起こして詳しく調べるのは研究班の仕事だから、そこまでは安全に運ばないとね」

 

「その『はず』を言い直すところ、なんか好き」とラナが笑う。

 

「そこ拾わなくていいってば」

 

 エルドが小型の保管箱を差し出す。魔力遮断処理が施された標準装備だ。

 包んだ結晶をその中に収め、蓋を閉める。

 

「これで搬出用としては十分だろう」

 

「うん。あとは外の人たちの仕事」

 

 他の小部屋も確認し、小型の魔導器や素材になりそうな破片をいくつか確保する。危険そうなものには手を出さず、持ち帰っていいものだけを選別して。

 

 最終的に、「危険物:提出」「有用物:引取選択可」がきっちり仕分けできた。

 

 エルドは踏破扱いに問題なしと結論づける。

 

「やっと終わったね」と私は背伸びをして筋肉をほぐす。

 

「じゃ、帰ったら風呂と美味しいやつ」

 

「ラナ、三杯忘れないでよ」

 

「一杯と言わずに三杯要求って、お姉さんどうかと思うな」

 

 転移陣までの帰路は、私が軽く整えておいた通路を辿るだけだった。

 足元は安定し、罠も沈黙したまま。

 紫位――国家最高位の付与師が「安全」と言ったルートは、その言葉どおりにおとなしい。

 

 *

 

 転移陣の光が弾け、視界が白く反転する。

 

 次の瞬間、頬を撫でるのは冷えた地上の空気。いつもの検査区。どのダンジョンにも設けられている、帰還と報告のための場所だ。迎えの監査官が、私たち三人の姿を確認して小さく笑う。

 

「『光焼く翼』、帰還確認。今回は定員どおり三名のみの出撃でしたね。

 異常階層の状況は?」

 

 エルドが淡々と報告する。

 階層主の撃破、循環異常の収束、残留瘴気が許容範囲であること、遺物の確保と後続確認に移る旨をまとめて伝える。

 

 私は箱と袋を差し出す。

 

「こちらが回収した遺物になります」

 

 監査官は迷いなく受け取り、小さく頷く。

 

「承知しました。さすが『光焼く翼』です。詳細は報告棟でお願いします」

 

 驚きも疑いもない。

 ただ、『期待どおり』という目。

 

(……うん、それでいい)

 

 *

 

 報告棟の一室で、正式な報告を行う。

 

「――以上が当該階層の踏破経緯と、遺物回収状況になります」

 

 私は席を正し、指定された用紙と端末に必要事項を入力する。

 

 異常階層の構造、逆流していた魔力の向き、階層主の性質。

 回収した結晶と、その他の素材や器具。

 今後、国側の管理下で利用可能と思われる安全度。

 

 エルドが横から補足し、ラナが実戦中の挙動を説明する。

 

「危険因子は排除済み。現状、一般探索パーティの立ち入りは制限付きで可能。深追いさえしなければ、踏破済みダンジョンとして運用できます」

 

「ありがとうございます。遺物に関しては、解析後に折半対象を通知します」

 

 報告を受け、足早にその場を離れる事務官。

 それと交代するように別の担当者が私たちへ一瞥を向け、静かに頷く。

 

「本件、想定より早い収束でした。『光焼く翼』に任せて正解でしたね」

 

「紫煌(しこう)と紫華(しけ)、それに剣神まで揃っているなら妥当な結果だな」

 

 褒めるでも疑うでもない。

 そ(・)う(・)い(・)う(・)も(・)の(・)として受け止められている響き。

 

(……そういう扱い、嫌いじゃないね!)

 

 エルドが署名を終え、立ち上がる。

 

「以上で問題ありませんか?」

 

「はい。皆さま、お疲れさまでした」

 

 部屋を出たところで、ラナが大きく息を吐く。

 

「終わったー! ねえクー子、今日くらい良い店いこうよ。打ち上げしたい!」

 

「もちろん。そのつもりで働いてたまである」

 

 ラナは勢いよく振り返り、隊長にも行くかと尋ねる。

 

 エルドは軽く手を上げて制し、胸元から〈探索者証〉を取り出す。

 薄い金属板の表面に指先で印を描き、短く魔力を流す。

 

「……隊全員に送った。異常階層の処理完了、三名無事帰還。詳細は後で共有する」

 

 ラナが胸を撫で、「これで留守番組も安心だね」と微笑む。

 

「心配させたまま飲みに行ったら、さすがに怒られるし」

 

 エルドは小さく頷き、「一杯だけ付き合おう」と扉へ向き直る。

 

 *

 

 夕刻、街の上に橙の光が沈みはじめた頃、一軒の店の個室でグラスが重なる。

 

 透明度の高い琥珀酒。香りのいい果実酒。

 揚げたての肉料理に、ハーブをきかせた温かいスープ。

 

「改めて、階層踏破と遺物回収、お疲れさまです。乾杯」

 

「「かんぱーい」」

 

 グラスを傾け、一口含む。

 喉を落ちていく熱と香りに、ようやく体が「ああ、終わった」と理解する。

 

「クー子、ほんと今日よく動いてたね」

 

「普段から動いてるよ?」

 

「うん、でも今日は特にらしかった。頼りがいってやつ」

 

「それは隊長にも言ってあげて」

 

 エルドは穏やかに笑い、相変わらず楽しそうに酒を飲むものだと柔らかく言う。

 

 胸の奥がぽっと温かくなる。

 

(そう。ちゃんと役に立ってる)

 

 紫華として前線に出て、理を整え、二人の攻撃を通して。

 遺物をきちんと持ち帰り、「さすが光焼く翼」と称賛される。

 

 それが当たり前だと思っていた。

 そして、これからもずっと、この形だと疑っていなかった。

 

 ラナがじっと覗き込んでくる。

 

「ねえクー子、嬉しそう」

 

「……嬉しいよ。仕事が無事に終わって、美味しいお酒飲んでるからに決まってる」

 

 照れると言いつつ、私はグラスを重ねる。

 

 この日、私は心のどこにも不満を抱えていなかった。

 

 だからこそ――この少し後。

 同じような店の片隅で、酒瓶を片手に、

 

 最近ずっと留守番なんだよね、とぼやいている自分の姿なんて。

 

 本気で、一ミリも想像していなかった。

 




なろうで完結済みの小説のリメイクとなります。
ただ全編を再構成するのは、モチベ的にも時間的にも不可能と判断したため微修正版です。
1話をお気に入り登録して頂いた方…申し訳ありません。

ただその分、投稿ペースは担保出来るかなーと思います。

パラレル後日談の『とある付与師の帰還録』も完結済みです。
※こちらはハーメルン。
HUNTER×HUNTERとのクロス二次創作です。
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