第11話 命を預ける場所
その日、エルド・フェルナーは机上の地図を見つめ、しばし指先を眉間に当てていた。木机には封蝋付きの依頼書が二通。
「……二件か」
昼下がりの作戦室に、曇天の光が静かに差していた。
二件の探索依頼。そのどちらも一筋縄ではいかないとされる難度。一方は北方旧街道沿いの〈
それだけならまだいい。
だが、その裏に政治の匂いがある。
――月影国。
周辺でも有数の力を持つ隣国であり、かつて幾度も競い合った相手。
近く予定されている会談では、聖遺物の確保数がひとつの材料になるらしい。
上が騒がしくなる理由は、探索者である自分にも分かる。
(……その上での二件の依頼)
「どちらかを後回しには…出来ないな」
独り言に返す声はなく、最初から結論はひとつ――同時に動くしかない。
問題は、誰に舵を取らせるか。
自分が一方に入るのは当然として、もう一方の隊をどう編成するか。
エルドは筆を取り、依頼書の端に名前を書きつけると、すぐに伝令を呼んだ。
『クーデリア・リーフィス』
『トゥリオ・ハルヴァ』
◇◇◇
呼び出しを受け、私(クーデリア)は作戦室へ向かった。
扉を開けると、エルドとトゥリオがすでに中にいた。
机上の地図には赤い印が二つ示されている。
「急にすまない。祝勝会から数日、皆も休養の最中だろうが――」
エルドは顔を上げた。
「国から探索依頼が二件届いた。どちらも上位難度だ。」
「二件同時、か」
トゥリオが片眉を上げる。
「面倒な話だな」
「ああ。ただ、断る訳にもいかない。」
エルドは依頼書を指先で示す。
「来月、月影国との会談がある。ご存じの通り、彼らとは表向き友好的に交流があるが、実際には国力も技術も拮抗していることもあり、互いに意識するライバル国だ。外交の場で主導権を握るには、それ相応の成果が要る。」
「例えば聖遺物……とかでしょうか?」
言葉の途中で、すでに答えは見えていた。
探索者に求められる大きな成果なんて、他に心当たりはない。
因みに神器はあり得ない。サンライズ王国の国宝として、今はラナが扱う【神剣ラグナ】があるけれど、あれ以外は建国どころか古い記録を遡っても一度も見つかっていない。伊達に国宝扱いではない、ということだ。
「そうだ。そうした発見は単なる戦果ではなく、国の抑止力にもなる。この国がまだ衰えていない証明でもあるな。あくまで国側の都合だが…探索者として要請に従わない訳にもいかないのが歯痒いところだ」
エルドは地図上の二点を指で叩いた。
「どちらも急を要する。
故に今回は二隊に分け、同時に攻略する」
「……分隊、ですか」
「『光焼く翼』としては、初めてになるな」
エルドは頷いた。
「瘴気の深い〈墨濛の塔〉には俺が向かう。
もう一方の〈白礫の洞〉――その指揮を、クーデリアに任せたい。」
「……私に、ですか?」
思わず声が漏れた。
トゥリオの方が年次も上で、経験も豊富だ。
「ですが、トゥリオの方が――」
エルドは静かに首を振る。
「クー子の観察と判断の確かさ、そして場を読む力。それらは隊の中でも際立っている。それに付与師として隊全体を俯瞰し、適切な支援を施してきた実績…集団の指揮には、それらの力が必要不可欠だと判断した」
トゥリオが腕を組んだまま短く言った。
「俺は後ろで支える。判断はクー子がした方が早い」
それだけ。
だが、それで十分だった。
「トゥリオが支柱となり、お前が舵を取る。それが理想だ。」
エルドの声が穏やかに重なる。
私は小さく息を整え、うなずいた。
「……拝命しました」
「ありがとう」
エルドはわずかに表情を和らげる。
「人員配分は追って伝える。
俺の側は瘴気対処、クー子の側は前衛と索敵を中心に」
「わかりました。初回探索は何日後になりますか?」
「三日後を予定している。二日を準備に、前日は休息を。……大変な任務になるが、皆なら必ずやり遂げられる。俺はそう信じている。」
「了解」
「任せてください」
エルドは静かに頷く。
「他のメンバーには俺から通達する。
二人は各自準備を」
立ち上がったトゥリオが、扉の前で一度だけ振り返る。
「クー子」
「はい?」
「お前が指揮なら、それでいい。俺は前で守る。それだけだ」
それだけ言って、彼は去っていった。
扉が閉まる音が、作戦室に短く残響した。
三日後――二つの道で、二つの剣が抜かれる。私はその片方の舵を取る。その責任の重さを胸に、エルドへ一礼し、静かに部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
しばらくして、通達が降りた。
編成は――
私、トゥリオ、ラナ、氷雨。
もう一班は、エルド、オーリス、ヴァルク、リディア。
通信用の魔導符を通じて、手元の〈探索者証〉に光が走る。指先で触れると、視界の前に文面が投影された。内容は本人と同班の登録者だけに可視化される仕様で、他の隊には一切共有されない。互いの名と所属班だけが短く浮かび上がり、それが消えると同時に、静寂が戻った。
私は深呼吸をひとつ。
今回、エルドは別班――
『光焼く翼』としては、私たちだけで潜る初めての探索になる。
◇
資料室の片隅、空き卓を確保して四人で集まる。机上には〈白礫の洞〉の調査書が積まれていた。表紙を撫でると、粉状の鉱粒が指に残る。洞窟内で採取された試料を混ぜた紙だ。白礫の性質を模した報告書――どうやら、そういう演出らしい。
「じゃ、始めようか。……私がリーダーを預かる。異論は?」
「ない」トゥリオが短く答える。
「賛成っ。クー子が一番やりやすい」ラナは即答、笑顔。
「僕も、異論はないよ。指示系統は一つの方が速い」氷雨が軽く頷く。
胸の奥で、きゅっと何かが締まる。
認められるというのは、嬉しさと同時に、背中へ重りを載せられる感覚だ。
「まず、スケジュール。会談は来月。踏破リミットは残り十八日で、目標は十五日以内。無茶ではないけれど、凄く余裕がある訳でもない。準備は今日から圧縮して進めるわね」
三人とも、軽口を挟まずに頷いた。
私は資料を開く。現時点で確定している情報は…二層までだ。
「既知情報。階層は推定五層。調査済みは二層まで。入口から一層にかけては白礫――小石状の堆積が床面を覆っている。足音は吸われず、むしろ転がる音が響く。浮き石多し。片足荷重は厳禁」
「ふむ。盾の縁で均して進めば、列の転倒は減らせる」とトゥリオ。
「ただ、問題はそこだけじゃない。ここ、注記が多い」
私は指で段落に印をつける。
「〈白絹苔〉――乾いたように見えて、踏むと滑る。それから〈無響域〉と〈反響域〉が交互に出る。声が届かない場所と、逆に二重三重に聞こえる場所がある」
「掛け声と合図、視覚中心に切り替えた方がいいね。僕が前後の光標を出して、列の導線を保つ」
氷雨が記録に書き加える。
「助かる。……もう一つ。粉塵。白礫が擦れて舞う粉が厄介。喉と眼の刺激。それ自体はただの石灰質だけど、濃度が上がると
「洞の、脈動?」ラナが目を瞬く。
「周期的な微振動。壁面の結晶層が共鳴して、空気の密度が変動する。呼吸が浅くなる時間帯がある。走ると転ぶ。――たぶん、転ぶだけで済めば良い方」
「厄介だね。息合わせの合図、増やすかな」ラナは拳を握ってみせる。
「クー子の合図で止まる・屈む・下がるの三つ、手信号で統一しよ」
「決めよう。手信号は……これで」
三人の手を取り、形を確認する。
指先に触れた温度が、緊張をほんの少しほどいた。
ページを繰る。二層の欄外に、赤い印がある。
「〈白礫の雨〉……嫌な響きね」
白礫の雨。
天井のポケットに詰まった小石が、脈動に合わせて突然落下する現象。防御は容易だが、床面が瞬時に転石の川になり、足を取られたまま浅い斜面で流されると、集積窪地に吸い込まれるという。
「僕が先に天井の影を薄める。粒の輪郭が浮くから、ポケットの位置が読める」
説明を読んだ氷雨が対処を提案してくれた。
こちらの班に居てくれるのが本当にありがたい。
「助かる。……敵性生物。一次報告では〈
「殻割りは俺の役目だな。打点を作る。ラナ、側面を刈れ」
トゥリオが淡々と配分する。
「了解っ。じゃあ初動は、トゥリオが道を作る、あたしが捌く、氷雨が索敵と探査で――」
「私が場を整える。足場の補強を優先して、〈白絹苔〉には滑り抑制の付与を施す。隊列の切り替え時の転倒は、可能な限り防ぎたい。」
「切り替えのタイミングは、クー子の判断に従う」
「うん、クー子が前でいいと思う。合図が速いから」
「エルドの代わりじゃなくて、クー子のやり方で引っ張って」
三人の言葉が、まっすぐ胸に落ちる。
私は頷いて、次のページを開いた。
「次の第二層は――」
◇ ◇ ◇
筆記具が紙を走る音だけが、しばしの間、卓上を支配した。気づけば外の光が傾いている。窓辺の埃が筋を描き、陽が沈む。
「――最後に、エルドがいない件」
「今まで無意識に任せていた場の安定を、自分たちで作らなきゃならない。だから、指示は一歩早く、半分短く。私の言葉は簡潔にする。各自が次の一手を一枚ずつ持って、被せてほしい」
「了解」
「任せて」
「うん」
「――それと、私が詰まった時は、遠慮なく遮って。格好はつけない。十五日の中で、正解の回数を増やす」
◇
話はまとまった。筆記具が止まり、静寂が落ちる。
短い確認を終えると、誰からともなく席を立った。資料を束ねる音、椅子の脚が床をこする音――その一つひとつが、現実への切り替えを告げている。
ラナは笑って手を振り、氷雨は静かに頷き、トゥリオは何も言わずに去っていく。それぞれの背中に、次の準備へ向かう覚悟が宿っていた。
私は残った紙片を整え、封を戻す。軽く手を払い、わずかに付着していた白い粉を散らしてから、すっと立ち上がる。
扉を押し開けると、廊下の空気はひんやりしていた。ここからは、エルドのいない探索が待っている。
――これは、大変だぞ。
その言葉が、胸の底で小さく響いた。