空気が、少しずつ落ち着いていくのが分かった。
白礫と墨濛――二つのダンジョンが重なり、一つの大きな器になっている。
私たちは八人で、定員を超えたまま最深へ向かっていた。
先頭はエルド、隣にトゥリオ。後列にオーリスとヴァルク。中央にラナと氷雨、後方にリディアを控え、そして私が最後尾で全体を俯瞰しつつも警戒を続ける。エルドを補助する形で氷雨が索敵をし、オーリスの光が周囲に漂う瘴気を緩和した。
道中は、ほとんど駆け抜けた。
崩れた回廊の先では、白礫の〈
洞と塔の理が混ざり合い、生まれたものだ。
並大抵の固さではなく、数も多い。
しかしこちらも八人フルパーティ。
エルドの指揮も合わされば、そうそう負ける訳もない。
トゥリオが盾で受け、氷雨が幻影で誘導する。ラナの短剣に『斬』を付与し、関節を断つ。ヴァルクが黒い囁きを呪釘で縫い止め、駄目押しにエルドの《
「すまん…燃え方がイマイチじゃの」
「そりゃ硅殻系だし、熱伝導悪いもんね」
数匹の生き残りに対し、今度は『壊』を付与した杖で叩く。
弱っていたこともあり、一撃で粉々に砕け散った。
「振動系の魔法覚えとったかな儂…」
少し自信なさげなリディアを横目に、彼女の魔法構成を思い出す。火をメインに風・雷の魔法も修めていた筈なので…残念ながら恐らく該当は無い。硅殻は絶縁なのでまず雷も効かないだろう。
少し考えている間に、どうやらエルドと氷雨が正解の経路を探り終えたようだ。私は思考を切り替えて皆についていく。
* * *
幻覚・幻聴・迷宮化etc
その後もダンジョンからの殺意をありありと受けつつも、八人の歩調は崩れない。いくつもの分岐を抜け、私たちはこの器の中心…最奥を目指す。
「……ヴァルクと探索するのは初めてだね」
歩調を合わせながら、私は軽く肩越しに言った。
「そうだな。互いに別個で動くことが多かった」
ヴァルクが応じる。
視界の端で、彼の肩口から黒い靄のような魔力が立ちのぼる。
それは風でも蒸気でもなく、意思を帯びた魔力の漏出だった。
私は何気なく『光』を付与した杖先を彼に近づける。
「……あら」
「悪いな。俺の呪具は他の干渉を嫌う」
「嫌うってレベルじゃないでしょ、これ」
杖に付与した『光』は、もう跡形もない。
「立ち上ってる
「付与は作り変えるのだろう。俺の方が強ければ消える」
「まるで磁場干渉ね……面倒な男」
「互いにだ」
ヴァルクの呪具に付与は効かないし、付与した素材が
これが私がヴァルクと組めない最大の理由である。釘でも縄でも、付与したものを扱えるなら幾らでもやりようはあったのだが…こればかりは仕方がない。
付与が効かない『意志ある魔力』が常に立ち昇る。
エルドよりもよっぽど全身聖遺物男(呪)である。
無駄話は程ほどに切り上げ、今度はオーリスの補助に回る。実際、彼女の瘴気緩和が無ければ、私の分隊はあのまま全滅していた可能性が高いだろう。それこそ、感謝の気持ちをストレートに伝えたい思うくらいには、大いに助けられた。
(ヴァルクと違って付与での手助けも出来るから、俄然やる気が出るね!)
* * *
――やがて天井が高くなり、徐々に空気が軋みだす。
音というより、胸の奥を震わせる波。
理そのものが、こすれ合っている。
最奥の広間は、不自然なほど静かだった。中央には黒い柱。白礫の台座と墨濛の壁が繋がれ、継ぎ目に淡い光が流れている。柱の根元では魔力が渦を巻き、吸いも吐きもしない。ただ留まっていた。
「……ここが最奥だな。階層主に相当するものが出現する可能性が高い。ここからは作戦通りに進めるが…準備は良いか?」
エルドの言葉に従い、パーティ全員が淀みなく動く。
「了解。杖と地面に『風』を付与…出現に備える」
「僕は周囲に目印を置く。空間の歪みも同時に測るよ」
「敵の封じは俺が請ける。一度やると上書きは出来んがな」
「こちらは瘴気緩和を維持します」
「儂はいつでも撃てるぞ」「前は俺が抑える」「斬るのは任せて」
全員が既に、準備万端だ。
白礫と墨濛の理は、既に統合を終えた今となっても、未だ噛み合っていない。互いを削り合い、侵食し合うような…そんな不安定な状況が継続しているような状態だ。
――その時だ。
広間の中央に穴が開く。
黒でも白でもなく、ただ色が抜け落ちた、形の無い空白。
その縁で、オーリスの光膜が泡立ち、ふっと消えた。
「くっ…もう一度!《
オーリスが再度、瘴気緩和の防護術を発動する。
「……消えた?」氷雨が空をなぞる。
「僕の目印が、無くなっていく!?」
「魔法が……剥がれていっている?」
私は今起こっていることを理解し、言葉が震える。
見たはずなのに、形容が残らない。
視線を合わせると、言葉が擦れていく。
「まるで
「名は仮だが、機能は明確だ。理を喰い、意味を剥ぐ」
「トゥリオ、前へ。物理は残る」エルドの声が響く。
「了解」重盾が一歩で間を詰める。
盾が歪む。見えない歯が概念を削る。
だが質量は残る。盾は動かない。
「封じの準備に入る。閉じる結界ではない、封じのための縛りとする」
ヴァルクの周囲に呪釘が浮かび、光の線が床を這い、影を結ぶ。
彼の
私の付与とは別の系統だ。
理喰らいが、盾の縁を舐めるように動く。
世界の余白が削られ、『それ』が満ちていく。
距離が歪み、深度が狂う。ラナが踏み込みかけて止まった。
「視差を補助する。――《
氷雨が幻の平面を三枚、斜めに立てる。
光が曲がり、理喰らいの輪郭が浮かぶ。
幻は実在を必要としない。
「よし、輪郭が見える」エルドが矢を番える。
「クー子、ラナの刃に『斬』を」
「了解。『斬』を付与!」
短剣への付与を濃くしても、きっとすぐに剥がされてしまう。
だから薄く、何層にも重ねるのように構築する。
今彼女の手にあるのは、【神剣ラグナ】ではない。神器を解放すれば敵を断てるかもしれないが、体力の消耗は著しい。敵の全容を把握する前に奥の手を切るは下策。故に今は短剣を選び、敵の深さを測るのだ。
「第一段」ヴァルクの声。釘が床を貫き、影が重なる。
世界のノイズが増え、理喰らいの動きがわずかに鈍る。
「第三段まで持っていく。時間を稼げ」
「任された」トゥリオが盾を打つ。金属音が反響し、
音の『意味』がずれる。理喰らいの動きが止まりかける。
エルドの矢がその隙を貫き、氷雨の幻が何度も理喰らいを包む。
それらに対応してか、理喰らいは学習するように形を変え、氷雨の幻が歪む。距離が揺らぎ、床が沈む。私は衣服に再度『風』を付与、風圧で重心位置を無理やり補正した。
「第二段、封じ狭縮」
ヴァルクの釘影が輪を描き、床と空気が軋む。
呪の糸が、無数に交差した。
理喰らいの周囲に目に見えぬ膜が張られ、動きがわずかに遅れる。
圧力が生まれ、世界の継ぎ目が締まっていく。
「今度は儂の番よ」リディアが杖を掲げる。
「《
焔が奔り、広間を包む。爆発ではなく、照らす焔。
外縁を焼き、動きを鈍らせる。理喰らいの表層が波打ち、
剥がれた理が光の粒となって散った。
その刹那、ラナが一閃。
刃が確かに『何か』を裂いた。
「第三段、封じ完了。動き、鈍化」ヴァルクが息を吐く。
「ここからは保持戦。クーデリア、環境保全を頼む」
「分かってる」私は頷き、導線札を四枚並べた。
『風』と『土』を交互に織り込み、床と空気を一つの流れに編む。
揺らぐ空間を支える、見えない道標を作るために。
「全員、備えろ」エルドの声が静かに響く。
「ここから本格的に叩く。ヴァルクの縛りが効いている間に、削り切るぞ」
氷雨の幻が再び線を引き、視界が揃う。
トゥリオの盾が正面を塞ぎ、ラナの刃が構えられる。
リディアの杖先が熱を宿し、オーリスの術が瘴気を緩和する。
ヴァルクの釘影が締まり、エルドが弓を引き絞る。
私は札を指に挟み、杖を構えた。
理喰らいが、再びこちらを向く。
静かな均衡が、崩れる――
こうして、本格的な戦闘の火蓋が切られた。