執筆当時苦労したんやろな…
理喰らいの影が、空間の中心で
形の定まらない闇が息を吸うたび、世界の輪郭が削がれていく。
音が消え、温度が消え、存在の意味すら曖昧に変わっていった。
それはヴァルクによる縛りすらも例外とはいかないようだ。
釘影が揺らぎ、縛りの光が滲んで消える。
理喰らいは抵抗するでもなく、ただ『意味』を吸い取っていった。
氷雨が手を
「――《
幾重にも折り重なる幻が理喰らいを包み込むが…映し出された像が触れた瞬間、輪郭ごと溶けてしまう。
光も影も、どちらも存在として認識されない。
「……幻ですら拒むんだ」
氷雨が小さく息を吐く。
続いて、リディアが杖を掲げる。
「なら、焼き払うまでよ。――《
紅蓮の焔が奔り、空間を薙いだ。しかし、炎は届く前に色を失い、灰のように散った。
「魔法抵抗……というより、こちらの
縛りも魔法も幻も効果が薄い…付与した装備で攻撃してもきっと同じことだろう。私は杖を握り直し、息を整える。
「何も効かないなら、やり方を変えるしかないね!」
ラナが短剣を回しながら振り向く。
「変えるって、どうやるのさ!?」
「与えるんじゃなくて、ぶつける。
あちらの理を上書きできないなら、こちらの理を叩きつけるの」
「よく分からないけど…衝突させるってこと?」
「そう。理喰らいはあらゆる理を喰らっている。なら、喰われる前にこちらの理で殴る。付与の本質は、世界の理を少しだけ滑らかにして、魔力が自然に流れるように整えること。つまり、理そのものへの干渉だって不可能じゃない!」
私の声が自然と強くなった。
「試す価値はある! まだ、何かが届くうちに……」
「ならば私が結界を維持します」
オーリスが両手を掲げ、指輪を光らせる。
【聖輪マルムレクス】――祈りと結界を同時に展開する聖輪。
発動の際の魔力の消耗が激しい、奥の手の一つだ。
光が空気を震わせ、歪んだ波を均す。この結界内であれば、ダメージも少しは通しやすいだろう。
ヴァルクも呪具を展開し、地面に独特な紋を描く。
「術式層を分ける。空間の咀嚼を遅らせる」
彼の低く響く声と同時に、周囲一帯の空間が、ふと安定したように思えた。
「この場が理を保てるのは十数秒。それを超えたら――全員、消える」
「上等! その十秒で終わらせようよ!」
ヴァルクの宣言に、ラナが笑った。
「……っ、来る!」
氷雨の声と同時に、理喰らいが前へ出た。
黒い腕が枝分かれし、刃にも鎖にも口にも見える。
そのたびに空気がひしゃげ、視界が揺らぐ。
「幻は通らない。でも、こいつにも影の輪郭はある!
――《
薄青の糸が空気中に張り巡らされ、微かな音を響かせる。それは光ではなく音で編まれた幻。糸が震えるたびに、周囲の空間が波紋のように揺らぎ、理喰らいの輪郭が詳細に浮かび上がった。
「《
エルドが眩く光る矢を放ち、伸ばされた黒い腕、その多くが的確に貫かれて弾け飛んでいく。しかし打ち損ねた一部の腕が、理喰らいへの干渉に集中して、無防備に佇む私を含む、後衛陣のメンバーに迫る。
「通さん!」
それに対し、トゥリオが盾を構えて突進する。重盾が闇を弾き、鈍い衝撃音が響いた。
弾かれた理喰らいの腕が崩れ――瞬時に再生する。
「いきます! ――理干渉、開始!」
私は杖を掲げ、光を集中させた。
直後、世界が反転した。
音も重力もない空間。
意識だけが、理喰らいの中へ沈み込む。
光と闇の境界で、無数の記憶が流れた。
ギルドの講師として日々働く私、災害現場で必死に働く私。
そして…仲間たちと一緒に、ダンジョン攻略に尽力する私。
それらが『私』を形づくる、ひとつの理。
(……これが、わたしの理。
これを、喰われる前に――ぶつける)
光が、闇に触れた。
――その瞬間、闇が痛みを発した。理喰らいの中で、何かが揺らぐ。黒の奥から、声にならない声が流れ込む。
《……なぜ、抗う?》
(あなたが喰うから)
《喰う……? 我は……ただ、我を護っていた……名も形も、すべてが消えていく。だから、少しでも取り戻そうと……》
その瞬間、光と闇の境界が溶け、無数の映像が脳裏を流れ込んだ。崩壊する街、消えていく文字、名を失った大地。理がほどけ、記録も意味も溶け落ちていく世界の記憶――それが、理喰らいの内側だった。
(……これが、あなたが見てきたもの?)
《我が…消えていく…取り戻しても取り戻しても。気付けば何も残らない》
彼の声を聴くにつれ、脳髄に理解が染み込む。彼は『喰う者』ではない。その本質は…失われた理が形を求め、無意識のまま漂った結果――『喰う』という行為しか残らなかった…そんな哀しい存在。
(あなたは奪うために、喰らうために生まれたわけじゃない。
ただ、失われた理が、形を求めて彷徨っただけ)
《彷徨った……?》
(ええ。理は在るべき場所へ還るもの。
あなたの本当の姿は、忘れられた『理の欠片』たち)
《ああ…もう…それでいい。我はただ、還りたい。もう…消えたくない…!》
(なら、私が還れる場所を用意します。それに委ねてくれれば…あなたはもう、何も喰らわなくていいんです! 一度全てを手放してください! 私たちが、この場で何とかしてみせます!)
《……還れる?》
(ええ。だから、こちらへ!)
私は意識の中で、両手を伸ばした。
失われた理が形を求めて彷徨っていたのなら、その一部であっても回収し、元ある場所へ還す手段を探せばいい。少なくとも、今ここで再び喰らうことしかできない存在に戻すわけにはいかない。*1
勿論、どうすれば実現できるのか、具体的な方法が分かっているわけではない。それでも、付与師として理に触れてきた私には、手を伸ばすだけの理由があった。
(あなたを構成している理を、私が受け止めます。全部を一度に受け止められるかは分からないけれど……それでも…委ねてください!)
《…………》
(そう。だから、もう喰らわなくていい。あなたが手放したものは、たとえ一部でも、私たちが必ず持ち帰ります!)
両手の指先に触れた理の一部が、私の意識へと引き寄せられてくる。
全てを受け止めるには遠く及ばない…それでも。
(……今は、これだけでも!)
受け止められた小さな理の欠片を、決して手放さないと誓ったその瞬間――
光が、闇の奥へと差し込んだ。
▽ ▽ ▽
意識が現実へ戻ったその瞬間、理喰らいの身体に輝きが走る。その実体を構成する外装がぼろぼろと剥がれていき…その中心には、理喰らいの核らしきものが現れた。
それはかつて、この地を形づくった理の核――
喰われ、歪められていた魂そのもの。
「今! 今なら効く!」
私の声に、リディアが反応する。
胸元の紅玉が強く脈打った。
【焔環の紅玉】が光を帯び、紅蓮の環が生じる。
「……わしはこの距離でも灼けんからの――」
古風な声音に、どこか愉快そうな笑みが混じる。
「良い。一緒に燃えようではないか。」
「《
紅の奔流が柱となり、空間を焼き上げた。
制御限界を超えた焔が、術者自身をも包み込みながら、
理喰らいとその周囲の歪みを同時に貫いていく。
しかし、まだ完全ではない。
トゥリオとラナが一瞬、視線を交わした。
それだけで、次に何をすべきかが伝わる。
トゥリオが一歩踏み込み、盾を構えた足で地を蹴る。
その瞬間、ラナがその盾に乗るように跳躍した。
「任せた!」
「了解――!」
重盾の縁を踏み台に、ラナの身体が弾かれる。【太足袋ヘルメス】が生み出す爆発的な推進が、衝撃を逃がすことなく彼女を前方へと射出した。
空気はまだ高温に揺らいでいた。
リディアの炎が収まった後も、残滓は空間を歪ませている。
皮膚に刺さる熱が痛みとしてではなく、
だが、ラナは迷わない。
解放された【神剣ラグナ】の刃が、熱の帳を裂く。
理喰らいの灼けた核が露出し、鼓動のように脈打った。
「――これで、終わり!」
一閃、理喰らいの核を真一文字に裂いた。
衝撃波が広間を駆け抜け、光が爆ぜる。
その直後、ラナの身体が後方へ吹き飛んだ。
床を滑り、壁に叩きつけられる。
全身の皮膚が焼きただれ、呼吸が掠れる。
「ラナ!」
私は駆け寄り、膝をつく。
手を伸ばすと、彼女の右腕の装飾が淡く光った。
【紅環の腕輪】――
致命傷を受けた瞬間に自動発動。
傷を塞ぎ、致命出血と痛覚を一時的に封じる装備。
光が身体を包み、呼吸がみるみると整っていく。
……どうやら致命出血だけでなく、重度の火傷に対しても効果があったようだ。
「……なんて無茶を」
思わず口をついて出た。
ラナは焦げた髪を払い、微笑んだ。
「……でも、決まった…でしょ?」
その笑みは、どこか誇らしげだった。
私は息を呑み、言葉を失う。
痛覚が遮断され、致命傷は塞がるとはいえ、完全に回復する訳ではない。
極度の疲労と誇りを混ぜた彼女の笑みが、少し胸を刺した。
そんな私をよそに、トゥリオが黙ってラナの腕を支える。
その手は大きく、ぶれない。
【紅環の腕輪】から発せられる光が、二人の間を照らしていた。
「……ギリギリで発動か。助かったな」
いつもの低い声に、ラナが苦笑を返す。
「トゥリオが蹴ってくれなかったら、届かなかったよ」
「俺が放らねば、誰が届く」
短いやり取り。だが、その間に言葉はいらなかった。
互いを信じて動いた者同士の間にしか生まれない沈黙が、そこにあった。
やがて、広間を包んでいた焔がゆるやかに鎮まっていく。
空気の熱が引き、漂っていた灰が光の粒へと変わっていった。
その光はまるで、焼け残った理が形を取り戻していくようだった。
漂う光粒が、ひとつの人影を形づくる。
薄っすらとした輪郭の人影が、穏やかに微笑んでいた。
《ありがとう》
その声は風に溶け、消えていく。
理喰らいの核が砕け、光の粒が漂った。それはただの残滓ではなく、微かに理の響きを残していた。私があのとき預かり、委ねられた小さな理の欠片が光の粒と融合し、一つの結晶の形に収束する。
「…こちらこそ。信じてくれてありがとう。あなたの理の欠片が、今後彷徨わず済むように尽力すると、そう約束します。」
そう言って、宙に浮く一つの結晶を回収した。
「持ち帰れるの?」と氷雨が尋ねるが、それには無言で肯定する。
私自ら信じて手放せと言った手前、この場に放置する訳にもいかないだろう。
「帰ったら解析が急務だな…ただ、一旦貸せ。不安定な状態では運搬中に壊れかねん。俺なら呪具で完全な隔離が可能だからな。……それにしても理の欠片――『理素結晶』とでも名付けるか」
「いやヴァルクが名付けるんかい!? いや別にその名前でも良いけどさあ…」
結晶を受け取ったヴァルクの声には疲労が滲んでいたが、あろうことかそのまま勝手に名付けまでしてくれた。センスは悪くないので否定まではしないが…随分と勝手なものである。名付けるのが好きなのだろうか?
オーリスが静かに祈りを捧げる。
「罪ではなく、還るための欠片……。ならば、この地に残すよりはましですね」
「そりゃあもう。後で詳しく説明するけど…こっちが責任持たなきゃ怒られちゃうからね。
でもこれで、ただの踏破では終わらないよ! 一度全滅しかけたけど…探索の目的は達成できたね」
「十分な成果じゃの。燃やした甲斐があったというものよ」
「燃やし過ぎです」
満足げに笑みを浮かべるリディアに対し、私が小さく返す。
その目線の先には、未だにトゥリオが介抱しているラナの姿…リディアもまたその姿を確認すると、仕方なしに肩をすくめた。
…まあ、別にリディアが悪い話ではないからそれでいいけどね。
そんなやり取りの直後、天井が軋み、光の筋が走った。
融合していた層が、ゆっくりと分離を始めていた。
異常空間が塔本来の構造へ戻ろうとしている。
「……空間再構成。融合領域が剥離してる」
ヴァルクが冷静に告げる。
足元に浮かぶ呪具陣が、座標を一時的に固定していた。
「このままじゃ層ごと切り離される。滞在座標が持たない」
「経路を繋ぎます!」
オーリスが聖杖を掲げ光を放ち、ヴァルクの陣に干渉を加える。
二つの術式が重なり、崩れかけた空間の端に一本の細い軌道が生まれた。
「退避ルート、確保!」
「全員、ここを走れ!」
エルドの号令と同時に、リディアが振り返った。
迫りくる瓦礫を確認し、杖を一閃。
炎ではなく、衝撃波のような風圧で進路を払う。
「遅れるでないぞ!」
トゥリオがラナを担ぎこみ、私たちは走り出した。
足場が軋み、光の橋が波打つ。
塔の内部構造が、元の形へ戻るために組み替わっているのだ。
…この経路は長くは持たない。
オーリスとヴァルクが全魔力を注ぎ、安定化の継続を試みる。
「……接続先は?」
「下層への避難座標。地上へは直通できんが――外気層までは届く!」
ヴァルクの声が震える。
「十分だ、行け!」
最後の瞬間、八人の影が同時にその光の道を駆け抜けた。
視界が反転し、音が遠のく。
世界が再び繋ぎ替わる。
次に瞼を開けたとき、そこは地上の草地だった。
崩落ではなく――空間が吐き出したような転送。
塔の境界が、外まで私たちを押し戻したのだ。
*
地上。冷たい空気と星明かり。
全員が倒れ込むように外へ出ていた。
「……生きてる……奇跡かな?」
トゥリオに担がれたラナが笑い、合わせてトゥリオが頷く。
「奇跡ではない。必然だ」
「ま…どっちでも良かろう、いや酷い探索じゃった」
トゥリオの応答に、リディアがやれやれという風情を出す。
「その理素結晶? て、もとは理喰らいだよね…本当に、大丈夫なのかな?」
息を整え終えた氷雨が疑問…というよりも不安をぶつけてくる。
隔離しているヴァルクではなく私に聞くあたり、
理喰らいそのものの意志を確認したいのだろう。
「多分。大丈夫。理喰らいは、還る場所を見つけただけだから」
私は空を見上げる。
夜空の星が、どこか温かく見えた。
「……帰るぞ。まずは生還の報告が必要だ」
「了解」
八人の声が重なり、夜風に溶けていった。
*
「失礼…撤回する。クーデリア班は全員、報告前に俺の話を聞くように」
「「「「えっ」」」」
エルドの声は穏やかだった。
だが、そこに潜む静かな怒気を、全員がはっきりと感じ取った。
――心当たりを、探すように。
理素結晶関連は再構成レベルで変わるかもしれませんね…
変更を忘れないように-EXを付けてます。