夜風が冷たい。焔の残り香がまだ服に染みついている。地上へ出た直後、私たちは少し離れた草地で立ち止まっていた。オーリスが治療の光をラナに当て、他の三人――私、氷雨、トゥリオは、その背後で静かに待つ。
そして、少し離れた場所でエルドが振り返った。
「確認する。元居た場所は――白礫の洞、第五層で間違いないな」
「はい。巣核を確認し、殻を割り、その内側の核をラナが斬りました」
私が答えると、彼はゆっくり頷いた。
「そこまでは想定の範囲内だ。判断も筋が通っている」
淡々とした声。だがその先に続く言葉は、重かった。
「問題はその後だ。裂け目――話を聞く限り、その先は瘴気の供給先でもあった筈だ。だがその時点では安定していた。放置しても崩落の危険等はなかったはずだ。そんな場所に誰にも相談せず、生身で踏み込んだな? 攻略の期日的にも、まだ余裕があったにも関わらず…だ」
空気が冷える。
私たちは息を呑み、誰もすぐには返せなかった。
「……はい。あの時は、判断を誤りました」
私は短く息を整え、続けた。
「拍子抜けするほど順調に進んで、どこかで緊張が緩んでいたんです。危険は分かっていたのに……未知に触れられるかもしれない、そんな期待が頭を離れなくて…気づいたら、一歩踏み込んでいました。もっと深く見てみたいそれだけの理由で……本当に、軽率でした」
沈黙。
ラナが痛む腕を押さえたまま、視線を伏せる。
トゥリオは一度口を閉ざし、その後、言葉を継いだ。
「クーデリアだけじゃない。俺たちも、似た気持ちだった。
慎重に動くよりも、先を見たいと思った。それだけのことだ」
氷雨も控えめに言葉を紡ぐ。
「……僕も、あの時は少し浮かれてた。ようやく面白くなりそうだって思ってたんだ。だから止めるより、先に進む方を選んだ」
エルドはしばらく黙り、やがて小さく頷いた。
「……それでいい。責めたいわけではない。…ただ、自覚はしてほしい。
行けたから正しいのではない。戻れたから正しいのでもない。
その先を決めるのは、次の一歩だ」
風が一陣、草を揺らす。
彼の声は低く、穏やかだった。
「……おそらく、それは俺の責任でもある。
今までの探索は、その殆どを俺が指揮を執ってきた。
危険を察知する役も、判断を下す役も、その多くがこちらに集中していた。
結果として、皆に自分で止まる経験を積ませられなかった」
オーリスが小さく頷く。
「その点は、確かに……。私が同行していれば、
せめて一度は引き止められたかもしれません」
「いや、それも無理な話だ」
エルドは静かに首を振る。
「塔での探索に、オーリスは必須だった。結局、この度の危機は俺たち全員の慢心が招いたこと…クーデリアだけの問題ではない」
空気が和らぎ、わずかに風が流れた。
その風の中で、私は深く頭を下げる。
「……肝に銘じます。次は、必ず見極めてから動きます」
オーリスの光が静かに消える。
治療の術式が終わったのだろう。
焼けただれた肌はすでに癒え、外見上は完治したように見えた。
「……ラナ、動ける?」
オーリスが治療を終え、ラナが息を整えながら微笑む。
「うん。痛覚遮断も切れたみたいだけど……歩けるくらいには」
「よし、報告に戻るぞ」
エルドが軽く息をつき、夜空を仰いだ。
「……本来の出口じゃないルートで帰ったからな。
説明が、少し面倒だ」
「めぼしい成果は、理素結晶ひとつですけど……」
私が言いかけると、彼は口の端を上げた。
「それで十分だ。場合によっては、聖遺物級を超える発見になる」
「ええ。そうですね。失われた理の欠片…ある意味では、この世界そのものとも言える存在。彼は…ただ還るために。存在の全てをこちらに委ねてくれた。今はもう、物言わない小さな結晶ですけど……丁重に扱わないといけませんね?」
私の言葉に、彼は短く笑った。
「こちらとしても、無下に扱うつもりはないさ。ここにいる全員、あの恐ろしさは身に染みたからな…その結晶を、またあのような状態に戻してはならないのは当然の話だ」
「実のところ、あの塔の攻略自体はまだ済んでないと考えているが…その辺りはどう考える?」
「塔については後日、もう一度調査すればいい。
今日のところは撤収だ。」
質問を投げるヴァルクにそう返し、エルドは矢筒を背に戻しながら朗らかに告げる。
「――帰るぞ。今度こそ、地上の理の中へ」
*
塔の入り口が見えた頃、外にいたダンジョン管理者たちが一斉にこちらを振り向いた。
一瞬の静止――そして、どよめき。
「おおっ! 戻ったぞ!!」
「生きてたのか!?」
一瞬でその場が騒然とする。外では、私たちが消息を絶ってから数時間のあいだ、通信が完全に遮断されていたらしい。報告も反応もなく、塔の内部で全滅した可能性まで検討されていたという。
「落ち着いてくれ」
エルドが軽く手を上げる。
「ダンジョン内でイレギュラーがあったが全員無事だ。詳細は報告でまとめる。至急、<白礫の洞>への連絡も依頼させて欲しい。今は隊員の治療と休息を優先したい」
その言葉だけで、騒ぎがすっと静まった。
探索者の筆頭《紫煌》としての権限ではなく、
彼自身への信頼が場の空気を整えていく。
私たちは簡易的な報告を済ませ、中央管理棟へ向かった。
理喰らいの消滅、融合空間の崩壊、そして――その中で残った一つの結晶。
ヴァルクが懐からを『理素結晶』を取り出す。
中で揺らめく理の層は、遠き日の記憶のように静かに脈動していた。
「これが最終階層の階層主…とは異なりますが、近い存在の残滓から生成された物質です。便宜上ですが、今は『理素結晶』と名付けております」
ヴァルクが報告用の言葉遣いで粛々と説明し、係官に差し出そうとする。
「……待ってください」
そこで私は、思わず声を上げた。
「この結晶には、かつて
どうか――丁重に扱ってください」
係官が目を見開き、深く頭を下げた。
「承知しました。紫位付与師クーデリア・リーフィス殿のご意向、最優先で扱わせていただきます」
胸の奥で、ようやく張り詰めていた糸が緩む。
理喰らいはもういない。
けれど、彼が還した理は、確かにここにある。
報告を終え、エルドが振り返る。
「期限まで十日残しての踏破だ。……上出来だな」
「珍しく、余裕がありましたね」
「そう言えるうちは、まだ油断が抜けてない証拠だ」
軽いやり取りに笑いが混じるが、全員の動きは重い。
ラナも外見上は完治していたが、完全な回復とは言い難いようだ。
「今日のところは解散だ」
エルドの声に、全員がうなずいた。
久しぶりの地上の風が肌を撫でる。
『生きて帰った』という実感がようやく湧いてきた。
*
探索から戻って数日後、通知が届いた。
「踏破祝賀会 開催通知」
日時と場所のほかに、小さく添えられた一文。
――参加者:『光焼く翼』隊 一同
その中に、エルド・フェルナーの名もあった。
「……エルドが来るの?」
思わず呟くと、たまたま一緒に遊んでいた氷雨が小さく笑う。
「珍しいよね。たぶん何か企んでる」
「ふふ……でも、楽しそう」
私は苦笑して通知を閉じた。
長かった戦いのあとに、ようやく訪れる静かな時間。
――祝杯を、灯の下で。
前回の制覇記念の情景を思い出しながら、ワクワクとした気持ちで祝賀会の開催を待った。