城下を一望できる高層の店に通された。
窓は床まで開き、石畳と川筋、灯の列がはっきり見える。
磨かれた長卓に白い布。皿は温めてあり、グラスは薄い。
こういう気遣いは、地上に戻った実感を強くする。
「席はこちらのフロアが貸し切り、との事です」
店の係が下がる。ラナは軽く肩を回して笑った。火傷の痕は残っていない。
可動域も問題無し。
「ほんと、完治だね。ありがと、オーリス」
「役目ですから」
オーリスが会釈する。表情はいつも通りだが、安堵が見える。
エルドが端の席に立ち、短く音頭をとった。
「踏破の祝宴だ。長い挨拶など不要。食べて飲んで語らうこと。――以上」
言い切って、そのまま自分の席に座る。
私達は全員、お堅い役所の人間ではなく探索者。
飲みの席の音頭など、この程度で十分だ。
*
一皿目は前菜の盛り合わせ。
三色のパテ、粒入りのマスタード、白酢のピクルス。
焼き立ての薄いパンが続く。店員がワインを示した。
「白は辛口のブレンド、酸がはっきりとしております。
赤の方は、軽めの若いものとなります。お好みでどうぞ…」
「三色パテとピクルスなら、白だな」
エルドが迷い無く白を選ぶ。
「脂を酸が洗ってくれる。赤だとタンニンが酢と喧嘩するが、白の酸は酢と馴染む。
温度は十度前後――脂も香りも一番きれいに立つ」
「隊長、詳しい」
氷雨が目を丸くする。
「山でも街でも、食べ合わせの考え方は同じ。何事も相性だ」
対して私は、天邪鬼にも赤を試す。
「軽めの赤なら、レバーの香りに鉄っぽさが出過ぎないし……
むしろ馴染ませるより、少し喧嘩させたい気分かな?」
「では儂は白をもらおう」
リディアが杯を取り、上品に微笑む。
他の皆も各々好きなものを杯に注いだようだ。
乾杯は短く。
金属の音が重なり、喉に酒が落ちる。
胃が温まる感覚がはっきり分かった。
*
料理は間を置かずに出る。
川魚の燻製、ハーブのサラダ、温かい豆の煮込み。
合間に店員が酒の説明を続ける。
「麦酒は下面発酵で、温度を少し低めに。
香草の苦みと重なって、舌の後ろで切れます」
「なら、豆の煮込みには麦酒が良い」
トゥリオが頷いて一口。
「いいね、合う」
私は合間に、ヴァルクに対して『理素結晶』の話を切り出した。
「解析の件、どこまで聞こえてる?」
対するヴァルクは、ナイフを置いて応じてくれた。
「結晶の層は三つに分かれているそうだ。外殻、循環層、その中心に…空隙。
空隙は真空では無いようだが…測定値はゼロに揺れる。『意味の層』と仮定しているが、まだ未知数だ」
「外部干渉への反応は?」
「強い光と熱は避ける。音波は低周波なら影響が少ない。
結晶が音を記録している可能性があるので、密閉状態で保管している」
エルドが短く息を吐く。
「壊さない範囲で進めろ、と伝えた。
おまえの要望も記録済みだ、クーデリア」
「ありがとう」
解析は急ピッチで進んでいるようだ。理素結晶に少し悪い気もするが…必要なことだと思いなおす。
*
――宴は続く
店員が、今度は純米酒を持って来た。
「純米の中取りです。常温と、少し温めたものを用意しました」
私は徳利を手に取る。米の香りが残るなら常温。温めるなら四十度台前半。甘みが立つ前に切らせる温度帯…とのことだ。冷で飲む純米酒も美味しいんだけどなあと思いながらも自分で注ぐ。
オーリスが興味深そうに見る。
「料理は何が合います?」
「米に合うものなら基本的に合いますよ。
お持ちした料理でしたら川魚の燻製と合わせるのがよろしいかと」
店員が丁寧に答えてくれる。
「川魚は脂が控えめで、繊細ながらもうま味が豊富です。また燻製にすることで、魚の水分が抜け、更にうま味が凝縮しております! 更にそこに燻香が加わって、香ばしい苦味と甘みが生まれておりますので、少し温めた熟成香があるタイプの純米酒が特にお勧めとなります。」
……横から聞いていたが随分と博識な店員だ。
店のグレードに合わせて、店員の教育レベルも相応に高いのだろう。
*
「麦酒とピクルスは相性が良い。
ピクルスの酢が舌を洗い、麦酒の泡が余韻を払う。
揚げ物が来たら、更に映えるであろうな!」
麦酒を飲みながら前菜の残りを片付けるリディア
「揚げ物でーす」
まさにそこを狙ったかのように、店員が魚のフリットを置いた。
塩、レモン、ハーブも添えられているのを見て、ラナが目を輝かせる。
「これ、無限に食べられるやつだ」
「酒と一緒だと中毒になる。危険」
氷雨の冷静な突っ込みに全員が笑った。
*
中盤、エルドが会談の話に移った。
「二か国会談での議題は三つ。境界の共同管理、探索権の配分、そして『理素結晶』に関する情報共有の枠組みだ。」
「配分は揉めますね」
オーリスが端的な意見を出す。
「揉める。だから、理素結晶の分類を先に決めておく必要がある」
エルドが頷き、杯を置いた。
「危険物か、文化資産か、研究試料か――どの分類にするかで、
関与できる部署も、外交窓口も変わってくる」
ヴァルクが咳払いをひとつ。
「危険指定は避けたい。封印対象になれば、解析が凍結される」
「文化資産扱いも動かせない。保全優先ですから」
私は指を折りながら整理する。
「研究試料なら、持ち出しは制限されるけど調査は続けられる。
……ただし、記録や監査が煩雑になる。つまり、どれを選んでも楽じゃないってことだな」
エルドが苦笑し、杯の縁を軽く叩いた。
「ただ、そこは俺が通す。双方の学術局に共同管理下の研究試料で申請する」
エルドの発言を受け、氷雨が顔をしかめた。
「…手続、増えるよ?」
「増えるが、動ける方が良い」
「ですね」
手間と自由の交換なら、今は自由が要る。
「実際に触れたのは我々だけだ。発言権は
ラナが手を挙げる。
「会談、私たちは出ないよね?」
「出ない。だが説明は求められる。その時は簡潔に、脚色無しで頼むぞ」
「了解。盛るよ!」
「いや盛るなよ、酒の席でだけにしろ」
「…? 今盛ってるんだよ?」
ラナが皿を指す。いつの間にか揚げ物が大量に盛られている。
二人の珍妙なやり取りに、周りが爆笑した。
*
酒の席での話は止まらない。店の責任者が面白がって、酒器を数種持ってきた。
薄口のグラス、ふくらみのある型、平盃、蛇の目のぐい呑。
「器で味が変わるのか?」
トゥリオが試す。
「変わる。鼻に入る香りの量と流速、舌に落ちる位置が変わるんだ」
私は純米酒を平盃で、常温で一口。
「平盃は横に広がる。米の香りが先に来るんだよねー♪」
次にぐい呑の酒を四十度台で。
「うん! 温めると米の甘みが立つ。後味が少し長い!」
氷雨がグラスを傾けながら頷く。
「赤は大きなグラスで回して空気に触れさせると、渋みが和らぐ。
タンニンが舌の側面で丸くなる感じ」
「丸くなる感じ、わかる」
ラナが素直に感心する。
「葡萄酒は回す前提で作られておる。回し過ぎると香りが飛ぶがの。ただ、餅は餅屋である。店の言う温度と器が基本。そこから好みに寄せれば良い」リディアは相変わらず落ち着いてチビチビと…しかし一切止まることなく順調に酒を煽っている。既にその飲酒量は…私を超える。
新たに運ばれた肉のローストは、少しぬるめのワインの赤で合わせ。最後のデザートは冷えた甘味で覚醒を促す。提供された料理群は、どれもこれもが絶品で、酒と合わせることも計算されて食べやすかった。
*
酔いは穏やかに回った。
エルドの頬に赤みが差し、氷雨の語尾が柔らかくなる。
トゥリオは表情が少しだけほどけ、ラナは笑い上戸。
オーリスは薄く酔い、リディアは変わらずだが杯の数は多い。
ヴァルクは無言で飲み続け、その眼だけがズシリと座っている。
「隊長、酔ってる?」
「問題無い」
「五杯目の問題無いは、だいたい問題有りですね!」
「…なら六杯目はどうだ? その気なら倍はイケる」
「もっと問題! それとも、問題ありのその先に行きたいですか?」
私とエルドのやり取りに、周囲が笑う。
――こんな軽妙なやり取りも、地上でしか生まれない。
私は窓の外を見た。墨濛の塔は遠く、小さく、黒い影だけが立っている。
あの中で拾った理は、今も研究室の中で解析中だ。
『還る』という言葉が、酒の熱で少し丸く思い出された。
「……ところで」
エルドが真顔に戻る。
「しばらくは休養期間だ。だが、各自の装備点検と調整は忘れるな。
現場を離れても、勘は鈍らせるなよ」
「今日やらせる気かと思った」
ラナが肩をすくめる。
「酔えば励みしか出ぬ」
リディアが笑う。
「励みだけで動くと、翌日が大変です」
オーリスの一言で、また笑いが起きた。
(無駄足ってことだよねー。まっそりゃそうよ! 酔っ払いを信頼したら馬鹿を見るってね!)
▽ ▽ ▽
宴はお開きに向かう。
今回の会計は、珍しく国の持ち。
帰る際には店の者が深く礼をした。
「またのお越しを」
「塔の向こうが静かな日なら、また来よう」
冗談めかした言葉だったが、その声音には、ほんの僅かに願いが滲んでいた。
「静かな日は来ます?」
店を出て、路地の風を受けながら氷雨が首をかしげる。
「来ないな」
即答に笑いが起きるが、どこか控えめな笑いでもあった。
(情勢が落ち着いたら、か……。良い店だった。私はまた来よう)
外を歩くと、夜気が少し冷えた。
石畳に人の影。水路に水が流れる音。
ラナが片手を振る。
「良い店だったねー。また来たいよ」
「次は辛口の泡を足したい。揚げ物が増えるから」
私は独り言のように言う。
「麦酒は良い。立ち上がりが早い」
トゥリオの評価は、相変わらず簡潔なものが多い。
エルドがふらつき、私が肘を支える。
「歩ける?」
「歩ける。少し揺れるだけだ」
「それを酔いと言う」
「そうか」
素直に認めるあたり、どうやらかなり酔っているようだ。
歩幅を合わせながら、私はふと横顔を見た。少し前髪が額に落ちている。
戦場でいつも指揮を執る彼の姿とは違って、どこか年相応の――人間らしい顔だった。
「……なんだか、こうして支えるのは初めてですね」
「ん?」
「いつも私たちを支えてくれる側だから。
だから、たまにはこういうのも、いいかなって思って」
言った瞬間、エルドがわずかに動きを止めた。
酔いのせいか、頬が少し赤い。
「……思わせぶりなことを言うな」
「え?」
「ヴァルクは困らなくても、俺は困るぞ」
「? 支えることがですか?」
首を傾げると、彼は小さくため息をつき、苦笑した。
「いや、違う。……気にするな」
その言葉の意味を、私はよく分からなかった。
けれど、夜風が少しだけ暖かく感じられた。
(……何か変なこと言ったかな)
*
「では解散。明日は遅く来るように」
「「「「「「「お疲れ様です!!」」」」」」」
声が重なり、各々の帰路へ散っていく。風は乾いて、良く眠れそうな夜だった。
エルドはクーデリアに脳を焼かれてスカウトしてます。
現場からは以上です(外伝 黎明の翼シリーズ参照)
実際その当時でも付与の腕だけなら紫位の入口レベルはありましたので…見る目ありまくりですね!
そういった視点での詳細は、リディアの黎明シリーズで語られます。
第二章完結! 感想とかあると嬉しいです。