月影国の代表者を招いた王都政庁での会談は、滞りなく終わったようだ。研究局の方から「会談は無事終了した」と伝えられたのは、つい先ほどのこと。各国代表の意見もすり合わせが済み、理素結晶は両国の共同管理のもとに置かれることが正式に決定した。
こちらの提言どおりの結論だ。
これで、少なくとも当面の混乱は避けられるだろう。
外へ出ると、夜の風が頬を撫でた。政庁の中庭は静まり返っていて、灯の明かりが石畳を淡く照らしている。その光の下で、つい先ほど合流したリディアと互いに軽く会釈した。
「どうやら終わったようじゃな」
「うん。こっちも報告を受けたよ。無事に決まったみたいで良かった良かった」
私は微笑みで返し、杖の先で地面を軽く叩く。一方、私と一緒に隣を歩いてきた氷雨が、灯の明かりを見つめながら思い出すように言った。
「理素結晶…綺麗だったよね。あの時あんまり落ち着いて見れなくて、それっきりだけど」
「大本はあの恐ろしい『理喰らい』な筈なのだがの?」
「今はもう大人しいってね。正直今思い出しても肝が冷える…」
「それは
私はリディアの言葉を受け少し息を飲むが、実際そう言われる程のことをした自覚はある。あらゆる理を喰らい、否――取り戻そうとしていた
「ねえ、クー子」
そう呼びかけて、氷雨が足を止める。
「もし理が人の手で保たれるなら、壊すのもまた人なのかな?」
「……そうかもね」
「幻も同じだからちょっと親近感がね。
僕が作る幻は現実の理に寄り添ってるだけで、結局その枠の中でしかない」
そんな氷雨の少々詩的な言い回しに、リディアが静かに頷いた。
「では理の外とは、どこにあると思う?」
氷雨はしばらく考えてから、薄く笑う。
「たぶん、まだ誰も見たことのない場所。
僕はそこを、幻で描こうとしてるのかもしれない」
「氷雨らしいの」
リディアは小さく笑いながら言ったが、その声音には安堵の色が混じっていた。
私は二人の横顔を見ながら思う。
付与を扱う私と、幻を操る氷雨、そして炎の理を最もよく知るリディア。
それぞれ違う道を歩んできたのに、不思議と並んでいられる。
きっとそれが〈光焼く翼〉という名の意味なのだろう。
(この二人のやり取り、たまに抽象的で難解になるんだよね。言いたいことは何となく伝わるけど、ふわっとしていて会話に混じり辛い…相槌くらいは打てるから、二人にはきっちり理解してると思われてそうだなあ。世の勘違いものも、実はこういうのが土壌にあるのかも?)
「さて」
リディアが杖を肩に担ぎ、軽く伸びをした。
「皆も戻っておるじゃろう。報告会とやら、参るとするか」
「ええ。私も顔を出さないと」
三人の足音が、夜の石畳に淡く響く。
政庁の灯りが遠ざかるころ、風が一筋、上空を走り抜けていった。
▽ ▽ ▽
宿舎の扉を開けると、食堂の灯がまだ残っていた。
エルドが中央の長卓に腰を下ろし、報告書に目を通している。
隣にはヴァルクとオーリス。二人とも静かにページをめくっていた。
その奥では、ラナがパンを焼きながら鼻歌を歌っている。トゥリオは黙って手伝っていた。
エルドが顔を上げて、私たちに声を掛ける。
「遅かったな。別途報告は既に受けているだろうが…
理素結晶は予定通り、両国での共同管理が決まったそうだ」
「お疲れさまです…隊長も裏では色々と動いていたようで?」
「まあ、多少はな」
エルドは書類を一枚めくり、さらりと続けた。
「
「……それ、普通に官僚の仕事ですよね?」
ラナがパンを置きながら呆れたように言う。
「探索者が口出す範囲を超えてますって」
「俺は
「で、肝心の理素結晶の方は、ずっと安定したままなの?」
「観測値は落ち着いている」
ラナの問いに、ヴァルクが答えた。
「ただ、解析の中で研究局の計測班が、呼吸のような揺らぎを検出したようでな」
「呼吸?」氷雨が首を傾げる。
「それじゃあまるで、生きているみたいだね」
「まるでというか…実質生きてたものの一部だし…」
結晶化してからはうんともすんとも言わない気難しい理素結晶君であったが…もしや今なら会話も可能だったりするのだろうか? 管理と研究を両国に任せた手前、意思疎通が出来る程に近づく機会は今後少なくなるだろうが……どこかで一度許可をもらって、改めて意思疎通を試してみるのも良いのかもしれない。
「……それにしても、全員揃うのは久しぶりだな。理喰らい戦以来か?」
「久しぶり…なのかなあ?」
トゥリオがカップを置きながら発した言葉に対し、私は微妙な反応を返す。
「男子三日合わざれば…と言うじゃろう。その数倍ともなれば久しいものよ」
リディアがトゥリオの発言を揶揄うように笑う頃には、場の会話の流れは既に理素結晶からは離れていた。となると当然、話題は次の依頼…仕事の話に切り替わる。
「で、次の依頼は?」期待するかのようにラナが問う。
「まだ暫く休みかな? それとも――」
エルドが報告書を閉じ、少し考えてから言った。
「今すぐには無いな。ただ次に指令が下るとすれば――南の海側と予想している」
「海?」氷雨が目を瞬かせる。
「ずいぶん遠いね。北辺群じゃないんだ」
「南沿岸で瘴気の乱流が観測されたとのことだ。交易船が次々に欠航している状況から鑑みるに、赤位以上の探索者の派遣も時間の問題だ。…既に一部のパーティには声が掛かっているようだがな。流石に我々が出るにはまだ時期尚早と思われているようだが…このまま状況が改善しないようならば、その可能性は十分にあり得る」
「南沿岸か……懐かしいわね」
エルドの答えを聞き、私は少し感慨に耽る。
「けど、潮は扱いが難しい。瘴気と混ざれば制御も更に…」
「だからこそ、我らの出番というわけじゃな」
リディアが杯を煽る。相変わらず早い…それ何杯目?
「もし声が掛かるなら、面倒なことになりそうだね」
ラナがため息をつく。
「けど、まあ――久々の遠征なら悪くないかも?」
「海だからって浮かれちゃ駄目だよ?
ラナは日焼けした時点でアウトってことで罰ゲーム用意しとくね」
アルコールが入り既に出来上がった氷雨は、少々口が軽い。ラナは即座に「難易度高いわ!」と返していたが…真面目な委員長気質のオーリスだけは、海の危険性と備えを怠らないようにと二人に注意を促すことできっちり釘を刺していた。
「念のために準備だけは進めておいても良いだろう。仕事が落ち着いている、今のうちに」
エルドのその言葉に、誰も異を唱えなかった。
次の波が、すぐそこまで来ている。それを全員が感じ取っていたからだ。
食堂には笑い声と食器の音が続き、窓の外では夜風がゆるやかに吹いていた。王都の空は澄み、星々が連なっている。その光の群れが、まるで翼のように広がっていた。
個人的に次のリューグー編は結構好きです。