Re.紫華の付与師は今日もお留守番   作:さくさくの森

38 / 39
第四章 明確な敵
第31話 潮底遺跡


 明け方の港は、白く薄い霧に包まれていた。

 決行の一杯が、まだ身体の芯に残っている気がする。

 

 封鎖線の外側、借り受けた中型船の甲板に、私たちは全員集まっていた。結界石を収めた木箱、測定器具、【連環の匣】の粒を分けた小瓶。そのどれもが、今から向かう場所の危うさを物語っている。

 

「潮底湾の中心部までは、昨日と同じ航路で向かう。」

 エルドが手元の地図を畳み、顔を上げた。

「到着後、結界石を展開。観測結果が想定の範囲外に振れた場合は即時撤退を優先とする。」

 

「了解」と、皆の返事が重なる。

 

 私はポーチの口を確かめる…自分用の【連環の匣】の粒は十個。

 リディアに渡した分と合わせれば、今日一日分の無理は利くはずだ。

 

「……顔、固いよ! 大丈夫大丈夫。

いつもどおり、クー子が全体を見ててくれれば何とかなるって」

 

「それ、責任が重いんだけど」

 ラナの言葉にそう返しつつも、少しだけ肩の力が抜けた。

 

 トゥリオが静かに舵のほうへ向かう。

 船は港の灯から離れ、ゆっくりと霧の中へ滑り出した。

 

*

 

 しばらく進むうちに、海の色が変わっていく。

 王都近くの港で見るような青ではない。

 昨日も見た、あの灰がかった群青――魔力を吸い込むような色だ。

 

「……ここから先が、濃度の境界だね」

 私は杖の先で海面を軽く叩き、魔力を落とした。

 光がじわりと広がって、すぐに沈む。

 やっぱり、通りが悪い。

 

「予定どおり、この船を中心に六点構成で行く。氷雨、外周の幻視は任せる」

「了解」

 結界石の展開を準備していたヴァルクの言葉に氷雨が頷き、船縁に指先を滑らせると、霧が結界石の位置をなぞるように伸びていく。

 

 それを確認したエルドが短く号令をかけた。

「――展開開始。各自、持ち場へ」

 

 オーリスは中央で祈りと詠唱を重ね、ヴァルクはその周囲に測定器具と呪具を配置する。ラナは甲板の外周をゆっくり歩きながら、いつでも踏み込める距離を計り、トゥリオは舵と船体の動きを監視している。リディアは船尾側に陣取り、いつでも火力を叩き込める位置を確保していた。

 

 私は――結界全体を俯瞰する位置、中央と船首のあいだで杖を構える。

 

 海の上に結界を張るのは、本当に厄介だ。

 足元は常に揺れ、魔力の支点は潮と風に振り回される。

 それでも、結界石から立ち上がる線を、私は一つひとつ繋いでいく。

 

「……第一層、安定。伝導率、許容範囲内」

 ヴァルクの報告が飛ぶ。

 

「外周、像が見えてきた」

 氷雨の声に合わせて、海面の上に薄い光の線が浮かんだ。

 結界石を結ぶ六角形、その内側にさらに細かい格子が描かれていく。

 

 私は呼吸を整え、魔力の流れの歪みを探る。

 潮の向き、瘴気の偏り、底から上がってくる重さ。

 すべてを一度、自分の中に通してから、整え直す感覚。

 

「……湾底、観測開始」

 オーリスの詠唱が一区切りついた。

 

 安定した結界の内側に像が立ち上がる。

 光で描かれた、海底の地形の投影だ。

 

 ざらついた岩の稜線。窪地。

 そして――その真ん中に、明らかに自然のものではない形。

 

「……何、あれ」

 思わず声が漏れた。

 

 階段のような段差が、輪を描くように重なっている。

 その中心に、柱か塔のようなものが一本、立っていた。

 高さは湾の深さの三分の一ほど。

 その先端から、細い線が四方へ伸びている。

 

「遺跡……?」

 

「少なくとも、自然地形ではないな」

 ヴァルクが測定器具を操作しながら続ける。

「魔力の反応は……柱の内部。一定の周期で脈動している」

 

 ――脈動。

 昨日、港で感じた呼吸のような揺らぎと同じ言葉だ。

 

「鐘の音の源も、そこだな」

 エルドが結界像を見つめる。

「深度は……想定より深いか」

 

 私は触媒の粒を一つ指に挟み、砕いた。

 指先に熱が走る。

 

「杖に『風』と『光』を付与。」

 

(風だけでは揺らぎの向きが読めないからね。

光で外層を可視化し、その上で風を流して均せば…)

 

「任せる」

 ヴァルクがこちらの行動の意図を察し、結界の制御の一部を私に預けた。

 

 風で潮の揺れを均し、光で瘴気の濃淡を際立たせる。

 柱の輪郭が、少しだけ鮮明になった。

 

 その瞬間だった。

 

 海の底から、低い音が響く。昨日よりもずっと近く、濃い音。

 胸骨の裏側を直接叩かれるような響き。

 

「……来るか」

 エルドの声が、甲板の空気を引き締める。

 

 柱の先端がわずかに揺れ、内部から黒い線が一本、走り出した。

 それは真っすぐに結界の上面へ伸び、そのまま、海面を突き破って――

 

 

 海を 裂(・)い(・)た(・)。

 

 

 

 船のすぐ横に、巨大な水柱が立ち上がる。

 音より先に圧力の変化が肌を打った。

 

「全員、伏せろ!」

 

 エルドの指示と同時に、船体が横から叩かれる。

 甲板がきしみ、結界石の一つが海へ弾き飛ばされた。

 

「第一支点、喪失!」

 ヴァルクが叫ぶ。

「結界が歪む、補正を――」

 

 歪んだ。

 

 六角形だった結界が、一気に片方へ引き寄せられる。

 潮の流れが一方向へ固定され、そのまま結界全体を引き摺る。

 

 海の中から、何かが生(・)え(・)た(・)。

 

 黒い柱。結界を通して見ていたものよりもはるかに太く、長い。水と瘴気をまとったそれが、船底すれすれで止まり、次の瞬間、鐘が割れるような音とともに、横へ弾けた。

 

「……っ!」

 

 衝撃で、私の身体は甲板から浮く。

 視界が一瞬、白くなった。

 耳が鳴って、誰の声も聞こえない。

 

(駄目、このままだと――船ごと持っていかれる)

 

 私はほとんど反射でもう一粒を消費し、風と土を同時に付与。船体を無理やり安定させ、周囲を固める。今は一秒が惜しい。触媒の消耗を気にしている場合ではない。

 

「生存最優先! 観測は捨てます!」

 

 喉が裂けそうな声で叫ぶと、エルドが素早く合わせる。

「全員、離脱行動! トゥリオ、船体の保護を!」

 

 トゥリオが船側に盾を構え、その前でオーリスが結界を重ねる。

 ラナは外周で押し寄せる水柱を斬り払い、

 氷雨の幻影が迫る黒い線の軌道をずらしていく。

 

 だが、海そのものが敵になっているような状況で、地上の感覚は通用しない。

 

 二本目の水柱が船尾を叩き。

 三本目が船首側をすくい上げる。

 

 その直後、船体が真ん中から折れてしまった。

 

 甲板が跳ね、私は足場を失う。空か水か分からない空間で、身体が一瞬宙に浮き、次の瞬間、冷たいものが全身を包んだ。

 

「……っ、くそ……!」

 

 海だ。

 

 目を開けると、上も下も分からない暗がりの中で光が渦を巻いていた。結界の残光、連環の匣の粒から伸びた魔力、リディアの炎が水中でねじ曲がりながら燃えている。

 

 遠くで、ラナの姿が一瞬見えた気がした。

 氷雨の幻影と重なって、すぐに見失う。

 

(掴めない……間に合わない)

 

 肺が焼けるように痛い。それでも、杖だけは離すまいと握り締めたところ、腕を引かれる感触がした。振り向くと、ヴァルクがこちらを掴んでいる。

 

 彼はもう片方の手で、黒い呪具を握りしめ、周囲に膜のような魔力を広げていた。

 

 その外側で、炎が暴れる。

 

 ……リディアだ。彼女の杖先から迸る火と雷が、渦を成して襲い来る水流を弾き飛ばしている。海中とは思えないほど、鮮烈な光。

 

(クーデリア、息を止めておれ)

 

 声は無いが、その意思が水越しに届く。

 言葉の形だけが、はっきり聞こえた。

 

 ヴァルクの呪具が、ぱん、と何かを弾く音を立てる。

 その直後、私たち三人の周囲に、硬い膜のような感触が生まれた。

 

 水の重さが、一瞬で軽くなる。

 頭上と足元の感覚が戻ってくる。

 

「……空間を切り離した」

 ヴァルクが絞り出すように息を吐いた。

「長くは保たん。だがその間の呼吸を保証する」

 

「上へは行けぬぞ」

 リディアが炎を収めながら言う。

「潮の向きが下へ固定されておる。上へ逆らえば、結界ごと潰されるわ」

 

 つまり――。

 

「このまま、落ちるしかないってこと?」

 

 誰も否定しなかった。

 

「せめて、潰れずに着地したい。どこに落ちるか分からないけど」

 

「ならば、儂が前を照らそう」

 リディアが杖を掲げる。

 炎と雷が細く伸び、進行方向を照らした。

 

 呪具の膜ごと、私たちは海底へと引きずられていく。

 回転は抑えられているが、速度は落ちない。

 耳の奥で、また鐘の音が鳴った。

 

 高く、鋭く、今度はほとんど悲鳴のような音。

 

 視界の端で、黒い柱が遠ざかっていく。

 その根元に、輪を描くように広がる影。

 

 階段…建物…アーチ…ああ、これはまるで。

 

 ――街だ。

 

 海底に沈んだ街並みが、一瞬だけ光に浮かび上がった。

 

 そこで、急に落下が止まる。

 

 膝に鈍い衝撃が走った。

 足元に、硬い感触。

 

 私はその場に片膝をつき、荒い息を吐いた。

 膜の表面が軋み、ぱきん、と音を立てて砕ける。

 

 冷たい水が一瞬流れ込んで、すぐにどこかへ逃げた。

 見れば、周囲は完全な水中ではない。

 崩れた天井から水が滝のように落ち込み、その下だけが空洞になっている。

 

「……内部空間、か」

 ヴァルクが周囲を見回す。

「上のどこかで結界石が引っ掛かったな。海水が全部は入り込めん構造だ」

 

 足元には、石畳。壁には、見たことのない装飾。経年劣化し、海藻に覆われながらも、確かに人の手が入ったと分かる整った造り。

 

「海底の……遺跡?」

 

 口に出した瞬間、背筋が冷えた。

 

 エルドたちの姿は、どこにもない。

 運よく残っていた通信結晶を耳に当てても、雑音すら聞こえなかった。

 

「……皆は?」

 

 自分で問うておいて、答えを聞くのが怖かった。

 

 ヴァルクは軽く目を伏せて宣告する。

「生死までは分からん。だが、少なくともここににいるのは、我々三人だけだ」

 

 リディアが周囲を見渡しながらも、やれやれと断ずる。

「どの道、此処を出ぬ事にはどうにもならぬ。上へ戻るのは無理であるからな。先へ進むしかあるまい」

 

 潮の音が、遠くから響いてくる。

 海上都市リューグーは、はるか上だ。

 ここは、そのずっと下――潮底の廃都。

 

 私は杖を握り直した。

 

「……分かった。まずは、この遺跡の構造を把握しよう。

 生きている限り、どうにか出来るはず」

 

 ヴァルクとリディアが、無言で頷く。

 

 こうして私たち三人は、海底の遺跡に取り残された。

 他の仲間たちの気配が届かないまま、潮の底で、最初の一歩を踏み出した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。