扉の術式はこちらを値踏みするようにじわじわと抵抗してくるが、私は杖先から『光』を付与させることでそれを
「……よし。これで、爆ぜる仕掛けは殺したはず」
息を整え、私は一度扉から手を離し仲間の方に向き直る。
「開けるよ」
「ああ……」
「構えておこうぞ」
三人で視線を交わし、私は両手で扉を押し開けた。重い扉が、内側からゆっくりと押し返してくる感覚。
圧力に逆らって隙間を広げると、瘴気を含んだ風がこちらへ流れ込んできた。鉄と薬品と、焼け焦げた金属の匂いが混ざっている。
視界が開けた先に広がったのは、円形の広間だった。
床一面に、見慣れない紋様が刻み込まれている。波と渦を重ねたような線が、中心の円へ向かって収束し、その中央には黒い柱が一本、突き立っていた。柱の根元には、無数の呪具が縫い付けられている。指輪、短杖、刃物、金属片、名前も知らない機構付きの部品。どれも歪んだ魔力の残滓を放ち、柱へと吸い込まれているように見えた。
……そこから、あの鐘の音が響いていた。
瘴気と潮の圧力がぶつかり合う衝突音を、無理矢理一本の管に通したみたいな――そんな、不快な音だ。
そして、その柱にもたれかかるようにして、一人の男が立っていた。
灰色の髪を、ぞんざいに撫で付けている。片眼にはモノクル。もう片方の眼は、妙に乾いた光を湛え、こちらを愉快そうに眺めていた。
肩と胸元には、無数の呪具が飾りのようにぶら下がっている。
装飾ではなく、どれも今この瞬間も微細に反応を続ける現役のものだ。
男はゆっくりと顎を上げ、私たちを順番に見た。
「おお……」
乾いた声が漏れ、すぐに、ねっとりとした響きに変わる。
「おお、おおお……これはこれは。
ぞくり、と背筋が冷えた。
「……私を知ってるの?」
この国では知らぬものはいない程の有名人であることは自覚しているが…それとこれは別の話だ。今まさに警戒すべき対象の男が私を知っており、逆に私は相手を知らないというのは、精神的に少々心許なく感じてしまう。思わず問い返すと、男は口の端を大きく吊り上げた。
「ええ存じておりますとも。紫華の付与師殿。理を宥め、魔法を上書きし、災害時には都市一つを救ったこともあったとか? いやあ、噂で聞いておりましたが……実物は思ったよりも細くて、どこか目敏い印象を受けますねえ。先ほどから、随分と忙しない。」
口の端を吊り上げたまま、こちらの視線の動きまで楽しげに追っているのが分かった。
「貴方は誰?」
男は私の発言を無視して、今度はヴァルクのほうへ視線を滑らせる。
「そっちのお方は…呪具師ヴァルクですねえ。いやあ、腕の良い呪具師と目を付けていたんですよ。
それこそ退屈知らずな噂ばかりで、活躍や成果を追うのも悪くない時間でしたねえ!」
ヴァルクの眉が僅かに動いた。
先の会話から察してはいたが…やはりあまり良い印象を持っていない相手のようだ。
「……名乗りもしないのか?」
ヴァルクが低い声でそう発すると、男は肩を揺らして嗤って返した。
「おやおやあ? どうにも不機嫌なご様子で…そんな焦らなくとも、私の名など直ぐにでも知れること。それこそこれから――」
そこで、ふと視線がリディアへ移った。
「ほお?」
愉快そうに目を細める。
「最後の一人は、知らない顔ですなあ。私の記録に無かった。ですがですなあ……紫華様と、その呪具師殿と一緒におられるということはあ」
くつくつと喉を鳴らし、両手を広げた。
「どうせ金位でしょう? 警戒しないとねえええええ!!」
最後の一言だけ、広間に叩きつけるような声量で放たれた。
鐘の音と混じり合い、耳の奥を軋ませる。
リディアは眉一つ動かさず、静かに答えた。
「儂の名は、リディア・グレイス。サンライズ王国の大魔導士とだけ覚えておけばよい。お主に覚えられとうはないがの」
男は一瞬だけ目を丸くし、それから堪えきれないといった様子で嗤い出した。
「ひひ、ひひひ……はああ、よい、よいですなあ。大魔導士。大仰なお方は嫌いではありませんよお。私も過去によく言われたものです。
月影国建国以来の天才。『
その単語に、ヴァルクの表情がわずかに強張る。
月影国。
呪具神。
断片が頭の中で繋がりそうになって、私はヴァルクへ視線を送る。
彼は短く、否定とも肯定ともつかない息を吐いた。
「アラブラハム・レイグレン」
男は自分の胸に手を当て、芝居がかった仕草で自ら名乗った。
「元満月の呪具師。月影国の、ああ、使い捨てにされた危険人物でございますとも。いやあ、こうして新天地でえ、楽しく
その声には、怒りも悔しさもない。
ただ、酷く乾いた愉悦だけがあった。
灰色の髪が揺れ、モノクルの奥の片眼が、こちらを舐めるように動く。
「さてさてえ。紫華様に、呪具師殿に、大魔導士殿まで。
こんな贅沢な客人が揃うとは、私としてもお、
……さあ、どうなさいます?」
レイグレン――そう名乗った男の足元で、呪具の一つが微かに震えた。
それに呼応するかの如く広間の魔力が揺らぐのを検知し、私は杖を握り直した。
……月影国における“満月”とはサンライズでの“紫位”と同等の意味を持つ。
つまり一度は国の象徴にまで上り詰めた男。一瞬たりとも油断は出来ない。
「……海で起きた黒い線の襲撃。あれ、あんたの仕掛け?」
レイグレンは楽しげに眉を跳ね上げた。
「仕掛けえ? ふふ……ああ、あれのことですかあ」
喉の奥で、湿った嘲りが転がるような声色。
「潮と瘴気の層がぶつかる境界に、ちょおっと呪具を組み込んでおりましてねえ。刺激されれば、ああして
つまり、ただの自動反応ですよお?」
「押し返す、ね。船を真っ二つにしたそれが?」
「えええ。潮は重いですからねえ。押し返すだけで十分です。
私としては、一々誰それを襲おうなんて気は毛ほどもありませんでしたが…それでもここを早い段階で見つけられると、少々不都合があったのでねえ? なに、種が割れれば非常に単純な仕掛けでしかありませんとも」
「船が沈没して、仲間と散り散りになったんだけど!」
「それは不憫なことですなあ。ただ物事の境界を甘く見ると、そういうことにもなるのですよ。私の装置はぁ、来たものをそのまま押し返すだけえ。触った者が勝手に潰れるのは……まあ世界の仕組みということで、ここは一つご容赦願いたいものですなあ。」
淡々と、まるで他人の失敗談でも話すように。
なのにその口調は愉悦で満ちていて、嫌悪よりも寒気が走る。
「リューグーの港に魔物の襲撃痕があった……調査に来た赤位探索者が亡くなって、南沿岸全域で瘴気の乱流が観測されて、交易船も欠航してる。既に実害が出ているのだけどそちらの弁解は?」
「実害…実害ねえ。私としてはあ、少しばかり潮と瘴気と魔物の流れを整えてあげただけでしてねえ。あれらはあ、元々居たんですよお? 私はそれに、ちょおっと手を加えただけでして…」
「その
「だからこそお、面白いのでしょう? 理が揺らげば、人も揺らぐ。揺らいだところに、どんな形が生まれるか――あああ、研究者として冥利に尽きますねえ!」
私の反論は暖簾に腕押し。相も変わらず喉の奥でくつくつ嗤いながら、あくまで愉快そうな姿勢を崩さないレイグレンに対し、ヴァルクが小さく息を吐いた。
「……月影国から追放された、という話は聞いていたが」
「おやあ? 噂は海を越えておるのですなあ。ええ、ええ、あれは中々愉快な茶番でしてねえ」
レイグレンは態とらしく胸に手を当て、天井を仰いだ。
「表向きはあ、私に恨みを抱いた連中が、追放先で
一瞬だけ、口元が笑いではなく、別の感情で歪んだように見えた。
だが、次の瞬間には元のねっとりした嗤いに戻っている。
「でもぉ? 正しいとは思いますよおおお? 私みたいな危険人物はあ! きっちりかっちり殺しとかないと夜も眠れませんものねえええええ!」
広間の空気が、その声に合わせてビリリと震えた。
鐘の音…もとい瘴気と潮の衝突音が、一瞬高く跳ねる。まるで彼の嗤いに呼応するように。
「……やはりのう。まともではなさそうじゃ」
リディアが静かに言った。
「儂も大概と言われるが、それでも都市ごと犠牲にする趣味は持ちとうない」
「評価ありがとうございますよお、大魔導士殿ぉ。ですがあ、私としてはまだまだ序の口でしてねえ。今までは少しばかり
レイグレンは黒い柱を、ぽん、と軽く叩いた。
その瞬間、床一面の紋様が微かに光る。波と渦の線が、少し形を変えた気がした。
「クーデリア」
ヴァルクが小さく囁く。
「これ以上、喋らせすぎるのは不味い。あれは
「分かってる」
私は即座に杖を構えた。
「杖に『風』を付与。……外層の空気を均して、揺らぎを殺す」
まずは彼と広間の『繋がり』を鈍らせるべきだ。レイグレンの声と鐘の音が噛み合うリズムを、少しでも崩す。
杖先から流れ出した風の魔力が、広間の外層を撫でるように走った。瘴気の層がほんの少しだけ薄まり、鐘の音の響きが鈍る。
レイグレンが、興味深そうに瞬きをした。
「おお? 外から音場を弄りますかあ。さすが紫華様、発想が素直でよろしい。実験のし甲斐がある素体ですなあ!」
「実験台になるつもりはないよ」
私は一歩踏み出し、レイグレンを真正面から見据えた。
「……ここで、あんたの遊びは終わらせる」
私は杖を強く握る。
海上で散り散りになった仲間たちの姿が脳裏をよぎり、喉が少しだけ詰まった。
(仲間の安否はまだ分からない。でも――だからこそ、ここで止める)
「終わらせる、ねえ……」
レイグレンは軽く首をかしげた。
その動きに合わせて、肩や胸元の呪具が、しゃらり、と微かな音を立てる。
金属同士が触れ合うだけの音のはずなのに、そこに魔力の揺らぎが混じっているのがはっきり分かった。
「でしたらあ――まず
そう言った瞬間、足元の呪具の一つが、ぱん、と乾いた音を立てて弾けた。
爆発…というより、役目を果たして終えたような音。
その直後、広間の空間に異変が生じる。視界の端で床の紋様がぐにゃりと曲がり始め……私たちが立つ領域とレイグレンの立つ中心部のあいだに、薄い膜のような歪みが走った。
「……位相を、ずらしたのか?」
ヴァルクが短く息を呑む。
「そうそうそうそう! 正解でございますよお、呪具師殿! ここにいる私と、そちらの足場とを、ほんの少しだけ
レイグレンは一歩、こちらに近づくように
位置だけが近づき、実体は決して触れない。そんな不気味な距離感。
「試してみますかあ? あなた方の攻撃が、こちらに届くかどうか」
挑発めいた嗤いと共に、喉の奥で粘つくように響く声。
リューグーを襲った一連の事件の首謀者が、こいつであることは最早疑いようもない。仲間が無事かどうかも分からない今の状況下…可能ならば即座にこの男を拘束ないしは排除して、さっさと捜索と合流に舵を切りたいところだ。
だからこそ――まずは一撃。
こちらの攻撃が本当に届くのかどうかを、ここで確かめる必要がある。