Re.紫華の付与師は今日もお留守番   作:さくさくの森

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第35話 アラブラハム・レイグレン③

 広間は風が通わないはずなのに、どこかで潮がひっそりと息をしているようだった。瘴気の膜が揺れるたび、鐘の音が響き、胸の奥を指で押されたような圧が残る。

 

(……この音も、全部こいつが握ってる。一刻も早く止めないと、地上が危ない。)

 

 レイグレンの分身は相変わらず愉快そうに…ただ嗤っている。肩から胸元へ下がる呪具が、しゃらり、しゃらりと揺れ、その音にすら魔力の揺らぎが混じっていた。

 

「ではあ――続きと参りましょうかあ?」

 

 彼の嗤いの余韻が広間に染みる中、私は一歩踏み出す。

 

(この分身体は、人と思って戦うべき相手では無い。それこそ、肉体としての死の概念が無いような相手だ。なら狙うべきは拘束でも殺害でもない。その維持線を切るのが唯一の攻略法!)

 

 横のヴァルクが、床を睨みながら告げた。

 

「クーデリア。この分身は三層で構成されている。外殻、媒介、根幹だ。そのうちの一番奥…根幹となる層が、柱と繋がっている。そこを断てば分身は維持できない筈だ」

 

 ヴァルクの言葉を受け、リディアもまた杖を構えながら頷く。

 

「外殻を焼いて弱らせるくらいは出来よう。儂の炎で、条件は整えてやれる」

 

「……分かった。二人とも、タイミングは任せる」

 

 私達のやり取りを受けて…レイグレンはあからさまに喜色を浮かべ、仰々しく…まるで演者のように両手を広げた。こいつが何を考えているのか…まるで分からない。先ほどから、ただこちらの攻撃を一方的に待っているだけ。……まさかあちらから攻撃をすることは出来ないのか? それとも別の狙いがあるのか…謎ではあるが、こちらとしてはそちらの方が都合が良いのであるが…そこは少々不穏に感じるところである。

 

「いやあ、三人がかりとは実に豪勢でございますねえ!

 ではあ――ご期待に応えましょうかあ?」

 

 レイグレンのこの言葉と同時に、空気が逆立つ。

 柱の根元に貼りついた呪具の一つが、じぃ……と音を立てて光り始めた。

 

 私は即座に叫ぶ。

 

「リディア、今!」

 

「心得たわ――《焔天崩星(えんてんほうせい)・破界焔(はかいえん)》!」

 

 リディアの杖先から、雷鱗龍をも仕留めた爆発的な火焔が放出され、柱の周囲が一瞬で高熱に包まれる。周囲の空間が歪むほどの圧倒的な熱量の暴虐。

 

(外殻が揺らいだ……!)

 

「ヴァルク!」

 

「任せろ!」

 

 ヴァルクが手袋に仕込まれた紋を発動する。

 刻印が黒く光り、床を走る細い魔力線を逆流させるように引っぺがした。

 

「媒介層、切断!」

 

 床の紋様が一瞬だけ強く光り、レイグレンの輪郭が僅かに揺らぐ。

 

「ほう……! そこを壊しますかあ」

 

 興味深そうに目を細めた顔が喜悦に歪む。

 

 ――今だ。

 私は粒状の媒介を指先でつまみ、杖の根元へ滑らせた。

 

「『斬』『光』混成付与。根幹まで届け!」

 

 風を切る音さえ出ない鋭い魔力の刃。

 斬が線を刻み、光が軌跡を固定し、私がその二つの混成を抑え込む。

 

 一閃。

 

 刃が床の中心へ走り――今度は吸い込まれない。

 

(届く……! 今回は吸われてない!)

 

 刃はそのままレイグレンの足元の線まで届き、眩く光った。

 

「おや……?」

 

 レイグレンの声が揺らぎ、胸元に罅が入る。

 対象は皮膚ではない。構造そのものの破断だ。

 

「あと少しだ!流し込め!」

 

 ヴァルクの声と同時に、私は追撃を重ねた。

 

「――裂けろ!」

 

 二撃目が根幹の線を完全に断ち切る。

 

 

 柱が唸り、内部から白い光があふれ――

 レイグレンの分身が霧散した。

 

 

 残滓が、嗤うように揺れて消える。

 

 

 広間に満ちていた鐘の音が、嘘みたいに止んだ。

 波と渦の紋様が音を失い、ただの石の床へと戻っていく。

 

 私は深く息を吐いた。

 

「……やった」

 

 ヴァルクも肩の力を落とす。

 

「…柱の機能が完全に停止した。

瘴気と潮の境界を揺らしていた核は、壊れた筈だ。」

 

 リディアも頷く。

 

「ふぅ…魔物を呼び寄せる鐘の音も、これでもう鳴らぬじゃろう」

 

 私はすぐに円盤の映像へ目を移した。

 

 水飛沫はまだ激しいが――新たな魔物の群れは、増えていないように見える。

 

 エルドが弓を引き、ラナが剣を振り、氷雨が幻影を展開し続けている。

 オーリスの結界が光を取り戻していく。

 

「あとは、持ちこたえるだけ……!」

 

 胸の奥に安堵が灯るその瞬間。

 

 霧散したレイグレンの残骸――

 いや、床の端に転がっていた小さな呪具が、

 ひとりでに青白く光った。

 

「……?」

 

 ヴァルクが眉を寄せる。

 

 次の瞬間。

 

 広間に、ねっとりした男の声が響いた。

 

『いやあ、いやあ、実に見事でございましたあ!』

 

 思わず身構える。

 

(……分身!? いや、違う。残響……?)

 

 呪具から漏れ出す声は、分身のそれと同じ。

 しかしそれは、遥かに深く、重い。

 

『まさか本当に根幹を断ち切れるとはあ! 流石は国家の象徴…紫華様とでも言ったところですねえ。ええ、ええ、私の研究史に残してあげたいほどに素晴らしい! 三人がかりとはいえ、私の分身を退けるとは大したものです。』

 

 リディアが杖を構え直す。

 

「……本体かえ?」

 

『本体。という呼称が正しいかは存じ上げませんが…私自身は別の作業で手が離せませんでしてねえ?』

 

 声が嘲りを含んで揺れる。

 

『ですがあ、ご安心くださいませえ。私の『目的』はとっくに果たされました故、ここでこれ以上の狼藉は働きませんとも』

 

「目的……?」

 

 私が呟くと、レイグレンの声が愉悦で歪んだ。

 

『さてえ? それは観測者の皆様でお考えくださればよろしい。ここから先は――どうぞご自由に、お好きなように頑張ってくださいませえ』

 

 呪具がぷつりと光を消す。

 

 それで、一切の音が消えた。

 

 分身の残滓は完全に消え、本体が来る気配は微塵もない。

 

 ヴァルクが険しい顔で呟く。

「……本体は、最初から近くにはいなかったか。こちらは囮……いや、観測対象、か?」

 

 潮の音が遠くでくぐもって響く中、私も口惜しさから歯を噛みしめる。

(自分が引き起こした揺らぎの結果だけを観測して、それで消えた? 奴の言い分を信じるなら、リューグーの一連の事件はただの実験。今後何か、もっと大きなことを引き起こすつもりということなのか?)

 

「さて……こやつの声も消えたことじゃし、ここから出たいところじゃが」

 

 リディアが広間を見渡すので、私もつられて周囲を見回した。

 

 ここは海の底の遺跡。天井は瘴気の膜で覆われ、階段らしきものは崩れている。

 柱の機能は停止したが、それはこの空間の中核が壊れたというだけ。

 

 つまり、特に出口にはなっていない。

 

「……どうやって地上に戻ればいいんだろ」

 

 ヴァルクが広間の隅を調べながら言う。

 

「崩落の跡があるな。奴が生身であれば出入りの機構が残されていたとは思うが……分身となれば残っている保証はない」

 

 リディアも天井を睨んだ。

 

「泳いで戻るには深すぎるし、瘴気で体ももたぬじゃろう」

 

 私は肩を落とす。

 

「海の底に閉じ込められた、ってこと?」

 

「まあ、そういう話になるのお……」

 

 リディアが苦笑いを漏らした。

 

 ヴァルクは腕を組み、石壁を叩く。

 

「……いくつか方法は考えられるが、試すには準備がいる。

遺跡の構造、瘴気の量、潮流の圧……一つずつ探っていくしかない」

 

 私は息を整える。

 

(上では皆がまだ戦ってる……けど、魔物の波は止まった。

今すぐ崩壊する状況じゃない。でも――急がないと)

 

「……確実に戻れる方法を探そう。

 あんな奴の観測対象のままなんて、絶対に嫌だから」

 

 リディアが笑う。

 

「うむ、儂も御免じゃな。

 本体は来ぬと分かった以上、ここから先は儂ら自身の手で道を拓かねば」

 

 ヴァルクが頷く。

 

「周囲の構造を読み取る。

 潮の圧が弱い場所、空洞、上へ伸びる空気の流れ……手がかりはある」

 

 私は杖を握り直し、深く息を吸い込んだ。

 

「帰るよ。みんなのところへ」

 

 三人で頷き合い、私たちは遺跡を更に調査することに決めた。

 

 ――仲間の元へ帰るために。

 




分身体撃破。
ただしレイグレン側からの攻撃は一切なしです。接待かな?

エルド達はクー子達の捜索を諦めた後に一旦港に戻ったところ、魔物の大群が襲撃してきたので急遽迎撃してます。ダンジョン外なのである程度の軍も常駐してますが、特筆する程の戦力でも無いので描写は省きます。そもそも5人で守り切れる規模では無いので、魔物の本隊はエルド達に任せて、駐屯軍は都市内に分散して守ってると思ってください。
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