ただ流れは特に変わりません。
side エルド
紅い爆炎が、海風に押されて渦を巻いた。
海面を焦がしながら、一際強い光が防壁の方へ伸びてくる。
あの焔は、リディアの魔法に間違いないだろう。
――だとすれば。
爆炎を推進力に空を飛ぶ三つの影がこちらへ近づくにつれ、三人の顔がはっきりと見えてくる。あれは間違いなく、船から海に落ち、行方知れずとなったクーデリア、ヴァルク、リディアの三人だ。
推進役がリディア、調整役がクーデリア。そしてリディアとクーデリアの二人をガチリと掴み、バラけないように抑え込むヴァルクという形で分担したのであろう。
「エルド――!」
クーデリアの声。
確かに届いた瞬間、肺に溜め込んでいた焦りが少し抜けた。
「……戻ったか」
自分でも驚くほど静かな声が出た。
ただ、それで十分だったらしい。
三人とも、僅かに肩を落とすのが見えた。
「まあそう簡単に死ぬ儂らでは無いということよ。隊長殿への報告は、後でじっくりしてやるとして……まず先に片付けじゃな! あ奴に比べれば可愛いものよ!」
クーデリアが防壁へ飛び乗るや否や、ラナが駆け寄って抱きつきそうな勢いで叫ぶ。……魔物の襲撃が続く現状では少々危険な行動ではあるが、着地直後に発動したリディアの雷魔法。《
「クー子!! 無事!? 本当に無事なの!?」
「……無事だよ。まあ、ちょっと海底まで沈んだだけで」
「いやそれ絶対無事じゃないよ!? なんで生きてんの!!?」
大きな安堵と、少し怒ったような声。
しかし、ラナの手が震えているのも見えた。
(ラナほど感情が素直に出る者も珍しいが……今回ばかりは共感してしまうな。正直、立っているだけで精一杯の数時間だった…)
そんな二人の様子に割り込むように、氷雨がそっとラナの腕を取った。
「ラナ、揺らすと危ないよ……クー子、まだ海水が残ってる」
「そ、そっか……ごめん」
「いや、もう平気」
クーデリアは肩についた海水を払う仕草を見せる。その様子はどこかもう『この程度は慣れた』とでも言いたげで……何なら防壁に杖を向けて付与魔法を行使し始めるその姿に、俺はつい口元が緩みそうになってしまった。
(ラナと氷雨の二人と会話しながらでも、自発的に『土』の付与で足場の補強まで進めるか…。探索者になりたての頃に比べ、彼女は本当に強かに成長した)
ただその言葉は、胸の内だけで呟く。最も警戒を続ける必要がある役職…レンジャーである俺が、今この状況で会話に混じることは許されない。
「この騒動の元凶と戦ってきてね……
海の底だったけど、境界の残滓のおかげで戻ってこられたよ」
クーデリアが
正直聞き流せない内容だったが…それでも今は追及すべきでない。
「潮と瘴気の残り香じゃな。押し返しの層が保っとる間に浮上できたわけじゃ」
「潮流は落ち着いてきてる。魔物の波も終息だ。柱を落とした影響が大きいな」
クーデリアの言葉をリディアとヴァルクが引継ぐ。
この三人には、後でじっくり話を聞く必要があるだろう。
(それにしても、よくぞあの深度から戻ってきたものだ。本来なら生還を期待するにはあまりに条件が悪すぎた)
「…隊長。現在の状況を、改めて確認出来ますか?」
クーデリアの問いに対して、俺は即座に答えた。
「見ての通り、既に魔物の波は止んだが…被害は大きい。港区画の防壁は崩壊寸前…だったが、今はもうその危険は無いな。少なくともクー子の付与が続く限りは無事だろう。ここが最大の激戦区だったのは間違いないが…それでも他の経路から都市の中に侵入した魔物も多数存在する。ただそちらは主に駐屯軍が対応することで、民間人や建造物への被害はかなり抑えられているようだ」
港や居住区画に火の手はなし、軍からの緊急サインも入っていない。つまり都市内部に入り込んだ魔物の数は、駐屯軍で十分対処が可能な範囲であったと判断すべきであろう。
「魔物は……海の中にまだ相当数残ってる…かな。大規模襲撃って感じは…もう…無さそうだけど、僕らはもう暫く…ここで警戒しておかないと危ないかも…ね?」
声の主は、氷雨。
本当ならもう、休ませてやりたい顔色だ。
しかし氷雨は最後まで戦場から目をそらさない。
(よく持ちこたえてくれた……氷雨がいなければ、港区画はとっくに崩れていた)
胸の底から、静かな感謝が込み上げた。
その時だ。
「さて……仕上げじゃな」
リディアが前へ出る。
銀紫の髪が風に揺れ、瞳の金が海を捉える。
「仕上げ?」ラナが聞き返す。
「潮の濁りと瘴気の残り香を焼き払う。海中に……熱を通せば良いのじゃよ」
「防壁への影響は?」
「大丈夫じゃ。下だけを焼くゆえ」
俺は即座に確認したが、リディアは確信を持った声色でそう答えた。
その言葉の無敵感に、周囲が思わず一歩引いた。
「ほ、ほんとに大丈夫なのかな……」
氷雨の不安な声に、リディアは少しだけ笑った。
「まあ見ておれ」
手元の触媒…粒を潰してから杖を掲げると、空気が一変した。
潮騒が一瞬止まり、光が縮む。次の瞬間、海が紅に染まった。
燃え盛るでもなく、暴れ狂うでもなく――
紫電を纏いながらもただ焼くべき場所だけを選んで焦がしていく静かな炎。
「《
音はない。
しかし海中が焼け崩れる圧だけが、確かに伝わってくる。
「まあ、こんなところじゃ。派手なばかりが魔法ではない。忌々しいが、ちょおっとばかり
瘴気の揺らぎが完全に消えた。
海中に潜んでいた魔物たちの影も、跡形もなく。
(……これで終わりだ)
それが確信として胸に落ちた。
改めて、戻ってきた三人を見やる。
クーデリア、リディア、ヴァルク。
船が破壊された直後、俺たち五人は上空に打ち上げられ、海面ではなくオーリスの結界の上に着地出来た。だがこの三人はどこにもいなかった。周辺を探ったが見つからず、海に沈んだ人間が長く生きていられるとも思えず……どこか諦めていたところは確かにある。
(戻ってきた……本当に)
俺は弓を下ろし、深く息を吸う。
「エルド」
クーデリアが近づきながら、静かに名を呼んだ。
その声に、やっと言えた。
「……よく戻った。無事で何よりだ」
「うん。心配かけた」
「心配して当然だ」
「……そう?」
首を傾げるその素直さに、思わず笑みがこぼれた。
「さて、報告と後処理が山のようじゃな」
リディアが肩を回す。
「少し休ませて欲しいです……せめて五分だけでも」
オーリスが苦笑した。
「甘いものを……食べたい……」
「食べようぜ! 今日は絶対、後でご褒美貰える働きだって!」
氷雨が小声で呟き、ラナがそれに乗っかる。
「……ご褒美、か」
ヴァルクも珍しく表情を緩めた。
俺はクーデリアと目を合わせた。
「帰るぞ。今日は皆で、温かいものを食べようか」
「うん。戻ろう!」
彼女がそう小さく笑った頃。
街の灯がひとつ、またひとつと灯り始めた。
嵐のような時間が終わったのだと、ようやく実感できた。
「――帰還確認。全員、無事だ」
俺は防壁の兵へ向けてそう告げた。
その言葉と同時に、長い戦いに区切りを告げる夜風が、防壁の上をそっと撫でていった。
突っ込みどころや説明不足はそれなりに消せたかな…?