『百載全霊武闘祭』は、予想だにしない結末の連続のまま第二回戦(準決勝)へと突入しました。
第一試合、特設闘技場の舞台へと上がったのは、一回戦で鮮やかな爆炎を披露した四楓院夕四郎、そして医療班のベッドから這い上がってきた黒崎一勇でした。
しかし、舞台に上がった一勇の姿を見て、観客席の死神たちだけでなく、審判の春水までもが「おや……?」と笠の奥の目を瞬かせました。
一勇の腰には、あの世界を暗転させた漆黒の刀――斬魄刀『無月』が携えられていなかったのです。完全に素手の状態。観客たちが「おい、あのガキ、刀を忘れてやがるぞ!?」とざわめく中、一勇は対面に立つ夕四郎を見つめて無邪気に笑いました。
「夕四郎お兄さん、刀は使わないんだよね? だったら、ボクも素手で遊ぶ!」
「……! なるほど、ボクの『白打(はくだ)』のスタイルに合わせるということですね! 舐められたものですが……お姉様のためにも負けられません!」
そう、四楓院夕四郎は姉の夜一と同じく、斬魄刀を抜かずに肉体そのものを武器とする、瞬歩と白打の達人。一勇はあえて相手の土俵に合わせる形で、刀を持ってこなかったのです。
「第一試合、始めなさい!」
春水の合図と同時に、夕四郎の姿が完全に掻き消えました。夜一譲りの、音さえも置き去りにする最高峰の隠密歩法。
一瞬で一勇の懐へと潜り込み、強烈な爆炎を纏った拳が少年の顔面へと突き出されます。
――しかし。
ドォォォォォン!!!
強烈な肉撃の音が響き渡りましたが、吹き飛んだのは夕四郎の方でした。
一勇は夕四郎の超高速の拳を、ただの最小限の手のひらの動きだけで完璧に受け止め、逆に相手の踏み込みの慣性を利用して、強烈なカウンターの掌打を夕四郎の胸元へと叩き込んでいたのです。
「な、つよっ……!?」
白砂を転がりながら夕四郎が驚愕の声を上げます。
一勇は、斬魄刀を奪われた肉弾戦(白打)においても、圧倒的な強さを誇っていました。無間の底で藍染から叩き込まれた、身体能力を極限まで霊圧で強化する呼吸法。そして、あらゆる強者の動きを一度で盗み取る模倣能力。夕四郎がどれだけ鋭い蹴りや拳を繰り出そうとも、一勇はそれらをひらりとかわし、逆に夕四郎の肉体を的確に打ち抜いていきました。
(……やっぱり、この人は動きが綺麗だな。お姉さんの瞬歩にすごく似てる。じゃあ……足止めはこれだね)
一勇は夕四郎の猛攻を片手でいなしながら、もう片方の手をすっと天へと掲げました。
その瞬間、闘技場全体の霊子が不気味に歪み、一勇の小さな唇から、世界を凍りつかせるような冷徹な完全詠唱が紡がれ始めました。
「『滲み出す混濁の紋章、不遜なる狂気の器、湧き上がり否定し、痺れ瞬き、眠りを妨げる。這い回る鉄の王女、絶えず自傷する泥の人形、結合せよ、反発せよ、地に満ち己の無力を知れ』」
その禍々しい呪文の文句が響き渡った瞬間、観客席にいた浦原喜助がベンチからガタッと立ち上がり、夜一の顔から完全に余裕の笑みが消え失せました。出番を待つ冬獅郎や拳西も、そのおぞましい言霊に総毛立っています。
「おい、まさか……あの詠唱は……っ!?」
一勇は夕四郎を真っ直ぐに見つめ、いたずらが成功したかのように無垢に微笑みながら、その名を唱えました。
「――破道の九十、『黒棺(くろひつぎ)』」
――ズガァァァァァン!!!
天から降りてきたのは、光を一切透過させない、巨大な黒い重力の立方体。
夕四郎の叫び声すらも一瞬で闇の中に消し去り、闘技場の中央にそびえ立つ漆黒の棺が、無数の重力の刃を内側へと突き立てました。
静まり返る戦場。
あまりの事態に、地平線を埋め尽くす観客たちは、恐怖のあまり悲鳴を上げることすらできずに絶句していました。
「ば、馬鹿な……! 九十番台の鬼道だと……!?」
「あんな術、真央霊術院の学校じゃ絶対に教えられねえぞ……! 一体どこで、誰に教わったんだあいつは……っ!?」
モブの死神たちが冷や汗を流してガタガタと震え、特等席の一護も「黒棺……? なんで一勇があいつ(藍染)の術を……」と、顔を真っ青にして絶句しています。
やがて、黒い棺が霧のようにサラサラと消滅すると、そこには完全に霊圧を奪われ、ピクリとも動けなくなった満身創痍の夕四郎が横たわっていました。文句なしの戦闘不能。
「……そこまで! 勝者、黒崎一勇!」
春水の審判の声が響き渡った瞬間、会場は歓声ではなく、一勇という八歳の子供が秘める「底知れない深い闇」への強烈な恐怖と戦慄に包まれました。
一勇は「夕四郎お兄さん、遊んでくれてありがとう!」と無邪気に手を振ると、四番隊の救護班が慌てて夕四郎を担架で運んでいくのを見送りました。
真央霊術院の常識をすべて破壊し、最凶の反逆者・藍染惣右介の影をその身に宿した怪物。一勇は、次なる決勝の舞台――日番谷冬獅郎か、六車拳西か、どちらが勝ち上がってくるかも分からないその最後の頂に向けて、静かに、そして不気味なほどに純粋な笑顔を絶やさないのでした。
一勇が放った完全詠唱の『黒棺』という禁忌の力が、特設闘技場の空気を不気味に冷え付かせる中、第二回戦の第二試合が始まりました。
舞台へと上がったのは、九番隊隊長・六車拳西、そして十番隊隊長・日番谷冬獅郎。
二人は舞台の中央で対峙したその瞬間から、言葉を交わすよりも早く、同時に自らの霊圧を極限まで爆発させました。一勇という怪物の出現が、隊長たちの闘争本能に完全に火をつけていたのです。
「――『卍解(ばんかい)』!! 鐵拳断風(てっけんだんふ)ッ!!」
「――霜天(そうてん)に坐せ、『氷輪丸(ひょうりんまる)』!!」
ズドォォォォォン!!!
激突の最初から、二人はすでに能力を解放していました。
両腕に白銀の装甲を纏い、空間を切り刻む無限の爆風を背負った拳西。そして、刀身から溢れ出す圧倒的な絶対零度の冷気で、闘技場の半分を一瞬で白銀の氷原へと変えた冬獅郎。
春水の右手が振り下ろされると同時に、二人の始解と卍解が正面から激突しました。
ガガガガガガガッ!!!
白砂が嵐のように舞い上がり、観客席の死神たちが息を呑む中、戦況は驚くべき形を見せ始めました。二人の攻防は一見すると互角の激しいぶつかり合いに見えましたが、実際は冬獅郎が完全に戦いの主導権を握り、じわじわと拳西を押し始めていたのです。
拳西は卍解の圧倒的な出力を誇る拳撃を容赦なく叩き込みますが、冬獅郎は氷輪丸から放たれる氷の壁を巧みに操り、その爆風の威力を最小限に受け流します。それどころか、冬獅郎は氷雪の力だけでなく、高度な鬼道を戦闘の合間に完璧に組み込み、縦横無尽に駆使していました。
「『千手の涯、届かざる闇の御手……』――破道の三十三、蒼火墜(そうかつい)!」
冬獅郎が至近距離から放った爆炎の奔流が、拳西の鉄拳の軌道をわずかに逸らします。拳西がそれを力任せに振り払った瞬間、冬獅郎はすでに次の呪文を完成させていました。
「縛道の六十一――六杖光牢(りくじょうこうろう)!」
六条の光の帯が、卍解状態の拳西の動きを一瞬だけ縛り付けます。流石に拳西の圧倒的な霊圧によって瞬時に破壊されましたが、冬獅郎にとっては、そのわずかな「一瞬の隙」だけで十分でした。氷輪丸の鋭い氷の刃が、拳西の死覇装を正確に切り裂いていきます。
「舐めるなよ、日番谷ァ!!」
拳西が吠え、さらに炸裂の速度を上げますが、冬獅郎は冷静に瞬歩でその死角へと回り込みます。
卍解という最大火力を誇る拳西に対し、冬獅郎は自らの卍解を温存したまま、氷輪丸の冷気、瞬歩、そして鬼道を完璧な歯車のように噛み合わせる「智略」によって、その猛攻を完璧にいなし、なんとか、しかし確実に拳西を追い詰めていきました。
そして、砂煙を突き抜けて拳西が放った渾身のストレート。その拳が一勇を模したような鋭い軌道を描くより早く、冬獅郎の凍てつく刃の切っ先が、拳西の喉元へと寸止めでピタリと突きつけられました。
「……そこまで。勝者、日番谷冬獅郎!」
春水の声が響き渡った瞬間、闘技場は、自らの卍解を一度も使うことなく、始解と知略だけで勝利を収めた冬獅郎への、地鳴りのような大歓声と拍手に包まれました。
「……はぁ、はぁ……。やってくれるじゃねえか、日番谷。まさか、一度も卍解を引き出せずに終わるとはな」
拳西は苦笑いしながら卍解を解き、清々しい表情で刀を収めました。冬獅郎もまた、氷輪丸を鞘へと納めながら静かに息を吐きます。
「悪いな、六車隊長。俺には、次の決勝で……あのガキの『無月』のすべてを正面から叩き潰さなきゃならねえ理由があるんだ。こんなところで、手の内を全部見せるわけにはいかねえよ」
冬獅郎の視線の先――観客席の最前列で、一勇がじっとその試合を見つめていました。その赤黒い瞳には、あの日と同じ、けれど何倍も深く、不気味に澄んだ「渇望」の光が灯っています。
こうして第二回戦がすべて終了し、100年に一度の『百載全霊武闘祭』は、ついに最後の舞台へと至りました。
決勝戦。
無間の底から這い上がってきた八歳の怪物・黒崎一勇と、その怪物を正面から迎え撃つためにすべてを研ぎ澄ましてきた十番隊隊長・日番谷冬獅郎。二人の天才による、世界の理を揺るがす最後の決戦が、いよいよ幕を開けようとしていました。
特設闘技場の熱気は、すでに天をも焦がさんばかりに膨れ上がっていました。
100年に一度の『百載全霊武闘祭』。その最後の舞台に上がったのは、無間の影をその身に宿した八歳の怪物・黒崎一勇と、すべてを研ぎ澄まして勝ち上がってきた十番隊隊長・日番谷冬獅郎。
白亜の舞台の中央で、二人は静かに対峙しました。割れんばかりの歓声が響く中、冬獅郎は腕を組み、冷徹な眼光を一勇へと向けます。
「待たせたな、一勇。約束通り、お前のその力を正面から叩き潰してやる。……だがその前に、一つだけ聞かせてもらいたいことがある」
「なに、隊長?」
一勇はいつものように、木漏れ日のような無垢な笑顔で首をかしげました。冬獅郎の視線が、一勇の小さな手元へと落とされます。
「さっきの試合で、お前が使った『黒棺』のことだ。九十番台の破道は、そのあまりの破壊力ゆえに、真央霊術院での使用や指導は厳しく禁じられている。今回の武闘祭のルール上、試合での使用自体は反則じゃねえ。……だがな、あの術は今となっては、瀞霊廷の図書室にすら、その詠唱文の資料すら残っていないはずの禁忌の鬼道だ」
冬獅郎の言葉に、客席の一護や重鎮たちもゴクリと息を呑んで二人の会話に耳を澄ませていました。冬獅郎はさらに一歩、一勇へと近づきます。
「学校でも教えられず、資料すら存在しないその術を――お前は一体どこで、誰に教わって、どうやって覚えた?」
それは、この半年の間、一勇が一体どこの「深淵」に足を踏み入れていたのかを問う、鋭い追究でした。
㠀しかし、一勇の口元に浮かんだのは、ゾクリとするほど澄んだ、どこか不気味な笑みでした。
「えへへ、それは秘密。……でもね、隊長がボクに勝てたら、ちゃんと教えてあげる」
「……フン、上等だ。お前のその口、力ずくで開けさせてやるよ」
冬獅郎が不敵に笑うと同時に、二人の霊圧が完全に限界を突破して爆発しました。
最初から、二人は一刻の猶予もなく自らの刃の真名を叫び、全開の状態で戦いを始めました。
「――霜天(そうてん)に坐せ、『氷輪丸(ひょうりんまる)』!!」
「――天を穿て、『無月(むげつ)』!!」
――ズガァァァァァンッッッ!!!
空間が完全に二色へと引き裂かれました。
冬獅郎の刃から放たれる、天相を支配する絶対零度の圧倒的な白銀の冷気。そして、一勇の手元から溢れ出す、光すらも吸い込むような完全な漆黒の闇。
大練兵場の時とは比較にならないほどの激しい衝撃波が闘技場全体を揺らし、白砂が嵐のように舞い上がる中、二人の天才による世界の理を揺るがす最後の決戦が、ついに幕を開けました。
――キィィィィィンッッッ!!!
大天蓋が引き裂かれるかのような鋭い金属音が、白亜の闘技場に鳴り響きました。
最初の一歩から、二人の速度は常識を遥かに置き去りにしていました。観客席の死神たちの目には、交錯する白銀の冷気と漆黒の闇の「残光」しか捉えることができません。
「オラァッ!」
冬獅郎が氷輪丸を一振りすると、大気中の水分が瞬時に氷結し、巨大な氷の鋭刃となって一勇の頭上から無慈悲に降り注ぎました。
しかし、一勇は不気味なほどに澄んだ瞳のまま、漆黒の『無月』を真っ正面から迎え撃ちます。
――パチン。
冬獅郎の放った巨大な氷の質量が、一勇の刃に触れた刹那、その傷口から「最初から存在しなかったかのように」サラサラと音を立てて消滅していきました。これが無間の底で藍染と共に練り上げた、一勇の『無月』の第二の能力。触れた局所の霊圧そのものを強制的に無化する力です。
「……チッ、相変わらず厄介な能力(力)だ!」
冬獅郎は即座に刃を引き、氷の連撃を放ちながら一勇との距離を絶妙にコントロールします。触れれば霊圧を削られる。ならば、一瞬の接触すらも許さない圧倒的な手数と智略でねじ伏せるのみ。
しかし、一勇の成長は冬獅郎の想像を遥かに超えていました。
一勇はバックステップで冷気の嵐をかわしながら、空いた左手を滑らかに突き出します。
「『雷電の馬車、紡ぎ車の隙間、光を以てこれを分かつ』……破道の四、白雷!」
詠唱によって極限まで威力を高められた極太の雷光が、冬獅郎の視界を真っ白に染め上げました。冬獅郎は瞬歩でそれを紙一重でかわしますが、一勇はすでに次の術の構築を完了させています。
「『六界の法、光明の網、逃るる隙なく縛せよ』……縛道の四、這縄(はいなわ)!」
空間から這い出た無数の光の縄が、冬獅郎の四肢を絡め取ろうと襲いかかります。
基本の術でありながら、藍染から叩き込まれた「戦いの呼吸」によって、斬撃の合間に完璧なタイミングで織り交ぜられる鬼道の連撃。
「――舐めるなよ、一勇!」
冬獅郎は力任せに霊圧を爆発させて光の縄を霧散させると、逆にその反動を利用して上空へと跳ね上がりました。
「『千手の涯、届かざる闇の御手……』――破道の三十三、蒼火墜(そうかつい)!」
上空から放たれる、広範囲の爆炎の奔流。闘技場全体が激しい炎と白煙に包まれます。
しかし、その炎のカーテンを切り裂いて飛び出してきたのは、一勇の放ったあのオリジナル鬼道でした。
「破道之七十四――『漆夜黎明(しつやれいめい)』!」
炎を吸い込みながら突き進む、光すら透過させない漆黒の闇の球体。
冬獅郎は空中で身を翻し、氷輪丸の刃でその球体を真っ二つに受け流そうとしますが、術が刃に触れた瞬間、氷雪の霊圧が強制的に融解させられる不気味な手応えに、冬獅郎の背筋が冷たく凍りつきました。
(ただの鬼道じゃねえ……! 鬼道そのものに、あいつの『無化』の霊圧が上乗せされてやがるのか……っ!?)
激しく火花を散らし、互いの斬魄刀の能力と、高位の鬼道・縛道が目まぐるしく交錯する決勝戦。
一見すると互角、いや、一勇の不気味な戦術が冬獅郎を侵食しているかのような緊迫した攻防に、観客席の死神たちは固唾を呑んで見守るしかありませんでした。
断絶ノ鏡による強烈なカウンターと、かすり傷から霊圧を無化していく不気味な刃。一勇の底知れない能力を前に、冬獅郎は一度大きく距離を取り、白砂を踏み締めて激しく肩で息をしました。
「……チッ、このまま小細工の削り合いを続けても、拉致(らち)があかねえな」
冬獅郎は自らの傷口を一瞥し、これ以上始解のままで踏み込むのは危険だと判断しました。戦えば戦うほど、こちらの霊圧がじわじわと削られていく。ならば、そのすべてを凍結させて圧倒するのみ。
冬獅郎が刀を天へと構え直した瞬間、大練兵場全体を揺るがすほどの、凄まじい白銀の霊圧が天空へと噴き上がりました。
「――『卍解(ばんかい)』!! 大紅蓮氷輪丸(だいぐれんひょうりんまる)!!」
――ドゴォォォォォン!!!
世界が一瞬で白銀に染まりました。冬獅郎の背後に巨大な氷の翼と尾を持った龍が顕現し、闘技場全体が完全な絶対零度の世界へと変貌を遂げます。前回、一勇がその圧倒的な質量に恐怖し、おじけづいた本物の最高峰の力。
冬獅郎は巨大な氷の龍を背負いながら、鋭い眼光を一勇へと向けました。
「待たせたな、一勇。……お前、さっき更木との試合の最後、何か言いかけてただろ。隠す必要はねえ。お前も、もう使えるんだろ?」
冬獅郎のその言葉に、観客席の死神たち、そして一護や織姫までもがハッと息を呑みました。まだ八歳の見習い少年が、死神の最終奥義に至っているのかという戦慄。
一勇は、吹き荒れる吹雪の中で漆黒の『無月』を構え直し、ゾクリとするほど澄んだ笑顔を浮かべました。
「……うん。おじさん(藍染)にはね、まだ安定しないから使っちゃダメって言われてたんだ。だけど……」
一勇の足元から、世界のすべてを拒絶するような、ドロドロとした完全な虚無の闇が溢れ出し、冬獅郎の白銀の氷をじわじわと侵食し始めます。
「今の隊長を見てたら、なんだか完璧に使いこなせる気がするよ」
少年の小さな体から噴き上がる、天をも穿つほどの悍ましい闇の系譜。
ついに、死神の歴史を完全に終わらせかねない、八歳の怪物の「卍解」が、この白亜の舞台で産声を上げようとしていました。
吹雪が激しく吹き荒れる特設闘技場の中央で、八歳の少年がそう呟いた瞬間、世界が完全にねじ切れるかのようなおぞましい地鳴りが響き渡りました。
「――『卍解(ばんかい)』。……『無月・天穿虚空(むげつ・てんせんこくう)』」
――ドゴォォォォォンッッッ!!!
その名を世界へと解き放った刹那、一勇を中心に、闘技場全体を呑み込むほどの漆黒の炎の渦が爆発的に狂い咲きました。それは物理的な熱を持たない、光すらも吸い尽くす完全な虚無の業火。同時に、天をも穿つほどの悍ましい霊圧の奔流が、津波となって観客席へと押し寄せます。
「うっ……あ、がっ……!?」
その異次元すぎる重圧の波動に魂魄が耐えきれず、客席にいた数多くの実力不足の死神たちが、一人、また一人と白目を剥いてその場にバタバタと気絶し、崩れ落ちていきました。空間そのものが窒息するような絶対的な恐怖。
渦巻く黒炎のカーテンがサラサラと消滅していく中から現れた少年の姿に、特等席の一護の目が驚愕に見開かれ、織姫は息を吸うことすら忘れて絶句していました。
一勇の瞳からは、それまで張り付いていた無邪気な光が完全に消え失せていたのです。後に残ったのは、相手の息の根を止めるためだけに研ぎ澄まされた、底の知れない冷徹さと残酷なまでの真剣さ。
一勇の纏っていた死覇装は、裾や袖が赤黒い裏地を孕んだ漆黒の長外套(コート)へと融解し、その小さな両手には、光を一切反射しない漆黒の細身の双剣が美しく研ぎ澄まされて握られていました。
(……黒い炎、そして双剣。あの佇まいは……)
冬獅郎の顔から、完全に余裕の笑みが消え失せました。
しかし、戦いの中で冷徹に変貌した一勇は、冬獅郎に思考する隙など与えません。漆黒の長外套を冷風に翻し、その双剣が一瞬で冬獅郎の肉体を両断せんとする、冷酷なまでの殺意を伴って一閃されました。
「ハァァァァァッ!!!」
冬獅郎は大紅蓮氷輪丸の翼を激しく羽ばたかせ、天相支配の全力を以て、超巨大な氷の龍の乱舞を一勇へと放ちました。一刀のもとに世界を凍らせる、容赦のない隊長の本気の一撃。
しかし、迫り来る白銀の絶望に対し、一勇が双剣を正面から振り下ろすと、その刃から放たれる漆黒の炎(黒炎)が、氷を溶かすことなく先端からサラサラと虚空へと『消滅(無化)』させていきました。
「……くっ、なんて真っ直ぐで、冷酷な太刀筋だ……!」
冬獅郎は激しい切り合いを展開しながら、超高速の瞬歩で一勇の死角へと回り込み、氷輪丸の刃を何度も交錯させます。
しかし、白銀の冷気と漆黒の炎が激しくぶつかり合う中、冬獅郎はある決定的な「異常」に気づき、背筋に強烈な戦慄を覚えました。
(な……に……? 霊圧の消費が、早すぎる……!?)
一勇の双剣が放つ黒炎の残光に触れるたび、冬獅郎の肉体や刃から、死神の生命線である霊力が直接焼き尽くされて消えていく。
激しい死闘が進むにつれて、冬獅郎の背後に浮かんでいた大紅蓮氷輪丸の象徴である、あの巨大な氷の結晶の数々が、一勇の黒炎に霊圧を根こそぎ喰い破られるようにして、一つ、また一つと確実に減っていったのです。
「おいおい……あの黒崎のガキ、戦いを楽しんでるんじゃねえ。……あれは、ただ冷徹に相手を解体しようとしてる動きだぞ……っ!」
観客席のモブ死神たちがその残酷なまでの強さにガタガタと震え、特等席の一護も「一勇……お前、その戦い方は……」と、息子のあまりの変貌ぶりに戦慄を隠せずにいました。
冬獅郎の背後の氷の結晶は、すでに最後の一つを残すのみ。
一勇は冷たく澄んだ赤黒い瞳でその姿を捉え、一切の感情を排した声で静かに呟きました。
「――終わりだよ、隊長」
双剣から放たれる黒炎の密度がさらに跳ね上がり、逃げ場を完全に塞ぐようにして、絶対的な終焉の業火が冬獅郎の肉体へと迫ります。
背後の氷がすべて消え去るその瞬間、冬獅郎は激しい出血を伴う深い傷を負いながらも、覚悟を決めたように氷輪丸を握り直しました。この「氷が尽きた瞬間」こそが、大紅蓮氷輪丸が真の力を現す時――。
パリィィィン……ッ!!!
一勇の放った容赦のない黒炎が、冬獅郎の背後に浮かぶ最後の氷の結晶を完全に喰らい尽くし、粉々に砕け散らせました。
誰もが「日番谷隊長の卍解が限界を迎えた」そう確信した、まさにその刹那。闘技場全体を包んでいた絶対零度の冷気が、それまでとは比較にならないほど、おぞましい密度で大気を凍らせ始めました。
「……ハァ、ハァ……。悪ぃな、一勇。拉致があかねえと言ったのは、なにもお前に押し込まれていたからじゃねえ」
深い煙の奥から、低く、しかし凛とした大人の男の声が響き渡りました。
一勇の赤黒い瞳が、初めて不穏に細められます。
霧が晴れたそこに立っていたのは、いつもの少年の姿をした冬獅郎ではありませんでした。
背後の氷が尽きたことで大人の姿へと急激な変身(大紅蓮氷輪丸の真の解放)を遂げた、十番隊隊長の真の姿。長身となったその肉体からは、ただそこに存在するだけで大気中の水分が凍りつき、一勇の放つ漆黒の炎すらも根元から凝固させてしまうほどの、圧倒的な絶対零度の霊圧が吹き荒れていました。
「待たせたな。大紅蓮氷輪丸はな、後ろの氷が尽きた時――ようやく、真に完成するんだ」
冬獅郎が美しく洗練された刀身をひと振りした瞬間、闘技場を埋め尽くしていた一勇の黒炎が、燃え盛る形のままパキパキと一瞬で完全に凍りつきました。
「……っ!」
一勇は漆黒の長外套を翻し、即座に『無月・天穿虚空』の双剣を交差させて身を構えましたが、大人の冬獅郎が放つ踏み込みの速度は、先ほどまでとは次元が違っていました。
瞬歩を認識する間すら与えず、一勇の目の前に滑り込んだ冬獅郎の刃が、空間ごと一勇を切り裂きにかかります。
ガギィィィンッッッ!!!
一勇は双剣でなんとかそれを受け止めましたが、刃から伝わる氷雪系最強の圧倒的な質量と冷圧に、少年の小さな体は耐えきれません。
氷の結晶を失ったはずの冬獅郎の猛攻の前に、一勇は文字通り真っ正面から押し込まれ、白砂の上を何十メートルも激しく吹き飛ばされて壁際へと叩きつけられました。
「がはっ……!」
冷徹に研ぎ澄まされていた一勇の顔に、初めて焦燥と深いダメージの血が滲みます。受け止めようとした黒炎すらも、冬獅郎の「触れたものすべての機能を四歩で凍結させる」圧倒的な大人の力の前に、発動する前に凍りついて霧散していくのです。
完全に防戦一方となり、初めて大人の『本物の頂点』の前に圧倒され、窮地に立たされる一勇。
しかし、その絶望的な状況の中で、少年の肉体の奥、魂のさらに深い奈落の底で、お父さんの一護から受け継いだ、あの悍ましくも禍々しい「別の力」が、不気味に胎動を始めようとしていました。
大人の姿となった冬獅郎の圧倒的な絶対零度。その猛攻の前に完全に防戦一方となり、闘技場の壁へと叩きつけられた一勇は、全身の骨がきしむような激痛の中で、冷徹にその瞳を細めました。
――卍解を完全な形で引き出したことによって、少年の魂の奥底でずっと抑え込まれていた、もう一つの凶悪な檻が内側から乱暴にぶち破られたのです。
「……あ、あ、ァ……」
一勇の喉から、死神のものではない、悍ましくも禍々しい咆哮が漏れ出しました。
次の瞬間、少年の顔面へ泥のように赤黒い霊圧が這い回り、凄まじい音を立てて白い虚(ホロウ)の仮面が形成されていきます。一護の「内なる虚」から脈々と受け継がれてきた、世界を呪うかのような圧倒的な破壊の衝動。
ドゴォォォォォンッッッ!!!
闘技場全体が、これまでの漆黒の闇とも違う、狂気に満ちた白と黒の混ざり合う霊圧の爆発によって激しくねじ切れました。あまりの不吉な気配に、審判席の春水が花天狂骨の柄を握り締め、すっくと立ち上がります。
「やれやれ、流失する霊圧の質が変わりすぎているねぇ……。これ以上は大祭の範疇(はんちゅう)を超えている。僕が止めに――」
「おっと、待ち合いなさい、総隊長」
一歩踏み出そうとした春水の前に、緑白の帽子を目深にかぶった浦原喜助が、扇子でその歩みを静かに遮りました。
「浦原クン、退きなさい。あの子は今、完全に力に飲まれて暴走しかけている」
「いいえ、よく見てください。あの一勇クンが、ただ力に溺れて我を忘れるようなタマに見えますかねぇ? 彼は完全に力に飲まれているわけじゃありません。……今、自分の意志で、あの暴れる獣の首輪を握り直そうとしていますよ」
浦原の言葉通り、暴走するかと思われた白き霊圧の嵐は、一勇の強靭な精神力によってみるみるうちに圧縮され、制御(コントロール)されていきました。
煙の向こうから現れたその姿は、観客席の全員の言葉を奪うほどに白と黒が完璧に融合した、最高に洗練された格好いい姿へと変貌を遂げていたのです。漆黒の長外套の半分が真っ白な虚の装甲へと染まり、手にする『天穿虚空』の双剣の一振りが、純白の刃へと反転していました。
「――いくよ、隊長」
感情を排した冷徹な声と共に、一勇の姿がその場から音もなく消失しました。大人の冬獅郎の動体視力すらも置き去りにする、異次元の超高速。
冬獅郎が反射的に氷輪丸を振るった瞬間、一勇はすでにその正面へと肉薄し、反転した白き刃の先端に、歪な高密度の霊圧を爆発的に収束させていました。
「――『虚閃(セロ)』」
――ドバァァァァァンッッッ!!!
至近距離から解き放たれた、すべてを焼き尽くすような極太の深紅の光線。大人の冬獅郎の絶対零度の氷壁が、その圧倒的なホロウの大火力によって真っ正面から激しく相殺され、闘技場全体が目眩むような爆炎に包まれます。
ここからは、まさに言葉を失うほどの互角の極限死闘でした。
卍解することによって、自らの中に眠っていたホロウの力が完全に暴れ出し、それを死神としての知略と不気味な技術で強引に手懐けて戦う八歳の怪物。一勇は、漆黒の炎と深紅の虚閃を縦横無尽に操りながら、大人の姿となった冬獅郎の神域の剣筋を真っ正面から受け止め、激しい金属音を響かせて切り結びます。
世界の頂点に立つ大人の智略と、すべての常識をその手で覆していく怪物の雛。
『百載全霊武闘祭』の舞台を完全に破壊しながら、いよいよ引き返せない本当の終焉へと向かって加速していくのでした。
白と黒が完璧に融合した一勇の『虚閃(セロ)』と、大人の姿となった冬獅郎の絶対零度の氷が、闘技場の中央で幾度も激しく相殺され、世界が白銀と漆黒に交互に塗り替えられていきます。
しかし、神域にまで達したその異次元の死闘は、あまりにも激しく互いの魂を削りすぎていました。
――ガギィィィンッッッ!!!
激しい金属音が響く中、二人の動きが目に見えて鈍り始めます。限界を超えた大火力を放ち続けたことで、徐々に、しかし確実に二人の霊力が減っていきました。
まず一勇の体を包んでいた白き虚の装甲がサラサラと剥がれ落ち、続いて冬獅郎の背後にあった氷の翼が自重に耐えかねるように崩れ去ります。維持する霊力すら底をつき、二人の卍解は完全に解除されていきました。
「……はぁ、はぁ……っ、まだ、終わらねえぞ……!」
「うん……っ、ボクも……!」
卍解が解け、始解の姿に戻ってもなお、二人は戦いを止めませんでした。
一勇は『無月』の漆黒の刃を、冬獅郎は『氷輪丸』の美しい刃を構え、残されたわずかな霊圧を振り絞って泥臭く刃を交わし続けます。限界を迎えた肉体が悲鳴を上げ、視界がかすむほどの消耗戦。
そして、一勇は残されたすべての霊力を、その漆黒の刃へと一気に収束させました。
「――『冥牙天衝(めいがてんしょう)』……ッ!!」
一勇が最後の力を振り絞って放った、渾身の漆黒の斬撃。闘技場の床を抉りながら迫るその闇の奔流に対し、冬獅郎は一歩も引くことなく刀を構え直しました。
「『千手の涯、届かざる闇の御手……』――破道の三十三、蒼火墜(そうかつい)!!」
冬獅郎が放った完全詠唱の爆炎の術が、一勇の冥牙天衝と真っ正面から激突しました。
――ズガァァァァァン!!!
凄まじい爆風が吹き荒れ、一勇の放った最後の冥牙天衝を、冬獅郎の術が完璧に相殺しました。
その大爆発の衝撃波の渦中で、ついに二人の内なる霊圧が完全に空っぽになります。
パキィン……と、切ない音を立てて『無月』の闇も『氷輪丸』の冷気も消え去り、二人の刀は始解すらも解除され、ただの『浅打(あさうち)』へと姿を戻しました。
「……っ、うあぁぁッ!!」
「……おおぉぉッ!!」
霊力も能力もすべてを失い、二人は浅打のまま、弱り果てた体でなおも互いに切りかかろうと、最後の一歩を踏み出しました。
しかし、刃が交わるよりも早く、肉体の限界が訪れます。
バタリ。
力尽きた二人は、同時に激しく白砂の上に倒れ込んでしまいました。
静まり返る闘技場。観客席の誰もが、息を呑んでその結末を見つめています。一護も織姫も、言葉を失って舞台の二人を凝視していました。
「はぁ……はぁ……、っ……」
意識が朦朧(もうろう)とする過酷な暗闇の中。
泥をすするような静寂を引き裂いて、わずかに砂が擦れる音が響きました。
ボロボロになり、呼吸すらまともにできない状態でありながら、一勇がゆっくりと、ふらつきながらもその足で立ち上がったのです。浅打の刀を杖代わりにし、執念だけでその場に直立してみせた八歳の怪物。
仰向けに倒れたまま、一勇のその姿を朦朧とする視界の中で見上げた冬獅郎は、自らの敗北を悟り、どこか清々しく、不敵に口元を緩めました。
「……へっ。……見事だ、一勇。お前の……勝ちだ……」
冬獅郎が自らの口で、一勇の勝利をはっきりと認めました。
100年に一度の『百載全霊武闘祭』、その決勝戦。すべての常識を覆し、護廷十三隊の若き天才隊長を真っ正面から打ち破ったのは、無間の底から這い上がってきた小さな怪物の雛、黒崎一勇でした。