死神の養成機関である「真央霊術院」では、未来の護廷十三隊を担う若者たちが、日々その才能を磨いています。通常は霊力を持つ魂魄が入学する場所ですが、現世から特例で通う八歳の一勇にとって、そこは少し変わった、けれど楽しい「新しい学校」でした。
その日の授業は、死神の基本中の基本である「霊圧のコントロール」についてでした。
「いいですか皆台(みなさん)。霊圧とはただ放出すればいいものではありません。自分の器の中にしっかりと留め、コントロールすることこそが――」
教壇で先生が熱弁を振るう中、一勇は昨日、無間で藍染から言われた言葉を思い出していました。
『霊圧の収束が甘いね』
(おじさん、こうやってギュッと集めるのが大事って言ってたなぁ。やってみよう!)
一勇は素直に、昨日習った感覚を再現しようとしました。
――しかし、それが間違いでした。一勇が自らの膨大な霊圧を「正しくコントロール」しようとした瞬間、その技術があまりにも高次元すぎたために、教室内の霊子の密度が異常なほど跳ね上がってしまったのです。
「うっ……あ、がっ……!?」
突然、教室中を襲った目に見えない超重圧。
さっきまで元気に私語を交わしていたクラスメイトたちが、一人、また一人と喉をかきむしり、その場に崩れ落ちていきます。一勇から放たれる、藍染の片鱗を孕んだ底知れぬ霊圧の威圧感に、魂魄が耐えきれず、激しく嘔吐し始める生徒まで現れました。
「な、なんだこの……悍(おぞ)ましい霊圧は……っ!」
教頭クラスのベテランである担当の先生が、膝をガクガクと震わせ、教壇に縋り付きながらなんとか立っています。
そしてもう一人。阿散井恋次と朽木ルキアの娘であり、生まれながらに高い素質を持つ苺花(いちか)だけが、荒い息を吐きながら、刀の柄に手をかけて辛うじて踏みとどまっていました。
「な、なんなのよこれ……! 一勇、あんた一体何をして――」
苺花がそこまで言ったところで、一勇はハッと我に返り、慌てて霊圧を元に戻しました。
一瞬で元の静けさを取り戻した教室。しかし、床には倒れ伏す生徒たちと、冷や汗で泥のようになった先生が残されています。
一勇は、みんながなぜ倒れているのか分からず、不思議そうに首をかしげました。
「あれ? みんな大丈夫? ……おっかしいな。」
――バリィィィン!!
教室の障子と窓ガラスが、凄まじい風圧と共に吹き飛びます。
一勇が発した一瞬の霊圧を異常事態と察知し、瀞霊廷の最精鋭である護廷十三隊の隊長が三人、瞬歩で同時に駆けつけてきたのです。
「おいおい、真央霊術院がひっくり返るほどの霊圧が感知されたってから来てみりゃあ……なんだい、この惨状は」
煙の中から現れたのは、現・総隊長である京楽春水。その鋭い眼光は、いつもの飄々とした態度とは裏腹に、かつて世界を滅ぼしかけた「あの男」の残滓を教室の空気に感じ取っていました。
「苺花! 無事か!」
続けて、荒々しく踏み込んできたのは六番隊隊長の朽木白哉。姪である苺花の無事を確認しつつも、その視線は凍りつくように鋭く、教室の中心に立つ一勇へと向けられます。
「……信じ難い。この悍ましくも洗練された霊圧の質、まさか……」
三人目、十番隊隊長の日番谷冬獅郎が、氷輪丸の柄に手をかけながら信じられないものを見る目をしました。彼ら隊長格にとって、先ほど一勇が漏らした「収束された圧倒的な霊圧」の技術は、かつて空座決戦で自らを絶望の底に突き落とした、藍染惣右介のそれと酷似していたからです。
「……あれ? 隊長のおじさんたち、どうしたの?」
倒れる生徒たちの中で、一人だけケロリとした顔でノートを片付ける一勇。
あまりにも異常な状況に、駆けつけた三人の隊長たちは、驚愕と警戒の冷や汗を流しながら、言葉を失うしかありませんでした。
「やれやれ……これはまた、えらいことになってるねぇ」
京楽春水は深く笠をかぶり直し、倒れ伏す生徒たちを見渡しました。
「動ける者は、倒れた子たちの半分くらいを連れて先に医務室へ行きなさい。苺花ちゃん、君も付き添ってあげて」
「あ、はい……っ」
春水はそう指示を出すと、じっと一勇を見つめます。その視線には、いつもの呑気さはなく、総隊長としての鋭い光が宿っていました。春水は隣に立つ二人の隊長へ向き直ります。
「白哉院長に日番谷隊長。ここは僕が引き受けるから、君たちはもう行っていいよ」
「……不穏な霊圧だ。くれぐれも目を離すな、総隊長」
「ああ、わかっているとも」
白哉と冬獅郎はなおも警戒の視線を一勇に送りながらも、総隊長の言葉に従い、瞬歩でその場を去っていきました。
*
一番隊舎の総隊長室。
一勇は、広々とした部屋に置かれたお菓子をのんびりと眺めていました。その対面に座る春水が、お茶をすすりながら物静かに問いかけます。
「さて、黒崎一勇くん。さっきの霊圧のコントロール……あれは、一体だれに教えてもらったんだい?」
その質問に、一勇は一瞬だけ目をまたたかせました。(おじさんとのことは秘密)という約束が頭をよぎります。一勇は少し視線を泳がせながら、無邪気な笑顔で誤魔化すように答えました。
「えっとね、お父さん! お父さんが現世の家で、こうやってギュッと力を集めているのを、僕が後ろからじーっと見てたの。それを真似してみたんだ!」
「一護クンを……見ただけで、ねぇ」
春水は思わず目を見開き、それから呆れたように大きなため息をつきました。
いくら一護が規格外の死神だとしても、その背中を見ただけで、空間を圧迫するほど高次元な霊圧の収束技術を完全再現できるはずがありません。しかし、この純粋な子供の瞳を見る限り、嘘をついているようには見えませんでした(まさかその裏に藍染がいるとは、流石の春水も夢にも思いません)。
(一護クンの血筋っていうのは、どこまで常識を壊せば気が済むのかねぇ……)
春水の脳裏に、かつて真央霊術院を卒業する前にすでに始解を習得していた、天才・日番谷冬獅郎の幼き頃の姿がよぎります。
(あの十番隊隊長(日番谷)が子供の頃だって、これほどじゃなかった。これは……彼を遥かに超える、とんでもない化け物だ)
春水は小さく笑みをこぼしました。頼もしい若手が育つのは、組織の長として間違いなく嬉しいことです。しかし同時に、その小さな背中を見つめながら、少しだけ寂しげに、そして複雑に思うのでした。
(嬉しいけどねぇ……。そんな力をを背負うには、君はあまりにも若すぎるよ、一勇くん)
その日は流石に、一勇も藍染のいる「無間」へは寄らずに、穿界門を通ってまっすぐ現世の黒崎医院へと帰宅しました。学校で少しばかり大きな騒ぎを起こしてしまった自覚があったからです。
「ただいまー」
一勇が玄関の扉を開けると、リビングからは聞き慣れた賑やかな声が聞こえてきました。
そこには、母の織姫だけでなく、現世に遊びに来ていた阿散井恋次と朽木ルキアの夫妻がいたのです。ちょうどその時、父の一護は、一番隊の京楽総隊長からのスマートフォンでの連絡に、普通に応対しているところでした。
「お、一勇おかえり。……あぁ京楽さん、一勇が今帰ってきたわ。へえ、学校でそんなことあったの? あはは、あいつなりに張り切っちゃったんだな」
一護は全く怒る様子もなく、むしろ息子の成長をどこか誇らしげに思いながら笑っていました。かつて自分も圧倒的な霊圧で周囲を驚かせた経験があるため、ことの重大さを今ひとつ分かっていなかったのです。
「一勇、お前今日、学校の授業で俺の真似して霊圧集めたんだって? 京楽さんが『凄まじいコントロールだった』って呆れてたぞ。よくやったじゃねえか」
頭をポンポンと叩かれ、一勇は「えへへ、うん!」と無邪気に笑いました。
しかし、その会話を横で聞いていた恋次とルキアは、どこか複雑な表情で一勇を見つめていました。二人の娘である苺花から、先ほど地獄蝶を通じて「一勇の霊圧が凄すぎて教室のみんながひっくり返った」という悔しそうな報告が届いていたからです。
(一護の真似をして霊圧を集めただけで……あの苺花すら圧倒するレベルの重圧だと……!?)
恋次は腕を組み、ちょっと悔しそうに口を尖らせました。
「チッ、一護のヤツ、のんきに笑いやがって……。うちの苺花だって毎日あんなに猛特訓してるってのによ。近い歳の子供がいるってのに、これじゃ完全に追い抜かれてる気がして面白くねえな」
ルキアもまた、親バカを発揮して呑気に構える一護の顔を見ながら、ふいっと横を向いて小さく息を吐きます。
「全くだ。一護の血筋とはいえ、八歳にして総隊長を驚かせるほどの霊圧コントロールを身につけるとは……。苺花の良いライバルになるとは思っていたが、少々差をつけられすぎたかもしれん。……ふん、なんだか少し妬けるな」
英才教育を施している我が子をも容易く凌駕していく一勇の底知れぬ才能に、二人は親として、そして死神として少しばかり嫉妬を覚えずにはいられなかったのでした。
「あ! 一勇、おかえりー!」
「今日もお疲れ様、一勇。おやつできてるよ!」
そこへ、奥の部屋から一護の妹たちである遊子(ゆず)と夏梨(かりん)が笑顔で飛び出してきました。二人は一勇の姿を見るなり、両側から挟み込むようにしてぎゅっと抱きしめます。
「もー、一勇は本当に手がかからなくてお利口さんなんだから! 霊術院の宿題、後で叔母ちゃんが見てあげるからね!」
「あんまり一護の変なとこ真似すんじゃないぞー。でも、一勇が学校で一番強いなら夏梨ちゃんは嬉しいよ」
二人の叔母からこれでもかと可愛がられ、一勇は「わあ、ありがとう!」と嬉しそうに笑っています。
ルキアと恋次が少しの羨ましさを抱え、遊子と夏梨が無邪気に一勇を溺愛する、そんな黒崎家の賑やかで少しだけ特別な日常のひとコマでした。