次の日の授業は、運動場での「剣術」でした。驚いたことに、この日は現・総隊長である京楽春水が自ら教壇(指導)に立ち、生徒たちに直接竹刀の振り方を教えていました。
「いいかい皆さん。まずは腰を据えて、まっすぐ。基本は普通の剣道と同じだからねぇ」
飄々とした口調で基本を教え終えると、いよいよ二人一組での「実戦」の授業が始まります。
しかし、あの日のの異常な霊圧の騒ぎを知っているクラスメイトたちは、誰も一勇とは組みたがりません。みんなが露骨に目をそらす中、見かねた苺花ちゃんが仕方なく一勇の前に歩み出ました。
「もーっ、しょうがないわね! 私が組んであげるわよ!」
「わあ、苺花ちゃん、ありがとう!」
周りの生徒たちが「めーん!」「どーう!」と賑やかに竹刀を交わすちゃんばらの中、春水は一勇たちの組をじっと見つめていました。
試合が始まると、苺花が鋭く襲いかかり、一勇がそれをひらりとかわす。昨日瞬歩を覚えた一勇の身のこなしは、竹刀の勝負でも健在でした。それどころか、一勇の無駄のない一振りがじわじわと苺花を押し進めていきます。
そして、一勇が苺花の面を捉えようと、竹刀を振り下ろしたその瞬間――。
――バキィィィン!!
凄まじい風圧と共に、一勇の持っていた竹刀が根元から粉々に壊れてしまいました。一勇の無意識の霊圧と踏み込みの強さに、普通の竹刀が耐えきれなかったのです。
「そこまで」
それを見ていた春水が、歩み寄ってきました。壊れた竹刀の破片を見つめ、少し呆れたように笑います。
「やれやれ。君の器じゃ、そんな竹刀はおもちゃ程度だろうねぇ。……よし、一勇くん。斬魄刀をもちなさい。僕が少し稽古をつけてあげるよ」
総隊長からの直々の指名に、周囲の生徒たちがざわつきます。一勇は「はーい!」と素直に死神の姿になり、完璧にコントロールされた普通の太さの刀を構えました。
始まった春水との稽古。流石の春水は、一勇の底知れない才能に内心で驚愕しながらも、総隊長としての遥か上からの実力で、一勇の攻撃をすべて軽くいなしていきます。大人の、そして歴史の深みを見せつけるような、圧倒的な格好良さでした。
刃を交える途中で、春水は一勇の刀を見つめながら語りかけます。
「死神の刀にはね、本当の姿があるんだ。それを『始解(しかい)』と言うんだけど……まぁ、君もいずれ、学校を卒業する頃にはできるようになるだろうねぇ」
まだ八歳の子供への、ごく普通の励ましの言葉でした。しかし、一勇は木漏れ日のような笑顔のまま、信じられないことを口にします。
「ううん、おじさん。ボク、今でもできるよ?」
「……はは、冗談が上手だねぇ、一勇くん」
春水は流石にそれを冗談だろうと思っていました。始解とは、刀の魂と対話し、その真名を知ることで初めて至る境地。いくら一護の息子とはいえ、真央霊術院に入ったばかりの八歳の子供が、すでに始解を習得しているはずがない――そう確信していたのです。
「冗談じゃないよ」
一勇は木漏れ日のような笑顔のまま、刃の先をすっと春水の方へと突き出しました。
そして、その小さな唇から、ゾクリとするほどおっかない響きの言葉が紡がれます。
「――天を穿て、『無月(むげつ)』」
――ドォォォォォン!!!
解号を唱えた瞬間、一勇を中心に、見たこともないほどおぞましく強大な霊圧が津波のように溢れ出しました。さっきまで晴れ渡っていた運動場の空が、まるで夜が訪れたかのように急速に暗転していきます。光が収まったとき、一勇の手には、光すらも吸い込むような漆黒に染まった一振りの刀が握られていました。
(……ほう、これは驚いたねぇ)
春水は冷や汗を流しながらも、笠の奥の目をどこか楽しそうに細めました。これほど底知れない化け物が、かつての戦友である一護の息子であるという事実に、死神の頭目としての血が騒いだのです。
「いいよ、一勇くん。……続きをやろうか」
こうして、始解した一勇との実戦が再開されました。
しかし、さっきまでの一勇とはまったく違っていました。竹刀を持っていた時とは次元が違う、漆黒の刃から放たれる圧倒的な破壊力と速度。まだ隊長格(一護や春水本人)の領域にまでは届かないものの、並の副隊長クラスなら一瞬で捻じ伏せるほどに強い一勇の猛攻が、春水を襲います。
キィィィン! 激しい火花が散る中、春水もまた、その規格外の才能に答えるように花天狂骨を構え直しました。
「天を穿つ、か。なら僕の刀の歌も、ちょっとだけ聴かせてあげなきゃねぇ。……『花風紊れて花神啼き――』」
春水が自らの始解の解号を唱え、本格的に一勇の力を引き出そうとした、まさにその瞬間でした。
「――そこまでです、総隊長」
鋭い声と共に、春水の副隊長である伊勢七緒が、現・副隊長(地獄蝶の伝令など)として割って入りました。
彼女は現国(現代霊術)の教科書、あるいは出席簿のようなものを手にしたまま、一勇と春水の間にすっと立ち、二人の刃を止めました。院生たちの避難誘導を終え、流石に総隊長が真央霊術院の運動場で本気の始解を使おうとするのを、これ以上見過ごせなかったのです。
「これ以上は授業の枠を超えています。総隊長も、少しお悪ふざけが過ぎますよ」
「やれやれ、手厳しいねぇ……」
副隊長に叱られ、春水は苦笑いしながら刀を引きました。一勇も「あ、終わり?」と漆黒の刀を元の姿へと戻し、何事もなかったかのように無邪気に微笑むのでした。
一番隊舎の総隊長室に戻った京楽春水は、窓の外を眺めながら、まだ冷めやらぬ驚愕に一人ため息をついていました。
(八歳で真名を呼び、始解に至る、ねぇ……)
死神の歴史をいくら紐解いても、こんな前例はありません。
かつて護廷十三隊で「史上最年少の天才」と謳われ、真央霊術院を瞬く間に卒業した十番隊隊長・日番谷冬獅郎。春水自身、その冬獅郎の驚異的な成長をこの目で見てきましたが、一勇は自分が生きているうちに、その冬獅郎の持つ最年少記録をあまりにもあっさりと塗り替えてしまったのです。それも、まだ入学してわずの八歳の子供が。
(学校の教師じゃあ、流石にもう手におえないよ。一護クン、君の息子は本当に底が知れないねぇ……)
普通の院生と同じ授業を受けさせるのは、もはや周囲にとっても一勇にとっても危険すぎました。
そこで春水は、一勇を真央霊術院籍に置いたまま、形式上「護廷十三隊の見習い」として一番隊、あるいは各隊の隊長格の目の届く場所で預かるという、特例中の特例措置を下すことに決めたのです。
その日の夕方、現世の黒崎家には、瀞霊廷からの緊急の連絡が届いていました。
「――というわけでねぇ、一護クン。一勇くんの力はもう学校の教師じゃ手に負えない。特例として、護廷十三隊の『見習い』としてこっちで預からせてもらうよ」
スマートフォンから聞こえる京楽総隊長の呑気な、しかし拒絶を許さないトーンの言葉に、一護は絶句していました。
「おいおい、待てよ京楽さん! 一勇はまだ八歳だぞ! 見習いなんて早すぎるだろ!」
一護が声を荒らげる横で、話をすべて聞いていた織姫は、胸の前にぎゅっと手を置いて、不安そうに眉をひそめていました。幼い息子が死神たちの戦いの世界、それも護廷十三隊の最前線に巻き込まれていくのは、母親として身が裂かれるほど嫌なことです。
「一護、私……」
「織姫……」
しかし、織姫は一勇が真央霊術院の運動場で放ったという「おぞましく強大な霊圧」の話を聞き、静かに目を伏せました。放っておけば、いつかその力が暴走して一勇自身を壊してしまうかもしれない。
「……わかったわ。嫌だけど、しかたないね、一護。一勇くんの安全のためだもんね」
織姫は嫌ながらも、しかたなくそうすることに同意したのでした。
そこで一勇の教育係(配属先)として選ばれたのは、十番隊隊長・日番谷冬獅郎のところでした。
かつて幼くして天才と謳われ、周囲の大人たちに囲まれながら隊長へと上り詰めた冬獅郎の過去は、まさに今の一勇と似た立場です。春水は、彼なら一勇の抱える孤独や、早熟すぎる才能の扱い方を一番理解してくれるだろうと考えたのです。
*
そんな大人たちの話し合いなど露知らず、その日の放課後、一勇は再びパチンと空間を叩き、地下の最深部「無間」へと足を運んでいました。
一勇は手に入れたばかりの漆黒の刀を抱え、拘束された藍染の前にちょこんと座って話をします。
「ねえ、おじさん。おじさんの斬魄刀って、どんな刀だったの? ボクの無月みたいに、真っ黒だった?」
「……私の刀かい。私の『鏡花水月(きょうかすいげつ)』は、君の刃のようにすべてを無に帰すような無骨なものではないよ。五感を支配し、世界そのものを欺く、もっと優雅な刃だ」
「へえー、おもしろそう! 今度見せてね」
一勇は無邪気に笑うと、ふと藍染の全身を縛り上げている強固な拘束具へと視線を移しました。そして、自分の漆黒の刀を構え、まじまじと見つめます。
「ねえ、おじさん。ボクのこの『無月』なら、おじさんの手錠、破壊できそうだよ。やってみていい?」
「ほう……。いいだろう、やってごらん」
藍染の言葉に、一勇は「うん!」と頷くと、漆黒の刃に霊圧を収束させ、拘束具の鎖に向かって思い切り振り下ろしました。
――キィィィィィン!!!
激しい火花が散り、無間の闇を照らします。しかし、空間をねじ切るはずの一勇の一撃をもってしても、技術開発局が総力を結集し、霊王の理すら組み込んだ拘束具はびくともせず、一勇の刀を激しく弾き返しました。
「あいたたた……やっぱりダメかぁ」
手がジーンとしびれた一勇は、刀を引いて少し残念そうに首をかしげました。
しかし、それを見つめていた藍染の瞳の奥には、確かな戦慄と、歪な歓喜が走っていました。
傷一つつけられなかったとはいえ、わずか八歳の少年の放った一撃は、拘束具の表面の霊子組成をほんの一瞬だけ「無」に帰していたのです。
(弾かれた、か。だが……完全に拒絶されたわけではない。力を増し、練度を上げれば、いずれこの封印を完全に破壊できるかもしれないね)
藍染は拘束具の奥から、恐るべき可能性を秘めた少年を真っ直ぐに見据えました。そして、試すように静かに問いかけます。
「黒崎一勇。君は私が怖くないのかい? もしも君がその刃で私の封印を解き、私が自由になったら……私はまた、この世界で悪いことをするかもしれないよ?」
その問いに、一勇は全く怯む様子もなく、いつもの木漏れ日のような笑顔を浮かべました。
「ううん、おじさんは悪い人じゃないよ。ボクとお話ししてくれるもん」
一勇はそう言うと、持っていた無月の刃先を、今度はゆっくりと藍染の方へと向けました。
「それにね、もしおじさんが悪いことをしても――ボクが捕まえて、ちゃんとおさえつけるから大丈夫だよ」
一勇がそう口にした瞬間。
彼の小さな体から、先ほど春水をも戦慄させた、あのおぞましく、冷たくて、ゾクゾクするほど怖い雰囲気の霊圧が部屋中に満ち溢れました。それは「悪を許さない正義」ではなく、「自分の遊び場を壊す者は、何者であっても絶対に許さない」という、底知れない怪物の威圧そのものでした。
その圧倒的な恐怖の気配を前にして、藍染惣右介は、ただただ深く、愉しげに笑うのでした。「ふふ……。言うようになったね、黒崎一勇。君に抑えつけられるというのなら、それもまた一興かもしれないな」
藍染は不敵に笑うと、少しだけ声のトーンを落としました。
「では、約束通り次の授業だ。君のその『無月』の力、そして高めた霊圧をさらに効率よく叩きつける方法を教えよう。まずは……私がお手本を見せようかね」
五体を完全に拘束され、霊圧の大半を抑え込まれているはずの最凶の反逆者。しかし、藍染がその喉を震わせた瞬間、無間の空気が凍りつくような、冷徹で美しい詠唱の文句が紡がれ始めました。
「『天頂の光、地の底の闇、交わりて理を紡ぐ。万物の重なりを以て、天の傲慢を叩き落とせ』」
言葉が紡がれるたび、藍染の周囲の空間が不気味に歪んでいきます。そして、最後にその名が唱えられました。
「――破道の六十八、『天墜(あまおとし)』」
――ズガァァァァァン!!!
それは、まさに凄まじい威力でした。すべての力を縛られているはずの藍染が放ったとは思えないほどの超重力の塊が、無間の天井から底へと叩きつけられます。強固な岩盤が粉々に砕け散り、凄まじい衝撃波が一勇の髪を激しく揺らしました。おさえられていてもなお、この威力。これこそが、かつて天に立とうとした男の、本物の鬼道の深淵でした。
「わあ……っ! すごい、おじさん! 今の、ボクもやってみたい!」
一勇は目を輝かせ、藍染の詠唱の言葉を一つも漏らさずに脳裏に刻み込みました。そして、小さな手のひらを前へと突き出し、全く同じ言葉を無邪気に唱えます。
「『天頂の光、地の底の闇、交わりて理を紡ぐ。万物の重なりを以て、天の傲慢を叩き落とせ』……破道の六十八、『天墜』!」
――ドゴォォォォン!!!
一勇の放った術もまた、無間の空間を大きくねじ曲げ、藍染に引けを取らない大爆発を起こしました。完璧な模倣。しかし、それを見つめる藍染は、拘束具の奥で静かに首を横に振りました。
「いいや、まだダメだね」
「えー? ボクもドカンってできたよ?」
「ただ言葉をなぞり、威力を高いだけでは児戯に過ぎない。君の術には、本当の戦いにおける『呼吸』がないのだよ。……それはね、君が圧倒的に経験を積んでいないからだ」
藍染の冷徹な、しかし確かな指導の言葉が一勇に注がれます。
「明日から、君は日番谷冬獅郎の元へ行くのだろう? 丁度いい。護廷十三隊という戦場に身を置き、明日からさらに、色んなことを学んでおいで。……いや、貪欲に『盗め』というべきかな」
「学ぶの、と、盗むの……?」
「そうだ。彼らの戦い方、霊圧のいなし方、そのすべてを君の肉体に刻み込み、君だけのものにするんだ。そうして経験を積み、真にその『無月』を使いこなした時――君は本当に、私の天の座すら穿つ存在になるだろう」
一勇は少しだけ考えるように首をかしげましたが、すぐにいつもの無垢な笑顔に戻って「うんっ!」と元気よく返事をしました。
「わかった! ボク、明日からたくさん盗んでくるね! じゃあおじさん、また明日!」
パチンと空間が弾け、一勇は現世の家へと帰っていきました。
十番隊での「見習い」という大人たちの決定すらも、藍染にとっては、小さな怪物を本物の戦士へと育てるための最高の餌場に過ぎなかったのです。