the underworld 二人の王   作:イルハン

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初陣

次の日、一勇は約束通り、護廷十三隊の十番隊舎へとやってきました。

「はぁ……。一護のバカ野郎、なんでこんなガキの面倒を俺が総隊長に押しつけられなきゃならねえんだ……」

 机の上に山積みにされた書類を前に、十番隊隊長・日番谷冬獅郎は心底めんどくさそうな顔をして頭を抱えていました。ただでさえ日々、事務仕事に追われているというのに、いくら一護の息子とはいえ、八歳の子供を「見習い」として預かるなど、面倒以外の何物でもなかったのです。

 しかし、その横では副隊長の松本乱菊が、目を輝かせて一勇をめちゃくちゃに可愛がっていました。

「もーーう! なあにこの可愛い生き物は! 一護の子供とは思えないくらい素直で良い子じゃないの〜! 一勇ちゃん、お姉ちゃんが美味しいお菓子いっぱいあげるからね!」

「わあ、お姉ちゃんありがとう!」

 乱菊にぎゅーっと抱きしめられ、一勇は現世の叔母たちにされている時のように無邪気に笑っています。乱菊はその一勇の頭を何度も撫でながら、ふと冬獅郎を振り返りました。

「それにしても隊長、この子、真央霊術院で総隊長相手に始解を見せたって本当なんですか? こんなに小さくて可愛いのに、めちゃくちゃ強いっていう噂、とても信じられないわぁ」

 その言葉に、冬獅郎は鋭い視線を一勇へと向けました。京楽から聞いた「おぞましい霊圧」の話が、どうしても引っかかっていたのです。しかし、冬獅郎はすぐにふいっと目をそらし、冷淡に言いました。

「……フン、噂がどこまで本当かは知らんがな。だが一勇、一つだけお前に釘を刺しておく」

 冬獅郎はそう言うと、手元にある大量の書類の束をペシペシと叩きました。

「死神の仕事は、戦闘だけではない。瀞霊廷の治安維持も、この膨大な報告書の処理も、すべてが死神としての重要な任務だ。いくら力が強かろうが、地道な仕事をこなせねえ奴は死神とは呼ばねえ。分かったな」

 天才児として早くから大人に混ざって苦労してきた冬獅郎だからこその、重みのある言葉でした。

 しかし一勇は、冬獅郎のその言葉を聞きながら、藍染から言われた『彼らのすべてを貪欲に盗め』という言葉を思い出していました。

(死神のお仕事は、戦うだけじゃないんだ。……じゃあ、おじさん(冬獅郎)のそのお仕事のやり方も、ボクが全部盗んじゃおーっと)

 一勇は、冬獅郎の持つ「隊長としての霊圧のいなし方」や「佇まい」、そしてペンを動かす手元を、じっと不気味に観察し始めるのでした。

「……おい一勇、お前さっきから何なんだ」

 執務室に置かれた山積みの書類を冬獅郎がめくるたび、そのペン先の動きや視線の配り方を、一勇は隣で片時も目を離さず見つめ続けていました。一切の感情を排したその執拗な視線に、冬獅郎の背中にはじわじわと嫌な汗が滲み始めます。

「松本! こいつにやらせる仕事はねえのか! 横からこんな目で睨まれちゃ、文字の書き間違いが増えて仕方ねえ!」

「そんなこと言われたって隊長、見習いの子供に任せられる雑務なんて普通ありませんよぉ」

 乱菊がのんびりと応じた、その時でした。十番隊の隊員が激しく扉を開け放ち、息を切らせて駆け込んできました。

「日番谷隊長! 流魂街の第七十八地区に、強力な虚(ホロウ)が現れました!」

 その急報を聞いた瞬間、冬獅郎の怜悧な脳裏に、一つの冷酷な試みが浮かびます。

「よし……一勇、お前が行け。初仕事だ」

「ボクがいくの?」

「そうだ。本物の化け物と対峙すれば、己の限界を知って、すぐにでも現世の家に帰りたくなるだろうからな」

 まだ八歳の子供に死神の世界の「現実」を突きつけ、大人の庇護下へと送り返すための荒療治でした。しかし、それを聞いた乱菊が怒髪天を突く勢いで怒り狂います。

「ちょっと隊長! いくら何でも横暴が過ぎます! あんな小さな子を一人で死地に行かせるなんて正気ですか!?」

「くっ……! わかった、俺も行く! 付き添えば文句ねえだろ!」

 乱菊の剣幕にすっかり気圧された冬獅郎は、不本意ながらも一勇に同行する羽目になったのでした。

     *

 三人が瞬歩で降り立ったのは、荒涼とした岩肌が剥き出しになった流魂街の最果てでした。

 そこに佇んでいたのは、並の虚とは比較にならない体躯を誇り、無数の魂魄を喰らい尽くして肥大化した禍々しい虚でした。その霊圧は、護廷十三隊の席官クラス、それも三席以上の実力者でなければ太刀打ちできないほどの密度を誇っていました。

(……チッ、予想以上の大物か。流石にこのガキには荷が重すぎる。俺が出るか)

 冬獅郎が斬魄刀に手をかけた、まさにその瞬間。

 一勇が迷いのない足取りで、すっと間合いを詰めました。その脳裏には、昨日無間の底で藍染が告げた『すべてを肉体に刻み込み、君だけのものにするんだ』という冷徹な言葉が響いています。

「――天を穿て、『無月(むげつ)』」

 一勇がその真名を口にした瞬間、周囲の空間が不気味に歪み、すべてを拒絶するような漆黒の刃がその手に現れました。その光景を間近で目撃した冬獅郎は、魂の底を冷やされるような悍ましさに驚愕しつつも、死神としての鋭い洞察でその刃の質を見定めます。

(……これが京楽総隊長の言っていた力か。異質だが……この圧倒的な練度と霊圧の収束なら、最悪の事態(死ぬこと)だけは免れるはずだ)

 冬獅郎は一勇を前線に立たせることを容認し、背後から戦闘の心得を厳しく説き始めました。

「いいか一勇、心して聞け。虚の本質は、未練に囚われて堕ちた人間の成れの果てだ。無用な同情で命を落とさぬよう、その醜悪な形相(かお)を見る必要のない背後から、一撃で息の根を止めるのが死神の鉄則だ。分かったな!」

 しかし、一勇はその忠告に一切耳を貸していませんでした。

 冬獅郎の言葉が言い終わるよりも早く、少年の姿は音もなくその場から消失したのです。それは、かつて阿散井邸で瞬時に見切り、自らのものにした最高峰の歩法でした。

 次の瞬間、一勇は虚の死角ではなく、その奇怪な仮面の完璧な正面へと肉薄していました。

「こんにちは」

 少年は、化け物の瞳の奥を真っ直ぐに見つめ、いたずらが成功したかのように無垢に微笑みました。虚がその存在を認識し、咆哮を上げるわずかな刹那すら与えず、漆黒の刃が空間を一閃します。

 ――ザシュウッ。

 一切の躊躇いも、恐怖も、憐れみすらも存在しない完璧な一刀。

 一勇は先輩死神の戦術をすべて無視し、その場にいた虚を正面から一瞬で真っ二つに斬り伏せました。

 赤黒い霧となり、塵へと還っていく虚の残骸の中で、一勇は静かに刀を収め、振り返って冬獅郎を見つめました。

「おじさん、次のお仕事はなに?」

 かつて人間だったという事実にも、そのおぞましい怪物としての姿にも、魂の波紋を一切立てずに命を奪ってみせた八歳の少年。冬獅郎は、その洗練され尽くした、あまりにも歪な『怪物』の横顔を前に、冷や汗を流しながら言葉を失うしかありませんでした。

静まり返る戦場に、黒い灰となった虚の残渣が風に舞っていきます。

 あまりにも鮮やかで、あまりにも冷徹な一撃。冬獅郎はしばらくの間、呆然と佇んでいましたが、やがてその驚愕は、死神の頭目としての奇妙な高揚感へと変わっていきました。

(……はは、なるほどね。こいつはとんでもねえな)

 冬獅郎は冷や汗を流しながらも、その鋭い瞳の奥にどこか楽しげな、面白がるような光を宿しました。一護の息子という枠を完全に飛び越えた規格外の怪物。その才能の塊を前にして、冬獅郎の口元が自然と不敵に釣り上がります。

「おい、一勇。どうだ、見習いなんて退屈なものはやめて、うちの十番隊の副隊長にでもならないか?」

「えーーーっ! ちょっと待ちなさいよ隊長!!」

 その言葉に、すかさず背後から乱菊が拳を振り下ろして冬獅郎の頭にゲンコツを入れました。

「痛っ……! 何しやがる松本!」

「何しやがる、はこっちのセリフよ! 私という本物の副隊長が目の前にいるのによくもそんなこと言えたわね! 冗談でもクビにされる私の身にもなりなさいよ!」

 乱菊はそう言って冬獅郎に激怒して噛みつきましたが、その肩はかすかに震えていました。冬獅郎を突き飛ばし、改めて一勇の小さな背中を見つめた乱菊の瞳には、隠しきれない驚愕と戦慄が走っていたのです。

(……冗談じゃないわ。今の虚、私だって一撃じゃ絶対に倒せない。それを、八歳の子が、かすり傷一つ負わずに正面からなんて……)

 乱菊は死神としての直感で理解していました。この少年の強さは、すでに席官はおろか、自分たち副隊長格の領域すらも軽々と脅かし始めているのだと。

 二人は並んで、刀を収めてケロリとしている一勇を見つめました。そのオレンジ色の髪、そして底の知れない圧倒的な才能。

「……やっぱり、あの一護の息子だな」

「ええ、本当に……」

 二人の脳裏に、かつて共に戦い、世界を救った宿敵であり戦友である黒崎一護の姿が浮かびます。しかし、それと同時に、二人の記憶はさらに古いもう一人の男へと行き着いていました。

「一護だけじゃないわね。……この感じ、かつて私たちの上の隊長だった、一心(いっしん)様の血筋だって、嫌でも思い出させられるわ」

 かつて十番隊の隊長であり、冬獅郎や乱菊の厳しくも優しい上司であった志波一心。その血を引く一護が世界を震わせ、そして今、その孫である一勇が、さらに禍々しく洗練された姿で自分たちの前に立っている。脈々と受け継がれる志波の、黒崎の、あまりにも業の深い強大な血の系譜に、二人は深い感慨と、どこか抗えない運命のようなおっかなさを覚えずにはいられませんでした。

 そんな大人たちの複雑な視線を受けながらも、一勇はただ「お姉ちゃん、お腹空いちゃった」と、不気味なほどに無邪気な笑顔を見せるのでした

黒い灰となった虚の残渣が、サラサラと風に舞って消えていきます。

 あまりにも鮮やかで冷徹な一撃。冬獅郎はしばらく呆然と佇んでいましたが、やがてその驚愕を噛み殺し、死神の頭目としての奇妙な高揚感から口元を不敵に釣り上げました。

「おい、一勇。どうだ、見習いなんて退屈なものはやめて、うちの十番隊の副隊長にでもならないか?」

「ちょっと待ちなさいよ隊長!!」

 すかさず背後から乱菊のゲンコツが冬獅郎の頭に落ちました。「私という本物の副隊長がいるのによくもそんなこと言えたわね!」と怒る乱菊ですが、その瞳は驚愕に震えていました。今の虚、自分だって一撃じゃ絶対に倒せない。この子は間違いなく、一護や、かつての十番隊長・志波一心様の恐るべき血筋を引いている――そう二人が肌で感じていた、その時でした。

 一勇は漆黒の刀を収めながら、冬獅郎をじっと見つめました。そのくりくりとした瞳の奥に、藍染の『すべてを盗め』という教えが冷たく光ります。

「ねえ、隊長。隊長の本当の力、ボクに見せてよ。すごく気になるんだ」

「ちょっと一勇ちゃん、私の『灰猫』は?」と乱菊が寂しそうに覗き込みますが、一勇は「うーん、お姉ちゃんのはどうでもいいかな」と一蹴します。乱菊がショックで地面に崩れ落ちる中、冬獅郎はフッと笑いました。

「いいだろう。隊長として、これだけのものを見せられて何も見せねえわけにはいかねえからな」

 冬獅郎が背中から『氷輪丸(ひょうりんまる)』を引き抜くと、澄み切った冷気が足元から広がっていきます。刀身の美しさと柄尻の鎖を見た一勇の目が、今までにないほど純粋に輝きました。

「わあ……! かっこいい……!!」

 世界のすべてを拒絶するような『無月』を持つ一勇にとって、天相を支配する氷雪系最強の美しさは、言葉通り驚愕するほどの格好よさだったのです。しかし、冬獅郎の口元はさらに深く笑みを刻みます。

「驚くのはまだ早いぞ、一勇。斬魄刀には、もう一個上のステージがある。――『卍解(ばんかい)』」

 ――ドゴォォォォォン!!!

 世界が一瞬で白銀に染まり、冬獅郎の背後に巨大な氷の翼と尾を持った龍『大紅蓮氷輪丸(だいぐれんひょうりんまる)』が顕現しました。天相を支配するほどの圧倒的な絶望の質量が、無慈悲に一勇の小さな体を押し潰さんばかりに降り注ぎます。

「……っ、あ……」

 どんな化け物にも、両親の偽物にも一ミリも動じなかったあの底知れない一勇が、初めておじけづき、小さな肩を震わせて立ち尽くしていました。本物の死神の頂点の輝き、その圧倒的な力への恐怖に、ただ気圧されることしかできなかったのです。

大紅蓮氷輪丸の圧倒的な冷気の前におじけづいたあの日から、ある程度の月日――およそ一ヶ月の月日が流れました。

 その間、一勇は十番隊の見習いとして日々を過ごしながら、たまに藍染のいる「無間」の底へもこっそり通い続けていました。

「おじさん、今日も隊長の霊圧の動かし方、たくさん盗んできたよ」

 現実の十番隊での実戦経験と、地下の底での藍染の最高峰の座学。その二つを驚異的なスピードで吸収し続けた一勇は、あれからまあまあ、いえ、大人の死神たちが恐怖するほどに強くなっていました。

 そして、一ヶ月が経ったある日の放課後。

 一勇は十番隊の執務室で、書類をめくる冬獅郎の前にすっと立ちました。その瞳は、いつもの無邪気さの奥に、すべてを見切ったような冷徹な光を宿しています。

「隊長。ボク、ここで覚えることは、もう何もないや」

「……あ?」

 冬獅郎が怪訝そうにペンを止め、一勇を見上げます。一勇は木漏れ日のような笑顔のまま、背中の刀の柄にそっと手をかけました。

「だからね、隊長。最後にボクと、もう一回だけ決闘してくれませんか?」

 あの日、圧倒的な卍解の力に恐怖し、おじけづいた少年。その少年が、今度は自らの意志で、氷雪系最強の頂へと手を伸ばそうとしていました。冬獅郎のすべてを「盗み尽くした」と確信する、不気味なほどに純粋な闘志をみなぎらせて――。

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