エンドロールは警視庁で   作:いろはにポテト

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第2話:張り込みは『ダイ・ハード』の後に

深夜二時。米花町五丁目。

街灯の光すら届かない入り組んだ住宅街の片隅に、容赦のない冷雨が打ち付けていた。

 

アスファルトを叩く無数の雨粒が、微かな街のネオンを乱反射させている。錆びついたトタン屋根を打つ不規則なノイズが、湿り気を帯びた重い空気の中に延々と響き渡っていた。

 

その暗がりの中、周囲の景色に溶け込むように停められた黒のセダン。

エンジンは切られ、ワイパーも止められている。フロントガラスは外気との温度差で白く曇り、車内の様子を外から窺うことはできない。

 

だが、車内は決して静寂ではなかった。

 

「ブルース・ウィリスがなぜあんなにも世界中で愛されたか、君には分かるか? 橘」

 

密閉された空間に、場違いに明るく、そして芝居がかった男の声が響く。

警視庁捜査一課のエース、大黒圭吾警部補は、助手席のリクライニングを深く倒し、艶やかなネイビーのスリーピーススーツのまま、大きな丸い紙箱を開けていた。

 

途端に、車内の張り詰めた空気を、暴力的なまでのチーズとガーリック、そして焦げたトマトソースの匂いが蹂躙し始める。

 

「テロリストに占拠された高層ビルという『密室』。靴を履き忘れたことで生じる『肉体的な脆弱性』。そして何より、愚痴をこぼしながらも決して立ち止まらない『小市民的なヒーロー像』だ。完璧な脚本だよ。現代の映画が見失ってしまった、泥臭いロマンティシズムがそこにある」

 

大黒は分厚いペパロニが乗った一切れを優雅な手つきで摘み上げ、口に運ぶ。パリッ、というクリスピーな生地が砕ける音が、静まり返った車内に場違いに鳴り響いた。

 

運転席では、大黒の相棒である橘刑事が、ナイトビジョン機能付きの双眼鏡を構えたままピクリとも動かなかった。ダークグレーのタートルネックに身を包んだ彼女の背筋は、座席に寄りかかることなく直角に保たれている。

 

「映画の講釈はどうでもいいわ、この映画オタク。それより、その悪臭を放つジャンクフードを今すぐ窓の外に投げ捨てて」

 

双眼鏡から目を離さないまま、橘は氷点下の声で言い放った。彼女の視線は、フロントガラスの曇りの一部を拭き取ったその先——道路を挟んだ向かい側に建つ、築四十年の古びた木造アパート「コーポ米花」の二階の一室に固定されている。

 

「おや、深夜の張り込みにおけるカロリー摂取の重要性を理解していないのか? 脳のブドウ糖が枯渇すれば、咄嗟の判断力が鈍る。それに、この『マルゲリータ・エクストラ』はただのジャンクじゃない。水牛のモッツァレラを使った一級品だ」

 

「車内にニンニクの匂いを充満させる時点で、潜入捜査官としては失格よ。窓の隙間から漏れた匂いで、ターゲットに感づかれたらどう責任を取るつもり?」

 

「ここは風下だ。それに、この豪雨だぞ。犬でもない限り、チーズの匂いなど嗅ぎ分けられない」

 

大黒が肩をすくめたその時、後部座席から「ぐるるるぅ」という間抜けな音が鳴った。

 

大黒と橘の視線が同時にルームミラーへ向かう。

後部座席では、若手の高木刑事が、クマの出来た目を必死に見開きながら、自分の腹を両手で押さえていた。

 

「す、すみません……。昨日からずっと、缶コーヒーしか胃に入れてなくて……」

 

高木が申し訳なさそうに身を縮める。

大黒は小さく息を吐き、ピザの『耳』の部分だけをちぎって、後部座席へ放り投げた。

 

「ほら、飢えた子羊に炭水化物の恵みだ」

 

「あ、ありがとうございます……!」

 

高木が両手でピザの耳を受け取り、小動物のように齧り始める。

橘は深く、そして重い溜息を吐いた。

 

「本庁からの令状はまだ下りないの?」

 

橘がダッシュボードの上の無線機に視線を落とす。

 

「事務方の手続きが遅れているらしい。判事のハンコをもらうのに、あと一時間はかかるとさ」

 

大黒が二切れ目のピザに手を伸ばそうとした、その瞬間だった。

 

橘の双眼鏡の先、コーポ米花の203号室。

隙間なく閉められた遮光カーテンの奥から、微かな光が漏れ出た。

 

大黒の手がピタリと止まる。

彼はピザを箱に戻し、油のついた指先をシルクのハンカチでゆっくりと拭き取った。先ほどまでの軽薄な空気が、車内から完全に消え去っていた。

 

「……橘。ターゲットの情報を復唱しろ」

 

大黒の声が、一段階低く、研ぎ澄まされた刃のようなトーンに変わる。

 

橘もまた、車内の空気の変容を即座に察知し、双眼鏡を目に当てたまま即答した。

 

「吉川辰男、32歳。本田茂、28歳。三日前に米花町の宝石店を襲撃し、現金と貴金属合わせて三千万円相当を奪って逃走中の連続強盗犯。凶器として改造銃を所持している可能性大。二時間前、情報提供によりこのアパートに潜伏していることを確認」

 

「吉川と本田の身長は?」

 

「吉川が175センチ、本田が180センチ」

 

大黒はフロントガラスの曇りを手のひらで乱暴に拭き取り、203号室の窓を見据えた。

カーテンの隙間から漏れるオレンジ色の光。それが、規則的なリズムで遮られ、また漏れ出る、という明滅を繰り返している。

 

「橘。君の優秀な目で、あの光の遮り方を計算してみろ」

 

橘が双眼鏡のダイヤルを回し、ピントを微調整する。

 

「……部屋の中を、誰かが往復している。光源は部屋の中央のペンダントライト。窓と光源の間を、等間隔のペースで横切っているわ」

 

「身長は?」

 

「影の角度とカーテンの丈から推測して……160センチ前後。吉川でも本田でもないわ」

 

橘が双眼鏡を下ろし、鋭い視線を大黒に向ける。

 

「三人目がいる、ということか?」

 

大黒は口元に薄い笑みを浮かべた。しかし、その瞳には一切の笑いがない。獲物を定めた捕食者の目だった。

 

「ただの共犯者や、匿っている部屋の家主じゃない。影の『歩幅』と『ペース』だ。吉川と本田は三千万円という大金を手にして逃走中だ。極度の緊張とアドレナリンの反動で、精神は摩耗し切っているはず。もし金の分配で揉めているなら、動きはもっと不規則で荒々しくなる。逆に、疲れ果てて眠っているなら光は遮られない」

 

大黒の長い指が、ダッシュボードをリズミカルに叩く。

 

「だが、あの影の足取りには一切の迷いも焦りもない。振り子のように正確で、悠然としている。あれは、焦燥感に駆られた逃亡者の動きじゃない。獲物を檻に閉じ込め、時間を計っている『管理者』の動きだ」

 

「管理者……つまり、今回の強盗を指示した黒幕が、直接現場に足を運んでいると?」

 

「おそらく、逃走用のルートと資金の洗浄ルートの手配を終え、実行犯二人を迎えに来たんだろう。あの規則的な歩行は、壁掛け時計の秒針を眺めながら、外部からの迎えの車を待っている動きだ」

 

大黒はダッシュボードを開け、黒い革の手袋を取り出した。滑らかな動作で、十本の指に隙間なくフィットさせていく。

 

「橘。本庁に無線を入れろ。令状はもう待てない」

 

「待ちなさい、大黒警部補。令状なしの強行突入は、証拠能力を問われるわ。それに、相手は改造銃を持っている可能性が高い。SATの到着を待つべきよ」

 

橘が元SPとしての鉄の規律を盾に、大黒の行動を制止しようとする。

しかし、大黒は革手袋のシワを伸ばしながら、窓の外の冷たい雨を見つめた。

 

「SATが到着する頃には、あの部屋は空っぽだ。黒幕が直々に回収に来ている以上、今夜中に奴らは東京を出る。……逃亡犯は、いつだって令状なんて待っちゃくれないさ」

 

大黒がドアノブに手をかけた。

橘は数秒だけ大黒の横顔を睨みつけると、舌打ちとともに無線機を手に取った。

 

「こちらアルファ。これよりターゲットの潜伏先へ突入する。応援部隊の早急な手配を要請する」

 

無線機のスイッチを叩き切ると、橘は運転席のドアを蹴り開けた。

雨音が一気に車内へ雪崩れ込んでくる。

 

大黒は後部座席で硬直している高木を振り返った。

 

「高木。ピザの箱を持て」

 

「えっ……? はい!」

 

三人は車を降り、降り頻る雨の中をコーポ米花へ向かって音もなく歩き出した。

 

アパートの外壁は、街灯の光すら吸い込むように黒ずんでいた。

錆びた鉄製の外階段が、雨粒を弾いて鈍い音を立てている。

 

大黒は階段の下で立ち止まり、上階を見上げた。

 

「俺は裏口に回る。橘、フロントは任せた」

 

「……死なないでよ、大黒」

 

橘はそれだけ言い残し、音を立てずに階段を上り始めた。その後ろを、ピザの箱を抱えた高木が、震える足取りでついていく。

 

大黒はその背中を見送ることもなく、暗闇に沈むアパートの裏手へと姿を消した。

 

203号室の前。

廊下の天井灯は半分が切れ、薄暗い空間に雨音だけが響いている。

 

橘はドアの蝶番の横に立ち、ジャケットの裏から警視庁貸与の拳銃を抜き放った。銃口を下へ向けたまま、両手でグリップをしっかりと握りしめる。元SPの彼女の構えには、ミリ単位の隙もない。

 

橘がアゴで合図を送る。

高木が唾を飲み込み、ピザの箱を胸の前に掲げたまま、インターホンのボタンを押した。

 

ジーーーッ。

 

安っぽい電子音が部屋の中に響く。

数秒の沈黙。部屋の中の気配が、不自然なほどピタリと止んだ。

 

「……どちら様ですか」

 

ドアの向こうから、低く警戒した男の声が聞こえる。

 

「あ、あの! デリバリーピザの『ナポリの風』です! ご注文の品をお持ちしました!」

 

高木が裏返りそうな声で叫ぶ。

 

「頼んでねえよ。帰れ」

 

「で、でも、住所は間違いなくここになってまして……。もうクレジットでお支払いも済んでるんですけど……」

 

再び、沈黙。

『支払い済み』という言葉が、逃走中の犯罪者の心理にどう働くか。大黒が車内で高木に授けた、浅ましいが確実な心理的トラップだった。

 

カチャリ、とチェーンが外れる音がした。

ドアが十センチほど開く。

隙間から、充血した目と無精髭の男——実行犯の一人、本田が顔を覗かせた。

 

「だから、頼んでねえって言ってんだろ……ッ!?」

 

本田の目が、高木の背後に立つ橘を捉えた瞬間。

 

ダンッ!

 

橘の右足が、ドアの隙間に正確に滑り込んだ。

鉄芯入りの安全靴が、ドアが閉まるのを完全に阻止する。

 

「警察よ! 動かないで!」

 

橘は叫ぶと同時に、全身の体重を乗せてドアを蹴り開けた。

蝶番が悲鳴を上げ、本田がドアごと弾き飛ばされて廊下へ転がる。

 

橘は流れるような動作で部屋に踏み込んだ。

室内は、タバコの煙と汗の臭いが充満していた。

 

「な、なんだテメェら!」

 

奥の部屋から、もう一人の実行犯、吉川が飛び出してきた。その手には、黒光りする鉄パイプが握られている。

 

吉川が鉄パイプを振り上げる。

橘は銃を構えたまま、姿勢を低くして吉川の懐へ飛び込んだ。

 

ガンッ!

 

銃のグリップエンドが、吉川の手首を的確に打ち抜く。

鉄パイプが床に落ちる乾いた音。

橘はそのまま吉川の腕を掴み、背負い投げの要領で畳の上へ叩きつけた。

 

「ぐあっ!」

 

吉川が息を詰まらせる。

橘は即座に吉川の背中に膝を乗せ、両手を後ろ手に縛り上げた。

 

「高木! 本田を制圧して!」

 

橘が叫ぶ。

廊下で倒れていた本田が、上着のポケットから改造銃を抜き出そうとしていた。

高木がピザの箱を放り投げ、本田の上にのしかかる。取っ組み合いの末、本田の手から改造銃が弾き飛んだ。

 

「制圧しました!」

 

高木が本田に手錠をかけながら叫ぶ。

 

橘は吉川を拘束したまま、鋭い視線で部屋の奥を睨みつけた。

部屋の奥。掃き出し窓のカーテンが、風に煽られて激しく揺れている。

窓は全開になり、雨粒が室内に吹き込んでいた。

 

「……三人目が逃げたわ!」

 

アパートの裏手。

錆びた非常階段を、小柄な男が転がるように駆け下りていた。

黒いキャップを深く被り、ボストンバッグを抱きかかえている。

 

男が地面に飛び降り、泥だらけのアスファルトを蹴って路地裏へ駆け込もうとした、その時。

 

カチャリ。

 

雨音に紛れるほど小さな、しかし絶対的な死を予感させる金属音。

撃鉄が起きる音が、男の鼓膜を打った。

 

男の足が、アスファルトの上で凍りつく。

 

暗闇の中。

ガス灯のような薄暗い街灯の光の下に、大黒圭吾が立っていた。

 

艶やかなネイビーのスリーピーススーツは、容赦のない雨に打たれて色を濃く変えている。

しかし、大黒は傘も差さず、雨粒を拭うことすらしない。

彼の手には、シルバーのシリンダーが鈍く光るリボルバーが握られ、その銃口は、小柄な男の眉間を正確に捉えていた。

 

「映画なら、ここから屋上でのダイブか、派手なカーチェイスが始まるところだ」

 

大黒の声は、車内でピザを頬張っていた時とは別人のように冷たく、低く、そして滑らかだった。

 

「だが、残念ながら日本の警察は予算に厳しくてね。それに、俺のスーツをこれ以上雨水と泥で汚したくない」

 

男——今回の連続強盗の黒幕である指示役は、恐怖で顔を引き攣らせながらも、懐へ手を伸ばそうとした。

 

大黒の目が、極細の針のように細められる。

 

「動くな」

 

たった一言。

大黒は声を荒らげたわけではない。発砲したわけでもない。

しかし、その声に込められた絶対的な殺気と、微塵の揺らぎもない銃口の圧力が、男の心臓を鷲掴みにした。

 

「俺は書類仕事が大嫌いでね。発砲報告書の言い訳を考えるくらいなら、正当防衛を主張して君を死体安置所に送る方を選ぶ。……試してみるか?」

 

大黒の口角が、ゆっくりと吊り上がる。

雨に濡れた前髪の隙間から覗くその目は、完全に獲物の死を疑わない捕食者のそれだった。

 

男の喉仏が上下に動く。

ガタガタと震える手から、ボストンバッグが滑り落ちた。中から、束になった一万円札が泥水の中へ散乱していく。

 

男はその場に膝をつき、両手をゆっくりと頭の後ろへ回した。

 

大黒はそれを見届けると、銃の撃鉄を戻し、スーツの内ポケットへ滑り込ませた。

彼がゆっくりと男へ近づき、手錠を取り出そうとした時。

 

バンッ!

 

背後の非常階段のドアが蹴り開けられ、橘が飛び出してきた。

彼女は雨の中、膝をつく男と、その前に立つ大黒を交互に見やり、深く息を吐いた。

 

「……おいしいところだけ持っていく癖、どうにかしなさいよ」

 

橘が階段を駆け下り、男の腕を背中に回して冷たい手錠をかける。

ガチャリという金属音が、雨の降る路地裏に響いた。

 

「見事な手際だったな、橘。お前が正面から制圧してくれたおかげで、俺のスーツのシワが一本も増えずに済んだ」

 

大黒は濡れた髪をかき上げながら、いつもの軽薄な笑みを浮かべた。

 

「……この着道楽。今度私を便利な盾みたいに扱ったら、その高いスーツをシュレッダーにかけるわよ」

 

橘が手錠の端を握りしめたまま、大黒を鋭く睨みつける。

大黒は肩をすくめ、散乱した札束を足先で軽く突いた。

 

「冗談だよ、相棒。君の圧倒的な制圧術がなければ、このネズミは今頃、東京のネオンに紛れていただろうさ」

 

サイレンの音が、遠くから近づいてくる。

赤色灯の光が、雨粒を乱反射させながら路地裏を照らし始めた。

 

アパートの入り口から、高木がふらふらとした足取りで歩いてくる。

彼の服は泥だらけで、手にはひしゃげたピザの空箱が握られていた。

 

「大黒さん……橘さん……。本庁の応援が到着しました……」

 

高木がその場にへたり込む。

大黒は歩み寄り、高木の肩を軽く叩いた。

 

「ご苦労だったな、高木。君の体当たりの演技のおかげで、誰も怪我をせずに済んだ」

 

「は、はあ……。でも、もうピザ屋のフリはこりごりです……」

 

大黒は薄く笑い、振り返って橘を見た。

 

「さて。そろそろ本庁へ戻る時間だな」

 

現場検証と身柄の引き渡しを終えた警察車両の一団が、雨の米花町を走り出す。

署に戻るパトカーの車内。

運転席の橘が険しい顔で前方を睨みつけ、助手席では大黒が優雅に腕を組んでいた。そして、その後部座席。

 

「は、はくしょんっ……!」

 

ずぶ濡れの黒幕と、泥だらけの高木が、狭い後部座席に押し込められて盛大にくしゃみを飛ばした。

 

車内は、先ほどアパートで散乱したペパロニピザの箱と、雨で湿った衣類、そして水牛のモッツァレラチーズと強烈なニンニクの悪臭が充満し、まさに耐え難い「地獄の密室」と化していた。

 

「おい、刑事さんよ。なんだこの凄まじい悪臭は……! 息が詰まる!」

 

黒幕の男が青ざめた顔で絶叫する。

 

「文句を言うな。高級なマルゲリータの香気だよ。君の犯罪計画よりはよっぽど上質なアロマだ」

 

大黒は涼しい顔で窓の外に目をやる。

 

「それにしても、この狭い空間に、ずぶ濡れの容疑者と泥だらけの部下、そしてニンニクまみれの警部補。……シートに染みついたこの匂いは経費でも落とせそうにないな」

 

橘がルームミラー越しに後部座席を一瞥し、ハンドルを握る手にぐっと力を込めた。

 

「……窓を開けたいところだけど、あいにく豪雨でね。本庁に着くまで、その地獄のドライブをたっぷり味わいなさい、美食家サマ」

 

「ひどい……! 橘さん、せめて窓を少しだけでも……!」

 

高木が泣きそうな声を上げるが、橘は冷徹にアクセルを踏み込んだ。

 

赤色灯の光が、悪臭と雨に満ちた車内を赤く染め上げていく。

冷たい雨の降る米花町に、大黒の軽口と高木の悲鳴、そして橘の冷ややかなエンジン音がいつまでも響き渡っていた。

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