シャボンディ諸島の空は、二年前と変わらず青く澄み渡り、無数のシャボン玉が陽光を反射して七色に輝いていた。
だが、その活気ある街並みに、二年前以上の熱狂と喧騒が巻き起こっていた。
「見ろ! 麦わらの一味だ!」
「本当に生きてたのか!?」
二年前、マリンフォード頂上戦争を経て世界中に「3D2Y」のメッセージを放ち、忽然と姿を消した麦わらのルフィ。
彼とその仲間たちが、過酷な修行を終えて再びこのシャボンディ諸島に集結したのだ。
成長したゾロやサンジ、ウソップたちが周囲の海軍や賞金稼ぎを圧倒し、その規格外の力を世界に見せつけている。
「ひひっ! みんな、強くなったな!」
麦わら帽子を深く被ったルフィは、自信に満ちた笑みを浮かべて両拳を打ち合わせた。
二年間、レイリーの厳しい指導の下で覇気を身につけ、肉体も精神も桁違いに成長した。エースを失ったあの日のような無力な自分は、もういない。
「これで……仲間を守れる!」
ルフィは、未だ合流していない二人の仲間の姿を探した。
ナミとロビン。二年前、バーソロミュー・くまによってどこかへ弾き飛ばされる前に、自ら天竜人のもとへ向かった二人だ。
レイリーからは「天竜人に弱みを握られているかもしれない」と聞かされていた。だからこそルフィは、強くなった力で彼女たちを救い出す気満々だった。
「おーい! ナミ! ロビーーーン!!」
40番GRの高級居住区近く。
ルフィのよく通る声が響き渡った。その視線の先に、二人の女性の姿があった。
「うひょー! なんだその姿! 凄い出迎えじゃないか!」
ルフィが目を輝かせたのも無理はない。
そこにいたナミとロビンは、泥棒猫や追われる学者といったかつての張り詰めた気配を微塵も感じさせない、見違えるほど洗練された大人の女性へと変貌していた。
煌びやかで上質なシルクのドレス。背中が大きく開いたそのデザインは、彼女たちのプロポーションの美しさを際立たせ、同時に「誰にも傷つけられる心配がない」という絶対的な安全圏にいる者の余裕を漂わせていた。
「ナミすわぁ〜〜ん! ロビンちゃぁ〜〜ん! ますますお美しくなって……!!」
「おいおい、あんなドレスじゃ冒険できねェぞ? 鼻血出ちまうじゃねェか!」
「ヨホホホ! ナミさん、ロビンさん! 二年ぶりの再会に、パンツ見せてもらってもよろしいですか!?」
合流したサンジ、ウソップ、ブルックたちが、相変わらずの下世話なノリで騒ぎ立てる。
だが。
「…………」
「…………」
ナミもロビンも、氷のように冷たい瞳で彼らを見下ろすだけで、微動だにしない。
かつてのように怒って突っ込むことも、呆れてため息をつくこともない。ただ、「別の世界の人間が騒いでいる」とでも言うような、圧倒的な無関心。
その異様な空気に、ゾロが真っ先に気づいて刀の柄に手をかけた。
「おい、ルフィ。……何かおかしいぞ」
「ん? なんだゾロ?」
「彼女たちの……後ろだ」
ゾロの鋭い視線の先。
ナミとロビンの背後では、不思議な光景が広がっていた。
汚れた作業着を着た一人の青年が、額に汗を浮かべながら、側溝のドブさらいをしていたのだ。
そして、その青年の周囲を囲むように、黒服の男たちが数人、微動だにせず控えている。
「あ? なんだ、あのドブさらいの兄ちゃん。邪魔だぞー!」
ルフィが無邪気に声をかける。
その瞬間。
黒服の男たちの一人――サングラスをかけ、顔の下半分をスカーフで隠した男の肩が、ピクリと揺れた。
(……ルフィ)
男のサングラスの奥の瞳が、複雑な感情に揺れる。
だが、彼は動かない。口も開かない。ただ、背後の青年を守る『護衛』としての役割に徹している。
「おい、無視すんなよ! 迎えに来たんだぞ!」
ルフィがずかずかと近づこうとした、その時。
「待つのじゃ、ルフィ……!!」
少し離れた海上の船からルフィを見守っていたボア・ハンコックが、青ざめた顔で甲板から叫んだ。
彼女の視線は、ドブさらいをしている青年を真っ直ぐに捉え、その全身をガタガタと震わせていた。
(……まさか……あのお方は……!)
十六年前。聖地マリージョアの地獄の中で、一人だけ異質だった少年。
奴隷である自分たちを見下すでもなく、ただ黙々とドブさらいをしていた、あの不思議な少年。あの時、逃げる自分たちをわざと見逃してくれた『恩人』の姿が、目の前の青年と完全に重なった。
(あのお方は……天竜人……!だったのか!?妾達は天竜人に助けられていた?)
「ルフィ! いい加減に気づけ!!」
ハンコックの悲鳴のような制止と同時に、島に潜伏していたレイリーが物陰から姿を現し、鋭く叫んだ。
「護衛! そこまでです!」
「 それ以上近づくな、海賊!!」
まさに一触即発!
黒服の男たちが一斉にルフィの前に立ち塞がり、冷気を孕んだ殺気を放つ。
ゾロ、サンジが即座にルフィの前に出て臨戦態勢をとる。
「なんだと!?」
「ルフィに気安く触れようってのか?」
張り詰める空気の中。
「……どっこいしょっと」
泥まみれの青年――マヤが、シャベルを置いてゆっくりと立ち上がった。
「今日だったのか、その日は」
マヤは泥のついた手袋を外し、首のタオルで汗を拭いながら、面倒くさそうにルフィを見た。
「久しいな、麦わらの一味。逃がされた先で、随分派手に暴れてくれたみたいじゃないか」
「お前……!! あの時の!!」
ルフィが、オークション会場で対峙したマヤの顔を思い出し、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「お前がナミとロビンを……!! ナミ! ロビン! 行くぞ!!! 迎えに来たんだ!!」
ルフィが手を伸ばす。
サングラスの護衛――エースが、思わず前に出ようとした。だが、マヤがそれを手でスッと制止する。
「あのよ。ナミとロビンは、俺の所有物だ」
マヤの声は、どこまでも平熱だった。
「持っていくなら、それ相応の対価を寄越せよ。小僧」
「物だと!? 人をなんだと思ってるんだ!!」
ルフィが激昂し、地面を踏み砕く。
だがマヤは、怯むどころか呆れたようにため息をついた。
「大事な所有物だが? だから、お前たちには渡さない。それがルールだ。……どうしても欲しければ、絶対の安全な場所か、一生追われない生活。そのどちらかを保障しろよ。そうしたら、俺は何も言わない」
マヤの静かな宣告。
それは、ナミとロビンにとっての「現実」だった。
海賊であるルフィには、絶対に用意できないもの。
「それか……こいつら二人が、お前たちの元へ望んで行くなら、俺は止めない」
そのマヤの言葉に、ナミとロビンの肩が微かに跳ねた。
「俺の傍にいれば、守ってやる!!」
ルフィが、何の根拠もなく、ただ己の意志の強さだけで叫ぶ。
「そうだ! 俺たちも強くなったんだ!」と、他の仲間たちも同調する。
船上のハンコックは、胸をかきむしるような思いでその光景を見ていた。
(よすのじゃ、ルフィ……。その相手は……ただの天竜人ではない。妾の恩人でもある……!)
だが、それを口に出すことはできない。
「そうかい。安全か」
マヤは、鼻で笑った。
「今、ナミとロビンの手配書が出回っていないのは知ってるか?」
「え? そうなのか!? よかったな!! ナミ、ロビン!!」
ルフィが、心底嬉しそうに笑った。
その瞬間。
護衛のエースが、サングラスの奥で天を仰いだ。
ナミとロビンもまた、絶望的なまでの『見えなさ』に、静かに目を伏せた。
事態を全く把握できていないのは、麦わらの一味だけだった。
「まーなんだ! みんな揃ってこれでいけるな! キャプテン・ウソップについてこい!!」
「ナミすわ〜ん、ロビンちゃん! また美味いの作らせていただきます!」
「……そうかい。随分な歓迎をしてくれるようだな」
マヤが、冷ややかに目を細めた。
「それはよかった。お前たちが引き受けてくれなければ、俺はこれから……こいつら二人に『天竜人の紋章』を刻む予定だったからな」
その言葉に。
ナミとロビンの顔から、サァッと血の気が引いた。
(……マヤ聖。私たちは、捨てられるの?)
(二年前に言っていた……『自分たちで決めろ』と)
「奴隷の証を刻むだと!!!」
ルフィの怒りが頂点に達した。
「お前……俺の仲間に、ふざけるなよ!!!」
ドンッ!!
ルフィの拳が、マヤの顔面に叩き込まれた。
「……やはり、こうなったか。またか」
マヤは、殴りかかってくるルフィの拳を避けることもなく、ただ黒服たちを手で制止し、まともにその一撃を受けた。
乾いた音が響き、マヤの体が数歩後ろに下がる。口の端から、一筋の血が流れた。
「ルフィ!! 何をしているの!!」
「やめなさい!!」
ナミとロビンが、悲鳴のような声を上げた。
「お前、また俺を殴ったな。……俺が何をしたって言うんだ?」
マヤが、血を拭いながら静かに問う。
船上のハンコックは、わなわなと震え始めていた。天竜人を殴るという、世界を敵に回す大罪。それが目の前で、再び引き起こされたのだ。
「お前が……証を刻むと言ったからだ!!」
「あのな。刻むと言っただけで殴られるのか? 意味がわからないだろ。それに……」
マヤは、ルフィの背後の海上に視線を向けた。
「そこの七武海。お前、なんでそっちについてる?」
突然話を振られ、ハンコックがビクッと肩を震わせた。
「小僧。もしそいつと『仲間』だとかふざけたこと抜かしたら、その七武海も、俺の所持品にしないといけなくなるから……慎重に言葉を選べよ? 周りを見ろ、小僧」
ルフィがハッとして周囲を見渡す。
いつの間にか、シャボンディ諸島の住民たちが、恐怖と憎悪の入り混じった目でルフィたちを睨みつけていた。そして、路地の奥からは、無機質な足音と共にパシフィスタが姿を現しつつある。
「なんだこりゃ!! 早く急いで行くぞ!! ナミ、ロビン!!」
ルフィが二人の手を取ろうとする。
だが、二人は動かない。
「まだ気づかないか?」
マヤの声が、冷たく落ちる。
「なんで、二人が行かないのか……つくづくおめでたい奴だな、お前は。俺が『制止』しているから、行かないんだよ」
「なんだと!? やはりお前、何かしてるんだな!」
「もういいか」
マヤは、深いため息をついた。
「二人とも、背中を向けろ。お前たちの背中に刻む。……『天駆ける竜の蹄』をな」
マヤの言葉に、ナミとロビンは唇を噛みしめ、ゆっくりと背中を向けた。
その美しい背中を晒すドレスは、この時のために誂えられたものだったのだ。
「ふざけるな!!」
ルフィ、ゾロ、サンジが一斉に構える。
だが、ハンコックは動けなかった。七武海としての立場、そして何より、あのマヤという男の底知れない気配が、本能に強烈な警告を鳴らしていた。
「ふざけてないぞ? いたって真面目だ。こいつらを俺の完全な所持品として扱う」
マヤが合図をすると、黒服の護衛の一人が、赤く焼けた鉄の『焼きごて』を差し出した。
それは通常の竜の蹄ではなく、マヤの頭文字『S』が絡みつく特注品だ。だが、ルフィたちにそんな違いがわかるはずもない。
「準備はできたぞ」
マヤが、赤く光る焼きごてを手に、静かにルフィを見た。
「小僧、お前まだわからないのか? 本当に、お前は今『生かされてる』んだよ。制圧しようと思えば、俺の護衛たちですぐにできる。それをしてないのは、俺がこうして喋ってるからだ。わきまえろよ」
「何言ってやがんだ! 俺の仲間だぞ!!!」
「やめろォォォ!!!!」
ルフィたちが、マヤに向かって飛びかかる。
その瞬間。
マヤは焼きごてを持ったまま、ナミとロビンの腰を抱え、フッと姿を消した。
「え……?」
ルフィの拳が空を切り、ゾロの斬撃が地面を割る。
マヤは数メートル離れた場所へ、二人を抱えたまま音もなく移動していた。黒服の護衛たち、そしてサングラスのエースも、それに付き従うように移動している。
何が起きたのか全く理解できず、ルフィたちは呆然と立ち尽くした。
「はぁ〜……な? 言った通りになった」
マヤが、呆れたように肩をすくめた。
「こいつらは何一つ解決策を持ってない。安全の保障もできず、すでに俺は二回殴られた。そして、二人への道も示せない。暴力で解決しようとするだけだ」
その冷酷な事実の羅列に、ルフィは言葉を失った。
「ルフィ」
沈黙を破ったのは、ナミだった。
その声は、かつてないほど冷え切っていた。
「私は、あなたたちのやり方が気に入らない。……何故、インペルダウンで暴動を起こしたの!? 何故、無数の凶悪犯を脱獄させたの!? 私にとっては、アーロンと同じくらい嫌な連中ばかりよ! バギーのことよ!」
「私もそうね」
ロビンもまた、静かな怒りを込めてルフィを見た。
「クロコダイルには、私自身も手を焼かされたわ。なんで、彼らを脱獄させたの?」
「それは……エースが……捕まって、助けたくて……!!」
ルフィの悲痛な叫び。
だが、その言葉は、大人の社会の理屈の前ではあまりにも幼すぎた。
「話にならないだろ」
マヤが、冷酷に切り捨てる。
「兄貴を助けたいから、無関係の民を犠牲にして極悪人を脱獄させたとか……アホかお前は。テロリストの言い分そのものだ」
マヤは、海上のハンコックに向かって鋭く目を向けた。
「七武海、ボア・ハンコック。天竜人、シンキ・マヤ聖が命じる。麦わらの一味を抑えよ。……これから俺がやることを、最後まで見届けるなら、お前がこいつらに加担した件は不問にしてやる」
その絶対的な命令に、ハンコックはギリッと唇を噛んだ。
「……ハンコック!! 嘘だろ!! なんでだよ! お前まで!」
「すまぬな、ルフィ。お前たちのためでもある……あの方の命は絶対じゃ」
ハンコックが、苦渋に満ちた顔でルフィたちの退路を塞ぐように動く。
「バカを言うな! ハンコック!! お前までも!?」
レイリーが叫ぶが、ハンコックは首を振った。
「まるで、俺が悪者だな。……なんでこうなってんだ? 本当に意味がわからんよ」
マヤが、忌々しそうに頭を掻いた。
「ナミ、ロビン。すまぬな。交渉は決裂だ。こいつらじゃ、お前たちの未来は保障できない」
「……わかっていたことよ。私は、マヤ聖と共にある」
「私も、もう決めていたわ。あの日からね」
二人の迷いのない声。
マヤは、深く頷いた。
「そういうわけだ。見届けろ!! 民よ! 海軍ども!! そして我が同胞(シャルリア)よ! 私の初の所有物となる二人だ! ナミと、ロビンだ!!」
周囲の住民たちから、盛大な拍手が沸き起こる。
天竜人が正式に奴隷を迎え入れる儀式。それは、この世界において絶対的な権力の発露だった。
「ナミ!!! ロビーーーーン!!! ハンコック、どけ!!!」
ルフィが絶叫し、前へ出ようとする。
だが。
「おっと、行かせないぜ」
サングラスの護衛――エースが、ルフィの前に立ち塞がった。
「お前は……さっきからあの男の後ろにいた奴か!! お前も仲間なんだな!」
「仲間ね……そんなもんじゃないな。家族さ」
エースは、自分に全く気づかない弟の鈍感さに呆れつつ、低く笑った。
「では、いくぞ。ナミ、ロビン」
マヤが、赤く焼けた鉄を構える。
そして、二人にだけ聞こえる小さな声で囁いた。
「……すまぬな、少し痛むぞ」
その声の優しさに。
ナミの目から、ロビンの目から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。
この人は、自分たちを守るために、ここまで泥をかぶり、悪役を演じきってくれるのかと。
その涙を見て、麦わらの一味は「嫌がって泣いている」と勘違いし、激しく焦燥した。
「早くしないと!!」
「私を先にどうぞ、マヤ聖」
「私にこそ」
ナミとロビンが、互いに背中を突き出して張り合う。
「……え。ここ、張り合うとこじゃなくない?」
マヤが素でツッコミを入れる中。
ジュゥゥゥゥッ……!!
ナミの白い背中に、熱された鉄が押し当てられた。
肉の焼ける音と臭い。だが、ナミの顔に浮かんだのは、苦痛ではなく、絶対的な安堵の微笑みだった。
「くそっ! 先を越されたわ!」
ジュゥゥゥゥッ……!!
続いて、ロビンの背中にも同じ刻印が刻まれた。
「あああああ!!! ナミィィ!! ロビーーーン!!!」
ルフィの絶叫が、シャボンディ諸島の空に空しく響き渡る。
「これで、こいつらは私の所有物となった。私の絶対の保護下とする」
マヤが焼きごてを投げ捨て、静かに宣言した。
そして、海上のハンコックへと視線を向ける。
「ハンコック。久しいな。十数年ぶりか。……ずっと心配していたんだ。無事で何よりだ」
「……っ!」
ハンコックは、甲板の上で深くひれ伏した。
(あの時の少年が、まさか天竜人だったとは……。あの時の御恩は、決して忘れておりませぬ)
「お前の背中にも、俺の印を刻んでおこうか? 多少はデザインを変えてやるぞ」
「ですが……今は、その……」
「そうだな。今は、この小僧どもの対処が先だ」
マヤの視線が、再びルフィへと戻る。
「これで私は、もうマヤ聖のものとなったの。ルフィ、一緒に海へは行けないわ」
ナミが、背中の痛みに耐えながら、冷ややかに言い放つ。
「私もよ。私たちがあなたの船にいる必要、もうないでしょ?」
「ルフィ。あなたはあの時、航海士が欲しかっただけでしょ? だから、私をアーロンから助けた。そうでしょ? 私が航海士じゃなければ、あなたは連れ出さなかった。だって、ノジコを連れ出していないじゃない」
「それは……っ! でも、お前は俺の……!」
「私は、あなたに助けられた恩はあるわ。でも……これまで、お互い『利害の一致』ということで船に乗っていたけれど。もう、あなたの腕力じゃ、私を守れないのよ」
ロビンの言葉が、ルフィの胸を深く抉る。
「そんなことはないだろ!! 今まで通り……!」
「じゃあ、手配書を取り下げてくれるの? あなたの元に戻れば、また私は一生追われる身なのよ?」
「え? でも、もう取り下げたんだろ!? なら大丈夫じゃないか!」
その言葉に、ナミが信じられないものを見るような目つきになった。
「あんた……本当に、どういう回路してんの? そんな権力が使えるのは、世界にほんの一握りの人たちだけなのよ! 私たちは、その方の元にいると決めた。そして、助けられた」
ナミは、晴れやかな顔で空を見上げた。
「私の夢は、世界の海図を描く事。それってさ、別にルフィの船にいなくても、安全な環境で世界中のデータが手に入るここで、十分にできるのよ」
「私は、学者として歴史の研究ができればいいだけ。それは、あなたたちの過酷な逃避行の中でやる必要のないことよ」
「そういうわけだ。……ボア・ハンコック、今度俺の宮殿へ呼ぶ。その時にな」
マヤの言葉に、ハンコックは深く頷いた。
「勝負だ!! 勝負しろ!!!」
ルフィが、完全に理性を失って怒鳴り散らす。
「何言ってんだお前。二人の意志は完全に無視なのか?」
「…………そこまで手を打ったのか」
レイリーが、苦々しく呟く。
「爺さんも、いい加減こいつを説得しろよな」
マヤが呆れたように首を振り、黒服たちに顎で合図をした。
「まーいいか。全員捕まえるか? 何人捕まえようか、え?」
「嘘だろ!? 捕まるのか!? なんでだよ……!」
「まずは、そこの長鼻とトナカイを捕らえろ」
マヤの指示と同時に、黒服たちが一瞬でウソップとチョッパーの背後に回り、その首筋を抑えて気絶させた。
「ウソップ! チョッパー!!」
「まず二人だ。……ほら、どうした? 小僧。仲間を守るんだろ?」
気絶した二人を足元に転がし、マヤが冷酷にルフィを見下ろす。
「動けば、この二人がどうなるかわかるよな?」
「くそっ……!」
「いいか小僧。これが『交渉』ってやつだ。こっちは散々条件を提示した。だが、お前はそれに応えず、ただ暴力を振るった。先に手を出したのは、お前だよ」
ルフィが、ハンコックに助けを求めるように視線を向ける。
「ハンコック! なんとか……って、そっちなのかよ……お前も!」
「今の状況では、こうするしかあるまい。七武海としてこれ以上は動けぬ。先に手を出したのは、ルフィ、そなたなのでな」
「ほら、頼みの爺さんも状況を把握したみたいだぞ? お前たちの方が、どう見ても『悪』なんだよ。この状況じゃな」
マヤの正論の刃が、麦わらの一味の心を次々とへし折っていく。
「ルフィ、投降してちょうだい。あなたは、私の大切な人を二度も殴ったのよ」
「私も投降をおすすめするわ……」
「なんでだよ!! 俺はただ、みんなで楽しく海賊を……!!」
ルフィの悲痛な叫びを、マヤが冷たく遮った。
「その『楽しく』に巻き込まれた民は、何を思うんだよ? インペルダウンで脱獄した極悪人による、周囲の島々への被害。そして、二年前のオークション会場での一件だ。お前が暴れたせいで、俺の大事な領民が三人も巻き込まれて死んだ。負傷者は数知れずだ。……そんな民の命は、お前の『楽しい海賊ごっこ』の犠牲になるゴミ以下なのか? ええ? 小僧」
「はぁ!? 何言ってんだよ! 俺はただ、あの時、俺の友達を家族(奴隷)にした奴を殴っただけだろうが!」
そのルフィの言葉を聞き、ハンコックは(もはやこれまでか……)と目を閉じた。
「言質を取ったぞ。お前はチャルロスを殴ったのを、今、大衆の前で再度認めたな。お前のその身勝手な行いが混乱を招き、海軍が動き、パシフィスタが暴れ、結果的に何の罪もない人が死んだんだよ!!」
マヤの激しい一喝に、麦わらの一味は完全に絶句した。
自由という名のエゴが引き起こした、血塗られた現実。それを突きつけられ、誰も反論できなかった。
「……そうだな。この二人は預かっておいてやるよ。ほら、また逃げろよ。今はまだ、海軍の大将クラスは来てないぞ? 逃がしてやるよ」
マヤは、足元のウソップとチョッパーを一瞥した。
「そうか。このトナカイだけでもいいか。この長鼻は……くれてやろうか?」
「ナミ! ロビン! どうにもならないのか!?」
「もう無理よ……あなた、何も見えてなさすぎるわ」
「私ももう無理ね。インペルダウンの暴挙は到底許せないし……それに、私たちはマヤ聖に救われているから」
その時。
「何をしてるでアマスか! 下々民が!!」
騒ぎを聞きつけたシャルリア宮が、護衛を引き連れて姿を現した。
「おお、シャルリアか。見ての通り、俺の初の奴隷祝いだよ」
「マヤがとうとう、奴隷を持ったアマスか!? あの時の二人なら……まー良いアマス。わたくしのメイドにもちょうどいいアマス」
シャルリア宮が、値踏みするようにナミとロビンを見て頷く。
「さて、シャルリアも来てしまったし。面倒だから、長鼻連れてさっさと逃げろや。小僧」
「チョッパーを返せよ!!!」
ルフィが、血を吐くような声で叫んだ。
「お前の殴った『ケジメ』を、誰かがつけないといけないだろ? そうじゃないと、お前たちの嫌いな『海軍や世界政府のメンツ』ってやつが保てないんだよ」
マヤは、冷酷な目でルフィを射抜いた。
「そういうことだ。受け入れろ、小僧」
太陽が眩しく照りつけるシャボンディ諸島の空の下。
海賊王を夢見た少年の価値観は、大人の社会の絶対的なルールの前に、音を立てて崩れ去っていた。