シャボンディ諸島、40番GR。
頭上を覆うヤルキマン・マングローブの巨大な葉の隙間から、容赦のない陽光が石畳を照りつけている。絶え間なく湧き上がるシャボン玉がパチンと弾ける微かな音すらも、今の異常な静寂の中では耳障りなノイズのように響いていた。
「……ふざけるな」
地の底から這い出るような、低く、震える声だった。
麦わら帽子を深く被ったルフィは、ギリッと血が滲むほどに歯を食いしばり、目の前に立つ青年に向かって殺意に満ちた視線を向けていた。
「ん?」
対峙する天竜人、シンキ・マヤ聖は、小首を傾げた。その表情には怒りも焦りもない。ただ、道端の石ころが不意に転がったのを見た程度の、絶対的な無関心と平熱感が張り付いていた。
「チョッパーたちを返されて……ハイそうですかって逃げて……それで終わりかよ」
ルフィの拳が、ワナワナと震えている。
突きつけられたのは、あまりにも残酷な大人の理詰めだった。安全の保障もできず、ただ暴力を振るっただけの自分には、ナミとロビンを連れ戻す資格はない。それがこの世界の『正論』だということは、本能で理解できていた。
だが、感情が、魂が、それを絶対に許容しない。
「ナミたちを置いて、俺に海に出ろって言うのかよ!!」
怒声が弾けた。空気がびりびりと震え、周囲を取り囲んでいた民衆や海軍兵たちが、恐怖に一歩後ずさる。
「待て、ルフィ! 今はダメだ!」
たまらず、ゾロがルフィの肩を強い力で掴んだ。サンジもまた、ルフィの前に立ち塞がるようにしてその進行を阻もうとする。
「ここで暴れりゃ、本当にアイツらまで傷つけることになる! ナミさんやロビンちゃんの立場まで悪くなるんだぞ!」
「離せ!!」
ルフィは、長年苦楽を共にしてきた両翼の制止を、強引に振り払った。ゾロの鋭い眼光も、サンジの悲痛な叫びも、今のルフィの耳には届かない。
「うるせェ!! 俺は……俺は二年間、お前らと一緒に海に出るために強くなったんだ!!」
ルフィの脳裏に、無人島ルスカイナでの過酷な修行の日々がフラッシュバックする。
猛獣に引き裂かれそうになった時も、孤独に心が折れそうになった時も、頭に浮かぶのはシャボンディ諸島で散り散りになった仲間たちの顔だった。あいつらともう一度海に出る。その一心だけで、覇気を身につけ、限界を超えてきたのだ。
「なのに……お前らがいねェ海に出て、何の意味があるんだよ!!!」
ドンッ!!!
ルフィの足元で、石畳が爆発するように砕け散った。
両脚が凄まじい勢いで血液をポンプのように全身へ送り出す。ルフィの皮膚が赤黒く染まり、体中から尋常ではない熱量の蒸気が噴き上がった。
『ギア2』。
命を削り、身体能力を極限まで引き上げる戦闘形態。その熱気は周囲の空気を歪ませ、ルフィの放つ覇気が陽炎となって揺らめく。
「ルフィ、やめろ!!」
ゾロの制止も虚しく、ルフィは完全に理性を手放し、マヤに向かって一直線に殺意を向けた。
だが。
「……」
マヤは、全身から蒸気を噴き上げて威嚇するルフィを見ても、表情一つ変えなかった。ただ、呆れたように小さくため息をつく。
「話の通じないバカは嫌いなんだがな」
「お前をぶっ飛ばして……全部元通りにしてやる!!!」
ルフィが大地を蹴った。
「ゴムゴムのォ……!!」
爆発的な初速。音を置き去りにする速度で、ルフィの体がマヤの懐へと迫る。武装色の覇気を纏い、黒く硬化された右拳が、限界まで引き絞られた。
「やれ」
マヤの静かな一言。
その直後だった。マヤの背後に控えていた、サングラスとスカーフで顔を隠した黒服の護衛――エースが、音もなくルフィの視界に割り込んだ。
「JET銃(ピストル)!!!」
空気を引き裂く轟音と共に、ルフィの必殺の一撃が放たれる。
鋼鉄の分厚い壁であろうと一撃で粉砕するその拳。しかし、黒服の男は悪魔の能力を一切使わなかった。
男は微かに上体を右へ流し、首を数ミリだけ傾けた。
ヒュンッ!
ルフィの拳が、男の頬の横を虚しくすり抜けていく。極限まで洗練された『紙絵』と暗部の体術の融合。殺気も力みもない、ただ流れるような無駄のない回避行動だった。
「なっ……!?」
体勢が前のめりに崩れたルフィ。その無防備な首筋に向け、黒服の男の右手が静かに振り下ろされた。
力任せの打撃ではない。ルフィの動線と重心の移動を完璧に見切り、意識を断ち切るための最も効率的な急所への一撃。
トンッ。
硬質な音が小さく響いた。
次の瞬間、ルフィの目からスッと光が消えた。
全身から噴き上がっていた蒸気が嘘のように霧散し、ルフィの体は糸の切れた操り人形のように、無惨に石畳の上へと崩れ落ちた。白目を剥き、ピクリとも動かない。
「…………え?」
ゾロが、サンジが、麦わらの一味の全員が、息を止めた。
二年間、地獄のような修行を乗り越えてきた自分たちの船長が。覇気を纏い、本気で放った一撃が、マヤに届くどころか、ただの護衛に一瞥もされずにいなされ、たった一撃で意識を刈り取られたのだ。
「ルフィ!!」
「てめェ……!!」
ゾロが刀を抜き、サンジが脚に熱を宿そうとした、その時だった。
「そこまでじゃあああああッ!!!!」
上空から、空気を震わせるような雷鳴の怒声が轟いた。
ズドォォォォォォンッ!!!
凄まじい衝撃と共に、マヤと麦わらの一味の間に隕石のような何かが墜落した。
土煙が晴れた後に立っていたのは、白い海軍のコートを翻す巨漢――海軍の英雄、ガープ中将だった。
「じ、爺ちゃん!?」
「ガープ中将!?」
海賊も海軍もどよめく中、ガープは気絶して倒れているルフィの頭ぐらへと近づき、その巨大な拳を容赦なく振り下ろした。
「愛の拳!!!」
「ごぶぁッ!?」
強烈な物理的痛覚に、ルフィが目を剥いて強制的に意識を引き戻される。頭を抱え、石畳の上で転げ回るルフィを余所に、ガープはそのままマヤの正面へと向き直った。
そして。
海軍の英雄であり、数々の伝説を残してきた誇り高き老兵は、ためらうことなく、冷たい石畳の上に深く両膝をつき、額を擦りつけた。
「すまなかった……!!」
周囲の時が止まった。
ガープの土下座。それは、天竜人に対する海軍の絶対的な服従を意味すると同時に、一人の不器用な祖父が、バカな孫の命を繋ぐために全てのプライドを投げ捨てた瞬間だった。
「マヤ聖……! このバカ孫が、天竜人であらせられる貴方様に多大な無礼を働き、誠に申し訳ない……!!」
「……」
マヤは、額を擦りつけるガープを静かに見下ろしていた。
ガープが飛び込んでくることは、マヤにとって想定の範囲内だった。むしろ、この膠着状態を強制終了させるために、マヤの思惑通りに動いてくれたと言ってもいい。
「……そうかい。そこまで仲間思いか」
マヤの声が、どこまでも冷たく、静かに響いた。
それはガープに向けられたものではなく、頭を抱えて呻いているルフィに向けられた宣告だった。
「ならよ。ナミ、ロビン」
ビクッと、背後に控えていた二人の肩が跳ねる。
「戻ってやれ」
「……え?」
ナミの口から、間の抜けた声が漏れた。ロビンもまた、信じられないものを見るように目を見開いている。
マヤは、焼きごてを放り捨て、ポケットに両手を突っ込んでルフィを見下ろした。
「手配はこっちですべて処理したままにしておいてやるよ」
「えっ……!?」
その言葉に、ルフィの顔にパッと歓喜の色が浮かんだ。
「いいのか!? お前、案外いい奴だな!!」
「ルフィ!! バカ、口を慎まんか!!」
無邪気に喜ぶルフィを、ガープが青ざめた顔で怒鳴りつける。だが、ルフィの脳内では「マヤが折れて、ナミとロビンを返してくれた」という単純な事実だけが処理され、完全な勝利の喜びに包まれていた。
「よかったぞ! これでナミもロビンも無事だ!」
ルフィが満面の笑みで歯を見せる。
だが、マヤは一切笑っていなかった。ただ、深く、冷酷な底なし沼のような瞳で、ルフィを哀れむように見つめていた。
「そう思ってるうちが、花だぞ。小僧。……ではな」
「待ってよ……! 待って!!!!」
ナミが、血相を変えて悲鳴を上げた。
美しく着飾ったドレスの裾を握りしめ、マヤの背中に向かって手を伸ばす。
「え? 嘘でしょ……!?」
ロビンもまた、仮面のような冷静さを失い、その場にへたり込んだ。
「ガープ。お前の顔に免じて、今回は貸し二つだな。……では、息災でな。ナミ、ロビン」
マヤは振り返らなかった。
護衛の黒服たち、そして海賊女帝ハンコックを引き連れ、ゆっくりと、確実に、彼女たちから遠ざかっていく。
「あああああ!! 嘘でしょ……なんで! なんで!!」
ナミが、石畳に膝をつき、両手で顔を覆って大声を上げて泣き崩れた。
ロビンは言葉を発することすらできず、ただ絶望に染まった瞳で、遠ざかるマヤの背中を呆然と見送っていた。
「どうしたんだよ、二人とも! 迎えに来たんだぞ!」
ルフィが、不思議そうに近づこうとする。
だが。
「来るなっ!!!!」
ナミの拒絶の叫びが、ルフィの歩みをピタリと止めた。
顔を上げたナミの瞳には、かつての仲間に対する親愛の情など欠片もなく、ただ純粋な憎悪と、底知れない絶望だけが渦巻いていた。
「あんたのせいよ……ルフィ。なんなのあんた、自分勝手すぎでしょ!! 私たちのこと、何も考えてないじゃない!!」
「どうしたんだよ……だってよ、あいつはもういなくなったじゃねェか! 手配書だって取り消してくれたって!」
「おい……ルフィ、これはやばいぞ……」
サンジが、タバコを噛み潰しながら冷や汗を流した。ゾロもまた、刀から手を離し、取り返しのつかない事態に直面したような渋い顔で沈黙している。
「何がだよ? みんなで仲良くやっていけるだろ!」
「……私はもう、船に乗らないわよ」
ロビンが、焦点の合わない目でぽつりと呟いた。
「なんでだよ! あいつはもういなくなったじゃねーか!」
「お前……そりゃないぞ。どう考えても、生かされたのはこっちじゃねーか」
ゾロが、重苦しい声でルフィを嗜めた。
護衛の黒服に手も足も出ず、ガープの土下座で命を拾い、その上で「見逃された」のだ。それを「勝利」だと勘違いしているのは、世界でルフィただ一人だけだった。
「私も、もう乗らないわ。もう……どうすればいいのよ……っ」
ナミが、ボロボロと涙をこぼしながら地面を叩いた。
「せっかく居場所ができたのに……せっかく、誰にも怯えずに生きられる場所を見つけたのに……!」
「乗らないってどういうことだ!? みんなで海賊王に……!」
「お前、本当に仲間のことを考えてないのか? ルフィ」
ガープが、これまでにないほど低く、怒りを孕んだ声で言った。
「ルフィ」
ナミが、真っ赤に腫らした目でルフィを睨み据えた。
「じゃあさ。カームベルト(凪の帯)に行って、戻ってきてよ。それを無事に航海して戻ってきたら、乗ってあげるわ」
「いいぞ! 行こう!」
即答するルフィに、ガープが呆れ果てて額を押さえた。
「お前はバカか……! カームベルトは、海王類の巣窟であり、海軍直轄の無風地帯じゃ! 普通の船では風も受けられず、走れない海なんじゃぞ!」
「あそこは海軍の軍艦や、特殊な船しか入れねェ場所だ。俺たちの船じゃ、一瞬で沈むぞ、ルフィ」
フランキーが、冷静に事実を告げる。
「でも、ナミが行けって言うんだぞ!」
「そうよ、行ってきてよ! 私はあそこを安全に通ったわ。安全を保障してくれるんでしょ!? マヤ聖が言ってたじゃない、『安全な場所を保障しろ』って!!」
ナミの悲痛な叫びに、サンジは(これはまずいな……このままじゃ、一味が解散になっちまう)と奥歯を噛み締めた。
「なんで、そんなとこ行けたんだ? ナミは」
「マヤ聖がそう手配してくれたからに決まってるでしょ!? あの人が……マヤ聖が、麦わらの一味も、私も、ロビンも、みんなを救ってくれた大恩人なのよ!!」
ナミの言葉に、麦わらの一味全員が息を呑んだ。
「私たちはもう、海賊として生きたくないって言ったじゃない。ルフィ、どうしてくれるのよ……」
「そんなの……」
「ナミ、ロビン。お前たち、マヤ聖のところに戻りたいんじゃな?」
ガープの問いかけに、ナミは子供のように泣きじゃくりながら頷いた。
「当たり前でしょ……! そのために、マヤ聖の刻印を刻んでもらったのよ? あの人のこと何も知らないくせに、ルフィ、あんたが悪者みたいに決めつけて……!」
「私も、もう二年前から待ち望んでいたのよ。刻印を刻まれるの」
ロビンが、自嘲気味に笑った。
「私はオハラの件も、手配書の件も、CP9に追われずに済んだのも、全部あの人のおかげなの。……あなたにはできないでしょ? ルフィ」
「…………」
ルフィは絶句した。
仲間を苦しめる悪の権化だと思っていた男が、実は誰よりも確実な方法で仲間を救い、守り抜いていた。自分の「海賊としての正義」が、仲間にとっては迷惑でしかないエゴだったと突きつけられたのだ。
「あの……では、どうしましょう? 今から戻るということは……」
ブルックが、骨の指を震わせながらオロオロと問いかける。
「マヤ聖はな……」
ガープが、重い口を開いた。
「天竜人の中でも、奴隷を虐げず、民のために日々汗を流しておられる変わったお方じゃ。毎日どぶ掃除をして、船の修理を手伝い、民の家を修理し、海賊が来たらその対処をして……日々、この街を大事にしておった、極めて珍しい天竜人なんじゃよ」
ガープの言葉に、シャボンディの住民たちが深く頷いているのが見えた。
「そんなお方が、初めて皆の前で『家族』として迎えた二人を……ルフィ、お前は奪ったんじゃよ」
「俺は……っ」
「お前たちが二年前に起こした暴動のおかげで、マヤ聖は深く嘆いておられた。お前たちが壊した街の復興も、あのお方が自ら手伝ったんじゃ」
ガープはそこで言葉を区切り、苦々しい顔でルフィを見据えた。
「さらにな……これは言えんことじゃが……色々と海軍や世界に良くしてくださっている方の『家族』を奪った。わかるか? ルフィ」
「……でも、俺の方が先に二人に出会っていた!」
ルフィの抗弁は、どこまでも幼稚だった。
「じゃが、長くいた日数は、マヤ聖と一緒の日々の方が、ナミとロビンは長かったのではないか?」
「…………っ」
「私たちは二年間、ずっとあの人と共にいたわ。笑い合って、同じ食卓を囲んで。天竜人にも、悪い人もいればいい人もいる。それは、海賊だってそうでしょ?」
ナミが、冷たい涙を拭いながらルフィを睨む。
「ルフィ。あなた、インペルダウンで何をしたのよ? エースを助けるためって言って、無意味に凶悪犯を脱走させた……ただのテロリストじゃない!」
「私は、マヤ聖のもとに行くわ。……ルフィ、もうあなたには付き合えない」
ロビンの声には、かつての母のような温もりは一切なかった。
「マヤ聖は最後に言ったわ。手配書はそのまま破棄した状態にしておいてくれると。そんな優しい人なのよ。あの人が、どんな思いでこの刻印を作ってくれたかも知らないで!」
ナミが、大きく開いた背中をルフィたちに向けた。
そこには、赤く痛々しい火傷の痕――『S』の文字が龍のように絡みつく、美しい刻印が刻まれていた。
「わかる? この刻印の違い。これ、普通の天竜人の紋章と違うでしょ?」
「その紋章はなんじゃ? 龍の紋章だが……見た事がないのう」
ガープが目を丸くして身を乗り出した。
「そうでしょ? 海軍の英雄さんほどの方が見てもわからないものなのよ。これはね、『天駆ける竜の蹄』の代わりになる特注の刻印よ」
「なんじゃって!? 全く違うではないか! ただの美しい意匠の刻印にしか……」
「あの方の頭文字の『S』を龍に見立てて、私たちが人間以下の奴隷扱いをされているように見せないための、あの方なりの配慮だそうよ。……あの方は、これしか方法がないことを、悔しそうに謝ってくれたわ」
「天竜人が……謝罪したじゃと……!?」
ガープが絶句した。天竜人が下々民に謝罪するなど、世界の歴史がひっくり返るほどの異常事態だ。
「それに、私たち……あなたがインペルダウンで暴動を起こした時、あの場にいたのよ」
「え……?」
「エースを助けに行ってくれたのよ。あの人が」
ナミの言葉に、ルフィの目が見開かれた。
「なんだって? じゃあ……エースは生きて……?」
「あなた、ビブルカード持ってるでしょ? 燃え尽きてないから生きてることは知ってたはずよ。どこかでね。……あの人がエースを助け出してくれた後で、あなたが無意味にインペルダウンで大暴動を起こしたのよ」
「俺は……エースを助けるために……!」
「これは……事態は深刻じゃて……」
ガープが、頭を抱えて呻いた。
「なんでそこまで、私にこだわるの? ビビの時は、さよならしたじゃない! なんで? そんなに航海士を失うのが嫌なの?」
「私もそうね。どうしてそこまで私たちに執着するのかしら?」
ナミとロビンの冷たい問いかけに、ルフィは答えることができなかった。
仲間のためだと思っていた。だが、突きつけられたのは「自分の夢のために、優秀な航海士と考古学者が手放せないだけのエゴ」という醜い真実だった。
「勘違いでしたじゃ済まされんこともあるんじゃぞ? ルフィ」
ガープが、重く、鉛のような声で言った。
「ルフィ、いい加減にしろ。このままじゃよ……」
「それ以上は言うな、ゾロ……」
ゾロが刀の柄を強く握りしめ、サンジが苦渋に満ちた顔で俯く。
「ナミとロビンは、マヤ聖の所持品と言っておったじゃろ? あれはな、天竜人の所持品……つまり、家族という意味でもある。所持品と見なされた者は、天竜人同士、ひいては海軍ですら絶対に手出しができなくなる『絶対安全の盾』なんじゃよ」
ガープの説明が、静まり返った広場に響く。
「つまり、ナミとロビンは保護されていた。誰にも触れられないことを意味しておったんじゃ。だが、マヤ聖がそれをお前に『下賜』した。つまり、くれてやったことになる。この意味、わかるか? ルフィ」
「……くれたのか?」
「お前は、天竜人以上にこの二人を守らねばならないということじゃよ! 海軍相手だろうがなんだろうが、全てからな! 良いか? マヤ聖ほどの者から下賜された者の価値は莫大じゃ。しかも皆の前で刻印を押し、すぐにお前に下げ渡した」
ガープの顔に、濃い影が落ちる。
「マヤ聖のメンツは潰れたようなものじゃ……お前たち、狙われるぞ」
「……全員ぶっ飛ばせば……」
「バカを言え!!」
ガープの怒声が、ルフィの浅はかな考えを叩き潰した。
「お前を狙うのは、世界の全ての所属じゃて! 四皇、七武海、海軍、他の天竜人……すべてが狙いに来る! 安全な道はもうないと思え。ここを出たら、争奪戦が始まるんじゃぞ。ナミとロビンのな!」
「……っ!」
「お主、守れるんじゃろ? 先ほどそう言っておったものな」
ガープの言葉に、ウソップが顔面を蒼白にして震え上がった。
「ちょっと待ってくれよ……そんな、大げさなことなのかよ!?」
「お前たちはいつも、天竜人憎しじゃろ? だが逆の者もいるんじゃよ。マヤ聖に感謝している者も無数におる。そのメンツを潰したんじゃ。正直に言うぞ? 海軍はすぐ動く。センゴクは莫大な恩がある。白ひげも動く。ハンコックも動くじゃろうな」
「そうか……マヤ聖の、大事なものを取ったからか……家族を奪ったってことか」
チョッパーが、涙目でガクガクと震えながら呟いた。
「私たちはどうなるの……?」
「マヤ聖の元に戻れないのかしら……」
ナミとロビンが、不安そうにガープを見る。
「どうじゃろうな……。一度海軍預かりとして、海軍経由で戻すことはできるかもしれん。だが、それでももう、うねりは止まらなくなる。ルフィ。お前たち、ここを出た瞬間からただの賞金首じゃなくなる。世界中が敵になるんじゃよ」
「……どうしたらいいんだよ……」
ルフィの声は、今にも消え入りそうに震えていた。
「守ると決めたのじゃろ? だから、マヤ聖を二度も殴ったそうじゃな? 相手が弱いと決めつけて殴ったのであろう? だがの、あのお方は、先ほどお前を気絶させたあの護衛たちよりも強いぞ。……わしよりもな」
「え……?」
「そうよ。マヤ聖は凄く強い。ただ、大人のケジメとして、わざとあなたに殴られただけよ。それなのに、あんたが……もう、おしまいよ」
ナミが、深く絶望してうずくまった。
「海軍預かりにならずに、ルフィたちと共に海に出れば、お前たちは良いように使われるか、マヤ聖を脅す輩が出るかもしれん……それはセンゴクが絶対に許さんよ」
「そのセンゴクさんがこだわってるのって、インペルダウンのことでしょ? 私たちも聞いていたわ」
「そうじゃ……あの莫大な恩は、海軍全体が感謝しきれんほどなんじゃ……」
ロビンが、静かに立ち上がった。
「今から、マヤ聖のもとに行きます」
「そうじゃな……ルフィ、謝罪しろ。それしか道がない。ここを出る前でなら、まだ関係を戻せるかもしれん。ただし、これからの道は険しくなるがな。最悪の事態にはいかんよ」
「なんで俺が謝罪を……」
ルフィが、未だに自分の非を認められずに呟く。
その瞬間。
「いい加減にしろォッ!!!」
ゾロの怒声が、広場の空気を切り裂いた。
「お前、本気で言ってんのか!? 四皇、海軍相手に勝てるのか!? お前のその薄っぺらいエゴで、全員を殺す羽目になるだけだろうがよ!!」
「ゾロ……」
「わかった。謝罪もできぬか。ならば、わしと共に、ナミとロビンよ、謝罪に行こう。それでお前たちはマヤ聖のもとに戻れるはずじゃ」
「……俺も謝罪に行く」
サンジが、タバコを地面に落として踏み躙った。
「船長のやらかしだからな。ケジメはつけねェと」
「お、俺も行くぞ……!」
チョッパーが、涙を拭いながらサンジの足元へ歩み寄る。
「うねりを止められるのは、マヤ聖だけじゃ……ルフィの育て方を間違えたかもしれんな……」
「俺も謝罪に行く」
ゾロが、背を向けて歩き出した。
「では、みなさんで行くということで……ルフィさんは、まー……ここで待っていてください」
ブルックが、悲しげに帽子を押さえながらルフィに頭を下げた。フランキーもまた、無言でゾロたちの後に続く。
残されたのは、震えて動けないウソップと、完全に孤立したルフィだけだった。
シャボンディの青い空の下。二年間信じてきた『仲間の絆』は、船長の身勝手なエゴの代償として、あまりにも脆く、残酷な形で決裂したのだった。