アラバスタ王国の王宮、その最奥に位置する特別迎賓室。
分厚い石壁と豪奢なタペストリーに囲まれたその空間は、外界の熱気や喧騒を一切遮断していた。だが、室内に満ちている空気は、砂漠の炎暑よりも遥かに重く、息苦しいほどの緊迫感を孕んでいた。
「アラバスタからルフィ達へ、『かつて国を救ってくれた恩義に対する航海資金』という名目で、手切れ金を出す。それを受け取らせることで、『これで過去の貸し借りは完全に清算した』という政治的な事実を作るんだ」
若き天竜人、神鬼マヤ聖の口から放たれたその宣告は、王女ネフェルタリ・ビビの心を鋭い刃のように抉った。
マヤは、白を基調としたフォーマルなスーツのポケットに片手を入れたまま、赤い瞳で冷徹にビビを見据えている。その眼差しには、王族に対する見下しも、逆に特別な同情も存在しない。あるのはただ、純然たる『政治的実務』を遂行する為政者としての冷ややかな光だけだった。
「なんで……なんで、そんなこと……受け入れないといけないの……!」
ビビは両手を強く握り締め、震える声で叫んだ。
彼女の脳裏に焼き付いているのは、小さな海賊船ゴーイング・メリー号の上で、馬鹿騒ぎをしながら共に海を越えた麦わらの一味の姿だ。クロコダイルの魔の手から国を救うため、血塗れになって戦ってくれたルフィ。どんな時も希望を失わず、奇跡を起こしてくれたヒーロー。
彼らとの絆は、ビビにとって何物にも代えがたい青春の宝物だった。それを「政治的負債」と断じられ、金で清算しろというのだ。あまりにも冷酷で、受け入れがたい現実だった。
「それが政治的判断だ」
マヤは、ビビの悲痛な叫びを微風のように受け流した。
「俺はすでに、魚人島の姫であるしらほしには刻印を刻み、俺の保護下に入れた。お前達アラバスタの王族だけ、『それをしない』という判断はできぬ。お前が麦わらの一味だった過去があるのも分かるがな。これをしなければ、アラバスタは海賊の庇護国として、いずれ政治的に潰されるだろうよ」
「そんな……!」
ビビが縋るような目を父親に向けた。だが、コブラ王の顔には、苦渋と、そして揺るぎない決意が刻まれていた。
「コブラ王、政治的にどう見る?」
マヤは視線を国王へと移した。
「本来、天竜人である俺が、ここまで下々の王族に説明してやるのもおかしな話なんだぞ? 俺はお前たちの国を強引に力でねじ伏せることもできるし、天竜人の命令は絶対だ。だが、俺はお前達の意志を尊重して、わざわざ出向いて交渉している。その意味を考えろ」
「……わかっております」
コブラは深く、絞り出すような声で応じた。
「王族としては、すでにその条件を承認しております」
「お父様!! なぜですか!? 天竜人の保護などなくても、私達は……!」
「そうではないんだ、ビビ」
コブラが、悲痛な顔で娘を窘めた。
「インペルダウンから、クロコダイルが脱獄した。それは……ルフィ君が彼を逃がしたせいでもある。もし奴が再びこの国を狙った時、ルフィ君はすぐに来てくれるのか? また国が戦火に包まれれば、どれだけの民が死ぬ? 他の国や世界政府から、海賊と通じている国としてどう思われるかも分からないんだぞ」
コブラの言葉に、ビビは言葉を失った。
ルフィは自由に海を生きる男だ。アラバスタの都合に合わせて常に守ってくれるわけではない。そして何より、彼自身が、国を滅ぼしかけた元凶を世に放ってしまった事実がある。
「ビビ王女」
マヤが、ふっと口調を和らげた。
「俺は今、天竜人としてここに来ているが……貴方達に対しては『天竜人として』接してないんだよ。この意味、わかるかな?」
マヤの背後に控えていたナミとロビン、そしてエースが、わずかに目を見開いた。マヤがここまで相手の心情に配慮し、丁寧に説くのは珍しいことだった。ナミは胸の中で(ビビの思いを汲んでくれているのね……マヤ聖)と、彼の不器用な優しさに触れて温かいものを感じていた。
しかし、ビビはまだ頑なだった。
「ただ、奴隷が欲しいだけなの……!? この国を乗っ取って、何をしたいの!? プルトンどうこうも聞いたわ。でも、それじゃあ結局、クロコダイルと変わらないじゃない!!」
「ビビ! クロコダイルとマヤ聖を一緒に考えてはいけないんだ!」
コブラが慌てて娘を叱責した。ここはグランドラインの末端だ。天竜人の恐るべき権威や、その逆鱗に触れることの恐ろしさを、ビビは肌感覚として理解しきれていない。
だが、マヤは怒るどころか、呆れたようにため息をついた。
「奴隷が欲しいね……。それを貰ってどうするんだ? そもそも、俺はナミとロビンが生まれて初めての奴隷(所持品)でね。どう扱っていいのか、その作法が分かりかねるんだよ、王女様」
「え……」
ビビは困惑した。絶対的な支配と恐怖の象徴である天竜人の口から出た「扱いが分からない」という言葉。それは明らかに、彼がナミたちを奴隷として支配していないことの証左だった。
コブラは内心で(天竜人でありながら、逆上する娘を『王女』と扱い、対等に諭そうとしてくださる……やはり私の見立ては間違っていない。この御方なら、国を任せられる)と確信を深めていた。
「ビビ。海賊ごっこはもうおしまいなんだよ」
コブラが、優しく、だが毅然とした声で娘に告げた。
「思い出はいいものだ。だが、国は次へ進まないといけないんだよ」
「コブラ王の言う通りだ。じゃじゃ馬姫なんだな」
マヤは軽く肩をすくめた。
「信念を曲げないのは、大いに結構。俺もとある海賊に二回も殴られてるしな。先程も説明した通りだ。その名前はもうここでは出さんがな。……だが、それが『政治』というやつだ。このアラバスタでは、海賊に助けられた事実は存在しない。いいな?」
ビビは愕然とした。
なぜなの……? でも、あの時確かに、私たちは涙を流して別れた。左腕の印を掲げて、いつかまた会おうと誓い合った。
だが、その美しい思い出は、今、より強く、より巨大な支配者(マヤ)の圧倒的な政治力によって、完全に上書きされ、消し去られようとしている。
「うーん、なんか、勘違いしてる感じが顔に出てるけど」
マヤが頭を掻きながら言った。
「お前の背中に印を押すのは確定だ。コブラがそれを承認してるからな。押さないとなると、お前ら王族の未来は色々と複雑になるだろう」
「ビビ、お願い」
耐えきれなくなったように、ナミが一歩前へ進み出た。
「マヤ聖の保護下に入って頂戴。思い出は風化するの。昔と現実は違う……私も、マヤ聖と過ごすまでは分からなかった。今分からなくてもいい。いつかきっと、後悔しない日が来るわ」
ナミは背を向け、美しいドレスから覗くその白い背中をビビに提示した。
「この刻印、よく見て。本来なら『天駆ける竜の蹄』は、人を人以下に貶める忌まわしい証よ。でも、マヤ聖の印は、竜の蹄に『龍』が『S』の字のように絡みついているデザインに見えるでしょ? これは特注なのよ。……マヤ聖が、どんな思いでこれを作ってくれたか……」
「それは……『天駆ける竜の蹄』だったのか!」
コブラが驚愕の声を上げた。
「私も言われるまで、ただの美しい意匠の刻印としか認識できなかった。まさか、奴隷の証をそこまで……」
「奴隷の証……その配慮……?」
ビビもまた、ナミの背中に刻まれた美しくも悲しい印を見つめ、言葉を失った。
「ナミ、すまないな」
マヤがバツが悪そうに視線を逸らした。
「お前に説明させてしまったようだ。そうだな、ここは末端海域だものな。気づかなくて当然だ」
ビビの瞳から、ついに大粒の涙が零れ落ちた。
ルフィ達とのつながりを絶たれる悲しみ。国を守るための重圧。そして、目の前の得体の知れない天竜人が見せる、底知れない配慮。すべてが彼女の心を打ち砕き、そして新たに組み直そうとしていた。
「……わかり、ました……」
ビビは震える声で、政治的判断として、涙ながらにそれを受け入れた。
「えーと。泣かれると困るのだけど」
マヤが少しだけ困ったように眉を掻く。
「マヤ聖、配慮していただき感謝する」
コブラが深々と頭を下げた。
「お父様! なんで、なの!? 私……っ」
「時期にお前もわかる。このお方の違いにな……」
コブラは、静かに涙を流す娘の肩を優しく抱いた。ビビは悔しさに唇を噛みながらも、自分の背中に国の未来を背負う覚悟を決めた。
「思い出は重いね……って感じかな?」
マヤがふと、場を和ませようとしたのか、ひどく的外れな冗談を口にした。
「マヤ聖。それ、全然面白くないよ」
ナミがジト目で容赦なく突っ込む。
「手切れ金を渡しに行くのによ」
マヤはコホンと咳払いをして誤魔化し、ビビを見た。
「ビビ王女、貴方にも同行してもらおうか。そうすれば、今のルフィに会えるぞ」
ビビは、涙を拭いながら、無言で静かに頷いた。
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「少し、話をしようか。コブラ王」
ビビへの宣告を終えた後、マヤは小さく顎をしゃくり、コブラだけを王宮のさらに奥にある完全防音の別室へと誘った。
重厚な扉が閉められ、外界の音が完全に遮断された王宮の奥室。
コブラは、目の前の若き天竜人に対し、ごくりと乾いた喉を鳴らした。
「さて、もう一つ。あんたにだけ伝えておくことがある」
革張りのソファに深く腰を下ろしたマヤが、赤い瞳でコブラを真っ直ぐに射抜いた。
「あんたらネフェルタリ家は……『D』の一族なんだろ?」
「っ……!?」
コブラの心臓が早鐘のように打ち始めた。王家の極秘事項。世界政府のトップである天竜人の口から、その忌まわしき名が出たのだ。粛清を覚悟し、コブラの額から冷たい汗が噴き出す。
「……なぜ、それを……貴方様が……」
「上も五老星も知ってるぜ。だからこそ、俺が直轄保護下に置くことで、上の連中がお前らに余計な手出しをできないように縛りをかけた。それだけのことだ」
「天竜人が、『D』を庇うと……? マヤ聖、貴方様はまさか、空白の百年や歴史の真実を解き明かすために動いておられるのですか!?」
すがるように問うコブラに、マヤは心底興味なさそうにひらひらと手を振った。
「歴史の謎解きなんかする気はねェよ。過去に何があったかなんて、俺の毎日のどぶさらいには関係ねェからな.そもそも、明かすまでもない、知ってるからよ?」
「は……?知ってるですと!?」
「ただ、お前がアラバスタの王として『知っておけ』って話だ。俺がなぜ上と対等にやり合い、この国を強引に保護できるのか。……俺の本名は、神鬼マヤ。『ONI OF GO D Maya』だ」
「オー、エヌ、アイ……ゴ、D……?」
コブラは、自身の耳を疑った。
「『D』……!? 天竜人でありながら、神の天敵たる『D』の名を持つと仰るのですか……!?」
「そうだ。上にも直にそう伝えてある。俺が天竜人でありながら『D』だからこそ、あいつらも俺の存在を無視できねェし、手出しもできねェのさ。」
あっけらかんと告げるマヤの姿に、コブラは戦慄した。
世界の根幹を揺るがす絶対的なタブー。世界政府が八百年かけて隠蔽し、恐れ続けてきた『D』の歴史。
それを、目の前の男は「世界の夜明け」や「過去の遺恨」といった壮大な使命のためではなく、ただ『目の前の国や身内を保護するための政治的カード』として使い捨てているのだ。
歴史の真実などどうでもいい。今、自分の目の前の人間が平穏であればそれでいい。
コブラは、マヤとのあまりにもかけ離れた「温度差」に眩暈すら覚えた。同時に、悟った。
歴史の謎を追い求める学者や、思想で世界をひっくり返そうとする革命家よりも、この男のように「八百年の歴史の重みに一切の興味を示さず、ただ実務として圧倒的な力を行使する者」の方が、遥かに底知れない怪物(規格外)なのだと。
「……恐れ入りました。貴方様は、本当に……我々の常識の枠には全く収まらないお方だ。つまり、ここだけの話におさめよということですね。貴方様が動いてるので。こちらの胸も組んでくれると?」
コブラは、もはや恐怖ではなく、純粋な畏敬の念を込めて深く頭を垂れた。
「そういうことだ。余計な雑念はここにおいていけな?」
「……そこまで……」
コブラは呆然と呟いた。歴史の闇に触れることを何よりも恐れる天竜人が、あえてその爆弾を抱え込み、アラバスタの盾となっている。
「さて、ここからが本題だ」
マヤは赤い瞳を細め、一切の感情を排した冷徹な為政者の顔になった。
「コブラ。金の使い道についてな。さっきはビビの前で『手切れ金』と言ったが……お前には、その金が今、どれほど急務なのかを話しておく。その上で、ビビに現実を見せるためにあいつを連れて行く」
コブラの背筋に、冷たい汗が伝う。
「麦わらの一味はな……俺を二回、殴ってる。この意味、わかるよな?」
「っ……!?」
コブラは息を呑んだ。
「お前は王だ。天竜人を殴れば、その先に何が待っているのかを知っているはずだ」
「ま、まさか……二回も許されたのですか!? 一度でも殴れば、その者の人生はそこで終わります。それを不問にし、あまつさえ船の修理費用を出し、ナミやロビンの手切れ金代わりにと資金を……?」
「そうだ。そこまではさっきビビの前で説明した通りだ。……だがな」
マヤは冷ややかに鼻を鳴らした。
「今回の金がなぜ必要なのか。……あいつら、今、海底一万メートルで『飢え死に寸前』なんだよ」
「……え?」
コブラは間抜けな声を出した。あの、アラバスタを救った屈強な海賊たちが?
「航海士もいねェ。金銭管理もできねェ。その日暮らしの場当たり的な生き方だ。波に乗って上手くいっている時は、それでもいいだろう。だが、一度足元が崩れればどうなる?」
マヤは冷酷に事実を突きつける。
「ただの、生活能力のない社会不適合者の集まりだ。このままじゃ、あいつらの底なしの胃袋のせいで、遠からず魚人島の経済が食い荒らされて崩れる。……だから、まず魚人島からどいてもらわねェといけない。そこで、この手切れ金(航海資金)を持たせて、とっととあの島から『おさらば』願うってわけだ」
「そのような、惨状になっていたとは……。あの海賊たちが……」
「これでアラバスタは海賊と手が切れる。魚人島も、わけのわからない海賊集団がいなくなる。ウィンウィンだろ?」
マヤは静かに立ち上がり、扉の方へと向き直った。
「ビビにこの惨状を話せない理由はわかるな? あいつの中で、ルフィ達への『憧れ』が強すぎて、現実が見えなくなっちまうんだよ」
「……そこまでの配慮でしたか、マヤ聖……」
コブラは、もはや恐怖ではなく、深い敬意を込めてマヤの背中に最敬礼を送った。
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一方、迎賓室に残された女性たちの間には、先ほどまでの重苦しい政治の空気とは違う、どこか和やかな空気が流れていた。
「ビビ、聞いて驚かないでね。私たち、ここ(アラバスタ)まで、なんと四日で来たのよ!」
ナミが、まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のように身を乗り出して言った。
「え!? そんなにすぐ来れるものなんですか!?」
ビビが目を丸くする。グランドラインの航海がいかに過酷かを知っている彼女にとって、それは信じられない速度だった。
「それはね、マヤ聖の船が凄いのよ! 無風のカームベルトでも動くの! そしてとんでもなく大きいの!」
「そうなんだ……。天竜人の力って、本当にすごいのね……」
ビビは少しだけ寂しそうに伏し目がちになる。ナミが遠い世界へ行ってしまったような気がしたからだ。
「そうね。でも、特別なのは『マヤ聖だけ』よ」
ナミは優しくビビの手を握った。
「私たち、シャボンディ諸島に着くまで、数ヶ月もかかったの。とても大変だったわ。死にそうになったこともあった。……そして、やっと辿り着いたあの島で、あのバカ(ルフィ)が……天竜人を殴ったのよ。その時は、知り合いの魚人が奴隷にされそうだったのだけどね」
「やっぱり……ルフィさんは、そういう人なんですね!」
ビビの顔に、嬉しそうな光が灯る。仲間のために権力に立ち向かう、彼女の知るルフィの姿だった。
「でもね……」
ナミは少しだけ顔を伏せ、ぽつりと言った。
「私、少し考えが前と変わったのよ。……確かに、あの時ルフィが殴ったことが良かったのかは、今の私にはわからない。だって、その後にマヤ聖に出会ったんだもの。……あの方は違ったの。私たちを逃がそうとしたり、ルフィ達を裏で助けようとしてくれた天竜人なのよ」
「え?」
「驚くよね。私たちにね、『なんで海賊やってるんだ?』って聞いてきたの。で、私が『海図を書きたい』って言って、ロビンにも色々と複雑な事情があるのを察して……保護してくれたのよ」
「保護……」
「ロビンと私の手配書は、もう世界中どこにも出回ってないわ。それもマヤ聖のおかげ。……そして、二年間一緒に過ごしたわ。あの方ね、天竜人なのに、宮殿の裏で毎日泥まみれになって『どぶさらい』ばっかりしてるのよ。船の修理も自分でやるし、その辺の定食屋にも普通に入るの」
「……天竜人って、すごく怖くて、人を人とも思わないって聞いていたけれど……」
「ええ、その通りよ。だから、マヤ聖『だけ』が変わってるの」
ナミは、ビビの顔を真っ直ぐに見つめた。
「今すぐ分かってなんて言っても、無理だと思う。私も最初は全く納得しなかったもの。この刻印をつけるまでに、私の場合は二年も猶予を与えられたのよ? あの人、それまで奴隷を持つのが本気で嫌だったの」
「え!? 本当に?」
「うん。そして今、ビビの背中にも私にもつけてるこの刻印。これね、なるべく分からないようにって配慮してくれたのよ。そして、ルフィ達と魚人島で再会した時、私は自分から頼んでこの刻印を押してもらったわ。マヤ聖からは『ルフィ達の元に戻れ』って言われてさ……一度捨てられたかと思って、本気で泣いちゃったけどね」
「だって、ルフィ、二回もマヤ聖殴ってるのよ……」
「泣いちゃったって……え? もしかして……え?」
ビビが、ナミの言葉の裏にある「熱」に気づき、目を白黒させる。
ナミは顔を真っ赤にして照れ笑いを浮かべた。
「あはははっ! ま、そういう感じの気持ちになっちゃったなーってね! あの人、不器用だけど優しいのよ。……ビビ、いい? 天竜人を殴るってことはね」
ナミの顔が、ふっと真剣なものに変わる。
「その人の『人生が終わる』ってことなの。本来なら、手厚く船の修理費用なんて出さないし、生かしておいてもらえない。あの人は、そういう人なのよ」
「……なんで、ルフィさんはマヤ聖を殴ったの?」
「最初は、私が無理やり取られたと勘違いして殴ったわ。そのあとも同じ理由だけど……二回目は、私が『もうマヤ聖と一緒にいる』って言ったのに、それを聞いてくれなかったのよ。……あいつ、そういう強引なところ、あるじゃない?」
ナミの静かな指摘に、ビビはハッとした。
ルフィの真っ直ぐさは、時に相手の意志すらも「自分が正しいと思う形」で強引にねじ曲げてしまうことがある。
「……少し、納得したかもです」
ビビは小さく頷いた。
「強引というか、なんというか……そういうことですよね」
「言い方を変えれば、そうなるかな。……だから、今の私はとても幸せよ。ベルメールさんにも『凄く良い人と出会えた』って胸を張って言えるし、もう海軍に追いかけられることもない」
ナミのその心からの笑顔を見て、ビビは絶句した。
無理をしているわけでも、洗脳されているわけでもない。ナミは、かつて麦わらの一味にいた時よりも、はるかに穏やかで、女としての喜びに満ちた顔をしていた。
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数時間後。
コブラとの密談を終えたマヤが部屋に戻ってくると、そこには憑き物が落ちたような顔をしたビビと、彼女を笑顔で囲むナミとロビンの姿があった。
「話は済んだようだな。行くぞ、ビビ」
マヤが声をかけると、ビビは静かに立ち上がり、深々と頭を下げた。
皆が馬車へと向かう中、少しだけ歩みを遅らせたロビンが、マヤの隣に並び、楽しそうに囁いた。
「ねえ、マヤ聖。見せるの? あの子たち(ルフィ達)の現状を」
「それが一番早いさ。ガープから泣きつかれてるんだよ、こっちは……」
マヤが面倒くさそうに首を鳴らす。
「ふふっ。貴方も、色々と苦労してきているものね。……そういうの好きよ」
「お前はすぐそうやって……。まあ、ありがとうよ。俺もだよ」
マヤが少しだけ照れ臭そうに視線を逸らすと、ロビンはさらに悪戯っぽく微笑んだ。
「早く帰って、しらほしちゃんも待ってるし、大好きな『どぶさらい』でもしたい感じなんじゃない?」
「そうかもな。……でも、まー悪くないさ。こうしてお前たちの笑顔が見れるからな。船で移動してる時のナミは本当に楽しそうで、連れてきてよかったって思ったよ」
「あら、妬けるわね。……ナミが聞いたら、喜ぶわよ?」
「お前は本当に……。お前たちみんな、大事にしてるさ」
「ふふふ……」
二人の穏やかな足音が、大理石の回廊に静かに響いていった。