どぶさらいと天竜人と海賊   作:マイナーチョコ

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第33話:憤怒

 

 

ズズズンッ……!!

 

ホールケーキ城の全てを物理的に押し潰すかのような、巨大な重圧の余波。

客室のシャンデリアが激しく揺れ、砕け散った壁の瓦礫が床の上でパラパラと跳ねた。

 

それは単なる地震などではなかった。

空気そのものが濃密な質量を持って肌に張り付き、呼吸することすら拒絶するような、圧倒的な『覇気』の奔流。

 

「な、なんだこの揺れと気配は!!」

 

騒ぎを聞きつけて客室の入り口へ駆けつけていたシャーロット家の次男・カタクリが、険しい表情で周囲を睨みつけた。

10億を超える懸賞金を懸けられた四皇の最高幹部である彼をして、背筋に冷たい汗が伝うほどの異常な威圧。

 

(ママの覇気……ではない。一体誰が、城の奥でこれほどの力を放っている……!? ママは無事なのか……!?)

 

未来を見通す見聞色の覇気すらもノイズが走るほどの気配に、カタクリが戦慄する。

しかし、その緊迫した空気の中で、壁際に立たされていた二人の女性――ナミとロビンだけは、全く違う反応を見せていた。

 

(この覇気は……マヤ聖だ! まさか、怒ってる!?)

 

ナミは胸に手を当て、恐怖ではなく、深い安堵に瞳を潤ませた。

隣に立つロビンもまた、静かに息を吐きながら、入り口の向こうに立つルフィたちへ冷ややかな視線を向けていた。

 

(マヤ聖が来たわ。誰かが彼を本気で怒らせたようね……。こうなりたくなかったのに。なんで早く私たちを解放してくれなかったの、この人攫いどもは)

 

その二人の内面から溢れ出した感情の波を、サンジの背後に立つプリンは、前髪の下の『第三の目』で正確に読み取っていた。

 

(そっか……今の覇気、マヤ聖様のものなんだ。凄い覇気……もしかしたら、ママ以上かも。ママがああやって乙女になるのも納得しちゃうわね)

 

プリンは驚嘆しつつも、ナミたちの心にある揺るぎない信頼を感じ取り、胸の奥がチクリと疼くのを感じた。

 

(あの二人のために、単身でこのお城に乗り込んでくるなんて……本当に羨ましいな。……ていうか、二人が思ってる『人攫い』って、どういうことなの!?)

 

プリンが困惑していると、崩れた壁の向こうから、遅れてウソップやチョッパーたちが息を切らして駆け込んできた。

 

「お、おいルフィ! 大丈夫か!? なんか今、城がすげェ揺れたぞ! 急ぐぞ!」

 

「おお、ウソップ! 今サンジを連れて帰るところだ!」

 

ルフィが口の周りの肉汁を拭いもせずに笑う。

だが、サンジは頑なにプリンを背に庇い、一歩も引こうとしなかった。その様子を見ていた姉のレイジュは、呆れと困惑が入り混じった声で問いかけた。

 

「これはどういうことなの!? サンジ!」

 

「俺は、プリンちゃんを守ると決めたんだ!」

 

サンジは悲壮な覚悟を決めた騎士のような顔で言い放った。

しかし、プリンの第三の目には、彼の『本当の心の声』が筒抜けになっていた。

 

『ナミさんにロビンちゃんまで、この揺れで全く動じてないなんて、さすが俺のレディたちだ! それにしてもルフィの奴は、なんでこんな時に肉なんか食ってんだ! 少しは俺の悲劇の空気を読めよな!』

 

(……何この男。お城が揺れるほどの緊急事態が起きても、私のことなんてこれっぽっちも考えてないじゃない……)

 

プリンは、目の前の背中に心底うんざりとした視線を向けた。

その横で、ルフィは先程の覇気の余韻に目をキラキラと輝かせていた。

 

「なんだ今の気配! 覇気か!? どんだけすげーやつがいたんだよ!!」

 

「ルフィ、お前は何しに来たんだよ!! 俺を連れ戻そうとしても無駄だぞ!」

 

「何言ってんだ、サンジ! お前は俺の仲間だろうが!!」

 

「でも、もう俺はこのプリンちゃんを守るって決めたんだって言ってるだろうが!」

 

熱い押し問答を繰り広げる二人。

だが、ナミとロビンは氷のような冷めた目でそれを見つめており、レイジュも「サンジ……あなたそこまで……」と困惑を深めていた。

 

その茶番劇に、冷や水を浴びせたのはプリンだった。

 

「あの……お取り込み中なんですが、一つ質問いいですか?」

 

「なんだい? プリンちゃん♡」

 

サンジが瞬時に顔をだらしないハートマークに変えて振り返る。

プリンは可憐な笑顔を作ったまま、壁際のナミとロビンを指差した。

 

「あそこにいる二人の女性から、さっきからものすごい悲壮感が漂ってるんだけど……本当に仲間なんですか? 攫ってきたとかじゃないの?」

 

ピシリ、と。

客室の空気が、一瞬にして凍りついた。

 

「え……? どうして、それ……」

 

サンジの顔から血の気が引く。

だが、ルフィは空気を読むことなく、胸を張って大声で怒鳴り返した。

 

「俺の仲間だ!! 攫ってきてねェ!! 救い出してきたんだよ! だからここにいるんだろ!」

 

「お、おいルフィ! 俺の婚約者に向かってなんて言い方しやがる!」

 

サンジが焦って取り繕おうとするが、周囲にいたレイジュとカタクリの眉がピクリと動いた。

 

「え……? 攫ってきたのは、サンジが私の父親に、じゃなくて?」

 

「どういうことなの?」

 

レイジュとプリンが疑問の声を上げた瞬間、壁際にいたナミが、溜まりに溜まった鬱憤を吐き出すように叫んだ。

 

「私達は、ドレスローザで革命軍と、そこの王と、この麦わらの一味が結託して……無理やり攫われて付き従わされてるのよ!!」

 

隣でロビンも、深く静かに頷いた。

 

「なっ……! 革命軍に、ドレスローザの王……ドフラミンゴ!? 王下七武海と手を組んで女性を拉致したの!? どういうことなの、サンジ!!!」

 

レイジュが驚愕に目を見開いてサンジを問い詰める。

 

「い、いや、それには訳があるんだ! そうじゃない……プリンちゃんも何を急に……でも……」

 

サンジがしどろもどろになって言い訳を探す横で、ルフィが地団駄を踏んで叫んだ。

 

「違う!! 確かにあいつらと組んだ! でも、それは天竜人から、ナミとロビンを助けるためだ!! ずっと助けようとしてきた! その度にそいつをぶっ飛ばしたけど、全然言うことを聞かなかったからだ!!」

 

「「「「「はっ?」」」」」

 

レイジュ、カタクリ、プリン、そしてナミとロビンの声が、完全に重なった。

天竜人を、何度もぶっ飛ばした。

そのあまりにも常軌を逸した言葉に、カタクリですら言葉を失ってルフィを凝視した。

 

プリンはゴクリと唾を飲み込み、震える声でサンジに尋ねた。

 

「天竜人をぶっ飛ばしたって……それって、何て名前の人なの? 名前とかわかる……? サンジくん?」

 

「え、いや……マヤと、名乗ってた……」

 

サンジが気まずそうに呟いた瞬間、プリンの目が限界まで見開かれた。

 

「そうだ、そいつだ! 俺からナミとロビンを奪って、背中に刻印までつけたんだ! しらほしにも、ビビにも付けた悪い天竜人だ!!」

 

「なんですって!? そんなに刻印をつけて奴隷を持ってるの!? しかもリュウグウ王国やアラバスタの王家の人もいるじゃないの!? え? でも、攫われたって……?」

 

レイジュが混乱の極みに達し、頭を抱える。

重い沈黙が落ちた客室に、外の見張りから戻ったウソップが青ざめた顔で飛び込んできた。

 

「い、急げ!! ルフィ!! なんかヤバいのがこっちに来てるぞ!! さっき城が揺れたろ! サンジもナミも、ロビンも急ぐぞ!」

 

「だから、私達はあんた達に攫われただけでしょ!? なんで一緒に逃げるっていう解釈になるのよ!!」

 

ナミがヒステリックに叫び返し、ロビンも氷点下の声で続けた。

 

「いい加減にしてちょうだい! マヤ聖に、船の修理費用、その後の旅費、そして数日前に私達が逃げようとした時の『逃走資金』まで渡してもらったのに……なぜ私達を解放してくれないの!?」

 

その言葉に、レイジュは絶句した。

カタクリも、目の前の海賊たちが信じられないほどの下衆であることに気づき、(なんだこいつらは……海賊の風上にも置けん寄生虫か)と露骨な軽蔑の目を向けた。

 

プリンはしばし沈黙した後、氷のような目でサンジを見つめた。

 

「……それ、全部本当のことなのね、サンジくん……。お金まで貰っておいて、その人の大切な人を誘拐するなんて……恩義ある相手にやることなの!?」

 

「違うって言ってるだろうが! 俺達の仲間だ! 俺が先に出会って、俺が見つけた航海士と、学者だ!」

 

ルフィのその言葉に、ナミとロビンの心が完全に凍りついた。

結局、そこなのだ。彼女の意志や幸せなどどうでもよく、ただ『自分が先に見つけた所有物(機能)』だから手放したくないだけ。

 

「……ようやく言ったわね、ルフィ」

 

ナミの声には、もう怒りすらなく、ただ深い虚無だけが滲んでいた。

 

「私達がいなくなると、困ったでしょうね。航海はままならない、衛生管理もひどいものになった、金銭管理もできない。一つ歯車が狂えば、あなた達の海賊ごっこなんてそんなものよね……。うまくいってる時は、全部暴力で解決して進むんでしょうけど」

 

「やっと、本性が見えたわね……」

 

ロビンも静かに吐き捨てた。

 

「……違うだろ? 仲間だ!」

 

ルフィがなおも食い下がる中、レイジュが鋭い声でサンジに詰め寄った。

 

「サンジ……それ、すべて本当なの?」

 

「…………本当だ……」

 

サンジは、苦渋に満ちた顔で俯き、小さく白状した。

 

「マヤには……いや、マヤ聖には、恩義がある。だけど、ナミさんやロビンちゃんがいないと、本当に航海にならなかったんだ。あの時は必死だったんだ。食料もどんどん減る。嵐を避けられない……船はボロボロになっていった……」

 

「サンジ、何言ってんだよ! 恩義ってよ! あいつは悪い天竜人だろうが!」

 

ルフィが怒鳴る横で、ウソップは気まずそうに視線を逸らして黙り込んだ。

レイジュは、目の前の弟が信じられないというように、震える声で糾弾した。

 

「サンジ。貴方、自分が何言ってるか分かってるの!? 自分たちの目的のために、他人の意志を無視して道具として縛り付けるなんて……お父様(ヴィンスモーク)そのものじゃない!! 貴方、海に出て何を学んだのよ!」

 

「ひどいものね……」

 

プリンもまた、軽蔑しきった声で呟いた。

 

---

 

同じ頃。

プリンの客室へと続く長い廊下を、マヤはCP10(エース)、そして案内役のガレットとアマンドと共に歩いていた。

 

「しかし、どうなってんだ? あの脳筋どもは。政治的に穏便に片付けてやろうと思ったが、全く伝わらずだったぞ?」

 

マヤが首を傾げると、後ろを歩くCP10が苦笑混じりに答えた。

 

「まったくもって。マヤ聖がすべて語ってやっと、自分たちが誘拐の片棒を担いだ状態になったと気づいたようですが……」

 

「そうですね。すでにマヤ聖がママの前で語ってしまわれたので、政治的に見ても、ジェルマは『天竜人に対する誘拐幇助』となることでしょう」

 

ガレットの冷静な分析に、マヤは「だよな」と頷いた。

 

「つまり、あいつらは誘拐を手助けした王族となるな……。それを遠回しに言ってやったのに、全く伝わらなかったぞ。しかし、そのコックとプリンが、政略的に結婚か……少し複雑だな」

 

「「「え?」」」

 

CP10、ガレット、アマンドの三人が、同時に足を止めかけた。

 

「え? 気づいてないのですか?」

 

CP10が信じられないというように声を上げる。ガレットとアマンドも顔を見合わせて困惑していた。

 

「え? どういうこと? プリンとコックが結婚するんだろ? 俺は前に会って紹介されたけど、四皇の政略ならそれも仕方ないなって……。俺にはナミとロビンがいるし、しらほしも? かもだし。ビビは保護下だしな。それに、お前たち3人とはまだ友達だからな……」

 

マヤのあまりにも純粋でトンチンカンな言葉に、CP10はサングラスの奥で深く天を仰いだ。

その後ろで、ガレットとアマンドが小声で囁き合う。

 

(勘違いしてるのかな? 友達と前向きに言ってくださるのは嬉しいけど、もうちょい進みたいわね)

 

(しっかり考えてくれてるんですよ。誠実なんでしょう? 私達への配慮と、このトットランドを見据えてくれているのですよ。……でも、プリンのことを勘違いしてるのは、少し可愛いかも)

 

「マヤ聖……あのですね……」

 

見るに見かねたCP10が口を開こうとし、チラリとアマンドとガレットを見据えた。

二人は即座に首を横に振った。

 

「可愛いので、そのままで」

 

アマンドが小さな声で断言する。

 

「かぁ〜、マヤ聖は、もう!」

 

「なんだ? CP10よ……俺、なんかマズったか?」

 

「そのままでいてくださいってことですよ。マヤ聖が怒るのはもう見たくないんですよ、みんなね」

 

「そうか、俺は変なとこで怒るからな……難しいな」

 

マヤが頬をポリポリと掻きながら笑った、その時だった。

前方を歩いていたアマンドが、ピタリと足を止めた。

 

「そろそろプリンの部屋へと着きますが……え? 二人きりじゃないようですよ!?」

 

「なんだ? 何が起きてる? 騒がしいぞ!?」

 

廊下の奥から聞こえてくる怒鳴り声と騒音に、CP10が鋭く身構える。

四人は足早に客室の前へと駆け寄り、マヤがそのまま豪奢な扉を押し開けた。

 

バァンッ!

 

扉が開かれた瞬間、客室内の視線が一斉にマヤへと集まった。

プリンを背にして立つサンジ。その前に立ち塞がるレイジュ、ルフィ、カタクリ、そして青ざめるウソップ。さらに壁際には、涙を浮かべるナミとロビン。

 

「久しいな、プリン……って、え? ナミ、ロビン、え? なんだこの状況……知らない女もいるし、どうなってんだ?」

 

あまりのカオスな光景に、マヤが目を瞬かせる。

その姿を見た瞬間、ルフィが牙を剥いて吠えた。

 

「来やがったな!! 天竜人!!!」

 

「おいおい、またお前かよ。なんなの? 人攫いしておいて、その言い草はなんだ?」

 

「うるせェーー! またぶっ飛ばしてやるぞ!?」

 

ルフィが拳を握りしめる。

壁際のナミとロビンは、マヤの姿を見た安心感から、ポロポロと涙をこぼし始めた。プリンもまた、マヤが入ってきて一番最初に自分に声をかけてくれたことで、胸が温かくなるのを感じていた。

 

「まぁ待てや、人攫い。初めての方もいるだろう? 挨拶くらいさせろや」

 

マヤが軽く手で制すると同時に、背後のガレット、アマンド、そしてCP10が、ルフィたちに向かって強烈な睨みを利かせた。

その殺気にウソップが「ヒィッ」と青ざめ、ルフィもわずかにたじろぐ。レイジュは困惑し、カタクリは静かに様子を窺っていた。

 

マヤはまず、壁際のナミとロビンを優しく見据え、「大丈夫だ」と伝えるように深く頷いた。

そして、サンジの近くに立つピンク色の髪の美女へと視線を向けた。

 

「さて、そこのお嬢さんは、ヴィンスモークの者でいいのかな? ふむ……」

 

「そうよ……。私はヴィンスモーク家が長女、レイジュです」

 

「おお、これはこれはご丁寧にどうも。話がわかる人間がいるようでよかった。俺は、マヤ聖とでも呼んでくれ。まだ、お前の家には遺恨があるのでな」

 

「え? どういうことですか!?」

 

「その辺の説明は少し後にしよう。お嬢さんは、あの親父たちとは少し思惑が違うようだからな」

 

マヤはそう言ってから、巨躯の男――カタクリへと向き直った。

 

「カタクリ、久しいな。息災で何よりだ。今の状況は、どういうことだ?」

 

「その、私にもさっぱりでして……。どうやら、そこのプリンの、その、あの……サンジが、人攫いの一味だったという感じでして」

 

普段は冷静沈着なカタクリが、あまりの昼ドラじみた泥沼に言葉を選びあぐねていた。

 

「ちげェーー! 人攫いじゃないって言ってるだろうが!」

 

「プリンちゃんは俺が守ってるんだ!!」

 

ルフィとサンジが同時に叫ぶ。

マヤは溜息をつき、プリンへと視線を向けた。

 

「麦わらは無視して。少しアレなんでな。……プリン、すまんな。婚約者の前で無礼を働いてしまうかもだ」

 

「え? 違うのです!! 違います!! 待ってください!!」

 

プリンが顔を真っ赤にして、慌てて両手を振って否定した。

背後のガレットとアマンドが、(やはり勘違いしておられる……可愛いです)と目を細める。

 

「え? 違うとは……おい、コック。お前、プリンに何かしたのか? 婚約者なんだろうが!?」

 

マヤが真顔でサンジを睨む。

壁際でナミが(勘違いしてるわ……)と呟き、ロビンが(ふふ、マヤ聖らしいわ)と涙を拭いながら微笑んだ。

 

「そうじゃないんです……! 私は、サンジくんに思うところはないんです……!」

 

プリンの必死の訴えに、ガレットとアマンドが心の中で(言った!! よく言った!!)とガッツポーズを取った。

 

「え? どういうことだい、プリンちゃん? だって俺達は婚約者じゃ……」

 

「え? どういうことなのよ?」

 

サンジとレイジュが呆然とする中、プリンははっきりと告げた。

 

「顔見せ程度だと、ママには言われてます。婚姻までは結ばないと。勝手にヴィンスモークが結婚と言ってるだけだと……」

 

「へっ?」

 

サンジの間抜けな声が、部屋に響いた。

自分の悲壮な覚悟も、騎士道も、すべて前提から存在していなかったという残酷な事実。

 

「あ〜、なるほど、そういうことか。あの脳筋親父の中では、勝手に結婚決定ってことになってたわけか……」

 

マヤは一瞬で政治的な裏事情を理解し、納得したように頷いた。

 

「そういうところは理解が早いんですね!! マヤ聖は!! びっくりすぎですよ?」

 

CP10が思わずツッコミを入れる。

マヤは苦笑し、ナミとロビンに手招きをしながら、プリンに微笑みかけた。

 

「さて、ナミ、ロビン、連れて帰るか。プリン、さっきリンリンにも言ったが、こんなことが無ければ本来一緒にうちに遊びに、と思ったんだが、少しやることがあるのでな。落ち着いたら調整して、ガレットたちと3人でうちに遊びに来なさい。案内するよ」

 

(本気で言ってくれてる……嬉しい……!)

 

プリンの胸が歓喜に震え、前髪がふわりと揺れて、額の『第三の目』が露わになった。

それに気づいたマヤは、目を丸くした。

 

「あれ? プリン、凄いな。額に目があるのか。とてもいいと思うぞ。お前の目は、綺麗だと思うぞ」

 

何の下心もない、純粋な感性からの称賛。

その一言に、プリンの大きな三つの瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ落ちた。

 

「え!? す、すまんすまん、触れちゃいけなかったのかな……なんかすまん……」

 

マヤが慌てて手を振って謝る。

――その時だった。

 

「お前はまた、女を泣かせてるな!!」

 

ルフィの怒声が響いた。

 

「ナミもロビンも、サンジの婚約者に対しても、しらほしもビビもそうだ!! お前はいつも女を泣かせる!!」

 

ルフィがゴムの腕を引き絞り、マヤに向かって一直線に飛びかかった。

反射的に前に出ようとしたCP10を、マヤは「またこれか」と冷静に片手で制止した。

 

ドゴォッ!!

 

鈍い音が響き、ルフィの拳がマヤの顔面を捉えた。

マヤは一歩も退かず、ただ首を横に振ってその衝撃を受け流した。

 

「今度こそ、これで決着だ! 俺のほうが強いだろうが、諦めろ!!!」

 

拳を突き出したまま、勝利を確信したように叫ぶルフィ。

ガレットの顔が怒りに染まり、アマンドの手が名刀『白魚』の柄へと伸びる。

そして、涙を流していたプリンが、カッと目を見開いてルフィを睨みつけた。

 

「本気であなた、そう思ってるのね!! この蛮族!!」

 

「なんだと? 蛮族!?」

 

「プリンちゃん……あれ? なんかイメージ変わりすぎてない?」

 

サンジが間の抜けた声を上げる中、殴られたマヤは、ケロッとした顔で首をコキコキと鳴らした。

 

「やれやれ、これで4回目だ。三度目の正直どころの騒ぎじゃないぞ、これ。ガープにもまた貸しができてしまうな」

 

その平坦な言葉に、客室にいる全員が絶句した。

神である天竜人を4回も殴っておいて、今まで生きているどころか恩赦をもらっているという事実。そして、そこに出てきた海軍の英雄『ガープ』の名前。

事情を知っているナミとロビン、そしてCP10だけが、冷ややかな目でルフィを見ていた。

 

「関係ないだろうが!! 俺のほうが強いんだぞ!」

 

「そうだね。強いね。それで、何か解決できてるのかい?」

 

マヤは、諭すような静かな声で問いかけた。

 

「自分の心を曲げない信念は、とっても強いと思うぞ? そこは満点だ。とてもいいと思うぞ? ……だけどな、それで人を殴っていい理由にはならないんだぞ? わかるか? 小僧」

 

マヤは指を一本ずつ折りながら、淡々と過去を振り返った。

 

「このやりとりも、もう4回目だ。初めて会ったのは、お前が17の時だ。初めてナミとロビンと会った時だな。そしてそこで殴られたけど、その時俺はお前達を逃がしてやった。その代わり、ナミとロビンは俺の保護下に置いた」

 

「次は、2年後だったな。ナミとロビンを俺の初めての奴隷――名目上の所有物にした時だ。そこも甘んじて殴られてやったよ」

 

「次は、魚人島のしらほしの時だ。その時はお前に、船の修理代をくれてやったな? その修理代が無ければ、お前達はまだ海底1万メートルの中だ。あそこでは色々あってな。そこも甘んじて受けてやったな?」

 

マヤはそこでピタリと指を止め、首を傾げた。

 

「次は……って、あら? ビビの時も殴られたな? その時、手切れ金で金を渡したな……ふむ……。CP10、俺はどうやら鈍いらしいというのは本当だな。すでに4回殴られていたぞ!? つまり今回で5回目か! これは参ったな」

 

あっけらかんと笑うマヤに、CP10は額に手を当てて溜息をついた。

 

「マヤ聖……あの、その……みんなドン引きしておられますゆえ、笑えません……」

 

「そうか? 笑えるだろ? こんなバカな話があるか? こんなにも寛大な処置をして、金までやってるのに殴られるのだ。……でもな、大事な女を守るためなら、安いもんだろ?」

 

「お前、おかしいだろ!?」

 

ルフィが叫んだ瞬間、客室にいる全員の心が一つになった。

――おかしいのはお前だよ、麦わら!! と。

 

マヤの瞳から笑みが消え、底知れない深淵のような静けさが宿った。

 

「麦わら、お前はわかってないんだよ……世界がどうなってるかをな。今、目の前で自分が楽しければいい、これしか考えてないんだよな。お前は『自由』を勘違いしてる」

 

マヤは一歩、ルフィへと歩み寄った。

 

「俺は、女を大事にする。仲間を大事にする。だが、俺は押し付けはしない。殴りたくもない。わかるか? 殴るってことはよ? 信頼が失われるんだよ?」

 

「時には、殴れと言われることもある。だが、お前を殴って今、ここで殺して何になる? 俺の手が汚れるだけだ。お前の血で汚れるのが、心底うんざりする。……俺の手は、女の涙を拭い、仲間を守るための手だからな? わかるか、言ってる意味が?」

 

「俺だって仲間を守るんだろうが! 何が違うんだよ!!」

 

ルフィの反論は、あまりにも空虚に響いた。

マヤの言葉に、ナミとロビン、そしてプリンの瞳から再び涙が溢れた。ガレットもアマンドもその崇高な覚悟に胸を打たれ、あの冷徹なカタクリですら、武人として心を強く揺さぶられていた。

 

(ママが惚れるわけだ……。だが、頼むから俺達の『新しい父親』にはならないでくれ……頼む……!)

 

カタクリが内心で切実な祈りを捧げる横で、レイジュもまた(天竜人に、こんな考えの人がいるの……!?)と衝撃を受けていた。

 

「お前には、一生わからないのかもな? 捻じ曲げられすぎだ、お前の頭はよ? せいぜい、蛮族ごっこでもしてるといい。お前と話すと、こちらまで頭がおかしくなる」

 

マヤは冷たく言い放った。

 

「殴って、お前が勝ちでいいよ? でも、ナミとロビンがお前のところに行くのは別だと言ってる。何度も言ってるが、二人は俺の大事な、愛する人だ」

 

「……仲間……だ……」

 

「ルフィ、もう無理。何度も言ってるよね?」

 

ナミがはっきりと拒絶し、ロビンも冷酷に告げた。

 

「もう付き合いきれないわ。次は、私の手で本気で排除するわよ?」

 

サンジもウソップも言葉を失う中、ナミとロビンはルフィたちの横を通り過ぎ、マヤの背中へと歩み寄った。

 

「……待ってくれよ……」

 

ルフィの伸ばした手は、虚しく宙を切った。

マヤは二人を背に庇うと、すぐさま意識を切り替え、レイジュへと向き直った。

 

「いきなりだがな、レイジュとやら。ヴィンスモーク家はな、全員インペルダウンに送られるかもしれない。恩赦をかける意味がない、と判断した。何か反論があるなら述べよ」

 

「え……? どういうことですか?」

 

「ここまでのやりとりで、ある程度察してるだろ? レイジュとやら。つまりな、お前達の一家は広間で俺に楯突いた。そこは良い。CP10が止めたからな。だがな、ここに何故俺がいるのか考えろ」

 

レイジュはハッとして、高速で思考を巡らせた。

父ジャッジには理解できなかった政治のパズルが、彼女の頭の中で瞬時に組み上がっていく。

 

「私達が……サンジを攫ったから、貴方がここに来なければならなかった。そこのお嬢さん二人を助けるために?」

 

その答えに、マヤはパッと明るい、最高の笑顔を浮かべた。

あまりの態度の急変に、周囲が驚く。

 

「レイジュとやら、とても聡明だな。好ましく思うぞ。そうだ。さらに加えるとな、今トットランドは、海軍の大艦隊によって包囲されてる」

 

「そこまでに!? はっ……私達はここまでサンジを連れてきた。そして麦わらの一味はそれを追って領海に侵入してきた。そして海軍は、四皇との全面戦争を避けるために境界で足止めをされている……?」

 

「ご名答。本来なら他の海域で捕まえ、平穏無事にトットランドには何も影響がないようにしたかったんだよ。つまり、ヴィンスモーク家は、革命軍、及び元七武海ドフラミンゴ、麦わらの一味と共に、俺の大事なナミとロビンを誘拐、その手助けをした一家ということになるんだよ」

 

その完璧な論理の帰結に、サンジが顔面を蒼白にして呟いた。

 

「まさか……俺があそこで、あいつらについて行ったからか……?」

 

「そうなるな? コック。お前があそこで粘って、海軍に捕まっていればここまでにはならなかった。でも、そうはならなかったんだよ。ヴィンスモークは俺に楯突き、リンリンの前で俺にすべてを話させてしまった。政治的に遠回しに言ってやっても、あの脳筋どもにはダメだったよ」

 

マヤは肩をすくめた。

 

「俺はよく喋る天竜人だとよく言われる。説明しないといけない海賊が多すぎて困る。その点、レイジュ、お前はいいな。俺の保護下に置いてもいいぞ。それでヴィンスモーク家はお前が建て直せばいい。その代わり、サンジは忘れろ。こいつは誘拐犯の一味になる。ヴィンスモーク家は誘拐幇助だ。しかも、天竜人の所持品であるナミ、ロビンの背中には俺の刻印が入ってるからな」

 

「サンジを、忘れるとは……」

 

「押し付けはしないさ。このままではお前も親父たちと一緒に監獄行き、ということさ。それを俺はさせたくないと判断した」

 

マヤは淡々と、しかし絶対的な逃げ場のない提案を突きつけた。

 

「そうだな、お前に俺の刻印を刻んでやる。そうして、ヴィンスモーク家をお前が仕切ればいい。別に俺はお前達の科学技術はいらん。サンジを忘れるのは今この場だけでもいいが、今後手助けしたければすればいい。だが、その巻き添えを食うことを考えてやれよ? ……そして恩赦をやろう。麦わら、よかったな? また金がもらえるぞ? レイジュがこれを飲めば、お前たちに1年くらいの活動資金はくれてやる。よかったな?」

 

(マヤ聖は本気で言ってる……! ここまでされても、まだガープの孫である麦わらの一味を生き延びさせようとしてるんだ……!)

 

プリンが戦慄する横で、ナミが冷たく付け加えた。

 

「私達が数日前にあげた逃走資金もあるしね」

 

「ああ、あの金か……それでも止まらなかったのか」

 

「……そんな金は……」

 

ルフィが唸るように言いかけると、マヤがピシャリと遮った。

 

「おっと、麦わら、お前が口を挟むことじゃないんだ? 今はヴィンスモーク家とのやりとりだ。お前もヴィンスモーク家憎しでここへ乗り込んできたんだろう? そのことで俺をまた殴るか? ヴィンスモーク家の女に刻印を刻んだと。それをしたら、お前は何のためにここへ来たんだってことになるが? 殴るか? え? 小僧」

 

完全な論理の詰みに、ルフィはぐっと言葉に詰まった。

その時。

ドサッ、と床に膝をつく音が響いた。

 

「マヤ聖……許してくれ……それだけは……」

 

サンジだった。

あれほどプライド高く騎士道を気取っていた男が、床に額を擦りつけ、マヤの前に土下座していた。

 

「??? 何を許すんだ? え? お前、ヴィンスモーク家が嫌だったんだろ? そして姉に迷惑かけてまで出て行ったんだろうが!」

 

ルフィが絶句し、ウソップも目を剥いてサンジの背中を見つめる。

 

「頼む……レイジュは、俺の大事な姉なんだ……本当に……すまねェ。ナミさんとロビンちゃんを攫ったことも謝る。俺たちのやったことが、どういうことだったのか身に染みた……だから……!」

 

涙声で懇願するサンジを、マヤは冷ややかな目で見下ろした。

 

「……遅くね? 俺に今さら謝られても、もう『政治のうねり』は止まらないんだよ。止めるには、相応の『何か』が必要ってことだよ? ヴィンスモーク家は、リンリンの前で俺に楯突いて、誘拐幇助まで認めさせた。これが揺るがない事実だ。四皇と天竜人の前で、それは公式に行われたんだよ」

 

マヤの声が、静かに客室を支配する。

 

「わかるか? これをもみ消してくれと、お前は俺に言ってるんだ。そのための唯一の提案を、俺はレイジュにしてる。お前は麦わらの一味で誘拐犯だ。それに恩赦も与える。……これ以上、何を俺に許せと?」

 

ぐうの音も出ない正論に、サンジは床に額をつけたまま震えることしかできなかった。

 

(こういう政治の回転は凄まじいんだよな……なのに女性問題はあんなに鈍感で……。しかし、さすが俺の主だ)

 

CP10が感嘆の息を吐き、カタクリも(恐ろしいお方だ……ママが絶対に敵対しないのもわかる)と深く頷いた。

その後ろでは、アマンドとガレットが熱っぽい視線でマヤを見つめていた。

 

(素敵だわ……年甲斐もなく、本気になってる自分がいる……)

 

(本当に凄いわ。政治的になるとすごく頭の回転が速い……そこがまた可愛いわよね)

 

そしてプリンは、土下座するサンジの内面を第三の目で覗き見ながら、冷ややかに結論づけていた。

 

(サンジくんは、もう内面が何を考えてるかバラバラね……。頭の中が全然まとまってないんだわ。ただ感情的に謝ってるだけ……。それでは、世界の重みを背負っているマヤ聖様には何も伝わらないわ。マヤ聖様、本当に凄いな……)

 

誰も反論できない絶対的な沈黙の中、マヤは静かにレイジュの返答を待っていた。

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