どぶさらいと天竜人と海賊   作:マイナーチョコ

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第34話:刻印

 

 

誰も反論できない絶対的な沈黙が、破壊された客室を支配していた。

床に額を擦りつけたまま震えるサンジと、論理の檻に閉じ込められて拳を握りしめることしかできないルフィ。

 

マヤは彼らを一瞥することなく、静かに目の前の美女――レイジュを見つめていた。

 

「さて、レイジュよ。ふむ……覚悟が決まってる顔だな。聡明な女性だ。このままヴィンスモーク家に戻すのが惜しいくらいだ」

 

マヤの穏やかな声に、レイジュは長く美しい睫毛を伏せ、そして真っ直ぐに顔を上げた。

一族の滅亡と、弟の愚行が招いた最悪の外交危機。それを一身に背負う覚悟を決めた女の瞳だった。

 

「はい。……あなたの刻印を受けます」

 

「さすがだな。そうだな……ナミ、ロビン、すまないが、レイジュに背中を見せてやってくれ」

 

マヤが振り返って声をかけると、ナミとロビンは「ええ」「お安い御用よ」と微笑み、何の躊躇いもなく自身の衣服の肩口をずらして、白くなめらかな背中を晒した。

 

客室にいる全員の視線が、二人の背中へと集中する。

ルフィは「くそっ……」と悔しそうに歯噛みし、入り口の近くで事の成り行きを見ていたウソップは、天竜人の圧倒的な権力の象徴を前にして白目を剥き、泡を吹いて失神した。土下座していたサンジは、痛ましそうにギュッと目を逸らす。

 

だが、初めてそれを見るレイジュやシャーロット家の面々は、全く別の反応を示していた。

 

「えと……。その紋章が、何か? 何か特別な意味があるのでしょうか?」

 

レイジュがキョトンと首を傾げる。

プリンもまた、前髪の下の三つの目をパチパチと瞬かせていた。

 

(え……あれは何? 奴隷の焼印って聞いてたのに、なんだか綺麗なタトゥーみたい。しかもあの二人、恥ずかしがるどころか凄く嬉しそうに見せてるけど……)

 

「レイジュ、お前にもこの刻印をつけてもらう。……ナミ、ロビン、すまないな、お前達の綺麗な背中を他人に見せてしまった」

 

「いいえ、ありがたいことです。これのおかげで今の私達があるんですからね」

 

「マヤ聖はそういうところよ? 別にこれくらい構わないわ。それに、綺麗だなんて嬉しいわね」

 

二人が誇らしげに微笑み合うのを見て、レイジュは「え?? あれ?」とますます混乱を深めた。

たまらず口を開いたのは、腕を組んで壁際に立っていたカタクリだった。

 

「その……女性の背中を見て言うことではないのだが、それを刻むと何かあるのですか? てっきり、その、忌まわしい奴隷の証を……と、ママにもそう話していた時があったので」

 

「そうだが? 『天竜人の紋章』――人間以下の証明とされる、『天駆ける竜の蹄』だ」

 

マヤが淡々と答えると、レイジュは思わず身を乗り出した。

 

「え? 全然そんな風に見えませんけど!?」

 

後ろに控えるガレット、アマンド、そしてプリンも、コクコクと激しく頷く。

本来の『天駆ける竜の蹄』は、見る者に恐怖と屈辱を与える無骨で醜悪な焼印のはずだ。しかし、ナミたちの背中にあるのは、まるで洗練された美術品のような流麗な紋様だった。

 

「これは――」

 

マヤが説明しようと口を開いた、その瞬間。

 

「これはね! マヤ聖が、私達のために2年も費やして考えてくれた紋章なの!」

 

ナミが、マヤの言葉を完全に遮って、胸を張って自慢げに語り始めた。

 

「奴隷を持ちたくないマヤ聖の、特別な思いの乗った刻印なのよ! マヤ聖の本当の名を知ればわかる内容……『天駆ける竜の蹄』に、龍が『S』の字のように絡まって、元の紋章を消しながら綺麗な見た目にしてくれてるのよ!」

 

ピシリ、と。

再び客室の空気が凍りついた。

世界最高権力者である天竜人が話をしている最中に、一介の女が言葉を被せて遮ったのである。普通の天竜人相手なら、その場で射殺されても文句は言えない大不敬だ。

 

しかし、当のマヤは気にも留めず、穏やかに頷いた。

 

「そういうわけだ」

 

(((軽っ!! え? 軽くない!?)))

 

その場にいた全員が、心の中で一斉にツッコミを入れた。

さらにロビンまでが、頬を膨らませてナミの肩を軽く突いた。

 

「ナミ、今マヤ聖がご自分で説明しようとしてたのを……。もう、私だって言いたかったわよ!」

 

「えへへ……だって、どうしても自慢したくてね……。いけませんでしたか、マヤ聖?」

 

「ああ、いいよ。説明ありがとう、ナミ」

 

まるで仲睦まじい恋人や家族のようなやり取りに、プリンは深く息を呑んだ。

 

(奴隷の関係なんかじゃないんだ……。本気でお互いに信頼し合って、愛し合ってる。つまり、麦わらの一味は、本当に嫌がる二人を無理やり攫ってきただけだったんだ……!)

 

背後のガレットとアマンドも、うっとりとした瞳でナミたちの背中を見つめていた。

 

(私達も、あのようになりたいわね……)

 

(ええ。奴隷の証と聞いていたから、あの醜い紋章かと思ってたけど……マヤ聖のこの紋章なら、私も今すぐにでもつけてほしいくらいよ)

 

真実を知ったカタクリは、深い感銘を受けると同時に、床に這いつくばるルフィたちへ怒りの視線を向けた。

 

「なんという……お方だ、そのような深い配慮を……。おい、麦わらども! 先程の貴様らの言い分と、だいぶ話が違うではないか!!」

 

「カタクリ、ありがとう。熱いよお前、本当。でも、そういう真っ直ぐな奴が近くにいるといいね、こっちが落ち着くよ」

 

マヤに笑顔で褒められ、10億の男・カタクリは「む……いえ……」と、マフラーの奥で気恥ずかしそうに視線を逸らした。

 

「というわけだ。レイジュ、いいな?」

 

「はい、覚悟しております」

 

レイジュが凛とした声で頷くと、足元のサンジが消え入りそうな声で呟いた。

 

「すまねェ……レイジュ……」

 

「サンジのためじゃないわよ?」

 

レイジュは弟を一瞥もせず、艶やかな笑みをマヤへと向けた。

 

「マヤ聖が、とても素敵に見えたからよ? 一人の女としてもね?」

 

「おいおい、からかわないでくれよ? レイジュ、そんなこと言われたら、お前もCP10同様の側近の立場にしたくなるだろ? お前は秘書として、すごく優秀になれそうだからな」

 

「あら、そんな風に言ってくださるなら、ヴィンスモーク家を再建するより、そのようになさってもよろしいかと?」

 

「え? いやいや、え? ヴィンスモークを継ぐって今決まったばかりだよ? さすが聡明だな、返しに困るぞ」

 

大人の色気でグイグイ迫るレイジュに、マヤが顔を赤くしてタジタジと一歩引き下がる。

その様子に、CP10(エース)が呆れ果てたように溜息をついた。

 

「マヤ聖、タジタジじゃないですか……。どんだけ女性に弱いんですか、あなたは……」

 

(本当、こういうところは初心すぎて可愛いわ……!)

 

ガレットが胸を押さえて悶える横で、ナミとロビンは「ふふっ」と余裕の笑みでニヤニヤとマヤを見つめていた。

 

「それもいいのでは? マヤ聖? 優秀な秘書が増えるのは助かりますし」

 

「お前な、ナミ……。まー、それは一応あとで検討だ。まずはこの場の収め方があるんだよ。CP10、刻印を出せ」

 

「マヤ聖、いつでも持ってますよ。どうぞ」

 

CP10が懐から、精巧な細工が施された特注の金属印を取り出し、マヤに手渡した。

 

「さて、場所を変えよう。リンリンに見届けてもらう。いいな? レイジュ、これが今回の政治的なけじめだ」

 

「四皇を……見届人にさせるなんて……」

 

「リンリンの前で、ヴィンスモークの親父たちはやらかしたからな。主催者であるリンリンのメンツも持たせないといけないだろ?」

 

「配慮、ありがとうございます、マヤ聖」

 

カタクリが深々と頭を下げる。

プリンもまた、(本当に凄いわ……政治に関しては一瞬で全てを見通してる。そして女性には初心すぎて可愛い……!)と瞳を輝かせていた。

 

マヤは踵を返し、最後に部屋の隅で呆然としているルフィたちへ冷たく言い放った。

 

「麦わらども、お前達への金は後で渡してやるから、とっととここから去れ」

 

もはや反論する言葉すら持たないルフィとサンジは、失神したウソップを引きずりながら、うなだれるようにして崩れた壁の向こうへと逃げ去っていった。

 

---

 

ホールケーキ城、大広間。

床にはまだ、マヤの覇王色を浴びて白目を剥き、失神したままのジャッジと三兄弟(イチジ・ニジ・ヨンジ)が無様に転がっていた。

 

そんな彼らを完全に無視し、ビッグ・マム(リンリン)は山盛りの特製サラダをバリバリと豪快に平らげていた。これを食べ終えれば、食後のご褒美である『セムラ』にありつけるため、すこぶる機嫌がいい。

 

そこへ、マヤがレイジュ、プリン、ガレット、アマンド、ナミ、ロビン、CP10、そしてカタクリという大所帯を引き連れて戻ってきた。

 

「リンリン、食事が捗ってるようだな? 美味そうに食べてるのを見ると、こっちまで腹が空いてくるぞ。良い食べっぷりだ」

 

「ママママ! おかげでサラダも美味くて仕方がないよ。話はついた感じかい? おや? あの麦わらのコックはどうしたんだい?」

 

「政治的配慮ってやつで、手切れ金を渡すことにして逃がしたよ。その代わり、そこに転がってるヴィンスモーク家は『天竜人に対する誘拐幇助』の罪で、あとで外の海軍に引き渡す」

 

マヤは一歩前に出て、隣に立つレイジュを示した。

 

「そして、この長女レイジュを俺の保護下に入れる。彼女に新しいヴィンスモーク家を継がせることにした。こいつは聡明だ、アホなことはしないと判断したよ。脳筋どもとはこれでおさらばだ。今後、ヴィンスモークは俺の下につかす。リンリンとの摩擦もないようにしたいと思うが、どうだ?」

 

「ママママ! マヤが決めたならいいさね。マヤが直接面倒見るってなら、今のこの平和な世で、ヴィンスモークの血生臭い科学技術なんぞアタシもいらないさね」

 

「話が早くて助かるよ。食後のお楽しみ前にすまないが、リンリン。ここでレイジュに俺の紋章を刻む、見届人になってほしい」

 

「よいさね。ヴィンスモークをこの城に招いた手前もあるからね、最後まで見届けてやるよ」

 

リンリンが鷹揚に頷く。

マヤが「レイジュ、背中を出せ」と静かに告げると、レイジュは広間の中央で膝をつき、ドレスの背中を開いて雪のように真っ白な肌を晒した。

 

マヤが右手に持った刻印を掲げる。

いつの間にか、その金属の先端は赤く高熱を帯びていた。背後に立つCP10が、誰にも気づかれないほど精密に『メラメラの実』の熱を伝導させたのだ。

 

マヤはレイジュの背後に歩み寄ると、左手で彼女の肩を優しく支え、皮膚の痛覚を和らげる『医療の念』を密かに流し込みながら、その白磁の背中に刻印を押し当てた。

 

ジュウッ……と微かな音が響く。

だが、マヤの念による処置のおかげで、レイジュの顔を歪ませるような激痛は走らず、ただ熱い吐息のような温もりだけが彼女の背中に刻み込まれた。

 

「……すまんな」

 

マヤはレイジュの耳元に唇を寄せ、彼女にだけ聞こえる優しい声で囁いた。

そして一歩下がり、為政者としての凛とした声を広間に響かせる。

 

「これで、お前は俺の所持品だ。いいな? レイジュ」

 

「はい……。ありがとうございます、マヤ聖」

 

背中に残る確かな熱と、耳元で囁かれた優しさに、レイジュの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。それは屈辱の涙ではなく、冷酷な一族の呪縛から解き放たれ、真に自分を認めてくれる主君を得た喜びの涙だった。

 

(ほぉ……良い物を見せてもらったね。傷跡すら残さず、あんな変わった紋章を刻むとはね)

 

リンリンが感心したように目を細める。

 

「リンリン、俺はこのあと領海ギリギリにいる海軍に連絡を取って、艦隊を立ち退かせるから、少し忙しくなる。今回は面倒をかけたな。今度、娘達を我が家へ招待するから、その際、お前への手土産に何か美味しいものを送るよ。楽しみにしててくれ。……これからお楽しみの時間だろ? ゆっくりセムラを堪能してくれ」

 

「ママママ! こっちこそ、うまく落とし前をつけてくれてありがとうよ。まったく、ますます欲しい男だよ、マヤ聖は!」

 

「ありがとうな、リンリン。そして、プリン、ガレット、アマンド。またその時にな」

 

マヤが爽やかに手を振ると、三姉妹は頬を染めて深くお辞儀をした。

CP10が失神したジャッジたちを抱え上げ、マヤとナミ、ロビン、そしてレイジュは広間を後にした。

 

嵐のような一行が去った後、リンリンはニヤニヤと笑いながら、残された子供たちを見回した。

 

「で? どうだったって、聞くまでもない顔をしてるね、3人とも。……それに、カタクリまでもかい。ずいぶんと気に入ったようだね?」

 

「……ええ。とても素晴らしい男でした。男として、見習うところが多かったです」

 

カタクリが率直に認めると、プリンが興奮した様子で両手を握りしめた。

 

「凄いのよ、ママ! あの人の言葉、全部本音だった! マヤ聖は私が第三の目で心を見ても全く気にしないし、口で言ってることと心で思ってる事が、全部同じで本当だったのよ!」

 

「あの方の紋章を近くで見ましたけど、普通の奴隷紋ではなかったですよ、ママ」

 

「ええ、とても美しい紋章でした。……私も、今すぐにでもこの背中に刻んでほしいくらいに」

 

ガレットとアマンドの熱っぽい言葉に、リンリンは満足げに頷き、食後のセムラを口に放り込んだ。

 

「あの紋章か、変わってたね。普通のとは違う特別製……天竜人の中でも、上澄みも上澄みの男だね。……そして、さっきのあの覇気……。敵に回せばこれほど恐ろしい男もいないよ。絶対に逃すんじゃないよ、お前たち!」

 

---

 

ホールケーキアイランドの港に停泊していた、全長150メートルを超える天竜人専用の巨大船。

CP10によって運ばれてきたジャッジと三兄弟は、甲板に据え付けられた頑丈な檻の馬車のような拘束具へと無造作に放り込まれた。まだ泡を吹いて失神しているため、拘束は至ってスムーズだった。

 

タラップを上がり、初めてその船の全貌を目にしたレイジュは、呆然と立ち尽くしていた。

 

「とりあえず、船の中へ入って話そう。CP10、そのヴィンスモークの奴らは、後で船からすぐ降ろせるようにしておけ。そのまま海軍へ引き渡す」

 

「了解」

 

「ん? どうしたレイジュ? 呆けっとして」

 

立ち止まっているレイジュに、マヤが声をかける。

 

「あの……これ、船ですよね?」

 

「そうだな。俺の船は、他の天竜人の船に比べて無駄な装飾や砲塔が少ないんだ。その代わり、徹底的に高速重視にしてある」

 

「え? こんな巨大な船で、速度が出るんですか!?」

 

科学の国であるジェルマの王女として、レイジュはその船体の異常な設計と、海楼石の加工技術の高さに度肝を抜かれていた。

 

「そうだぞ。ま〜、知り合いにそういうのを作るのが得意な天才(ベガパンク)がいてな? とりあえず、船室にでもいてくれ」

 

マヤが先導して船内へ入ろうとすると、船の留守を預かっていた元革命軍の少女・コアラと、魚人空手師範のハックが出迎えに現れた。

 

「マヤ聖、おかえりなさいませ!」

 

「おー、そうだったな、お前達もいたんだな。ドレスローザからバタバタしてて悪かったな。お前達も、俺の刻印を刻む感じでいいのか判断してくれ。それ次第では、俺も今後の処遇を考えねばならないからな」

 

マヤの言葉に、コアラは迷うことなく一歩前に出て、明るい笑顔で頷いた。

 

「私はもう、革命軍に思うことはないですので! マヤ聖の刻印をつけてもらっても大丈夫です!」

 

その横で、大柄な魚人のハックは少し神妙な面持ちで頭を下げた。

 

「私もマヤ聖のやり方に異論はないのですが……私のようなむさ苦しい魚人を、おそばに置かない方がよいかと。もし許されるなら、私は魚人島のネプチューン王にでも仕え直そうかと思いたいのです。イデオロギーばかりの革命軍とは、もう……無理です」

 

「そうか、ハック。お前のその実直な気持ちに免じて、今回の件はその方向で処理してやってもいいぞ。ちょうど魚人島では、深海に新しい特別監獄ができるからな、腕の立つ人員はいくらでも欲しいところだ。……だが、お前は元革命軍だ。収監された悪党どもを逃がそうとか思うなよ?」

 

「心得ております! フィッシャー・タイガーの兄貴の魂に懸けて、あなたが作ってくださった人間と魚人のこの架け橋は、絶対に壊させません!」

 

「ならばよい。ハック、早速で悪いが、甲板にある檻のヴィンスモークの奴らを見張っててくれ。少し立て込んだ用があるのでな」

 

ハックは力強く敬礼し、マヤの船の乗組員である精鋭海兵数名と共に、ジャッジたちの見張りへと向かった。

 

豪華な船室へと入ったマヤは、ソファに腰を下ろし、懐から一匹の電伝虫を取り出した。

部屋にはCP10、レイジュ、ナミ、ロビン、そしてコアラが控えている。

 

プルルルル……ガチャリ。

 

「俺だ、センゴクか?」

 

『おお、マヤ聖! トットランドはどうでしたか!?』

 

受話器の向こうから、海軍本部元帥センゴクの緊迫した声が響いた。

 

「麦わらはそのまま泳がせることにした、ガープの事もあるしな。そして、ヴィンスモーク家は天竜人への誘拐幇助として捕縛した。その長女だけを俺の保護下に置き、今後のヴィンスモークを統治させる。……で、今近隣にいる大将は誰か?」

 

『な、なんと!? あの北の海の悪の根源、ヴィンスモーク家を捕縛ですか!? そして、マヤ聖の保護下に置いた者が跡を継ぐと……いやはや、これで北の海が一気に平和になりますな! ……しかし、麦わらをまた泳がせるとは……あなたという人は……。ガープからも聞いておりますぞ? 何度も孫に殴られてしまって申し訳ないと……』

 

センゴクが深い溜息をつく。

 

『今、トットランドの近隣にいるのは、大将サカズキと、ガープが領海ギリギリにおります。ガープの管下にスモーカーとたしぎがおり、サカズキの下には、例の少将二人――イッショウとアラマキがおります』

 

「そうか、なら話が早い。今回のこのヴィンスモーク捕縛の件は、サカズキにそのまま手柄として渡す。ガープの方は、またあとで直接連絡が来るだろうから、お前から『またお前の孫に殴られた』と言っておけ! そして恩赦をくれてやったとな! 1年分の航海資金を麦わらの一味にくれてやった。あとでガープ経由で渡す、金はこちらで用意する」

 

『何を言ってるんですか!? マヤ聖! いくら何でも、自分を殴った海賊に金を渡すなんぞ……! ……はぁ〜、なるほど、ヴィンスモーク家の令嬢との政治取引の条件ですか……。ガープの奴は、マヤ聖に一生頭が上がりませんよ? これ』

 

「お前のそういう鋭いところがいいぞ、センゴク。そういうことだ。今からサカズキに繋ぐから、またな!」

 

ガチャリ、とマヤは気軽く通信を切った。

その様子を初めて間近で見たレイジュとコアラは、目を丸くして絶句していた。世界の軍事力の頂点である海軍元帥を相手に、まるで部下か友人と話すかのようなフランク極まりないやり取り。

一方で、慣れっこになっているナミとロビンは優雅にお茶を淹れており、CP10も壁に背を預けてくつろいでいた。

 

マヤはすぐさまダイヤルを回し、大将サカズキ(赤犬)の直通回線へと繋いだ。

 

「久しいな、サカズキ! 元気でやっとるか?」

 

『……マヤ聖ですかい? どうしました? 四皇との話はついたんですかい?』

 

受話器から、マグマのように低く渋いサカズキの声が響く。海賊を絶対悪として憎む彼だが、実務で世界の秩序を守り抜いているマヤに対しては、深い敬意を抱いており、その声色には奇妙な親愛が滲んでいた。

 

「お前にとっては面白くもない話かもしれないがな、まー聞いてくれ。聞いてから愚痴を言え。いいな? まず、政治的配慮で、麦わらの一味に1年分の航海資金を渡して逃がすことになった。そして、ヴィンスモーク家を誘拐幇助ならびに、俺に楯突いた罪で捕縛した。その際、そこの長女は離反の疑いなしと判断し、俺の保護下に置き、新しいヴィンスモーク家の当主にした。麦わらへの金はその取引で起きた金だ。……そして、今回のこのヴィンスモーク一味捕縛の巨大な手柄は、全部お前のものだ」

 

『……うまいお方だ。昔からあなたは変わらない、常に民の平穏と世界の秩序を第一に考える。海賊への1年の泳がせ、思うところはありますが……その手柄、謹んでお受けしやす』

 

「話が早くて助かるよ。ヴィンスモーク家は長女以外は全く話が通じない脳筋でな、本当苦労したよ。……そして、今お前のとこにイッショウ少将がいるだろ? そいつには、新しい任務を与える。海底牢獄の事は聞いてるな? ドレスローザで人間をおもちゃに変えてた悪魔の実の能力者(シュガー)たちを閉じ込める特別監獄を、魚人島へ現在作ってる。出来次第、そこの見張り番を、魚人島のメンバーとイッショウに任せたいと考えてる」

 

『その配置、あやつは泣いて喜ぶかと。直接言ってくださっては? 代わりますかい? ……いや、すでに横で聞こえてるようで、感極まって泣いてますが……。そしてマヤ聖、もう一人の少将……アラマキが、気持ち悪いくらいにマヤ聖を崇拝しておりやす。どうにかなりやせんか? あなたの私物が欲しいそうで……』

 

「へ? いや、イッショウの件はいいよ? 私物が欲しいって何、どういうこと? ご神体的なあれ?」

 

『……まことに恥ずかしいのですが、そのようで……』

 

あの謹厳実直なサカズキが、電話の向こうで心底恥ずかしそうに声を潜めている。

 

「それ、俺に対する嫌がらせか何かなの? 怖いよ? ……まあ、これからそっちの船と合流する際に、何か検討しておくよ」

 

『まじですか!!!! ひゃああああほーーいい!!』

 

突如、受話器の奥から、サカズキの声を吹き飛ばすほどの凄まじい歓喜の絶叫が飛び込んできた。

 

「あの……サカズキ? 電話越しで凄いの聞こえてるけど……大丈夫?」

 

『面目ない……。この不始末、わしの貸し1でお願いします……』

 

「おいおい、俺は海軍に対してどんどん貸しが増えてるぞ? では、トットランドの領海を出たら引き渡すから、またな」

 

『ありがとうございます!! 待ってます! マヤ聖!! 大ファンです!!』

 

ブチッ、と通信が切れた。

静まり返った船室で、マヤは呆然と受話器を見つめた。

 

「……なに今の?」

 

「いや……え? 海軍の少将が、ファン?」

 

CP10も困惑してサングラスを上げる。

お茶を飲んでいたナミとロビンが、ピクリと眉を動かしてマヤを見た。

 

「マヤ聖……その人に、私物あげるんですか?」

 

「……ふーん。どんな私物をあげるのかしらね」

 

女性陣からの微妙に冷ややかな視線に、マヤは冷や汗をかいた。

 

「え? どうしよ……何あげる? 普段使ってるペンとかでいいかな? 実用的だし?」

 

「それでいいのでは? でも、あの熱狂ぶりだとどうなるか分かりませんよ……」

 

---

 

数時間後。

トットランドの領海を抜けた海域で、マヤの巨大船は、大将サカズキ率いる海軍本部の軍艦と合流を果たした。

 

海兵たちのキビキビとした働きによって、檻に入ったままのジャッジと三兄弟が軍艦へと引き渡されていく。

その甲板で、盲目の剣士・イッショウ少将が杖をつきながらマヤの前に進み出て、深々と頭を下げた。

 

「マヤ聖……。ドレスローザの玩具の能力者といい、この血も涙もねェジェルマといい、海を汚す外道どもを封じる『深海特別監獄』の番人……これほどあっしに相応しい役目はござんせん。見たくねェもんばかりの世界で自ら目を閉じやしたが……あんたが作る優しい世界の行く末だけは、この目で見てみたかったでござんすよ」

 

「今からでも、俺の能力で目、治してやろうか?」

 

「はっはっは! いえ、こいつはあっしのケジメでさァ。心の目で、魚人島の皆さんとしっかり勤め上げやす」

 

イッショウが穏やかに笑う横で、サングラスをかけたワイルドな男――アラマキ少将が、全身を震わせながらマヤを見つめていた。

 

「マヤ聖ェェ〜!! 本物だァ〜!! 神だァ〜!! あっしがアラマキですぜェ!!」

 

「おう、お前がアラマキか。ほらよ、サカズキから聞いてるぞ。仕事で使えよ」

 

マヤが苦笑しながら、胸ポケットから実用的な高級万年筆を取り出して投げ渡した。

アラマキはそれを両手で押し頂くようにキャッチすると、感極まって涙と鼻水を噴き出した。

 

「うおおおっ!! マヤ聖の胸ポケットに入ってた、体温つきのペン!! 家宝にします!! 一生使わずに神棚に飾りますぜェェ〜!!」

 

「いや、使えよ! 実用的だから渡したんだぞ!?」

 

「……本当にすまん、マヤ聖……」

 

サカズキが額を押さえて深く謝罪した、ちょうどその時だった。

マヤの懐にあるもう一つの電伝虫が、けたたましく鳴り響いた。別動隊としてルフィたちを監視している、ガープ中将の軍艦からだった。

 

ガチャリ、とマヤが受話器を取るなり、鼓膜が破れんばかりの大号泣が響き渡った。

 

『うわあああああん!! マヤ聖ェェ〜〜!!』

 

「うわっ、うるせェ! 耳が壊れるだろガープ!」

 

『センゴクから全部聞きましたぞォォ!! わしのバカ孫が、またしても……通算5回も神であるあなた様の顔を殴ったというのに、なぜ殺さずに1年分の航海資金など……! わしはもう、あなた様にどう詫びればよいのか……うっ、うっ……!』

 

世界に名を馳せる海軍の英雄が、電話の向こうで子供のようにしゃくり上げて泣いている。

 

「はぁ〜……泣くなよ英雄。言ったろ、あれはヴィンスモークの令嬢との取引のついでだ。金はそっちに送らせるから、適当に『海で拾った』ことにでもしてあいつらに渡しておけ。……ああ、それと、お前への貸しはまた1個増えて『7個』に戻ったからな」

 

『な、七個……! うっ、うっ……一生かけてでも返しますじゃ……!』

 

「……と言いたいところだが、ガープ。一つ、お前のその『貸しを1個消す』条件がある。乗るか?」

 

『えっ!? 乗りますじゃ!! 何でも言ってくださいマヤ聖!!』

 

ガープの涙が一瞬で引っ込む。マヤは落ち着いた声で本題を切り出した。

 

「今、お前の船に『たしぎ』という女海兵がいるだろ? その者をしばらく、うちのナミとロビンの護衛につけてほしい。頼んでくれるか?」

 

『たしぎちゃんを……?』

 

「CP10は俺の直轄だし、男だからな。今回の誘拐の一件で、女性たちのそばに置ける『本当に信用できる女護衛』が必要だと痛感したんだ。ロビンから少しその子の話を聞いてな、アラバスタで会った、私欲で動かない真っ直ぐで信用できる子だと。……まあ、海兵であるその子にとっては、元海賊のロビンたちや天竜人の下につくのは嫌かもしれないがな。その子の階級と、その子の上司の階級を教えてくれ。無理強いはしたくない、俺から直接話をしてもいいぞ」

 

その言葉に、ガープの軍艦の甲板で通信を聞いていた白猟のスモーカー中将と、メガネをかけた女剣士・たしぎ大佐が、同時に目を見開いた。

 

『ま、マヤ聖! 今ちょうどここに本人がおりますじゃ! たしぎは大佐、上司のスモーカーはわしと同じ中将ですじゃ! ……おいスモーカー! たしぎちゃん! 頼む、わしの貸しを減らすためにどうか引き受けてくれェェ!!』

 

ガープが受話器を手で塞ぎながら、同じ中将であるスモーカーたちに涙目で頭を下げる。

 

「ガープ中将、あんた英雄のプライドはどこへ行った……。受話器を貸せ」

 

スモーカーは呆れたように葉巻の煙を吐き出し、ガープから受話器を受け取った。

 

『……海軍本部中将、スモーカーだ。マヤ聖、あんたの噂はかねがね聞いている。だが、なぜ俺の部下なんだ?』

 

「ああ、スモーカー中将か。いきなり大事な部下を引き抜くような真似をしてすまないな。今言った通りだ。ロビンが太鼓判を押してね。……お前たちが執念で追っていた麦わらの一味は、今日をもってただの『金を恵まれて逃げる人攫い』に成り下がった。そんな連中を追わせるより、俺の大切な人たちを守る盾になってもらいたいんだが……どうだろうな、たしぎ大佐?」

 

『ひゃっ!? は、はいっ! 海軍本部大佐、たしぎです!! えっと、あ、あのニコ・ロビンさんが、私を……!?』

 

たしぎが緊張で声を裏返らせると、マヤの後ろからロビンが優しく声をかけた。

 

「ええ、久しぶりね、大佐さん。アラバスタでのあなたの真っ直ぐな瞳、ずっと覚えていたわ。……私たちのそばに来てくれるかしら?」

 

『……っ!!』

 

たしぎは胸を突かれたように息を呑んだ。

天竜人であるマヤが、現場の一海兵に過ぎない自分たちにここまで礼を尽くし、気遣ってくれているという事実。

 

横で聞いていたスモーカーは、水平線の彼方――トットランドから惨めに逃げ出してくるボロボロのサニー号の方角を一瞥し、フッと自嘲気味に鼻を鳴らした。

ローグタウンでルフィに見た『海賊王の影』は、もうどこにもなかった。あるのは、天竜人のお情けと祖父の庇護に縋って生き延びる、哀れなガキの姿だけだ。

 

『……フン。マヤ聖の言う通りだ。俺たちが追いかけていた麦わらは、もう海賊ですらねェ。そんな奴らを監視するのに、たしぎの剣はもったいねェところだ』

 

スモーカーは受話器に向かい、力強く言った。

 

『あんたがどれほど海軍と世界の秩序を守っているか、俺も現場で嫌というほど見ている。……たしぎを連れていけ。たしぎ、あの人のそばで、この世界がどう回っているのか、その目でしっかり見てこい!』

 

『スモーカーさん……! は、はいっ! マヤ聖、不束者ですが、ナミさんとロビンさんの護衛、謹んでお引き受けいたします!!』

 

「ありがとう、スモーカー中将、たしぎ大佐。助かるよ。……ああ、それとガープ、スモーカー。一つ、俺からの追加の注文がある」

 

『注文、ですか?』

 

「ああ。大佐のままだと、色々とアレだからな。今回の引き抜きは『栄転』ってことで、すまんがたしぎを『少将』に引き上げてくれ」

 

『…………へ?』

 

たしぎのメガネが、ズルリと鼻先までずり落ちた。

 

『しょ、少将!? わ、私なんかが将官にですか!? 無理ですそんな、准将すら飛ばして二階級特進なんて……!!』

 

『ぶっはっはっは!! 大佐から一気に少将とな!? また随分と景気のいい話ですなァ!!』

 

ガープが豪快に笑い飛ばす中、マヤは至って真面目なトーンで理由を告げた。

 

「考えてもみろ。これからたしぎには、シャボンディ諸島にある俺の宮殿にも出入りしてもらうことになる。大佐の肩書きじゃ、俺の宮殿に入れる護衛として心もとないだろ? 『少将』にしておけば、他の大佐クラスにも睨みが利くし、シャボンディ諸島でもたしぎ自身が動きやすくなるはずだ」

 

マヤは、たしぎが後から周囲の海兵や権力者との人間関係で苦労しないよう、あらかじめ将官の権威という鎧を着せてやったのだ。そして、それを恩着せがましくならないよう、さらりと言い添えた。

 

「無理を言ってスモーカーのところから引き抜くんだ。ここは俺の『ワガママ』だと思って呑んでくれ。センゴクの許可ならすぐに出ると思うぞ。あいつにも、たっぷり『貸し』はあるからな」

 

『…………』

 

軍艦の上で、スモーカーは深く葉巻の煙を吸い込み、そして完敗を認めるような渋い笑みを浮かべた。

 

『……恐れ入ったぜ、マヤ聖。あんたって人は、自分の屋敷に招く一介の海兵が、現場で舐められないようにってところまで……全部先回りして見えてるってわけか』

 

「ん? いや、俺はただ、自分の身内になる奴が外野から舐められるのが嫌なだけだよ。……じゃあガープ、そういうわけで、センゴクへの昇進の根回しも含めて、お前の貸しは『6個』に減らしてやる。後でたしぎ少将を迎えに行くからな」

 

『おおお!! お安い御用ですじゃマヤ聖!! センゴクにはわしから今すぐ怒鳴り込んで、少将の辞令にハンコを押させますわい!! ありがとうたしぎ少将!! スモーカー!! わしの貸しが1個減ったぞォォ〜〜!!』

 

『ええええっ!? も、もう少将って呼ばれてる!? ス、スモーカーさん、私どうしましょう……っ!!』

 

顔を真っ赤にしてパニックになるたしぎの肩を、スモーカーはバンッと力強く叩いた。

 

「観念しろ、たしぎ。……あの人は、お前が剣を捧げて仕えるに値する、本物の大人物だ。胸を張って、少将の正義のコートを羽織ってこい!」

 

晴れ渡る新世界の海の上で、ガープの豪快な笑い声と、たしぎの慌てふためく声が、いつまでも賑やかに響き渡っていた。

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