どぶさらいと天竜人と海賊   作:マイナーチョコ

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第35話:紡ぐ思い

 

大将サカズキの軍艦へヴィンスモーク家の引き渡しを終えた後、マヤの全長150メートルを超える巨大船は、白い波飛沫を上げながら新世界の海を滑るように疾走していた。

 

別動隊として麦わらの一味を監視しているガープ中将の軍艦へ追いつき、新たにナミとロビンの護衛となる『たしぎ少将』を迎えに行くためである。

 

海王類すら置き去りにするほどの異常な航行速度でありながら、船内には揺れ一つなかった。

甲板を見渡せるガラス張りの操舵室では、ナミとレイジュの二人が海図と計器を前にして顔を寄せ合っていた。

 

「信じられないわ……。海楼石の船底加工だけでなく、船体そのものが海流の抵抗を極限まで逃がす流体設計になってるのね。それにこの気圧計と推進機関の連動システム、ジェルマの科学力でもここまでの精度は出せないわよ」

 

レイジュが感嘆のため息を漏らすと、ナミは得意げに微笑んで舵輪の横にあるパネルを指差した。

 

「でしょ? マヤ聖の知り合いの天才科学者が設計した特別な船なのよ。普通なら大嵐で迂回しなきゃいけない海域でも、この船なら風と波の隙間を計算して真っ直ぐ突っ切れるの。……まあ、それを正確に読み切る私の航海術があってこそだけどね!」

 

「ふふっ、本当に見事だわ。……ナミさん、さっきはごめんなさいね。私の愚かな弟が、あなたやロビンさんをこんな船から無理やり引き剥がすような真似をして」

 

レイジュが申し訳なさそうに睫毛を伏せると、ナミは「あっけらかん」とした顔で手を振った。

 

「いいわよ、あんたが謝ることじゃないでしょ。サンジ君のバカさと、レイジュさんは全然関係ないもの。それに、こうやって船や海の科学の話がまともに通じる人が来てくれて、私すっごく嬉しいんだから!」

 

「ナミさん……。ありがとう、あなたならそう言ってくれる気がしていたわ」

 

二人が楽しそうに笑い合い、海流の計算式について再び話し始める。

少し離れたテーブルで紅茶を傾けていたロビンが、その光景を微笑ましそうに見つめ、隣に立つマヤに声をかけた。

 

「すっかり意気投合したみたいね。レイジュさん、本当に聡明で素敵な方だわ」

 

「ああ、そうだな。あの親父や兄弟たちと同じ血が流れてるとは思えないくらい、話が通じるよ」

 

マヤが穏やかに頷いた、その時だった。

操舵室の扉が控えめにノックされ、エプロン姿のコアラと、大柄な魚人のハックが中へと入ってきた。ハックはすでに荷物をまとめており、魚人島へ降りる準備を整えている。

 

「マヤ聖。今、お時間よろしいでしょうか?」

 

「ん? どうした、コアラ。お茶ならもうロビンが淹れてくれたぞ?」

 

マヤが冗談めかして笑うと、コアラはギュッとエプロンの裾を握りしめ、真剣な瞳でマヤを真っ直ぐに見つめた。

 

「さっきお話にあった、私への『刻印』の件なんですけど……一つだけ、わがままを聞いていただけませんか?」

 

「なんだ、やっぱり背中に刻印を入れるのは嫌になったか? いいんだぞ、ドレスローザでも言った通り、俺は無理強いはしないからな」

 

「違います! そうじゃないんです!」

 

コアラは慌てて首を横に振り、一歩前へと踏み出した。

その瞳には、ドレスローザの船室で自分の過ちに気づいて泣き崩れた時とは違う、澄み切った強い光が宿っていた。

 

「私への刻印……これからハックを送っていく『魚人島』で、刻んでいただけませんか?」

 

「……魚人島で?」

 

マヤが目を瞬かせる。

横で聞いていたハックもまた、静かに目を閉じて深く頷いた。

 

「はい。マヤ聖が16年前、あのマリージョアで泥水をすすりながら死者を弔い、フィッシャー・タイガーさんを逃がす手配をしてくださった少年だったこと……。そして、そのご縁でネプチューン王やしらほし姫がマヤ聖を心から信頼し、魚人島に特別監獄まで作って共に歩もうとしていること、ドレスローザでの通信で全部聞かせていただきました」

 

コアラは自分の小さな手を胸に当て、震える声で続けた。

 

「私の背中には、かつて天竜人に刻まれた奴隷の印を、タイガーさんが命懸けで上書きしてくれた『タイヨウの刻印』があります。……私はその意味も分からずに革命軍に入り、あろうことか大恩人であるマヤ聖の大切なナミさんたちを攫う手伝いをしてしまいました」

 

そこでコアラは一度言葉を切って、涙を堪えるように強く唇を噛んだ。

 

「それでもマヤ聖は、私を責めずに許して、手錠を外してくださいました。……だから私は、革命軍の考えはもう全部捨てます。タイガーさんが眠るあの魚人島で、しらほし姫の肩口にあるのと同じマヤ聖の刻印を、私の意志で背負いたいんです! タイガーさんの思いを、今度は間違えずに繋いでいきたいんです!」

 

「…………」

 

マヤは、言葉を失っていた。

脳裏に蘇るのは、16年前の燃え盛るマリージョアの夜と、その後、外の世界でタイガーが人間に裏切られて死んだという報せを聞いた日のことだった。

 

あの日から20年間、マヤはずっと一人で自問し続けてきたのだ。

自分が中途半端に逃がす手引きをしたせいで、タイガーは外の世界で絶望して死んだのではないか。逃がさない方がよかったのではないか。死者を弔い、どぶを浚いながらも、その答えのない問いはずっとマヤの胸の底に鉛のように沈んでいた。

 

ドレスローザで、あの時逃がした少女であるコアラが『革命軍』として自分の前に現れ、ナミたちを奪う片棒を担いでいたと知った時、マヤは自分の20年間がすべて否定されたような絶望を味わった。

 

だが、違ったのだ。

暴力を振るわず、ただ泥臭く言葉を尽くし、許して手錠を外したその思いは、今こうして目の前の少女の心を動かし、タイガーの遺志と一つに繋がった。

 

「……そうか」

 

マヤの喉から、かすれた、しかしどこまでも温かい声が漏れた。

 

「しらほしも、あそこで刻印をつけてるからな。……とても良い考えだ」

 

次の瞬間。

マヤは一歩踏み出すと、目の前の小さなコアラの体を、自分の胸へと強く抱きしめていた。

 

「えっ……!? ま、マヤ聖……!?」

 

コアラが驚いて目を見開く。

それ以上に驚いたのは、操舵室にいたナミとロビンだった。

 

「えっ!?」

 

「まあ……!」

 

先ほど客室でレイジュに少しからかわれただけで、顔を真っ赤にしてタジタジになっていたあの奥手なマヤが、自分から女の子を強く抱きしめている。二人は思わず顔を見合わせて目を丸くした。

 

しかし、マヤの腕には男女の下心など微塵もなかった。

ただ、あの地獄から逃がした小さな命が、今こうして自分の腕の中で温かく脈打ち、同じ未来を見てくれている。その事実がたまらなく嬉しくて、マヤはまるで壊れ物を扱うようにコアラの背中を優しく撫でた。

 

「……それとな、コアラ。ここだけの秘密だが……ボア・ハンコックも、俺のこの刻印をつけてるぞ?」

 

マヤはコアラの耳元で、まるで宝物を打ち明ける少年のように小さく囁いた。

 

「えっ……! 九蛇の、ハンコック様も……!? あの時の……!」

 

「ああ。……あの日、俺が逃がした連中が、こうして元気に生きててくれて……俺の思いを受け取ってくれる。……20年間、泥水をすすり続けてきたが、生きてるといいこともあるもんだな」

 

マヤの瞳が、ほんのわずかに潤んでいた。

その横顔を見たナミとロビンは、ハッとして息を呑み、すぐに全てを察して慈愛に満ちた優しい微笑みを浮かべた。彼がどれほど深い孤独の中で戦ってきたのか、二人は誰よりも知っていたからだ。

 

「マヤ聖……っ! うぅっ……ありがとうございます……っ!!」

 

コアラはマヤの胸に顔を埋め、今度こそ嬉し涙をポロポロとこぼした。その後ろで、ハックも太い腕で目頭を押さえ、声を出さずに男泣きに咽んでいた。

 

それから間もなくして、マヤの巨大船は、前方を航行していたガープ中将の軍艦へと追いついた。

 

「な、なんですか、あの途方もない大きさの船は……!?」

 

軍艦の甲板で待ち構えていたたしぎは、真横に並んだ全長150メートルの白亜の船体を見上げ、圧倒されて一歩後ずさった。軍艦がまるで小舟のように見えてしまうほどの威容である。

 

「わーっはっは! 来たぞ、たしぎ少将! あれがマヤ聖の船じゃ!」

 

「まだ少将って呼ばないでください、ガープ中将! 心臓が飛び出そうです……!」

 

たしぎがメガネを押さえて慌てふためく中、巨大船から軍艦の甲板へとタラップが降ろされた。

普通、天竜人であれば船の上から海兵を呼びつけるか、駕籠に乗って降りてくるのが常識だ。

 

しかし、タラップを軽やかな足取りで降りてきたのは、ラフな着流しを着た黒髪の青年――マヤ本人と、その背後に控える黒服のCP10(エース)の二人だけだった。

 

「おう、ガープ、待たせたな。そしてスモーカー中将、さっきは電話越しに無理を言ってすまなかったな」

 

マヤは軍艦の甲板に降り立つなり、二人の海兵に向かって気さくに、しかし礼儀正しく頭を下げた。

最高権力者である天竜人が、自ら海兵の船に降りてきて労いの言葉をかける。その信じられない光景に、周囲で整列していた一般海兵たちが一斉に息を呑んだ。

 

「なんのなんの! わしの方こそ、バカ孫への1年分の資金まで手配していただき、どうお礼を言ってよいやら……!」

 

「その話はもういいって、また泣かれると困るからな」

 

マヤは苦笑してガープを制すると、スモーカーの隣で直立不動になっている黒髪の女剣士へと視線を向けた。

 

「そちらが、たしぎ少将でよいのかな?」

 

「ひゃいっ!!」

 

いきなり声をかけられたたしぎは、裏返った声を上げて飛び上がった。

顔面を耳まで真っ赤に染めながら、それでも武人としての矜持でビシッと背筋を伸ばし、マヤに向かって敬礼する。

 

「は、はいっ! 本日付で少将を拝命いたしました、たしぎと申します! ナミさんとロビンさんのこと、命に代えても、しっかりと護衛させていただきます! よろしくお願いいたします!」

 

緊張で声を震わせながらも、曇りのない真っ直ぐな瞳で言い切ったたしぎを見て、マヤは満足そうに目を細めた。

 

「ほおー、ロビンの言った通りだな。気に入ったぞ、たしぎ少将」

 

マヤは一歩近づき、周囲の海兵には聞こえないよう、ガープとスモーカー、そしてたしぎの三人にだけ聞こえる落ち着いた声で切り出した。

 

「だがな、たしぎ少将。これからお前の行く場所はシャボンディ諸島、そして時には聖地マリージョアだ。……そこは、海軍本部の『少将』の肩書すら全く効かない相手――俺の同族たちの住処だ」

 

「……っ」

 

たしぎがゴクリと唾を飲み込む。スモーカーも真剣な眼差しでマヤの言葉を聞いていた。

 

「俺はお前が気に入ったから、お前にも俺の『刻印』を刻んでもよいぞ? そうすれば、お前は俺の所有物という扱いになり、他の天竜人から理不尽に狙われたり、奴隷にされたりすることは絶対になくなるからな」

 

マヤはそこで優しく微笑み、ガープとスモーカーにも視線を配った。

 

「もちろん、お前の気持ちを一番に尊重するさ。中将たちも、さっきと話が変わって済まないな。……だが今回の誘拐の件で、心から信頼できる人物でなければ、また面倒なことになると痛感したんだ。そこで俺の刻印がある『海軍の少将』が側にいるとなれば、俺の愚かな同族たちへのかなりの牽制になる。……まあ、海兵が天竜人の印を背負うなんて抵抗があるだろうから、ゆっくりでよい。考えてみてほしい」

 

権力で押さえつけるのではなく、彼女の身の安全と、政治的な立ち位置をすべて開示した上での誠実な提案。

たしぎはメガネの奥の瞳を大きく揺らし、そして腰の愛刀『時雨』の柄を強く握りしめて一歩前に出た。

 

「あの、マヤ聖……! 私には、海兵としてどうしても成し遂げたい夢があります!」

 

「ほう? 聞かせてくれ」

 

「私は、世界中の悪党から名刀を奪い返したいのです! 刀は人を斬るためだけにあるのではありません! それなのに、名のある刀が悪党の手に落ち、血塗られた金儲けや私欲のために使われて……刀が嘆いています! 正義に使われないなんて、絶対にあってはならないことなんです!」

 

天竜人を前にして、自分の青臭い夢を必死に訴えるたしぎ。

だが、マヤはそれを笑うどころか、今日一番の嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 

「はっはっは! ますます気に入ったぞ、たしぎ! 刀の声を聞こうとするとは、お前は本物の剣士だな」

 

マヤは頼もしいものを見る目で、たしぎに頷きかけた。

 

「俺は戦うのが嫌いだからな、そういう剣士が近くにいてくれると心強いよ。それに、俺の保護下にいれば、お前の探す名刀はより見つけやすくもなるだろう。そういう業物を裏で買い漁って相手取るのは、海賊だけじゃなく、表向きは『偉い奴』――腐った富豪や権力者、あるいは俺の同族が多いからな?」

 

「あっ……!!」

 

たしぎの顔が、パッと輝いた。

一介の海兵では絶対に踏み込めない権力者のコレクションであっても、世界最高権力者であるマヤの側近としてなら、合法的に悪党から名刀を救い出すことができるのだ。

 

「刻印を刻むかどうかも、うちの船の空気を見てからゆっくり考えろ。……さて、それじゃあ帰路につきますか」

 

「はいっ! スモーカーさん、ガープ中将、行ってまいります!」

 

マヤが踵を返してタラップへと向かい、たしぎは大きな荷物を抱えて、慌ててその背中を追いかけていった。

 

巨大な白亜の船がタラップを収納し、再び轟音と共に海を蹴って遠ざかっていく。

軍艦の甲板に残されたスモーカーは、くわえていた葉巻の煙を紫色の空へと長く吐き出し、フッと口元を緩めた。

 

「……あいつ、自分から望んで背中に刻むかもな? ガープさんよ」

 

隣に立つガープは、遠ざかるマヤの船を眩しそうに見つめながら、腕を組んで豪快に笑った。

 

「そうかものう! わーっはっはっは!」

 

同じ頃。

グランドライン某所、白土の島バルティゴ。

風が吹き荒れる革命軍本部の司令室は、かつてないほどの混乱と怒号に包まれていた。

 

「――なんだと!? サボが、ドフラミンゴと共にインペルダウンへ送られただと!?」

 

巨大なテーブルを叩き割りそうな勢いで立ち上がったのは、カマバッカ王国の女王にして革命軍幹部、エンポリオ・イワンコフだった。

その奥の席では、総司令官モンキー・D・ドラゴンが、険しい表情で腕を組み、報告に来た通信兵を睨み据えていた。

 

「間違いありません……! ドレスローザに展開していた海軍大将『黄猿』の艦隊によって、厳重な監視のもと移送されたとの情報が……!」

 

「そんな……サボボーイが簡単に捕まるはずないブル! じゃあ、一緒に潜入していたコアラとハックはどうなったのよ!? あの二人も捕まったの!?」

 

イワンコフが巨大な顔を近づけて詰め寄ると、通信兵は顔面を蒼白にし、冷や汗を滝のように流しながら言葉を詰まらせた。

 

「そ、それが……信じられないことなのですが、その2人は……『もう革命軍をやめるかもしれない』と……」

 

「な、なに言ってんの!?」

 

イワンコフが目を剥いて怒鳴り声を上げた。

 

「ヴァナタ、革命軍をそんな簡単にやめられるわけないでしょ!! 世界政府に顔も名前も割れている幹部なのよ!? ここを抜けて、あの子たちを受け入れて守ってくれる安全な場所なんて、この世界のどこにもないのよ!?」

 

「そ、それが……っ!!」

 

通信兵は、自分の口から出る言葉が信じられないというように、震える声で叫んだ。

 

「コアラとハックの二人は……ドレスローザに来ていた『天竜人』の仲間になった恐れがあります……!!」

 

ピタリ、と。

司令室の空気が、完全に停止した。

 

数秒の空白の後、イワンコフの巨大な顔が限界まで膨れ上がった。

 

「…………はぁ!? 天竜人の仲間ァ!? あの天竜人の奴隷だったコアラと、魚人のハックがァ!? な、なにが起きてるのよォォーーッ!?」

 

バルティゴの荒涼とした大地に、イワンコフの絶叫が虚しく木霊し、ドラゴンは一言も発することなく、ただ深く暗い瞳で虚空を見つめ続けていた。

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