どぶさらいと天竜人と海賊   作:マイナーチョコ

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第39話:繋がり

 

 

海底一万メートル。

巨大な空気の泡に包まれた深海の楽園・魚人島に、陽樹イヴの根を伝ってきた柔らかな太陽の光が降り注いでいた。

色鮮やかなサンゴ礁が輝く港へと、特殊なコーティングを終えた全長150メートルを超える白亜の巨艦が、静かに錨を下ろした。

 

船のタラップが降りるのを待っていたのは、この海の勢力図そのものと言えるほど錚々たる顔ぶれだった。

 

魚人島からは、リュウグウ王国の国王である海神ネプチューン、巨大な人魚姫しらほし、そして元王下七武海のジンベエ。

さらにその隣には、白い正義のコートを羽織った海軍本部の最高首脳陣――センゴク元帥をはじめ、英雄ガープ中将、サカズキ大将、ボルサリーノ大将、そしてこの深海監獄の設立にあたって特別に招集されたイッショウ少将とアラマキ少将が、一糸乱れぬ様子で整列していた。

 

マヤの後ろについてタラップを降りてきたレイジュ、コアラ、ハック、そして少将に昇進したばかりのたしぎは、港を埋め尽くすその圧倒的な威容に息を呑み、思わず足を止めかけた。

 

(う、嘘でしょう……!? 海軍元帥に大将たち、それにリュウグウ王国の王族までが、一人の天竜人を出迎えるために港で待ち構えているなんて……!)

 

レイジュが信じられないものを見るように目を見開き、コアラとハックも緊張でゴクリと喉を鳴らす。

だが、そんな新規メンバーたちの硬直をよそに、港の空気はすぐさま穏やかな日常の色へと変わった。

 

「マヤ聖様! ナミ様、ロビン様、ビビ様! ようこそ魚人島へお越しくださいました〜!」

 

ネプチューン王の後ろから、全長12メートルのしらほしがパァッと明るい笑顔を咲かせて大きく手を振った。

それを見たナミ、ロビン、そしてビビも、緊張するどころかいつもの優しい笑顔で手を振り返す。

 

「ただいま、しらほしちゃん! ……なんだか、ついさっきまでシャボンディの宮殿のプールでおしゃべりしてたのに、こうして魚人島の港で改まって顔を合わせると不思議な気分ね」

 

「ほんとよ、ビビ。あっちの直結プールから泳いできた方が早かったんじゃないかってくらいね」

 

「えへへ……でも、今日はわたくしの故郷の綺麗なサンゴの森を、皆様にご案内できるのが嬉しくてたまらないのです!」

 

一国の王女と巨大な人魚姫が、まるで近所の姉妹のように気さくに笑い合う光景。

その後ろで黒服のCP10が静かに控え、赤髪に赤い瞳の青年――マヤが、ゆっくりとネプチューン王の前へと歩み出た。

 

天竜人であれば、相手がどれほどの大国の王であろうと顎で使うのが世界の常識だ。

しかし、マヤはネプチューン王の前で足を止めると、一国の主に対する礼節を込めて、丁寧に頭を下げた。

 

「久しぶりだな、ネプチューン王。今回も魚人島の海域に無理を言ってすまない。こうして温かく迎えてくれて、心から感謝するよ」

 

「め、滅相もござらん、マヤ聖……! 頭を上げてくださいませ……!」

 

ネプチューン王は慌てて巨体を揺らし、それから港の沖合――魚人島から数キロ離れた深海の闇の向こうへと視線を向けた。

 

そこには今、ベガパンクの技術と海軍、そして魚人島の職人たちの力が結集して造り上げられた『深海特別監獄』が鎮座していた。

牢屋の内部には海楼石が隙間なく敷き詰められ、その周囲は一万メートルの超高水圧の海水で幾重にも覆われている。万が一、囚人が内側から壁を壊せば瞬時に水圧で牢内が満たされ、さらに非常事態が起きれば、監獄の区画ごと即座に深淵の海溝へと水圧で沈めることができる、悪魔の実の能力者に対する文字通りの『絶対監獄』である。

 

これまで人間から虐げられ、海の底に押し込められてきた魚人族が、世界の治安を守る最重要拠点のパートナーとして人間と対等に手を取り合った。その歴史的な成果の証を前に、ネプチューン王の大きな瞳から、ボロボロと熱い涙がこぼれ落ちた。

 

「この監獄は、世界と魚人をつなぐ希望の架け橋……虐げられてきたわしら魚人が、胸を張って生きる道を示す証ですじゃ……。マヤ聖、あなた様と共にあったからこそ、わしらはここまで来ることができたのです……! うっ、うっ……!」

 

咽び泣く老王の姿に、後ろに立つジンベエも深く目を閉じて感極まったように頷き、それを見つめていたコアラとハックの胸にも、言葉にできないほどの熱い感情が込み上げていた。

 

「久しいな、マヤ聖。航海、ご苦労だった」

 

ネプチューン王との挨拶を終えたマヤに、センゴク元帥が歩み寄って声をかけた。

 

「おう、センゴク。お前らまで揃って出迎えとは、ずいぶん大所帯じゃないか。……あれ、クザンの奴はどうした?」

 

「あいつなら、新しく設けた『巡回警備大将』という役職に就かせてな。今は自転車で気ままに世界中の海を回っておるよ」

 

センゴクは苦笑しながら答え、それから背後の海兵たちが厳重に取り囲んでいる二人の囚人へと視線を向けた。

今回、元帥と大将たちが直々に魚人島まで降りてきた最大の理由は、この二人の極めて危険な能力者を確実に深海監獄へと護送するためだった。

 

全身を分厚い海楼石の鎖と拘束具で縛り上げられていたのは、かつての王下七武海ドンキホーテ・ドフラミンゴと、王冠を被った小さな少女――シュガーだった。

だが、かつて新世界の裏社会を牛耳っていたドフラミンゴには、トレードマークの不敵な笑みもサングラスもなく、ただ虚ろな目で俯き、一言も言葉を発しない抜け殻のような状態になっていた。隣の少女もまた、海楼石に力を奪われ、青い顔でガタガタと震えるばかりで完全に戦意を喪失していた。

 

マヤはその小さな少女をちらりと見て、赤い瞳をわずかに細めた。

悪魔の実の詳しい種類や知識には疎いマヤだったが、長年の経験から、その少女が纏う異質な空気だけは肌で感じ取っていた。

 

「……おい、センゴク。ドフラミンゴはともかく、隣にいるあいつ、見た目はただのガキなのに、なんか妙にタチの悪い嫌な気配がするな」

 

「さすがの勘だな、マヤ聖。見た目に騙されてはならんぞ、たしぎ少将、皆の衆もだ」

 

センゴク元帥は引き締まった声で、初めてその少女を見るたしぎやコアラたちに向けて説明を始めた。

 

「その娘は『ホビホビの実』の能力者、シュガー。悪魔の実の作用で身体の成長が止まっておるが、実年齢は22歳の幹部だ。……こいつの能力は、手で触れた人間をオモチャに変えて絶対服従させるだけではない。最も恐ろしいのは、オモチャにされた人間の記憶が『世界中のすべての者の頭から完全に消え去る』という点にある」

 

「えっ……!? 記憶が、世界中から消える……ですか!?」

 

たしぎが驚愕に目を見開く。センゴクは重々しく頷いた。

 

「そうだ。もし通常のインペルダウンに収監し、看守が子供だと油断して一度でも指先で触れられれば、その看守はオモチャになり、わしらの頭からは『そんな看守が存在していた記憶』すら消えてしまう。気づかぬうちに監獄が内側から乗っ取られかねんのだ。……誰も直接触れず、海水と水圧で完全に封じ込めるこの深海特別監獄がなければ、生かしておくことすら不可能な相手だったのだよ」

 

その恐るべき能力の真相を聞き、レイジュやナミたちも背筋を震わせた。

 

するとそこへ、マヤの後ろに控えていた魚人空手師範のハックが、意を決したように一歩前へと進み出た。

ハックはネプチューン王とジンベエの前に進み出ると、港の石畳に深く膝をつき、地面に額を擦りつけんばかりに頭を下げた。

 

「ネプチューン王! ならびにジンベエ親分! 元革命軍、魚人族のハックにございます!」

 

「おお、ハックではないか。顔を上げるがよい、どうしたのじゃ?」

 

「わしはこれまで、恩人であるフィッシャー・タイガーの兄貴の理想を見失い、革命軍の武力こそが世界を変えると信じて拳を振るってまいりました……! ですが、タイガーの兄貴の本当の意志を継ぎ、20年間泥にまみれて人を救い続けてこられたマヤ聖の生き様に触れ、己の愚かさにようやく目が覚めました!」

 

ハックは顔を上げ、涙を滲ませた熱い瞳で訴えた。

 

「どうかこのわしに、今一度リュウグウ王国のため、そしてマヤ聖が築かれたこの架け橋を守るために働く機会をいただきたい! あの深海監獄での雑務でも、魚人島の若手の育成でも、何でもやらせていただきますぞ!」

 

その魂からの叫びに、ジンベエが腕を組んだまま大きく頷き、懐の深い笑みを浮かべた。

 

「よくぞ戻ってきた、ハック。お前さんの魚人空手の腕と真っ直ぐな気性はよく知っておる。……ネプチューン王、ハックのことはわしが責任を持って面倒を見ましょう。監獄の警備と若手の指南役、双方でこれ以上ない力になってくれるはずですタイ」

 

「うむ、ジンベエがそう言うのであれば異存はないぞ! よろしく頼むぞ、ハック!」

 

「はっ……! ありがたき幸せにございます!!」

 

魚人島の同胞たちが再び一つに繋がった光景を見届け、マヤは満足そうに頷くと、今度はセンゴクたち海軍首脳陣へと向き直った。

 

「さて、センゴク。今日はお前ら海軍とネプチューン王たちに、大事な宣誓とお願いがあって来たんだ」

 

マヤは後ろに立っていたたしぎとコアラを手招きし、皆の前へと並ばせた。

 

「まず、このたしぎだ。少将に昇進してから、俺の家族や仲間を守る盾になるって言って、毎日誰よりも泥臭く頑張ってくれてる。だから今日、海軍から初めて、正式に俺の『保護下』に入れることをここで宣誓する。……おい、たしぎ。センゴクたちの前で、この数週間の特訓の成果をちょっと見せてやれ」

 

「は、はいっ! マヤ聖!」

 

たしぎは緊張に頬を紅潮させながらも、凛とした声で返事をすると、腰の『神鬼』に手を添えて深く息を吸い込んだ。

そして次の瞬間――。

 

タンッ!!

 

港の石畳が弾けるような音と共に、たしぎの身体が宙へと舞い上がった。

彼女は空中で足を止めると、タンッ、タンッ、タンッ! と何もない空間を蹴り上げ、150メートルの巨艦のマストの先端と同じ高さまで、一瞬にして駆け上がってみせたのだ。

さらに上空で目を閉じ、港を吹き抜ける潮風と、下にいる海兵たちの微かな呼吸の乱れを『見聞色の覇気』で正確に捉えると、華麗に宙返りをして元の場所へと音もなく着地した。

 

一瞬の静寂の後、ガープが目をひん剥いて豪快な笑い声を上げた。

 

「ぶわっはっはっは!! おいセンゴク、見たか今の! あのよく何もないところで転んでおったスモーカーの部下の娘が、たった数週間で六式の『月歩』をここまで使いこなしおったぞ!?」

 

「お〜お〜、こりゃあ驚きだねぇ〜。月歩だけじゃな〜い、見聞色の覇気の練度も、数週間前とは別人みたいに研ぎ澄まされてるよぉ〜。いったいどんな指導をしたら、こんなに化けるのかねぇ〜」

 

ボルサリーノがサングラスの奥で感心したように口笛を吹く。

センゴク元帥もまた、驚きに目を見張りながら大きく頷いた。

 

「うむ、見事な成長ぶりだ……! たしぎ少将がマヤ聖の保護下に入るのであれば、政治的に見ても、我が海軍とマヤ聖とのパイプがこれまで以上に強固なものとなる。元帥として、これほど喜ばしいことはないぞ!」

 

真面目な顔でそう語るセンゴクに対し、マヤは呆れたように肩をすくめ、ニッと口角を上げた。

 

「おいおいセンゴク、今さらパイプが強固になるも何もねェだろ? 俺がこれまで、お前ら海軍にどんだけ貸しがあると思ってんだ?」

 

「……む。ハッハッハッハ! 違いなかったな、これは一本取られたわい!」

 

マヤの軽口にセンゴクが腹を抱えて笑い出し、マヤもつられて笑い声を上げる。

すると、隣に立っていたボルサリーノが頭を掻きながら、申し訳なさそうに口を挟んだ。

 

「いやぁ〜、まったくその通りで頭が上がらないよぉ〜。ドレスローザでドフラミンゴ一味を捕らえたあの大功績も、マヤ聖が『俺は目立つのは嫌だから』って、まるごとわっしの手柄として譲ってくれちゃったからねぇ〜。本当に感謝してるよぉ〜」

 

その言葉に続き、腕を組んで仏頂面をしていたサカズキ大将までもが、面目なさそうに帽子を目深に被り直し、低く渋い声で頭を下げた。

 

「……わしも同じじゃ。長年、北の海で悪名を轟かせとった科学戦闘部隊『ヴィンスモーク家』を無血で制圧した功績まで、すべてわしら海軍本部に譲っていただいた。どれほどの海兵の命が救われ、海軍の威信が保たれたことか……。そうでしたな、ガープさん」

 

「うむ、まったくもってマヤ聖には足を向けて寝られんわい!」

 

海軍の最高戦力たちが次々と天竜人に感謝を述べる光景に、後ろで見ていたレイジュは(私の実家が捕まった功績まで、綺麗に海軍へプレゼントされていたのね……)と遠い目をした。

 

マヤは笑い収めると、今度は隣で緊張しているコアラの肩に優しく手を置いた。

 

「それと、もう一人。このコアラだ。こいつは元革命軍だが、そもそもは昔、天竜人の奴隷だったところをフィッシャー・タイガーに命懸けで救い出された過去がある。……タイガーはこいつを親元へ届けるために命を落としたそうだ」

 

マヤの静かな声に、ネプチューン王とジンベエ、ハックが息を呑む。

 

「だがその後、こいつは革命軍に拾われたせいで、タイガーが命と引き換えに繋いだ『大切な命』を、誰かを憎んで戦うための道具としてねじ曲げられて使われていた。……タイガーが望んだのは、こいつがただ普通の女の子として笑って生きることだ。だから今日から、俺がこいつを保護下に置いて、タイガーの意志を継ぐ」

 

「マヤ聖……っ!」

 

コアラが瞳に涙を浮かべてマヤを見上げる。

その生い立ちと、革命軍の欺瞞を聞いた瞬間、センゴクが「なんということを……」と拳を握りしめた。

そして、誰よりも『悪』を憎む男――サカズキ大将の目から、ボロボロと熱い涙がこぼれ落ちた。

 

「うっ……おのれ、ドラゴンめ……! あのタイガーが命を懸けて故郷へ帰した幼い少女を、自分たちの思想で染め上げて戦場に立たせとったじゃと……!? なんというむごい真似を……! マヤ聖、よくぞ……よくぞその娘を救い出してくださった……っ!!」

 

溶岩の男が人目も憚らずに男泣きする横で、もう一人の少将――アラマキが、全身をワナワナと震わせながら恍惚の表情で天を仰いでいた。

 

「うおおおお……! 聞いたかおい、今のマヤ聖のお言葉……! 懐が深すぎて、優しすぎて、あっしはもう立ってられねェよ……! ハァ、ハァ、マヤ聖、最高すぎるぜェェ……!!」

 

顔を紅潮させて気持ち悪いくらいにうずうずと悶えるアラマキの姿に、ナミ、ロビン、ビビ、そしてレイジュたちが「「(な、なんなのあの少将……ちょっと気持ち悪いわね……)」」と一斉に一歩後ろへ下がってドン引きした。

 

「よし。じゃあ、ここにいる海軍の連中も、ネプチューン王たちも、全員この二人の『見届け人』になってくれ」

 

マヤの言葉に、センゴクとネプチューン王が力強く頷き、全員が厳かに見守る中、たしぎとコアラが前へと進み出た。

マヤが特注の器具を手に取り、自身の『医療の念』を込めながら、二人の背中にそっと印を当てる。痛みは一切なく、ただ温かい光が染み込むような感覚と共に、蹄と龍が絡み合う美しいマヤ専用の『刻印』が刻み込まれた。

 

「これで、お前たちは何があっても俺が守る。胸を張って生きろよ、たしぎ、コアラ」

 

「「はいっ!! ありがとうございます、マヤ聖!!」」

 

二人の晴れやかな声が、深海の港に美しく響き渡った。

 

承認式が終わり、いよいよドフラミンゴとシュガーを深海特別監獄へと移送する時間となった。

初代監獄所長に任命されたイッショウ少将は、ハックやネプチューン軍の兵士たちと共に移送船へ乗り込む前、マヤの前に進み出て、杖を両手で握りしめながら深々と頭を下げた。

 

「マヤ聖……。人間と魚人が手を取り合い、誰一人泣く者のいねェ、こんなにも暖かい世界……。あっしのこの閉じた目で直接見ることができねェのを、今ばかりは心の底から悔しく思うですが……あなた様からいただいたこの恩義は、海の底にいても一生忘れやせん」

 

イッショウの白い傷跡が刻まれた瞼から、一筋の涙がツーッと頬を伝って落ちた。

マヤはそんなイッショウの肩を、ポンと優しく叩いた。

 

「頑張ってこいよ、イッショウ? 暗くて退屈な場所だろうが、たまには俺も美味しいもん持って顔を出すからよ」

 

「へえ……! お待ちしておりやす、マヤ聖!」

 

イッショウが晴れやかな顔で移送船へと向かう背中を見ながら、後ろにいたアラマキが「ぐぬぬ……! イッショウの旦那ばっかりマヤ聖に優しくされて……うらやましいィィ!!」とハンカチを噛み締めていた。

 

そのアラマキの襟首を、涙を拭ったサカズキがグイッと掴んでマヤの前へと引きずり出した。

 

「マヤ聖。イッショウ少将をこの重要監獄の所長として預かっていただく分、海軍本部の実働部隊にはこのアラマキ少将が残ります。見た通り少々騒がしい男ですが、実力とマヤ聖への忠義だけは本物ですけえ、今後はわしの代わりと思うて、どうかうまく使ってやってくだされ。……本当に、何から何までありがとうございますじゃ」

 

「お、おう。そういやアラマキ、前に俺がやった万年筆、ちゃんと使ってるか?」

 

マヤが懐から、綺麗に輝く一本の高級万年筆を取り出した。

 

「どうせお前のことだから、勿体ないとか言って神棚にでも飾ってるんだろ? ほら、今日わざわざ護送に来てくれたお礼だ、予備をもう一本やるよ」

 

「えっ……!? ま、マヤ聖……! なんで飾ってるのが分かったんですかい!? いや、二本目だなんてそんな……うおおおっ、一生の宝にしますだァ!!」

 

感涙にむせびながらペンを受け取るアラマキに、マヤは苦笑いしながら、自分の人差し指をペンの見本のように立てて自分の額や首筋にトントンと当てて見せた。

 

「だから、今度こそ飾らずに現場でちゃんと使えよ? ペンってのはな、書類を書くだけじゃなく、いざという時は立派な武器にもなるんだ。こうやって逆手に握って、相手の額のここや、鎖骨の急所にスッと当てるだけで、大男でも殺さずに一瞬で無力化できる。俺も昔、シャボンディでどぶさらいをしてる時に、ペン一本で襲ってくるような手練れの輩を何人も見てきたからな」

 

マヤがそう言って何気なく指先を動かした、その瞬間だった。

バリバリッ……! と、マヤの指先から空間を震わせるような黒く赤い稲妻――最高峰の『覇王色の纏い』が、ごく自然にチリチリと迸った。

 

「あー、またこれ出たわ。……そういや昔、センゴクにも『なんか最近、勝手に手がビリビリするんだけど何だこれ?』って聞いたよな。海賊みたいに誰かをぶっ飛ばしたわけでもねェのに、20年間毎日どぶさらいして、救えなかった奴らのことでとんでもなくつらい思いや、悔しい思いばっかりしてたら、いつの間にか勝手に出るようになってたんだよ」

 

マヤが何気なく零したその言葉に、センゴク、ガープ、サカズキ、ボルサリーノの四人が、雷に打たれたようにハッと目を見開いた。

 

(……そうか……! あの時、マヤ聖が『手がビリビリする』とわしに尋ねられた時、わしはただ生まれつきの天賦の才が勝手に目覚めたのだとばかり思っておった……! だが、違ったのだな……!)

 

センゴクの脳裏に、20年間シャボンディの冷たい水路で泥にまみれ、捨てられた命を一人きりで弔い続けてきた少年の姿が蘇った。

覇気とは本来、心の力――精神の力である。

海賊や海兵は、強い敵を殴り倒すことでしか覇気は強くならないと思い込んでいた。だが、マヤは違ったのだ。暴力で世界を壊すことに逃げず、ドブの底でどれほどの理不尽や悲しみ、悔しさに直面しても、目の前の人を笑わせるために心を奮い立たせ続けてきた『20年間の孤独で過酷な精神の戦い』。それこそが、誰一人殴ることなく、彼をこの世の頂点たる覇気へと至らせた真の理由だったのだ。

 

「……敵をぶっ飛ばすだけが、強くなれる道ではない、か……。わしら海軍も、まだまだ修行が足りんようですな、センゴク」

 

ガープが深い畏敬の念を込めて呟き、センゴクは無言で深く頷いた。

そしてセンゴクは、マヤの後ろに控える黒服の男――その正体を知っているCP10の前へと歩み寄り、静かに頭を下げた。

 

「CP10よ。マヤ聖の盾として、本当によくやってくれているな。……ありがとう」

 

海軍元帥からの真っ直ぐな礼を受け、CP10はサングラスの奥の瞳をわずかに和らげた。

 

「こちらこそ、世話になってる。マヤ聖は、俺にとって命の恩義がある方だ。あんたたちも、親父たちのことまで色々ありがとうな」

 

さらにセンゴクは、隣に立つナミとロビンへと向き直った。

かつて20年前のオハラで、政府の不始末によって少女一人に重すぎる十字架を背負わせてしまったことをずっと悔いていた老元帥は、二人に対しても深く頭を下げて労いの言葉をかけた。

 

「お前たちも、マヤ聖の元で穏やかに暮らせているようで何よりだ。……これまでのことは、本当にすまなかった。よくぞここまで生きてくれた」

 

ロビンは目を瞬かせ、それから穏やかな微笑みを浮かべてマヤの横顔を見つめた。

 

「こちらこそ、この温かい出会いに感謝を……。ね、マヤ聖」

 

「そうだな。みんなとの出会いで、こうしていい笑顔が出てくれて、俺も本当に嬉しいぞ!」

 

マヤが振り返り、赤い髪と赤い瞳を太陽のように輝かせて、とびっきりの無邪気で温かい笑顔を見せた。

普段は少し不器用でぶっきらぼうな青年が見せた、あまりにも眩しく純粋な笑顔。そのあまりの神々しさに、ロビンやナミ、レイジュたち女性陣だけでなく、歴戦の海兵であるセンゴクやサカズキたちまでもが、一瞬言葉を失ってハッと見惚れてしまった。

 

その後、マヤはセンゴク、ガープ、サカズキ、ボルサリーノの四人を連れ、港の喧騒から少し離れたサンゴの岩陰へと移動した。

 

「センゴク、出る前にお前らにだけ伝えておくことがある。……実は今、シャボンディの俺の地下牢に、トラファルガー・ローを捕まえててな」

 

「なに、ローを!? あやつも能力者だ、なぜ今回ここへ連れてこなかったのだ?」

 

驚くセンゴクに、マヤは声を落として続けた。

 

「あいつから、昔の恩人である『ドンキホーテ・ロシナンテ』の話を聞いたんだよ」

 

その名前が出た瞬間、センゴクの身体がビクリと震え、その瞳が大きく見開かれた。

 

「あいつは、ロシナンテに救われた命の使い道を間違えてたって、うちの牢屋で泣いて悔い改めてな。だからあいつは俺の保護下に置き、ロシナンテと同じように『スパイ』をやらせることにした。今、金を持て余して蛮族化が始まってる麦わらの一味の船に内部潜入させて、一般人に被害が出ないようストッパーになってもらう。……戻ったらこっちからうまく潜入させるから、海軍はその際、あいつをうまく見逃してくれ」

 

最愛の部下であったロシナンテが命を懸けて救った少年が、時を経てマヤに救われ、ロシナンテと同じく『暴走を止める潜入者』として生まれ変わる。

センゴクは目頭を熱くし、震える手でメガネの奥の涙を拭った。

 

「ロシナンテの遺志を、あやつが……。うむ、マヤ聖の決定であれば異存などあるはずがない! 全面的に承認しよう!」

 

「……元帥とマヤ聖のお考えであれば、わしも異論はありゃせん」

 

サカズキも、隣で顔を覆っているガープの手前もあり、静かに頷いて承認した。

 

「お〜お〜、そういう事情なら、現場の部隊には手を出さないよう上手く通達しておくよぉ〜」

 

ボルサリーノが気軽に請け負う横で、ガープはついに堪えきれず、その場にしゃがみ込んでボロボロと泣きじゃくった。

 

「うわあああん! すまん、マヤ聖、センゴク……! わしのバカ孫が、どこまでも周りに迷惑ばかりかけおって……! どうかよしなに頼みますじゃ〜!!」

 

「ま、そういうわけだからよろしく頼むわ。……あ、それと最後の報告なんだが」

 

マヤは少し困ったように頬を掻きながら、遠くでナミたちと談笑しているレイジュの方を指差した。

 

「あそこにいるヴィンスモーク家の長女のレイジュなんだが、なぜかうちの宮殿の暮らしが気に入ったらしくてな、いつの間にか俺の『専属秘書』になっちまったんだよ。本人はもう実家を立て直す気がないみたいで、このままだと事実上、ヴィンスモーク家は自然解体になる恐れがあるんだが……まあ、いいよな?」

 

その言葉に、センゴク、サカズキ、ボルサリーノの三人は一瞬ポカンと口を開け――次の瞬間、感嘆の声を上げた。

 

「「「さすがです、マヤ聖!! あの北の海の悪の軍団まで、拳を交えずして完全に解体してしまわれるとは!!!」」」

 

「いや、俺は何もしてねェって! あいつが勝手に書類整理を始めただけなんだよ!」

 

盛大に勘違いして称賛を送る海軍首脳陣に、マヤの苦笑い混じりのツッコミが魚人島の青い空へと響き渡った。

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