どぶさらいと天竜人と海賊   作:マイナーチョコ

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第40話:二十年の真実

 

 

海底一万メートル。

陽樹イヴの柔らかな光が届くリュウグウ王国の竜宮城は、地上の喧騒が嘘のように穏やかな静寂に包まれていた。

 

城の奥にある回廊のテラス。

マヤは手すりに寄りかかり、ゆらゆらと揺れる美しいサンゴの海を静かに見下ろしていた。

その傍らには、すっかり専属秘書としての佇まいが板についたレイジュがバインダーを抱えて控え、目の前には黒服のCP10が、少し改まった様子で姿勢を正して立っていた。

 

「マヤ聖。貴方についてきて、これまで知らなかった色々な世界が見えた。すげー感謝してる。……それで、少し話を聞いてくれないか?」

 

「ん? どうした、あらたまってよ?」

 

マヤが赤い瞳を向けると、CP10は少し遠い目をして海中を泳ぐ魚たちを見つめながら切り出した。

 

「俺の知り合いに、『ヤマト』っていうやつがいてよ。そいつもルフィみたいにまっすぐすぎて、少し危ういんだよ」

 

「ほ〜、あいつみたいにか。蛮族になる感じか……それは難儀だな。昔の海賊仲間か?」

 

「いや、海賊に憧れてるって感じのやつだな。口を開けば『おでんになる』って言っててよ……。ルフィの、シャンクスへの憧れみたいな……あ。すまね……」

 

CP10は自分の口から出た名前にハッとし、気まずそうに言葉を濁した。

無責任に海賊の夢だけを吹き込み、子供に重い帽子を押し付けて航海の現実を教えなかった男――赤髪のシャンクスを、マヤが心底嫌悪していることを日頃の空気から察していたからだ。

 

案の定、マヤは一瞬だけ苦虫を噛み潰したように眉をひそめたが、小さく息を吐いて手を振った。

 

「くそな野郎の名前は聞きたくないが、まー話の流れで出たんだ。気にするなよ。……それより、おでんね。いいんじゃねーか? 資金だそうか?」

 

隣で聞いていたレイジュは、手元の手帳に『※赤髪の四皇の話題は厳禁』と素早くペンを走らせながら、マヤの言葉に内心首を傾げた。

(……おでん? 人の名前ではなくて?)

 

CP10も目を丸くして聞き返した。

 

「資金ですか? それは助かりますが……あいつ、海賊になるんですよ?」

 

「海賊やりながら、冬の海でおでんやるんだろ? 出汁とか大根とか、色々先立つ物が必要だろ?」

 

「(えっ? おでん屋……?)あ、いや……」

 

CP10が訂正しようとしたが、マヤのあまりにも真面目なトーンに気圧され、言葉を飲み込んでしまう。

ワノ国の歴史も侍の名前も知らないマヤの中では、『ヤマトという男が、海賊船の上で熱々のおでん屋台を営みたいと夢見ている』という勘違いがごく自然に成立してしまっていた。マヤは経営に口を出すタイプではないため、「本人がやりたいなら屋台の資金くらい出してやる」という、ただの純粋な善意だった。

 

「実際、あの蛮族小僧にも、なんだかんだで金は出してやったしな。船の修理費用に、魚人島から出るための資金。そしてドレスローザじゃナミたちの逃走資金を盗んでる。それから、今回のトットランドでの一年分の資金だ」

 

マヤが指を折りながら数え上げると、隣で聞いていたレイジュがピタリとペンを止め、呆れと驚きが入り混じった声で口を挟んだ。

 

「あの……口を出すようであれですが、マヤ聖……。トットランドと過去の分を合わせて、7回も殴られてる相手に、凄い資金を出してますね」

 

「あ〜、それな。よくよく考えたらよ、俺、2年半前にシャボンディであいつと初めて会った時、すでに顔面をボコボコに殴られてたわ。たぶん、あの時だけで10回は殴られてたの、今思い出した」

 

ピシッ、と。

CP10の身体が石のように固まり、レイジュも信じられないという顔でマヤを見た。

 

「あの、それ……ガープ中将には?」

 

「言ってないな。俺もあん時は色々、くまの件やらシャルリアのこともあってごたついてたんだわ。ナミとかロビンなら詳しく覚えてるんじゃないかな。あの時、ナミとロビンがもう海賊をする必要はないなって名目で、あそこの手打ちにしたからよ」

 

マヤが何でもないことのように海風を浴びる横で、レイジュは手元の書類の数字を頭の中で弾き出し、引きつった声で言った。

 

「つまり……全部で20発近く殴られてる相手に、50メートル級の船の修理代以外に、全部で合計『二年分近く』の莫大な活動資金を渡してることになりますが……。それだけ貰っておいてすぐ干上がるって、どんだけ資金繰りが下手な海賊なんですか!?」

 

「……そうか、ルフィの野郎、俺の知らねェところでそんなに殴ってたのか……。そして、金も凄い渡してますね……」

 

CP10はギリッと奥歯を噛み締め、サングラスの奥の瞳に静かな怒りの炎を宿した。

(あいつ、命を救ってもらった恩人にそこまでの真似を……。いつかまた顔を合わせたら、兄貴として絶対にぶん殴ってやらないとな)

 

「まー、そうなるが、ガープの孫だしな。仕方ないだろ? あのじいさんが孫のことで落ち込むの、見てらんねーんだよ。……それで、そのヤマトってやつの資金も出すって感じか?」

 

「そうですね。先立つ物が必要ですね。でも、今あいつがどうしてるかもわからずで……」

 

「ふむ、どこの国の住人なんだ? 金を渡すのはいいが、海賊を名乗ればサカズキに追われるぞ? ローの方はさっき話をつけてな、シャボンディに戻ったら適当に資金を渡して、自分でルフィに追いついてうまいことやってもらう算段だ。あとはガープから定期報告を受けて、潜入したか確認するって感じだな」

 

CP10はマヤのその手回しの早さに、ただただ感嘆の息を漏らした。

 

「マヤ聖はそういうとこ、本当尊敬しますよ。そっちの話は本当に早いですからね」

 

「凄いですね……。そこまで先を見て、海軍も海賊も動かしてしまうなんて……」

 

レイジュも感心したように頷く。CP10は少し言いにくそうに続けた。

 

「それで、ヤマトがいるのは『ワノ国』なんですよ……」

 

「へ〜、ワノ国ね……」

 

マヤのあまりにも興味なさげで平板な相槌に、CP10は苦笑いを浮かべてツッコミを入れた。

 

「……わかってませんよね? その言い方、だんだん俺もわかってきてますよ?」

 

「そうだな、知らんな。俺はこれまで、シャボンディ諸島からほとんど出てなかったしな。自分がこんな政治的っていうか、為政者みたいな立ち位置になるなんて思ってもなかったよ。なんせ、政治介入したのはナミとロビンと出会ってからだから、もう2年半か3年くらい前からか?」

 

「え? ちょっと待ってください……」

 

レイジュがバインダーを抱えたまま、愕然としてマヤの顔を見た。

 

「たった2年半か3年そこらの短期間で、四皇や海軍本部を巻き込むこれだけの巨大な体制を構築なさってるんですか!?」

 

「え? 構築ってなんだ?」

 

キョトンと首を傾げるマヤを見て、CP10がやれやれと肩をすくめた。

 

「レイジュさん、マヤ聖にはそういう政治的な意図はないんです。ただ目の前の人を助けてたら、勝手に周りがそうなっただけですよ」

 

「え……、そう……。なんか、本当、ナミさんや他の女子連中がマヤ聖に惹かれる気持ちがわかるわ……」

 

レイジュが頭を抱えてため息をつく。

マヤは回廊の手すりに寄りかかり、心地よい深海の波音を聞きながら、どこか懐かしむように言葉を続けた。

 

「そもそも、俺は今は25歳でもうすぐ26だな。5歳の時からあのシャボンディの環境でどぶさらいして、死者を弔い、奴隷の脱走を手伝ったり、それを他の天竜人や政府にバレないようにやったりしてただけだ。誰も初めは俺を天竜人だと思ってなくてな。死にそうになったことは、まーなかったけど、やばい時は何度もあったよ。……そのおかげで、なんか覇気が使えるみたいだけど、それもさっきセンゴクが教えてくれたくらいだしな」

 

再び、テラスの空気がピタリと止まった。

 

マヤの見た目は、どう見ても18歳前後の若々しい青年にしか見えない。だからこそ、CP10もレイジュも、彼が自分たちより年下か同年代だと思い込んでいたのだ。

 

CP10は指を折って必死に計算し、裏返ったような声を上げた。

 

「あの、俺は今20歳で……マヤ聖と俺、たいして年変わってないと思ってたんですよ!?」

(……まあ、本当は22歳だけどな。死んだことになってる手前、正体バレないようにサバ読んどかねェと)

 

CP10は内心でこっそり訂正しつつ、驚愕のまままくし立てた。

 

「俺の5歳の頃なんて、田舎の山でクマとかの相手をしてただけでしたよ!? しかも、マヤ聖が5歳の時って、俺まだ生まれてませんよ!? つまり、海賊王ロジャーが生きてた時代に生まれて、5歳からマリージョアの足元で億越えの凶悪な連中から普通に逃げ回って人助けして……あのフィッシャー・タイガーとも縁があってって、やばすぎません!? そりゃ覇王色纏いできますって!!」

 

その隣で、レイジュは顔面蒼白になって絶句していた。

小刻みに震える唇を開き、彼女はか細い声で呟いた。

 

「……あの、私、これまで散々お姉さんぶってましたけど……たぶん、私、マヤ聖より年下です……」

 

「ん? お前、いくつなんだ?」

 

「ロジャーが死んだのは、私が生まれた年……ちょうど24年前よ……。つまり、マヤ聖は私より年上で、しかもロジャーが亡くなって世界中の海賊が暴れ出した一番きつい時代から、たった5歳でどぶさらいをしてたって……本当、やばいですって……!」

 

数分後。

まだ衝撃から立ち直れない様子のレイジュとCP10を連れて、マヤがしらほしの部屋の重厚な扉を開けると、中でお茶を飲んでいた女性陣が一斉に笑顔で振り返った。

 

「あ、マヤ聖! お帰りなさい!」

 

「ちょっと、皆様……! 今、とんでもないことを聞いてしまったのだけど……!」

 

部屋に入るなり、レイジュが普段のクールな振る舞いも忘れてテーブルに歩み寄り、震える声で切り出した。

 

「マヤ聖ってば、見た目はこんなに若いのに、実は今25歳で、もうすぐ26歳なんですって! しかも、ルフィに全部で20発近くも殴られながら、二年分以上の資金を渡してたのよ!?」

 

「「「ええええええっ!?」」」

 

たしぎ、コアラ、ビビ、そしてしらほしの四人が、同時に椅子から飛び上がらんばかりに驚きの声を上げた。

 

「に、25歳……!? えっ、私、23歳なので、てっきりマヤ聖は年下の少年だとばかり思ってました……!」

 

「わ、私も23歳よ……!? 年下の子が頑張ってるから、お姉さんとして美味しいお茶を淹れて支えてあげなきゃって思ってたのに、マヤ聖の方が年上のお兄さんだったなんて……!」

 

たしぎとコアラが顔を真っ赤にして動揺し、ビビも「20発も殴られてたなんて……」と口元を押さえる。

そんな大騒ぎの中、部屋の奥で優雅にティーカップを傾けていたナミとロビンだけは、驚きもせずに顔を見合わせてクスリと微笑んだ。

 

「ふふっ、年齢のことは知ってたわよ? 私たち、もう2年半もマヤ聖と一緒に暮らしてるんだから」

 

「ええ。もっとも、30歳の私にとっては、25歳でも変わらず可愛くて頼もしい年下の男の子だけれどね?」

 

最古参の二人が見せた余裕たっぷりの微笑みに、レイジュとコアラが「ず、ずるいわ……!」と悔しそうに頬を膨らませた。

だが、ナミはすぐにカップを置くと、少し切なげに目を細めてマヤの顔を見つめた。

 

「……でも、20発近く殴られてたっていうのは本当よ。2年半前、シャボンディの人間屋で初めてマヤ聖と出会った時……あの時は、私たちも最初からマヤ聖を信じてたわけじゃなかったの。くまさんの反逆や、レイリーさんがマヤ聖に覇気を向けたこと、それに一味の命を見逃してもらう『担保』として、仕方なく預かりになったのよ」

 

ナミの静かな述懐に、ビビやたしぎたちが息を呑んで耳を傾ける。

 

「あの時、自分が悪くないって喚くルフィから、マヤ聖が麦わら帽子を取り上げて諭そうとしたの。そしたらルフィ、帽子を取られただけで激昂して、無抵抗のマヤ聖の顔面を10発以上もボコボコに殴り続けたわ……。マヤ聖は血を流しながら一歩も引かずに全部受け止めて、私たちがもう海賊をする必要はないっていう手打ちの証に、裏で船の修理代まで出して逃がしてあげたのよ」

 

「ええ……。その後も、インペルダウンでの無計画な暴動未遂や、勝手な二年間の放置、魚人島での再会、そしてドレスローザで私たちが拉致されて、あのサニー号の船の意志そのものが私たちに牙を剥いて逃げられなくなった時も……マヤ聖はいつだって、殴られても文句ひとつ言わずに私たちを迎えに来て、守ってくださったわ」

 

ロビンはそう言うと、今度は歴史学者としての深い眼差しで、部屋の全員を見渡した。

 

「それに、レイジュが言った『20年前から5歳でどぶさらいをしていた』という意味……。皆様、どれほど凄いことか分かるかしら? 20年前といえば、海賊王ロジャーが処刑されてからわずか4年後。世界中の最も凶悪で血に飢えた海賊たちが一斉にシャボンディ諸島へ押し寄せ、海軍本部ですら手が回らず、毎日何百人もの人間が殺されてドブに捨てられていた、歴史上もっとも狂っていた暗黒時代よ」

 

「……っ!」

 

ロビンの言葉に、コアラがハッとして自分の胸元を押さえた。

 

「じゃあ……15年前にタイガーさんたちがマリージョアから私たちを逃がしてくれた時、裏路地で手助けしてくれたマヤ聖は、まだ10歳だったのに、すでに5年間も一人であの地獄の中で戦っていたんですね……!」

 

「そういうことね。大人の海兵ですら近づけない無法地帯のドブの底で、5歳の男の子がたった一人で死者を弔い、人を逃がし続けてきた……。2年半前、あの冥王レイリーの覇王色の覇気を真っ向からねじ伏せたのも、マヤ聖がその20年間の地獄を、誰一人殴ることなく『心』一つで生き抜いてきたからなのよ」

 

静かな部屋の中に、ポツリ、ポツリと水滴の落ちる音が響いた。

コアラとたしぎの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちていた。

ビビもしらほしも、目の前に立つ赤髪の青年の背中が、どれほど重く、どれほど優しい20年を一人で背負ってきたのかを知り、胸がいっぱいになって言葉を失っていた。

 

そんな感動と涙の空気に包まれる中、マヤは照れくさそうに頭を掻き、静かに口を開いた。

 

「……そうか。お前たちから見たら、そんな風に見えるんだな」

 

マヤの赤い瞳が、泣いている彼女たちをどこか懐かしむように、優しく見つめ返した。

 

「俺は、あそこのドブの底しか知らなかったからな。外の世界がどうなってるかなんて、考える余裕もなかったよ。……ただ、目の前で泣いてるやつを放っておけなかっただけだ」

 

気負うことも、自分を誇張することもない、ありのままの飾らない言葉。

それが彼女たちの胸にさらに深く染み渡り、ナミやロビンたちも優しく微笑み返した。

 

温かい沈黙が流れる中、マヤはふと思い出したように、ごく自然な調子で口を開いた。

 

「……まあ、そんな昔話より、これからの話だ。ちょっと聞きたいんだが……」

 

マヤがナミとロビンへと視線を向ける。

 

「海賊船の上で『おでん屋』を開業するとなると、屋台の設備とか大根の仕入れ代って、やっぱり結構かかるもんか?」

 

「……え? おでん屋?」

 

涙を拭っていたナミたちが、一斉にポカンと目を瞬かせた。

 

「おう。CP10の知り合いのヤマトって男が、ワノ国ってところでどうしても『おでん』をやりたいらしいんだわ。経営に口出しする気はねェが、いいおでん屋になれるように、屋台の開業資金くらいはたっぷり用意してやらないとなと思ってよ」

 

大真面目な顔でうんうんと頷くマヤと、その後ろで「えっ……本当に屋台の話だと思ってたんですか!?」と頭を抱えるCP10。

その絶妙に噛み合わない空気に、しらほしの部屋は、先ほどまでの涙が嘘のように温かい笑い声で包まれていった。

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