どぶさらいと天竜人と海賊   作:マイナーチョコ

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第42話:軌跡

 

 

トラファルガー・ローが影の潜入者としてシャボンディの海へ旅立ってから、数日後のことだった。

 

陽光の差し込む宮殿の大広間では、穏やかな午後の時間が流れていた。

香り高い紅茶の湯気が立ち昇る中、ソファに深く身を沈めていたマヤは、ふと思いついたようにカップを置き、隣に座るオレンジ色の髪の少女へと視線を向けた。

 

「そういえば、ナミの故郷を見てみたいな……。昔、魚人に支配されてたのをあいつが救って、そのまんまなんだろ? 海軍とか、今その辺がどうしてるのかも気になるからな」

 

「え? ココヤシ村に、マヤ聖が行くんですか? ……嬉しいけど、大丈夫なの?」

 

ナミが目を丸くして聞き返すと、向かいで本を閉じたロビンが、ふわりと優美な微笑みを浮かべた。

 

「それはとてもいいわね。ついでに、東の海の色々な村々を見て回るのはどうかしら? マヤ聖はこれまで、シャボンディ諸島からあまり出たことがないし、いい気分転換になると思うわ」

 

「そういうことだな。……ナミ、お前の母親は元海軍だったよな?」

 

マヤの静かな問いかけに、ナミの表情がわずかに翳った。

彼女はティーカップを持つ指先にぎゅっと力を込め、自分の膝の上を見つめたまま、ぽつりぽつりと過去の記憶を紡ぎ出した。

 

「……ええ、そうよ。戦場で孤児になった私とノジコを拾ってくれて、自分の娘として一生懸命育ててくれたわ。それなのに、私は……アーロンに村を支配されたせいもあって、海賊専門の泥棒になって……そして最後には、ベルメールさんがあんなに嫌ってた『海賊』になったの……。正直、今でもベルメールさんに合わせる顔がないわ……」

 

広間の空気が、しん、と静まり返る。

ナミの声はかすかに震えていた。

 

「村のみんなをアーロンから解放してもらうために、一億ベリーが必要だったの……。八年間、血が滲むような思いで泥棒をして、やっと一億貯めた時に知ったわ。当時の支部長だったネズミっていう海軍大佐が、アーロンと裏で結託してたってことを……。それをルフィが壊してくれたから、私はあんなに嫌ってた海賊に、そのままついていってしまった。……ノジコみたいに、ベルメールさんのお墓を守るためにココヤシ村にいてもよかったのに。……なんで、あんな選択をしちゃったんだろうね……」

 

後悔と自責の念に、ナミの瞳からポロリと涙がこぼれ落ちた。

 

周囲の女性たちが言葉を失い、沈黙が落ちる中、部屋の隅で控えていたたしぎは、胸の奥が強く締め付けられるのを感じていた。

(ナミさんに、そんな壮絶な事情があったなんて……。私はこれまで、彼女をただの悪質な『泥棒猫』として追いかけていましたが……元を辿れば、私たち海軍の腐敗と落ち度が、一人の少女をそこまで追い詰めていたんですね……)

 

たしぎが唇を噛み締めた、その時だった。

マヤが無言で立ち上がると、ナミの隣へと移動し、その華奢な肩を自分の胸へと力強く抱き寄せた。

 

「マヤ聖……っ」

 

「大丈夫だ、ナミ。……今は違うだろ? 『俺』がついてるんだ。そこをもう勘違いするな?」

 

マヤの大きくて温かい手が、ナミの背中を優しく撫でる。

力強く、絶対に揺るがない赤い瞳がナミを真っ直ぐに見下ろしていた。

 

「子供の頃からたった一人で色々やって、一億ベリーも稼ぎ出すなんてすごいな。それだけ村のみんなを救うために必死だったんだろ? ……なら、なおさら今の村がどうなってるか、胸を張って見に行こうぜ」

 

「……っ、うん……! うんっ……!」

 

ナミはマヤの胸に顔を埋め、子供のように涙を拭いながら何度も頷いた。

 

その温かい光景を見守っていた黒服の男――CP10が、サングラスの位置を直しながら一歩前に出た。

 

「あの、一つ問題があります。マヤ聖が東の海へ行くとなると、その『天竜人』という身分の問題を隠した方がいいかと……」

 

「それはそうだな。天竜人が視察に来たなんて騒ぎになったら、向こうの連中が萎縮して普段の様子が見れねェからな」

 

マヤは顎に手を当て、広間にいるメンバーをぐるりと見渡した。

 

「格好もイーストブルーの裕福な商人みたいな感じでいくか。そして、ナミ、ロビン、たしぎ、コアラ、レイジュ、ビビは……そうだな、俺が囲ってる女たちっていう設定で、豪華な衣装を着せていくか。俺自身は普通の商人の格好でいいな」

 

「あの……マヤ聖、商人で……なるほど。女性陣にはあえて煌びやかな衣装を着せて『高価な商品』っぽく見せるけど、実際には誰にも売らない愛人たち、という感じを装うわけですね」

 

CP10が納得したように頷くと、秘書のレイジュがクスリと艶やかに笑った。

 

「大金持ちの道楽商人のカモフラージュとしては、完璧な変装になると思いますわ。……ほら、女性陣はすでに素敵な衣装を着られるって喜んでますけど」

 

見れば、ナミやコアラたちが「新しいドレス!」と目を輝かせている。

そんな中、たしぎだけが顔を真っ赤にして、慌てたように手を振った。

 

「あ、あのっ、私もそんな豪華な衣装を着ていくんですか!?」

 

「当たり前だろ? 海軍少将の正義のコートなんて着て田舎の村を歩いたら、何事かと大騒ぎになるだろ。お前もそれなりのドレスでいいだろ?」

 

「そ、それは恥ずかしいです……! ……でも、マヤ聖が用意してくださる衣装なら、その……嬉しいです」

 

もじもじと俯くたしぎに、ナミがすっかり涙を引っこめて悪戯っぽく笑った。

 

「いつもの背中が大きく開いたドレスじゃない方がいいかもしれないけど……私は、マヤ聖の刻印がある背中を見せたいわね」

 

ロビンやコアラたちも、我が意を得たりとばかりに頷く。

マヤは呆れたように苦笑いを浮かべた。

 

「ありがたいね、そこまで俺の印を大事にしてくれてさ。でも、今回はお忍び……あ、いや、でも平気か。平和なイーストブルーの住人だし、俺の刻印は天竜人がじっくり見ない限り、ただの綺麗なタトゥーにしか見えねェからな。実際、あのガープのじじいも最初は気づかなかったくらいだしよ」

 

マヤはナミとロビンを指差した。

 

「ただ、ナミとロビンはいつもより少し露出を抑えめにして、村の連中への配慮で上から何か羽織っていく感じで頼む。それでいいな?」

 

「ええ、わかったわ」

「ふふ、楽しみね」

 

二人が嬉しそうに頷く横で、ビビが控えめに手を挙げた。

 

「あの、マヤ聖。私は普通の格好で行きますね。皆様に付き従う侍女のような感じで……あまり目立つと、少し都合が悪いので……」

 

「そうね、ビビは一国の王女様だものね」

 

ナミの言葉に、マヤは「あー」と頭を掻いた。

 

「そうだな。毎日こうして一緒にいて、なんか居るのが当たり前になってたから、お前が王女だってことすっかり忘れてたわ」

 

マヤが何気なく放ったその一言に、ビビの瞳が大きく見開かれた。

トクン、と胸の奥が甘く高鳴り、頬がみるみるうちに朱色に染まっていく。

(一緒に居るのが当たり前って……それって、もう『家族』と同じってことじゃないですか……! すごく嬉しい……なんだか、胸の奥がぽかぽかするわ……)

 

胸を押さえて幸せそうにうつむくビビを見て、ナミ、ロビン、レイジュたちが視線を交わし、「ビビ、だんだん変わってきたわね」「というか、あの子ももう確定してきてない?」とひそひそと微笑ましげに囁き合った。

 

「あ、私も一応は元革命軍で顔が割れてるかもしれないので、どちらかと言ったら顔を隠す感じのヴェールや帽子を被っていきますね!」

 

「おう。その辺の衣装選びは全部、ナミとロビンに任せるよ。イーストブルーの空気に合うように、それぞれ見繕ってやってくれ」

 

二人が力強く頷くのを確認し、マヤはパンッと手を叩いた。

 

「よし、話も決まったな! 早速行くから準備しようか。うちの船でカームベルトを突っ切れば、アラバスタまで四日だが、今回はどこにも寄らないで直行するからすぐ着くだろ」

 

「「「え? 今から行くんですか!?」」」

 

女性陣が一斉に素っ頓狂な声を上げる。

 

「そうだぞ。今は海軍も海賊も動きが落ち着いてて、一番暇な時期だからな。いつまた忙しくなるかわからねェし、思い立ったが吉日だ。さあ、着替えは船の中でしろ! 持っていくもん用意しようぜ」

 

マヤの号令に、女性陣は「きゃー! 急いで準備しなきゃ!」と楽しそうに賑やかな声を上げながら、それぞれの部屋へと駆け出していった。

 

広間に残ったCP10に、マヤは軽く顎をしゃくった。

 

「あ〜、CP10。お前も向こうの出だよな? お前の故郷も行くから、今は離れて準備しておけ。姿はそのままの黒服でいいな、商人の用心棒で通るだろ」

 

「……はっ。感謝します、マヤ聖」

 

CP10も一礼して部屋を出ていく。

誰もいなくなった広間で、マヤは懐から一匹の電伝虫を取り出し、海軍本部へと回線を繋いだ。

 

『プルルル……ガチャ。……マヤ聖か? どうされた?』

 

「センゴクか? これからイーストブルーを少し見に行ってくる。お忍びだ。それによって、現地の海軍支部がどうなってるかも直接自分の目で見てくる。いいな?」

 

『え? き、急ですな……! なるほど、ナミ嬢からココヤシ村の件をお聞きになったのですな……。現在、あの海域は不正を働いた者たちを一掃して正常化しておりますが……承知しました』

 

「それと、元海軍だったナミの母親の階級はなんだった?」

 

受話器の向こうで、センゴクがわずかに居住まいを正す気配がした。

 

『……覚えております。ベルメール少尉でした。正義感が強く、もしそのまま生きて軍に残っていれば、今頃は間違いなく大佐クラスにはなっていた逸材でしたよ。あの若さで軍を辞めさせてしまったのは、当時の我々上層部の落ち度でもありました……。あの頃の東の海の海軍は、今の姿からは信じられんほど腐敗しておりましたからな』

 

「そうか。なら、行くついでに俺の方で『大佐の階級章』を用意するから、それを墓に添えて、大佐へ二階級特進させる栄誉除隊扱いにする。一度除隊した人間でも、その後の功績が認められれば、そういう特例もなきにしもあらずだろ?」

 

『む……! わかりました。ただちに本部の方でもそのように手配し、公式記録のベルメール少尉の記載も『海軍大佐』へと書き換えておきます!』

 

「そうだな。ココヤシ村という一つの支部管轄を、支部長クラスの大佐がたった一人で海賊から守って名誉の戦死を遂げた――これで海軍としても筋は通るだろ? 当時の海軍があそこで汚職してたのも気づかなかったんだ。そして、娘たちのためにその命を散らした、気高い魂を持ってる人じゃないか」

 

『……マヤ聖は、いつも本当に話の持っていき方がお上手ですな……。わしらでは到底かないません。そのように手配いたします。して、護衛としてこちらからも艦隊を派遣いたしますか?』

 

「そこまでするな。ただでさえ俺の船が行くだけで周りを威圧しちまうんだ。今回はでかい商船ってことで通す。現地の海軍には何も知らせず、そのままにしておけ。何も関与させない状態で、現場の連中がどう動くか、汚職がないかも見てくる」

 

『わかりました。マヤ聖の船を動かすのであれば、操舵や機関室には我が海軍の精鋭たちも乗り込んで働いておりますから、何かあれば彼らをお使いください。……本当に頼みますよ? くれぐれも怪我などなさらぬよう』

 

「わかってる。ありがとうな、センゴク。……これで、お前への『貸し一つ』はなしってことでいいな? まあ、あと幾つ貸しがお前にあるか知らんがな」

 

『ハッハッハ、手厳しい……! 貸しなどと言わず、マヤ聖のためであれば、わしはいつでもお手伝いしますよ』

 

「ありがとうよ。ではな」

 

マヤは穏やかに笑って受話器を置くと、仲間たちが待つ港の巨艦へと向かった。

 

海楼石の船底と最新鋭の推進機関を備えた全長150メートルの巨艦は、海王類の巣窟である『無風帯(カームベルト)』をまるで舗装された街道のように軽々と突っ切り、わずか数日で『東の海(イーストブルー)』へと到達した。

 

穏やかな陽光と、のどかな潮風が吹く平和な海。

マヤが最初に立ち寄ったのは、かつて海賊の襲撃を受けたという小さな村――シロップ村だった。

 

村の高台にある大きな洋館。その庭先で、一人の清楚な金髪の少女――カヤが、分厚い医学書を膝に広げて熱心にメモを取っていた。

商人の装いをしたマヤと、煌びやかな衣装に身を包んだナミたちが屋敷を訪れると、執事のメリーは最初こそ警戒したものの、マヤの纏う圧倒的な気品と穏やかな物腰に気圧され、丁重に庭へと案内した。

 

「へえ、お前、こんな静かな村で一人で医療の勉強をしてるのか」

 

「はい。……三年ほど前、この村が恐ろしい海賊に襲われた時、私には何もできませんでしたから」

 

カヤは少しだけ寂しそうに微笑み、それから遠くの水平線を夢見るような瞳で見つめた。

 

「それに……私には、幼い頃からずっと楽しいお話をしてくれて、海賊から命懸けでこの村を守ってくれた大切な友達がいるんです。その人は今、『勇敢なる海の戦士』になるために、グランドラインで立派に戦っています。……だから私も、彼がいつか傷ついて帰ってきた時にどんな怪我でも治せるよう、立派なお医者様になってこの村で待っていたいんです」

 

一点の曇りもなくそう語る少女の言葉に、マヤの後ろに控えていたナミとロビン、そしてCP10が、気まずそうに視線を逸らした。

(ウソップのやつ……こんな健気で純粋なお嬢様に、そんな綺麗な夢を語って海に出たのね……。今のあいつ、勇敢な海の戦士どころか、私たちの逃走資金を盗んで酒池肉林の蛮族になりかけてるなんて、とても今は言えないわ……)

 

ナミが胸を痛める一方、ウソップのことなど「シャボンディで気絶した鼻の長い嘘つき」程度にしか記憶にないマヤは、「ふーん、誰だか知らねェが」と軽く聞き流した。

マヤにとって重要だったのは、目の前の少女が持つ『人を救いたいという純粋な志』だけだった。

 

「おい、カヤと言ったか。誰かを待つのは勝手だが、こんな田舎で一人で本を読んでても、学べる医療には限界があるぞ? どうだ、俺のところへ『医療留学』に来ないか?」

 

「え……? 留学、ですか……?」

 

「ああ。俺の拠点には、世界中から集めた最先端の医学書も、どんな難病でも研究できる最高の医療施設もある。お前が本気で医者になりたいなら、何から何まで俺が支援してやる。そこで腕を磨いてから、その友達とやらを待てばいいだろ?」

 

あまりにも破格の申し出にカヤが戸惑っていると、ナミとロビンが優しく一歩前に出て微笑みかけた。

 

「本当よ、カヤちゃん。この人のところに行けば、世界で一番安全に、どこよりも高いレベルの医学が学べるわ。私たちが保証するから、一緒に行きましょう?」

 

「ナミさん、ロビンさん……。はいっ! 私、もっと勉強して、たくさんの人を救えるお医者様になりたいです!」

 

こうして、まだ見ぬウソップの「英雄譚」を信じている少女カヤを一人目の保護対象として船に乗せ、巨艦は次の目的地――ナミの故郷であるココヤシ村へと針路を取った。

 

みかんの爽やかな香りが風に舞うココヤシ村。

港に150メートルの巨大な白亜の船が姿を現した瞬間、村人たちは「な、なんだあの城みたいな船は!?」と大騒ぎになったが、タラップからナミが駆け下りてくると、騒ぎは一転して歓喜の声へと変わった。

 

「ナミ! 本当にナミなのか!?」

「お帰り、ナミーーっ!!」

 

風車をつけた駐在のゲンゾウや、青い髪の義姉・ノジコが駆け寄ってくる。

豪華なドレスの上に上品なショールを羽織り、以前とは見違えるほど穏やかで幸せそうな顔をしたナミを見て、ノジコは安心したように目を細めた。

 

「あんた、いい顔になったじゃない。……そっちの赤髪の人が、手紙に書いてた人?」

 

「ええ。私の大切な人よ、ノジコ。……ねえ、ノジコも一緒にシャボンディへ来ない? あっちはすごく広くて快適だし、みんなで一緒に暮らしましょうよ!」

 

ナミが手を握って誘うと、ノジコはやれやれと肩をすくめてみかん畑の方を見た。

 

「気持ちは嬉しいけど、私は遠慮しとくわ。誰かがここに残って、ベルメールさんのお墓とみかん畑を守らなきゃいけないからね」

 

すると、後ろで聞いていたマヤが、事も無げに口を挟んだ。

 

「なら、うちの船でカームベルト直通の『定期便』を出そうか? 片道四日くらいでいつでも行き来できるようにしてやるぞ」

 

「なっ……!? ちょ、ちょっとマヤ聖、定期便はやりすぎですってば! カームベルトをなんだと思ってるのよ! いつでも会えるから、私たちがまた遊びに来ればいいだけよ!」

 

ナミに慌てて諫められ、マヤが「あ、そうか?」と頭を掻く。

その規格外すぎる夫婦漫才のようなやり取りを見て、ノジコは吹き出し、それから少し声を落としてナミに尋ねた。

 

「……本当に幸せになったんだね、ナミ。……あのさ、ルフィたちとは、どうなったの?」

 

ナミは一瞬だけ立ち止まったが、もう涙は浮かべなかった。晴れやかな笑顔で首を横に振る。

 

「あ〜、そこにはもうね……いいんだ。私、海賊はやめたの」

 

「……そっか。やっと、ベルメールさんも心の底から安心できるね」

 

ノジコが優しく頷いたところで、マヤが一歩前に進み出た。

これまでの気さくな青年の空気から一変し、背筋を伸ばしたマヤは、ノジコとゲンゾウに向かって礼儀正しく頭を下げた。

 

「ノジコさん、それに村の代表の方々。……そのベルメールさんのお墓に行きたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

しばらく後。

海を見下ろす崖の上――『ベルメールの墓』と刻まれた木の十字架の前に、マヤたち一行と、ノジコ、ゲンゾウをはじめとするココヤシ村の主だった住人たちが集まっていた。

 

心地よい潮風が吹き抜ける中、マヤは十字架の前へと進み出ると、汚れも気にせず地面に真っ直ぐ膝を折り、墓石を正面から見据えて座った。

普段の飄々とした態度はどこにもない。厳粛で、圧倒的な威厳を纏ったその背中に、ナミも村人たちも息を呑んで見守った。

 

「――まずは、ベルメール少尉。貴方の気高い行いに、心からの敬意を表します」

 

マヤの静かで重みのある声が、崖の上に凛と響き渡った。

 

「かつて魚人海賊団の襲撃を受けた際、軍属は離れていたとはいえ、貴方が命を賭してこのココヤシ村を守り抜いた功績は、すなわち『海軍の支部管轄と市民を一人で守り抜いた』ということに他なりません。それは、誰にでもできることじゃない」

 

マヤは懐から、桐の箱に入った金色に輝く特製の徽章――『海軍大佐の階級章』を取り出し、ベルメールの墓前に恭しく添えた。

 

「その誇り高き功績を称え、海軍本部より特例として二階級特進――『海軍大佐』への昇進と栄誉を授与させていただきます」

 

「「「なっ……!?」」」

 

ゲンゾウが目を剥き、ノジコが口元を押さえる。ナミもまた、マヤがいつの間にか海軍本部に掛け合って、亡き母の名誉を最高のかたちで取り戻してくれていたことを知り、驚愕に目を見開いた。

 

だが、マヤの言葉はそこでは終わらなかった。

マヤは姿勢を正したまま、墓石に向かって深く、深く頭を下げた。

 

「そして、ここからが本題です。……お義母様。本日は、貴方の大切な娘さんを貰いにきました」

 

「……えっ……!?」

 

ナミの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。

 

「貴方があの日、戦場で命を救い、愛情を注いで育ててくださらなければ、今の娘さんは生きていなかったでしょう。娘さんはこれまで、本当に色々なことがあり、一人で重すぎる苦労をしてきました。……ですが、これからは私が、絶対にそんな苦労はさせません」

 

マヤは顔を上げ、誠実な赤い瞳で十字架を見つめた。

 

「今すぐ正式な結婚という形をとるのは難しい立場ゆえ、まずは『婚約』という形をとらせてください。……正直に申し上げますと、私には他にもたくさんの、そういう大切な候補の方がいまして。なにとぞ、そこはご理解ください。ですが、私は自分の命に代えても、全員を平等に愛し、幸せにすることをここに誓います」

 

突如として告げられた、重すぎるプロポーズ。

村人たちが困惑と驚愕でざわめく中、ナミの瞳からは、堰を切ったようにボロボロと熱い涙が溢れ出し、止まらなくなっていた。

 

マヤは振り返り、涙に濡れるナミと、その隣で目を丸くしていたロビンを手招きした。

 

「ナミ……そしてロビン。お義母様に、挨拶を頼む」

 

「え……? もしかして……私も、婚約者にしてくれるんですか……?」

 

いつも冷静沈着なロビンが、信じられないというように自分の胸に手を当て、震える声で尋ねた。

マヤは「何を今さら」と言わんばかりに、呆れたように優しく笑った。

 

「当たり前だろ? 何言ってるんだ?」

 

その一言で、ロビンの美しい瞳からも、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。

幼い頃から世界中に「悪魔の子」と忌み嫌われ、死ぬことばかり考えていた自分が、一人の男性から、これほど真っ直ぐに「生涯を共にする伴侶」として求められたのだ。

 

号泣するナミとロビンは、マヤの両脇に並んで墓前へとしゃがみ込み、震える手を合わせた。

 

「ベルメールさん……っ、私、一時の気の迷いで、海賊にいったんなってました。本当に、ごめんなさい……。でもね、今は……心から愛する男性ができました。とっても優しい人です。どんなに高い身分になっても、この人なら絶対に変わらずに隣にいてくれる、そんな素敵な男性です……っ。きっとベルメールさんも、生きてこの人に会ってたら、一目で気に入って惚れてしまうからね! ……ベルメールさん、私を育ててくれて、本当にありがとう……っ!」

 

声を上げて泣きじゃくるナミの隣で、ロビンも涙を拭いながら、凛とした声で墓前に語りかけた。

 

「初めまして、ベルメールさん。私も、婚約者として、ナミと同じ男性を心から愛しています。これからは貴方の大切な娘さんと一緒に、二人でこの方を支えていきますので……どうか、空の上から安らかに見守っていてください」

 

崖の上に、温かい涙と潮風だけが流れていた。

 

後ろで見守っていたCP10は、サングラスの奥から溢れ出る涙を拭おうともせず、ぐっと唇を噛み締めていた。

(……とうとう決めましたね、マヤ聖。あんたって人は、本当にどこまでカッコいいんだよ……)

 

その隣では、レイジュ、コアラ、たしぎの三人が、それぞれの胸の内を熱く揺らしていた。

(さすがね……。たくさんの候補がいるって、お義母様の前で堂々と言い切ったわ。私も未来の婚約者候補に名乗りを……いえ、まだ少し早いかしらね)

(わわ……わ、すごい、さすがマヤ聖です……! ナミさんたち、すごく幸せそう……なんだか、すごくいいですね……!)

(す、すごい光景を目撃してしまっています……! 私もいずれ、あの場所に並んで……って、あれ!? 私、今何を考えてるんですか!?)

 

三者三様に頬を染めながら見守る中、マヤは立ち上がり、ゲンゾウやノジコたち村人へと向き直った。

 

「――皆さん、この通りですので、これからもよろしくお願いします。そして、このココヤシ村へは、二人の婚約の祝い金として心ばかりの金銭をいずれ届けますので、どうかこれからも、お義母様の墓を守ってやってください。よろしくお願いします」

 

マヤが深々と頭を下げた、その瞬間だった。

感情を抑えきれなくなったナミが、「マヤ……っ!」と名前を呼び捨てにしながらその首筋に抱きつき、マヤの唇へと思い切りキスをした。

 

「あっ……! ナミ、先越されたわね!」

 

ロビンが涙の残る瞳を悪戯っぽく細める。

 

「ありがとう、マヤ……本当に、本当に嬉しい……! ごめんねロビン、嬉しすぎて抑えられなくなっちゃった!」

「ふふ、仕方ないわね。……マヤ、私もいいわよね?」

「ああ? あ……ああ……」

 

呆気に取られて頷いたマヤの頬をロビンが両手で優しく包み込み、彼女もまた、深い愛を込めた口づけをマヤの唇へと落とした。

 

「……二人とも、いつもありがとうな」

 

照れくさそうに笑うマヤと、幸せそうに寄り添うナミとロビン。

その光景を見つめていたゲンゾウは、傷だらけの顔をくしゃくしゃに歪ませ、帽子を目深に被り直してボロボロと男泣きし始めた。

 

「うっ、ううっ……! ベルメール……見たか、今の……! あの小さかったナミが、大佐になったお前に報告して、世界一の男に愛されて笑っておるぞ……! もう、あいつが一人で泣きながら泥棒をすることも、海賊として追われることもないんじゃ……! 本当に、本当によかったなぁ、ベルメール……!!」

 

「ええ……そうね、ゲンさん……! ナミ、ロビンさん、そしてマヤさん……! 本当に、おめでとう……っ!!」

 

ノジコも涙をポロポロとこぼしながら笑顔で拍手を送り、村人たち全員が涙と笑顔で拍手を重ねた。

八年間の支配と、その後のすれ違いの苦しみ。そのすべてが温かい光へと溶け変わった祝福の中、マヤたちはココヤシ村を後にした。

 

出航した巨艦の船室では、思いが通じ合ってタガが外れたナミとロビンが、マヤの両脇にピタリと張り付き、デレデレと幸せそうに甘えきっていた。

 

「ふふっ、もう単なる『保護対象』じゃなくて、公式の『婚約者』だものね、ロビン♪」

「ええ、そうねナミ。お義母様にも公認していただいたもの、これからはもっと堂々と甘えさせていただくわ」

「おいお前ら、くっつきすぎだって……暑いだろ……」

 

まんざらでもなさそうに苦笑いするマヤと、べったりイチャイチャする二人。

その様子を微笑ましく見守りながら、たしぎが感心したように口を開いた。

 

「しかし、亡くなられたお母様を『海軍大佐』に昇進させるなんて、本当に粋なことをなさいますね。大佐といえば、一つの支部を預かる指揮官の存在です。村を守り抜いたというマヤ聖の言い分、同じ海兵として胸が熱くなりました」

 

「ああ、あれな。出る前にセンゴクに連絡して承諾は取ってある。あの階級章自体は、俺がこっちで用意させた特別製だがな。俺が置いたもんを、海軍が無下にすることはできねェさ」

 

「さすがてす。すべて、報告済みとはま〜、マヤ聖ですから、センゴク元帥も平気で通してくれますわね」

 

レイジュが呆れつつも感嘆のため息をつき、船旅の空気はさらに和やかに進んでいった。

 

続いて巨艦が錨を下ろしたのは、CP10の故郷でもある東の海の強国――ゴア王国だった。

 

高い城壁によって『高町』と『端町』、そしてゴミ山である『グレイ・ターミナル』が冷酷に隔てられた街並み。

商人の一行を装って街を見て回ったマヤは、鼻をつまむようにして顔をしかめた。

 

「……しかし、酷い国だなここは。シャボンディのドブの底より、人間の中身がよっぽど腐ってやがる」

 

やがて、巨大な商船でやってきた大富豪の商人として、マヤたちは高町のさらに上にある王宮へと案内された。

だが、そこで彼らを待っていたのは、ゴア王国の王族と貴族たちによる浅ましい醜態だった。

 

「ほほう、東の海では見かけぬ見事な女たちではないか! おい商人、貴様のような下賤な身分に、このような極上の女どもは釣り合わぬ。金なら言い値でくれてやる、そのオレンジ髪の女と黒髪の女、それにそこのピンク髪の女もすべてこの王宮に置いていけ! 逆らえば、この国から生きて出られぬと思え!」

 

玉座から傲慢に見下ろし、下卑た笑みを浮かべてナミやレイジュたちを強奪しようとする愚王と貴族たち。

その後ろに控えていたCP10は、サングラスの奥で冷ややかに目を細めた。

(……やっちまったな、こいつら。よりによって、マヤ聖が一番大事にしてる家族に手を出そうとするなんて……とうとう本気で怒らせたぞ)

 

マヤの顔から、すべての表情が消えていた。

彼は王族たちに言い返すことすらしない。ただ無言で懐から黄金の電伝虫を取り出し、王たちの目の前で海軍本部へと即座に繋いだ。

 

『プルルル……ガチャ。はい、センゴクだ』

 

「センゴク。今、ゴア王国の王宮にいる。……この国のトップを今すぐ変えて、国全体を見張る海軍の体制を強化せよ。なんだこの国は、国としてまったくなってないぞ」

 

『なっ……!? マヤ聖、いきなり何を……!?』

 

「すまないが、ここは俺の天竜人としての絶対権限で通せ。その辺の事後処理をお前に任せるのは心苦しいがな。ただトップや貴族を粛清しただけじゃ国内で反発が起きるだろうが、そこに海軍本部が直接見守る体制を作れば別だ。理由は『天竜人の逆鱗に触れた』とでも処理しておけ」

 

『はぁ〜……お忍びの商人で立たれた弊害が出ましたな……。そのゴア王国という国は、昔から天竜人には異常なほど媚びへつらって甘かった国ですのでな。マヤ聖に盾突いたと知れれば、マリージョアの他の天竜人の方々も、その王族への見方が百八十度変わるでしょう……』

 

「そういう感じで処理だ。……そうだな、今、アラマキ少将はすぐ呼べるか?」

 

『ええ、本部直轄の実働部隊として待機させておりますので、すぐに代われますよ』

 

ガチャ、と受話器が持ち替えられ、わずか数秒後――電伝虫の目がカッと見開かれ、鼓膜が破れんばかりの絶叫が王宮に響き渡った。

 

『アラマキです!!! まさか、マヤ聖自らあっしに何かご用命ですかァ!?』

 

「早いだろお前……出るの……。今、ゴア王国の王族と貴族どもが俺に盾突き、俺の大切な所持品を力ずくで奪おうとしてきてな」

 

『なんですってェェェ!!!! なんだそのふざけた王国はァ!! ……あ、今センゴク元帥からのメモを見ました! わかりました、もりもり任せてくださいだァ!!』

 

「お前、俺がまだ話をしてる最中なのに……はぁ〜、まあ理解が早いね。頼むぞ、アラマキ少将。センゴクに代わってくれ」

 

『生マヤ聖の音声、最高ですだァ!! やっほーーーい!! 魚人島でいただいた万年筆、一本は現場で大事に使わせてもらってますぜ! では代わります、一生ついていきますだァァ!!』

 

嵐のような歓喜の叫びが去り、再びセンゴクの疲れたような声が戻ってきた。

 

『……えーと、今すでに軍艦へ飛び乗って、そちらへ出発する準備に入りました』

 

「おう……そうだな……頼むわ」

 

マヤが電伝虫を切ると、後ろにいたナミやレイジュ、たしぎたちは「「(さすがアラマキさん……相変わらず気持ち悪いくらい仕事が早いわね……)」」と一斉に引きつった笑みを浮かべてドン引きした。

 

マヤはゆっくりと顔を上げ、呆然と固まっているゴア王国の国王と貴族たちを、氷のように冷たい赤い瞳で見下ろした。

 

「――ということだ、ゴアの貴族と愚王たちよ。俺は天竜人だ。貴様らは今、天竜人の所持品を奪おうとしたんだ。この場で全員殺されないだけマシと思え?」

 

「「「て、天竜人……ッ!? ひぃぃぃぃっ!!」」」

 

国王たちが顔面蒼白になり、玉座から転げ落ちてガタガタと震え出す。

 

「俺の同族も、温厚な俺がここまで直接手を下すのは珍しいからな。今日からお前たちへの態度がガラリと変わるかもな? お前たちもこれまで、天竜人の権威にぶら下がって甘い汁を散々すすってきたんだ。その報い、甘んじて受けろ。……あとから海軍本部が来る。それではな」

 

マヤはゴミを見るような目すら向けず、くるりと踵を返して王宮を後にした。

 

廊下を歩くマヤの背中に、後ろを歩くCP10が、誰にも聞こえないほどの小声で深く頭を下げた。

 

「……ありがとうございます、マヤ聖……」

(サボ……お前、本当に馬鹿だよ……。ドレスローザであの時、ルフィに流されてナミさんたちを攫うのに加担なんかしてなければ、お前があんなに憎んでたこの国の腐った貴族たちが、一瞬で綺麗に掃除されるこの光景を一緒に見られたかもなのによ……)

 

かつての義兄弟へのほろ苦い思いを胸にしまうCP10。

一方で、シロップ村から同行していたカヤは、先ほどまで自分に優しく留学を勧めてくれたお兄さんが、一国の王を電話一本でクビにする『世界の創造主(天竜人)』だったという衝撃の事実に、「えっ、ええええっ……!?」と目を白黒させてパニックに陥っていた。ナミたちはそんなカヤの肩を叩き、「まあまあ、マヤ聖はいつもこうだからすぐ慣れるわよ」と微笑ましげに宥めるのだった。

 

そして、東の海を巡る旅の最後の目的地。

のどかな風車が回る小さな港町――フーシャ村へと、巨艦は静かに到着した。

 

ナミやロビンたち女性陣は、船のラウンジでカヤを交えて婚約の惚気話に花を咲かせていたため、村へ降り立ったのはマヤと、ここが育ての故郷であるCP10の二人だけだった。

CP10にとって、ここはかつて自分を育ててくれた人々がいる場所であり、マヤに一度会わせたいと願っていた大切な人がいる村でもあった。

 

静かな村の道を歩き、『PARTYS BAR』と書かれた小さな酒場の扉を押し開ける。

カラン、とベルが鳴り、カウンターの奥でグラスを拭いていた緑がかった黒髪の女性――マキノが、柔らかな笑顔で振り返った。

 

「いらっしゃいませ」

 

「はじめまして。えと、何て呼べばいいかな?」

 

「マキノと申します。旅のお方ですか?」

 

マヤはカウンターの席に腰を下ろし、穏やかな笑みを浮かべて店内を見渡した。

 

「そうですね、この辺の村や海域を見て回りたくてですね、寄らせてもらった次第です。お若いのによい店を構えてますね」

 

「ええ、ありがとうございます。色々大変な時もありますが、最近は基本、暇なんですよ……」

 

マキノはどこか遠くを見るように、少しだけ寂しそうに微笑んだ。

マヤの視線が、カウンターの奥にある揺り籠――そこでスヤスヤと眠っている、小さな赤ん坊へと向けられた。

 

「そういえば、お子さんがいるんですか? その傍らにいますよね?」

 

「ええ、私の子供です。とても大事な子なんです。……この子の赤髪は、旦那譲りかもですけどね」

 

愛おしそうに赤ん坊の柔らかい『赤い髪』を撫でるマキノ。

その髪の色を見た瞬間、マヤの赤い瞳が、スッと細められた。

 

(……赤髪、ね。あのクソ野郎、ルフィに海賊の夢だけ吹き込んで放置した挙句、こんな辺境の村の女にまで子供をこさえて、自分は新世界で好き勝手やってやがったのか……)

 

誰の子供なのか、マヤの中ではその瞬間にほぼ確信へと変わっていた。

もしその事実が海軍本部や敵対する海賊たちに知れ渡れば、この無防備な村にいる母子がどれほど過酷で危険な目に遭うか。

マヤは為政者としての冷静な計算と、目の前で孤独にすり減っている女性を救い出すという二つの目的を定めると、ふっと柔らかい表情を作り、甘く人懐っこい声で身を乗り出した。

 

「へぇ〜、俺の子供だったりして? ほら、俺も赤髪なんですよ?」

 

「まあ、何言ってるの? 青年、おばさんをからかわないでちょうだい」

 

マキノがくすくすと笑いながら手を振る。マヤは少しも引かず、真っ直ぐにマキノの瞳を見つめた。

 

「赤髪だから俺の子かな〜って。でも、おばさんっていうほどじゃないですよね? とてもお綺麗ですよ、お姉さん」

 

「貴方、お世辞もうまいのね。ふふ、私ももう少し若ければ、貴方みたいな素敵な人を考えてたかもね。今はもう、この子もいるしね」

 

マキノが少し照れたように頬を染める。

後ろで控えていたCP10は、サングラスの奥で目をひん剥いて固まっていた。

(ま、マヤ聖、半端ない……! 口説くのめちゃくちゃうまいっていうか、マキノさん、あんた何言ってんの!? なんか少し顔赤いし……!)

 

幼い頃から知っている憧れのマキノお姉さんが、出会って数分のマヤにころりとペースを握られている光景に、CP10が内心で動揺する中、マヤはさらに優しい声で言葉を紡いだ。

 

「へぇー、でも、恋愛に年齢なんて関係ないですよね? たとえ父親とかが年離れてたり、再婚とかだったりの場合だってさ。貴方は本当に美しいと思いますよ」

 

「も……もう! 本当にお上手ね。……でも、そうね、貴方の言う通りかもしれない。年齢は関係ないわね……。この子の父親も、私と少し年が離れてるし……それに、なかなか会えないんです……。……あれ……、なんだろう、涙が……」

 

気丈に微笑んでいたマキノの瞳から、ぽろり、と一筋の涙がこぼれ落ちた。

マヤは無言でカウンター越しに少し前のめりになり、自分の指先で、マキノの頬を伝う涙をそっと優しく拭ってあげた。

 

「……とてもつらいですよね、愛する人に会えないのは。失礼を承知で聞きますが、その、あの……亡くなったとかではないんですよね?」

 

「たぶん……生きてくれてると思うわ。もう、だいぶ会えてないけど……」

 

「お姉さんのような素敵な人を一人で泣かせるなんて、本当に罪な男ですね。私なら絶対に泣かせないのに。……出会いがもう少し早ければ、違ったかもしれませんね? なんて言ってみたりして」

 

(あ、あの女性陣に押され気味な初心なマヤ聖って、一対一だとこんな手練れなの!? これ、ナミやロビンには絶対に見せられないな……!)

CP10が冷や汗を流す横で、マキノは涙を拭われながら、遠い目をして呟いた。

 

「……今は、この子がいますからね」

 

「子供がいても、よくないですか? もしかしたらどこかで亡くなってるかもしれない人を、あてもなく待つとかも大事でしょうけど」

 

「でも……ここが、あの人の帰ってくる場所だから……」

 

自分に言い聞かせるように呟くマキノを見つめ、マヤは心の底から愛おしむような、深く温かい声で言った。

 

「偉いんですね、マキノって。……俺には難しいな。俺は、愛する人を絶対に悲しませたくないからさ。『幸せ』って何だろうって考えた時に、もし子供を作るなら、毎日一緒に過ごして、同じ屋根の下で生活して笑い合いたいし、子供の成長だって一番近くで見たいじゃないですか」

 

その言葉は、何年も一人で赤ん坊を抱え、夜中に不安と孤独に押し潰されそうになっていたマキノが、誰よりも言ってほしかった『普通の幸せ』の形だった。

 

ぽろぽろと、マキノの瞳から再び涙が溢れ出した。

 

「……あれ、なんだろ……その、なんか、そういうのを夢見てしまったみたいで……あれ、おかしいな……涙が止まらないわ……なんだか。最近、少し疲れてるようで、あはは」

 

マヤは静かに席を立つと、カウンターの内側へと回り込み、マキノのすぐ傍へと歩み寄った。

 

「泣きたい時は、我慢しないで泣いてください。胸、貸しますよ? ね?」

 

マヤが優しく両腕を広げ、マキノの華奢な身体をそっと抱きしめた。

その瞬間、マキノの中で張り詰めていた孤独の糸がぷつりと切れ、彼女はマヤの胸に顔を埋めて、声を上げて泣き始めた。

 

マヤは赤ん坊を起こさないよう気遣いながら、マキノの背中をトントンと癒やすように優しく叩き続けた。

 

「たった一人で育児、大変ですものね……。誰にも弱音を吐けないで、毎日心がすり減っていきますよね。……そうだ、もしかして、旦那さんはこのイーストブルーにいないとか?」

 

「そうなの……っ、ちょっと遠くの海へ行ってて、連絡もまったくないわね……」

 

「つまり、グランドラインを越えたってことですよね?」

 

ビクン、とマキノの肩がマヤの腕の中で震えた。

 

「ど、どうしてそれを……?」

 

「貴方のような気丈な人が、ここまで泣くほどなんだ。よほどの距離があって会えない、手紙の連絡すら取れないとなれば、答えは一つです」

 

マキノは涙に濡れた瞳を大きく見開き、自分を包む赤髪の青年を見上げた。

 

「マキノ、俺の名前はマヤっていうんだ。マヤって呼んでくれていいぞ」

 

「あの、その、マヤさん……とても推理がお上手なのね……」

 

抱きしめ合ったまま、熱を帯びた吐息が交差する距離で、マヤは真っ直ぐに彼女の瞳を射抜いた。

 

「それは、あなたのことだからですよ、マキノ。……どうだろう? このお店は潰さないでそのまま残しておけばいいので、私と一緒にグランドラインへ出てみませんか? 私の船なら、すぐにでも安全に出られますのでね?」

 

「い、いや、あの……私には、まだ小さいこの子がいるので……」

 

「もちろん、子供も連れて一回行きましょう。ね? 俺が二人とも、絶対に守ってあげますから」

 

有無を言わせぬ圧倒的な包容力と、甘く優しい囁き。

マキノは抗う術もなく、マヤの胸の中でこくりと小さく頷いた。

(すっご……出会って数十分で、速攻お持ち帰りだ……)と、CP10はただただ呆然と心の中で呟くしかなかった。

 

その後、簡単な荷物をまとめてマヤにエスコートされながら港へと出たマキノは、海面にそびえ立つ150メートルの白亜の巨艦を目にして、度肝を抜かれたように立ち尽くした。

 

「えっ……!? あ、あの、マヤさん、これがマヤさんの船、なんですか……!?」

 

「ええ、ちょっとした商船ですよ。さあ、中へどうぞ。俺は少し船員たちに航海の指示を出してきますから、まずはあいつに案内させますね」

 

マヤが甲板の上へと向かうと、CP10がマキノと赤ん坊を豪華な船室――女性陣が集まるラウンジへと案内した。

扉が開くと、そこではナミ、ロビン、ビビ、レイジュ、コアラ、たしぎ、そしてカヤが賑やかにお茶を楽しんでいた。

 

「あら、CP10。そちらの綺麗なお姉さんと赤ちゃんは?」

 

ナミが目を丸くして尋ねると、CP10はサングラスの奥で遠い目をしながら、マキノにも聞こえるように説明した。

 

「フーシャ村の酒場の店主、マキノさんだ。……どうやらマヤ聖には、この親子をこんな辺境に一人で置いておくわけにはいかない、何か深いお考えがあるようだった。それで、強引に口説き落としてお持ち帰りされたというわけだ」

 

「「「えっ、強引に口説き落として!?」」」

 

女性陣が一斉に驚き、マキノは顔を真っ赤にして「あ、あの、そういうわけでは……!」と慌てて手を振った。

だが、ナミとロビンはすぐに顔を見合わせて微笑むと、立ち上がってマキノの元へと歩み寄り、その手と赤ん坊を温かく迎え入れた。

 

「ふふっ、びっくりさせちゃってごめんなさいね、マキノさん! でも安心して。マヤ聖がそうしたってことは、貴方とこの赤ちゃんを本気で守りたいって思った証拠よ」

 

「ええ。私たちもみんな、あの人の優しさに救われてここにいるの。今日から私たちが、貴方の家族よ。……ようこそ、マヤ聖の船へ」

 

「私もさっき、シロップ村から乗せてもらったばかりなんです! 赤ちゃん、とっても可愛いですね、私にもお手伝いさせてください!」

 

カヤやビビ、コアラたちが笑顔で周りを取り囲み、赤ん坊をあやし始める。

見知らぬ巨大な船の上で不安を抱えていたマキノの胸に、陽だまりのような温もりがじんわりと広がり、彼女の目から再び、今度は安堵と喜びの涙がこぼれ落ちた。

 

「あ、ありがとうございます、皆様……! どうか、よろしくお願いいたします……!」

 

東の海に残されていた数々の悲しみと孤独を、すべて温かい箱舟へと乗せて。

白亜の巨艦は静かに汽笛を鳴らし、再びグランドラインへと向けて白い航跡を描き始めた。

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