ワノ国からシャボンディ諸島の宮殿へと帰還してから、数日が過ぎた。
海面から昇るシャボン玉が陽光を反射して煌めく昼下がり、宮殿の大サロンには穏やかな風が吹き抜けていた。
この新しい生活にすっかり馴染みつつあるヤマトは、湯上がりの涼しい着物の裾を揺らしながらサロンへとやって来ると、ソファでくつろいでいたナミとロビンの隣にドスンと腰を下ろした。
先ほど大浴場でみんなと一緒に汗を流していた時からずっと気になっていたことを思い出し、ヤマトは身を乗り出して二人に声をかけた。
「ねぇねぇ、ナミ、ロビン」
海図の整理をしていたナミと、本をめくっていたロビンが同時に顔を上げる。
「どうしたの?」
「どうしたのかしら?」
「さっきお風呂で思ったんだけどさ、二人の背中にあるその模様……ここにいるほとんどの人についてないかな?」
ヤマトが指さしたのは、ナミとロビンの華奢な背中に刻まれている、美しい『S』の文字と『龍』が絡み合う特注の紋章だった。
ナミは自分の肩口を軽く振り返り、誇らしげに微笑んだ。
「ああ、これ? そうね。これは、マヤの証だからね」
「ええ、私たちが望んで、マヤにつけてもらえる特別なものよ」
ロビンが優しく頷くと、ヤマトの顔にぱぁ〜っと太陽のような満面の笑みが広がった。
「そうなのか! みんなそれでマヤのそばにいるんだろ? 僕もそうしたい! なら、僕にもその刻印があっていいじゃないか!」
あまりにも屈託のない大声に、ちょうど書類の束を抱えてサロンの入り口を通りかかった専属秘書のレイジュが、ピタリと足を止めた。
自身も背中に同じ刻印を持ち、マヤの周辺で外交や管理を一手に引き受けているレイジュは、ヤマトの言葉を聞いて歩み寄ってきた。
「あら、ヤマト。今のお話、あなたもその背中の刻印を希望するということかしら?」
レイジュとしては、天竜人の制度に疎いヤマトが、ファッションか仲良しグループの印のような軽いノリで言っているのだろうと考え、確認のつもりで尋ねた。
だが、ヤマトは一秒の迷いもなく「うん!」と力強く頷いた。
「えっ……ちょっと待って。あなた、あの四皇カイドウの娘よね?」
「そうだぞ!」
「『そうだぞ!』じゃないのよ……!」
レイジュは思わず書類を抱えたまま目を見開いた。
彼女はヤマトの向かいの椅子に腰を下ろすと、外交担当としての真剣な眼差しで、刻印が持つ本来の意味を噛み砕いて説明し始めた。
「いいこと、ヤマト。本来、天竜人が下界の人間に刻む『天翔る竜の蹄』というのは、絶対的な支配と所有を示す奴隷の烙印なの。……もちろん、マヤ聖が私たちに授けてくださったこの刻印は、普通の天竜人のものとは全く違う、『S』と『龍』を組み合わせた世界で唯一の特別製よ。これがあれば、世界政府の機関であろうと四皇の海賊であろうと、誰も手出しができないマヤ聖の『完全な保護下』に入ることになるわ」
政治的な重みを含めて言い聞かせたレイジュだったが、話を聞いたヤマトの瞳は、怯むどころかますますキラキラと輝いた。
「特別なのか! ますますいいな!!」
「あああ……人の話を聞いていたのかしら、この娘は……」
レイジュは美しい額に手を当てて、深く頭を抱え込んだ。
そこへ、階下の執務室からマヤがふらりとサロンへと上がってきた。
レイジュから事の次第を聞いたマヤは、目を丸くしながらヤマトの前に立った。
「……そうか、ヤマトが自分で決めたんだな? これの意味はレイジュから聞いたな? 奴隷の証を俺なりに少しアレンジしたものだ。これがあれば、お前は完全に俺の保護下に入る」
「聞いたぞ! つまり、これがあればマヤと一緒にいられるんだろ?」
「いや、別になくてもここにいられるぞ?」
「なら、あってもいいよね?」
裏表のない真っ直ぐな瞳で見上げられ、マヤはぐっと言葉に詰まって頬を掻いた。
「そうか……。いや、俺は構わないんだが、お前の親父のカイドウがな……。そして、トットランドのリンリンの娘たちの手前も、なんていうか……」
隣で頭を抱えていたレイジュが、溜息混じりに補足する。
「そうです。カイドウ総督の娘であるヤマト様に刻印を授けたとなれば、シャーロット・リンリン様の娘さんたちからも同じように望まれてしまいますし、四皇間の外交的に見ても波風が立ちます。……ただ、あちらの三人(プリン、ガレット、アマンド)に関しては、今のところまだ『お友達』という建前で通せますけれど」
するとヤマトは、きょとんとして首を傾げた。
「ん? このお屋敷の外にも、まだ女の子がいるんだ? 凄いな、マヤは! でも、僕にはわかるぞ!」
ヤマトは立ち上がると、マヤの赤い瞳を真っ直ぐに見つめて言った。
「僕もマヤのそばにいたい。でも、マヤにはマヤが今まで築いてきた人間関係がある。それも含めて、全部マヤなんだろ?」
自分の立場や駆け引きなど一切考えず、ただマヤという人間を丸ごと肯定する言葉。
そのあまりの純粋さに、マヤは「敵わねえな」と苦笑し、テーブルの上の電伝虫へと手を伸ばした。
どれほどヤマト本人が望んでいても、友であるカイドウに黙ってその娘の背中に天竜人の刻印を刻むわけにはいかない。まずは親であるカイドウに自分の口からしっかりと筋を通し、納得してもらおうと考えたのだ。
『プルルルル……ガチャ。……おう、どうしたマヤ! 早速俺と戦う準備ができたって挨拶か!?』
繋がった瞬間、鬼ヶ島のカイドウから威勢のいい大声が返ってきた。ある意味では戦いに近い外交案件である。
「いや、それはまだ無理だな。色々外交がこっちもあるんだよ。……今日はヤマトの事だ」
『あ? あのバカ娘、そっちでなにかやらかしやがったのか!? お前に会ってから少しは変わったと思ったのによ!』
「大いに変わったよ、そこは親として誇れ。カイドウの娘すぎだ!」
『え? そうなのか? ……なんだよ、いきなりそんなこと言うのか、お前?』
褒められて少し戸惑うカイドウに、マヤは慎重に言葉を選びながら外堀を埋め始めた。
「なあカイドウ、うちにはたくさんの保護下の女がいるのは、お前も知ってるよな? こないだシャボンディに来た時、お前もうちの女の子からサラダ食わせてもらって『あーん』してたもんな?」
『てめェ、そんな恥ずかしいこと今言うか!? 部下が近くにいるんだぞ、本当頭天竜人すぎだろお前!!』
「いや、その説明をしたほうが話が早いんだよ。つまりな、うちの女性たちはみんな自分の意志で俺の刻印を――」
マヤが「刻印はヤマトを所有するためではなく、本人の意思を尊重した保護の証だ」と丁寧に説明し、父親であるカイドウとじっくり話し合おうとした、まさにその時だった。
隣で聞いていたヤマトが、我慢できずにガバッと電伝虫の受話器へ顔を近づけ、大声で叫んだのだ。
「親父!! 僕も、マヤの刻印を刻むの決めたから!! 決定だ!」
『………………』
電伝虫の向こう側が、水を打ったように静まり返った。
相談でも報告でもない、完全なる「決定事項の通達」によって、マヤが組み立てていた繊細な外交交渉は一瞬で木っ端微塵に吹き飛んだ。
「……そういうことだ、カイドウ……。いきなり全部すっ飛ばされた、こっちの気持ちにもなってくれ……」
マヤが額を押さえて呻くと、数秒の沈黙のあと、カイドウのどこか諦めきったような低い声が返ってきた。
『……そうか……。なんかすまんな、マヤ……。あー、なんだ……あの娘のことは、俺とは分けて考えてくれていい。あとは、お前にまかす』
ガチャン、ツーツー……。
「――切りやがった!!! あの野郎!!」
マヤの絶叫がサロンに響き渡った。
カイドウにしてみれば、娘が「おでんになる」と暴れていた頃よりはずっとマシであり、ヤマト自身がマヤの元で生きる道を選んだのなら、ここで親が口を出してマヤとの友情(と戦う約束)をこじらせたくないと判断して逃げたのだろう。だが、丸投げされたマヤとしてはたまったものではなかった。
それでも、受話器を置いたマヤは大きな溜息をひとつ吐くと、期待に目を輝かせているヤマトの方へと向き直った。
「……わかったよ。お前がそこまで言うなら、刻印を刻むから、背中を出してね」
「やったあ!!」
ヤマトはぱぁーっと顔を輝かせると、その場で着物の襟を緩めて片肌を脱ぎ、雪のように白く引き締まった背中をマヤの前へと晒した。
マヤは特注の刻印を手に取り、自身の『NMER』の共鳴波長と優しい覇気を込めながら、ヤマトの背中の中心へそっと押し当てた。組織の損傷や苦痛を一切伴うことなく、美しい『Sと龍』の紋章がヤマトの白い肌へと鮮やかに浮かび上がる。
着物を直したヤマトは、ナミの手鏡で自分の背中の刻印を確認すると、嬉しそうに振り返って笑った。
「これで、マヤとずっと一緒だな! つまり、マヤの『嫁』ってことだろ?」
「え? いや、そういうんじゃないんだよ……。それはワノ国でカイドウが勝手に言ってたことでさ」
「親父が言ってたなら、それでいいだろ?」
「……その辺はおいおい、詳しく話そうな?」
タジタジになるマヤと、無邪気に笑うヤマトの姿を、ナミやロビン、レイジュ、たしぎたちは温かい眼差しで見守っていた。
その後、サロンでの騒ぎが一段落したところで、マヤは一人でバルコニーの隅へと出て、懐の小型電伝虫から再びカイドウへと連絡を入れた。
「……もしもし、カイドウ。さっきの続きだが、ヤマトは正式に俺の保護下に入ったからな? それに本人は、俺の『嫁』だと言ってるぞ」
『……そうか……。まぁーなんだ、俺たちにとっても一歩前進だろ?』
「お前ふざけんなよ! 親父が娘の話でそんな使い方あるか!? まーでも、ヤマトが自分で選んだ道なら、これでいいのかね」
『ウォロロロロ! やっとお前を言い負かせたぜ!! 嫁がどうこうって話は、またお前がこっちに来た時にでも詰めような? その時こそ、俺と戦えよ?』
「だから、お前は結局俺と戦いたいだけだろうが! なんで娘の嫁入りの話をした直後に殴り合うんだよ、どう考えてもおかしいだろうが! ……ま〜そういうわけだ、今はみんなから隠れて電話してるからここまでな。またかけるわ」
『おう。わざわざ、すまねーな……』
ガチャン、と通信が切れる。
一方、受話器を置いた鬼ヶ島の天守閣では、カイドウが玉座から立ち上がり、巨大な拳を握りしめて満面の笑みを浮かべていた。
「……ヤマト、いいぞ、よくやりやがったな……。これで心置きなくあいつと戦える!!」
あまりにも嬉しそうに哄笑する総督の姿に、周囲に控えていたキング、クイーン、ブラックマリア、うるティたちの顔がわずかに引きつった。
「おい野郎ども! マヤの野郎が、俺の娘婿になるかもしれないぞ! ならば、身内として今まで以上に本気で殺り合えるってもんだな!」
ブラックマリアがキセルを持ったまま、困惑したように尋ねる。
「えと、カイドウ様……それはつまり、ヤマト様があのマヤ聖の刻印をおつけになったということでしょうか?」
「ああ、そうみたいだな! それはヤマトが自分で選んだことだ、あいつの嫁になるんだとよ! あのデタラメな強さの男がだぞ! やりあいてーよな! お前らもそう思うだろうが!!」
娘の人生の転機を、百パーセント「マヤと戦うための口実」として変換して大喜びしているカイドウに、百獣海賊団の幹部一同は返す言葉もなく、ただ盛大にドン引きするしかなかった。
それから数日後。
マヤは宮殿の留守をカヤやマキノたち医療チームと、新しく加わったばかりのヤマトに任せ、ナミ、ロビン、たしぎ、レイジュ、そしてCP10の五人を伴って、新世界の『万国(トットランド)』――ホールケーキアイランドへとやって来ていた。
先日のロビンとの約束通り、ビッグ・マムことシャーロット・リンリンが所有する『ロードポーネグリフ』の写しをもらうためである。
甘いお菓子の香りが漂うホールケーキ城の庭園サロンへと通されると、そこには巨大なテーブルを前にしたリンリンと、その背後に控える最高幹部シャーロット・カタクリ、そして禁煙中の長女格・アマンドたちの姿があった。
だが、サロンへ足を踏み入れたマヤ陣営の面々は、椅子から立ち上がったリンリンの姿を見て、思わずハッと息を呑んだ。
かつてのリンリンといえば、食い煩いの発作と暴飲暴食によって風船のように膨れ上がった、推定十五トンから二十トンはあろうかという圧倒的な巨体だったはずである。
しかし今のリンリンは、マヤから贈られた特製ドレッシングによる毎日のサラダ習慣と、「ご褒美としてのセムラ」という規則正しい生活、そして精神的な安定によって、驚くべき変化を遂げていた。
実は数日前から、城内の家族たちの間でもその変化は密かな話題となっていたのだ。
最初に気づいたのはアマンドだった。『……ママ、最近お肌の吹き出物が消えて、調子がとてもよくありませんか?』と声をかけたところから始まり、やがて誰よりも長く母を見てきたカタクリまでもが、リンリンの顔をしげしげと見つめてこう呟いたのである。
『……母さん、最近少し変わったな。昔の顔に戻ってきたというか……三十代の頃と、あまり変わらなくなってきたんじゃないか?』
身長九メートルという規格外の背丈はそのままに、胴回りや頬の贅肉がすっきりと落ちて八トンから十トンほどの引き締まった長身体型へと変わり、六十八歳という現在の年齢の奥から、かつて海を席巻していた二十八歳から三十代当時の妖艶な美貌がはっきりと蘇り始めていたのだ。
「マママママ! よく来たね、マヤ! それに綺麗な嬢ちゃんたちも、歓迎するよ!」
ハリのある明るい声で笑うリンリンに、マヤは軽く片手を上げて挨拶した。
「よお、リンリン。今回は急にごめんよ、ありがとうな。約束通り、ロードポーネグリフの写しをもらいに来た」
「ああ、お安い御用さね! ……それでマヤ、うちの娘たち(プリン、ガレット、アマンド)との話は、これからどうするんだい?」
開口一番に投げかけられた縁談の催促に、マヤは思わず隣に立つロビンの方へ顔を寄せ、小声で呟いた。
「……なあロビン、石の写しだけもらって、このまま帰れないかな?」
「ふふふ。マヤ、今日は私の歴史学者としての探究心のために来てくれたのよね?」
「そうだよ! お前のために来たんだよ! だから、なんで毎回こうやって外交の話が増えてるんだよ……」
頭を抱えるマヤを見て、ロビンは楽しそうに微笑むと、案内の兵士と共に城の奥にある宝物庫へと向かうことになった。
マヤがリンリンと話をしている間、ナミ、たしぎ、レイジュ、CP10の四人も、ロビンの護衛兼サポートとして一緒に宝物庫への回廊を歩いていく。
「それにしても……リンリン様のお姿には本当に驚きました! 以前お会いした時よりもずっとスリムで、お綺麗になられていて……」
たしぎが眼鏡の位置を直しながら感嘆の声を漏らすと、隣を歩くナミも大きく頷いた。
「ほんとよね。マヤの特製ドレッシングとサラダの効果、恐るべしだわ。私もスタイル維持のために、帰ったら料理長からレシピをもっと詳しく聞いておこうかしら」
「ええ、食生活の改善と精神の安定がいかに美容に直結するか、実に素晴らしい実例ね。……さてロビン、宝物庫の警備の引き継ぎは、秘書として私の方で事前に話を通してあるわ」
レイジュが手元の書類を示し、CP10も周囲に鋭い見聞色を巡らせながら頷く。
「入り口は俺とたしぎで固めておきますから、ロビンさんはゆっくり写しを取ってください」
「ありがとう、みんな。本当に頼もしいわね」
一方、ロビンたちが宝物庫へと向かったあとの庭園サロンでは、マヤとリンリンがテーブルを挟んで紅茶を飲んでいた。リンリンのすぐ後ろには、巨大な三叉槍を持ったカタクリが静かに控えている。
マヤはカップを置くと、昨日ヤマトに刻印をつけた一件をどう切り出すべきか探るため、さりげなくリンリンに尋ねた。
「……なあリンリン、お前、ワノ国の『ヤマト』って知ってるか?」
「ママママ、ヤマトかい? ああ、名前くらいは聞いてるよ、カイドウのとこの『息子』だっけか?」
「あー……やっぱり、そういう認識か……」
リンリンの中では、ヤマトは「カイドウの息子」という表面的な情報で止まっていた。
しかもリンリンは、目の前のサラダをフォークで口に運びながら、実に上機嫌な笑顔で話を続けた。
「それより聞いておくれよ、マヤ。うちのプリンやガレットたちが、お前の屋敷のみんなとずいぶん仲良くやってるみたいでね、三人ともすごく喜んでるよ? おかげで私も毎日こうやってサラダを食べて、ご褒美のセムラを楽しみに続けてるからね」
「それはよかったよ。実際、お前、見た目もかなり変わったな……」
リンリンが娘たちの幸せを純粋に喜んでくれている姿を見ると、マヤとしては「実はカイドウの娘のヤマトにも昨日刻印をつけて、本人が嫁だと言っている」などという複雑な話を、ヤマト本人がいないこの場で切り出すわけにはいかなくなった。
マヤは少し気まずそうに視線を逸らし、宝物庫にいるロビンへ小型電伝虫で呼びかけた。
「……ロビン、写しは取れたか?」
『ええ、順調よ。もう少しだけ待ってね』
「そうか……」
通信を切ったマヤの様子を見て、リンリンが不思議そうに首を傾げた。
「マママママ! なんだいマヤ、今日は妙に歯切れが悪いね? お前らしくもない」
「……いや、ちょっとな」
「ああ、そういやマヤ、ワノ国でカイドウと共闘してオロチを潰したんだって? あの分からず屋のカイドウと仲良くなったのかい?」
「そうだな、仲良くなりすぎたようでな……。なんか、会うたびに俺と『戦え、戦え』言われてな。それでな、外交的にも色々あるだろ?」
それを聞いたリンリンは、納得したように大きく腹を揺らして笑った。
「ママママ! あいつに戦えって言われるのか! そりゃ、前にこの城であんだけの覇気を出して見せたお前だ、カイドウにその力をチラつかせたらそうなるわ! でも、お前はあいつとやる気はないんだろ?」
「そりゃな……。リンリンとも、カイドウとも、白ひげとも、俺にとっては同じ時代を生きてきた大事な友達みたいなもんだからな……。殺し合いなんてやりづらいよ。だいたい俺、ガキの時以外は誰とも本気で戦ったことないんだぞ? リンリンにも前に話したろ?」
マヤが苦笑すると、リンリンは笑いを収め、どこか慈愛のこもった優しい目でマヤを見つめた。
「マママ、そうさね、お前の過去は重いよ。二十年前のあの暗黒期のシャボンディで、たった一人で血のどぶをさらってたガキがお前だったんだろ? そこに気づいたのは最近さね……あんな地獄の中で、よく生きてたね」
「必死だったからな。周りの飢餓が苦しいし、目の前で人が死ぬのも見過ごせなかったし、向かってくる奴は今の小僧とかと比較にならない本物の怪物ばかりだったからな」
淡々と語るマヤに、リンリンはしみじみと頷いた。
「マママ、あの時シャボンディでお前を見つけて、うちの子供として引き取ってればよかったね〜。人生、色々わからないもんさね。……いいよマヤ、お前が今抱えてる悩みも、今日は聞かないでおいてあげるよ。その代わり、うちの娘たちを大事にしてくれよ?」
無理に詮索せず、ただ信頼して任せてくれるリンリンの器の大きさに、マヤの胸がふっと軽くなった。
マヤはリンリンの引き締まった顔を見上げ、心からの自然な笑顔で言った。
「……ありがとうな。しかし、リンリンも本当に変わったな。すごくいい笑顔になったし、昔みたいに美人に磨きがかかったんじゃないか?」
――ピキッ、と。
リンリンの背後で腕を組んでいたカタクリの肩が、激しく震えて硬直した。
(またそういうことを言うから! お前は!! 悪気なくそういう殺し文句を口にするからうちの妹たちが落ちるんだろうが! でも、頼むから母さんまで落として俺たちの『父』にはならないでくれよ!!)
カタクリがマフラーの奥で冷や汗を滝のように流す前では、リンリンが頬をほんのりと染めて嬉しそうに笑っていた。
「マママママ! お前は本当、年寄りに嬉しいことを言ってくれるね! プリンたちは今、別の島の管理に出ているから、戻ったらまたお前のところに向かわすさね」
「そうか、リンリンも広い管轄があるから大変だな。お互い頑張ろうや」
やがて、無事にロードポーネグリフの写しを取り終えたロビンやナミ、たしぎたちが庭園サロンへと戻ってきた。
目的を果たしたマヤたちは、リンリンたちに礼を告げて超高速船へと乗り込み、トットランドの海から穏やかに帰路へとついた。
遠ざかっていく白銀の船影を城のバルコニーから見送りながら、リンリンは紅茶のカップを傾けて呟いた。
「……あいつも、かなり悩んでたね。きっと、お前たちの想像もつかないような深い事情があるんだろうね。まー、うちは娘たちが幸せにうまくいけば、それでいいさね」
「……そうでしたな、母さん。何せ、あのカイドウ相手ですからね……」
リンリンとカタクリが、半分ほど事情を勘違いしたまま深く頷き合っている頃。
帰りの船の甲板では、潮風に吹かれるマヤが一人、手すりにもたれかかって「……さて、ヤマトの刻印のこと、次会った時にどうやってリンリンに説明するかな……」と、終わりの見えない外交課題に頭を抱えていた。