赤い土の大陸の頂、聖地マリージョア。
パンゲア城の奥深くにある「権力の間」は、世界最高権力者である五老星が政務を執り行う、世界の中心とも言える場所である。大理石の床には重厚な絨毯が敷かれ、張り詰めた空気は凡人であれば呼吸すら忘れるほどの威圧感に満ちていた。
その静寂の中を、ゆったりとした足取りで歩く若き天竜人――マヤの姿があった。
円卓を囲むように立つ五人の老人たちは、入室してきたマヤに鋭い視線を向けた。
「よく来たな、マヤ聖。今回の件、見事な手腕であった」
額に痣のある白髭の老人、科学防衛武神ジェイガルシア・サターン聖が、低く響く声で労いの言葉を口にした。
「白ひげとの戦争を未然に防ぎ、さらには七武海の裏切り者マーシャル・D・ティーチを処刑台へ送る手筈を整えるとは。天竜人の特権をあのように使うのは異端だが、結果として数万の兵と世界の均衡が守られた。我々も高く評価している」
他の五老星たちも、彼らなりにマヤの政治的な才覚を「有能な一族の若者」として認めているようだった。
だが、マヤはその賞賛の言葉に興味を示す様子もなく、部屋の最奥へと向かって真っ直ぐに視線を向けていた。
そこには、無数の剣が突き立てられた階段の上に鎮座する、巨大な玉座があった。
「なんだ、あの無駄にデカい椅子」
マヤの平熱な声が、権力の間を静かに響き渡る。
「神なら座っていいのかな」
「不敬な!」
法務武神トップマン・ウォーキュリー聖が、血相を変えて怒鳴りつけた。
「あれは『虚の玉座』! 世界の中心であり、各国の王たちが平等を誓うためのもの! 誰も座らぬことこそが平和の象徴であるぞ!」
「いや、別にただの椅子だし」
マヤは心底不思議そうに首を傾げた。
「座るために作ったんじゃないの? 疲れたなら座ればいいだろ。よくね?」
八百年の長きにわたり、世界の絶対的な不可侵の領域として君臨してきた権威の象徴。それを「ただのデカい椅子」としか認識しないマヤの感性に、五老星たちは怒りを通り越し、戦慄すら覚えた。
「……黙れ、小童。それ以上その口を――」
五老星の一人が剣の柄に手をかけようとした、その時だった。
カツ……、カツ……。
虚の玉座の奥から、静かな足音が響いた。
誰も座らぬはずの玉座への階段を、細身のシルエットがゆっくりと登っていく。
五老星たちは一斉に言葉を失い、武器を置き、その場に深く平伏した。
「……なんだ。座る奴、いるじゃん」
マヤの赤い瞳が、玉座に腰を下ろしたその存在――イムを捉えた。
イムは、平伏する五老星たちを一瞥し、マヤに向かって重々しく口を開いた。
「……マヤよ、お前の功績は望ましいこそ。語ろう。」
性別も年齢も判然としない、どこか底知れない深淵を思わせる声だった。
イムは自らの存在を誇示するように、ゆっくりと語り始めた。かつて、オハラの学者たちが命を懸けて追い求めた「空白の百年」に関する真実。九百年前の巨大な王国、思想の衝突、そして古代兵器によって世界の大陸を海の底へと沈めたという、圧倒的な歴史の闇。
世界を沈めてでも、その危険な思想を封じねばならなかった。
だからこそ、オハラのような犠牲は「世界の平穏のための正義」なのだと。
語り終えたイムの言葉は、歴史の重みと血の匂いを孕み、権力の間を絶対的な沈黙で満たしていた。
だが。
「……なるほどね、しかし、急に話する内容か?」
マヤは腕を組み、フラットな声で感想をこぼした。
「つまり、そういう歴史があったわけだ。世界がどうなったのかも、だいたいわかった。……でも、なんかさ」
「?」
「八百年も世界支配してるから、どれだけ壮大な思想かと思ったけど……意外と、細かいな?」
玉座の間の空気が、文字通り凍りついた。
「もっとデカいこと言うのかと思ったけど。要するに、昔の喧嘩の火種をずっと引きずって、ビクビクしながら島を一個吹き飛ばしたってことだろ? 小物くさくないか?」
「…………」
「…………ッ!!」
イムが沈黙し、平伏していた五老星たちが信じられないものを見るようにマヤを見上げた。
神としての絶対性を、無自覚に「細かい」「小物感がある」と煽られたのだ。
「あ、怒った? まあいいや。歴史の事情はわかった。だが、俺は俺の話をしに来たんだ」
マヤは五老星たちに向き直った。
「俺の預かっているニコ・ロビンの件。不問にして手配書を取り下げろ。あと、ナミとエースの手配書もだ。あいつらは今日から俺の所有物だからな」
「舐めた口を……ッ!!」
環境武神マーカス・マーズ聖の堪忍袋の緒が切れた。
彼の体が異様に膨れ上がり、禍々しい怪物のシルエットへと変貌しようとする。尋常ではない覇気が放たれ、大理石の床がひび割れた。
「またこれ!? お前ら、本当武力好きだな、おい」
マヤは心底呆れたようにため息をついた。
凄まじい速度で襲い掛かってくる五老星の攻撃を、マヤは一歩も引かずに無造作にいなした。そして右拳に、己の『念』と『慈愛』を融合させた黒く禍々しい稲妻――覇王色纏い――を発生させる。
バリバリバリッ!!
「本気でやる気? これ打ち合ったらここ吹っ飛ぶだろ? 俺は別に構わないけど、お前たちにとっては良くないんじゃないの?」
マヤの拳が、飛び込んできた五老星の顔面を正確に捉え、カウンターの『お仕置きパンチ』を叩き込んだ。
ドゴォォォンッ!!
空気が爆発したような轟音と共に、巨体が後方へと弾き飛ばされ、厚い石の壁を派手に粉砕した。
「殴るってことは、自分も殴られる覚悟があるんだよな?」
マヤは拳に纏った稲妻を散らしながら、玉座のイムを真っ直ぐに見据えた。
「あのよ。今回、白ひげとの戦争を回避して丸く収まったのは、俺の功績ってことにしてくれてるんだろ?それを認めてくらたから、話をして、俺を仲間にしようとしたんだろ?」
「……いかにも」
「なら、その恩赦を出せ。エースは今、行方不明ってことになってるんだろ? そこで、黒ひげティーチに殺されたって事にしろ。それで『ロジャーの血筋が〜』っていうお前らの言い分はなくなるだろ?」
その突拍子もない提案に、五老星の一人が目を見開いた。
「今さらエースを処刑台に乗せるか? こんだけお前らの管理のポカが出たのによ。黒ひげは、海軍元帥センゴクの首を狙ってたんだろ? もしあの場で戦争が起きて、元帥の首を『七武海に任命したばかりの奴』に掻っ攫われてたらどうなってたよ? 戦争で海軍は何万人死んだかわからない。インペルダウンの大脱走もある。それこそ、お前ら世界政府の方が『世界を混乱に陥れた絶対悪』になってたところだぞ?」
「…………」
「そういうことだ。恩赦ってことで、全責任を黒ひげに擦りつけておけ。黒ひげにより殺されたデッド扱いでいいよ。海賊エースは死んだ。今は俺の護衛のエースだ。それでいいだろ? ナミとロビンの手配書も消せ。白ひげにはエースから連絡させて、その旨を伝えればお前らの株も上がるだろうよ」
マヤの完璧なシナリオに、五老星たちは一言も反論できなかった。
海軍の威信を守り、白ひげの矛先を黒ひげに向けさせ、政府の失態を帳消しにする。あまりにも冷徹で、合理的な政治判断。
玉座のイムは、しばらくの思考の末、重々しく口を開いた。
「……さすがだな。マヤ聖、そのよく回る思考、我々と敵対させるには惜しい。その案を飲もう。我々とは、仲良くやろうではないか」
「そうだな。仲良くお互いやっていこうな。ただ、お前らの雑な管理で俺の周りが泣くようなら、制裁はお互い様ってことで。次はもっと酷いぞ」
「「結局やるやつじゃないか……ッ!!」」
心の中で五老星全員のツッコミがハモったが、マヤは「言質は取ったからな」と片手を上げて、悠然と権力の間を後にした。
シャボンディ諸島の高級居住区、マヤの屋敷。
リビングで待機していたエースたちに、マヤは事の顛末をあっさりと告げた。
「エース、お前死んだ事になったから。ティーチに殺された事にする。んで、また悪いんだけど、今から親父に電話してそれを伝えろ」
「はあ!? 死んだ!?」
「俺が代わるか? そこまでお守りしなくてもいいだろ」
エースは震える手で電伝虫を取り出し、白ひげへと通信を繋いだ。
『お前が死んだだァ? 生きてるじゃねーか。ぐららら!』
「お、親父……その、俺は死んだ事になってて……黒ひげが……」
「貸せ。お前じゃ要点がまとまってない」
見かねたマヤが、エースから受話器を奪い取った。
「はじめましてだな。俺はエースを所持した天竜人だ。今回、すべての件はティーチに押し付ける。そして、エースはこちらで保護することになった。ティーチはあの場でセンゴクの首を狙っていたようだ。これは海軍への敵対行為、及び白ひげ海賊団から出た離反者を生んだということで、もしセンゴクが討ち取られていれば、お前たち海賊団はすべて解体させられる事態を引き起こそうとしてたってことだよ」
『……それはよ……はぁ〜、あんちゃん、すげーな。読めたよ。わかった』
世界最強の海賊は、マヤの政治的な器の大きさを一瞬で悟り、素直に感服の息を漏らした。
「さすがだ。話が早くて助かる。そのうち、シャボンディ諸島に来たらエースに会わせてやる。ただし、それっきりにしてくれ。息子の新たな旅立ちだと思ってくれ。海賊エースは死んだ。今は護衛のエースってことだよ。……それとな、エース一人の責任じゃないぞ。黒ひげを全員で追いかけてれば防げたことだ。そこも考慮してやれ。……じゃあ、エースに代わるぞ。泣きまくってるから声になってないだろうが、聞いてやってくれ」
マヤは受話器をエースに返した。エースは両手で受話器を握りしめ、ボロボロと涙をこぼした。
「親父……! すまねェ……すまねェ! 俺が……っ!」
『いいってことよ。話はだいたいわかった。もう少し時期を見てそちらに向かう。そこで旅立ちだな、息子よ。……いい男に巡り会えたようだな』
「親父……っ! ありがとう……っ!」
エースの号泣を背中で聞きながら、ナミとロビンはマヤの背中を見つめ、底知れない畏敬の念を抱いていた。
電話が終わり、少し落ち着きを取り戻したリビングで、ロビンが静かに口を開いた。
「……マリージョアで、何かわかったの?」
ロビンの問いに、マヤはソファにどっかりと腰を下ろして言った。
「うん。一番上の奴がな直接はなしをしだしたからそれを、聞いて、だいたい分かった」
「え?」
ロビンの目が、微かに見開かれた。
「リオ・ポーネグリフは?」
「いらないね。直接聞いたから」
「……つまり、あなたが……私たちが追い求めていた歴史の真実を、本人から直接聞いたと?」
「そういうこと。だけど、俺は、元から過去の歴史には興味ない」
マヤはあっさりと告げた。世界中の学者が命を懸け、オハラが滅びる原因となった絶対の真実。それを、この男はただマリージョアに赴き、本人から聞き出すという力技で一瞬にして突破してしまったのだ。
「でも」
呆然とするロビンに、マヤは言葉を継いだ。
「ロビンはまだ、研究したいだろ? じゃあ、頑張ってみて」
「…………」
「俺にはもう必要ないけど、お前が自分の目で確かめたいなら、やる意味はあるだろ。世界政府の非公開資料とか、ポーネグリフの写しとか、必要なら言え。取り寄せてやるから」
ロビンは、マヤの顔をじっと見つめた。彼は、答えを知っているからといって、ロビンの探求心を否定しなかった。彼女の生きる意味である「研究」の価値を、ただそのまま肯定してくれたのだ。
ロビンは微笑んでいた。だが、その瞳の奥には、必死に堪えきれない涙が薄っすらと滲んでいた。
それに気づいたマヤは、ゆっくりと立ち上がり、ロビンの前へと歩み寄った。
一八八センチある長身の彼女を見上げ、マヤは静かに口を開いた。
「泣きたい時には泣けよ。オハラの件はこれで水に流せとは言わない。ただ、過去を調べるのはいいが、そこでオハラは切り離せ」
「…………っ」
「お前は、お前の未来をつかむ場所にいるんだからな。明日を考えていこな?」
マヤは腕を伸ばし、震えるロビンの体を優しく抱擁した。
張り詰めていた糸が、プツリと切れた。
「大丈夫だ。もう大丈夫だぞ、がんばったな」
その言葉が引き金となり、ロビンの瞳から堰を切ったように大粒の涙が溢れ出した。二十年間、世界中の誰からも向けられなかった、絶対的な肯定と温もり。
彼女はマヤの胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
「マヤ聖……っ、ありがとう……っ、ありがとう……っ!!」
嗚咽が、静かなリビングに響き渡る。
ナミは、その泣き声を聞きながらも、あえて振り返ることはせず、ただ優しく微笑みながら海図にペンを走らせていた。
ソファに座るエースは、天竜人という身分でありながら、誰よりも人間の痛みを理解し、傷ついた心を救い上げるその男の背中を、ただ静かに見つめていた。
(でけー男だ……)
エースの胸の内に、深く、静かな感嘆が広がっていく。
数日後。世界経済新聞から放たれた号外が、世界中を震撼させた。
『黒ひげ・ティーチの大罪! 火拳のエースを殺害していたことが発覚!』
『ティーチの一味は海軍最高戦力により拿捕。全員死亡(デッド)扱い。ティーチ本人はさらなる余罪追及のため、極秘の調査へ』
その記事を見た瞬間、アマゾン・リリーの海岸にいたルフィは絶望に染まっていた。ハンコックはそれを、見ていることしかできなかった。そして、ルフィは、自分がインペルダウンで起こした大罪の重さは消えなかった。
シャボンディ諸島に留まっていた最悪の世代のルーキーたちも、新世界で覇を競う四皇たちも、そしてインペルダウンから逃げ出したバギーやクロコダイル、イワンコフらもティーチの凶行と、それを叩き潰した海軍の動きに息を呑んだ。
マヤの屋敷のリビングで、エースはその新聞を読みながら苦笑した。
「なんか、不思議だな。自分が死んでるなんてよ……。しかし、ティーチの奴、すげーことになってるな」
「生きてるんだからいいだろ」
ソファでコーヒーを飲んでいたマヤが、あっさりと返す。
「まー、簡単だよ。今後世界で何か不都合なことがあれば、全部『ティーチの野望だった』ってことにできる駒ができただけだ。海軍元帥の首を狙ってた大罪人なんだ、そうなるってもんさ」
「世界をひっくり返そうとしたのかもしれないわね」
ロビンが、静かに紅茶のカップを置いた。
「その手伝いを……ルフィがしたってことでしょ?」
ナミの表情が曇る。無数の極悪人が海に放たれたという事実は、どうやっても覆らない。
「まー、そうなるな。でもあいつは、海賊特有の横の繋がりでケロッとしてるだろ」
「……反省しなさそうだものね」
ロビンは呆れたように肩をすくめ、そしてマヤに深く頭を下げた。
「マヤ聖。今回の件、本当にありがとう」
「私まで、手配書を取り下げてもらう交渉をしてくれて……ありがとう!」
ナミも、心からの感謝を伝えた。
マヤは面倒くさそうに頭を掻いた。
「俺の所持品に手配書なんてついてたら、それこそ俺が上の連中に潰される理由になるからな。たまたまってやつさ。俺はそれができる立場だったってだけだよ」
あくまで「自分のため」と言い張るマヤの平熱な優しさに、ナミとロビンは顔を赤らめてふっと微笑んだ。
エースは、そんな不器用な主人の横顔を見て、小さくニヤリと笑った。
その数日後。
ニコ・ロビンの手配書は、政府の極秘事項として情状酌量となり、完全に撤回された。
ナミの手配書もまた、海軍内で密かに取り下げられ、街の掲示板から彼女たちの顔写真が静かに消え去っていったのである。