ワノ国を出航した直後、新世界の海を進んでいたサウザンド・サニー号は、海軍大将アラマキの突如たる強襲を受けた。
だが、森の能力で船に乗り込んできたアラマキは、麦わらの一味とまともに戦うことはなかった。カイドウ戦の消耗が残る一味の隙を突き、ただ歴史学者のニコ・ロビン一人だけを蔓で拘束すると、そのまま光の速さで水平線の彼方へと撤退していったのである。
嵐が去ったあとのように静まり返った甲板の上で、ルフィの怒号が響き渡った。
「くそっ、ロビンを取り返しに海軍本部へ行くぞ!! なんであいつら、ロビンだけ攫いやがったんだ! 俺たちには反撃もしてこねェで!!」
「待ってよルフィ! 今朝の新聞を見て……!」
ナミが震える手で、ニュース・クーから受け取ったばかりの朝刊を甲板に広げ、その一面を指さした。
「新しい天竜人の海軍元帥が、世界中に向けて『オハラの虐殺は政府の過ちだった』って公式に頭を下げて謝罪したのよ!? しかもロビンの手配書を白紙に戻して、『海賊ではなく歴史学者として保護する』って書いてある……!」
「それだけじゃねェ……!」
隣から紙面を覗き込んでいたサンジが、くわえていた煙草を深く吸い込み、青ざめた顔で記事の続きを読み上げた。
「アラバスタも、魚人島も、俺たちの故郷の東の海も、トットランドも、そしてついさっきまで俺たちがいたワノ国まで……たった十日間のうちに、俺たちがこれまで通ってきた国が全部、その『マヤ元帥』の直轄保護下に入ったと報道されてるぞ!」
「……どういうことだ?」
マストの根元に立つゾロが、三本の刀の柄に手をかけたまま険しい表情で呟いた。
「俺たちがこのまま海軍本部へ殴り込めば、今度は『政府に謝罪されて学者に戻ったロビンを、海賊が無理やり悪の道へ奪い返しに来た』ってことになるぞ……! 誰がどう見たって、俺たちが悪者だ」
「な、なんだよそれ……じゃあ、俺たちの今までの冒険は……!」
ルフィは拳を強く握りしめたまま、言葉を詰まらせた。
どこへ進めばいいのか分からず、一味の全員が甲板の上で立ち尽くしていた。
その時、誰も舵輪を握っていないにもかかわらず、サニー号の船体がギシリと音を立てて揺れた。
まるで船そのものが自らの意志で逃げるべき場所を呼応するかのように、濃霧の向こうにそびえる巨人の島『エルバフ』へと向かって、静かに舵を動かし始めた。
マヤが世界会議の三日目に介入してから、十二日目の朝。
黒ひげ海賊団の本拠地である『海賊島ハチノス』を目指して新世界の海域を進んでいた海軍本部の大艦隊は、海面を白く凍らせながら一本の氷の道を歩いて近づいてくる一人の長身の男を発見し、艦隊を展開して包囲した。
旗艦の広い甲板へと上がってきたのは、元海軍大将であり、現在は黒ひげ海賊団の十番船船長に身を置いているクザンだった。
迎え撃つマヤの傍らには、サブ元帥のサカズキ、そして英雄ガープが並び立ち、その後方にはセンゴクや速記帳を抱えたたしぎ、さらにSWORDのコビー大佐たちが緊張した面持ちで控えている。
「……お前、海軍からいなくなったと思ったら、こんなところで何やってんの? びっくりなんだけど」
腕を組み、呆れたようにため息をつくマヤの姿に、クザンは気まずそうに頭をポリポリと掻いた。
マヤが五歳の頃からシャボンディの底辺でどぶさらいをして死者を弔ってきた姿を、クザンは昔から一人の聖者の背中として知っていた。
「……面目ねェ。色々あったんだよ、マヤ聖」
「ええ……色々ありましてね、元帥」
隣に立つサカズキまでもが、帽子の庇を下げてどこかバツの悪そうな顔で視線を逸らす。
「色々、ねぇ。お前たちが二年前に『どっちの正義が正しいか』でパンクハザードの島を一つ消し飛ばす勢いで十日間も頭争いの内ゲバをしてた暇があったら、あの時から組織を改革しとけよ。トップの顔が変わっただけで、民の流す血のドブはそのままじゃねぇか」
マヤは一切の遠慮なく言葉を叩きつけた。
「俺はレヴェリー三日目に介入して、たった十日であのイムを黙らせ、世界政府を改革し、七武海を廃止して、女ヶ島もトットランドもワノ国も全部直轄保護してきたぞ。お前らが拗らせてた二年間、いったい何してたんだよ。……で、クザン。お前また戻るなら、そのまま『黒ひげのところにスパイしてました』で通すから、今すぐ海軍に戻ってこい」
「……え?」
予想外の言葉に、クザンがきょとんと目を瞬かせる。
「新しい海軍には、お前の言い分……『だらけきった正義』のような奴が必要なんだよ。もし、俺が明日死んだとしても、その思想をお前が引き継いで、そこからサカズキとまた話し合えばいいだろ?」
クザンは大きく目を見開いた。
「……そこまで、がんぎまってるのかい……マヤ聖」
「当たり前だろ? めちゃくちゃきまってるよ。すべて俺のエゴだけどな。――民なくして人はなし。海賊がいなくても、世界はまわるんだよ」
マヤの迷いのない言葉に、サカズキも、ガープも、そして周囲の将校たちも、全員が圧倒されて天を仰いだ。
マヤはさらに一歩踏み出し、クザンの目を真っ直ぐに見据えた。
「じゃーなにかい? 黒ひげのやってること――インペルダウンの凶悪囚人を仲間にしたり、人攫いをして、世界をひっくり返す、それがお前の正義なんだ? お前の言う『民』はその時どうなるか考えてるのか? それとも、海賊になったから民を考えない奴になったのか? 違うだろ? 正義なんてのはよ、見え方一つで変わるんだよ。海軍か海賊かという所属じゃないんだよ。それぞれ掲げる正義がある。だけどな、それは絶対に『海賊』の枠の中じゃねぇんだよ」
「そりゃ……わかってますが、あの時はもうこうするしかなかった……!」
クザンの低い声が微かに震える。
「正義が違うから海軍を辞めて海賊になった、人殺しの手伝いもする。ならなんでお前、その自分の正義を掲げて、自分で海賊狩りなり何なりにならなかったんだ? もしや、民を殺すとでも脅されてたりするの?」
「…………」
「今からもうハチノスは壊滅させて、四皇をなくす。海賊の時代は終わる。というのも聞いてるだろ? 世界に放送したからな。それが今、お前の目の前にすぐ来ただけだ。さぁ、選択の時間だ。俺と一緒にどぶさらいに行くか、それともここで俺たちに片付けられるか、だ」
甲板の上に、波の音だけが響く沈黙が流れた。
次の瞬間、クザンの目から、大粒の涙がボロボロと溢れ出した。
オハラの悲劇から二十二年間ずっと、誰にも言えず、世界の闇と自分の正義の間で迷子になっていた長身の男が、激しく肩を震わせ、子供のように大声を上げてその場に泣き崩れた。
「……なんで……!! なんで、もっと早く来てくれなかったんですか……!!! そうしたら……そうしたら、俺たちだって……!!!」
「ええええ……泣くのそこ!?」
元大将のあまりの号泣っぷりに、マヤは思わず一歩引いて素っ頓狂な声を上げた。
後ろで控えていたたしぎとコビーが、慌てて小声でツッコミを入れる。
「マヤ元帥? そこは男として黙って受け止めましょう。それ、頭天竜人になってますって……」
「がはははは! クザン、戻ってこい! 今なら間に合う、正義なんてのはこれから色々探していけ! わしなんぞ、孫のルフィと戦う決意をして、息子のドラゴンはもう見限ったからな! がははは!」
ガープの豪快な笑い声が、重苦しかった海域の空気を一気に吹き飛ばした。
マヤは小さく息を吐くと、泣きじゃくるクザンの肩をぽんと叩いた。
「ま、そういうことでよ。……なんだ。遅くなって悪かったよ」
その一言で、クザンはさらに声を上げて大泣きした。
クザンを隊列に加え、海軍本部の大艦隊はついに海賊島ハチノスの沿岸を完全に包囲した。
マヤがレヴェリー三日目からわずか十日間で女ヶ島、トットランド、ワノ国を直轄保護下に置いたことで、本来なら黒ひげが漁夫の利で狙うはずだったハンコックの能力奪取も、コビーの拉致も、トットランドからのプリン拉致も、すべて未然にルートごと潰されていた。
自分の世界征服計画を根底から引っ繰り返された四皇『黒ひげ』マーシャル・D・ティーチは、港の前線で血管を浮き上がらせて激昂していた。
「ふざけんなァァァ!! ついこないだまで海軍元帥は赤犬だっただろうが! なんでたった十日で俺の計画が全部潰されてんだァ!! クザン、てめェまで海軍に戻って裏切りやがってェェ!!」
だが、その怒りはすぐに黒ひげ特有の獰猛な傲慢さへと変わった。
「ゼハハハハ!! いいさ、海軍の主力がお揃いで向こうからやって来やがったんだ!! 新元帥だか天竜人だか知らねェが、この『グラグラ』の力で海ごと沈めて、俺の国を作ってやるわァ!!」
黒ひげが両拳に白い震動の球体を纏わせ、大気を叩き割ろうとしたその瞬間。
旗艦の船首に立つマヤが、冷徹に言い放った。
「向こうがあれでは、降伏勧告はなしだ。サカズキ、イッショウ、最初の一撃だけ相殺しろ」
「おう、任せちょけい!! 『冥狗(めいぐ)』!!」
「へえ、御免!!」
黒ひげが放った島を揺るがす震動波を、サカズキの猛烈なマグマの拳と、イッショウの凄まじい重力障壁が正面から完全に相殺する。
ドゴォォォォンッ!!
海面が割れ、爆発の凄まじい黒煙が立ち込める。
その刹那、二十年間シャボンディの暗黒期で旧時代の怪物たちの間合いを見極め続けてきたマヤの身体が動いた。
六式『剃(ソル)』。爆煙を切り裂き、音もなく黒ひげの懐へと一瞬で滑り込む。
「なっ……!? 速ェ……! だが『闇水(くろうず)』でその悪魔の能力を――」
「残念だったな」
黒い渦を広げようとしたティーチの耳元で、マヤの冷たい声が囁かれた。
「俺は、能力者じゃねェよ」
ドゴォン!!!
黒き雷を纏ったマヤの『覇王色纏い』の拳が、黒ひげの無防備な顎を下から完璧に打ち抜いた。
脳を激しく揺らされ、白目を剥いてスタンする黒ひげ。その太い両手首に、マヤは間髪入れずにガチャン! と特製の『海楼石の錠』をハメ込んだ。
「あ……がっ……!? ち、力が……抜け……! ま、待て、俺は四皇だぞ、話を、取引を――」
「お前がインペルダウンから連れ出したゴミどものせいで、この二年間で何万人の民が死んだと思ってる?」
マヤは腰の『妖刀神鬼』の桜の鍔に親指をかけた。
「地獄で白ひげとエースにでも言い訳しろ。……もしかしたら、あの二人は天国かもだがな。じゃーな」
ザンッ!!!
マヤが抜いた『妖刀神鬼』の蒼い刀身が一閃した。
開戦からわずか数十秒。言葉通り速攻で、四皇・黒ひげの首が宙を舞い、ハチノスの地面へと転がった。
港の戦場全体が、文字通り凍りついた。
「て、てめェらァァァッ!! よくもティーチをォォ!!」
船長を瞬殺された恐怖と怒りで、四番船船長アバロ・ピサロが『シマシマの実』の能力を暴走させ、ハチノスの巨大なドクロ岩と島そのものを変形させて、海軍ごと無差別に押し潰そうと暴れ始める。
「深追いするな。島にいた民間人と捕虜の救出は完了したな? 第一陣は後詰の包囲網まで一旦引け! 島から出てきた幹部どもを海上で釣り上げて潰すぞ!」
マヤの号令で艦隊が整然と距離を取る中、マヤが隣に立つイッショウに視線を送った。
「おいイッショウ、あの動いてるデカい島、お前の重力で一瞬でいいから押さえつけられるか?」
「へえ、お安い御用でやすよ、マヤ元帥。……『重力刀・猛虎(じゅうりょくとう・もうこ)』!!」
ズズズズンッ!!!
イッショウの杖刀から放たれた超重力波がハチノス全体を上から押し潰し、暴れていたピサロの島の動きを完全に停止させる。
その隙に、マヤは六式『月歩(げっぽ)』で空を蹴り、ハチノスの遥か上空、雲の切れ間へと一気に駆け上がった。
「NMERを使うまでもねェな。……落ちてろ、悪政王」
マヤが上空で『妖刀神鬼』の柄から手を離した。
その瞬間、主の手を離れた刀は鬼ヶ島並みの超重量へと膨れ上がり、音速を超えて真っ逆さまに落下。ハチノスのドクロ岩の脳天へと直撃し、島そのものを文字通り真っ二つに叩き割った。
直後、一秒でマヤの手元の鞘へと自動回収される神鬼。マヤはそれを再び抜いて手放し、連続で叩き落とす。上空からの超重量連続爆撃――『月歩おとし』の嵐が、ハチノスの大地とピサロの本体を粉々に粉砕していく。
後詰の艦上でそれを見ていたたしぎが、眼鏡がずり落ちるのも忘れて唖然と口を開けた。
「う、嘘でしょう……!? あの美しい刀を、空から何度も落として島そのものを叩き割っている……!? あれがマヤ元帥の刀……なんてデタラメな威力なの……!」
島を完全に粉砕され、足場を失って海上へと飛び出してきた黒ひげ海賊団の巨漢船長たち。
「野郎どもォ! ティーチが死んだとて、俺たちは『黒ひげ海賊団』だァ!! 蹴散らせェ!!」
一番船船長ジーザス・バージェスが『リキリキの実』の怪力で海水を巻き上げ、軍艦をひっくり返そうと突撃してくる。
「威勢だけは一人前だねェ……『八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)』」
ボルサリーノが空中から無数の光の弾丸をバージェスに浴びせ、蜂の巣にして足止めする。
そこへ、巨大化した七番船船長サンファン・ウルフが海から這い上がってきた。
「お、おっきい海軍、やっつけるどぉ……!」
「……フン、図体ばかりデカい『デカデカ』の木偶の坊が」
サカズキが右腕を巨大なマグマへと変える。
「『大噴火(だいふんか)』!!! ――灰燼に帰せい、海賊ども!!」
凄まじい熱量のマグマの拳がウルフの顔面を直撃し、周囲の海が激しく沸騰する。
その爆炎の隙を突き、二番船船長「雨のシリュウ」が『スケスケの実』で姿を消し、海軍の包囲網の裏をかこうと透明な刃を振るった。
キィィンッ!!
しかし、その一撃はスモーカー中将が構えた海楼石の十手によって完璧に受け止められた。
「……見えねェからって、気配まで消せてると思うなよ、シリュウ」
スモーカーが葉巻の煙を吐き出しながら、不敵に笑う。
「ヒナ、今だ!」
「ヒナ、十手の隙を見逃さない。――『袷羽檻(あわせばおり)』!!」
少将ヒナが両腕を広げると、シリュウの身体を囲むように鉄の檻が伸び、その動きをガチッと完全にロックした。覇気が乗った鉄の錠に、シリュウの刀が弾かれる。
「クソが……海軍の若造どもが……!」
悪態をつくシリュウの背後から、静かに老兵が歩み寄った。
「お前さんたちの悪名も、ここまでだ。……『ウォシュウォシュ』」
大参謀つる中将の能力により、シリュウや、近くにいた八番船船長バスコ・ショット、六番船船長カタリーナ・デボン、五番船船長ラフィットたちが、洗濯物のようにひらひらとロープに干され、悪党の心ごと無力化されていく。
「アァ〜〜〜、おれの手配書がシワシワになっちまうトプ……!」
「うう……あたいの美しい顔が洗濯バサミでェ……!」
「――若者たち、一気に畳み掛けな。海賊に情けは無用だよ」
つるの鋭い号令とともに、周囲を完全に包囲していた中将たちが一斉に海楼石の網を投げ込み、幹部たちを完全に身動きの取れない状態へと追い込んでいく。
「……島が崩壊したか。致し方ありません、残った者だけでも『ワプワプ』で包囲網の外へ――」
瓦礫の陰から、三番船船長ヴァン・オーガーがスナイパー銃を構えながら空間を歪め、脱出を図った。
ヒュンッ!
空間を跳躍したオーガー。しかし、彼がワープしたその着地点の空中に、すでにマヤが先回りして降り立っていた。
「なっ……!? なぜワープの座標が……!?」
オーガーが驚愕に目を見張る。
「二十年間、シャボンディで何百人の人間を怪物どもの攻撃範囲から逃がしてきたと思ってんだ。苦し紛れの『逃げ道』なんてのはな、一番読みやすいんだよ」
ドカァン!!
マヤの覇王色の一撃と同時に、待機していた海兵たちが投げた海楼石の網がオーガーを捕らえ、そのまま海面へと叩き落とした。
「……バカな、黒ひげ海賊団の幹部が、誰一人として、指一本動かせんとは……」
九番船船長ドクQが愛馬ストロンガーと共に引き上げられ、血を吐きながら絶望に震える。
彼らの視線の先には、最初から最後まで腕を組んだまま、戦況を冷徹に見つめるクザンの姿があった。
「クザン……!! てめェ、黙って見てんじゃねェトプ……! 仲間なら助けろォ!!」
バスコ・ショットが叫ぶが、クザンはただ冷ややかに彼らを見下ろし、小さくため息をついた。
「……わりィな。前に酒場で言っただろ、海賊ってのは『利害が一致』してりゃいいのさ。――今の俺の利害は、マヤ元帥の『新しい海軍』にあるんだよ」
上空から舞い降りたマヤは、『妖刀神鬼』をチャリンと鞘に収めながら冷徹に呟いた。
「……黒ひげさえ初手で抑えちまえば、こんなものだな」
その言葉に、大仏の姿から戻ったセンゴクが重々しく頷く。
「それもそうですな。奴らの強さは悪魔の実の能力の組み合わせと、ティーチの存在という精神的支柱に依存していましたから」
「マヤ元帥の迅速なご決断があったからこそでさぁ!」
アラマキが興奮気味に声を張り上げるが、マヤはそれを片手で制した。
「いや、俺がいなくても、マリージョアの防衛や五老星のしがらみを無視して海軍の総力だけで動けば、元々これくらいは出来る戦いだ。俺の手柄じゃない。お前たちの、海軍の純粋な強さだよ」
マヤは海楼石で縛り付けられた幹部たちを見据えた。
「全員、海面から甲板の前にあげろ。そして、ここに並べろ」
岸壁に引き上げられ、一列に並べられた幹部たちの手配書を、マヤは一枚ずつ破り捨てるように目を通していく。
「……どいつもこいつも、人殺しと犯罪者しかいねぇじゃねぇか。え? ――クザン」
マヤの鋭い視線が、一歩後ろに控えていたクザンへと向いた。
「さっきの『利害の一致』だぁ? てめェの掲げた『正義』は、そんな薄っぺらいものだったのかよ……! そんなにサカズキに負けたのが悔しかったのか、おい」
胸を抉るようなマヤの怒声に、クザンはビクリと肩を揺らし、深々と頭を下げた。
「……すいやせん。あの時は、自暴自棄に……。オハラのことも、ずっと頭から離れなくてねェ……」
じっとクザンの横顔を見ていたマヤは、ふっと小さくため息をつき、その大きな肩にそっと手を置いた。
「……ああ、いや、そうだな。すまなかったな、クザン。つい俺が感情的になりすぎた」
「マヤ聖……?」
「お前のような、本当に民を想える男が、こんな最悪のドブに二年間も身を置いていたことが……俺は悲しくてよ。八つ当たりした。すまなかったな」
「……っ……本当に、すいやせん……」
その優しい言葉に、クザンの目から再び熱い涙が溢れ出した。
海楼石で縛られたシリュウやバージェスたちは、その様子を信じられない表情で見つめ、絶句していた。
マヤは冷徹な元帥の目に戻り、クザンに命令を下した。
「――お前が、ここにいる全員を処理しろ。……今日まで黒ひげ海賊団への『極秘潜入・スパイ活動』、本当にご苦労だったな、クザン中将。これは元帥命令だ」
その言葉が響いた瞬間、並べられた幹部たちの間に激震が走った。
「な、何だとォ!? てめェ、クザン……!! 最初から海軍のスパイだったってのかよォ!!」
「クソが!! 俺たちを騙しやがったなァ!!」
浴びせられる罵詈雑言の中、クザンは袖で涙を拭い、静かに凍てつく右腕を掲げた。
「……分かりました。……元帥命令、謹んで」
クザンの手のひらから、絶対零度の冷気が噴き出す。
「『氷河時代(アイス・エイジ)』……!!!」
バリバリバリッ!! と凄まじい凍結音が響き渡り、ハチノスの残党たち、そして黒ひげ海賊団の巨漢船長たちは、命乞いをする暇もなく一瞬で巨大な氷塊へと変えられた。
そして、クザンが右拳を強く握り込むと、その氷塊は彼らの肉体ごと粉々に砕け散って海へと消えた。
「……それでいい。涙はここに置いていけ」
マヤは静かにクザンの横を通り過ぎながら、少しだけ足を止めて囁いた。
「これから世界が変わるぞ、クザン。それとな……ニコ・ロビンは、俺が学者として海軍で保護してある。もう安全だ」
クザンは目を見開き、言葉を失った。親友サウロから託され、自分がずっと影から見守り続けてきた少女が、ついに本当の安息の地を得たのだと知り、クザンの頬を止めどなく涙が伝った。
「マヤ聖……なんと言ったらいいのか……。本当、あんたって人は……」
「あとで会わせてやるから、お前の失った二年間の正義を、今度は学者と海兵として取り戻せ」
歩き出すマヤの背中を見つめながら、アラマキは全身をガタガタと震わせていた。
(うおおおお……!!! やべェ……!! 神だ!! あの御方は本物の神だ……!!!)
イッショウの閉ざされた目からも、静かに涙が伝い落ちる。
センゴクはただ無言でマヤの器の大きさに圧倒され、サカズキもまた、帽子の庇を深く下げて言葉を失っていた。そんな二人の肩を、ガープがポンポンと無言で力強く叩き、大参謀のつるも満足そうに深く頷いた。
「――正義執行は、ここまでにしよう。……次へいくぞ」
マヤが白い元帥マントを翻して旗艦のタラップへと歩き出す。
その瞬間、誰からともなく地鳴りのような号令が響き渡った。
「「「全軍、敬礼ッ!!!!」」」
何万人もの海兵たちが、涙を浮かべながら一斉にマヤの背中へと直立不動の敬礼を捧げた。
その敬意の嵐の中を、マヤは真っ直ぐに軍艦へと戻っていき、その後ろを、資料を抱えたたしぎが誇らしさと憧れに満ちた目でぴったりと追いかけていった。
ハチノスを消滅させた大艦隊は、そのままもう一つの四皇勢力――『クロスギルド』の本拠地であるカラバリ島へと総力戦を仕掛けた。
サーカスのような派手なテントが立ち並ぶ島は、海軍の包囲と突入によって瞬く間に制圧された。
港の反対側では、砂となって逃走を図ろうとした幹部のサー・クロコダイルが、海楼石の弾丸による一斉射撃を浴び、アラマキとイッショウの連携によって地面へと叩き伏せられていた。
「クソッ……! なんだこの海軍の連携は……今までの烏合の衆じゃねェのか……!」
「アラバスタの民を苦しめた罪、そして海兵に懸賞金をかけた罪……今回はインペルダウン送りでは済みやせんよ、クロコダイル」
クロコダイルとダズ・ボーネスがその場で処断される一方、軍艦が停泊する海岸付近では、コビーとたしぎ、そしてガープの連携によって捕縛されたバギーとアルビダの二人が、海楼石の手錠をハメられてマヤの前へと突き出されていた。
「て、てめェら……!!! 全員で寄ってたかって来やがって卑怯だぞチクショー!!! 数の暴力だろォが!!!」
地面に転がされたバギーが、真っ赤な鼻を震わせて絶叫する。
「こんなの聞いてないわよ、何なのよ一体……!?」
隣で同じく拘束されたアルビダが、プライドを打ち砕かれた顔で激昂していた。
冷ややかに二人を見下ろすコビーが一歩前へ出る。
「アルビダ。……かつてお前に船で酷使され、怯えていたあの時のこと、僕は片時も忘れていませんよ」
「卑怯もクソもあるか! これが『正義執行』です!!」
たしぎが愛刀・時雨の柄を握りしめ、バギーに向かって毅然と言い放った。
「貴方たちが結成したクロスギルドのせいで、どれだけの民と海兵に被害が出たと思っているんですか!? 何が特製の『バギー玉』ですか、派手に見せかけているだけで、ただの残虐な爆弾じゃないですか!!」
「ガハハハ! よく言った、たしぎちゃん!」
後方で腕を組むガープが豪快に笑う。
白い海軍マントを羽織ったマヤは、冷徹な視線を二人に落とした。
「ご苦労。……こいつらがクロスギルドのトップか。ここでもイーストブルー出身、つくづくあの海域は異常すぎだろ」
「まったくもって、その通りですな」
隣に立つセンゴクが深く頷いた。
「我々もあの海域だけは平和な『最弱の海』と侮っておりました。海軍の目をそらすために、あえて実力のない者を祭り上げ、強者の海賊に見せかける秩序を作っていたわけですな」
「な、何言ってやがんだァ!!! 俺は強くなんかねェ! 勝手に周りが――」
言いかけたバギーの言葉を、マヤが冷たく遮る。
「力だけが強者じゃないんだよ、赤鼻。肩書き、成り上がり、嘘をつく上手さ、人の扱い方……どれもお前は一流の強者だ。しかし、お前らの爆弾の被害は凄惨だったそうだな? お笑い劇のように仕立てちゃいるが、現実には一般の民に死者が出ているんだぞ?」
「……そ、それは仕方ねェだろ! 海軍に捕まらねェためだ……!」
「おどれ、随分とイーストブルーで略奪強奪を繰り返し、人を無下にしてきたそうじゃのう」
サカズキが地獄の底から響くような声でアルビダを睨みつける。
「そこにいるコビーが、その生き証人じゃ」
サカズキの放つ圧倒的な殺気とマグマの熱気に、アルビダはガタガタと震え始めた。
「そういうことだ。お前らの怨念をここで断ち切る。……少し待ってろ、そろそろ来るだろ」
マヤが極限の見聞色の覇気で、島の奥から近づいてくる一人の男の気配を察知した。
ザッ、と砂を踏む音が響き、黒煙の向こうから鋭い眼光を放つ男が姿を現す。世界最強の剣士、ジュラキュール・ミホークが黒刀『夜』を背に佇んでいた。
「ほう……待っていたか。この島に近づく前から、ずっと心地の悪い覇気を当てていたのは貴様か、海軍元帥」
「流石だな、元七武海よ」
マヤは動じることなく口を開いた。
「まず、謝罪をしよう。七武海制度を一方的に撤回したのはこちらの落ち度だ。……だがお前も、自分に安息の地を与えるための無益な争いはしたくないだろ? お互いにな」
「て、てめェ何調子のいいこと言ってやがんだ!! 俺とミホークの扱いの違いは何なんだよォ!!」
喚き散らすバギーに、マヤは一瞥もくれない。
「メッキが剥がれるとこんなものか。……赤鼻、それに赤髪。つくづく『赤』に繋がりが多いな。お前には分からん政治のやり取りだよ」
ミホークの鷹の目が、微かに見開かれる。
「で、どうする? ミホーク。ここで俺とやり合うのもいいが、これから海賊という存在そのものが世界からいなくなる。その上で、お前は新たに『海賊狩り』として海軍に籍を置くのはどうだ? 安息の地は俺が保証しよう。俺とお前の思想は似ているはずだ。民を無闇にないがしろにしないお前だからこそ、この提案をしている。――ハンコックもこの提案を飲んだ。アマゾン・リリーはすでに海軍の直轄保護下だ」
バギーとアルビダが驚愕に目を丸くする。
ミホークはマヤの腰にある『妖刀神鬼』と、マヤが纏う二十年の修羅の気配を静かに見つめ、やがてふっと息を吐いた。
「……ほう。強者故に、温情を与える心があるか。世界政府も、まだ捨てたものではないということか。争う必要がないなら争わん。……ならば、その話、乗ろうではないか」
「裏切りやがったなァ、ミホーク!!」
「この裏切り者が!!」
狂ったように罵倒する二人に対し、マヤは吐き捨てるように言った。
「あのよ、裏切っちゃいねぇだろ。海賊なんてのは元々そんなもんだろ? 横に繋がって一瞬お仲間気分、利益が無くなればすぐに瓦解する。その点、ミホークは違う。目先の利益で動いちゃいない。ただ『安息』のために動いているだけだ」
(凄い……なんて深く、先を見通したお考えなのかしら……)
傍らで速記していたたしぎは、マヤの底知れない器の大きさに心震わせていた。
「さて。まずバギーは『例の作戦』がある。海楼石でがんじがらめにして船の牢屋に厳重に監禁しろ。――そしてアルビダ。お前はここで処刑だ。ハチノス同様にな」
「ハチノス……!? まさか、お前ら!!」
バギーの顔から血の気が引く。その絶望に、クザンがポケットに手を突っ込んだまま冷淡に追撃した。
「ようやく分かったかい? もう壊滅させてきたところさ。あそこにいた黒ひげたちは全員死んだよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ……!! なんであたいだけここで殺されなきゃいけないんだい!? せめてインペルダウンへ……!」
アルビダが砂の上に這いつくばって狂ったように命乞いをする。
「あらかた大物はもういないんでねェ……。ここはあっけないねェ〜」
ボルサリーノが飄々と、だが冷酷に言い放つ。
「インペルダウン? そんな生ぬるい場所に送るわけないだろ。四皇の幹部を名乗ったんだ、その死をもって罪を償え。お前らは散々、地上の民に悪さを働いてきた。――白ひげ、シャーロット、カイドウたちは、まがりなりにも領土を統治し、そこにある種の秩序を作っていた。行き過ぎた連中ではあったが、お前らはそれすら違う」
マヤの言葉を引き継ぎ、センゴクが鋭く言い放った。
「お前たちは、赤髪によって意図的に作られた、秩序も何もない張り子の四皇なんだよ。海軍にその穴埋めをさせ、疲弊させるためだけのな」
「流石だなセンゴク、よく分かってる。……アルビダを処断したい奴は、そうだな。コビー、お前がやれ。一撃で逝かせても、苦しめてもいい。お前の好きにしろ」
マヤがコビーに引導を渡す。
「だが、このやり方はこれっきりだ。本来の法の正義に反するからな。これは全て、俺のエゴでやっていることだ」
その言葉に、たしぎが思わず呟いた。
「これが……これが本当に『正義』なのですか……?」
マヤは静かにたしぎを見つめ返した。
「正義とはな、見方を変えればただのエゴになるんだよ。それがお互いに衝突し合う。国家間ならそれもいい。だがな――海賊という悪に屈するのは、絶対に正義ではない!」
「コビ……!! あんたを船で育ててやったのは誰だい!? このあたいだろうがァ!!! 恩を忘れて――」
アルビダの断末魔の叫びは、コビーが踏み込んで放った覇気纏いの鋭い一撃によって遮られ、彼女はその場に崩れ落ちて絶命した。
コビーは拳を下ろし、静かにマヤに向かって深く一礼した。
「その命の重み、確かに受け取った。よくやった、コビー」
「元帥の、身に余るお心遣い……感謝いたします」
マヤは白い海軍マントを翻し、軍艦へと歩き出す。たしぎが慌ててその後を追った。
「クロスギルドは壊滅した。あとの遺体や残党の処理は、サカズキ、さっさと片付けろ。すぐ俺たちに追いつけるだろ? ハチノスより人数は多いが……任せたぞ。――残るは、赤髪と麦わらだ」
マヤの後ろ姿を見送りながら、ボルサリーノが首をすくめる。
「おっかないねェ〜……マヤ元帥は……」
「……あの方の正義は、二十年間、民の血の泥に塗れて生きてきたからこそじゃ。お前らの生ぬるい正義とは覚悟の格が違う」
サカズキが腕を組み、重々しく言った。その言葉に、クザンが自嘲気味に微笑む。
「そうだな。まさか、あの時のドブをさらっていた天竜人が、ここまで冷徹な修羅になるとはね。……もっと早く、あの方が元帥になってくれていればねェ。俺のこの足も、失われずに済んだかもしれないな」
「それはそれじゃ。過去の感傷に浸る暇はない。……では、わしは処理をさっさと済ませる」
サカズキはマグマの煙を微かに上げながら、残党狩りへと向かった。
「あっしには、あの方のお顔が見えないのが、残念でなりやせん……」
イッショウが静かに杖を握り直す。
「す、すっげーぞ……!! あの方は本物だ! 俺は一生ついていくぜェ!!!」
アラマキが興奮を隠しきれずに叫ぶ。
その怪物たちを見つめながら、センゴクは遠い海を見つめてポツリと呟いた。
「……あの方は、決して怒らせてはいけなかったんだよ、赤髪。……同じ天竜人の血を引きながら、あの方の背負う泥の重さを、お前は何も分かっていない……」
海楼石の檻に閉じ込めたバギーを船底に積み込み、ミホークを乗せた新海軍の大艦隊は、最後の標的である赤髪海賊団と麦わらの一味が待つ巨人の島『エルバフ』へと向かって新世界の海を突き進んでいた。
航行中の旗艦のブリッジで、マヤの懐の電伝虫が『プルルル……』と着信音を響かせた。
マヤが受話器を取ると、電伝虫が目をハートにしたような表情に変わり、スピーカーから九蛇の女帝ボア・ハンコックの熱を帯びた声が響いた。
『マヤ様……! わらわです、聞こえておりますか? 先触れでおっしゃっていた合流地点の海域に、我が九蛇の船が到着いたしましたわ!』
「おう、ハンコック。時間通りだな、わざわざ悪かったな。お前にはアマゾン・リリーで静かにしててもらってもよかったんだがな」
『何を仰いますか! わらわたち三姉妹を地獄から救い出してくださったマヤ様が、世界の膿を洗い流す最後の戦いに向かわれるのですよ!? わらわの力、マヤ様のためならばどこへなりとも捧げます! ……ふふ、それに、マヤ様のお傍に他の女ばかりがいるのは、わらわ、少し気が気ではありませんので……』
隣で海図を持っていたたしぎが、(な、なんだか電伝虫越しにとんでもない圧を感じるのですが……!?)と冷や汗を流す。
「はは、頼もしいこった。なら、このまま俺の旗艦へ移って乗り込んでくれ。こっちの甲板には元七武海のミホークもいるし、保護したロビンもいる」
やがて前方の海霧が晴れ、二匹の巨大な遊蛇(ユダ)に引かれた九蛇海賊団の船が姿を現し、旗艦の横へとぴたりと並走した。
軽やかに甲板へと飛び移ってきたハンコックがマヤの隣に立ち、腕を組むミホーク、クザン、イッショウ、アラマキ、ボルサリーノ、ガープ、センゴク、そしてロビンとたしぎが一堂に会した旗艦の船首に、エルバフの巨大な樹の影が迫っていた。