新海軍元帥シンキ・マヤ聖が、四皇・麦わらの一味との戦闘により死亡した――。
その緊急通知と、世界の新たな指導者となった王女・シュリ姫による涙の演説は、電伝虫を通じて世界中の隅々にまで駆け巡った。
『――マヤ聖の、真の家名は「マンマイヤー」と「シンキ」家。天竜人の中にありながら、本来マンマイヤーの血はオッドアイしか生まれません。その両目が同じ真紅の色をして生まれた場合……もう一方のシンキ家の本来の名は「カミキ家」です。そして、Dの一族です。その二つの家の血筋から出た、世界の創生より「民を弔い、優しさを願う」心が最も強く出る存在。彼はまさに、マンマイヤーとシンキの血が混ざり合った両目赤目の完成系……マンマイヤー家とカミキ家の末裔なのです!』
その放送が流れた直後、砂の王国アラバスタの宮殿では、王女ビビが「そんな……あの日、シャボンディの泥の中で笑っていたマヤ様が……!」と床に泣き崩れ、国王コブラもまた車椅子の肘掛けを砕かんばかりに握りしめて激しい怒りに震えていた。
そして――海底一万メートルの『魚人島』では、かつてないほどの悲憤と怒りが渦巻いていた。
リュウグウ王国の硬殻塔の中で、人魚姫しらほしは止めどなく溢れる涙を流しながら、胸を掻きむしっていた。
(私の閉ざされた心を、あの方は助けてくださった……。私の目を覚まさせてくれた……。私の思いと、お母様の願いを、誰よりも真っ直ぐに望んでくれた人なのに……!)
古代兵器『ポセイドン』である彼女の激しい悲しみと怒りに呼応するように、深海の底では無数の巨大な海王類たちが赤い目を血走らせて荒れ狂い、今か今かと進撃の命令を待っていた。
一方、エルバフの戦場から置き去りにされるようにして海へと出たサウザンド・サニー号の船内では、重苦しい疑心暗鬼が麦わらの一味を支配していた。
薄暗い船室や甲板の片隅で、仲間たちは互いに視線を合わせることすらできず、それぞれの行く末を考えていた。
船長のルフィは、甲板の樽の上に座り込み、自分の両手を呆然と見つめていた。
憧れだったシャンクスは目の前で右腕を斬り落とされて聖地へと連行され、赤髪海賊団のその後の消息も不明。そして何より、ニカの姿になってケタケタと笑いながらマヤ元帥の胸を貫き、血まみれで殺害した自分自身の姿が、見るも堪えない残虐な映像として世界中の人々の目に焼き付いてしまったのだ。
測量室では、ナミが机に突っ伏して深く嘆いていた。
(あの時……マヤ元帥が倒れながら私だけに向けて動いた唇……『すまんな』って、あれはいったい何だったの……? なんで散り際に、あんなに優しい顔で私を見たのよ……。このままココヤシ村に帰って、私、どうなるのかわからないわ……)
工場部屋では、ウソップが自分の『ゴッド・ウソップ(懸賞金五億ベリー)』と書かれた手配書を震える手でクシャクシャに握りつぶしていた。
シロップ村にいた頃からカヤにホラ話ばかりを吹き込み、海に出てからも嘘とハッタリで自分を大きく見せてきた。だが、「故郷に帰って本気で謝れば、優しいカヤならきっと許してくれるはずだ」と、ウソップはまだ自分自身に都合のいい嘘をついていた。
船首の芝生の上では、ゾロが愛刀を見つめながら動けずにいた。
(世界一の剣豪とは、いったい何だ……? 海賊の船に乗って、民を守る元帥を斬り捨てた先に、俺の目指した頂点があるのか? ……もし、くいなが生きて今の俺を見たら、どう思っただろうか……)
キッチンでは、サンジが火の消えたコンロの前に立ち尽くしていた。
北の海のヴィンスモーク家が新海軍によって解体され、姉のレイジュまでもが安全に保護されたことを知った今、海賊として暴れ回る理由はどこにもなかった。サンジは東の海の海上レストラン『バラティエ』へ戻り、赫足のゼフの元でまた一から料理人としてやり直そうと密かに決意していた。
医務室では、チョッパーが自分の小さな蹄を見つめてポロポロと涙をこぼしていた。
エルバフで、ルフィが白い怪物となって笑いながら人間を殴り殺す残虐な一面を初めて目の当たりにし、医者としてこの船に乗っている意味が根底から揺らいでいた。人の命を救えと教えてくれたDr.ヒルルクとDr.くれはに、申し訳が立たなかった。
操舵室では、フランキーが自分の鋼鉄の腕を見つめて自問していた。
(俺は、何のためにこの船を造ってついてきたんだ……? トムさんの誇りを継ぐためじゃなかったのか? 俺が自分の身体をサイボーグに改造した意味は何だったんだ……人間を捨てた代償が、世界を敵に回すことだったのかよ……)
そして、白骨の音楽家・ブルックは、九十年という長年の知識の底から、緊急放送を行っていたあの美しい王女――『シュリ姫』の顔と声を鮮明に思い出していた。
(あのお声、そして片方だけ赤いオッドアイの瞳……。間違いありません、五十年以上前、私がルンバー海賊団に入る前に護衛団長としてお仕えしていた『エスペリア王国』の王女、当時七歳だったシュリ姫様です……! 天竜人の血ゆえに聖地へ連れ戻されるあの日、イムの精神支配によって父王を殺害させられ、私の額にこの深い傷を負わせた悲劇の姫君……。そして、放送の時に姫様の隣に立っていた、あの謎の男性の温かい気配……。いけません、私は彼女の元へ行かねば……!)
やがて、コーティングを施されたサニー号が、新世界から東の海へと戻るために海底の『魚人島』付近の海域まで潜行してきた、その時だった。
ゴゴゴゴゴゴッ……!!
暗い深海の水流が激しく渦巻き、サニー号の真正面に、身の丈十二メートルを超える巨大な人魚姫――しらほし姫が、何十頭もの超大型海王類を従えて姿を現し、進路を完全に塞いだ。
その氷のように怒りに満ちた表情に気づかず、船首にいたルフィはパッと顔を輝かせて無邪気に手を振った。
「おおっ、しらほし! 久々に会えたな! 俺たちを迎えにきてくれたのか!?」
ただならぬ殺気を放つしらほしに対して、あまりにも無関心で無神経な声をかけたルフィの姿に、後ろにいた一味の面々はついに決定的な絶望を悟った。
「――よくも、私の大事な人を殺しましたね?」
深海を震わせるしらほしの低く冷たい声に、ルフィの笑顔が止まった。
「な、何言ってんだよ!? しらほしと俺は、友達なんだろ?」
「あの人と、私は『お付き合いを前提に』また会う約束をしていたのに!!! それを貴方が奪った! この、泥棒がぁぁっ!!」
しらほしが泣き叫んだ瞬間、背後の海王類たちが一斉に咆哮を上げ、サニー号を丸呑みにせんと巨大な顎を開いて今にも襲いかかりそうになった。
そこへ、 royal船に乗った国王ネプチューンが慌てて割り込んできた。
「待て、しらほしや! お前の怒りはわかる、わしも腹の底から怒っておる! だけど思い出してごらん、お前が好きになったあのお方(マヤ聖)は、ここで復讐することを望むのかい!?」
「ですが……っ、お父様、ですが、もうあの人は帰ってこないのですよ……!? 次に魚人島へ来てくださった時のために、私、色々考えていたのに……っ、会いたいです、あの人に会わせてよぉぉっ!!!」
巨大な手で顔を覆って号泣するしらほしを前に、ルフィは絶句し、麦わらの一味も誰一人として言葉を発することができなかった。
ナミが青ざめた顔で手すりにすがりつく。
「しらほし……あなた、いつの間に、あの元帥と……」
「ナミさん……。私は世界会議(レヴェリー)の時に、マヤ様からそこの麦わらの本性をすべて聞きました。二年前のインペルダウンの脱獄で何万人もの命が奪われた事も、タイミングよく魚人島へ来て私を救ってくれたことも、すべて赤髪たちの筋書き通りだったようですね。あの方は憶測だがと言っていました。……そしてあの方は、オハラのロビンさんのように、貴方達も救おうとしていたのに!」
「……そんな……」
しらほしは涙に濡れた瞳で、船首のルフィを睨みつけた。
「あんなふうに、ケタケタと笑顔で人を殴り殺せるなんて……それが貴方の本性なんですね、麦わらの海賊さん。貴方との約束なんてもう全部忘れましたわ。だから、あの人を返して頂戴? お願い……っ!」
ポロポロとこぼれ落ちる巨大な涙の粒が、サニー号の泡のシールドを濡らす。
ルフィは苦しそうに顔を歪めて弁解しようとした。
「ち、ちがう……あいつとのやりとりで、俺だってシャンクスの事を言われて……どうしていいかわからなかったんだ! だから、ああするしか――」
「まだ見苦しい言い訳をするの、ルフィ!?」
ナミが後ろから鋭い声で遮った。
「世界中の人が見てたのよ!? 貴方が自分で望んで、白い姿になって、心から楽しんであの人を殴り殺したんでしょ!?」
一味の空気が完全に凍りつく中、ステッキを持ったブルックが静かに一歩前へと出た。
「……皆様。私は、ここでこの船を降りますね、はい」
ちょうどその時だった。
深海の潮流を割って、コーティングされた二隻の巨大な海軍本部の軍艦が現れ、サニー号の両脇を挟み込んだ。
片方の軍艦の船首には現元帥代理となったサカズキが立ち、もう一隻の軍艦には秘書のたしぎ大佐が立っていた。
「おどれ、海賊ども、ここで何しとんじゃ? お前らはマヤ元帥の最期の意志により解放されたが、海軍の監視は一生ついとるぞ? また魚人島に悪さしにいくとこだったか?」
サカズキがマグマの煙を上げて睨みつけ、別の船の甲板からたしぎが涙目で叫んだ。
「麦わら元海賊団、いい加減にしなさい!! 私たちのマヤ元帥を、今すぐ返しなさいよ!」
「私だって……っ、私だって、あの人に会いたいのよ! 最後の言葉の意味とか、確かめたいことがたくさんあるのに……こんなのってないわよ……ルフィ、なんでなのよぉっ……!」
ナミがその場に泣き崩れ、ルフィは「……俺だって……」と俯く。
すると、ウソップがたしぎの軍艦に向かって必死に手を伸ばして叫んだ。
「お、おい海軍! カヤに会わせてくれよ! カヤは海軍本部にいるんだろ!? 直接話せば、きっと俺のことをわかってくれるんだ!!」
その叫びを聞いたたしぎは、一瞬何かに気づいたように軍艦の奥の船室へと戻り、中にいる『誰か』と短く言葉を交わした。
その間、サカズキが鼻を鳴らす。
「おどれら、まだなに寝ぼけたことを言っとんのじゃ? まー、よいわ。本部の港で正式な『解散式』でもさせてやってもええぞ?」
そこへ、船室から出てきたたしぎが甲板の縁に立ち、凛とした声で通達した。
「麦わら海賊団、本部からの指示です! サカズキ元帥の船について、このまま海軍本部へ一旦連行します。そこで取り調べと手続きに従えば、遺言通りそのまま解放となります! ……そしてしらほし姫様、私と共に一度魚人島へ戻りましょう。私の船はコーティングしてますので、いつでも海の上と行き来できます。私はあの方の直属の秘書でしたので、姫様と悲しみを共有できますのでね?」
たしぎの優しい言葉に、しらほしは涙を拭って大きく頷いた。
「わかりました……たしぎ様、一緒に戻りましょう……。麦わら、貴方とはもう一生会いたくないです」
「ま、待ってくれしらほし……! あの約束は……いつか地上の本物の森を、一緒に歩くというゆびきり……」
手を伸ばすルフィを、たしぎは氷のように冷ややかな目で見下ろし、バッサリと斬り捨てた。
「なんの約束か知りませんが、見苦しいですよ。――フラれた泥棒さん」
たしぎの軍艦がしらほし姫と共に魚人島へと向かう一方、サニー号はサカズキの軍艦に曳航される形で海面へと浮上し、そのままマリンフォードの海軍本部へと連行された。
軍港へ入港を果たしたサニー号の周りには、ガープ、センゴク、アラマキ、クザン、コビー、そして何千人もの海兵たちが幾重にも取り囲んでいた。
すでに戦う気力を失い、おとなしくタラップから港の石畳へと降りてきた麦わらの一味に向かって、まずガープが重い口を開いた。
「……海賊王気取りのバカ孫よ、どうじゃ? 海賊ごっこは楽しかったか? じいちゃんは昔から口を酸っぱくして言っておったじゃろ? 海賊なんぞに絶対になるなと」
「…………」
ルフィは何も答えられない。隣に立つナミが、虚ろな目で自分の手を見つめて呟いた。
「私は、最初から間違っていたのね……。大切な村を奪った海賊のアーロンをあんなに憎んでいたのに、何故たまたま通りかかって助けられただけの海賊にそのままついていったのか、今ではもうわからないわ……」
その呟きに、氷の義足をついたクザンが静かに歩み寄り、低く柔らかな声で言った。
「嬢ちゃん、その問いはわかるぜ。俺も自分の正義を見失って、海賊の船に身を置いてた時期があったからな。……俺は幸運にも、あの方に救われたからここに戻れたがな」
「神を殺した外道どもを、遺言だからと生かすなんぞ……っ! うおおおお!!! マヤ元帥!!! 嘘だと言って帰ってきてくれェェーーっ!!」
大将アラマキが地面を叩いて天を仰ぎ、その絶叫に呼応するように、周囲を取り囲む海兵たちも一斉に涙を流した。
その中から、コビー大佐が拳を握りしめて一歩前へ進み出た。
「ルフィさん……お前を、僕は絶対に許さない!! かつてアルビダの船から出るきっかけをくれた恩はあるけど、マヤ元帥は殺すほどのことだったのか!? 笑って人を殺すお前のほうが、アルビダたちよりよっぽど酷かったじゃないか! お前に憧れてた自分が、心底バカだったよ!」
コビーの真っ直ぐな弾劾に、ナミの目から再び涙が溢れ出す。
それでもルフィは、震える声で顔を上げた。
「お、俺は間違えてない……! だってあいつ、シャンクスの腕を斬り落としたんだぞ……!」
「――久々ね、ルフィ」
海兵たちの列が割れ、赤茶色の髪の赤ん坊を腕に抱いたフーシャ村のマキノが、冷ややかな表情で姿を現した。
「マキノ……!?」
「あなたが言いたいのは、赤髪の腕を奪ったから、マヤ様の命を奪ったってこと? 凄い言い分ね。いいことルフィ、赤髪は昔あなたを助けた時、近海の主(海王類)を覇気で威圧だけしたはずよ? 殺してないわよね? なのにあなたはどうなの? ……あと、昔うちの店で『海賊払い(宝払い)』でしたっけ? 散々飲み食いしてたわよね? あのツケはいつ返しに来るの? 四皇とやらにまで上り詰めたのに、一向に村へ会いに来ないじゃない」
「マキノ……それは、偉大なる航路からは簡単には戻ることができないんだよ……」
「変ね? 赤髪の人は、新世界から何度もうちの店に行ったり来たりしてるじゃない? 何故貴方達は一度も戻れないの?」
「そ、それは……俺の船を動かす腕じゃないから……」
苦し紛れにルフィが口にした言葉に、隣で泣いていたナミがカッと目を見開いてルフィを睨みつけた。
「ちょっとルフィ、今のは私の航海士の腕が悪いっていうの!?」
「そ、そうじゃない、そういう意味じゃ……なんでこんなことに……。あ、おいマキノ、お前が抱いてるその子供は……」
マキノは腕の中の赤ん坊を優しく抱き直し、ルフィを真っ直ぐに見据えて言い放った。
「あ、この子はね、あの人の――マヤ元帥の子よ? ルフィ、貴方はこの子の『父殺し』をしたのよ」
「え……っ!?」
ルフィが凍りつき、ナミも「嘘よ!! あの人に子供がいたなんて……でも、その子の赤茶色の髪の色が……」と激しい動揺に揺れる。
するとその時、後方にいたブルックが帽子に手を添えて静かに挙手した。
「あ、お話の途中ですが、よろしいでしょうか? 私、聖地におられるシュリ姫様にどうしてもお会いしたいのですが……本日をもってこの船を降りますので」
サカズキがブルックを見て、重々しく頷いた。
「そうか。ならあとで簡単な取り調べをして、そこで相談じゃ。色々とな……マヤ元帥からはお前たちの処遇についても書類が残されてるのでな。お前達全員を海賊の呪縛から救おうとしていた方なのに、本当にバカなやつらじゃ……」
「あ、はい、それで構いません。ありがとうございます」
ブルックが一味から離れて海兵の案内で歩き出すと、今度はウソップがたまらず前に飛び出した。
「おい、カヤはどこだ! カヤに会わせてくれ!! 俺から直接説明するんだ!」
「――なに? 私なら、さっきからここにいたわよ? うそつきさん?」
マキノの後ろから歩み出てきた白いワンピース姿のカヤは、ウソップの目の前に立つなり、その右頬を力いっぱい平手打ちした。
パァンッ!!
「いっ……! な、なんで殴るんだよ……カヤ、今まで帰れなくてすまなかった……!」
「そうね。でも、謝ってもらって済む問題でもないのだけれど?」
カヤはウソップを無視し、港に繋がれている巨大な海賊船――サウザンド・サニー号の船首を見上げて、氷のような声で問いかけた。
「ねえ、あのライオンの船はなんですか?」
誇らしげに前に出たのは、船大工のフランキーだった。
「ん? そりゃーおめー、サニー号だよ……! メリー号の後を継いで、太陽のように明るい百獣の王ライオンでデカくした、スーパーな船に俺が造り直したんだ!」
「そう……私の知ってるメリー号じゃないのね……」
カヤの瞳に、深い悲しみと怒りが宿った。
「あの船の元になったメリー号は、私とメリーが贈った私の船なのに、なんであんな他者を威圧するような感じにしたのですか? メリーは『羊』で、穏やかで優しい船なんです。それを何故、百獣の王のライオンなどに……酷いです」
予想もしなかったカヤの言葉に、フランキーもウソップも、そして麦わらの一味の全員が絶句した。
「貴方達の航海が過酷だったからって、あそこまで攻撃的な姿に変える必要がありますか? 私の贈ったメリー号をボロボロに壊して、全く別な海賊船にしただけじゃないですか! メリーは優しい船なんです! その優しい思いが、昔の貴方達にはあったはずなのに……!」
「そ、それは……そうだが……」
フランキーが言葉を失って後ずさる。カヤはウソップを真っ直ぐに見据えた。
「ウソップ! 貴方は昔から毎日『海賊が来たぞ』って嘘をついていましたね。その嘘で本当に海賊として成り上がって……。昔の貴方の嘘は、海へ出たお父様が帰ってきたと、病気のお母さまを励ますための優しい嘘だったはずなのに、今ではただの『本当のうそつき』になっただけじゃない! もう私に関わらないでください、シロップ村に帰ってももう無駄ですからね!」
「……う、うそだろ……カヤ……」
ウソップがその場に膝から崩れ落ちる。大将アラマキが吐き捨てるように言った。
「神の前で小賢しい嘘は通じないのさ。馬鹿者どもが!」
この日をもって、サウザンド・サニー号は本来の贈与者であるカヤの所有物として正式に差し押さえられ、威圧的なライオンの船首や兵器は解体されて、元の優しい羊の船(メリー号)の形へと戻されることになった。
一方、別室で簡単な取り調べを終えたブルックは、希望通りシュリ姫との面会を許された。
扉を開けると、そこには五十年前の面影を残すオッドアイの美しい王女・シュリ姫と、その背後に立つ『深く帽子を被った謎の男性』が控えていた。
「ああ……シュリ姫様……! 五十年前、エスペリア王国の護衛団長でありながら、マリージョアへ連れ戻される貴女様をお守りできず……!」
「泣かないで、ブルック。あの時、イムの精神支配に操られてお父様を殺し、私の剣の師匠だったあなたの額にその傷をつけた私を、マヤが救ってくれたのよ。……そしてね、ブルック。実は生きていますよ? 彼。でも世界には内緒よ? あなたもかつて仕えた、マンマイヤーの家系なんですからね」
後ろの帽子の男から温かな覇気がてだ。ブルックは「ヨホホホ! 心臓が飛び出るかと思いました、心臓ないんですけどね!」と涙ながらに歓喜し、そのままシュリ姫の護衛として残ることを決めた。
そして、しばらくの間本部で収監され調書を取られた残りの麦わらの一味は、各自一艘ずつの小さな小舟に乗せられ、希望する行き先へと別々に降ろされて完全に解散となった。
だが、それから数カ月間のうちに彼らが直面したのは、世界からの徹底的な拒絶だった。
ルフィはどこの島へ行っても疫病神として扱われ、住民から石や生ゴミを投げつけられた。
「よくも俺たちのマヤ元帥をやりやがったな! にやにや笑いながら人を殴り殺す外道が!」
「そうだ! 街に入ってくるな!」
「め、めしだけでも……」
「その辺の草でもくってろ!」
泥水を浴びせられ、(俺は海賊王になったのに……こ海賊王ってなんなんだ?……)と路地裏でうずくまるルフィの日々
ゾロは荒野で「世界一の剣豪が、なんで海賊のそばだと思ったんだ?」と自問自答を続け、サンジは姉レイジュの居場所を探して彷徨った末にバラティエへ辿り着くも、ゼフから「帰れ……お前は越えちゃいけねーもんを越えたんだよ」と追い返されて深くうなだれた。
チョッパーはワポルなきドラム王国へ帰るも、くれはから「ハッピーかい? でも、そんな風に育てた覚えはないんだけどね……入ることはできないよ、バカものが」と拒絶されて泣きまくり、フランキーとウソップも帰る場所を失って海を彷徨う日々を送っていた。
そして時間は、少し戻りあの時、魚人島にいった。たしぎと、しらほひは、海底の『魚人島』・リュウグウ城の静かな一室。
部屋の中では、しらほし姫がまだ悲しみに暮れており、その前には魚人島を訪れたたしぎ大佐と、歴史学者のロビン、そしてたしぎの後ろに立つ『深く帽子を被った付き人の男』がいた。
「しらほし姫様……ご心労はわかります。あ、こちらの男性は今、私の付き人をしています。少し緘黙なため無言ですがご了承を。そして、学者のロビンさんです」
「久々ね、しらほし姫様」
「そうね……ロビンさん、たしぎ様、わざわざ来てくださってわかったわ。でも、私、どうしてもあの人に会いたいの……本当に……」
しらほしが大きな瞳に涙を浮かべて俯いた、その時だった。
たしぎの横で深く帽子を被っていた付き人の男が、ふっと優しい声を発した。
「そうかい? 会いに来たぞ? しらほし」
「え? ……」
しらほしがハッと顔を上げる。
たしぎが「今まで黙っていて申し訳ないです、しらほし姫」と微笑む横で、男がゆっくりと帽子を取った。そこには、死んだはずのマヤと全く同じ真紅の瞳と赤髪を持つ青年の笑顔があった。
「会いたかったぞ。しばらくぶりだな」
「え? え? マ、マヤ様……!? 生きていらしたのですか!?」
「『マヤ元帥』はエルバフで死んだ。な? だから俺はもう『カミキ』となってる。シンキ・マヤ、本当の名はカミキ・マヤなんだよ」
「どうして……今まで……」
「いやあ、俺も本当に死んだかと思ったよ……傷が深くて、つい最近ようやく目を覚ましてな」
しらほしを傷つけないためにサラッとついたその優しい大嘘を聞いて、隣のたしぎは胸を押さえてうっとりと目を輝かせた。
(凄い……さすがマヤ聖!! 私も大好きです! そんな簡単に、相手を想う優しい嘘をつけるところが!)
「よかった……っ、本当によかったです……! あの、マヤ……いえ、カミキ様、いつか私と一緒に歩いてくれますか?」
涙が止まらないしらほしに、カミキは優しく頷いた。
「歩くどころか、一緒に島を出て地上でお話をしたほうがいいだろ? まー、俺の立場上もう少し時間がかかるけどな。それまでお前には俺が生きていることをわかって欲しかったんだ」
すると、隣で微笑んでいたロビンが、悪戯っぽく頬に手を当てて口を挟んだ。
「ふふ、私はそのあとでまた一緒に遊んでくれればいいわよ?」
「え……? ロビンさんも、マ、あ、違う、カミキさんのことを好きなんですか?」
「もちろんよ。エルバフのあの場所で、世界中の前でキスまでしたわよ? それにね、それ以上ももうしてるわよ? この人、一度死にかけてからあっちの元気が凄いみたいでね」
ロビンのあまりにも赤裸々な爆弾発言に、たしぎが眼鏡を跳ね上げて絶叫した。
「な、なに言ってるんですかロビンさん!? 今ここで言うことじゃ……ないですよ!?」
「あら、たしぎ、だって貴女ももうしてるんでしょ? そりゃー、死んだと思って泣いてた人が目の前で生きてたなんてなったら、夜にそうなるわよ? 恥ずかしがること?」
たしぎの顔が、耳の付け根までかぁ〜っと湯気が出そうなほど真っ赤に染まった。
「な、何言ってるんですか不純です!! そういうのは秘密に……お願いします! あの時は、生きててくださったことに感極まってしまったんです……っ!」
二人のやり取りを聞いていたしらほしは、ぷくっと頬を膨らませて拗ねた声を上げた。
「ぶー。お二人とも何を言うかと思えば……私はこんな大きなサイズですし……。まー、その先は追い追い考えましょう! まずはその、私とも『キス』からでお願いします!」
「おいおい、何ぶっちゃけてんの? 本当ロビン、今の感動の再会が台無しだよ……。え? しらほし、キスって……」
戸惑うカミキの耳元に、まだ顔の赤いたしぎが背伸びをして小声で囁いた。
「(カミキさん、世界会議での『お付き合い』という話を、しらほし様は男女の交際だと勘違いしておられるのです。ここは男らしく応えてあげてくださいよ?)」
「(あ〜、そういうことね……)わかった。じゃーしらほし、今度地上でデートでもしたときね?」
「はい……! その、よろしくお願いします」
言うと同時に、しらほしは両手でカミキの身体をひょいと持ち上げ、自分の巨大な顔めがけて近づけると、そのままぷるぷるの大きな唇をカミキの顔全体へとチュッと押し当てた。
「え?」
「まぁ〜、実質キスなのでは?」
たしぎが目を丸くし、ロビンがクスクスと笑う中、しらほしは顔を真っ赤にして微笑んだ。
「ふふ、私のはじめてです!」
「あ、あああ……凄いね、なんというかね……。ありがとう」
顔中が甘い香りに包まれたカミキの言葉に、部屋中の全員が声を上げて笑い合った。
笑いが落ち着くと、たしぎがふと真剣な表情になって尋ねた。
「それはそうと、カミキさん。麦わらの一味のあのナミさんと、過去に何かご縁があるんですか? エルバフでの散り際もそうでしたし、何かずっと気にかけておられるようで……」
「そうさな……。なんだろうな、しらほしも、ロビンも、たしぎもさ、なんていうか、俺にとってはなんか最初から『特別』なんだよね。会って間もないはずなのにさ……。ナミも、そうなんだ……」
「そうですか……でも、私もその気持ちわかります。貴方に査問会で初めて会ったときには、その、あのですね……あははは」
「あら、私は保護された時にすぐ感じたわ。だから、迷わず貴方についたのよ、愛しい人?」
「私もわかります! なんだか不思議な魂の縁ですね。……あの、もう一度いいですか?」
まだしらほしの手のひらの上で顔の前にいたカミキは、苦笑しながら身を乗り出し、今度は自分からしらほしの大きな唇へと優しくキスを返した。
「ありがとう、しらほし。お前たちのその気持ちと笑顔が、俺は一番嬉しいよ。……いずれ、悪いけどナミのことも迎えに行く。ただ、今はまだ動けないんだ」
「そうですね。今は一味のメンバーも色々収監されて調書とかとってる時期でしょうし、半年ほどはかかりますね」
「ああ。俺はもう表向きの元帥には戻らないからな、世界の表舞台はシュリ姫がなんとかしてくれる。たまに傍に俺も影としてついているしな」
「え? そうなんですか?」
「そうよ、しらほし姫様。この人はもう表舞台には立たないで、裏でまた『政治のどぶさらい』をしてるのよ。それをシュリ姫の後ろで相談して動かしてるの」
「そういうことですか! なら魚人島も全力で協力しますよ! 私もです! ……ふふ、カミキ様、お嫁さんがたくさんですね?」
「あ、まー、なんだ……皆さん、末永くよろしくお願いします」
「はい! こちらこそよろしくお願いします!!」
「ちょっとたしぎ、返事するのが早くない? どんだけ好きなのよ……」
「良い事じゃないですか、こうして生きてくださったんですから。私、本当にうれしいですよ」
それから半年後――。
東の海、ココヤシ村。
すべての取り調べを終えて解放されたナミは、最後の望みを託して故郷の村へと帰ってきたものの、義姉のノジコや村人たちから「私たちの恩人であるマヤ元帥を殺した一味の仲間なんだろう、もう帰ってこないでくれ!」と冷たく拒絶され、雨が上がったばかりの崖の上――養母ベルメールの墓の前で、ひとり地面に突っ伏して泣き崩れていた。
そこへ、背後のみかん畑の小道から、静かな足音が近づいてきた。
「――よ〜」
聞き覚えのある、どこまでも自然体な声。
ナミがハッと息を呑んで顔を上げると、そこには半年前にエルバフで死んだはずの青年――カミキと、その後ろに寄り添うロビンとたしぎの三人が立っていた。
「う、嘘でしょ……? なんで生きて……っ、私、村からも追い出されて、もうどこにも行き場がないの……! でも、あなたに会いたかった、会って話がしたかったのぉっ!!」
ナミは立ち上がるなり、堰を切ったように涙をこぼしながらカミキの胸へと飛びついた。
カミキはナミの華奢な身体をしっかりと受け止めると、言葉よりも先に、彼女の震える唇へと優しく深いキスを重ねた。
ナミは一瞬目を見開いて驚いたが、すぐに力を抜いて瞳を閉じ、その温かいキスを心の底から受け入れた。瞳からは、安堵の涙が止めどなく溢れ出ていた。
その瞬間、崖の上に爽やかな海風が吹き抜け、空を覆っていた分厚い雲の切れ間から、黄金色の太陽の陽射しが墓前へと眩しく差し込んだ。
「ふふ、愛の前に言葉はいらないのよ」
傘を閉じたロビンが優しく微笑み、隣に立つたしぎも幸せそうに頷いた。
「そうですね、ロビンさん。これからは『愛の時代』のはじまりですね!」
「あら、たしぎ、うまいこと言うわね。『大航海時代』、そして『大怨念時代』が終わって、次は『愛の時代』……。いいわね、歴史学者としても、これからはその観点からも世界の歴史を紐解いていきましょう」
ようやく唇を離したナミは、涙で濡れた頬を染めながら、後ろの二人を見て目をパチクリとさせた。
「え……ロビン……今の、見てたの? それに、海軍のたしぎ大佐まで……いったいどういうことなの、マヤ?」
「すまないな、ナミ。俺はもう『マヤ元帥』じゃないんだ。名前を本名に変えて『カミキ』になったんだ。あの時一度死にかけて、なんかうまい具合に助けられてしまってな」
「うん、うん……っ、よかった、生きててくれて、会えてよがっだぁよぉぉ……っ!」
再び子供のように大泣きするナミの背中を、カミキは優しく撫で続けた。
「半年間も待たせたな。色々あってな、こっちも傷の回復とか、世界の整理とかな」
ナミが涙を拭きながらコクコクと頷く横で、ロビンとたしぎが顔を見合わせて小声で囁き合った。
「(本当、この人は優しい嘘をつくのがうまいのよね……世界に向けても、愛する女性に向けても)」
「(そうですね。だって『愛の時代』の到来ですからね!)」
「おい、二人とも聞こえてるぞ? ……でも、いい響きだな、その『愛の時代』ってのはよ」
カミキが笑うと、彼の胸に抱きついていたナミが真っ直ぐに彼を見上げて言った。
「ねえ、カミキ……私と、結婚してね!」
「はやっ! いや、嬉しいけど、まーでも、俺にはもう奥さんがたくさんいるんだよ……」
「気にしないわよ、この新しい時代に奥さんがたくさんいたって! ……あ、そういえば、海軍本部でマキノさんがあなたの子供を産んだって言ってたけど、あれは違うわよね?」
「ま〜な。あの子とマキノを世間から守るための建前ってやつさ。……ま、そのうちしっかりとした俺の本当の子が産まれたらいいね。せっかくの『愛の時代』だしな」
カミキが何気なくそう言った瞬間、ロビンがおかしそうに微笑んで自分のお腹にそっと手を当てた。
「あら? あなた、なに言ってるの? もう宿ってるわよね、たしぎ?」
「……はい……っ」
たしぎが顔を赤く染めながら、同じように自分のお腹を優しく撫でて頷いた。
カミキとナミの二人が、同時に目を丸くして固まった。
「「え?」」
「ふふ、そういうのって、やっぱり男性はすぐにはわからないものなのよね。もう二人生まれるわよ? たしぎのお腹にも、私のここにもね」
思いがけない二つの新しい命の報告に、カミキは驚きから一転、顔をくしゃくしゃにして喜び、ナミも「ええっ!? もう二人とも!?」と目を輝かせた。
「……そうか、俺、本当の父親になるのか……。ナミ、俺たちは今でもみんな同じ場所で一緒に住んでるからな。そこにナミも来いな?」
「え? それはもちろんいいけど……。ふふ、本当に『愛の時代』ね。じゃあカミキ、いずれ私にも、赤ちゃんよろしくね?」
雲ひとつない青空と輝く太陽の下で、いたずらっぽく笑うナミを見て、カミキは世界一優しい笑顔で頷いた。
「いい笑顔だな、ナミ。こちらこそ、これから一緒にみんなで楽しく過ごしていってください。よろしくね」
「「「はいっ!!」」」
ベルメールの墓の前で、太陽の光を浴びた三人の明るく澄み渡った返事が、どこまでも穏やかな東の海の空へと響き渡っていった。