どぶさらいと天竜人と海賊   作:マイナーチョコ

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第64話:新七武海と五老星

 

 

マキノと二歳の坊やの体内から、トラファルガー・ローの『ROOM』によって潜伏していた病原菌が完全に除去された翌朝。

シャボンディ諸島の宮殿には、夜明けの雨上がりのような澄み切った空気が流れていた。

 

聖地マリージョアでの『新・王下七武海』の緊急招集会議を数時間後に控え、本館の大サロンには、出立前のマヤをはじめ、ナミ、ロビン、ヤマト、レイジュ、たしぎ、コアラ、ビビ、ウタ、シュリ姫、イワンコフ、そして護衛のCP10と、昨夜から宮殿に滞在しているローが顔を揃えていた。

そんな中、別棟の医療区画から白衣姿のステューシーとカヤが、一枚の医療カルテを手にサロンへとやって来た。マキノと子供は昨夜の手術の疲れを癒やすため、今はまだ別棟のベッドで静かに休んでいる。

 

「マヤ聖、皆様、おはようございます。実は今日の聖地での会議の前に、ひとつだけナミさんに確認しておきたい記録がありまして」

 

ステューシーが落ち着いた声で切り出すと、隣に立つカヤが手元の問診票をめくりながら、テーブルに座るナミへと視線を向けた。

 

「あの、ナミさん。先日の健康診断の際に書いていただいた『過去の病歴問診票』を見ていて、どうしても気になった記述があったのです。……今から約三年前、偉大なる航路(グランドライン)に入ってすぐの頃、『五日間で死に至る原因不明の高熱』にかかったと書かれていましたよね?」

 

カヤの問いかけに、ナミは紅茶のカップをソーサーに置き、「ああ、あの時のことね」と遠い目をして頷いた。

 

「ええ。あれは麦わらが東の海を出てから二ヶ月目くらい……今からだと二年と十一ヶ月前になるかしら。『リトルガーデン』っていう、一億年前の太古の環境がそのまま残っている未開の島に上陸した時のことだったわ」

 

ナミは当時の恐ろしい記憶を辿るように、自分の二の腕をそっと摩った。

 

「ジャングルの中を歩いた時は、ただ虫に刺されて少しチクッとしただけだったの。でも、島を出て数日後に突然四十度を超える高熱が出て、立ち上がることもできなくなって……。運良くその直後に立ち寄ったドラム王国で、百四十歳の名医・ドクターくれはに診てもらったのよ。原因は、とっくの昔に絶滅したはずの太古の害虫――『ケスチア』という殺人ダニに刺されたことによる『ケスチア病』だったわ」

 

「一億年前の、殺人ダニ……!?」

 

ビビとコアラが息を呑む。ナミは小さく身震いして続けた。

 

「ええ。人に寄生して血液から感染し、激しい高熱と感染症を引き起こして、五日目に心筋や内臓を腐らせて確実に死に至る奇病よ。現代の海ではとっくに絶滅した病気だから、普通の医者じゃ原因すら分からないって言われたわ。たまたまドラム王国に百年以上生きているくれはがいて、彼女が持っていた特別な抗生物質を投与してもらえたから九死に一生を得たけれど……もしあのままあと一日でも航海を続けていたら、私は間違いなく船の上で死んでいたわね」

 

ナミの話を聞いていたローが、医師としての鋭い眼差しで腕を組んだ。

 

「『五日病』とも呼ばれる古代感染症のケスチアか……。医学書でしか見たことがないが、現代の人間がまったく抗体を持たない太古の病原体は、ひとたび体内に入れば致死率が跳ね上がる。ナミ屋が助かったのは、文字通り奇跡に近い偶然だ」

 

すると、専属秘書のレイジュが眼鏡をくいっと押し上げ、冷ややかな声で言葉を継いだ。

 

「しかも、本来の海賊船というのは、そういった感染症が繁殖するための温床そのものですからね。物語や歌の中では海賊の冒険がロマンチックに語られがちですが、現実の海賊船の衛生環境は文字通り地獄です。限られた真水しか積めないため、男たちは何週間も風呂に入らず、汗と垢と汚物にまみれて暮らす。船底にはネズミやノミ、ダニが湧き、新鮮な野菜が不足して壊血病で歯茎から血を流し、傷口からは破傷風や敗血症、そして港で買った女からは昨夜のような梅毒や淋病といった性病が蔓延する……それが『海賊』という生き物の本来の姿ですわ」

 

「うわぁ……そう言われると、この前のエレジアでルフィに会った時、近くにいるだけで鼻が曲がりそうなくらい臭かったのも納得だわ……」

 

ウタが顔をしかめて鼻をつまみ、ヤマトも「確かに、マヤのこのお屋敷や高速船みたいに毎日綺麗なお風呂に入れる船なんて、海賊にはまずないからな!」と大きく頷いた。

 

ソファの背もたれに肘をついて静かに聞いていたマヤは、赤い瞳に深い光を宿して立ち上がった。

 

「――ナミ、カヤ、ステューシー、大事な話をありがとう。今のナミの『リトルガーデン』の話で、今日俺が聖地で七武海とセンゴクさんに話す議題のピースが、完全にひとつに繋がったぞ」

 

マヤは傍らに控えるロー、イワンコフ、レイジュ、CP10、そしてたしぎを見渡した。

 

「よし、時間だ。聖地マリージョアへ行くぞ」

 

赤い土の大陸(レッドライン)の頂上、聖地マリージョア・パンゲア城。

最高権力の間である『権力の間』のすぐ手前に位置する、天井まで白亜の柱がそびえ立つ大評議の間には、異様なまでの緊張感と静寂が満ちていた。

 

部屋の中央に据えられた巨大な円卓には、緊急招集の命を受けて世界中から集結した『新・王下七武海』の五人――九蛇海賊団船長ボア・ハンコック、世界最強の剣士ジュラキュール・ミホーク、エッグヘッドより来訪したバーソロミュー・くま、魚人島より駆けつけたジンベエ、そして本来の男の姿で正装したカマバッカ王国のエンポリオ・イワンコフが、それぞれの席に腰を下ろしていた。その脇には、海軍本部を代表してセンゴク元帥が厳粛な面持ちで同席している。

 

さらに彼らを緊張させていたのは、円卓の上座に設けられた一段高い壇上に、世界政府の最高権力である四人の『五老星』――環境武神マーカス・マーズ聖、法務武神トポマン・ウォーキュリー聖、財務武神イーザンバロン・V・ナス寿郎聖、農務武神シェパード・十・ピーター聖の四人がずらりと並んでいたことだった。

そして、その五老星の並びのど真ん中――最も格式高い中央の議長席だけが、まだ主の到着を待つようにぽっかりと空席になっていた。

 

(五老星が直々に顔を揃え、しかも中央の席が空いているじゃと……? 一体、何が始まるというのじゃ……)

 

ジンベエがゴクリと唾を呑み、ミホークが鋭い鷹の目で正面の扉を見据えた、その時だった。

 

ギィィィ……と重厚な黄金の扉が左右へ大きく開かれた。

コツ、コツ、と大理石の床に落ち着いた足音を響かせて入ってきたのは、白いシャツの上に黒のロングコートを羽織った若き天竜人――シンキ・マヤ聖だった。

そのすぐ後ろには専属秘書のレイジュ、護衛のCP10とたしぎ少将、そして黒い毛皮の帽子を目深に被り、長刀『鬼哭』を携えた一人の青年医師がピタリと付き従っている。

 

マヤが部屋の奥へと歩み進むと、なんと壇上に座っていた四人の五老星が、一斉に椅子からスッと腰を浮かせてマヤに軽く頭を下げたのである。

センゴク元帥の目が大きく見開かれ、ジンベエとくまが息を呑んだ。

 

マヤはそれを当然のように受け止めると、壇上の中央に置かれた五人目の重厚な椅子へと歩み寄り、コートの裾を払って堂々と腰を下ろした。レイジュとCP10、たしぎがその後方に控え、連れてこられた青年医師だけが円卓の空いていた六つ目の席の前で足を止めた。

 

マヤは脚を組み、円卓の面々をぐるりと見渡して穏やかに口を開いた。

 

「まず、急な呼び出しにもかかわらず、今日こうして全員集まってくれて嬉しく思う。本題に入る前に、先日の世界会議で秘匿していた『新・王下七武海』の最後のメンバーを、まずこの場で発表する」

 

マヤが手で促すと、円卓の脇に立っていた青年が一歩前へと進み出た。

 

「とある極秘任務についていた、『死の外科医』トラファルガー・ローだ。こいつは俺の直属の腹心でもあるが、今回は俺の個人的な権限とはまた別の意味で、七武海の枠にいれていた」

 

マヤの口からさらりと放たれた『俺の腹心』という言葉。

その瞬間、前に出たローの肩がピクリと震え、帽子の鍔の奥でその瞳が大きく見開かれた。

(ふ、腹心……!? いま、マヤさんがこの公の場で、俺のことを『腹心』と……! スパイの駒ではなく、腹心……っ、嬉しすぎる……!!)

ローは心臓の真上にある刻印が熱く脈打つのを感じながら、必死にポーカーフェイスを保って奥歯を噛み締めた。

 

「ローの持つ『オペオペの実』の能力は、海賊同士で誰かを切り刻むためじゃなく、これからの世界の医療や防疫に役立てて、民の為に使いたいと俺は願ってる。ミホークたちの武力や、ジンベエたちの自治と同じく、それぞれの役割の違いというやつだな」

 

マヤの言葉を受け、ローは帽子の鍔に指を添えて一礼し、凛とした声で挨拶した。

 

「トラファルガー・ローだ。これまでの潜入任務を終え、今日より正式にこの席に着かせてもらう。俺の医術と能力は、すべてマヤ聖が作る新しい秩序と民の命のために使う。よろしく頼む」

 

ローが六人目の椅子を引いて腰を下ろすと、イワンコフが「あの麦わらボーイの船にいたローボーイが、まさかマヤ聖の腹心だったなんて……!」と目を丸くし、ジンベエも「なんという深謀遠慮じゃ……」と感嘆の息を漏らした。

 

すると、マヤの右隣に座る法務武神トポマン・ウォーキュリー聖が、立派な白髭を揺らして前に乗り出し、厳かな声で宣言した。

 

「――ならびに、ここにいる海軍元帥センゴク、および新・王下七武海の六名にのみ、世界政府の最高機密を通達する。ジェイガルシア・サターン聖の除名に伴い、ここに座るシンキ・マヤ聖が、新たに我ら五老星の一角――『科学防衛武神』の座に就任された。これより先、世界の科学・医療・防衛、ならびに七武海の統括権限は、すべて科学防衛武神マヤ聖の最高決定に従うものとする!」

 

ウォーキュリー聖の言葉に、財務武神ナス寿郎聖、環境武神マーズ聖、農務武神ピーター聖の三人も異論なく深く頷いた。

 

大評議の間に、衝撃のさざ波が広がった。

あの八百年間、誰にも頭を下げず世界を上から支配し続けてきた五老星が、二十六歳の青年であるマヤを最高幹部として迎え入れたどころか、事実上のリーダーとして完全にその決定に従っている。

センゴク元帥は感極まったように拳を握りしめ、(ついに、あの五老星までをも内側から完全に掌握されたか……! マヤ聖、あなたというお人はどこまで……!)と胸を震わせた。

ミホークは鷹の目を細めて「……天竜人の枠すら超え、世界の仕組みそのものを書き換えたか。ますます退屈せんな」と口角を上げ、ハンコックに至っては両手を頬に当てて「ああっ、五老星の頂点に座るマヤも、なんと凛々しく神々しいのじゃ……さすがわらわの旦那様じゃ♡」と熱い吐息を漏らしていた。

 

そんな周囲の重々しい空気を和らげるように、マヤは肩の力を抜いて苦笑し、背もたれに身を預けた。

 

「ま、そういう堅苦しい肩書きになったわけだ。そして、ここにいる新・七武海のほとんどは、俺自身が直接見て厳選した。それが、こないだまで俺の立場が秘匿されていた理由でもある。『俺が五老星として見極め、これからの民のために迎えるべき奴を選んだ』……と言えば聞こえはいいが、まー、正直な過程を言えば、五老星になる前から純粋に『こいつは有能で、ちゃんと人の心がわかるやつだ』と思った連中を集めただけだな」

 

最高権力者らしからぬ飾らない本音に、張り詰めていた円卓の空気がふっと緩み、センゴクやジンベエ、ミホークたちの口元から静かな笑みがこぼれた。

 

場が和んだところで、マヤの赤い瞳がスッと真剣な為政者の光へと切り替わった。

 

「さて、ここからが今日、緊急でみんなを集めた本題だ。俺がなぜ他の役職ではなく『科学防衛武神』になったのか……その理由でもある。レイジュ、ロー、昨夜の件のデータを出してくれ」

 

「かしこまりました」

 

レイジュが操作盤を押すと、円卓の中央にある投影電伝虫から光が放たれ、空中に螺旋状の病原菌の画像と、詳細な医学データが映し出された。

ローが立ち上がり、医師としての冷静な声で説明を始めた。

 

「個人のプライバシーに関わるため名前は伏せるが、昨日の夜、俺はマヤ聖の命を受けて、ある『東の海出身の一般女性』と、その『満二歳になる男児』の緊急手術を執刀した。病名は悪性細菌感染症である【梅毒】。すでに母親は内臓や中枢神経が破壊される第三期(晩期)の直前、そして胎盤を通じて母子感染していた二歳の幼児は、失明や難聴、骨格変形を引き起こす『晩期先天梅毒』がまさに発症する寸前の状態だった」

 

くまの聖書を持つ手がピクリと震え、ジンベエとイワンコフが眉をひそめた。

 

「俺の『ROOM』による空間分離処置で、幸いにも母子ともに体内から病原菌を完全除去し、後遺症なく完治させることができた。……だが問題は、この感染ルートと潜伏期間だ。血液の抗体価から逆算した結果、この母親に梅毒を感染させたのは今から【二年と十ヶ月前】――空白の二年間が始まった直後の時期に、海軍の哨戒から逃れて東の海へ潜伏していた、新世界のある『四皇』の男だ」

 

『東の海へ足を運ぶ四皇』という条件だけで、センゴクも、ミホークも、ジンベエも、それが誰(赤髪のシャンクス)であるかを瞬時に理解し、顔を険しく歪めた。

 

「いいか、梅毒という病気は、感染初期のしこりや数ヶ月後の赤い発疹が、治療をしなくても自然に消えてしまうという極めて厄介な性質を持つ。その後、外見上は何の症状もない『無症状の潜伏期間』が何年も続くんだ。特に感染源となったその四皇の男は、常人離れした強靭な『覇気』と規格外の免疫力を持っているため、体内の梅毒トレポネーマの増殖を無意識にねじ伏せ、十年でも二十年でも『ただの軽い疲れ』として無症状のまま保菌し続けている」

 

ローの解説を引き継ぎ、マヤがテーブルの上に身を乗り出して全員に問いかけた。

 

「つまりな、そいつは『自分の強靭な身体が平気だから』という理由だけで、自分が恐ろしい性病の保菌者だと気づきもせず、非力な下界の女性に子供と一緒に猛毒を植え付け、二年と十ヶ月もの間、一度も様子を見に来ずに見殺し同然で放置してやがったんだ。……だがな、俺が今回の件で本当に背筋が凍ったのは、この性病ひとつだけの話じゃない」

 

マヤが合図を送ると、レイジュが画面を切り替え、鬱蒼とした太古のジャングルと巨大な恐竜が棲む島――『リトルガーデン』の記録映像と、今朝ナミから聴取した『ケスチア病』のデータを映し出した。

 

「これは、偉大なる航路の前半にある太古の島『リトルガーデン』の記録だ。今から約三年前、うちの婚約者であるナミがまだ麦わらの船に乗っていた頃、この一億年前の環境が残る島に上陸して『ケスチア』という絶滅したはずの殺人ダニに刺された。五日で内臓が腐って死ぬ奇病だったが、その時はたまたまドラム王国のドクターくれはに出会い、抗生物質が手に入ったから奇跡的に助かった」

 

マヤはそこで言葉を切り、円卓の全員を鋭く見渡した。

 

「――そこで、よく考えてみろ。たかだか偉大なる航路前半のリトルガーデンですら、現代人が抗体を持たない致死性のダニがいたんだ。なら、今まさにその赤髪が縄張りとして、麦わらの一味と一緒に向かっている、世界で最も古くから手つかずの超古代の大自然が残る『巨人の国・エルバフ』はどうだ? リトルガーデン以上の凶悪な殺人ダニや、下界の人間が一度も遭遇したことのない『未知の超古代ウイルス』が、あの島の森や水に存在しないわけがないだろうが!」

 

ハッとして、イワンコフが椅子から立ち上がった。

 

「ちょ、ちょっと待ってマヤ聖! 言われてみればそうよ! なのに、なんであの赤髪たちは何年も平気な顔でエルバフを縄張りにして、普通に出入りして宴会なんて開けてるのよ!?」

 

「答えは、さっきの梅毒とまったく同じ理屈だ、イワンコフ」

 

ローが低く冷徹な声で答えた。

 

「四皇やその幹部、そして生まれつき巨大な肉体を持つエルバフの巨人族たちは、生物としての基礎免疫力と『覇気』の出力が下界の一般人類とは次元が違う。彼ら怪物の感覚からすれば、普通の人間の内臓を数日で溶かす超古代の致死性ウイルスに感染しても『一晩寝れば治るちょっとした風邪』であり、太古の殺人ダニに刺されても『少し痒いだけの虫刺され』に過ぎない。……つまり連中は、覇気で発症を抑え込んだまま、その肉体と不潔な海賊船の中に、無数の『超古代の病原体』を生きたまま飼っている状態だと仮定がなりたつわけだよ」

 

大評議の間が、文字通り氷点下の静寂に包まれた。

マヤの声が、静まり返った広間に重く響く。

 

「そういうことだ。戦闘にあけくれ。その戦闘のさなか、保菌者を切る。その剣でさらに、赤髪がきられたらどうなる?連中はもともと何週間も風呂に入らず、ネズミや害虫が湧いたり、グランドラインの環境を考慮すれば尚更、綺麗なままの海賊船で暮らしてるとはならん。そして『自分たちの身体が平気だから』と何の検疫も消毒もせず、エルバフや未開の島から未知のウイルスやダニ、さらには梅毒のような疫病を付着・保菌したまま、世界中の普通の港町へふらりと立ち寄って、酒場で飯を食い、下界の女を抱く。……もし、あいつらが無自覚に持ち出した超古代の病原体が、覇気も抗体も持たない一般市民の街に広まったら、一体どうなると思う?」

 

「……っ、な、なんということだ……!!」

 

センゴク元帥の顔から血の気が引き、その拳がわなわなと震えた。

 

「大砲や銃で街を襲う略奪どころの話ではない……! そんな未知の古代疫病が港町に持ち込まれたら、医者も薬も効かず、数日のうちに国中へ感染が爆発し、何十万人、何百万人という罪なき民が血を吐いて死滅するぞ!! 海賊どもは、自由な冒険という美名の下で、世界中に『見えない生物兵器(バイオハザード)』を撒き散らして歩いておるというのか……!!」

 

ミホークも、ジンベエも、くまも、そして壇上の四人の五老星すらも、マヤが看破したあまりにも現実的で恐ろしい「海賊の真の脅威」に戦慄していた。

海賊たちは悪気すらなく、自分たちの強靭な肉体を基準にして世界を飛び回り、その足元で非力な一般市民に致死の毒と疫病を振り撒いている。それこそが、マヤがあの夜、シャンクスに向かって放った『疫病神』という言葉の真意だった。

 

「――だから、俺は『科学防衛武神』の席に着いた」

 

マヤは立ち上がり、五老星と海軍、そして六人の新・七武海に向かって力強く号令を下した。

 

「武力で海賊を叩き潰すだけじゃ、この見えない疫病から民は守れない! 今日より、世界政府の全予算とエッグヘッドのDr.ベガパンクの科学力を結集し、世界規模の『防疫・検疫網』を構築する! ローの『ROOM』で抽出した病原体の完全解析データと、イワンコフの『ホルホルの実』による免疫・ホルモン活性化データ、そしてベガパンクの薬学を統合し、あらゆる性病や古代感染症を即座に判定する簡易検査キットと、副作用のない新薬・ワクチンを世界中の加盟国と保護区へ配備する!」

 

ローとイワンコフが力強く頷く。

 

「そして海軍本部と各七武海の管轄海域においては、エルバフなどの未開海域を出入りし、政府指定の検疫を受けない不衛生な海賊船をすべて『第一級・疫病汚染危険船』として指定しろ! 略奪をするしないにかかわらず、検疫を通らない海賊船は、一般市民の暮らす港から徹底的に遮断・排除する! これこそが、『七人の武力と民の思いがある、海を守る者』の最初の共同任務だ! ――異論はあるか!?」

 

「「「異論なし!! 御意のままに、科学防衛武神・マヤ聖!!」」」

 

センゴク元帥と六人の新・七武海の声が一つに重なり、大評議の間を揺るがすほどの力強い賛同となって響き渡った。

 

歴史的な緊急招集会議が幕を閉じ、ミホークとジンベエはそれぞれの管轄海域での検疫体制を整えるため一足先に帰路へと着いた。

マヤは残ったハンコック、くま、イワンコフ、そしてローたちを伴い、特例経路を通ってシャボンディ諸島の宮殿へと帰還した。

 

宮殿の控えの間へと足を踏み入れた、その瞬間だった。

 

「――マヤァ〜♡」

 

会議の間ずっと威厳ある女帝として澄ました顔で座っていたボア・ハンコックが、部屋に入った途端に表情をトロトロに蕩けさせ、マヤの腕へとぎゅっと抱きついてきた。

 

「もう、会議の間ずっとそなたに触れたくて我慢しておったのじゃぞ! いくら五老星の科学防衛武神とやらになろうとも、マヤはわらわの愛しい旦那様じゃからな♡ 今日はこのまま、わらわをたっぷり褒めて甘やかすのじゃ♡」

 

「おいおいハンコック、急に抱きつくなよ、みんな見てるだろ」

 

マヤが苦笑しながらもハンコックの黒髪を優しく撫でると、ハンコックは「ふふ、誰に見られても構わんわ♡」と幸せそうに頬を擦り寄せた。

 

すると、その後ろで静かに待っていた巨体のバーソロミュー・くまが、ゆっくりと一歩前に進み出た。

くまは手に持っていた聖書を胸に当てると、巨体を二つに折るようにして、マヤの前で深々と頭を下げた。

 

「マヤ聖……いえ、科学防衛武神様。今日という良き日に、どうしても直接お礼を言わせてほしかった」

 

くまの低く穏やかな声に、マヤはハンコックをなだめて正面から向き直った。

 

「あなたがエッグヘッドのベガパンクを資金と権力で完全に保護し、私の人格と記憶を消去する改造計画を止めてくれたおかげで……私は今もこうして、自分の心と自分の目で、愛する娘・ボニーの成長を見守り、その温かい手を握ることができている」

 

くまの分厚い眼鏡の奥から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ち、絨毯を濡らした。

 

「それだけでなく、先ほどの会議のように、かつて母娘を苦しめた『病』という絶望そのものを世界からなくそうとしてくださっている……。マヤ聖、ボニーとエッグヘッドを、そして私の心を救ってくれて、本当にありがとう……」

 

マヤは一歩近づくと、背伸びをするようにして手を伸ばし、くまの大きくて分厚い腕をポン、ポンと優しく叩いた。

 

「顔を上げろよ、くま。礼なんて言われる筋合いはないさ。お前みたいに娘を命懸けで愛してる優しい父親が、自分の娘の顔も名前も忘れちまうなんて、どう考えてもこの世の仕組みの方がおかしいからな。俺はただ、そのおかしな仕組みを直しただけだ。……これからも七武海として、そして何よりボニーの自慢の父親として、エッグヘッドを支えてやってくれよ」

 

「……っ、はい……! この命ある限り、必ず……!」

 

涙を拭って微笑むくまの横で、ローとイワンコフもまた、自分たちが仕えることになった青年の底知れない温かさに、深く静かに胸を熱くしていた。

 

その後、くまを見送ったマヤは、ハンコック、ロー、イワンコフ、レイジュ、CP10、たしぎを連れ、宮殿で暮らす全員が待つ本館の大サロンへと向かった。

 

大サロンの扉を開けると、そこにはナミ、ロビン、ヤマト、ウタ、コアラ、ビビ、カヤ、ステューシー、シュリ姫、そして医療区画での休息を終え、二歳の坊やを腕に抱いてサロンへ出てきていたマキノの姿があった。

さらに壁面の大型モニターには、先ほどの聖地での会議内容を共有するため、エッグヘッドのDr.ベガパンクもリアルタイムで接続されている。

 

マヤはサロンの中央へと進み出ると、集まった大切な家族たち全員の顔を一人ずつ見渡し、静かに口を開いた。

 

「みんな、聞いてくれ。……まず、今日までこのことをみんなに黙って秘匿していて、本当にすまなかった」

 

マヤはそこで一礼すると、顔を上げて真っ直ぐに告げた。

 

「俺は先日の世界会議の裏でイムや他の四人と話し合い、サターンの後釜として、五人目の五老星――『科学防衛武神』に正式に就任した。さっき聖地の会議で、センゴクさんや七武海のみんなにもそれを開示してきたところだ」

 

――しん、と。

大サロンが一瞬だけ静まり返り、次の瞬間、事情を知らなかった女性陣から一斉に驚愕の声が上がった。

 

「「「え……ええええええええっ!? ご、五老星ぃぃーーっ!?」」」

 

ナミも、ヤマトも、ビビも、カヤも、目を丸くして口をあんぐりと開けた。

 

「ちょ、ちょっと待ってマヤ! 天竜人の中でも特別だとは思ってたけど、五老星って……あの世界の海と政府のすべてを動かす、文字通りの世界最高権力の五人のことよね!?」

「マヤが『ぶしん』になったのか!? なんだかよくわからないけど、お嫁さんの僕は世界一えらい人のお嫁さんってことか!?」

「う、うそみたい……私たちが毎朝一緒にお茶を飲んで、水路のどぶさらいをしていたマヤが、世界政府の本当のトップだったなんて……!」

 

ナミとヤマト、ウタたちが大混乱でざわめき、たしぎも「か、科学防衛武神……っ、少将の私から見たら、雲の上どころか宇宙の上のお立場じゃないですか……!」と顔を青くして震えている。

 

そんな困惑する女性たちを優しく見守りながら、マヤはまず、壁面の大型モニターに映るDr.ベガパンクへと向き直った。

 

「ベガパンク。さっきの会議の報告は聞いたな? 俺がサターンの後釜として『科学防衛武神』になったからには、みんなの前で改めてお前に確約する」

 

マヤの声に、モニターの中のベガパンクがハッとして背筋を伸ばした。

 

「お前のその世界一の頭脳と科学力を、もう二度と誰かを殺すための兵器や、くまみたいに人の心を奪う支配のためには使わせない。昨日のマキノと坊やの検査や、これから始める世界規模の防疫網みたいに、今まで以上に『人を救い、民の暮らしを良くする方向』にだけお前の科学を使う。研究資金も権限も、科学防衛武神である俺がすべて守る。――もう政府の顔色なんか窺うな、お前の理想の科学を、ここで好きなだけやれ!」

 

その言葉が響き渡った瞬間。

モニターの向こうで、世界最高の科学者の顔がみるみるうちに歪み、大きな目から滝のような涙がドバッと噴き出した。

 

『う……うわああああああんっ!! マヤ聖ェェーーーっ!!』

 

ベガパンクは大きなリンゴのヘタがついた頭をぐしゃぐしゃに振り乱し、子供のように声を上げて大号泣し始めた。

 

『ワシは……ワシは若い頃からずっと、ただ世界中の人々を豊かにして、病気や飢えで泣く者をなくす平和な科学を作りたかっただけなのじゃ……! 研究費のために政府の命令で兵器を作らされる日々が終わるどころか、科学防衛武神となったあなた自らが、ワシの理想の科学の使い方を求めてくれるとは……! こんな嬉しいことはない、科学者冥利に尽きるわい、うわああああんっ!!』

 

画面の向こうで鼻水を垂らして泣きじゃくる恩師の姿に、サロンにいたステューシーとカヤも「ベガパンク先生……」と目頭を熱くして微笑んだ。

 

そしてマヤは、モニターから視線を戻すと、サロンにいる女性たち、そしてCP10とロー、イワンコフを改めて見渡した。

その赤い瞳には、権力者の威圧など微塵もない、いつもの温かい陽だまりのような光が宿っていた。

 

「……みんなも、急に五老星なんて言われて戸惑ってるよな。だがな、今日この節目の日に、どうしても俺の口からみんなに伝えておきたいことがあるんだ」

 

マヤは窓の外に広がる、シャボン玉が舞うシャボンディの青空をちらりと見上げ、静かにこれまでの時間を振り返った。

 

「思えば……あの麦わらが東の海のフーシャ村から海へ飛び出して、今日でちょうど【三年と一ヶ月】になる。……そして、最初の三ヶ月の航海の果てにこのシャボンディ諸島へやって来たあいつが、ハチのことで暴走して天竜人を殴り、その恐怖の中で震えていたナミとロビンに俺が初めて声をかけてから……今日でちょうど【二年と十ヶ月】だ」

 

ナミとロビンがハッと息を呑み、胸の前で手を重ねた。

 

「あの麦わらたちは、海に出てからの『三年と一ヶ月』の間、口では自由だの冒険だのと叫びながら、一番近くで船を支えていたナミやロビンの心を置き去りにした。その結果、航海士を失った船で新世界を何ヶ月もボロボロになって漂流し、不潔な船で疫病の種を運び、俺がローを通じて渡した資金に生かされていることにも気づかず、ただ人を殴るだけの蛮族へと堕ちていった。……他人を思いやる責任のない『履き違えた自由』の果てが、あの三年と一ヶ月だ」

 

誰一人として反論する者はいなかった。サロンにいる全員が、その残酷なまでの現実を自分たちの目で見てきたからだ。

マヤはそこで言葉を区切り、自分の手のひらを静かに見つめた。

 

「一方で、俺はどうだったか。……五歳の時に大海賊時代が始まってから二十年間、俺は天竜人の権力を使うことから目を背け、ただ一人でこのシャボンディの血のどぶをさらうことしかできなかった。死体を弔い、壊れた船を直すだけで、世界の仕組みそのものを変えることなんてできないと思っていた」

 

マヤは顔を上げ、ナミとロビンの瞳を真っ直ぐに見つめた。

 

「だが、二年と十ヶ月前のあの日――あの広場でナミとロビンに出会って、『この二人だけは絶対に泣かせない、俺が守り抜く』と決めた瞬間から、俺の止まっていた時間が動き出したんだ。二人を守るために初めて天竜人の権限を使い、そこからCP10(エース)を救い、白ひげやリンリン、カイドウと本音でぶつかって盟友になり、たしぎやレイジュ、コアラ、ビビ、ハンコック、しらほし、カヤ、マキノ、ステューシー、シュリ、ヤマト、ウタ、ロー、イワコと出会った。……二十年間、どぶさらいしかできなかった俺が、たった【二年と十ヶ月】という信じられないほど短い時間で五老星の頂点まで歩いてこられたのは、俺が特別だったからじゃない」

 

マヤは両手を広げ、心の底からの笑顔で言った。

 

「俺は世界会議で、各国の王たちに『民なくして国はなし』と言ったがな……。俺個人にとっては、ここにいる『みんななくして、今の俺はなかった』んだ。ナミ、ロビン、二年と十ヶ月前のあの日、俺と出会ってくれて本当にありがとう。そしてみんな、こんな俺の家族になって今日まで支えてくれて、本当にありがとうな!」

 

――その言葉が落ちた瞬間。

サロンにいた女性たちの瞳から、堪えていた熱い涙が一斉に溢れ出した。

 

わずか二年と十ヶ月。

海賊たちが無為に海を漂流していたその同じ時間の中で、目の前の青年はどれほど途方もない重圧と、世界中の人々の命と、自分たちの過去やトラウマをその背中に一人で背負い続けて走り抜けてきたのか。それなのに彼は、五老星という世界の頂点に立った日に、そのすべての功績を「みんながいてくれたおかげだ」と笑って頭を下げているのだ。

 

「マヤ……っ! もう、ずるいわよ、そんな言い方……っ!」

「ありがとうは、私たちの言葉よ、マヤ……!」

 

涙をポロポロとこぼしたナミとロビンが、たまらず同時に駆け出してマヤの胸へと飛び込んだ。

すると、それを見たヤマトも大粒の涙を拭いながら「うわあああんっ、マヤァァ! 僕もだ、僕もマヤと出会えて最高に幸せだぞーーっ!」と後ろからガバッと三人をまとめて抱きしめた。

 

「こ、こらヤマト! ナミにロビンもずるいぞ、わらわの場所も空けよ! マヤの隣はわらわじゃーーっ♡」

 

負けじとハンコックまでが割り込んでマヤの首に抱きつき、あっという間に美女四人の涙と笑顔のもみくちゃ状態になる。

 

「ふふ、もう、皆様ったら……。ですがマヤ聖、その二年と十ヶ月の歩みを一番近くで記録できたこと、専属秘書として一生の誇りですわ」

「わ、私もです! マヤ聖と『神鬼』に出会えたから、今の私があります……っ!」

「マヤ聖、これからも美味しいお茶とご飯は私に任せてくださいね!」

「私も、アラバスタの王女として、そしてマヤの家族としてずっとお傍にいます!」

「私もマヤのために、毎日たくさんの歌を歌うからね!」

「マヤ……マンマイヤーの血の呪いを解いてくれたあなたに、私の残りの人生はすべて捧げるわ」

「カヤちゃん、私たちも医療チームとして、科学防衛武神のマヤ聖をしっかり支えていきましょうね」

「はいっ、ステューシーさん! 私、もっともっと勉強して立派なお医者さんになります!」

 

レイジュ、たしぎ、コアラ、ビビ、ウタ、シュリ姫、ステューシー、カヤがそれぞれ涙を浮かべながらマヤの周りを取り囲み、壁際のCP10とロー、イワンコフも目頭を押さえながら誇らしげにその光景を見守った。

 

そして、その温かな輪の一番後ろで。

二歳になったばかりの我が子を胸に抱きしめて立っていたマキノは、昨日の夜から自分の心を覆っていた冷たい悲壮感と暗い影が、マヤの太陽のような言葉によって跡形もなく溶かされていくのを感じていた。

 

(ああ……私は、なんであんな無責任な過去の亡霊に囚われて、悲しい顔なんてしていたのかしら……。私とこの子を命懸けで救ってくれて、こんなにも温かくて優しい『本当の家族』が、今、目の前にいてくれるのに……!)

 

マキノの瞳から、これまでの苦しみと悲しみをすべて洗い流すような、温かく止めどない大粒の涙がボロボロと溢れ出した。

 

「う……っ、ふ、うわあああああんっ!! マヤ聖……っ、ロー先生、みなさん……っ! ありがとうございます、本当にありがとうございます……っ! 私、もう二度と後ろなんて振り返りません……! 私も、この子も、一生マヤ聖とこのご家族のために生きていきます……うわああああんっ!!」

 

子供を抱いたまま声を上げて大泣きするマキノの元へ、ナミやヤマトに抱きつかれたままのマヤが歩み寄り、空いた片手でマキノと坊やの頭を優しく撫でた。

 

「おう、それでいいんだ、マキノ。過去の毒は全部消えたんだから、これからはこの子と一緒に、毎日笑って暮らそうな」

 

涙と笑顔が幾重にも重なり合い、これまで以上に固く、深く結ばれた『マヤ聖という船の家族』。

激動の二年と十ヶ月を経て世界の頂点へと立った若き科学防衛武神と大切な仲間たちは、見えない疫病や無法な暴力から世界中の民を守る「本物の平和」に向けて、新たな一歩を力強く踏み出したのだった。

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