どぶさらいと天竜人と海賊   作:マイナーチョコ

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第9話:火拳と、ビリビリの妹

 

 

シャボンディ諸島に建つマヤの屋敷。その広大な裏庭には、南国特有の豊かな緑と、丁寧に手入れされた芝生が広がっていた。

よく晴れた午後の陽射しの中、黒いスーツに身を包んだエースが、数メートルの距離を空けてマヤと対峙している。

 

「マヤ殿の頭が異常に切れるのは、嫌ってほどわかりました」

 

エースは両拳を軽く打ち合わせ、ふっと息を吐いた。天竜人であるマヤに対する呼び方は、公式の場では『マヤ聖』、私的な場では『マヤ殿』と使い分けるよう厳命されていた。初めは反発していたエースだが、この数日でマヤの人柄に触れ、今では自然と口から出るようになっている。

 

「だが、俺はあんたの『護衛』だ。有事の際にどれくらい連携が取れるか、戦闘の勘も知っておきてェ。……手加減はしますが、あんまり無理はしないでくださいよ」

 

少し離れたテラスでは、白いパラソルの下でナミとロビンが優雅に紅茶を飲みながら、二人の様子を見学している。

 

「エースのやつ、やる気満々ね。マヤ聖、火傷しないかしら……」

「ふふ、どうでしょうね。でも、あの人が怪我をする姿なんて想像できないわ」

 

ナミの呟きに対し、ロビンはどこか楽しげにティーカップを傾けていた。

庭の中央で、マヤはラフなシャツ姿のまま、深く息を吸い込んで軽く肩を回した。

 

「連携ね。わかった、俺もエースの動きを知っておきたい。怪我をしない程度に頼むよ」

「その前に一つ忠告です」

 

エースの右腕から、ボワッとオレンジ色の炎が立ち昇った。周囲の空気が一気に熱を帯び、陽炎が揺らめく。

 

「俺は『ロギア(自然系)』の能力者だ。覇気が使えないと、普通の打撃は炎をすり抜けて当たらない仕組みになってるんだが……対策はありますか?」

 

自信に満ちたエースの言葉に、マヤは不思議そうに小首を傾げた。

 

「ロギア……すまない、俺は悪魔の実にそこまで詳しくないんだ。その、体が本物の炎になるってことはわかるんだ。能力?くらいな感じだ。」

「えっ? マヤ殿、悪魔の実の自然系を知らねェんですか!?」

「ああ。海賊たちには常識なんだろうけど、俺にはあまり縁のない話でね。知識不足で申し訳ない」

 

マヤは恥じることもなく、素直に無知を認めて紳士的に謝罪した。

海賊の世界では常識中の常識でも、天竜人のマヤにとっては本当に「知らない領域」なのだ。

天竜人だからこそ、興味のないものには、興味がない。

 

「なるほど、実体がないのか。じゃあ……この前、センゴクに教わった『アレ』を試してみるか」

「センゴク……? まあいい、行くぞ!」

 

エースが大地を蹴った。

「“火銃(ヒガン)”!」

 

両手の人差し指と中指から、機関銃のような勢いで小さな炎の弾丸が連射される。

芝生を焦がしながら迫る無数の炎弾。しかしマヤは、表情一つ変えずにゆっくりと歩みを進めた。

右へ半歩、首を僅かに左へ、上体を沈め――。

最小限にして極限まで洗練された動きで、炎の弾丸がすべてマヤの体をすり抜けていく。服の裾すら焦げていない。

 

「嘘だろ……!?」

 

テラスで見ていたナミが目を丸くした。

 

「見聞色……いや、違うわね」

 

ロビンが目を細める。マヤの動きには、未来を予測しているような超常的な気配はない。相手の視線、肩の筋肉の収縮、重心の移動。それらのわずかな情報から「次にどこへ攻撃が来るか」を経験則と理詰めで完全に読み切っているのだ。

天竜人として無数の死のそばにいたマヤにとって、直線的な飛び道具の軌道を逸らすなど、ただの歩法の延長に過ぎなかった。

 

「なら、これはどうだ!」

 

エースが間合いを詰め、炎を纏った拳を大きく振りかぶった。

「“火拳”!」

 

巨大な炎の塊が、マヤを丸ごと飲み込もうと襲い掛かる。

だがマヤは、足の裏に己の『念』を集中させ、ふわりと地面から浮かび上がった。空気を蹴る六式の『月歩』とは違う、重力を無視したような滑らかな軌道で空中へと逃れ、炎の上を滑るようにしてエースの背後へと着地する。

 

「なっ……!?」

「威力は凄いな。でも、炎に頼りすぎて少し動きが単調になってるぞ、エース」

 

背後からの落ち着いた声に、エースは咄嗟に振り返って炎の蹴りを放つ。

マヤはその蹴り足を左手で軽く払い落とすと、そのままエースの懐へと静かに踏み込んだ。

 

「実体が炎なら……これでどうだ?」

 

マヤの右拳の表面で、バチバチッ! と空気を削るような黒く禍々しい稲妻が弾けた。

 

「……!?」

 

エースの全身の産毛が総毛立った。

空間が重くきしみ、庭の木々が悲鳴を上げる。直感的に「死」を意識するほどの圧倒的な重圧。

マヤはそれを纏った右拳を、炎と化しているエースの腹部に向かって、寸止めするような優しさでトンッと押し当てた。

 

ズンッ……!!

 

「ぐはァッ!?」

 

凄まじい衝撃波がエースの体を貫いた。

炎の実体を完全に捉えられたエースは、数メートル後方へと弾き飛ばされ、芝生の上をゴロゴロと転がった。

 

「えええええッ!?」

 

ナミがテラスから身を乗り出して悲鳴を上げた。ロビンも驚愕に目を見開いている。

 

「ゲホッ、ゴホッ……!!」

 

エースは腹を押さえながら、信じられないものを見る目でマヤを睨み上げた。

加減をしてくれたおかげで致命傷ではないが、内臓を直接揺さぶられたような重い一撃だった。

 

「なんで……ロギアに当たる……。それに、今の黒い稲妻……マヤ殿、王の資質である『覇王色の覇気』を纏ってやがるんですか!?」

「ハオウショク?」

 

マヤは自分の右拳に残る黒い稲妻を見つめ、あっけらかんと言った。

 

「ああ、センゴクもそう呼んでいたな」

「……え?」

「昔から、この静電気みたいな『ビリビリ』を出して遊んでたんだが……最近、俺の得意な気(念)のコントロール技術と合わせたら、相手に重圧をかけたり、こうやって実体を捉えたりできることに気づいてね」

 

マヤは黒い稲妻をパラパラと散らしながら、どこか楽しそうに笑った。

 

「この前、家に来たセンゴク達に『これ何?』って聞いたら、『覇王色の覇気です』ってえらく青ざめて教えてくれたよ。いやあ、世界には不思議な力があるもんだな」

 

エースは、完全に言葉を失った。

 

自分たちが血を吐くような修行の末に辿り着く、四皇レベルの絶技。それを、この男は「昔からあるビリビリ」を自前の技術で応用し、最近になって名前を知ったばかりだというのだ。

 

「……で? エース、これで一応、俺の攻撃にも反応はできるってことでいいのか?」

 

マヤが、心配そうに覗き込んだ。その瞳には微塵の驕りもなく、純粋に護衛としてのテストの進捗を確認しているだけだった。

 

「……ああ。俺の完敗だ。マヤ殿、本当に底が見えねェな」

「大げさだな。まあ、怪我がなくてよかった」

 

マヤがホッと息をつき、エースに手を差し伸べた、その時だった。

 

バーンッ!!

 

屋敷の庭に続く巨大な鉄門が、無作法に蹴り開けられた。

 

「コホッ、コホッ! 砂ぼこりが凄まじいアマスよ!!」

 

怒り心頭の金切り声と共に現れたのは、フリルたっぷりの豪奢なドレスを着た天竜人の少女――シャルリア宮だった。

突然の来訪者に、エースがビクッと身構える。

 

「ああ、シャルリアか。すまない、エースの護衛としての腕を見せてもらってたんだ。砂ぼこりがかかったか?」

「マヤ! また昔からやってるその『変なビリビリ』で遊んでるアマスね!?」

 

シャルリア宮はずかずかと庭に入ってくると、マヤを指差して怒鳴りつけた。

 

「この前も応接室でそれやって、窓ガラスを割ったばかりアマスよ! おかげでわたくしのお茶会が台無しになったアマス! 庭の芝生も焦げてるアマス!」

 

その言葉に、エースの顎が外れそうになった。

 

(変なビリビリ!? 四皇クラスの覇王色纏いを、ただの静電気遊びみたいな扱いで……!?)

 

「悪かったよ。ちょっと手加減を間違えた。もう終わったから茶にするぞ」

「むっ……まあいいアマス」

 

シャルリア宮はフンと鼻を鳴らすと、テラスにいるナミとロビンに気づいて立ち止まった。

 

「……あ、マヤのメイドたちアマスね! ちょうどいいアマス。おい、さっさとわたくしに、下々民の作ったものではない、ここの専属シェフのマカロンと、とびきりの紅茶を出すアマス! 喉が渇いたアマス!」

 

シャルリア宮は、ふんぞり返って顎をしゃくった。

一見横柄に見えるが、天竜人のルールにおいて、彼女はマヤの『所有物』であるナミたちをぞんざいに扱うことはできない。オークション会場でルフィたち下々民に向けたような殺意や理不尽な暴力は一切なく、あくまで「マヤの優秀なメイドなのだから、極上のサービスを提供して当然アマス」という態度だった。

 

「はいはい、今お持ちしますよ。ロビン、手伝って」

「ええ、かしこまりましたわ」

 

ナミは恐怖に震えるどころか、少し世話の焼ける常連客でも相手にするかのような軽い調子で微笑み、ロビンと連れ立って厨房へと向かっていった。

 

手合わせは強制終了となり、そのままテラスで優雅なお茶会が始まった。

白いテーブルには、色鮮やかなマカロンと、芳醇な香りの紅茶が並べられている。

 

「だからマヤは、天竜人としての自覚が足りないアマス! なんでいつもそんな平民みたいな服を着てるアマス! わたくしの隣を歩くなら、もっと威厳のある格好をするアマス!」

「うるさいな。威厳なんて、服で飾るもんじゃないだろ。ほら、マカロン食え。美味しいだろ?」

「ふんっ! マヤがそこまで言うなら、食べてやるアマス!」

 

文句を言いながらも、シャルリア宮は両手でマカロンを持ち、嬉しそうに頬張っている。マヤに子供扱いされて頬を染めているその顔は、どう見ても好意を寄せる幼馴染の少女だった。

 

「お前の親父さんには、うちの連中にはちょっかいを出すなと話をつけてある。だから遊びに来る分には構わないが、メイドたちを困らせるなよ」

「わかってるアマス! わたくしはマヤのお茶会を楽しみに来てるだけアマス!」

 

ナミも、シャルリア宮の空いたカップに自然な動作で紅茶を注ぎ足している。マヤが天竜人の上位層として確固たる力を持ち、シャルリアの父親であるロズワード聖にすら直接話を通せる立場にあるからこそ、ナミたちには絶対的な安全が保証されているのだ。

 

少し離れた場所で護衛として立つエースは、その平和すぎる光景を呆然と見つめていた。

 

(……なんだこれ。絶対の悪だと思ってた天竜人が、マヤ殿の前じゃただの恋する乙女みたいになってるし、ナミたちも普通に世話を焼いてる)

 

海賊だけが自由で、世界政府や天竜人が全て悪。そんな単純な二元論では語れないほど、この世界は広く、複雑だ。

 

(俺の世界の見方は……本当に狭かったんだな)

 

常識を軽々と破壊していく主人の穏やかな横顔と、平和なティータイムを見つめながら、エースは自分の内側で、確かな何かが広がっていくのを感じていた。

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