GAME OF ZABIS ゲーム・オブ・ザビズ 作:GAME OF ZABYS
1.女帝の黄昏と、消えない毒
「キシリア・ザビ。……チェックメイトだ。盤上の駒はすべて、私の手に落ちた」
紅に染まるオデッサ指令部の空の下、私は眼前の女を見下ろしていた。
かつてジオン公国の闇を統べ、策謀を巡らせた女傑は、今や追い詰められていた。
ドズルによるクーデターの号令が、全戦線に轟いたのだ。
既に、オデッサの通信基地はドズルの精鋭部隊が物理的に占拠、またはジャミング(電波妨害)で孤立させていた。
放送局は 「キシリア少将の無謀な戦線拡大が、オデッサを危機に陥れた」「ドズル中将がこれを更迭した」と声高にまくし立てている。
アフリカ、アジア戦線を担うキシリア直属の部隊は、命令系統を完全にドズルにハイジャックされ、沈黙させられていた。
キシリアは憎悪に満ちた眼で、私を睥睨する。
「シャア......。貴様、マ・クベはどうした。オデッサの守備隊は......」
キシリアが震える手で通信機を握りしめる。
彼女の最後の切り札。オデッサの自爆装置。全資源を灰にして連邦に押し付けるという狂気の心中だ。
「無駄だ。マ・クベ大佐はすでにこちらに寝返った」
私の冷ややかな声に、彼女の顔が蒼白になる。
「マ・クベが裏切ったというのか......! 私が、あの男をどれほど重用したか......!」
「無駄だよ、キシリア少将。マ・クベ大佐は……実利と美学を秤にかけ、賢明な方を選ばれた。
彼はあなたの道連れになるほど、趣味の悪い男ではないということだ」
逃げ場を失ったキシリアの膝が、屈辱で震えている。
誇り高き盟主としてのプライドが、音を立てて崩れ落ちていく。
私は彼女の前に、一錠の毒薬と、公王となったギレン総帥に直結した通信機を置いた。
「選ぶがいい。兄上の足元に跪き、慈悲という名の屈辱を乞うか。それとも……ザビ家の誇りを胸に、自ら幕を引くか。
あなたの美学に相応しいのは、どちらかな?」
キシリアは絶望の淵で、冷酷なギレンの顔を思い浮かべたのだろう。狂気に走る兄に跪く屈辱。
彼女は震える指で毒薬を掴み、一気に飲み干した。
「……ふん。飼い犬が手を噛むまでに、ずいぶんと時間をかけたわね、シャア。
……いいわ、狂った男(ギレン)に跪くくらいなら、自ら幕を引くのが私の矜持というものよ」
死の淵で喘ぐ彼女の耳元に、私は仮面を外して囁いた。
「最期に挨拶しよう。……これならば、地獄への手向けに不足はあるまい?
ジオン・ズム・ダイクンの子、キャスバル・レム・ダイクンだ」
彼女の瞳に、最期の光が爆ぜるように宿った。
「……ああ、あの時の。……生きていたのね、キャスバル」
「全くだ。貴女の築いた地位も、名誉も、その生命さえも……。
こうして塵芥(じんかい)として掃き溜めに捨てることができて、私は心底、満足しているよ」
勝利の悦びに、私の口角は自然と吊り上がっていた。
毒は回っている。あとはこの女が、絶望の中で息絶えるのを見届けるだけだ。
だが──。
キシリアの口元が、血に濡れながらも愉悦で歪んだ。
「ふふ……くくく……! そう。……ならば、坊やに『最後のご褒美』をあげなくてはね」
「私だったのだよ。お前の父親を……ジオン・ズム・ダイクンを殺したのは」
指先までが、凍りついた。
「……何だと?」
「デギンも、ギレンも、ドズルも…あの臆病者たちは何も知らなかった。アレを独断で仕組んだのは、この私……」
激昂が、一瞬で脳を焼き尽くした。
復讐のために、ザビ家という巨大な壁を外側から、内側から、何年もかけて削り取ってきた。
その全ての憎悪を向けるべき対象が、今、目の前で嘲笑っているこの女一人だったというのか。
「……狂ったか。貴女が一人で……私の父を、ジオン・ズム・ダイクンを葬ったというのかッ!?
答えろッ! 何を求めて父を殺したッ!!」
私は、死にゆく女の肩を掴み、狂ったように揺さぶった。
だが、キシリアは、もはや光を失いつつある瞳で、私の『仮面』を哀れむように見つめた。
「……教えないよ。一生、その仮面を被った頭で考え続け、袋小路を彷徨えばいい。
……それが、私の命を奪ったお前への……最後の贈り物よ……」
彼女の口角が、勝ち誇った形のまま凍りついた。
女帝の時間が、そこで止まったのだ。
指先から力が抜け、女の体が崩れ落ちる。
「待てッ! まだ死ぬな! 答えろ……答えろぉぉッ!!」
私の叫びは、沈黙したオデッサの夜に吸い込まれた。
勝ったはずだった。
地位も、名誉も、命も奪ったはずだった。
私の、復讐の目的。
この数年間、私を生かしてきた唯一の問い。
──なぜ、父は死なねばならなかったのか。
この女は最期に、私の唯一の問いへの答えを、永遠に闇へと葬り去ったのだ。
身体から、熱が抜けていく。
ザビ家を切り刻むたびに、私の手は返り血で汚れ、その温度で指先を温めてきた。
だが、その中核──キシリアを握り潰した瞬間に残ったのは、勝利の快感ですらなく、肺腑に冷たく流れ込む虚無の風だった。
私は、憎しみの重力からは、解放された。
だが、今、暗い宇宙の底へ、どこまでも透明になって溶け出していく。
答えのない問いだけを抱え、仮面という名の墓石を背負って、
私は一体、どこへ歩き出せばいいというのだ。
2.円舞曲(ワルツ)、悪魔は産声あげて
オデッサに連邦軍が猛攻撃を仕掛けてきた。
キシリア直属のアジア・アフリカ戦線の部隊がオデッサに編成される前に、勝負をかけてきたのだ。
そして、あいつだ。
地平の向こうから、連邦の白い悪魔が姿を現した。
「ランバ・ラル隊、出るぞッ! マ・クベの部隊も死に物狂いで食い止めろ!」
ラル大尉のギャンと私のR-2型が戦場を駆ける。
連邦のモビルスーツ部隊との激闘。火花が散り、鋼が裂ける。
「ラル大尉、前方12時方向、防衛ライン第4セクターを単機で突破する影があります!
……間違いない、識別信号(IFF)照合不能、連邦の試作機(コード:ガンダム)ですッ!
奴め、本隊の包囲網を無視して、最短距離で司令部への『斬首作戦』を仕掛けてくるつもりか……!」
「フフ……承知しているよ、シャア少佐!
あの推力、ミノフスキー粒子散布下での精密射撃……バケモノめ。
だが、こちらとてドズル中将から預かった虎の子だ、易々と中央突破を許しはせんよ!」
ラルは言葉を続けた。
「少佐! 奴は、こちらの射線を先読みしてくる!
私がギャンの盾で『物理的な死角』を作る。
貴公はR-2の加速を活かして、奴のセンサー有効範囲外から急所を貫け!」
ラルの駆るギャンが、重厚な装甲を翻して先行する。
中世の騎士を彷彿とさせる盾からミサイルが放たれ、連邦のジムが次々と火球に変わる。
その後方を、私の高機動型ザク(R-2型)が、紅い閃光となって追随する。
「もらったッ!」
私のビーム・ライフルが、ガンダムのシールドを焼く。
だが、奴は怯まない。ガンダムのビーム・サーベルが空間を斬り裂き、ラルのギャンの胸元をかすめる。
「ええい、なんという反応速度だ! ガンダムのパイロットめ、また先読みか!」
ラルの咆哮。
ギャンのビーム・サーベルが美しい弧を描き、ガンダムの懐に潜り込む。
突き。一閃。
だが、ガンダムは空中で不自然な機動を見せ、ラルの刃を回避した。
「ラル大尉、離れろ! 私が抜くッ!」
私は推力(スラスト)を限界まで引き上げ、ガンダムの側面に回り込む。
青と赤。二つの装甲が、一機の白いモビルスーツを包囲し、鋼鉄の乱舞を繰り広げる。
火花が飛び、パーツが削れ、オデッサの荒野にビームの残像が幾重にも重なる。
それは、ジオン公国が到達した武力の極致と、連邦の怪物が見せる未来の予兆が交差する、戦場の円舞曲(ワルツ)だった。
「……捕らえたぞ、悪魔めッ!」
ラルのギャンがガンダムの腕を封じ、私のザクがその背後に組み付く。
システムがダウンし、白い巨神が膝をつく。
ついに、連邦の白い悪魔の動きを止めたのだ。
(……見ているか、デニム、ジーン、スレンダー。
これでようやく、貴様たちの遺灰をこの大地に撒いてやれる。
私の栄光ではなく、貴様たちの『無念』のために、この首を獲るッ!)
私とラルは白い悪魔に飛び移り、煙を吹くハッチを力任せにこじ開けた。
そして、中のパイロットを引きずり出す。
だが、そいつの姿を見た瞬間、私とラルの思考は氷結した。
「……若すぎる。いや、これは──」
煙を吹くハッチから引きずり出した少年。
軍服すら着慣れていない、ただの震える少年だった。
アムロ、と胸元のネームに刻まれた、その幼きパイロット。
その澄んだ瞳を見た瞬間、私の思考にノイズが走った。
『兄さん、やめて』
『なぜ、戦うの』
(……アルテイシア?)
あり得ない。
だが、その怯えの中に宿る『拒絶』と『高潔な鋭さ』が。
かつてテキサスコロニーの暗がりで、私を睨んだ妹の面影と、残酷なまでに重なり合う。
私が復讐のために捨て去ったはずの、ダイクン家の『光』。
それが今、泥にまみれた連邦の少年兵の瞳となって、私の『仮面』を射抜いている。
その、わずかな──コンマ数秒の硬直が、致命的な隙となった。
「坊や、だと……?」
ラルが、その少年の肩に手をかけようとした、その時だ。
「……捕まるもんかッ!!」
絶叫と共に、少年の手が跳ねた。
少年の叫びと共に、銀色の殺意が宙を舞った。
安全ピンの抜かれた手榴弾が、スローモーションのように宙を舞う。
「逃がすかッ!」
私が銃を抜くよりも、少年の『生存への本能』が速かった。
爆発が地を噛み、至近距離で炸裂する。
そして。
ラルが、私の前に割り込む。
その巨体が、爆風をねじ伏せ、そして──
「ラル大尉ッ!!」
爆煙の向こうへ、少年が必死に駆けていく。
「貴様ぁああ! よくもラル大尉をッ!!」
殺意に突き動かされ、私はアムロを追おうとした。
だが、血まみれの分厚い掌が、鉄の枷のように私の足首を掴んで離さない。
「シャア、追うな。……行かせてやれ。あの子もまた、この地獄が産み落とした被害者の一人に過ぎん……」
「何を言っている! 離してくれ、あんたの傷が……ッ!!」
私は膝をつき、必死に応急措置を試みた。
だが、ラルの腹部からは、止めどなく赤い命が溢れ出していた。
止まらない。
私の手も、ラルの命も。
ラルは、私の血塗られた手を取り、穏やかな笑みを浮かべた。
「……泣くな、坊や。私は、もう助からん。
……頼む、私の残した者たちを……ハモンや、あのララァのような、行き場のない者たちの盾になってやってくれ……」
「黙れ! 喋るなと言っているッ! ……あんたは、助かる! 私が助けてみせるッ!!」
──待ってくれ
──逝かないでくれ
私はまだ、あんたに何も話せていないんだ!
あんたに昔、助けてもらったことも、
あの時の礼も。
私が本当は……誰であるかも!
何も言えていない! まだ、一つもッ!!
ダイクンの遺児として、ではない。
復讐に汚れた『シャア・アズナブル』ですら、ない。
ただ、ただ、私は、一人の人間として、絶叫していた。
私の孤独を温めてくれた、大きな掌。
私を『復讐鬼』ではなく、一人の男として愛してくれた大きな背中。
「行かないでくれ……あんたは……あんただけは……ッ」
喉の奥から、ずっと言いたかった言葉が、嗚咽と共に漏れ出した。
「……父さん……!」
ラルの瞳が、驚きに、そして慈しみを持って優しく揺れた。
彼は満足そうに目を細め、最期の力を振り絞って私の頬を撫でた。
「……坊や。復讐なんて、もういい。そんなものに、お前の命を燃やすな。
……お前は私の……。私の、自慢の息子なのだから……」
その手が、静かに力を失い、砂の上に落ちた。
ランバ・ラルは、キャスバル・レム・ダイクンの腕の中で、穏やかにその生涯を閉じた。
ダイクンの亡霊を負った遺児としてではない。
ただ一人の、愛された息子の腕の中で。
3.父は二度墜つ、遺灰に捧ぐ謝罪
ラルの遺体は、オデッサの冷たい風の中で火葬された。
高く、高く立ち上る煙を見つめながら、私の心は漆黒の闇に塗りつぶされていた。
復讐だけが、私の人生を支える唯一の拠り所だったはずだ。
だが、この様はなんだ。
私は、ザビ家に血の父(ダイクン)を奪われた。……復讐してやりたかった。
その結果──
私は、このオデッサという戦場を引き寄せ、
魂の父(ラル)を、自らの戦いで死に追いやった。
『自慢の息子』と呼んでくれた、父親を。
復讐の業火が、私から『父』を二度奪ったのだ。
仇を討つたびに、私は最も守りたかったものを、自ら焼き捨てていく。
私は、ララァの元を訪れた。
ララァは、政治犯の娘という出自のため、ドズルの指示でランバ・ラル隊に所属していた。
私はもはや仮面を維持する気力もなく、彼女の膝に崩れ落ち、縋り付いた。
震える声が、自分でも驚くほど惨めに漏れ出す。
「ララァ……。私から復讐という熱を取り上げれば、中には何も残っていない。何もないんだ。
……私は、復讐、以外の生き方を、知らないんだ……!」
「少佐……。シャア、どうなさったの?何があったの?」
ララァは、その細い腕で私の頭を抱きしめ、髪に口づけた。
彼女には見えていたのかもしれない。
私の背後に立ち尽くす、ランバ・ラルや、名前も知らぬ連邦の兵士たち。
そして父ダイクンの、声なき遺灰の群れを。
それでも彼女は、すべてを包み込むように私を抱きしめる。
彼女を求める指先が、小刻みに震える。
君に触れるのは、父を悼む純粋な愛ゆえか。
それとも、世界へのやり場のない憎悪なのか。
自分自身ですら、もう分からない。
愛も、憎しみも。
この温もりさえ、どちらなのかもう分からない。
生きて復讐を遂げることと、死んで父の元へ逝くこと──。
生と死が溶け合う。
明日をも知れぬ、危うい場所で。
混濁した闇の中で、私はただ、彼女の熱に縋って、自分の心臓がまだ動いていることを確認し続けるしかなかった。
彼女の唇が私の髪に触れ、私たちは、明日という出口のない迷宮へ再び沈んでいく──。
夜明け前。
安らかなララァの寝顔を見つめながら、私は震える指で一筆だけ書き残した。
『すまなかった』
それは、彼女を地獄に巻き込むことへの謝罪か。
それとも、彼女の温もりに触れてなお、復讐を捨てきれない自分への決別か。
再び冷たい仮面を被り、私は戦場を行く。
もはや、私を諭し、止めてくれる父はどこにもいない。
復讐という呪縛だけが、今の私を形作っている。
私は、シャア・アズナブルだ。
この『復讐の仮面』と共に、ザビ家を……そして、世界のすべてを焼き尽くす烈火となるのだ。