GAME OF ZABYS ゲーム・オブ・ザビズ 作:GAME OF ZABYS
1.聖者の食卓、寄生虫が座す
あの男から家族を全て奪い取ってやったら、一体どんな顔をするだろう?
ズム・シティのあの絢爛たるルウム戦役の戦勝パーティー。
万華鏡のようなあの場所で、愛という名の重圧に窒息していた『親友』の姿を思い出す。
贅沢なことだ。家族が生きている。
それだけでどれだけの幸福か。
そもそも、このザビ家という檻がなければ、貴様はただの無能だ、ガルマ。
私の唇が冷酷な弧を描く。にもかかわらず、同時に胸の奥を焦がすのは、あの哀れなお可愛い坊やへの、奇妙な憐憫だった。
ああ、そうだ。親の愛、という名の呪い。
私もかつて、あの男のように、その呪いに咽元を締めあげられてきた。ふと、笑いがこみあげる。
いや、かつて、ではない。今も、だ。
傍らのドレン副官が、私に視線を向けて、心配そうに尋ねてきた。
「少佐、どうなさったんで?」
「なんでもない、ただの気分転換だ」
戦艦ムサイのブリッジ。
目的地のサイド7到着までゆうに数時間。実に良い機会だ。
私がまだ『キャスバル』だった頃の、呪われた家族について考えてみよう。
私の父、すなわちジオン・ズム・ダイクンとの親子らしい思い出について。
残念ながら、私の脳細胞には何1つとして残されてはいない。
夜中、酒の匂いを部屋中に撒き散らしながら、演説の推敲で行き詰まっては母アストライアに縋り付く男。
そして、世界の救済という肥大化した妄想を喚き散らす男。
母の温もりを吸い取り、男としての虚栄心を慰撫されなければ公衆の前にも立てないくせに、ひとたび演説台に立てば『全スペースノイドの救世主』である自分に、うっとりと目を細めて酔いしれていた。
──思想という麻薬に脳を浸し、その生贄として母上の人生をすり潰していく狂人。
それが、当時の私の目に映る父の全てである。
世間の歴史家どもが、あの男をどう評価しようが知ったことではない。
実際のところ、ダイクンの息子として、恵まれた環境にいた私にとって『連邦によるスペースノイドの差別』など、どこの異星の寓話かというほど、遠いものだった。
地上の人間がどれほど宇宙を蔑もうが、当時10歳足らずの私の肌に、その冷たい風が触れることがあろうか。
ちょうど同じ頃。
あのダイクン邸の重苦しい空気の中に、よくザビの連中があがり込んできたものだった。
躁鬱気味で気性の荒い父に、おもねるように、卑屈な笑みを浮かべ機嫌を取るデギン。
その背後で、無機質な目をしていたギレンと、微かに軽侮を目に浮かべたキシリア。
彼らは父の機嫌をとる一方で、元・酒場の歌姫で愛妾あがりの母を徹底的に無視した。
だが、何よりも許せないのは、父が彼らを窘めなかったことだ。
彼らが帰ると、ダイクン邸には、強い酒の匂いと、皿の上で冷え切ったパンの、ひどく乾いた匂いだけが残っていた。
ザビ家が我が家の平穏を食い散らかしていった証拠だ。
母の湿った溜息を聞きながら、母と共にそれらを片づけるのも私の仕事だった。
……私にとって食事の匂いとは、安らぎの象徴ではない。孤独の記憶そのものだ。
あの時、私の家の『温室』を最初に汚したのは、連邦の差別などではない。
ザビ家という名の、寄生虫どもだったのだ。
後に、このザビ家の手によって、その温室は根こそぎ叩き割られることになるのだが。
そして、母といえば。
母はいつも、幼い妹を見ていた。
時たま、私の目を真っ直ぐに見据えて言う言葉は、いつもこうだ。
「お兄さん、貴方は強い子です。お兄様なのだから、アルテイシアを守ってやってね」
「今日はお父様の機嫌が悪いの。
アルテイシアを寝かしつけたら……お父様のお食事が終わるまで、お兄様の貴方はお母様と食卓にいてちょうだいね」
兄さん、お兄さん、キャスバル兄さん──。
私は母の、世界で唯一の気高き騎士だった。母上は私を信じ、私を頼りにしていたのだ。
……そう思わなければ、やっていられなかった。
その母は、ザビ家に幽閉されて孤独のままに死んだ。
あの情けない父親を全肯定で支え続けた果てに。
なぜ、待っていてくれなかった。
なぜ、私を置いていった。
私は、母の写真1枚持っていない。
記憶の中の母だけだ。それだって薄れていく。
朧げな母の記憶が、ぐにゃりと歪んで像を結ぶ。
『そんなお兄さん、嫌いだ!!!』
──アルテイシア。
テキサスコロニーのレストランのあの暗がり。
私とあの子を監視する男の顔面を、私が容赦ない暴力で打ちのめしたあの瞬間、背後でアルテイシアが泣いていた。
──彼女はいつだってそうだ。
安全な場所から、正論を吐くだけの説教臭い女。
「兄さん、やめて」
「なぜ戦うの」
──それだけを言って、では一体どうなるというのだ。
私が手を汚さなければ、私たちはあの地底で、とっくにザビ家にすり潰されて死んでいたというのに。
私はアルテイシアを愛している。
それは命に代えても揺るがない。
だが、重荷だった。
あの妹は、私にとって強烈な『重荷』だった。
守らなければならないという義務。
私の生き様を、復讐を、その綺麗な正論で全否定してくる呪い。
彼女の前に出ると、私はいつまでも『母の言いつけを守るだけの都合の良い人形』に戻されてしまう。
……解放されたかった。
あいつのその、正しい説教から。
2.赤い彗星、聖餐を食む
「シャア少佐。サイド7への侵入軌道、確定しました」
ドレン副官の無機質だが、どこか温かみのある声が艦内に響く。そこで、私の思考は、霧が晴れるように澄み渡る。
ドレンは、右手を軍服の右ポケットに添えていた。家族の写真をしまっている場所だ。
この無骨な男には、重要な任務の前に、ポケットの上から写真を撫でる癖がある。
(……知っている。あのドレンの写真に写る、愛らしい妻と二人の幼い子供たちの顔を。)
「ドレン。……君の子供たちは、元気か」
不意に投げかけた私の言葉に、ドレンは驚いたように目を見開き、それからすぐに、これ以上ないほどに相好を崩した。
「ハッ……! おかげさまで。上のやつが、次は少佐のザクのプラモデルが欲しいとせがんでおりまして」
「そうか。……なら、次はもっと格好良い手柄を立ててやらねばな」
私は努めて軽く答え、視線をモニターへと戻す。
ドレンの誇らしげな声が、私の胸の奥に、温かな火を灯す。
サイド3の場末にあるドレンの狭いアパート。
私はそこへ上官として食事に招かれたことがある。
贅沢な宮廷料理など何一つない。安価なスパイスと合成肉の、ひどく家庭臭いシチューだ。
だが、美味かった。
あの泥臭いスープは最高に美味かった。
ダイクン邸に残されていた、あの冷え切った乾いたパンとは違う。
湯気が立ち上る温かいスープにパンを浸して食べた時、味を感じた。
あのスープこそが、私の咽喉を焼くダイクンの呪いを、ザビ家の毒を、驚くほど優しく洗い流してくれたのだ。
ドレンの妻が緊張で手を震わせ、子供たちがザクの模型を誇らしげに見せてくれたあの夜。
私は、母親の顔色を窺う『騎士』でもなく、連邦を蹂躙する『赤い彗星』でもない。
ただの『一人の男』として、生まれて初めて、息ができたのだ――。
3.自由という名の怪物
そのドレンが、そしてブリッジに詰める若きジオンの兵士たちが、熱い期待と信頼の瞳で私を見つめ、次の指示を待っている。
私が本名を捨て、名前を偽り、地獄のような戦場を自らの腕一本で生き抜いて、勝ち取った、私自身の『本物の居場所』。
私を心の底から頼り、私の戦術に命を投げ出す彼らこそが、私にとっての、新しい、唯一の家族だった。
「少佐、モビルスーツ隊、いつでもいけます。少佐の赤いザクに、遅れは取りません!」
一人の若いパイロットが、紅潮した顔で私に敬礼する。
その真っ直ぐな視線が、私の凍りついた胸の輪郭を、不器用に温めていくのを感じる。
──自由だ。
今の私のなんと自由なことか!
妹を守る『重荷』から解放され、陰惨な過去はすべて一掃した。
今の私は、世界中から見つめられ、この愛すべき部下たちに熱狂されながら、『赤い彗星』となって真紅のザクを縦横無尽に駆っている。
この圧倒的な万能感、この支配の快楽。
私はもう、誰も救えない怪物だ。優しさなどという感傷は、あのテキサスの地底に置いてきた。これこそが、私の求めた自由だ。
──そう、自分に言い聞かせるように。
ザビ家への殺意という名のガソリンを脳髄に注ぎ込まなければ、いつあのテキサスの暗がりが、妹の泣き声が、私の足を引っ張り出すか分からないのだから。
この手で掴み取った私の居場所を、部下達を脅かす者がいるならば、連邦のバケモノであろうと、決して容赦はしない。
連邦が秘密裏に開発したというモビルスーツ。
必ずや私の手で鹵獲し、我がものにしてやろう。
このまま軍で圧倒的な武功を立てて出世し、ジオン公国の中枢に食い込んでやる。
私のすべてを奪い、あの可哀想な母上を孤独の中に置き去りにしたザビ家の連中を、一人残らず皆殺しにしてやる。
「ドレン、モビルスーツ隊、出撃用意。……私が出る。我が『家族』に、勝利の栄光を!」
「ハッ、シャア少佐!!! 勝利の栄光を、我が部隊に!!!」
ドレンが嬉しそうに胸を張り、ブリッジに地鳴りのような歓声が上がる。
仮面を深く被り直し、私は戦場という名の、唯一の呼吸ができる場所へと飛び出した——。