GAME OF ZABIS ゲーム・オブ・ザビズ 作:GAME OF ZABYS
1.砂の上の新しい地図
「……現在、我が軍が実効支配しているラインを国境として固定する。
そして、地球連邦との間に五十年の不可侵条約を結ぶ。
これが、私の考える『ジオンの勝利』だ、ララァ」
北米司令部の深夜。
父デギンから贈られた、巨大な執務デスク。
私はそのデスクで地図を広げていた。
北米の地図ではなく、地表全てを見渡す世界地図。新たな『国境線』が記された地図だ。
(父上からいただいたこのデスク…。最初は身の丈に合わないと思っていた。だいぶ馴染んできたな)
ニューヤークの民衆にパンを配った。
父上とドズル兄上には、講和の賛同を取り付けた。
──歴史の歯車を、この私が回しているようじゃないか?
あまりの万能感に、どうにかなってしまいそうだ。
そして、私の傍らには、不思議な預言の少女、ララァ・スンが、水晶のような瞳で地図を見つめている。
「美しい地図です。……でも、ギレン総帥やキシリア様は、この美しさにご納得なさらないでしょうね」
「わかっている。……だが、ドズル兄上は『戦い続けるだけが、軍人の仕事ではない』と言ってくれた。
父上も、もう老いた。平和を、休息を求めているのだ」
私は、隣に座るララァの『預言』を、自らの『意志』で実現させてみせると決意を強くしていた。
2.公王庁の審判、死者の重石
数日後。サイド3、公王庁。
巨大なホログラムパネルを通じて、私は父上、ギレン兄上、キシリア姉上、ドズル兄上に対し、意気揚々と講和案を読み上げた。
しかし、だ。
ギレン兄上は、私の話を途中で遮り、耐えきれないといった様子で、唇を歪めて嘲笑し始めた。
「……不可侵条約だと? ガルマ、君はいつからこのジオンを『物乞いの国』にしたのだ?」
私だって、負けてはいない。
「物乞いではありません、兄上! これは名誉ある終戦の提案です!」
だが、そんな私の心をくじくかのように、キシリア姉上の氷のような声が遮る。
「ガルマ。貴方が民衆にパンを配って浮かれている間に、宇宙ではどれほどの血が流れたか忘れたわけではありませんね。
……それとも、ドズル兄上の懐に入って、ソロモンの物資を私物化したことで、自分が『独立した司令官』にでもなったつもりかしら?」
姉上の、刺すような視線がホログラム越しに私を貫く。
「……ドズル兄上が、父上に貴方の『統治の成果』とやらを余計に吹聴してくれたおかげで、公王庁のパワーバランスがどれほど乱れたか、そのお頭では理解できないようね。
地球司令官が、私の管理を離れて好き勝手するなど、序列を考えれば、本末転倒なのですよ」
私は疚しさと罪悪感で、姉上の顔を見ることができなかった。
ドズル兄上が困った顔で、間に入ってくれた。
「ギレン兄上、キシリア姉上!そうガルマを追い詰めてやるな!まずは、ガルマの話を最後まで聞いてやれ!」
私は困り果ててしまい、父上に目をやり、救いを求めた。
その父上が口を開こうとした矢先、それを遮るかのように、ギレン兄上が立ち上がった。
私は思わず怯んでしまう。兄の背後には、ジオンの全将兵の怨念を背負っているかのような、圧倒的な圧迫感があったのだ。
「ガルマ。……和平を唱えるということは、これまで死んだ兵士たちを裏切ることだとは思わないのか?
連邦がスペースノイド達にしてきた、差別や虐待の歴史……その贖(あがな)いをさせずに、どうして彼らの霊が眠れるというのだ」
「それは……」
思わず私は言葉に詰まった。
死者の血。
いざ、その重みを突きつけられると、足がすくんだ。
流された血を思えば、
──地図を片手に万能と感じた私の平和は、あまりにも軽薄で、わがままな子供の夢のように思えてしまったのだ。
「答えられないか。ならば、国民の前で語ってみるがいい。
三日後、全チャンネルを繋いだ公開討論会を行う。
……そこで民衆を納得させられれば、公王府として講和を検討しよう」
「公開討論会?!……そんな、急に、ま、待ってください!兄…」
食い下がる私の言葉を、ギレン兄上の冷酷な笑みが遮った。
「……案ずるな、ガルマ。国民には常に、退屈を凌ぐための『最高の娯楽』が必要なのだ。
私が、お前のような『自惚れた平和の騎士』を、どのように論理の数字で飲み込み、平らげてみせるか……。
全人類が『正しい統治』とは何かを学ぶための、最高の教科書にしてやろう」
「教育、だと……? 兄上、私は!」
通信がぷっつりと切れる。
あのギレン兄上と公開で、討論、だと…。
そんなもの、あいつの独壇場じゃないか!……公開処刑だ。
既に、墓に埋葬されたかのような気分だった。
3.亡霊の憑依、ダイクンを呼ぶ声
北米司令部。
すっかり意気消沈した私を待っていたのは、イセリナの優しい抱擁……ではなく、ララァの徹底した『言葉の訓練』だった。
ララァは私の前に立ち、まるで何かが彼女に乗り移ったかのような、峻烈な口調で語り出した。
「お言葉ですが、兄上! 裏切りではありません!」
私は思わず目を見開いた。
──ジオン・ズム・ダイクン。
幼いころ、父上とギレン兄上に連れられて、何度か会ったことがある。あの演説場。
人々を熱狂させた、あの思想家。幼い私を膝に乗せてくれたこともある、言葉の魔術師。
ララァの声に、あのジオン・ズム・ダイクンが持っていたような、聴く者の魂を揺さぶる『躍動』が宿っていたのだ。
「いかにジオン兵一人が優れていても、連邦との国力は30対1!
30人の連邦兵に、1人のジオン兵が挑んだら、袋叩きにされて負けます!
私たちは、戦う力が残っている今だからこそ、講和をしなければならないのです!」
彼女は一歩、私に近づく。
湖のような瞳が、私の魂を震えさせる。
あの言葉の魔術師が、かつて幼い私を躍動させたように。
「長期戦に持ち込まれ、今の戦力を失えば、我々は完全に連邦に屈服することになってしまう!
それでは、宇宙コロニーはいつまでたっても奴隷のままだ!
それでは、ジオン・ズム・ダイクンの遺志を果たせない!」
──ダイクンの遺志。
その言葉が、雷鳴のように部屋に響いた。
「ガルマ様、どうでしょう? ……ガルマ様の御意志を、うまく言葉にできているでしょうか?」
ララァは元の、穏やかな少女に戻って微笑む。
私は震える手で、彼女の肩を掴んだ。
「ああ……そうだ。そうだ、ララァ。君の言う通りだ!
そもそも……私たちは宇宙コロニーを独立させ、スペースノイドの自由と尊厳を守るために戦ってきたのだ。
……それ以上の何を、兄上たちは望んでいるというのだ」
完璧だ。
ララァがいれば、私は、自分の意志を、情熱を、人に伝わる言葉にできる。
──あたかも、あの魔術師のように!
──いや、違う。
魔術師のように、ではない。
私に魔術師の言葉を、教えてくれたのは──
「私が幼い頃、ギレン兄上が、よく、ジオン・ダイクンの話をしてくれたのだ。
人が宇宙を目指す理由を。
小さな私でも分かるように、噛み砕いて、繰り返し…話してくれた」
ララァはじっと私を見つめて、話を聞いてくれていた。
「君も知っているだろう。我がザビ家が、ジオン・ズム・ダイクンの暗殺の虚偽をかけられていたことを。
……あの時から、ギレン兄上は変わってしまわれたのだ」
そうだ。ダイクン暗殺で混迷を極めたあの頃。
ザビ家の一族が、学校や社交場で、どのような仕打ちを受けたか。
私は『人殺しの息子』と石を投げられ、泥だらけで帰宅したことも少なくなかった。
それでも、絶望する父、サスロ兄上の突然の死に苦悶する兄たちの顔を見たら、誰が本当のことなど言えようか。
日に日に私は食事が喉を通らなくなり、感情を表に出せなくなっていた。
──だが、ギレン兄上だけが気づいた。
常に冷静で周囲に聡い兄上だけが、気づいてくれたのだ。
死人のような顔で食卓に座る私の口に、ギレン兄上は、ちぎった黒パンを押し込んだ。
「落ち込む体力があるなら咀嚼しろ、ガルマ。死ねば数字にもなれん。
……飲み込め。それがお前の血になり、ザビ家の力になるのだ」
兄上の指先は冷たかったが、そのパンだけが、地獄のような数日間で唯一感じた温もりだった。
その後の兄上の行動は早かった。
デギン父上の反対を押し切り、私をサイド6の名門寄宿学校へ編入させた。教師は温かく、友人は優しかった。
数年後、私が卒業してサイド3に戻ってきた時には、兄上の辣腕で、ザビ家は名誉を回復し、サイド3を牽引する存在となっていた。
──我がザビ家はジオン・ダイクンの正統なる後継だ。
──ギレン兄上と、あの時のようにダイクンの思想を話し合えたら……!
私は、恐ろしくてたまらなかった討論会に、確かな手ごたえを感じつつあった。
4.彗星は赤く凍てつく
シャアとランバ・ラルがオデッサから帰還した。私は二人を出迎えた。
「シャア!ランバ・ラル大尉! 戻ったか、よくやってくれた!」
オデッサから帰還した親友の姿を見つけ、私は駆け寄った。
シャアは少し疲れた顔をしていたが、私の顔を見るなり、いつものように仮面の下で不敵に微笑んだ……ような気がした。
「ああ、ガルマ。……オデッサの偵察報告だ。
キシリア少将はモビルスーツを鹵獲するどころではない、相当焦っておいでだ。
……ところで、そちらはどうだ? ギレン総帥と討論会なのだろ?」
「ああ、それだ! シャア、君にもぜひ聴いてほしい。
ララァという素晴らしい家庭教師のおかげで、私はついに、兄上たちを、いや、民衆を説得する『力』を手に入れたんだ!」
私は興奮を抑えきれず、シャアの前で、先ほどララァと練習したばかりのフレーズを披露した。
「……ジオン・ズム・ダイクンの遺志は、闘争にあるのではない!
今こそ私たちが、ダイクンの遺志を実現し、真の自由を手にするのだ!」
これだ。
この「ダイクン」という言葉を口にした瞬間、空気が震えるような躍動感がある。
……だが、どうしたことだろう。
私の言葉を聴いた瞬間、シャアが、石像のように固まった。
仮面の奥の瞳が、見たこともないほど冷たく、凍り付いた光を放った……ように見えた。
まるで、私が彼に、何か、してしまったみたいに──。
「シャア……? どうしたんだ、そんな怖い顔をして」
「……いや。驚いただけだよ、ガルマ。君からそんな、勇ましい名前が出るとは思わなかったからな」
シャアの声は、低く、どこか遠くから響いているようだった。
彼はそのまま、私と視線を合わせることなく、静かに部屋を出ていこうとした。
「……素晴らしい『武器』だ、ガルマ。君にこれほど似合う言葉は、他にない。……討論会、期待しているよ」
背中越しにかけられた言葉に、私は胸を撫でおろした。
シャアは疲れているのだ。それなのに、私は彼を引き留めてしまった。
私は、親友が自分の成長を喜んでくれたことが嬉しく、その背中に向けて力強く頷いた。
「ララァ?どうしたんだ?」
ララァが、青ざめた顔で、床に座り込んでいる。ひどく息が荒い。
私は必死で彼女の背中をさする。
「ララァ?ララァ?!どうしたんだ、しっかりしてくれ!誰か!医者を!」
「ガルマ様、私、私……。取り返しの、つかないことを……」
5.公王の草稿、掌に歪む
討論会前日。
私は夕刻にサイド3に舞い戻った。
私は父上の自室に呼ばれた。
父上は座ったまま、私を近くに呼び、頬を撫でてくれる。
「ガルマ……。ギレンに勝とうとするな。
ただ、生き残れ。……ギレンの言葉は『毒』だ。
あやつの論理に触れれば、お前もまた、人間ではなくなってしまう」
「人間ではなくなってしまう?それはどういうことなのですか?」
父上は深いため息をついた。
今からでも討論会なぞやめてくれ、とでも言うように。
公王庁のバルコニー。
ギレン兄上が、いた。
西日に照らされた兄の顔は、私が今まで見たことのないほど穏やかで、何かを慈しむように見つめていた。
『スペースノイド独立宣言』の古い草稿。
──父上がかつて執筆したものだった。
「……父上。貴方は優しすぎた。あるいは、賢すぎたのかもしれません」
兄上が零(こぼ)した、祈りのような、あるいは嘆きのような呟き。
私は胸が熱くなった。
ああ、やはり兄上も父上を愛しているのだ!
かつて全人類を導く熱を持っていた父が、今は老い、平和を求めている。
……兄上はその『平和への祈り』を、誰よりも深く理解し、継ごうとしているのではないか。
「兄上。……父上の夢は、私が必ず形にしてみせます」
私は決意を込めて、兄上に告げた。
すると、兄上はゆっくりとこちらを向き、普段は冷酷なその顔に、穏やかな……あまりに穏やかな笑みを浮かべた。
兄上が握りしめた草稿が、みしりと音を立てて歪む。
『父の理想への強い想い』を表すかのように。
兄上が求めているのは、父上の理想の『完成』なのだ。
たとえそのために、どれほどの犠牲を払うことになっても──。
私は、兄上を恐れていた。
だが、兄上と私は、父上の夢を実現する、この1点でつながっている。
──分かり合えるはずだ。あのニューヤークでそうだったように。
こうして私は、自ら進んで討論会という名の『審判』の場へと足を踏み出した。