その日、ソルはいつもどおり港に出た。
出ていくなら朝のうちだと分かっていた。扉の印を見た以上、一日でも長く留まるのは愚かだ。それでも足は荷揚げ場へ向かった。明日も来る、とあの子は言ったのだ。予定に組み込んだ、と。
せめて、もう一度だけ。
そう思った自分を、ソルは心の中で何度も殴った。
けれど、その日、彼女は来なかった。
昼になっても。夕方になっても。坂の上に、あの三角帽子は見えなかった。
「代理人さん、今日は来ねえな」
作業員の一人が、残念そうに言った。
「長引く審理でもあるんじゃないか」
「そうだね。きっとそうだよ」
ソルは笑って答えた。飽きてくれたなら、それでいい。むしろ好都合だ。最後に顔を見られなかったのは――少しだけ、寂しかったけれど。
日が落ちる頃、空が崩れた。
網小屋に戻ると、ソルは荷物をまとめた。まとめるほどのものはない。着替えが二枚。予備の眼鏡。帆布に包んだ槍。それから、引き出しの底の、茶色く変色した新聞の切れ端。
切れ端だけは、コートの内ポケットにしまった。神の目と同じ場所に。
夜の貨物船が出るのは、十一時。それに潜り込めば、明日の朝にはフォンテーヌを出られる。行き先はどこでもよかった。
雨の路地は暗く、石畳を叩く音しか聞こえなかった。
――いや。
雨音の中に、別の音が混じっていた。濡れた石を踏む、重い靴底の音。前に二つ。後ろに一つ。それから、どこにも見えないのに、確かにそこにいる気配が一つ。
ソルは足を止めた。
「……こんばんは。いい雨だね」
路地の前方、街灯の届かない暗がりから、二つの人影が姿を現した。灰色の軍装に、仮面。ファデュイの先遣隊だ。
「探したぞ、『日蝕』」
片方が言った。
「ヴィクトル様がお呼びだ。おとなしく戻れば、手荒なことはしない」
その名前に、胃の底が冷たくなった。
ソルは小さく息を吐き、それから、いつもの顔で笑った。
「人違いだよ」
先遣隊が動いた。
ソルは担いでいた帆布の包みを、そのまま槍として突き出した。一人目のみぞおちを打つ。雨で滑る石畳の上で、二人目の剣が横から来る。半歩退いて、柄で受ける。
足元の水たまりが、一瞬で白く凍りついた。踏み込んできた先遣隊の足が滑り、体勢が崩れる。そこへ石突きを叩き込む。
後ろの一人が銃を構えた気配。振り向きざまに槍を薙ぐと、帆布が裂け、細身の穂先が露わになった。刃先に霜がまとわりつき、雨粒が氷の欠片になって散る。銃身を弾き飛ばす。
喉を突けば、それで終わる。
体はそれを知っていた。地下の決闘場で、何百回と繰り返した動きだ。最短で、確実に、息の根を止める。
ソルは穂先を逸らし、相手の肩を打った。
殺さない。殺したら、あの頃に戻ってしまう気がした。あの子がパンを差し出してくれた、この手で。
そのとき、右手が震えた。
いつもの震えだ。無理をした日の。だが、よりによって今だった。槍の柄を握る指から、一瞬だけ力が抜ける。
見えなかった四人目が、そこにいた。
デットエージェント。雨に溶けるように姿を消していた暗殺者の短刀が、脇腹に深く潜り込んだ。
熱い、と思った。それから、冷たい、と。
ソルは歯を食いしばり、左手だけで槍を振り抜いた。冷気が爆ぜ、路地一面に氷の棘が走る。デットエージェントが跳び退き、先遣隊たちが凍りついた足元に足を取られて倒れ込む。
その隙に、ソルは走った。
どこをどう走ったのか、よく覚えていない。眼鏡はいつの間にか水たまりに落としていた。雨が目に入る。脇腹から流れ出る温かいものが、すぐに雨に冷やされていく。
海の匂いがした。
防波堤の石壁に、背中が当たる。そのまま、ずるずると座り込んだ。
追ってくる足音は、もう聞こえない。撒いたのか、それとも、待っているだけなのか。どちらでもいい気がした。
瞼が重い。
眠ったら、たぶん、もう起きられない。
ソルは目を閉じて、口の中で数え始めた。昔、あの子に教えたやり方だ。怖いときは、数を数える。数えているあいだは、自分がまだここにいると分かるから。
「……いち。……に。……さん」
雨の音が遠くなっていく。
「……しち。……はち……」
九が、出てこなかった。
そのとき、雨音の向こうから、石畳を踏む足音が近づいてきた。重い靴底ではない。軽く、迷いのない、聞き覚えのある歩き方だった。
◇
その日の審理は、思いのほか長引いた。
証人の一人が証言を翻し、審理は夜までもつれ込んだ。閉廷の鐘が鳴ったとき、窓の外はすでに暗く、雨が降り始めていた。
予定に組み込んだ、と言った。
クロリンデは帽子をかぶり直し、外套の襟を立てて歌劇場を出た。夜の水上船に乗れば、ポワソン町まではそう遠くない。
網小屋の階段を上ったとき、最初に気づいたのは扉だった。鍵がかかっていない。中には、誰もいなかった。
寝台の上の毛布は、きちんと畳まれている。机の引き出しは開いたまま、空になっていた。壁際に立てかけてあったはずの、帆布の包みもない。
出ていったのだ、と分かった。
胸の奥で、何かが冷たく沈んだ。だが、それを確かめる間もなく、クロリンデの目は別のものを捉えていた。
扉の下のほう。雨に流されかけた、白い粉の跡。
誰かが、ここに何かを描いて、そして消した。
クロリンデは階段を駆け下りた。
雨の路地に出ると、師匠に叩き込まれた狩人の目が、勝手に周囲を読み始める。
石畳の上に、まだ溶けきっていない氷の欠片が散らばっていた。この雨の中で、氷。路地の壁には、斜めに走る霜の跡。水たまりの縁には、重い軍靴の足跡が四つ分。一つは、途中から唐突に現れている――姿を隠して近づいた者がいたのだ。
そして、水たまりの中に、色の入った眼鏡が一つ沈んでいた。
拾い上げる。レンズに、細い罅が入っていた。
足元に、灰色の布切れが落ちていた。軍装の袖口から千切れたもの。そこに縫いつけられた小さな徽章を、クロリンデは知っていた。
ファデュイ。
眼鏡を握りしめたまま、クロリンデは路地の先を見た。
雨に薄められて、ほとんど見えなくなりかけた赤い点が、石畳の上に点々と続いている。海の方角へ。
走った。
血の跡は、ときどき途切れた。そのたびに、壁に残った手の跡を、乱れた足取りの泥を、引きずった靴先の傷を探した。追跡は狩人の基本だ。獲物がどこへ逃げたか。どこで力尽きたか。
――獲物じゃない。
クロリンデは奥歯を噛みしめた。
防波堤が見えた。
石壁にもたれるように、誰かが座り込んでいた。灰白色の髪が、雨に濡れて額に張りついている。脇腹を押さえた手の下から、黒い染みが広がっていた。
駆け寄って、膝をつく。
彼は目を閉じていた。唇が、かすかに動いている。
雨音に紛れて、ほとんど聞き取れない声。
「……しち……はち……」
そこで、声が途切れた。
数えている。
クロリンデには、それが何なのか分かった。暗い地下で。床下の隙間で。怖いときはこうするんだと、彼が教えてくれた。数えているあいだは、まだ自分がここにいると分かるから。
彼は、九を数えられずにいた。
クロリンデは、彼の冷たい手を取った。
「九」
自分の声が、震えていないことを確かめながら。
「十」
閉じていた瞼が、ゆっくりと持ち上がった。
眼鏡のない、金と紅の目。焦点の合わない瞳が、雨の向こうのクロリンデを映す。
「……そと、か」
子供のような声だった。
それだけ言って、彼の頭がクロリンデの肩に落ちた。
「ソル」
返事はない。だが、手のひらに伝わる脈は、弱くても、まだ確かにそこにあった。
クロリンデは彼の腕を自分の肩に回し、立ち上がった。重い。二十年前、自分より少しだけ大きかった男の子は、今では見上げるほどの背丈になっていた。
「……今度は、私が連れていく」
誰にともなくそう言って、クロリンデは雨の中を歩き出した。
◇
フォンテーヌ廷の下層にあるクロリンデの部屋は、狭くて、物が少ない。
寝台と、机と、武具の手入れ道具を並べた棚。窓辺には、活けそこねたまま萎れかけた花。客を招くための部屋ではなかった。誰かをここに入れたのは、ナヴィア以外では初めてだった。
濡れた外套を剥ぎ取り、シャツを鋏で切り開く。
脇腹の傷は深かったが、刃は内臓を逸れていた。狙いが甘かったのではない。刺された瞬間に、彼が体を捻ったのだ。そうでなければ、今ごろ息はなかっただろう。
湯を沸かし、傷口を洗い、針と糸を用意する。狩りの最中に獲物の牙や爪で裂かれた傷を、自分で縫ったことは何度もある。師匠は手当てだけは丁寧に教えてくれた。痛みで気を失わないように、と前置きしてから、容赦なく。
一針ずつ縫い合わせていきながら、クロリンデは、彼の体に刻まれたものから目を逸らせなかった。
傷痕が多すぎた。
刃物の痕。何かで殴られた痕。古い火傷。治りきらずに引きつれた皮膚。新しいものも、古いものもある。何年もかけて、少しずつ増えていった傷だ。
首には、ぐるりと一周する細い痕があった。擦れて、何度も皮が剥けて、そのたびに治った痕。何かを長いあいだ首に嵌められていた者の痕だった。
首輪だ、とクロリンデは思った。
喉の奥が、焼けるように熱くなった。
それから、胸の真ん中。鳩尾の少し上に、奇妙な痕があった。
傷ではない。皮膚の下に、黒っぽい硝子の欠片が埋め込まれているような、不自然な盛り上がり。その周りの皮膚だけが、薄く青ざめていた。指先でそっと触れると、ひやりと冷たい。体温が、そこだけ吸い取られているようだった。
何だろう、これは。
クロリンデは眉をひそめたが、今は傷の手当てが先だった。縫い終えた傷口に薬を塗り、包帯を巻く。濡れた体を拭き、乾いた毛布で包んだ。
それから、床に放り出した彼のコートを拾い上げた。乾かそうとして、内ポケットの重みに気づく。
取り出したのは、二つのものだった。
一つは、神の目。淡い水色に光る、氷元素の神の目だ。港で見た霜も、路地に散らばっていた氷も、これだったのだ。
もう一つは、紙切れだった。
何重にも折り畳まれ、角が擦り切れ、茶色く変色した古い新聞の切れ端。雨で少し湿っていたが、内ポケットの奥にしまわれていたおかげで、文字はまだ読めた。
開いた瞬間、自分の名前が目に飛び込んできた。
『無敗の決闘代理人クロリンデ、今季も勝利を重ねる』
何年も前の記事だった。決闘代理人になって、まだ間もない頃のものだ。挿絵の自分は、帽子を目深にかぶっていて、ほとんど顔が分からない。
それなのに、この紙は、何度も、何度も開かれて、閉じられた跡があった。折り目のところは擦れて、今にも千切れそうになっていた。
クロリンデは、寝台の脇の椅子に腰を下ろした。
両手で新聞の切れ端を持ったまま、動けなかった。
人違いだと、彼は言った。そんな子は知らない、と。
これを、ずっと持っていたくせに。
窓の外で、雨音が少しずつ弱まっていった。どれくらいそうしていたのか、分からない。
寝台の上で、毛布が小さく動いた。
目を覚ました彼が、ぼんやりと天井を見上げている。眼鏡のない目が、ゆっくりと部屋の中をさまよい、それからクロリンデを見つけた。
彼の右手が、反射的に顔へ向かう。眼鏡を探して。
それから、その手が止まった。
彼の視線は、クロリンデの手の中にあるものに注がれていた。
長い沈黙があった。
「……それ、見ちゃったか」
掠れた声で、彼は言った。
「人違いだと言うなら」クロリンデは、新聞の切れ端を彼の前に掲げた。「これは何だ」
彼は答えなかった。ただ、天井を見上げて、細く息を吐いた。
やがて、その口元に、小さな笑みが浮かんだ。いつもの継ぎ目のない笑顔ではなかった。疲れて、諦めて、それでもどこか安堵したような、不格好な笑みだった。
「……降参」
金と紅の目が、まっすぐにクロリンデを見た。
「久しぶり、クロリンデ」
◇
二十年ぶりに声に出したその名前は、思っていたよりもずっと簡単に出てきた。
クロリンデは何も言わなかった。新聞の切れ端を膝の上に置いたまま、ただ、こちらを見ていた。帽子を脱いだ彼女の顔を、こんなに近くで見るのは初めてだった。紫の瞳。あの地下の暗闇の中でも分かった色だ。
「……あの夜、何があった」
静かな声だった。法廷で被告に問いかけるときの声とは、少し違う。
ソルは天井を見上げた。どこから話せばいいのか分からなかった。だから、一番最初から話すことにした。
「君を床下に押し込んだあとさ。俺も、すぐに後から行くつもりだったんだよ。本当に」
上のほうが騒がしくなって、大人たちが走り回っていた。誰かが「警察隊か」と叫び、違う、たった一人の女だ、と別の誰かが叫び返していた。
「親方がね、言ったんだ。『一番高い商品だけは持って逃げろ』って」
一番高い商品。
それが自分のことだと、六歳のソルにも分かった。この目のせいだ。金と紅の、珍しい目。買い手がもうついていると、前から聞かされていた。
「首根っこを掴まれて、裏口から引きずり出された。暴れたけど、六歳だからね。どうにもならなかった。外に馬車が待ってて、そこに放り込まれて」
馬車が動き出した。小さな窓から、外が見えた。
「表のほうで、扉が開くのが見えた。黒いマントの人が、子供を一人抱えて出てきた。暗くて顔は見えなかったけど、すぐ分かったよ。君だって」
あのとき、ソルは窓に額を押しつけて、ずっとその姿を見ていた。黒いマントが角を曲がって見えなくなるまで。
「――ああ、外に出られたんだ、って思った」
それが、ソルにとって、あの夜の全部だった。
自分が売られていくことより、そっちのほうがずっと大事だった。
「……それから」
クロリンデの声が、かすかに低くなった。
「それから、どうなった」
ソルは少しだけ迷った。全部を話すつもりはなかった。話せないことのほうが、ずっと多い。
「地下の決闘場に売られた。『籠』って呼ばれてたとこ。金持ちが賭けをして、子供同士を戦わせるんだ。……ほら、フォンテーヌって決闘が好きだろ? 表の決闘を真似した、裏の遊びだよ」
軽く言ったつもりだった。天気の話をするみたいに。
「最初の何年かは、毎晩泣いてたかな。そのうち泣かなくなった。泣くと、次の日に負けるから」
負けた子がどうなったかは、言わなかった。
「八年いた。一度も負けなかったよ。おかげで『日蝕』なんて大層な名前で呼ばれてさ。この目のせいだね。……ああ、そうだ。君と同じだよ。無敗」
冗談のつもりで付け加えて、すぐに後悔した。クロリンデの顔が、凍りついたように動かなくなったからだ。
「……そのあとは」
「そのあとは、まあ、いろいろ。決闘場がなくなって、北のほうに流れて、傭兵みたいなことをしてた」
嘘ではない。全部でもない。
ファデュイのこと。胸に埋め込まれたもののこと。命令で斬った人たちのこと。それから、あの雪の日のこと。
それは、言えなかった。言えば、この子はもっと傷つく。
「さっきの連中は」
「昔の雇い主と、ちょっと揉めてね。辞め方が、あんまり円満じゃなかったんだ」
ソルは笑ってみせた。
クロリンデは、笑わなかった。じっとこちらを見ている。その紫の目が、継ぎ目を探しているのが分かった。
法廷で何百人もの嘘を見抜いてきた目だ。今度の嘘には、たぶん継ぎ目がある。
それでも彼女は、それ以上は聞かなかった。
◇
聞きたいことは、まだたくさんあった。
彼の言葉には、隙間があった。北のほうで傭兵みたいなこと。昔の雇い主。それで片づけるには、彼の体の傷は多すぎたし、あの胸の冷たい痕は、あまりにも奇妙だった。
けれど、クロリンデはそれ以上は踏み込まなかった。
今それを聞けば、彼はまた笑って、継ぎ目のない嘘で塗り固めるだろう。それより先に、言わなければならないことがあった。
「……私は、外に出たあと」
自分の声が、ひどく遠くに聞こえた。
「師匠に頼んで、あそこへ戻ってもらった。あなたを連れ出してほしいと。泣いて、叫んで、頼んだらしい。よく覚えていないが」
「……うん」
「あなたは、もういなかった。鉄格子の中は空っぽで、あなたがいつも座っていた隅には、何も残っていなかった」
膝の上で、新聞の切れ端を持つ手に力が入った。
「死んだと、思っていた」
ソルは、何も言わなかった。
「二十年だ。二十年、あなたは死んだと思って生きてきた。それなのに、あなたは――」
声が、詰まった。
言葉が続かない。法廷でも、決闘の場でも、言葉に詰まったことなど一度もなかった。必要なことを、必要なだけ言う。それが自分のやり方だったはずなのに。
「私だけが、外に出た」
ようやく絞り出した声は、自分のものとは思えないほど掠れていた。
「あなたが隠してくれたから。あなたが私を床下に押し込んで、十数えろと言ってくれたから。私は外に出られた。あなたは、出られなかったのに」
師匠に拾われ、剣を教わり、神の目を得て、決闘代理人になった。明るい舞台の上で剣を振るい、名前を呼ばれ、花を投げられてきた。
その全部が、彼が暗い場所に残ったから、手に入ったものだった。
ぽたり、と何かが新聞の切れ端の上に落ちた。
雨漏りかと思った。違った。
クロリンデは、帽子をかぶっていないことに気づいた。顔を隠すものが、何もなかった。
「……それで、よかったんだよ」
寝台の上から、ソルの声がした。穏やかで、優しい声だった。
「君が外に出られたなら、俺はそれでよかった。本当に。馬車の窓から君を見たとき、俺、すごく嬉しかったんだ。だから――」
「よくない」
クロリンデは顔を上げた。濡れた頬を拭いもせずに、彼を見据える。
「よくない。あなたは『すぐ行く』と言った。私は待っていた。ずっと、待っていたんだ」
ソルの笑みが、ゆっくりと崩れた。
「……ごめん」
小さな声だった。二十年分の重さを、全部その一言に押し込んだような声だった。
クロリンデは、長く息を吐いた。それから新聞の切れ端を丁寧に畳み直し、彼の手に握らせた。冷たい手だった。
「謝らなくていい。その代わり」
立ち上がる。窓の外は、いつの間にか雨が止んでいた。
「今度は、私があなたを外に出す」
ソルが、きょとんと目を瞬いた。
「外って……どこだよ」
「分からない。だが、探す」
クロリンデは、壁に立てかけていた剣を手に取った。
「狩りは得意だ」
一拍おいて、寝台の上から小さな笑い声が漏れた。喉の奥から勝手に転がり出たような、あの笑い方だった。
「……ほんと、変な人だなあ」
そう言って笑いながら、ソルはまた目を閉じた。今度は、数を数えてはいなかった。穏やかな寝息が、すぐに聞こえてきた。
クロリンデは椅子を寝台の脇に寄せ、剣を膝の上に横たえて座った。
扉の向こうに誰が来ても構わない。今夜は、ここを動かない。
窓の外の空が、ゆっくりと白み始めていた。夜明けの最初の光が、眠る彼の顔を静かに照らしていった。