HOUSE OF DEIKUN ハウス・オブ・ダイクン 作:GAME OF ZABYS
1. 木星からの風、あるいは『眼』
その男、シャリア・ブルは、ジオン・ズム・ダイクンの古い知己としてラル家の門を叩いた。連邦とのパイプを持つラル家だからこそ通じる、裏の通行証を携えて。
書庫で対面した男は、奇妙なほど静かな眼光を湛えていた。
木星帰りの軍人──。
そう紹介された男からは、軍人特有の研がれた殺気は感じられない。
すべてを見透かし、無機質に記録するブラックホールのような男。
それが私がシャリア・ブルに抱いた第一印象だ。
「……ジンバ卿は、あなたが『聖遺物』として箱に収まっていることを望んでおられるようだ」
シャリア・ブルは、隣室で興奮気味にザビ家との抗争を煽る老人の気配を、一瞥もせずに切り出した。
「私はサイド2の同志を代表して参りました。
……いえ、正確には、地球連邦軍のレビルという男の『提案』が、私の手元を通り過ぎようとしていましたので、拾い上げてきた次第です」
謎めいた物言いをする不遜な男は、一枚の暗号化されたディスクを、テーブルに滑らせた。
地球連邦は、ダイクンの遺児を象徴に担ぎ出し、サイド3以外のコロニーを親・連邦化させる——革命をドミノ倒しで勃発させようというのだ。
2.薔薇の花冠の王子
「……カラー革命?」
私はシャリア・ブルが提示した、色鮮やかなホログラムの地図を指先でなぞった。
そこには、サイド3を取り囲む他のコロニー群が、不気味なほど美しい『花の名前』と共にマッピングされていた。
「レビル将軍は、これらを『開花計画(ブルーム・ドクトリン)』と呼んでいます。
ダイクン様が亡くなった今、宇宙の秩序を正常に戻すための、血を流さない制圧作戦です」
シャリア・ブルは、淀みのない声で、3つの『花』の正体を説明していった。
「まずはサイド2。通称、『バラ革命』。
かつてダイクン様の理想に最も共鳴したこの地で、あなたが『悲劇の王子』として演説を行う。民衆にバラの花を配り、サイド3の専横を批判させるのです。
ダイクン様の名は、ここで『連邦と宇宙移民の共生』の象徴となるのです」
「次にサイド4。『オレンジ革命』です。
物流の中枢であるここを、ジオン党の息がかかった管理職から、親連邦派の労働組合へと挿げ替える。
彼らがオレンジ色の腕章を巻いてストライキを起こせば、サイド3への物資供給は一夜にして止まる」
「そしてサイド5。『チューリップ革命』。
資源採掘の拠点であるこの地で、民主化という名の暴動を煽り、ジオンの資本を強制接収する。
連邦はそれを『民意の保護』として軍を介入させ、合法的にジオンの喉元を締めるのです」
シャリア・ブルの説明を聞き終えた私は、思わず乾いた笑いをもらした。
「……バラ、オレンジ、チューリップ、か。
ずいぶんと趣味の悪い花束を揃えたものだな。レビル将軍は、宇宙を花壇にでもするつもりか?」
「いえ。将軍が望んでいるのは、サイド3にある『雑草』だけが枯れ果てた、管理された庭園です」
シャリア・ブルの瞳に、微かな冷徹さが宿った。
気圧されるわけにはいかない。
私の肩に、心を病んだ母と幼い妹の人生がかかっているのだ。
私は子どもながらに頭をフル稼働させ、その『美しい花束』の裏側を理解しようとした。
要するに、連邦は、父ダイクンの死を『最大の好機』と見なしている。
私に『平和の王子』という名の傀儡(くぐつ)を演じろという要求だ。
私はディスクを指先で弄びながら、シャリア・ブルの瞳の奥を射抜くように見た。
「…なるほど。だが、レビル将軍は、僕が大人しく『花の冠』をかぶると思っているのか?」
私の問いに、シャリア・ブルは表情を変えず、ただ僅かに首を傾けた。
「将軍は、あなたが『記号』であればそれでいいと考えています。ですが、私は少し違う」
「どう違う」
「あなたは、この脚本の先に何が見えますか? キャスバル様」
探るような声。
私は冷めた笑みを浮かべ、必死で思考をめぐらせた。
「見え透いているな。連邦はサイド3を孤立させ、父の理想を『連邦への従属』にすり替えたいだけだ。
僕を傀儡に据えて革命を煽り、最後は使い古された旗として、どこかの掃き溜めに捨てる。……違わないだろう?」
シャリア・ブルは、わずかに目を見開いた。
その瞬間、書庫の空気が震え、彼と私の間で、言葉を超えた『何か』が触れ合った。脳裏を、真空の冷たさが駆け抜ける。
「……13歳にして、これほどとは。
あなたは、自分が踊らされる舞台の『裏側』まで、すでに見通しているのですね」
「……ずっと、こんなことばかり考えているからね。癖みたいなものだよ」
男の唇が、微かに弧を描いた。木星帰りの男は、深々と頭を下げた。
それは『王子』への儀礼ではなく、自分と同等の知性の萌芽に対する敬意、だったのかもしれない。
3. 花冠で踊る対価は
私は、その取引に応じることにした。理由は2つだ。
父の死の真相を調べるための具体的な手立てが欲しかったこと。
そして、母と妹の命と生活を守るためだ。
「……シャリア・ブル。レビル将軍に伝えろ。僕がその『花の冠』をかぶるには、まだ対価が足りない」
「……と、仰いますと?」
「僕は、誰が、何の目的で父を殺したのか知りたい。父を殺した連中の手がかりが欲しい。
連邦がサイド3の影で記録したすべてのデータを僕に開示しろ。そこに何が写っているか、何が隠されているかは、僕が判断する。
それが、僕が舞台に立つための最低限の契約金だ」
シャリア・ブルは、興味深そうに私を見つめていた。
私が求めているのは遺児が王となる救済ではない。
私と私の家族がなぜ地獄に落ちたか、自ら審判を下すための『武器』としての情報だった。
「そしてもう1つ条件がある。……僕がそちらの脚本通りに踊る代わりに、僕の母と妹の安全を保証しろ」
私は、母アストライアと、妹アルテイシアの保護を要求した。
シャリア・ブルは静かに頷いた。
「アストライア殿は、現在の情勢ではサイド3を出ることは叶いません。
しかし、ザビ家の監視から隔離し、静養できる場所を確保しましょう。
……そしてアルテイシア様は、中立地帯であるテキサスコロニーのラル家一門が、責任を持って保護します」
それは、家族の『解体』を意味していた。
私は母と引き離され、妹とも別の空の下で生きることになる。
4.尼寺に、行ってくれ
ラル家の手引きで、私だけがサイド3を脱出し、地球連邦へ向かう密航船へ乗ることが決まった。
出発の直前、私はラル家の屋敷の離れで療養する母、アストライアとの最後の面会を許された。
母は、父が亡くなってすぐ、重度の鬱病を発症し、日常生活を送れなくなっていた。
──今思えば。
母は、強大な暴君(ダイクン)の理不尽に耐えることで、かろうじて自分の日常を支えていたのだ。その暴君が突如目の前から消えた瞬間、母を支えていた歪な緊張は崩壊し、張り詰めていた心の糸が千切れ飛んで──
一滴の気力も残らない重度の鬱となり、母の心は埋葬されてしまった。
白く、冷たい病室。
机の上に並べられた、夥しい数の精神安定剤のボトル。
母の細い指先は、もはや鍵盤を叩くこともできず、処方された錠剤を口へ運ぶだけだ。
心を壊され、ザビ家という檻に幽閉された、生ける亡霊。
私は、母の面影を留め置こうと、公邸から持ち出してきた古い写真の束をめくった。
だが――何十枚とある写真のなかに、母の姿だけが、ただの1枚も存在しなかった。
写っているのは、理想を吼える父ダイクンと、その傍らで義務のように並ぶ私とアルテイシアの姿だけ。
父の陰で、背景として消費され続けた母は、家族の記録の中からすら、最初から消去されていた。
──貴女を、置いていくのか。
私がいなくなったら、貴女は、一体誰と冷めきったスープを啜るのだろう?
深夜にピアノを叩く貴女の隣に、誰が、座ってあげるのだろう?
私が去るということは、母を、世界でたった1人の暗闇へと置き去りにすることだった。
母アストライアは、焦点の合わない瞳を私に向けた。そして、諦念のこもった細い腕で、私の身体をそっと抱きしめた。
私の金髪に顔を埋め、かすかな嗚咽が私の耳腔を震わせる。
――これが、私が母に会った最後だ。
最後の抱擁だった。Hug Goodbye.
妹アルテイシアは、泣いて私を止めた。
「……キャスバル兄さん、行かないで! 私たち、ここで3人でいればいいじゃない!
どうして、こんなことしなくちゃいけないの?!復讐なんて、やめて!」
私は、妹の柔らかな手を冷たく振り払った。
「もう、決めたんだ、アルテイシア。さようなら」
──ああ、気高き心が、こうも無惨に!
ハムレットの恋人。
オフィーリアは狂った王子に何を思っただろう?
王子の気持ちなら、分かるような気がした。
王子は恋人に、安全なところにいてほしかったのだ。
もっとも、尼寺という言葉は、いただけないが。
(……甘いよ、アルテイシア。3人でいれば、3人ともザビ家の餌食になるだけだ)
後に、私は、妹の安否をたずねて、テキサスコロニーを訪れることになる。
裏ぶれたレストランで、妹を監視する男──おそらくザビ家の息がかかった者を、私は暴力で打ちのめした。
『兄さん、やめて!やめて!──そんなお兄さん、嫌いだ!!!』
当時の私は、常に姿の見えない脅威に追い立てられていた。
他人の視線が針のように肌を突き刺した時、相手を完全に無力化しなければ、自分が殺されるかもしれないという恐怖を抑えることができなかったのだ。
だが、当時の私にそれを言語化する術はない。
妹は私の暴力に怯え、私は妹を突き放すしかなかった。
こうして、私と妹アルテイシアとの関係は崩れていった。
5.少年時代の残照、使い潰しの燃料
ジンバ・ラルは私の決断を、狂気的な歓喜をもって迎えた。
サイド2、
サイド4、
そしてサイド5
サイド3を取り巻くコロニーが、ダイクンの遺児の名のもとに親・連邦派と化せば、サイド3もそれに倣う他、なくなる。
ラル家がその橋渡しとなり、ザビ家を追い落とす──。
ジンバの思惑としてはこんなところか。
ジンバ・ラルの復讐心。
レビル将軍の野心。
シャリア・ブルの観察眼。
群がる大人たちのすべての思惑を、私は自分の血肉として飲み込んでやる。
ジンバの息子、ラルだけが、私を痛ましげに見つめていた。
「……キャスバル。ダイクンの名なんてな、お前が背負うにゃ重すぎる。
本当なら、俺がザビ家の野郎どもを全員ぶちのめして、お前とアルテイシアをサイド6にでも拉致して、美味い飯でも食わせてやりてえんだが……不甲斐ねえ大人で、すまねえ。
お前はお前だ。……生きて、戻ってこい」
「ありがとう。……ラルおじさん」
嬉しかった。
この男に縋りついて泣くことができたら、普通の子どもとして生きる道もあったのかもしれない。
だが、そんなことは、私の意志が許さなかった。
私は知りたいのだ。
誰が、何のために、私の父を殺したのか。
私たち家族を地獄に突き落としたのか。
そして、弁済させたい。
私たちに地獄で泥を啜らせた対価を、そいつに身をもって払わせたい。
──父を殺したのが誰か、世界がどう歪んでいるのか。
それを知るためなら、私は自分の少年時代の残照など、いくらでも使い潰してやる。
ランバ・ラルの手助けで、私は地球連邦へ向かう密航船に搭乗した。
窓から、遠ざかるサイド3を見つめる。
そこに、もう私の家はない。
あるのは、これから私が塗り替えていく、血の色をした宇宙だけだった。