HOUSE OF DEIKUN ハウス・オブ・ダイクン 作:GAME OF ZABYS
1.見世物小屋、北棟525号室にて
私は見世物小屋に住んでいる。
場所はサイド3。
ジオン士官学校の北棟(ミドル・アンダークラス専用宿舎)525号室だ。
この部屋は東西で真っ二つに分断され、右半分の西側がルームメイト、左半分の東側が私のスペースだ。
ルームメイトは、高級百貨店バーグドルフ・グッドマンから取り寄せたリネンにくるまれて眠り、ハロッズの紅茶とローテ・グリュッツェの菓子やショートブレッドを嗜む。
私は学校に備え付けの色褪せた固いシングルベッドで睡眠をとり、専用食堂で供されるヒヨコ豆とキャベツのスープ、──運が良ければ合成肉のスペアリブかラムチョップを貪る。
つまりは、格差の見世物小屋だ。
私は、早めの夕飯を食べ、課題を終わらせると、シングルベッドの鉄パイプをギチギチいわせながら、日課の上腕懸垂をこなしていた。
1セット20回。3セット目。
そして、かつて歴史書で読んだ『ベルリン・シティの壁』に思いを馳せていた。
読んだ当時は、あまりに即物的な対策に笑ったものだ。
だが、今なら壁を作りたくなる気持ちが分かる。隣人は選べないのだ。
ルームメイトは遅めの夕食──アッパークラスの社交場から戻ると、懸垂中の私に話しかけてくる。
「シャアッ!今日は姉上から手紙が来て、もっと髪を短く切るようにとお叱りを受けてしまったんだ……僕は今の髪型が気に入っているのに。
姉上は、最近の流行が分かってないんだッ!」
ギィィ……ギィィ……(懸垂の音)
「姉上だってご婚約されたのだから、もう少し白やピンクのワンピースなどお召しになればいいのにと言ったら、どうなったと思う?!
僕がバーニーズ・ニューヨークで集めたパーカーのコレクションを全て処分するというんだ!」
「ああ」
ギィィ……ギィィ……(懸垂の音)
「昔は姉上は、もっとお優しくて、あたたかい方だったのに。
あれじゃあ、義兄上が可哀そうだ!
義兄上がもし……万一……別の女性に心を移すことがあったら、姉上は義兄上の趣味のクラシック・カーを全てガイア達に破壊させるかもしれないッ!」
「そうか……」
ギィィ……ギィィ……(懸垂の音)
「ああ、ああ……、想像しただけで、胸が張り裂けそうだ……。
あの素晴らしいポルシェ911やブガッティが……。
だが、姉上が送ってくれたこのお菓子は、すごく美味しかった。今度また送ってもらうから君も食べてくれ!」
「ああ、美味いな、これは」
ギィィ……ギィィ……(懸垂の音)
サイド3で人気の高級菓子、ローテ・グリュッツェの看板菓子『赤い果実』。
この菓子屋の息子が、私の前のルームメイトだ。
門閥貴族の嫉妬をかい、今は隔離宿舎にいる。
──今頃どうしているだろうか。
「ああ、美味しいよな!僕も気に入った!
……姉上もこの店の菓子が好きで、そういうところは女性らしいのに……。
義兄上の家に招かれて、趣味は料理とカフェ巡りです、とでも言っておけばいいものを、射撃と格闘技と答えて、先方の母君にドン引きされてしまったらしいんだッ!」
「そうか……」
ギィィ……ギィィ……(懸垂の音)
私は未婚だが、これだけは言える。
キシリア・ザビとその夫君の結婚生活は、困難を極めるだろう。
……その後、ルームメイトの雑談は、1時間余り続いた。
最初の何日かは、よくこれだけ喋る話題があると感心したものだ。
思えば、私がこれまで出会ってきた人間は、政治や軍事、あるいは復讐──目的を持った金属のような言葉を話す輩がほとんどだった。
父ダイクン 狂人
母アストライア 鬱病
妹アルテイシア ルシファ(猫)がいない
ジンバ・ラル デギンの悪口
ランバ・ラル ゲリラ戦
シャリア・ブル 業務連絡、ポエム
元ルームメイト スラング
下層クラスの仲間 飯、フットボール
ザビ家の王子(ガルマ) NEW!
ルームメイトは、ただとりとめもない言葉をボタボタと垂れ流しているだけのように見える。
だが、あの門閥貴族は、こいつが私を『査定』すると言っていた。
これは、ザビ家への反逆の意思を問う思想チェックだというのか?
もし、同調すれば『不敬罪』になるとか?
……いや、手間をかけすぎだ。効率が悪すぎる。
30セット完了。
よし、寝る。
2.夜の防壁、泥に眠る光
私は日課の上腕懸垂を終えると、さっさとシャワーを浴びて眠るようにしていた。
機械的にシャワーを済ませ、固いシングルベッドに潜り込んだ。
「シャア!もう寝てしまうのか?!」
「ああ」
「そうだ、シャア、君のベッドは固いし狭いだろ。僕のベッドは広いから、こっちに来て一緒に喋らないか?」
は?
……こいつは一体、何を言いたいのだろうか。
……ベッドが狭ければ、一緒に並んで喋るのか?
私が反応しないので、私に喋らせようとしている?
何のために?
素性や病歴を探ろうとしているのか?
いや、それとも政治や思想的な尋問をされるのか?
……意味が分からない。理解不能だ。
とんとんとん。
私は右手の人差し指で頬を叩いた。
「……何のために?……そこで、何かするのか?」
私も驚いたが、ルームメイトも驚いていた。
こいつは目を白黒させて、眉を八の字にすると、こう言い放った。
「……何って、何もしないよ。ただ……あ〜〜、家族や兄弟で、寝る前にそうしてお喋りしたりするだろ、普通……」
家族。
兄弟。
……普通。
私は、頬をとんとんとんと叩いていた指を止めた。
そして、ベッドから起き上がり、鉄製の薄いドアをガチャリと開けて、暗い廊下へと飛び出した。
走る。
走る。
階段。止まる。
普通。
普通だと。
駄目だ。言語化、できない。
私の頭の中で、あの映像が再生される。
重苦しい夕食の風景。
父ダイクンの何百回と繰り返された『独演会』。
父の演説が終わるまで、母アストライアと私は、冷めきったスープを啜るように、その使い古された熱狂に相槌を打ち続ける。
それでも夜は、終わらない。
夜中、父は酒の匂いを部屋中に撒き散らしながら、演説の推敲で行き詰まっては母に縋り付く。
父の演説──世界の救済という肥大化した妄想が完成するまで、母は眠ることを許されない。
母は疲弊し、壊れていく。
母に同情しながら、私はベッドにくるまり、自分をそこに呼ばないでくれと、ただひたすら祈っていた。
父の獣のような唸り声と、グラスが割れる鋭い音。
必死に宥める母の声。
──やれることは、全てやった。
だから、来ないでくれ。
私を、眠らせてくれ。
私は地下に続く狭隘な階段を駆け下りた。
そして、見回りの寮監に見つからないよう注意しながら、隔離宿舎へと向かった。
薄暗い廊下の部屋の前で、私は静かにノックをした。
すると、かつての元ルームメイト──ローテ・グリュッツェ菓子店の息子が、ドアを開けた。
私の今のルームメイトが『西側』になってから、彼はこの隔離部屋に『移民』させられたのだ。門閥貴族の嫌がらせから、身を守るためという名目で。
「……今夜だけ、ここに置いてくれ」
「……分かった、入れよ」
私は、部屋の隅の冷たい床の上に、マットレスをひいて横たわった。
彼が、部屋の電気を消した。
「何も聞かないんだな」
「聞かないし、言わない。ただ、お前はよくやってると思うよ」
「そうか……」
久しぶりだ。
眠りが深い。
──お前が何者だろうが、お前がどんな秘密を抱えていようが、そんなことはどうでもいい。
──お前は、俺たちの胃袋と尊厳のために、あの暴力装置(ザビ家)を相手に最前線で「よくやってる」。
──俺たちは、その事実だけを信頼して、お前をこの地下の泥の底で匿ってやる。
小さなキャスバルが、私を見ている。
──よくやってる。
その言葉。
その言葉を私は、あのダイクン邸で待っていたのかもしれない。
翌朝、私は元ルームメイトと下層クラスの食堂に向かった。
いつも通り、濁ったスープの朝飯を食べ、いつも通り、訓練で完璧な成績を叩き出し、いつも通り、フットボールをした。
──そして。
いつも通り見世物小屋に戻って、日課の上腕懸垂を再開した。
ギィィ。
ルームメイトが、部屋に戻ってきた。早い。
アッパークラスの贅沢なディナーをパスしたのか。
ルームメイトは少し気まずそうに、だが安堵したように私(懸垂中)に話しかけてきた。
「昨日はごめん。シャア。僕、君に何か無神経なことを言ったんじゃないかと思って、心配していたんだ。怒っていないかい?」
ギィィ。
「別に。ただの気分転換だ」
数日後。
私の元ルームメイトとその家族は、身体中をマシンガンで蜂の巣にされ、木に吊るされていた。