あるゴブリンの母娘の話 作:匿名希望
深緑の森の奥深くに、一風変わった仲良し母娘のゴブリンが暮らしている――。
いつしか冒険者や商人たちの間で、そんな都市伝説のような噂が囁かれるようになっていた。
「おい、例の噂を知ってるか?
森で魔物に襲われた時、デカい雌のホブゴブリンと、小さな可愛らしいゴブリンクイーンの母娘に助けられたって話だ」
「ああ、聞いたぜ。あの森の深部を仕切ってるっていう『友好的なゴブリン親子』だろ?」
10年の歳月は、二人の関係と立ち位置をさらに特別なものへと変化させていた。
呪いを解く術を求めて旅を続ける中で、テイマーから可憐な雌ゴブリンへと変えられた主人は、その秘められた魔力と純粋な心ゆえに、森の小鬼たちを統べる気高くも愛くるしい「ゴブリンクイーン」へと覚醒を遂げていた。
かつて人間だった記憶も、一流テイマーだった知識も今はもう存在しない。
しかし、根底にある「優しさ」と「人との絆」だけは消え去ることはなく、彼女は人間を傷つけることを決して望まなかった。
一方、かつて幼稚園児の男の子だったホブゴブリンは、いまや威風堂々たる「雌の護衛筆頭」であり、同時に幼いクイーンを心から愛でる「母親」のような存在となっていた。
二人が街の近くや街道沿いに姿を現す時、その光景は誰もが目を疑うほど微笑ましいものだった。
小さなゴブリンクイーンは、幼い雌ゴブリンの面影を残したまま、頭部には魔力の結晶でできた小さな冠のような角を生やしていた。
着ているのは、かつてのホブゴブリンの手によって綺麗に仕立て直された、上質な革と花の装飾があしらわれた可愛らしいミニドレス。
不吉だった足首の鉄の輪は、二人の絆を証明するかのような美しい金のアンクレットへと変身していた。
その横に立つ母親役のホブゴブリンは、さらに一回り大きく逞しく成長し、洗練された銀の軽甲冑を身に纏っている。
背中には巨大な大剣。その鋭い眼光は周囲を警戒しつつも、クイーンを見る目だけはどこまでも温かく、慈愛に満ちていた。
「おかあさま、みて! おはな、きれい!」
幼いクイーンが言葉足らずに花を差し出すと、ホブゴブリンの表情は一気に破顔する。
「ええ、とても綺麗ですね、私のかわいいメル。……ほら、お鼻に花粉がついていますよ」
膝をつき、甲斐甲斐しく小さなクイーンの汚れを拭うホブゴブリン。
人間だった頃の立場は完全に逆転し、いまやホブゴブリンが「護る者(母)」であり、クイーンが「甘える者(娘)」だった。
だが、そこには主従を超えた、血の繋がり以上の深い愛が存在していた。
森で道に迷った旅人を見つければ、クイーンが「たすけてあげて!」と目を輝かせ、ホブゴブリンが大剣一閃で兇悪な魔物を退治する。
お礼として貰った甘いお菓子を、二人は仲良く分け合って食べるのだ。
「あの親子ゴブリンに会ったら、絶対に攻撃しちゃいけない。甘いお菓子を渡せば、安全に森を案内してくれるぞ」
人間たちの間でいつしかそう語り継がれるようになった噂。
呪いを解く旅は、いつしか二人にとって「幸せな親子の日常」そのものとなっていた。
かつて人間だった過去を忘れても、二人が手を取り合って歩む温かな絆は、永遠に変わることはないのだった。