ナザリック地下大墳墓の5日間戦争。 内政改革と、とあるメイドが掴んだ至高の奇跡 作:バルカン39
◇カルネ村・北側外周の柵付近(夜間)
ツライ鍛錬の日々を経て、かつての素人の腕前が少しはマシになり、ブリタからも褒められたバルブロ。彼は今や、カルネ村自警団の一員として1人で夜間警備を任されるまでに信頼を得ていた。
深夜、冷たい夜風が吹き抜ける村の外周。木槍を握りしめ、静まり返った草原を見つめていたバルブロの鋭くなった五感が、不自然な草擦れの音を捉えた。
(……足音? 1人や2人ではない。ゴブリンたちの巡回ルートとも違う!)
バルブロが息を潜めて物陰に身を隠す。村の防衛結界のちょうど死角となる窪地から、陽炎のように不審な男が5〜6人変な動きで這い出てくるのが見えた。男たちは漆黒の隠密服を纏い、ただの盗賊とは思えぬ統制された動きで、村の外をうろついている。
男たちのリーダー格が、物陰に潜むバルブロの気配を察知し、音もなく近づいてきた。
「――ほう、こんな辺境の村の警備兵にしては、なかなかの身のこなしだな。……いや、その顔、どこかで見覚えがあると思えば。貴様、リ・エスティーゼ王国の第一王子、バルブロ殿下ではないか?」
「なっ……!?」
バルブロは驚愕に目を見開いた。王宮を追われ、エランテルで八本指にすべてを奪われてカルネ村へ漂着したはずの自分の正体を、男たちは正確に言い当てたのだ。
「驚くことはない。我らは貴族派閥にすべてを奪われ、復讐を誓う王派閥の使いの者たちだ。殿下、貴様がなぜこのような肥溜めのような村でゴブリンどもに顎で使われ、泥にまみれているのかは知らんが……その瞳の奥の炎は消えていないようだな」
不審な男たちは、木槍を構えるバルブロを警戒するどころか、酷薄な笑みを浮かべて彼を仲間にしようと勧誘を始めた。
「どうだ、殿下。我らの新しい王派閥と共に来い。我らの組織には、まだ貴族派閥を脅かす秘策がある。貴様が我らの仲間になれば、いずれこの村をゴブリンごと血の海に沈め、貴様を陥れた貴族派閥の首を跳ねて、再び貴様を王国の玉座へと据えてやろう。……こんな草の村で一生犬のように飼われて死ぬか、我らと共に復讐を果たすか、どちらかを選べ」
「復讐……王国の、玉座……」
男たちの勧誘の言葉が、バルブロの耳の奥で甘く、悍ましく響く。毎日毎日、ゴブリンたちに罵倒されながら泥水を啜って受けてきたツライ鍛錬。ブリタに褒められ、一人の自警団員としてのプライドが芽生えかけていたはずの心に、かつて王宮の頂点で世界を傲慢に見下ろしていた「第一王子」としてのドロドロとした権力欲と、貴族派閥への復讐心が再び急激に鎌首をもたげた。バルブロの心は、かつてないほど激しく揺れ動いていた。
(仲間になれば、またあの頂点へ戻れるのか……? 私は、このままこの村の家畜で終わって良い男ではないはずだ……!)
「……っ」
バルブロの手の中で、木槍が激しく震える。
しかし、その時、バルブロの脳裏をよぎったのは、復讐の甘い言葉ではなく――自らの手で掴み取った『指のタコ』の感触であり、泥にまみれて突き続けた木槍の重みであり、何より、自分を『よく頑張ったね』と一人の人間として真っ直ぐに褒めてくれた、ブリタのあの笑顔だった。
エランテルで八本指に襲われた時の自分は、権力を笠に着て威張るだけの、文字通りの『剣の腕もない素人のボンボン』だった。だが今の自分は、ゴブリンに殴られ、泥水を啜り、自らの血と汗で、この小さな木槍を少しはマシに扱えるようになった「カルネ村自警団員のバルブロ」なのだ。
(私は、またあの虚飾と嘘にまみれた泥沼の王宮に戻るというのか? ……あんな、他人の死に顔を笑うだけのゴミクズどもがのさばる世界に!)
激しい葛藤の末、バルブロの瞳から濁った権力欲が完全に消え去り、泥臭くも力強い、鋭い戦士の光が宿った。
「断る」
バルブロは木槍を鋭く構え、目の前の不審な男たちを真っ直ぐに見据えた。
「私はカルネ村自警団のバルブロだ!! 王国の玉座などという紙屑に、もう興味はない!! 貴様らのような闇に蠢くネズミどもに、この村の柵を一本たりとも跨がせるものか!!」
「……ちっ、交渉決裂か。愚かな男め」
リーダー格の男が顔を歪めて合図を出した瞬間、不審な男たちとバルブロとの間で、激しい【戦闘が開始】された。
殺到する影は5人。鋭い速度で突っ込んでくる漆黒の暗殺者に対し、バルブロは泥を蹴って前に出た。
「おおおおおっ!!」
正面から放たれた隠密の短剣を、毎日何千回と繰り返した型通りに木槍の柄で鋭く弾き上げる。カン、と硬質な音が響くと同時に、バルブロは容赦なく懐へ踏み込んだ。木槍の石突を思い切り相手の顎へと突き上げる。ゴカッ、と鈍い破砕音が響き、まず1人が白目を剥いて気絶した。
「なめるな!」
すかさず左右から同時に刃が迫る。バルブロは地を走るような低い姿勢でそれを躱すと、そのまま前転して距離を取った。だが、鋭い追撃が彼の太ももを浅く切り裂く。生の激痛が脳を焼いたが、今のバルブロの心は折れない。
「ふんっ!!」
起き上がりざまに放った渾身の薙ぎ払いが、2人目の暗殺者の膝裏を正確に捉える。姿勢を崩した男の側頭部へ、バルブロは強烈な蹴りを見舞った。激しく地面に叩きつけられた2人目が気絶する。
間髪入れず、3人目が背後から首元を狙って跳躍してきた。バルブロは避ける時間が無いと判断するや否や、あえて自らの背中を相手の胸元へと叩きつけるように後方へ倒れ込んだ。泥臭い捨て身の肉弾戦。ドサリと肉と肉がぶつかり合う凄絶な衝撃の中、下敷きになった男の溝落ちへ、バルブロは渾身の力で肘を叩き込んだ。「ガはっ……!」と短い絶叫を残し、3人目が昏倒し、気絶した。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ!!」
バルブロは木槍を杖代わりにし、どうにか地面に立ち上がった。だが、彼の肉体はすでに限界を迎えていた。体中から血が流れ、重い疲労が全身を支配している。文字通り息も絶え絶えであり、視界は自身の汗と血でかすんでいた。残る暗殺者は、リーダー格を含めてあと3人。
リーダー格の男は、息を切らすバルブロを冷徹な目で見つめ、再びゆっくりと歩み寄りながら再度勧誘を口にした。
「……驚いたな。あの誉れ高かった第一王子が、これほど泥臭い戦いをするとは。だが、それもそこまでだ。貴様の身体はもう一歩も動くまい。どうだ、無駄死にする前に、もう一度我らの提案を考え直したらどうだ? 我らの仲間になれば、今流した血のすべてを称え、必ずや貴様をあの黄金の玉座へと呼び戻してやるぞ」
ボロボロになったバルブロは、その言葉を聞き、血と泥にまみれた顔を歪めて、くくく、と低く笑った。そして、残る力をすべて振り絞るように、夜空へ響き渡る大音声で啖苛を切った。
「……笑わせるな、虫ケラどもが。黄金の玉座だと? ……あんな、おべっかと嘘と見栄にまみれたほうが、よっぽど臭いわ!!」
バルブロは床にぺっと血混じりの唾を吐き捨て、木槍を再び真っ直ぐに構え直した。その瞳には、かつての王族の虚飾など微塵もない、ギラギラとした野生の光が宿っていた。
「毎日毎日、ゴブリンどもに怒鳴られ、自分の力で飯を食い、自分の腕を磨く……! この泥臭い生活のほうが、今の自分にはよっぽど合っているんだよぉぉぉ大莫迦者どもがぁぁぁ!!!」
「……そうか。ならば、死ね」
リーダーの男が冷酷に刃を掲げ、バルブロへ向かって突撃した
――その瞬間。
「そこまでだよ、不審者ども!!」
闇を切り裂くような鋭い声と共に、一人の女性が茂みを蹴って躍り出た。夜間巡回の異変を察知し、松明を片手に駆けつけたブリタであった。
「チッ、増援か! 撤退するぞ!」
元冒険者であるブリタの放つ確かな戦闘気配を鋭く察知したリーダー格の男は、即座に懐から丸い球体を取り出し、地面へと叩きつけた。ボッ!!! と悍ましい音を立てて、周囲の空間へ一瞬にして真っ黒な煙幕が広がっていく。不審な男たちは、バルブロが気絶させた3人の仲間を素早く抱え、煙幕の闇に紛れて瞬時にその場から逃走していた。
「はぁ……はぁ……、追わせる、か……」
煙が薄れる中、バルブロは木槍を構えたまま前に進もうとした。だが、男たちの気配が完全に消え去ったのを確認した瞬間、張り詰めていた彼の限界の糸が、ぷつりと切れた。ガサリ、と重い音を立てて、バルブロはその場に崩れ落ち、そのまま意識を失って気絶した。駆け寄るブリタの荒い息遣いと焦燥に満ちた声が、遠のいていく意識の暗闇へと消えていく。